おっさんとアド、少年と出会う
人の手が入っていない自然なままの雑木林。
木々の間から差し込む光を浴び、青々と茂った大人をも覆い隠しそうな背丈の草々を、一閃の光が薙ぎ払った。
同時に紫がかった血液が飛び散り、緑色の肌をした人型の魔物が倒れ伏した。
「さ、三匹目!」
およそどこの大陸にも生息しているゴブリン。
この東大陸においては小鬼――あるいは餓鬼と呼ばれ、その群れで行動する習性と臆病ながらも集団になると残虐性が剥き出しになる性質から、討伐対象となっている。
その被害は決して減ることがない。
先ずゴブリンという魔物は比較的弱い部類に入るのだが、その繁殖力と成長速度は異常なまでに高く、生まれてわずか三週間で狩りを始めるほどになる。
また、雑食性で臆病ではあるものの決して馬鹿ではなく、自分達が弱い種族であることも熟知しているのか警戒心が強く狡賢い。
だからこそ集団による攻撃の利点を理解していると言えよう。
縄張り意識も強いため、テリトリーに侵入した者に対しての集団による攻撃性は決して侮ることはできない。熟練の傭兵でも手古摺るほどだ。
知能も子供並みにあり、武器を作るくらいの器用さと学習能力も持ち合わせている。
しかし薄い本で描かれているような、他種族の女性を襲い『あ~れぇ~』な性的欲求を満たすようなことはない。そもそも種族が根底から異なるのだから繁殖行為などできるわけもなく、享楽を満たす真似をするくらいなら襲った獲物を解体し食らい尽くすだろう。
ゴブリンとはそういう魔物だ。
だが、単体では最弱なゴブリンも、子供には驚異的な魔物であることには変わりない。
そのゴブリンの小一団を、少年がたった一人で立ち向かい倒していた。
「五、六匹……」
一見すると少年がゴブリンに襲われているようにも見える。
だが、実際は違った。
少年にとってゴブリンのほうが獲物だった。
まだ成人を迎えていない少年だが、その剣筋は長く鍛錬を続けた者に見られる冴えがあり、彼の瞳に宿った暗い闘志と全身から迸る殺意は紛れもなく本物だ。
少年のほうが殺戮者だった。
「これで最後!」
「ギャピィ!!」
唐竹割りされたゴブリンが左右に分かれ、草叢の中へと沈んだ。
それでも少年の殺気は治まることがない。
むしろ満足できないとばかりに肥大している。
「小鬼程度じゃ駄目だ。全然届かない…………」
実戦での経験は十年の修練に勝るともいう。
その根拠もない荒行を、まだ成人も迎えていない少年が行っているのだから異常だ。
だが、その少年の目に光るものは、明らかに思いつめたかのような危うい光を秘めていた。
思いつめるという行為は、一方向に集中するあまり周囲への視野を狭めてしまい、致命的な失敗を引き寄せてしまうことがある。
事実、少年はゴブリンがまき散らした血の臭気が他の魔物を呼び寄せることを、すっかり頭から忘れてしまっていた。
ゴブリンが捕食される側の魔物であるなら、当然それらを捕食する魔物も近くにいておかしくはない。事実その狩人はすでに音もなく傍まで忍び寄っていた。
それに気づけたのは、たまたま運がよかっただけのことだ。
「なっ……【黒大狼】っ!?」
少年の背丈を隠せるほど茂った草叢より、さらに高い位置から見下ろす獣の頭部。
【黒大狼】――ブラックダイアウルフやシャドウウルフといった魔物と同じ系統を持つ東大陸の魔物で、その姿は馬並みに大きいまさに大狼だ。
オオカミなのに群れを持たず単独で行動し、縄張りも持たずに移動を繰り返す習性だ。
繁殖期だけ雌と行動するが、子供が狩りをできるようになるまで成長を見届けると、雌雄両方とも同時期に姿を消す。
結婚→離婚→一年後にすぐ再婚を繰り返す自由な生態だ。
