おっさん、東大陸の辺境で現地の村人たちに出会ったぁ~
――それは奇祭だった。
褐色肌で半裸褌一丁の小太りの男が柱に括りつけられ、白装束の神官らしき数名の男達が四方に焚かれた護摩壇の火を蝋燭に移し灯すと、その滴る蝋を縛られた男に代わる代わる垂らし続けていた。
蝋の熱さで見悶える男であったが決して叫び声を上げることなく耐え続け、そんな彼と護摩壇の周囲を村人たちは笛と太鼓の音色に合わせ、老若男女問わず楽しそうに踊り続けている。
『『な、なに……これ』』
まごうことなき奇祭だった。
異様で異彩で異次元な奇祭であった。
しかも半裸褌一丁の男はどこか恍惚としており、どう考えても責め苦を堪能しているとしか思えない。奴は紛れもなくドMであった。
あまりの光景に、顎が外れたかのように口を開け、間抜け顔を晒すおっさんとアド。
そんな二人の近くに、踊り疲れたご老人が輪から離れ草むらに腰を下ろす。
『これは情報収集のチャンス!』と咄嗟に茂みから出たゼロスは、ご老人の傍に近づき声を掛ける。
「失礼、ご老人」
「んあ? なんだぁ~、おめぇ~さん達。見ねぇ顔だがやぁ?」
「道に迷った旅人ですよ」
「ほう、道になぁ~。そりゃぁ~難儀なこったで。まぁ、人生は色々あらぁ~な。心に大志を抱いておけば、いずれ開けるもんじゃけぇ~頑張るんやでぇ」
「いや、人生の道に迷ったわけではないんですけどね……」
そうは言うものの、よく考えてみれば現時点で人生の道に迷っているということも、無きにしも非ず。
『もしかして、無意識の不安を見抜かれたか?』などと思ってしまった。
「山で迷って暗くなった時に、ちょうど笛と太鼓の音が聞こえてきましてねぇ。ようやく人里を見つけ安心していたんですが……これはいったい何の祭りなので?」
「見て分からんかやぁ~? 豊穣祈願祭じゃよ」
「それ、普通は春先の種を蒔く頃にやりません? それに、中央の生贄の男はいったい……」
「いんや、収穫が来る前にやるのが昔からの習わしでのぉ~、あの男は神さんに願いや一年間の感謝を伝える、【御知らせ様】っつぅお役目でのぉ、昔は汚れを祓うために火に飛び込んでおったのじゃ。が……丸焦げになる者が続出して以来、ああやって蝋燭の熱に耐えるように風習が変わったんじゃて。危ないからのぅ」
「あっ、ちゃんと意味があったんですね」
「じゃが、気のせいかゴンジロウの奴……穢れを祓う神聖な儀式を愉しんでおるような気がしてなぁ~。かれこれ五年ほど連続して御報せ様を続けておるんじゃ」
『いえ、気のせいではなく充分に堪能しておりますよ』
思っていたことをあえて言わない空気の読めるおっさんだった。
一応は神聖な神時であることは分かったが、危険回避のため風習が変わったことにより記載へと変貌したようで、花形とも言えるべき御知らせ様の役目は変態がやるようになったようだ。
「御神様、我らの感謝と願いを聞き届けたまえ!」
「くっ、まだまだ足りねぇ。こんなもんじゃ神様に御知らせなんてできるわけねぇだろ! もっとだ。もっと俺に熱をよこせ! もう直ぐだ……おふぅ♡」
「年々手強くなってきてるな……。まだまだ行くぞ!」
「来いやぁ!」
縛られし男は気合を入れて責め苦をあまんじて受けいるように見えるが、それはあくまでも自分が愉しむ為のものであり、村の大事な神聖な儀式とやらを大いに穢しまくっていた。
さすがのおっさんも、『こりゃぁ~、神様が怒って豊作はなしになりそうだな。神事を穢しまくりでしょ、あの男のせいで……』と心で呟く。
「ゴンジロウ……やっぱ愉しんでいるんかのぉ~」
「どう見ても、そう見えますね……」
「じゃが、毎年恒例の試練である山登りを真面目に受け、誰よりも早く険しい岩山を登り切ったからのぉ~。疑いたくはないんじゃて」
「それだけ快楽に身を委ねたかったのでは……。おそらく年に一度の行事で、人前で性癖を晒すのが快感になっているんだと思いますよ」
「しかしのぅ、真面目に試練を受けている以上は外すわけにはいかんじゃろ。それに愉しんでいると本人が言ったわけではないし、困ったのぉ~………」
「五年連続の皆勤賞といった特別枠にして、あえて外すのはどうです?」
「そりゃいい手じゃな。あとで長老衆と相談してみることにするかのぉ~」
おっさんの提案が受け入れられる可能性を変態は知ることもなく、祭りは佳境へと入っていく。
極太の蝋燭で垂らされる蝋の熱に、ゴンジロウの思考は快楽一色に染まりまくっていた。
そして――。
「うほぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉっ♡」
野太い悦楽の叫びが畑の中心に響き渡る。
最大級のエクスタシーにゴンジロウは絶頂し、おっさんを含めた村人全員が聞きたくもない声を聞いてしまった。
