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おっさん一行、妖刀を追う

178.4


 早朝、アシヤとサエキを筆頭した呪術師を含む武装した一団が、列をなして街道を進む。

 目指す場所は【鵬天山】。

 行方を捜していた妖刀の本体が潜む地だ。

 妖刀が姿を消してからだいぶ日も経過しており、既に呪物から妖魔に変異している可能性が考えられ、最悪の事態を想定して動かせる部隊を総動員し事に当たることが決定した。

 しかし妖刀が潜伏している場所は霊地と名高い鵬天山である。

 地下を伝う龍脈より膨大な魔力を放出している龍穴が存在しているとされ、この魔力が妖刀に宿る多くの怨念に力を与えてしまう可能性を考慮し、怨念が実体化して百鬼夜行を形成したときに備えていた。

 百鬼夜行とは、怨念が具現化した魔である。

魔とは、自己を保存するために負の念が込められた魔力を食らう悪しき存在であるため、彼らは命がけで魑魅魍魎を滅せねばならない使命を帯びていた。

それから数日の強行軍を得て、彼らは最短ルートである最も険しい山道を進むこととなった。


「さて、ここから山を越え、鵬天山の麓の盆地にまで行かなきゃならねぇ。その前に……第三呪術隊は式を放て! 他の隊は兵たちに各種呪符を配れ! 使い方も教えておけよ」

「嫌な気配を感じますね」

「あぁ………この先は、まさに魔境だろうよ」

「私も式を放っておきますか」

「頼む、それと呪装の用意もしておいてくれ。下手をすりゃ今すぐ襲撃を受けたとしてもおかしくはねぇ……。まだ距離があるってぇのに、やべぇ気配をビンビン感じやがる」


 各地から守備隊に在籍する小隊を集められ、2000人規模となった討伐隊。

 そのうち呪術者は243名、あとは全てサムライ達ばかりである。

 これだけ兵が揃うと呪術師たちも退魔の術を兵士全員に掛けるのも簡単ではない。

 勿論、緊急事態に備えて普段から呪符や呪具を作り保管していたが、それらを扱える術師の数が足りなかった。

 兵たちに持たせている護符など気休め程度にしかならない。

 また、本格的に戦う準備が整えるのにも時間が足りなかった。


「こんな時に襲撃されたら、こちらの兵力は削られちまうな」

「嫌なことを言わないでください」


 呪術師であるアシヤとサエキは、青空広がる晴れ晴れとした空が別の風景として見えていた。

 山頂に雪が積もる美しい鵬天山も瘴気の影で黒く染まり、青空は暗雲のごとき不気味な霧に包まれ、前方に聳える山並みや生い茂った木々の森からは怖気を誘う空気が流れてくる。


「これから山越えですから、今以上に警戒しなくてはなりませんね」

「あぁ……しかも強行軍だったから兵たちの疲れも見える。平原の手頃な場所に陣を敷き、体を休めつつ迎撃に備えるとするか。鵬天山ではまともに戦えんだろうからな」

「そうですね。では野営陣地を構築することを命じておきます」

「頼んだ」


 鵬天山の周囲は低い山々に囲まれていながらも、山岳地帯から外れれば近くに見晴らしの良い平野部が広がっている。兵力を集める場所には適していた。

 しかし、逆に言えば魔物や妖魔たちからも発見されやすく、木々などの遮蔽物も多いため集団戦闘に向かず、下手をすると逆に返り討ちに会うのは必至だ。

 戦の筈なのに準備不足で防衛陣地を築くような資材は持ち合わせてはおらず、何とか持ち出せた戸板で間に合わせの防壁を築き、交代制で警戒態勢に当たらねばならない。

 時間をかけ強行軍で平原に辿り着いた討伐軍は、一度荷を下ろして陣地を構築し始めていた。

 昼間はまだ安全が保たれているが、特に警戒をしなくてはならないのが深夜である。

 今回の相手は妖刀から漏れ出し龍脈の影響を受けて実体化した魔であり、それらに追われる魔物の迎撃も含まれる。

 陣地構築にはできるだけ強固に隙が無いよう準備しておく必要があるが、今回は兵士たちによる肉壁が必至だ。はっきり言って分が悪い。


「この辺りにするか。サエキ……準備を頼む」

「ここの陣を敷きます。術者は楔の準備を、他の者達は迎撃陣を円形で構築。手の空いている者達も率先して動いてください。時間が経つほどにこちらが不利になりますから手早く実行に移すように」