だが気性はきわめて獰猛で、遭遇したら最後、少年など骨すら残さず食い尽くされてしまうだろう。
『最悪だ……なんで気づかなかったんだ』
少年は絶望した。
今の彼の技量では到底勝つことなどできるわけもなく、何よりも黒大狼の大きさに圧倒され、身がすくんで動けない。
蛇に睨まれた蛙とはまさにこの事だろう。
逃げたいという衝動が心と体を蝕む。
だが、実戦の中で修練しようと思ったのは自分であり、すでに行動に移してしまった。
今更過去を振り返ったところで何の意味もない。
少年は深い息を吐くと、手にした刀を構えた。
「タカマル=グレン……押して参る!」
これが少年――タカマルにできる精一杯の強がりだった。
同時に黒大狼が咆える。
黒大狼は基本的に他の魔物が倒した獲物を食らうことはない。
自らが倒し、仕留めた獲物だけを捕食する習性をもつ。ゆえに気高い獣としても有名だ。
しかも自分よりも強い敵にすら果敢に挑むことから、多くの武士達がその生きざまに共感し、刀の鍔や印籠などの飾りの題材として好まれている。
しかし、実際にそのような魔物と出くわしてしまった場合、それは死を意味している。
何しろ獲物であれば強弱関係なく仕留めようとするほど獰猛なため、それが子供であろうが全力で襲い掛かるのだ。絶望以外の何ものでもないだろう。
『………好機は一度だけ。奴が襲い掛かる瞬間に懐に入り込み、口に目掛けて刀を突き刺す。これ以外に勝ち目はない』
タカマルも自分が非力であることは理解している。
だからこそ一発勝負に賭けるしかなかった。
黒大狼はそれに感づいたのか、体を低くして全身に力を溜めると、全身の力を跳躍に変えて高々と飛び上がった。
無謀に自分へ挑もうとする、この小さな獣に対する敬意だったのかもしれない。
鋭い牙が生え揃った咢が、タカマルに迫ってきた。
「うわぁあああああぁぁぁぁっ!!」
タカマルは刀を黒大狼に向けながら、その懐に踏み込んだ。
だが――。
『えっ?』
――踏み込み過ぎた。
黒大狼の頭部は自分の背中を通り過ぎる。
しかも突き出した刀は体毛に阻まれ刺さることなく、飛び掛かってきた勢いのまま押し戻され、その光景が少年の目にスローモーションのようにゆっくりと映る。
『不味い……失敗した。どうする……どうすれば……』
思考が混乱したタカマル少年は、なにをどう思ったのか咄嗟に地面をけり黒大狼の太い首に飛び掛かると、黒色の剛毛を掴み必死にしがみついた。
刀を落とさなかった意地だけは褒めるべきところだろう。
「ガウッ!?」
「クッ、振り落とされたら……最後だ。意地でも離れてやるもんか……」
首元にしがみつかれ、黒大狼は慌てて前足で払い落とそうとするも、タカマルは両足で首を押さえつけ体毛を必死に握り締めていた。
足では払い落とせないと判断したのか、黒大狼は派手に暴れまわる。
意地でも振り落とそうという意思と、意地でも離されまいとする意志のぶつかり合いとなった。
「グォルルル……グアッ!!」
「のぉっ、ちょっ………うわぁ!?」
タカマルは両足を黒大狼の首にまわし、左手で体毛を掴んでいるわけだが、右手には刀を持っているために安定が悪い。
そのため跳ね回られ首を振るなりされると、どうしても体力を消費してしまい、どれだけ必死になろうとも限界が直ぐに来てしまうことは容易に想像がついてしまった。
体勢を立て直さなくてはならないのだが、黒大狼にこうも動き回られるとタイミングを狙うのが難しく、失敗すれば即座に食い殺されるだろう。
『な、んで……こんな、綱渡り……しているんだろ。俺……』
生き延びるためなんとしても黒大狼の首の上に乗りたいタカマルは、必死に堪えながら平常心を維持しつつ好機を窺うも、自分の体力が持たないことに焦りを感じ始めていた。
