それぞれの終局
無限とも思える蛸足から繰り出される連続攻撃の嵐の中を、ゲンザは極限の精神の中で突き進んでいった。
精神が肉体の限界を超え、全身を廻る気の流れすら精緻に把握できるほど研ぎ澄まされ、その精神力に引きずられるがごとく肉体も限界を超えて加速していく。
四方から押し寄せてくる怒涛のごとき打撃の一つ一つを紙一重で避けきりつつ、されど歩みを止めることは一切せず、ただ強敵に食らいつくことを考え前へと進み続けた。
『な、なんだ……これは………』
――時間が酷くゆっくり流れているように見える。
――繰り出される一撃一撃の起こりが確認できた。
――どこに身を預ければ躱せるのか、刹那の中でも余裕で分かる。
――重い体が足をひっぱるが、今まで鍛え抜いた肉体は裏切ること無く、なんとか自分が思ったようについてきた。
――相手の攻撃が肌や肉を裂き血煙が舞うが、精神がただ敵を斬るの一点に集中しているためか、全く痛みを感じない。
――手にした刀の先に僅かな気の刃を灯す。
『この蛸足、邪魔だな………斬れるか? いや、斬る!!』
――胴薙ぎにきた蛸足を斬り飛ばした。
――続いて頭上から迫る打撃を迎撃し、左右の上下斜め方向から迫る四方同時攻撃をひと振りの刀に全てを込め、懐に入りながら全て切断。
――捌き切れなかったのか、いつの間にか脇差が折れていたことに気づく。
――その脇差を、左から迫る蛸足に躊躇いなく突き刺すと同時に抉り、手を離したと同時に愛刀の柄を両手で握った。
『入ったぜぇ、アンタの懐によぅ!!』
――猛りながらも自然と笑みが浮かぶ。
――それは勝利を確信した笑みではなく、この戦いに最後まで付き合ってくれた強敵に対する、尊敬と感謝の笑みだった。
――ただ一言、『楽しかった』これだけの言葉を込めただけ笑み。
――両手で渾身の一撃を放つ。
――この生涯で初めての最高の一撃だと確信を持って言える。
『なっ!?』
――鎧兜に重なるように相手の顔が見えた。
――初老を迎え、武人としてではなく、ただ衰え死にゆくこと受け入れた男の、諦めの顔だった。
――その顔が、ゲンザを見て笑っていた。
――満足そうな笑みだった。
『そうかい………アンタも楽しかったのかよ』
――相手に対しての敬意と哀悼の意を込め、渾身の一撃を振るう。
――刀は壺獣士の鎧に抵抗もなく滑り込み、極限に到達した一撃となって偉大な強敵を両断した。
――同時に全身の力が急速に抜け落ちていく。
それは、あまりにも一瞬のことだった。
ゼロス達から見た限りでは、ゲンザは策もなく相手の懐に飛び込むと、鬼神のごとき速さで刀を振るい蛸足を斬り飛ばした。
その間に脇差が折れたが、いつの間にか迫っていた蛸足へと迎撃し、強引ねじ切ると同時に手を放し、両手で壺獣士を一刀両断にしてゲンザは倒れた。
既に壺獣士は消滅し、全身血まみれの男が横たわっている。
「あらぁ~……限界を超えた一撃だったようだねぇ。最高の一撃を放つために、全身の筋肉や血管が限界を迎えて破裂・断裂したようだ」
「くそ……変態のくせにかっこいいじゃねぇか……。変態のくせに……」
四方八方から襲い掛かってきた蛸足攻撃を、ゲンザは全て避けきったわけではない。
むしろ刹那の中でさえ紙一重で避けていたので、体中には致命傷ではないものの無数に傷痕が見られ、そこから大量に出血をしているのだ。
『エリクサーなら全身きれいに治せるけど、この手のタイプがそれを望むはずがないよねぇ。傷痕はたった一つの勲章なんだっけ?』
ゼロスが使用したのは、上級のハイ・ポーションだった。
それでもこの世界の魔法薬に比べれば効果は高く、抉れた筋肉も急速再生して元に戻ったが、受けた傷痕はそのまま残っている。
「なんでエリクサーを使わないんだ?」
「アド君も無粋だねぇ~、最後まで武人としてあろうとした男に、勲章を残してあげるのが粋ってもんじゃないかい? ロックンロールだよ」