 慌ただしく防衛陣の構築に動き出す術者達。

 呪術師たちは荷車に乗せられた太い槍のような呪具を纏めた綱を解き、測量をしながら適切な距離の地面に埋めていく。手の空いている兵士たちはその作業の手伝いを行っていた。

 長い訓練による賜物なのか陣地の構築は順調に進み、防衛陣地を短時間で築き終えたこところで、兵士たちに酒が振舞われる。

戦い前に英気を養うのは戦場ではよく見られる光景だが、彼らにはこれが最後の晩餐となることもあり、それ故に多少酒を飲むことも許されていた。

 警戒しながらの食事だ。

交代で哨戒任務にあたっている斥候や見張り役を除き、各々が戦いへの闘志や不安を抑えるため、くだらない話をしては気を紛らわせている。

 アシヤとサエキもまた、明日にも死ぬかもしれない戦いに備え体を休めていた。


「ふぅ……なんとか陣の設置は完了したな。あとは斥候に出した者達の報告待ちだが……」

「アシヤ殿、酒を一献どうです?」

「いいな。酒でも飲まねばやってられねぇ」

「つまみはスルメしかありませんがね」

「おいおい、七輪まで用意してたのかよ。そのままでもいいじゃねぇか」

「私はスルメを焙って食べる派ですので」


 設営された陣テント(ゲルのようなもの)の中に、七輪で焙られたスルメの香ばしい匂いが漂い始めると、頃合いを見計らいアシヤは壺の濁り酒を柄杓で掬い湯呑に注いだ。

 焼けたゲソを噛み締めながら、濁り酒を一口口に含む。


「明日にも死ぬかもしれねぇのに、最後かもしれねぇ酒のつまみがスルメか……。なんか侘しいな」

「嫌なら食べなければいいじゃないですか」

「それはそれで口が寂しいだろ。ただなぁ~、『明日死ぬとしたら、最後に何が食べたい?』と聞かれて、スルメって答える奴はいねぇだろ? 人生の最後を迎えるのは畳の上って思っていたのによぉ」

「死ななければ望んだ人生を送れるかもしれませんよ?」

「生き残れる保証はどこにもねぇだろ。俺らはただ無様でも生にしがみつき、必死に足掻くだけさ」


 余程のことでもない限り、人は平凡な人生を送る者が大半だ。

 人以外の生物でもそうだ。

 ただ死という概念を知らない動物と知っている人間とでは、現実を見つめる視点が大きく異なる。知能が高い生物ほど自身の死というものに臆病になるのだ。

 中には恐怖すら抱く者もいるだろう。

 それは生まれたときから生き足掻くことが決定づけられ、死後の自身がどうなるかが分からない不安感に恐怖するからであろうが、そうした感覚は歳をとることで次第に緩和していく。最初から存在していなかった者が消えるだけと命の理を受け入れるからだろう。

 だが、道半ばにいる者達はそこまで達観できることはない。


「やっぱ、こういう戦場は慣れねぇもんだな。悪い事ばかり思い浮かべちまう」

「アシヤ殿は、もっと命知らずかと思っていたのですがね」

「おま、俺を何だと思ってんだ? こう見えて繊細な壊れやすい心を持つ中年親父だぞ」

「繊細? それって誰のことです? 毒キノコすら美味いからと口にする豪快な変人なのに?」

「いやいや、毒キノコにもよるが、俺が食っているのは毒の処理をすれば普通に美味いキノコだからな? 食ってすぐに吐き気や下痢が来るようなヤバいやつじゃねぇから」

「知ってますよ。でも、あのキノコだって毒処理に失敗すれば幻覚や吐き気、嘔吐に錯乱といった症状が出るじゃないですか。一度、アシヤ殿が存在しないはずのオクレ兄さんとやらを探して、恍惚な表情を浮かべながら褌一丁で徘徊していた時には驚きましたよ………」