黒大狼の方もしぶとく首にしがみつかれ苛立っているのか、動きを止めて首を振から払おうと藻掻きだす。しかしタカマルはこの行動を待っていた。
黒大狼が首を振った瞬間を見計らい足の拘束を緩めると、体はその勢いのまま宙に浮かぶ。同時に振り回される反動を利用し頭の上に上がると、再度両足で黒大狼の首に蟹バサミを仕掛け馬乗り状態に持ち込んだ。
一塁の望みをかけて刀で刺してしてみたのだが……。
『硬い……切っ先しか刺さらないなんて』
不安定な体勢だったためか、刀は頭部に刺さることはなかった。
だが痛みはあったようで、黒大狼は突然森の中を走り出す。
「グォアオオオオオオオオオッ!!」
「うっわっ!?」
今までは振り落とすためのものだったが、今度は痛みに耐えかねての暴走であり、しかもタカマルの刀は黒大狼の持つ高い回復能力と筋肉の収縮により抜くことができず、彼が振り落とされまいと必死にしがみつくほどに傷口へ深々と刺さっていく。
その結果、黒大狼はタカマルを乗せたまま闇雲に走り回ることとなった。
それはもう、悲鳴すら上げる余裕がないほどの加速力で――。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
「巨大アメフクラガエルに吹っ飛ばされ、山を越え、原生林を抜けた先は……」
「変な生物が生息している平原だった……」
巨大アメフクラガエルから逃れられたゼロスとアド。
持ち前の頑丈さでケガ一つ負わなかったが、精神的にはだいぶ疲弊していた。
この二人、その気になれば自動車並みの速度で走り抜けることができるのだが、カーブや入り組んだ地形の多い山道だとその走る速度も限定的になってしまう。
攻撃力はともかく、身体能力を全力で出せないような地形では、いくら弱い魔物が相手でも互角の戦闘に持ち込まれてしまう。
馬鹿げた攻撃力や身体能力は、特定の環境下においては意味がないのだ。
そんな二人がやっとのことで山を越え、そして広大な森を抜けた先には、薬缶や急須のような口を持った胴長のモチモチした体を持つ不思議生物が、口から湯気を出している姿がいくつも見られる変な場所であった。
「アド君や……」
「なんだよ」
「アレ、どんな生物だと思う?」
「知るかよ。俺だって初めて見るんだからよ」
「だよねぇ~…………」
まるで某二人組の漫画家がデザインしたオバケを彷彿させる体形で、生態が不明の奇妙な生物が微動せず口から湯気を立ち昇らせ、ただただ柱のようにあちこちに立っている。
近くに寄って鑑定してみるものの、結果は【???】と出るだけで正体が分からない。
この事から、この世界固有の生物のようだ。
「触り心地だけはいいな。やけにモチモチしてるぞ」
「これって本当に動物なのかねぇ?」
「引っ張っても延びるだけで、地面からは簡単に離れないようだ。それとこの口から出ている湯気なんだが、なんかフローラルな香りがする……」
「素直にトイレの芳香剤のような匂いだと言えばいいんじゃない?」
草原にただ立っているだけの謎生物。
実害はないのだが、何とも奇妙な光景だけが目につく。
「……そろそろ野宿の準備でもしようかねぇ。ギズモの街まで、あとどれくらいの距離があるのか分からんし、無駄に体力と精神を消耗させるのはまずいと思うんだ」
「そうだな。クソッ……あのカエルにふっ飛ばされなければ……」
「まさか、【トリック・トレント】の群生地だったとはねぇ。あそこで散々時間を使わされましたよ」
巨大アメフクラガエルに吹き飛ばされたゼロスとアドの落ちた場所が、【トリック・トレント】と呼ばれる植物型の魔物が生息する森の中だった。