おそらく村人全員は気づかないふりをしていたのだろう。
だが、今回のことで誰もが完全に理解してしまった。
ゴンジロウがどこに出しても恥ずかしい変態であることを――。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
さて、その後も祭りはつつがなく進み、なぜかゼロスとアドは打ち上げに参加することになった。
イモのような植物から作った酒に、新鮮な野菜の漬物をつまみに一杯。二個の握り飯と野菜たっぷりの鍋と、この村で精一杯のおもてなしと歓迎を受けていた。
突然現れた異邦人に対し村人たちは実に優しい。
世話になりっぱなしも良心が痛むので、おっさんは大量に確保したカニやエビを提供したことで、宴会の料理は少しばかり豪華になった。
「ハッハッハ、飲んでいるか? 兄ちゃんたちよぉ」
「飲んでいますよ。この酒、なかなかに良い香りと風味ですねぇ」
「田舎は義理と人情が厚い……。それより、この酒……アルコールの度数が強いな。美味いけど」
「こっちの漬物はどうだい? あたしがチャンパゲの根から作ったやつなんだけどさぁ」
「知らない根菜だな」
「こりこりした食感がいいですねぇ。味噌漬けですか?」
「塩があれば大量に漬物を作れるんだがよ、塩作りは問屋が独占していて俺達には手出しできねぇ。すぐ近くに海があるんだがなぁ~……」
話を聞く限りだと味噌や醤油は各家庭で作っているようだが、肝心の塩は卸問屋が独占しており、必要な分は山を越えて街まで買いに行かねばならない。
街までの距離は山道を歩いて三日ほどで、この開拓村では実に面倒なうえにつらい距離だ。何しろ途中で魔物や盗賊に襲われることもあるらしい。
「なんか、最近は野菜の成長が早いだなぁ~」
「収穫が早くなるのはえぇんやけど、人手がねぇ~……」
「野菜だけじゃ生きていけねぇからなぁ~」
「ウチのベコ、もうすぐ子牛が産まれそうなんだがよぉ。誰か手を貸してくれねぇがや?」
人口は子供から老人を含めて二百人くらいの集落だ。
ほとんどが家族ぐるみの付き合いで、なぜかおっさんは懐かしさを感じてしまう。
「ここから街までは遠いので?」
「山を五つほど超えて、先の平原を一日ばかり進んだところだぁ~。正直、俺達もあそこまで買い物に行くのは億劫でよぉ」
「街の名はなんと言うんです? あまり気にしないで旅をしていましたから、すっかり忘れてしまうもんなんですよねぇ。一度聞けば思い出すかもしれませんので、教えてくれませんか?」
「暢気なあんちゃんだなぁ~。【ギズモの街】さ」
どうもギズモの街は代官が領主の代わりをし、複数の奉行所によって管理されているらしい。ここまでなら時代劇とさほど変わりない。
フオウ国は皇家を中心とした複数の名のある公家や武家が代々役職を受け持ち、よほどのことがない限り出世はないとのことだ。
武家の数は限られ、それ以外の侍は素浪人――立場的には傭兵のような扱いだと、話の内容からおっさんは読み取った。
この様な立場から、名のある武家以外の侍たちは斬り捨て御免をするようなこともなく、それなりの平穏が保たれている。
「神官――神主や巫女さんの立場はどうなんです?」
「あの方々は、立場的には儂らに近いかのぅ? よく子供達に読み書きを教えてくれるんで、儂らから野菜などを差し入れに行っとる」
「神主さんは薬師でもあってなぁ~、同時に呪術師じゃからなぁ~。祈祷や悪霊退治もしてくれるありがたい人達じゃて」
よく分からない立場なのが宮司や神主、禰宜や巫女の立場だ。
国に雇われているわけではないのだが、それぞれが組織的に活動しており、立場的には魔導士や錬金術師の組合に近い。
民と共存関係にあるのようなのだが戒律に縛られているらしく、話に聞くとどうやらジョブは【陰陽師】や【仙人】であると思われる。
占術で種を蒔く時期を的確に読み当て、各村や町などに伝えてくれるとのことだ。
また、魔物討伐にも出てくれることから、民達には大変ありがたがられている。
一応だが【陰陽寮】なる国のお抱え集団もいるらしいが、神宮などとどのような繋がりがあるのかまでは分からなかった。
『神社などを拠点としていることから、国からの依頼や要請を受けることもあるのかもしれない。なににしても気をつけるのは特権階級の武家で、他の侍は傭兵と思っておけばいいか』
侍が傭兵と同列なのであれば、権力者は武家や公家。
神職はどこにも属さない互助組織という結論が出た。
「しかし、本当にすみませんね。こんな見ず知らずの旅人に部屋を貸していただいて」
「なぁ~に、困ったときはお互い様よぉ」
「こんな辺鄙な場所で野宿させるほど、アタシらは無情じゃないさね」
村人達に囲まれ、おっさんは地方在住者のコミュ力を最大限に発揮していた。
対してアドはというと――。
「あれ? なんか……目の前がグルグルと……」