「そ、そんな事あったか? つか、なんで疲れ切った顔してやがんだよ」

「毒キノコでキマったアシヤ殿が正気に戻るまで、我々がどれほど苦労させられたことか……。いや、もう……あの時の惨劇は繰り返さないでください」

「俺は、いったい何しでかしたんだ?」


 過去の体験を思い出したのか、サエキの表情は一瞬で凄く疲れ果てた表情を浮かべた。

 アシヤとしても毒キノコを食べたまではいいが、その後の記憶は飛んでいて何をしでかしたのか分からず、他の者達に聞いても睨まれるだけで誰も教えてくれなかった。

 記憶にあるのは、診療所から戻ったら職場が凄まじく荒らされ、その後始末をする部下や上司の姿だけである。

 もう一度サエキに訊ねても、『思い出させないでくださいよ、あんな悪夢……』と、沈痛な面持ちで頑なに口を閉ざし、真相はいまだに謎のままだ。

 そして、夜の帳が降りて一時間後――。


「さて、そろそろ本題に入るか………。サエキ、妖刀の情報はどれだけ集まったんだ? もう百鬼夜行が始まってんじゃねぇかと俺は思ってんだが」

「えぇ……鵬天山麓の盆地にある洞窟から、次々と厄介そうな魑魅魍魎が湧き出ていましたね。そこにあった廃社も壊され、かろうじて残っていた結界も内側から溢れた瘴気で飽和状態……そろそろ限界かと」

「随分と頑丈な結界だな。それで、規模は分かったのか?」

「我々と同数か少し多いといったところでしょうか。今のところは……ですが」

「……まだまだ増えそうだな」


 妖刀のままであったのなら対策はとれた。

 だが、既に魑魅魍魎たちを生み出しているとなると、最悪の事態に突入したことになる。


「完全に後手に回っちまったか」

「分身をばら撒かれて、妖刀本体の行方を見失ったのが痛いですね。明日にはおそらく……」

「死を覚悟したつもりだったんだが、孫の顔を見れずに死ぬのは未練が残りそうだ。せめて刺し違えてでも完全に封印せねば、このフオウ国は地獄に変わる」

「上の偉そうな老人共も動いてくれればいいんですがね」

「連中は余程のことがねぇ限り動かんよ。むしろ勝てねぇと判断したら帝もろとも見捨てて逃げ出すんじゃねぇか? 口先だけのクソ狸だからな」

「せめて他の神職の方々が、結界で防衛陣を敷いてくれればいいのですが……」

「結界だって長くは持たんだろ。時間稼ぎがせいぜいってところだな」


 百鬼夜行は、生きとし生ける者を襲う怨念の本能のままに突き動かされる妖魔の集団だ。

 その力は個々の魑魅魍魎たちから放たれる瘴気による共振現象によって増幅され、数が増えるほど各個体の能力を引き上げていく。

しかも、その効果は瘴気の濃度と拡散具合に比例する。

逆に言えば、高濃度の瘴気の範囲から離れれば弱体化していくということなのだが、妖魔自体が瘴気で世界を汚染するために長期戦は避けられない。

霊質――魔力体である妖魔や怨霊たちにとって、瘴気による大気汚染は絶大な効果を及ぼし、個々の強さを強化していく特性なのだ。

しかも陰の気の高まる夕暮れ時から翌朝にかけて、夜の時間帯は魑魅魍魎たちが活動的になり、草木も眠る丑三つアワーは最も危険だ。


「一応、サムライ達には補助呪具を持たせてんだろ? 一回の戦闘でどれくらい持つ?」

「………長く持っても三刻ほどかと。あとは彼らの武技で乗り越えてもらうしかありませんね。気の力を消費し尽くした時点で詰みになります。我らは呪力、神職の方々は霊力ですけど、同じ力なのに呼び方が複数あって使い分けがめんどうですよね」