このトリック・トレントは、その名の通りトレント種に分類する魔物で、獲物の視覚情報を巧みに惑わし、方向感覚を狂わせ獲物を弱らせる攻撃を地味に行う。
厄介なのは他の仲間と連携し、自身の身体や枝を動かすか変化させることで獲物に与える視覚情報を誤認させるだけでなく、地中の根で凹凸を変化させて足元の触覚まで騙す地形操作まで行う。
鏡面の葉を乱反射させ、森に差し込む木漏れ日すら演出するほどだ。
これは言わばトリックアートに騙されているようなものなので、ゼロスやアドも視覚情報にまんまと騙され、同じ場所をグルグルと歩き回ってしまった。
幻惑系の魔法や幻覚性の薬物を拡散させていたわけではないので、ゼロス達も気づけなかったのだ。
「まさか、偽りの視覚情報だけで、あそこまで見事に騙されるとはねぇ~」
「太陽光まで操作するなんて思わなかったぞ。擬態能力を持つやつもいたし、とんでもなく面倒な魔物じゃねぇか」
「【ソード・アンド・ソーサリス】では、楽に勝てた相手だったんだけどねぇ」
たとえ弱い魔物でも、巧みに連携を執られればゼロスたちでも身が危うくなる。
いや、弱いからこそ生存戦略を練り、同種の仲間と連携する能力を強化させたのかもしれない。
「個々としてなら大した脅威ではないけど、集団で連携されると僕らでも危ないって分かっただけ、収穫なのかねぇ。驚愕すべきは魔力を一切使っていないというところだよ」
「地形を根っこで微妙な角度をつけて操り、太陽の反射光を利用した木漏れ日で幻惑させるだけでなく、複合で方向感覚を狂わせ一定の距離をグルグルと歩き回らせる。ゼロスさん、よく気づけたな」
「魔物が意図的に自然環境を操作する以上、どうしても細かいところで違和感が出るもんだよ。そもそも足下が湿地帯ほどでないにせよジメジメしていたのに、森にあれほど太陽光が射しているのがおかしい。足下に積もった腐葉土と、そこに含まれた水分から推測して、普段は日の光が当たっていないってことになるじゃないか」
「なるほどな……。その環境下なら、光が差し込んでいること自体辻褄が合わない。何かが普通の森を演出しているってことになるのか」
トレント種は擬態能力が高いが、その代わり知能が低い。
獲物を捕らえるための能力は本能的に知っていても、自然環境で意図的に操作した僅かな違和感にまでは思考が働かないのだろう。それでも巧みに視覚を惑わす。
むしろ気づけたゼロスは称賛に値する。
それほど森に溶け込む擬態能力が優れているのだ。
散々迷った挙句、やっとの思いでトレントの森を抜けだした頃には日は傾き、すでに夜の帳が下り始め、星々と月が照らす夜が訪れようとしている。
ついでに腹も減っていた。
「まぁ、あの森から出られただけも良しとしよう。それより夕食はエビカニ尽くしになりそうなんだけど、いいかい?」
「焼くのか? それとも煮るのか?」
「両方かな。ついでに雑炊にでもしようかと思っている」
「大量に捕獲したからな。食べないと無駄になるか……」
「お土産のつもりだったし、調子に乗って乱獲したからねぇ。インベントリの肥やしにするには勿体ない」
インベントリ内では生モノはゆっくりと腐敗していく。
自然界の中で腐敗していくよりは遥かに遅いのだが、それでも一ヵ月は持たない。
そのため、肉類の殆どは長期保存ができるように加工しており、おっさんのインベントリ内には趣味で作った保存食が大量にあった。
しかし、なぜかおっさんはその保存食に手をつけていなかったりする。
「カニだけでも飽きるんだが?」
「汁物でも作ろうかい。食べきれない残りのカニは、カニケジャンにでもしようかなぁ」
「あれ、寄生虫が怖いよな? 素人が作って大丈夫なのかよ」