「あ~、昔の不良のようにツッパリ続けることが男の誇りみたいな?」
「そうそう、そんな感じ」
「いや、それを言ったらヤのつくご職業の方や昔の武侠など、みんなロックンロールじゃね?」
「昔の武士や任侠・武侠なんて、ロックンロールじゃなく蛮族だからね? 鎌倉武士とか平気で人を殺していたヤベェ連中だから」
「薩摩もヤベェけどな……」
フオウ国の武士は、日本の歴史などに出てくる武士たちに比べ、比較的に穏やかだった。
西洋諸国では理解しづらい死生観を持ち、元寇すらドン引きさせた悪辣極まりない殺戮本能。勝つためには手段を択ばず、人質すら意に介さず敵を殺し尽くす戦い方は、敵対する側からすれば恐ろしくもおぞましく、『こんな奴らと戦っていられるかぁ!!』と嘆きたくもなるほど情け容赦なしの殺戮集団。それが武士である。
かと思えば、妙に礼節は弁えているのだから蛮族なのか理性的なのか分からなくなる。
「このおっさんとミヤビも、鎌倉や薩摩寄りなんじゃね?」
「どうなんだろうねぇ、タカマル君は江戸かな? 殺し合いより勉学とかそういう方面に向いていそうな気がするけど」
「いろいろ学ばせて、外交官にでもなったらいいんじゃないか?」
「それは、本人の希望次第じゃないかい」
サムライなんて人斬ってなんぼなどと平然と言う血の気の多い者達より、何のために剣を学び、何のために振るうのかを考えるタカマルの方が、よっぽど人間らしく好感が持てる。
世間話をしつつも隙あらば斬りかかろうと殺気を飛ばすより遥かにまともだ。
「平穏が似合わん奴らだよな……」
「まったく………」
「人のことを血も涙もない殺戮者と同列と思われるのは、少々遺憾に思いますが? 思ってはいても口に出さずにおくのが礼儀だと思いますけど」
「そう言いつつも、殺意を出しまくっている人には言われたくないですねぇ。まだ戦い足りないんですか? 人を斬り続けた先に何かあるわけでもあるまいに」
「今日のところは充分ですよ。父上も満足そうですし、ここでとどめを……」
「「やめなさいって!!」」
ゲンザとミヤビに至っては、この地に連れてくるのは不味かったかもしれないと、おっさんは思い悩む。
どうにも生死の境と刹那を垣間見たことで、寄りいっそうに武への執着心が強まったように感じられた。この二人にとって戦いとは理屈ではないのだろう。
「一応は警告をしておきますがねぇ、殺し合いの中に生を求めるのは止めておいた方がいいですよ? それ以外のことしか考えられなくなれば、それは人を捨てたのと同義ですから。獣に堕ちた者の辿る運命は決まっています」
「ですが、少なくとも最後を迎えるまで自由であることは確かでしょう? 獣に堕ちても納得できる最期を迎えられるのであれば、それは幸せなことでは?」
「納得できる最期……ねぇ。集団から追われ、無様に矢で射殺されるか、戦いの果てにドブで溺れ死ぬかでしょう? それ以外の最後にしても、戦い続けた先なんて禄でもないものに違いありませんよ。僕はご免ですね」
「生きるうえで足掻いた先がそれなら、是非もなしですね。他人に私の人生を決められたくはないですし、自由の果てでの死がそれなら納得して死にましょう。その時点で後悔なんてしようもないでしょうから」
ミヤビとしては、戦いという刹那の生に魅入られようと、行きつく果ての結果が例え無様なものであったとしても、納得できる死として受け入れられると本気で思っていた。
だが、ゼロスは長く生きているからこそ、人はそこまで潔く死んで逝くことはないと思っている。たとえ死の淵に立たされたとしても、人は無様に生に縋りみっともなく足掻き、恨みと後悔を吐きながら死んで逝くものだと思っており、笑って死ねるような綺麗な生き様は戦いの中では得られないと、ミヤビの考え方を全否定だ。