「呼び方なんざ、どうでもいいんだよ。気を使い果たせば百鬼夜行に太刀打ちできなくなる。だからこそ連中の体力を温存する必要があるんだが……」

「式で様子を見た限りですと、現状では厳しいですね。出し惜しみをしていたら確実に負けますよ」

「勝つのも厳しいだろ」


 呪力・霊力・気・瘴気・妖気。

 呼び方は異なるが、どれも同じ魔力である。

 しかし、一応だが多少の違いはあった。


《気》=一般的に知られている普通の自然界魔力&生体魔力のことで、多少雑念などが含まれるもの。サムライ達は刀に纏わせることで妖魔などを斬ることができる。

 欠点は、剝き出しの魔力なので消費効率が悪く消耗が激しい。


《呪力》=《言霊》を込めることで指向性を持たせた魔力で、呪具や呪符などの媒体を用いることで様々な特殊効果に変質することが可能なため、状況に応じての汎用性が高い。

 欠点は特殊な効果に変質させるためには、呪符に呪力を込めることや呪言を唱える時間が必要で、呪術発動まで術師の隙が多すぎる。


《霊力》=性質的には呪力と同じだが、修行によって魔力を精錬しているので悪霊や瘴気に対して絶大な浄化力を持つが、呪力よりも使い勝手が悪すぎる。

 主に後方支援向きで、魔力を混じりっけなしに純化させるにはかなりの時間を要し、結界一つ展開するにも数十人規模で行わなければならない。

 メーティス聖法神国で使われていた神聖魔法(あるいは光系統魔法)との違いは、人為的に行われる極限の精神集中で魔力を精錬純化させるため、術式によって自動的に魔力を消費する神聖魔法より強力である。

 龍穴から噴き出す自然魔力もここに分類される。


《瘴気・妖気》=どちらも陰に属する澱んだ魔力。

 負の念に汚染された自然魔力の総称で生者に良からぬ影響を与える。

 呪術として使用できるものの、扱い方を待ちあげれば術者自身にも悪影響が出てしまうため、基本的には浄化することになっている。

 妖気は怨念が実体化した妖魔が放つ魔力であり、基本的には瘴気と同じものとされている。浄化すれば自然魔力に戻るのはどちらも同じ。


 この東大陸では魔法の知識や技術は失われて久しく、魔物相手では知恵や技術を用いた力押しでなんとかなるが、妖怪などの半霊質的なもの相手には過酷な修行による魔力変質を多用した呪術が一般的であった。

 しかし効率やコスト面では頗る扱いが難しく、効果がどれだけ優れていても扱える者が少ないことから、必然的に秘匿性が高い技術になってしまった経緯がある。

 そのため、知識を持ち常に修行によって力を高めている呪家や神職の者達の重要性が高まり、必然的に権力を持つまでに至った。


「跡目の心配をしている状況じゃねぇだろうに……」

「国が危険に曝されているときに動けないようでは、何のために権力を持たされているのか分かりませんよね。陰陽寮や神職の方々の人員を総動員してやっと収められる事態だというのに、上は何を考えているんだか……」

「何にしても、明日は小出しで向こうの戦力を削っていくしかねぇな。こちら側は動かせる兵力が限られている。安全を重視し、使い捨ての呪具で虱潰しに倒していくしかないか」

「当初の予定にない大規模な結界を張るのはどうですか?」

「結界を張る前に、斥候部隊を呼び戻さんと各個撃破されちまうな。妖魔共は命に反応して攻め込んできやがるからなぁ~」

「そうですね…………」


 鵬天山近くの盆地に、密集状態でひしめき合う魑魅魍魎。

 連中の放つ瘴気に惹かれ、各地からも浮遊霊や怨霊が引き寄せられている。

 もし、これらが実体化などされたら、本体である妖刀に辿り着けず延々と消耗戦を繰り返すことになる。


「纏めて吹き飛ばせたらなぁ~……」

「大規模な呪法は結界内に足止めすることが前提ですし、今の段階では難しいですね。いっそ魍魎悪鬼たちを結界内に引き込みますか?」

「……罠を仕掛けると?」

「えぇ、私達が有利な状況になるよう予め罠を仕掛け、結界で固定して大規模呪法で焼き払います。浄化してもいいですね。この平原は罠を仕掛けるのに充分な広さがありますから」


 瘴気に誘引された悪霊たちにも限りがある。

 動物霊などの弱い霊体はどれだけ瘴気に曝されても大した怪異にはならず、サムライ達に渡した神水による浄化効果だけで対応でき、人間の霊体に比べて感情的でないことから怨霊化したところで怨嗟による強化もないので充分対処はできる範囲だ。