「この世界のお酒の抗菌作用を舐めちゃいけない。淡水や海水に生息する大半の寄生虫は、お酒だけで簡単に撲滅できるぞ? お酒に浸すだけで寄生虫は苦しみ、悶えながら外に出てこようとするんだ。大量に寄生しているとちょっとしたホラーだよ」
「やめろよ、カニケジャンが食えなくなるだろ」
「まだ作っていないけどね」
この世界において、お酒は数多くの魔法薬の触媒として使えるほど、その抗菌作用は恐ろしく高い。
アルコールの度数ではなく、それ以外の成分による働きによるものだとゼロスは解釈しているが、細かい成分分析ができない以上その特性を知ることはできないため、半ば諦めていた。
「大鍋を用意していて正解だったな。これなら大量の蟹が煮込める」
「ロッククラブは殻が分厚いから、簡単に割ることができないんだが?」
「関節部なら脆いし、普通に食べられるでしょ。君は網で焼いていてくれ」
「焼けたら食っていいのか?」
「僕の分も残してくれるならね」
いそいそと夕食の準備を始めるおっさん。
鍋にカニを大量に放り込み水で浸すと、そのままコンロに火をつける。
その間、アドは炭火に火を起こしながら、金網でカニを焼き始めた。
カニが煮込み終わるあいだ、おっさんは汁物を作るために野菜を刻みつつ、手持ちの調味料を吟味していく。
「味噌汁とブイヤベースモドキのどっちがいい?」
「味噌汁の方で……。久しぶりに鍋が食いてぇ」
「ポン酢はないけどね」
「ねぇの? ゼロスさんなら、『こんなこともあるかと』と言いながら事前に用意しているものかと思ってた」
「いくら僕でも、さすがに用意できなかったよ。醬油はあっても柚子とお酢がねぇ」
大陸間で交易しているソリステア商会を始め多くの商会でも、さすがに柚子やお酢の交易は行っていない。
まして生産でも醬油や味噌が優先され、それ以外の事業には着手していなかった。
「柚子の栽培している農家なんて見たことない」
「柑橘系はどこでも栽培できると思っていたんだがなぁ~」
がっかりしたアドを横目に、鍋に斬り終えた具材を適当にぶち込んでいくおっさん。
男飯とは大抵の調理過程は大雑把なのだ。
程なくして、焼けたカニの香ばしい匂いが立ち込み始める。
焼けたロッククラブは実に美味そうだった。
「焼くほうは出来るのが早いな」
「なら片っ端から食べていこう。シメの雑炊には飯米を使うことにする」
「飯米って、炊いた飯を日干ししたやつだったか?」
「古き日本の伝統的な保存食さ。インスタントの味噌汁もあるよ? ネギなどの具材を細かく刻んで、味噌と丸めて焼いたやつ」
「それ、戦国時代の兵糧だろ。なんでこんなに保存食を常備してんだよ。何かに備えてんのか?」
保存食を作りまくっているゼロスの思考が分からないアド。
そんな彼に『ただの趣味だよ。難しく考えることはないさ』と言いつつ、焼けたカニの鋏をもぎ取ると、プリップリの身を口へと運び入れる。
「美味いな」
「ユイさん達のお土産にカニ缶でも作るかい? 魔導錬成すれば作れそうな気がする」
「ゼロスさんって便利な人だよな……」
「それ、褒めているのかい? 都合のいい人みたいに聞こえるんだけど」
「違う意味で都合のいい人だろ。自宅で作ってた保存食も美味そうだしさ」
「肉をハーブや調味料とニンニクにオリーブオイルを瓶に詰め込んで、密封状態にしてら煮込んだだけのもんだけどね。低温でじっくり火を通すのがミソさ」
「どれくらい保存が利くんだ?」
「地球にいる頃にやったけど、一年くらいなら大丈夫だったよ。それ以上は試したことがないなぁ~」
一人暮らしの片手間に、いろいろと試していたチャレンジャーなゼロスであった。
これにはアドも感心するところである。