「納得して死ぬ者は、最後まで成すべきことを成し、その結果を全て見届けた者。覚悟と責任を貫き通した誇りある者だけですよ。血に飢えただけの獣が誇りなどおこがましい。人殺しの悦楽と狂気に溺れた先が、ミヤビさんの言う納得いく最後を迎えられると、本気で思えるので? 血に魅入られた者は、最後まで血を欲する存在に成り下がるだけですよ」
「ゲンザ殿は、ある意味で今死んだ方が幸せかもしれないな。今後、今回のような満足いく戦いなどできるとは限らねぇだろ」
「なら、なぜ止めたのです?」
「「後味が悪すぎるだろ」」
少なくともゲンザは武士として成すべきことを成した。
無論、この親父は戦いの悦楽に身を委ねていたが、それでも妖魔を倒すべきとして捉え、命懸けで戦い打倒したことは確かだ。
だが、ミヤビは違う。
最初から戦いそのものが目的であり、最初から生き残ろうとする意志が希薄に見える。
生死の境を求めるあまり、人として生きることに対する執着が麻痺しているのかもしれない。
このまま成長していけば危険な存在になりかねない。
「あぁ~………ゼロス殿。アンタの言いたいことも分かるが、それじゃミヤビには通じねぇよ。自分が強くなることしか頭にねぇからな」
「おや、ゲンザ殿。気がついていたんですか?」
「あぁ………良い戦いだった。真剣勝負………実に心が躍ったぜ。人生で初めてだったな」
「満足いったなら別にいいですがね」
「満足いった。だが、ミヤビ………お前は駄目だ」
「私の何が駄目だというんですか?」
「お前が見ているのは自分自身だけで、相手を見ようとはしていねぇ。そういう意味ではタカマルの方が見込みはある」
「それは、どういう意味ですか………」
深い溜息を吐きながらも、ゲンザは失血で朦朧としている頭を振りながら体を起こし、真剣な目でミヤビを見据えた。
そこにはいつもの変態な父親の面影はなく、一人の武士として威厳のある真剣な目だった。いつもこうであればいいのにと思いたくなる。
「ミヤビ……お前は相手を見ていねぇ。今回の相手も強くなるための糧にする程度にしか考えていなかっただろ。技の一撃一撃に重みを感じたか? 奴らの心を感じ取ったか?」
「いいえ………」
「だろうな。俺は今回、初めて真剣勝負の中で感じ取ったぞ。そして、タカマルもな……」
「タカマルもですか?」
「あぁ……タカマルよ。お前、相手が手加減していることに気づいたな? まるで『手解きしてやろう』みたいな、凄く舐めた態度で遊ばれていると思ってんだろ」
「……………はい」
「それが正解だ。だが、向こうはお前を舐めていたわけじゃねぇ。『死に急ぐな』と、そう言いたかったんだろうよ。お前の意地につき合ってくれるほどだったからな」
ゲンザは息子に対して父親らしいことを始めて言った。
少なくとも、知り合ってからこの変態親父が父親らしいところを見せたことは、記憶を探った限りでも一度もない。
次にゲンザが見据えたのはミヤビにだ。
「いいか、ミヤビ。真剣勝負とは、剣で交わす相手との対話だ。技の重みが培ってきた時間を、冴えわたる技の数々が、どれだけ真剣にこちらと向かい合っているのか知れる。獅子の方は遊んじまったから分からねぇが、壺の方は武人として死にたかった無念の思いが強かったな。タカマルじゃ未熟すぎるし、ゼロス殿は呪術師であって武人じゃない」
「納得いく死を与えてくれるのは父上しかいなかったと?」
「そういうことだ。最後の最後で全てを理解できた……できちまった」
「それで、なぜ私は駄目なのですか?」
「お前は……強くなることを求めるあまり、相手のことを見えちゃいねぇ。向き合う気もねぇし、むしろ飢えを満たすために食らい尽くそうとしている。生き方が武人のそれとは根本的に違うんだよ。お前だって自覚してんだろ?」
「……………」
ミヤビは無言のままだった。
おそらくは自分でも理解していたのだろう。
ゲンザの行く道が修羅道なら、自分が悪鬼の道を行く夜叉であることを。