 ただ、自然霊は数が多いため、怪異の集団となって迫ってこられると厄介でもある。


「雑魚を一掃するのはいいが、こちらに誘導する囮役に犠牲者が出るな………」

「犠牲は少ないに越したことはありませんよ。どうせ社の結界が破られれば、強弱の差関係なく魑魅魍魎が溢れかえるんですから」

「できるだけ生存者が残るよう、足の速い奴らを選定してくれ。でなければ許可は出せねぇぞ?」

「分かりました。善処はしてみますが、少し悠長すぎませんか?」

「どちらにしても、明日以降は嫌でもぶつかることになるんだ。今は無理をする必要はねぇだろ。山ん中でなく平原で数を減らせるなら御の字だ」


 これは生者と妖魔の存在を懸けた戦争だ。

 常に最悪の事態を想定し、想定される危機的状況化の中で有利なポジションを保ち、消耗を抑えながら的確に敵を倒す状況を作り出すことが重要になる。

 真正面から戦うよりは、おびき寄せて罠に嵌めた方が事を有利に進められる確率が高い。

 幸いとも言うべきか、魑魅魍魎の類は生物に過敏に反応する性質がある。

 その性質を逆手に取ることができれば、妖魔たちの誘導は容易いと考えた。


「……分の悪い賭けに全振りかよ」

「他に方法がありませんからね」

「決行まで、式神で偵察している連中に気を緩めぬよう伝えておく。他の術師達には罠を仕掛ける準備を始めてもらうよう手配もな」

「では、私は誘導する者達の選別に当たりたいと思います。ところで、残りのスルメはどうしますか?」

「食うに決まってんだろ」


 残り少ない酒を味わいながらスルメを齧る二人。

 その後、テントから出た二人は各小隊を束ねる大将達を呼び、作戦のあらましと誘導部隊の選定を通達した。

 決戦の時が迫るのを感じながらも、今できる最良と思える策を思いつく限り実行するのであった。


 ~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~


 道路交通法がない世界というのは、多少安全策を無視しようとも咎められることはない。

 とりわけ文明未発達の世界ともなればやりたい放題だ。

 そう、例えそれが軽ワゴン車の上に人が乗っていようとも、落ちなければ誰も問題視することがない。それほどフリーダムだ。


「アド君……そろそろ運転を代ろうか?」

「ゼロスさん………そのセリフ、今ので何回目だ? そんなに俺が信用できないのかよ」

「いや、だって君……方向音痴だし。道なりに真っ直ぐとナビが言ったとして、カーブを曲がらず直進するのが君だろ? お台場行くのに埼玉経由した武勇伝は有名じゃないか」

「それ、俺じゃないぞ……。俺は群馬も経由した」

「やってんじゃん!」


 ここはソリステア魔法王国ではない。

 土地勘のない東大陸の大国で、しかも邪神戦争期に地形がかなり変わってしまい、【ソード・アンド・ソーサリス】の地形が役に立たない世界だ。

 最も目立つ山である鵬天山が存在しているだけ奇跡のようなものだ。


「おっ、またクレーターだ。あの邪神………随分と派手にやらかしたんだな」

「よそ見しないでもらえるかい? 一応だけど小さな集落はあちこちに点在してるんだから、わき見運転で人身事故なんかされたらかなわん」

「だから安全運転してんだろ」

「いや、安全運転している理由は別にあるでしょ」


 おっさんがバックミラーで後ろに視線を移すと、車酔いで再起不能となったタカマルとアケノを含めた払魔師の三人の姿があった。

 狭い空間に六人も乗り、更に車の屋根にはミヤビとゲンザが乗っていたりする。

 ここが日本なら間違いなく違反だ。


「ミヤビさんにゲンザ殿、後ろの四人は車酔いで死にそうなんですが、そちらはどうです?」


 車の上にただ座っている二人だが、段差で揺れようとも微動だしない。

 なかなかに優れたバランス感覚だ。


「なんだ、タカマルのやつ。この程度のことでへばったのか? なっさけねぇなぁ~」

「なかなかに快適ですよ。こんな乗り物に乗っては、もう荷馬車などに乗ることができませんね。遅すぎて……」

「風が気持ちいいじゃねぇか。酒がすすむぜ」

「えっ、飲んでんのぉ!?」


 瓢箪からお猪口に酒を注ぎ一杯ひっかけているゲンザ。

 酔いのせいで車の屋根から落ちたらだれが責任を取るのか、少し心配になってくる光景だ。


『人員オーバー、しかも僕たちは見て見ぬふりしているし……酒を飲んでいても誰も責めることがなく、責任追及されることもない。仮に何かあっても自己責任で済まされるって……』