「普段の生活は決して褒められたもんじゃないのにな……」
「思っていても口に出すもんじゃないでしょ。下手な一言は地獄を見ることになるんだよ? 何なら今すぐ地獄を見てもらってもいい」
「待った! 今、インベントリから取り出したタバスコのような瓶はなんだ!?」
「カノンさん印の特性超悶絶級デスソースさ。ふっ……こいつは普通に死ねるぜ」
「あの人、いったいなに作ってんの!? 死ねるって、普通に劇薬じゃねぇか!!」
「なぁ~に、辛いのは一瞬さ。コイツを一舐めするだけで天国が見れるほどの威力がある。試してみるかい?」
「即死級ってことじゃねぇか! そんなもん、さっさと捨てやがれ」
勿論、おっさんも捨てられるもんなら捨てたい。
しかし、このデスソースは地面に零しただけで草木や地中内のバクテリアさえ死滅し、しばらく枯れた地表を晒すことになる。
それほどの劇薬なのに食用なのだから不思議だ。
「直接振りかけたらヤバいだけで、他の食材と混ぜれば普通に食べられるんだよ。刺激的な味になるけどね。試しにこのマヨネーズを付けて食ってみぃ~。マジで美味いぜ」
「……試したんだな。マジで大丈夫かよ、こういう時のゼロスさんって信用できないんだよなぁ~」
「大丈夫だって。いくら僕でも、食材で遊ぶような罰当たりな真似はしないさ。一応は自給自足で農家してるんだよ?」
「その物騒なデスソース、このマヨネーズに何滴たらしたんだ?」
「一滴だよ。それでも結構な辛さになるんだよねぇ~。カノンさんは、どんだけ辛味成分を濃縮したんだか……」
ヤバい劇薬なのは分かっている。
しかし、食に関してゼロスは変な遊びをしないことも記憶にあり、怖いもの見たさも相まって震える手でカニの身をマヨネーズに付けた。
そして、意を決したかのように一気に口へと放り込む。
「っ!? かっ、辛ぁっ!! そして美味ぁ!?」
「刺激的だけど美味いだろ? この味を知ったらやめられないねぇ」
「一滴垂らしたわりには凄く辛いんだが、その辛味をマヨネーズの旨味がマイルドにしてくれる。これ、ピザに合わせてもイケるんじゃないか?」
「いや、ピザに使うなら、このデスソースはトマトソースの方に使うほうがいいだろう。この漢前マヨネーズだと、他の食材の味を殺しちゃうからねぇ。少量に抑えておかないと重度のマヨラーになってしまうぞ」
「確かに、このマヨネーズは旨味が強すぎて合わないな。味を引き立てるには酸味のあるトマトソースにパンチの利いた刺激があったほうがいいのか。逆にカニやエビのほうは甘味が強いから、この刺激とマイルドなマヨで味が引き立てられる……」
何気にグルメを満喫する二人。
だが、所詮は当てもない男達の二人旅であり、次第に会話が無くなり無心でカニやエビを貪り食らうだけになる。
普通に味わっているだけなのだが、月明かりの中で火を囲み、ひたすら食べ続ける姿は不気味で異様な光景であった。
「そろそろカニ汁の方も煮えるかな?」
「なぁ、今思ったんだが……。カニ、茹ですぎじゃね? 俺達だけじゃ食いきれないぞ」
「やっぱり? まだまだあるし、全部調理して保存を利かせたほうがいいとも思ったんだけど、食べないと減らないのも確かなんだ。僕達だけじゃとても処理しきれないねぇ」
「そもそも土産用で捕獲したんだしなぁ~。こんなことに巻き込まれると分かっていたら、限界まで捕獲することもなかったんだけどな……」
「それは無理な話ってもんでしょ」
二人は、ダンジョン同士がエリアの入れ替えを行えるなど知らなかったこともあり、それに巻き込まれてるなど想定外のことだ。