「今回のことで自覚しました。私は……殺死合いの中でしか生きられないと。強い相手を倒し、更なる高みへと昇る。善人でも悪人でも死ねばみな躯に変わり、それらの屍を乗り越えてでも高みへと至りたい。これが本能として刻まれているようです」
「だろうな……お前は容易に人の道を踏み外せる。強くなるためには親だろうが弟だろうが、笑って殺せるんだよ。だがよぉ、人の情を捨てちまったら、お前は蹴散らしてきた妖魔と何も変わらねぇ。妄執に飢えた獣だ。その末路は……もう見えているだろ? 自分で蹴散らしてきたんだからよぉ~」
人の残した妄執が実体化したのが妖魔なら、人の心を捨て一匹の鬼に成れるのがミヤビだ。共通点は人であることを捨てたか、捨てられるの違いでしかない。
妖魔は怨念で人の剝き出しの感情そのものであり、非業の死が人であることを捨てざるを得なかった。これは歴史的に起きた変えようのない現実の歪みそのものである。
一方でミヤビは平穏な社会に生じた歪みであり、穏な日常の中でも乱を求め、その宴の中で血と殺戮に酔いたいという願望がある。
その願望を求めるあまり家族を殺すような事があれば、ミヤビは容易に鬼へと堕ちる。
「そう………私は他人を斬る対象としか見れない。街ですれ違う人たちを見ていると、どうやって斬るか、どこから斬るべきか、そればかりが頭に浮かびます」
「剣士としての才がありすぎんだよ。斬って殺して、その続けた先になんて、なんにもありゃしねぇのさ。魅入られちまったら終わる」
「いや、そもそも剣で斬り合い続けて、相手がどういった人物だなんて分かるものなのか? その上での納得のいく死なんて、俺には全然分からないんだが」
「アド君や、そこは今まで育ってきた環境や、学んできた死生観や風習によって影響を受けるし、辿ってきた成長過程で考え方も変化し続けるもんだよ。生まれてから死ぬまで勉強さ。そんな中で、ミヤビさんのように戦いを好む気性に育つには、何らかのきっかけがあったんだと思うよ。何か心当たりは?」
ミヤビは少々思考を巡らせ過去の記憶を探る。
思い出すのは、赤・赤・赤………赤一色に染まった家屋。
破れた障子や襖だのに残された赤い色の手形がまるでモミジのようで、実に色鮮やかな光景として焼き付いていた。
「そうですね………。昔、街で押し込み強盗が頻発していて、偶然その現場を見てしまったのです。どこもかしこも赤く染まり、今もその鮮やかな色が記憶に鮮明に焼き付いて離れません」
「血液は時間がたつと黒くなりますけどね。異臭も酷いですし、それを見て美しいと思ってしまった段階で、おそらく精神的なショックから錯覚したんだと思いますよ? 押し込み強盗ということは、当然ですが犠牲者も出たんですよね。どれほど前の話かは分かりませんが、幼い頃だとしたら、よほど酷いご遺体を見たんでしょう。子供にはきっつい光景だったんだろうねぇ」
「あっ……その現場にミヤビを連れていったの、俺だわ。ちょうどタカマルが女房の腹の中にいた頃で、子守ついでに二人で散歩がてら街を散策していたら、異臭が漂ってきてな。気になって探してみたら、押し込み強盗の商家だったんだわなぁ~。確認のために屋敷に入ったんだが、アレがきっかけかよ」
「「アンタが原因じゃねぇか!!」」
ミヤビが血の気の多い人格になった理由が判明してしまった。
幼少期にいきなり大勢が殺された犯罪現場に連れて行けば、幼女だったミヤビの心と記憶に深刻な衝撃を与え、受けたトラウマから心を守るために脳内で記憶の編纂が進む。
その結果が今のミヤビだ。
陰惨で最悪な光景を幼い少女は綺麗な光景と記憶を書き換え、それがいつまでも心の奥底に刻み込まれ、やがて『人斬ってなんぼ』の好戦的な人格を形成させた。
「なんで、そんな現場に連れて行ったんですか! どう考えても子供には刺激が強すぎて、心に深い傷を負いますよ。それもかなり重症な………」
「アンタ、マジで凄い適当な性格だよな。おとなしくミヤビに斬られた方がいいんじゃねぇか? 親として最低最悪だろ」