 ゼロスとアドは地球での常識が残っているため、自分達がやっていることが違反であることを承知しており、それゆえに安全に関しては細心の注意を払っている。

 実際に軽ワゴンは安全運転で時速30kmくらいのスピードを維持していた。

 しかし、元来この世界に道路交通法という概念は存在していない。

 正確には邪神戦争以前の過去世界では存在していただろうが、現時点においては歴史の闇に失われた法律であり、誰も知る者はいないのである。

 地球での常識を知るからこそ問題が起きていないのであって、今後魔導自動車が普及すれば交通法の制定は必要になるだろう。それまでにどれだけの事故が引き起こされるのかを思うと、おっさんは怖くなってきた。

 そう、法の制定は問題が起きて初めて協議するのであって、何も起こらなければそれまで誰も無関心なのだ。


『開発中の魔導自動車を解禁したのは時期早々だったんじゃないのか?』


 ソリステア魔法王国では地震時の国の復旧のため魔導自動車モトラックを投入した。

 だが、魔導自動車を馬車と同等の代物だと民が考えているのだとしたら、それは大きな間違いだ。魔導自動車は事故を起こした時に最悪な凶器に早変わりする。

 事実、ゲンザやミヤビは軽ワゴンに対して警戒心を持っていない。

 

「ゲンザ殿、酒を飲むのは構いませんが、屋根から落ちないでくださいよ? 仮に大ケガを負ったとしても自業自得ですからねぇ」

「そんなヘマはしねぇよ。落ちたところで受け身を取れば問題ねぇだろ」

「まぁ、確かに死にそうにはないですね」


 この世界の人間は誰も魔力を持っているので、素人でも危機的状況化においては魔力を放出して身を守ることができる。しかも肉体に関しては地球の一般人より頑丈だ。

それが武術を極める者ともなれば、魔力を自在に使いこなせるようになる。

 時速30km程度の速度で走る軽ワゴンから落ちたところで、せいぜいかすり傷で済む程度であろう。


「さて、アケノさん。鵬天山までの道案内ですが、出来ますかね。つらいなら酔い止めの薬を渡しますけど?」

「うぷ………だ、大丈夫です。この国の東側は山が連なっておりますから、山沿いの街道を進めばいずれ鵬天山が見えてきます……。その途中から山道を進むことになりますが、この乗り物では無理ですね……おえ」

「しばらく道沿いを進む感じで? あっ、これが酔い止めです。三人で飲んでください」

「あっ……ありがとうございます。今しばらくはこの街道を進んで、ハヌマの古戦場跡地にある【グワバの首塚】を過ぎてすぐに右折でお願いします」

「グアバ?」


 おっさんはフトモモ科に属する熱帯植物の果実を思い浮かべたが、アケノの言うグワバとは【グワバ・テンゲン・ノリフサ】という名の武将で、百年ほど前に謀反を犯して処刑された人物とのことだ。

 武力に溺れ帝に反意を見せたことで戦となり、壮絶な戦いの末に捕らえられ戦場で斬首された。激しい拷問と切腹すら許されなかったことで、首が落とされるまで国への恨み言を叫びながら死んでいったと伝えられている。