まして予定外の事態が目の前で起きれば対処のしようもあるが、広大な空間そのものがそっくり移動するなど予測できるはずもなく、気づいた時には既に事が終わっているのだからどうしようもない。
今更『カニの捕獲量を減らしておけばよかった』など言ったところで無意味な話だ。
「起きてしまったことを今さら嘆いても、なんの意味もないでしょうに。それよりも建設的な話をしようじゃないか」
「とりあえず、今は茹ですぎたカニをどう処理するかだよな」
「インベントリ内に入れておいて、毎日少しずつ消費していくしかないよ。飽きるけどさ」
「毎日は嫌だな……」
「そうしないと減らないし、腐る……」
『『どうすっかなぁ~……』』
二人ともカニは嫌いではないが、さすがに毎日食べ続けるのは遠慮したい。
しかし食べなければ減らないわけで、まだインベントリ内に消費されることなく残っているカニの量を思うと、さすがに頭を抱えたくなってくる。
互いの心の内にあるのは『こんなはずじゃなかった』の一言だ。
「……………ぁ……あぁ……」
「ん? アド君や、なんか言ったかい?」
「いや、なにも………」
「ぁぁ………ぁぁぁぁぁあ………」
「聞こえたねぇ……。なんだろか」
「なんだろうな……」
突然聞こえてきた謎の声に、おっさんとアドは首をかしげる。
その声は次第にこちらへと急速に迫ってきているかのように思える。
「……ぁぁあ………ぁぁあああああ……ああああああああああっ!!」
「この反応……魔物かねぇ?」
「だな……。だが、この声はなんだ?」
さすがに気になって声の咆哮に顔を向けると、目に飛び込んできたのは一人の少年が巨狼に刀を突き刺したまま、ロディオの暴れ牛に跨るカウボーイのごとく振り回されている光景であった。
「………楽しそうだねぇ」
「いや、アレはどう見てもヤバい状況だろぉ!? 何をどう見たら楽しそうに見えんだよ!!」
「ひょあぁあああああああああああぁぁっ!?」
『『 あっ、限界だったようだ…… 』』
少年も体力的に限界だったようで、見事にゼロス達の元へと吹っ飛ばされてきた。
その不幸な少年はおっさんが見事にナイスキャッチし、ついでに抜けた少年の刀は回転しながらアドの足元へ突き刺さる。
あと数センチほどズレていたら、アドの足に穴があいていた微妙な距離だった。
「あっぶね!?」
「おしぃ!」
「なんてこと言うんだぁ、もう少しで俺に刺さるところだったんだがっ!? 不謹慎だぞ!!」
「当たらなかったんだから、別にいいじゃんね」
おっさんはどこまでも他人事だった。
それよりも少年の安否確認が先と判断する。
「君、大丈夫かい? 派手に飛んできたようだけど」
「う……うぅ……【黒大狼】は……」
「「ダーラン? あっ………」」
少年を振り落とすために暴れていた黒大狼だが、めっちゃゼロス達を睨みつけ唸り声を上げていた。
完全にこちらを敵と認識したようである。
「アド君、任せた」
「面倒事は全部俺に押し付ける気かよ」
「夕食の準備をしたのは誰かな? 君はただカニだけを焼いていただけじゃないか。楽なもんでしょ」
「へいへい、やりゃ~いいんでしょ。たく、人使いが荒いんだからよ」
足下に刺さった刀を無造作に引き抜くと、アドは自然体で構えをとった。
緊急時なこともあるが、どうやら腰のシミターを抜くのが面倒だったようだ。
「あっ、俺の刀……」
「ふ~ん、アレは数打ちものだね。造りも丁寧で悪くないようだし、未熟な剣士には丁度いいかもねぇ。まっ、アド君が相手にするから僕の出番はないし……君、カニ食うかい?」
「なに言ってるんですか!? 相手は黒大狼なんですよ!」
「大丈夫だって。これでも食べながら見物してるといいさ」
「ちょっ、これって海蜘蛛じゃないですか!? こんなゲテモノ、俺に食べさせようとしないでくださいよ!」