「いや、けどそんときは緊急時だったからなぁ~。襲われた商家の様子を確かめるためにも、店に入らなきゃならんかったし、ガキだったミヤビを店の前に放置するわけにもいかんだろ。誘拐でもされたらどうすんだ」
「そこは、衛兵に知らせるか、人に知らせるのを頼んで店の前で見張るなりできたでしょうに。少なくとも子供に見せていい光景じゃないことは確かですねぇ」
「その結果が、こんな羅刹娘が出来上がったまったんだから、親の責任って重いよなぁ~。俺も気をつけよう………」
「あ~、その手があったかぁ~。言われるまで気づかんかったわ」
ゲンザには気配りという心遣いを持ち合わせてはいないようだ。
幼少期の娘に凄惨な殺人現場を見せておきながら、いざ血の気の多いヤバい性格に育っても原因が分からず、隙あらば親をも殺そうとする犯罪者予備軍になっている。
しかし、その原因が自分のその場で起こした行動の所為ともなれば、もはや言い逃れできない。ミヤビに斬られても文句は言えない。
「ミヤビさん、ゲンザ殿は斬っても構いませんが、タカマル君はどうにか堪えてください」
「あぁ……タカマルを斬ったら二度と戻れなくなるぞ。お前がそうなった原因は、この無責任で考えなしな、勢いだけの変態親父だからな」
「さすがの私でも、タカマルを斬るには躊躇いますよ。誰が私のご飯を作ってくれるのです? 言っておきますが私の作れる献立は少ないですよ?」
「「「飯炊き要員………」」」
おっさん、アド、タカマルが世界の片隅で泣いた。
その横で半裸の変態親父がそっぽを向く。
反省したところで既に取り返しがつかず、この反省を今後に生かせる機会もあるとは言えない。この時だけ反省した素振りを見せ、数日後には忘れている可能性の方が高い。
剣術のこと以外凄く適当に生きているゲンザは、ある意味で幸せなのかもしれないが、その幸せも独りよがりなものにすぎなかった。
少なくともミヤビとタカマルは不幸な目に遭い続けているのだから。
「さて……いつまでもここに居るわけにもいきませんし。撤収しますかね」
「そうだな。変態親父は埋めていきたいところだが……」
「埋めるなら斬ってからにしてください」
「姉上………」
「酷くねぇかぁ!? 俺、一応はケガ人なんだけどぉ!? 埋められることなんて………ちょっと脱いだだけじゃねぇか。それのどこが問題だっつ~んだよぉ!!」
「「「「それが一番の問題だぁ!!」」」」
いい歳こいたおっさんが脱いだところで、いったいどこに需要があるというのか。
喜ぶのは近所に住むおばちゃんか、あるいは濃い性癖の持ちの方々か、おっさん趣味の一部の腐女子くらいだろう。
似たようなことをしている筋肉至上主義者を知っているが、あちらが魅せているのは筋肉であって裸ではない。まして性的興奮を覚えていないだけまともだ。
「アド君、車をお願い」
「運転は俺っスか?」
「僕がやってもいいけど?」
「せめて山を越えてからにしてくんね? 軽自動車でこの斜面はきついと思うんだわ」
「楽はできないか……もっと派手に消し飛ばせばよかったかねぇ?」
物騒なことを口にしつつ、おっさんたちは帰路に就く最初の難所、山越えを始めるのだった。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~~◇~~~◇~~
「な、なんじゃこらぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
平原で百鬼夜行の迎撃から一夜明け、討伐隊から再び斥候部隊が放たれた。
彼らの目的は、本当に妖魔たちを全滅できたのかを確認するためと、生き残りが存在していた場合の対処である。
しかし、本陣で偵察の命を下したアシヤやサエキ達は、そのような心配はもうないことを知らず、大量の妖魔が出現した中心地へと部隊を送る。