「すぐ……分かるかと思います。大きな石碑が立てられていますし、朱塗りの鳥居も置かれていますから………」

「荒神にでもなったんですか? もしくは祟り神……」

「死んだ後も首だけで七日七晩、絶えることのない恨み言を叫んでいたと言われています。今も首塚からは強い怨念が漂っていますね」

「写真を取ったら首だけが写りそうですねぇ。もしくは首のない体とか?」


 どうやら首塚は心霊スポットになっているようだった。

 確実に言えることは、完全に悪霊と化している事である。

 こんな都合の良い素材を妖刀に込められた怨念が見逃すはずがない。


「――ということだから、アド君は道を間違えないでね? 居眠りしている間に山脈を超えていたら殴るよ」

「いくら俺でも、そこまで度し難い方向音痴じゃない。首塚って、アレのことだろ?」

「えっ? あれ、首塚なのかい? なんか岩の柱が聳え立っているんだけど」

「オエ………なんでも、怨霊を封印するのに60人もの呪術師で土行の呪術を放ったと言われています。その結果があの大岩なのだとか………」

「アレのどこが石碑だよ……」


 グワバの首塚に近づくほどその異様さに言葉が出なくなる。

 それは岩の柱とも言うべき大きさで、高さが10m近くもある。

 周囲に呪言を刻んだ小さな石を配置することでストーンサークルを形成し、怨霊を厳重に封印する仕様だった。単純だがそれだけに強力な封印術である。

 土行の術を使ったとはいえ、これほどの大きさの封印ともなると術者の技量も相当高いはずであり、しかもの60人規模ともなるとグワバという人物はどれほどの怨念を抱えていたのか、気になるところである。


「………グワバさんの首、岩の重さで粉々に粉砕されてんじゃね?」

「封印ってレベルじゃないな。明らかに怨念すら残さないよう、完全滅殺を狙っていただろ。これだけでも当時の帝の本気度が見て取れるな」

「敵に廻したらいけない方々を本気で怒らせちゃったんだねぇ………。グワバさんはいったい何をやらかしたんだか」

「帝の御前で酒に酔って暴れ、皇居に脱糞し、止めに入った判官達を叩き伏せ、叱咤した帝に向かって尻を丸出しに放屁したらしいです」

「「あ~…………そらぁ~、しょうがねぇわな………」」


 アケノの話によると、グワバという人物は相当な無礼者のようだった。

武術の技量がどれだけ高かろうとも許されることではない。

 弁解の余地もなく、やんごとなき御方の前でやらかしている。

 ゼロスとアドは二の句がつけないほど呆れた。


「ん?」

「ほぅ……」


 おっさんと屋根の上に入るゲンザは気づいた。

 聳え立つ岩の近くに、ただならない魔力の固まりが収束していることを……。

 続いてアドとミヤビも気づく。

 悪魔――もしくは妖怪や妖魔の類が誕生しようとしている気配だ。


「なにやら、ただならない気配が首塚の方から漂ってきますね。ピリピリとした殺意を感じます。これは、妖魔がいるのでしょうか?」

「いるだろうねぇ。それも、人間の怨念が実体化したやばい感じの奴が」

「ヘッ、おもしれぇ。この間は妖刀の影響で戦いが楽しめなかったからな、存分に斬り合を堪能できそうだぜぃ」

「ゲンザのおっさんも相当な戦闘民族かよ。平和に生きられないもんかね」

「師匠、父上も姉上も剣士は人斬ってなんぼと思っている人種ですから、平和からは縁の遠い人達なんです。生まれてくる時代を間違えたとしか思えません」


 既に臨戦態勢を整えているゼロス達。

 逆に払魔師の三人は慌てて荷物などを漁り、呪符や呪具を取り出していた。


「さて、何が出てきますことやら」


 グワバの首塚の前で軽ワゴンを停車させ、小高い丘を見上げると、鳥居に囲まれた岩の柱の真下からは膨大な瘴気が溢れていた。

 そこに突き刺さっているひと振りの妖刀。

 おそらしくは分身の一つであろうが、それが首塚の下に封印された人物の怨念を引き出し、実体化させようとしていた。


「運がいいのか悪いのか……」

「アド君や、これは運が良かったと思うべきなんじゃないかい? 少なくとも払魔師の三人では、アレを倒せる実力はないですよ」

「ククク……滾るじゃねぇか。俺からやらせてもらうぜ? いいだろ」

「父上はゼロス殿と戦ったのですから、私から先にやらせてください。不完全燃焼だったもので、すっとモヤモヤしたものを抱えていたのですよ」

「姉上……そんなに父上を殺したかったのですか?」

『『『うん………あんなのの相手は我々には無理だな』』』


 妖刀には変化が表れていた。

 もともと瘴気となった魔力が実体化し刀に憑依していた存在は、首塚の怨念を吸収したことで自我に覚醒し、ゼロス達の目の前でその姿を刀から別のものへと変えていく。

 