「海蜘蛛? まぁ、似たようなもんだけど、美味いから食いねぇ」
「い、嫌だ……。そんなの食べたくない……」
「人の善意は受けるもんだよ。いいから食え!」
「もがぁ~~~~っ!?」
少年の口の中へ強引にカニの身を押し込むおっさん。
その会話を背中越しに聞きながら、アドは『なにやってんだよ……』と呆れる。
「あっ………美味しい」
「だろぉ~? カニは美味いんだ。からだのミソと合わせると、なお美味い」
「さらに美味しくなるんですかぁ!?」
「極上だぜ」
おっさんは今日、一人の少年の食わず嫌いを克服させた。
それはともかくとして、対峙しているアドと黒大狼の間で、互いに睨みあいが続いていた。
だが、アドに関して言えば自然体であり、追い込まれているのは黒大狼の方であることが見て取れる。
実際に後ろへと後退しており、どう見ても『やべ……俺、喧嘩売る相手を間違えた!?』といった焦りが感じられる。完全に逃げ腰だが背中を向けて逃げ出すこともできない。
「もぐもぐ……んぐ! あの黒大狼が……どうして」
「魔物であろうと獣だ。そして、獣は自分よりも強い相手に挑もうとはしない。仮にそれを行う場合は数で圧倒しているときに限る」
「ですが、あの黒大狼なんですよ!? この辺りじゃ敵なしの最悪の魔獣なのに……」
「アド君の方が強いと気配で分かっちゃったんだよ。けど逃げられない……。背中を見せた瞬間にはバッサリ殺られるからねぇ」
「そうなると……」
「そう、あの狼は真正面から挑み、死中に活を求めるしかないんだよ」
怒り任せに威嚇してみれば、相手は自分以上の力を持つ敵だった。
黒大狼からしてみれば災難でしかない。
そして、逃げることが適わないと理解した以上、選択肢はひとつしかなかった。
「グオオアアアアァァッ!!」
アドに向かって全力で駆けだした黒大狼。
しかしアドは焦りも見せず静かに息を吐くと、手にした刀を一閃。
巨狼と青年の影が交差する。
次の瞬間、大量の血液を噴き出し黒大狼は地に伏した。
「…………太刀筋が、見えなかった」
「あの狼の首を斬っただけだよ。出血多量で即死だねぇ、苦しまず死ねたんだから良かったんじゃないかい?」
「見事な……腕前です」
「刀の扱いなら、アド君は僕以上に上手いんだよねぇ。斬る武器を好んで使っていたからさ」
ゼロスは刀も扱えるが、主にショートソードや槍を使うことのほうが多い。
まぁ、それも戦う相手によって武器を変えることがあるが、普段の扱う武器という点では使いやすい武器を常に装備していた。
同じ斬るにしても、刀は刀身を引くことによって切断力を引き上げるのに対し、ショートソードはただ剣身の重さを勢いで振り落とすことで切断力を出すため、攻撃のモーションは大きく異なってくる。
確かにゼロスはアド同様に刀を扱えるのだが、使いこなすという意味ではアドの方が優れており、カエデの稽古も彼に任せるべきではと最近は思い始めていた。
嫉妬深い奥さんがいなければ本気で頼んでいたかもしれない。
「嫉妬ワイフがいなければ、修羅娘のほうを面倒見て欲しかったんだがねぇ……残念だ」
「なんの話です?」
「いや、こちらの事情だよ。あまり気にしないでくれると嬉しいなぁ~……。あっ、カニ汁を飲むかい?」
「いただきます」
「解体作業も俺任せなのかよぉ!?」
「大物を狩ったのは君なんだし、素材も全て君のものだよ。頑張って解体したまえ」
「畜生……追い返すだけにしておけばよかった」
自分の失敗を嘆くアド。
黒大狼を解体し始める彼を横目に、おっさんと少年は黙々と食事を続けている。
こうして予期せぬ闖入者と凸凹コンビの夜は更けていくのであった。