そこで彼らが見たものは、盆地一帯に巨大なクレーターが穿たれていた光景と、その周囲の山林が全て暴風にでも薙ぎ倒されたのか、完全な更地になっていた。
「これは、どのような呪法を使ったら………」
「おそらくは大規模な儀式による大呪法であろう。そうでなければ、このような恐ろしき光景など造り出せまい。そして、そんな酷い惨状であるにもかかわらず、滾々と湧き出る清浄な水………」
彼らの地図に描かれていた旧呪家の村があった場所は、今や何も痕跡も残さない虚無の地へと化していたかと思えば、なんと既に緑が戻り始めていた。
水柱が立っていた場所は既に水圧が落ち着いたのか、静かに透明度の高い湧水が地面から溢れ出し、広範囲に渡って広がりを見せている。
その水が浸透した大地からは草の芽が出て周囲を緑に染めていた。
水に溶け込んだ龍脈の魔力が植物たちの生命力を活性化させ、苔やシダといった植物は倒れた樹木を苗床に生え広がり、湧き水の中にはどこからか紛れ込んだ小魚が我が泳いでいた。
斥候に参加していた術師は、『ここは聖域になる』と静かに呟く。
「妖魔の姿は見当たらない。消滅したのか?」
「不浄な瘴気は感じられませんから、この清浄な空気で浄化されたのでしょう」
「この様子だと、ここはいずれ水の中に沈むことになるでしょうな」
「龍穴はどこにあったのでしょうかね?」
龍穴だった洞窟は、どこぞのおっさんが放った禁断の魔法により龍脈の吹き出し口がずらされ、地下水とともに地上へと湧きだしていた。
そのため既に地下を流れる魔力は噴き出すことはない。
何しろ湧き水が噴き出す穴が無数にあるのだ。
一か所から大量に魔力を吹き出していた洞穴も、それよりも深いクレーターの中心に開いた無数の吹き出し口から放出されるので、結界で龍穴を独占することもできない。
「ここ、湖になりそうだよな」
「我らで整地すれば風光明媚な場所に変えられるのでは?」
「そんな予算がどこからおりんだよ」
「勿体無いよなぁ~」
真後ろには鵬天山が聳え立ち、その麓で湧き水が溜まり湖と化す。
しかも水には魔力が含まれているので、【神仙酒】を仕込むには良い土地だろう。
【神仙酒】とは、米・麹・薬草・木の実などから作られるお酒であり、南方諸国では【ソーマ】、西方諸国では【エリクサー】と呼ばれる霊薬水の一種のことだ。
しかし、これはあくまでも現代の学術的見地から定義されたもので、実際はどれも異なる材料から作り出される。
あえて言うのであれば【万能薬】というのが正しい。
その秘薬を仕込む場所としては適した土地なのだが、いかんせんとも呪家がそれを望まないだろう。万能薬をいくらでも作りだせる土地など危険極まりない。
また、人がこのような聖地を独占するなど許さないと信心深い彼らは捉えるため、この地は放置しておかざるを得なかった。
「そもそも、都からは遠いしな……」
「呪家に管理させるのは……不味いか。絶対に碌なことには使わんだろうし」
「大自然の力に、人は手を出しちゃぁ~いけねぇよ」
鵬天山付近は確かに景色もいいが、野生の動物や魔物も多く出没し、周辺に街がないために生きていく上では不便な土地だ。
以前、龍穴を独占していた呪家も、自給自足では成り立たなくなり人口減少と過疎化が続き、結局は滅んだ。
そんな土地は遠くないうちに水の中に沈むことになる。
かつては人が住んでいたことを、古い道祖神だけが名残として残っているだけであった。
「戻るぞ。もう、ここには何もない」
「やっと帰れるな」
「ハァ~………今回は何とか生き残れたが、また同じようなことが起きたら全力で逃げるぞ。しんどい」
「言うなよ………」
こうして一通り周囲を調べた斥候隊は本陣へと戻っていった。
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「以上が斥候隊の報告です」
「ハァ~…………大規模な呪術の痕跡、ねぇ? いったい、どんだけの実力者なんだか。正直、会いたくもねぇな」