それは、一言で言うと巨大な首だった。

憎悪に満ちた武将の生首であった。

ただし、首から下に人間の体はなく、代わりに昆虫のような足が八本生え揃い、爪に当たる部分は刀のような鋭利な刃物になっている。

実に醜悪で、実に不気味で、実にシュールな姿でもあった。


「何とかの物体Xみたいな化け物だねぇ」

「普通にグロい。そしてキモいな……」

「俺……正直戦いたくない。倒せる気がしないし……」

「へっ、ならさっさとぶった斬っちまえばいい。先に行くぜ!」

「狡いですよ、父上! 私も参ります」


 生首に向かって真っ先に飛び出したゲンザ。

 この手の魔物と戦った経験があるのか、刀には魔力を纏わせているのをゼロスは見逃さなかった。ミヤビに関しては先を越されたことに慌て、義手に魔力すら流していない。

 ここに経験の差が出ていた。


「先手必勝!」


 ゲンザが縦に斬りつけると、生首も反応して八本ある脚の一本でゲンザの一撃を受け止め、他の二本の足で横薙ぎと突きを繰り出してくる。

 五本の脚は倒れないようにバランスを取っていることから、うまく立ち回れば転倒させられるかもしれないとゼロスは考察する。


「チッ、小癪な………」


 横薙ぎを躱し、突きを刀で逸らしたゲンザは、隙ができた瞬間に懐へ飛び込もうとする。

 だが、その動きを見越していたのか、ゲンザの動きに合わせて生首が飛びあがると、全部の足を垂直に伸ばしてゲンザ目掛け錐もみ回転を加えながら落下してきた。


「うおっ!?」

「父上、油断し過ぎです! クッ!?」


 慌てて落下地点から離れるゲンザ。

 生首の化け物は着地と同時に左側の二本目と三本目の脚で離脱中のゲンザを同時に向けて攻撃を仕掛けるも、間に入ったミヤビの大型外部装甲である腕を盾に受け止めた。

だが、その衝撃に顔を歪ませる。

 生首は蟹のようにゆっくりと生首を二人に向け、ギョロリと濁った眼で睨みつけた。


「動きは遅いんだが、あの脚が厄介だな……。前後左右から斬りかかっても対応できるようだ。まるで蜘蛛のようだぜ……」

「気のせいか、剣術を使っている気がします。少々手強いですが、つけ入る隙はありますね」

「気づいたか、ミヤビ」

「はい、あの生首にはさほど防御力はない気がします。厄介なのは脚……ですが」

「虫型の魔物とおなじだ。関節部は脆い……仕掛けるぞ!」


 同時に走り出した父娘。

 それに対応するかのように生首は左右二本――計四本の脚で二人を迎え撃ち、激しい斬撃の応酬を繰り広げる。

 ゲンザは二刀流の剣士を相手にしているようなものだが、一振りの太刀で難なく捌き切り、ミヤビは右手の刀と左手の外部装甲の爪で二本の脚の攻撃を弾き返していた。

 互いに二刀流の剣士を相手にしているように見える。


「………勝ったな」

「決着も着いていないのに、なんでそんな事が分かるんだよ」

「ゲンザ殿は余裕で二本脚の攻撃を捌いているし、ミヤビさんは多少苦戦しているけど攻撃事態は当たっていない。たぶんだけど、二人ともあの生首の攻撃が単調になる瞬間を狙っているんじゃないかな?」

「……ってことは、狙いは八本ある脚を斬り落とすことか?」

「正解。実体化した時点であの生首には質量が発生する。どれだけ強靭な脚でも、一本ずつ失われれば生首の自重を支えきれなくなる。バランスもね」

「斬り落としても、また生えてくるんじゃね?」

「その隙をあの二人が見過ごすとは思えないねぇ」


 傍目には死闘を繰り広げているように見える。

 しかし、ゲンザとミヤビの両者には獰猛な笑みが浮かんでいた。明らかに強敵と戦うことを喜んでいる。

 戦いに参加していないゼロスを含めた六人は、こんな時に不謹慎だがゲンザとミヤビのあいだに、確かな濃い血の繋がりを感じずにはいられない。

 修羅の子は修羅のようである。


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