「同感です」
斥候隊の報告を聞き、アシヤとサエキは頭を抱えたい思いだった。
今回の百鬼夜行討伐はなんとか成功したが、その裏には力が読めない桁外れの実力を持つ術者の影があり、アシヤ達は『結果的に勝たせてもらった』というのが現実である。
事実、妖刀の本体は異国の術者が倒しており、その範囲は盆地一帯を覆っていた結界を消し飛ばしていたほどだ。
いくら効力が切れかけていたとはいえ、結界もろとも山林を消し飛ばし更地にするような呪術など聞いたこともない。
それをたった二人で成したとしたら国が滅亡させられるほどの化け物だ。
結果的に助けを受けた形なので礼をするが礼儀なのだろうが、そんな恐ろしい呪術師など会いたくもない。陰陽寮の古狸なんかよりも圧倒的に格が違いすぎる。
「………で、お前たちの意見としてはどうなんだ?」
アシヤはこの場に呼んだ払魔師三人に意見を求めた。
アケノ達である。
「悪い人ではないのですが、一筋縄ではいかない方達でした。今回の件も私達に助太刀するのではなく、以前に相対した妖刀の恐ろしさを知っていたから、個人的に処分しようと動いたのだと思います」
「つまり、俺達が後手後手に回っていたことに気づいていたんじゃねぇか。どうなんだ? こっちから出向いて礼を言った方がいいのか?」
「個人的な見解としては、やらなくてもいいと思いますね。勝手に首を突っ込んで、勝手に解決しただけですから。お礼なんて求めてはいないでしょう」
「こっちは、そうもいかねぇんだがなぁ~。結果的にだが助けられたわけなんだしよ」
「向こうも権威を持った方々と会いたいなんて思っていないでしょう。そういった面倒事は嫌いそうな様子でしたから」
「ハァ~………早くこの国から出て行ってくんねぇかなぁ~。恩人とはいえ、たった二人で大呪法を使うような輩など、俺たち程度では相手にならんよ。そんな物騒なやつらには、さっさとお帰り願いたいもんだぜ」
「ご老人たちに興味を持たれたら、最悪の事態になりかねませんからね」
「まったくだ」
呪家の長老気取りの老人達は、血統を何よりも重んじる。
そんな連中が強大な呪法を操る異邦人の存在を知ればどう出るか、分かりきっていた。
「権力を行使してでも、その血を一族の中に入れようとすんだろうな。恩人に対して礼に欠ける唾棄すべき行為だ」
「ですが、彼らはきっと理解しないでしょう。それが自分達にできる最大の礼なのだと嘯き、一族の女子をあてがうのでしょうね。あぁ………その結果が目に映る。かなり不味い事態になりますよ」
「ある意味、百鬼夜行よりもヤベェ事態になる。この件に関しては口外せぬように、な。もう下がっていいぞ」
「「「承知いたしました」」」
天幕から出ていった払魔師三人を見送ると、アシヤとサエキは最悪の事態を想像し、頭を抱える。
厄介事が収束したと思えば、新たな厄介事が舞い込みそうな予感に、心労で胃がキリキリと痛む。これが杞憂であってほしいと神にも祈りたいところだ。
中間管理職が長く続かない理由が、融通の利かない老人達の訳知り顔と現場での状況の差との間で長期間揉まれ、心身ともに疲弊していくからだ。
実際、心が病み自害した者も決して少なくはない。
「老害ども、何とかできねぇもんかな。まともな方もいるが、百害あって一利ねぇクズが多すぎる。俺の一族込みでな」
「そうですよね……。とはいえ、帰ったら報告書のまとめと、散って逝った者達の遺族への恩赦と見舞金の配布。こちらの損害の洗い出し………やることが多すぎて」
「帰りたくねぇ~………」
面倒で人が嫌がる仕事でも、やらなきゃならないのが中間管理職の辛いところだ。
社会とはこうした歯車が噛み合って回っているが、上にある重要な歯車が壊れかけどころか錆びつき、今にも外れそうな状態だから頭が痛い。
そんな面倒な諸君場の管理職二人は、気の重い沈痛な表情で帰り支度を始めるのだった。