「なんだよ兄ちゃん、若いのにもう酔ったのか?」
「酒に弱すぎじゃ~。がははははは」
――次々と注がれる酒で酔いが回っていた。
おそらく彼は酒などあまり飲んだことがないのだろう。
しかし情報を収集する立場の視点で見ると、『チッ、コイツ……使えねぇな』であり、だからといって声を出して非難しようとすると、酒を注いでくれる村人達の善意を貶めることになるので、ここはあえて生ぬるい目でアドを眺めることに徹することにした。
そうこうしている間にアドは目を回しぶっ倒れる。
「あんれぇ~、潰れちまっただよ。ほんに弱かったんだなぁ~」
「ちぃ~とばっか、飲ませすぎただっぺか?」
「あんま酒を飲まねぇんでねぇ~べかやぁ~?」
「なんや、だらしのない。男なら酒壺一瓶くらい、一気に呷らんかい」
村人は肝臓がかなり強いようだ。
ゼロスも酒を飲んではいるが、酒精が強くて村人たちのように一気に飲み干すようなことはない。こう見えて酒の香りや風味をゆっくり味わうタイプであった。
『芋焼酎みたいだが、若いな。もう少し寝かせたほうが良いんじゃね? できれば年代物の泡盛みたいな老酒が飲みたいところだが、こんな場所じゃ無理かなぁ~。錬成窯で作ってもいいが、味は微妙だし何より風情がないからなぁ~』
錬金術で使用する錬成台の術式を応用した【錬成窯】なるものがある。
薬などの水薬を、過程をすっ飛ばして作り出すことができる魔導具で、これを用いればより美味い酒が作れるかも知れないが、どうしても自然熟成とは異なり風味が格段に落ちるだけでなく、錬金窯の使用者の技量が左右される面もあり、一概に便利というほどのものではない。
ゼロスであればそこそこに味の良い酒が作れる自信があるが、こんな村で錬金術を行うなど無理があるだろう。
『そう言えば、セレスティーナさんやツヴェイト君に、錬成窯の使い方を教えたことがなかったなぁ~……。まぁ、薬品などの生成過程をイメージできないと意味がないし、何よりも魔力制御と同時併用だからねぇ。並列思考ができないと無理か』
複数の思考を同時に行えるスキル、【並列思考】。
このスキルがあれば異なる属性魔法を同時展開できるようになり、魔導士の戦闘面における火力を大幅に引き上げることができるのだが、簡単に覚えられるようなものではなかった。
だが、唯一クロイサスだけが並列思考のスキルに覚醒していることを、このときのおっさんはまだ知る由もなく、『無事に帰れたら並列思考スキルの訓練でもさせてみようかな』などとぼんやり思い浮かべていた。
「ところで、ギズモの街はここから北上するだけでいいんですか? 山道がどれほど険しいのか分からないんですよね。海からは駄目なんですか?」
「あん? あんたら、山道を通ってこの村に来たんじゃねぇんか?」
「いやぁ~、お恥ずかしい話なんですがね。旅の途中に魔物に襲われまして、逃げるために山の中を走り回っていたら道が分からなくなりまして。追われては逃げるの繰り返しをしていたら、偶然にもこの村を発見したんですよ。あの時は助かったと思いましたね」
「難儀な目に遭ったんじゃのぅ~。ほれ、嫌なことは酒でも飲んで忘れんしゃい」
湯呑になみなみと注がれる酒。
減った傍から注がれるので、現在どれほど飲んだのかよく覚えていなかった。
酔いの廻りからある程度状態を把握しつつ、悪酔いしないよう注意しながら話を続けることを心掛ける。
「海側からでも行けることにゃ~行けるが、正直お勧めはせんてよ」
「そらまた、どういう訳で?」
「海側からじゃと、魔物が多くて楽には行けんのよ。まだ山道のほうが楽かのぅ」
「そうそう、魚人やらイカ人やら……。儂らでは手に負えんのよ」
この世界では魔物化した生物を蛋白源として狩ることはあるが、村人たちは罠を仕掛ける技法を用いるので、個人としての戦闘力は著しく低い。
そのため異変を感じた場合は【万屋組合】――東大陸の傭兵ギルドへと依頼を出すのだが、村の収入で傭兵を雇い続けるのは難しく、たいていは後手に回ることが多い。
この万屋組合も発足して間もないため、登録している傭兵の数は少ないこともあり、貧乏な開拓村にはなかなか来てはくれなかった。
「侍に依頼はしないので?」
「サムライ……あぁ、万屋組合のことかいのぅ? 残念じゃが、こんなちんけな村じゃ雇う金すりゃありゃせんよ。儂らで何とかせにゃならんのさ」
『侍……万屋組合ねぇ。武家となにが違うんですかねぇ?』
どうもゼロスやアドの知る日本の武家社会とは異なるようで、どんな社会を築いているのか今一つ不鮮明であったが、農民の彼らも詳しいことを知っているわけではなく、酔いも回っていることもありこれ以上の情報収集は無理だとおっさんは諦めた。
民はこの辺鄙な土地でも権力者に縛られることなく自由に生活を送っているようで、あまり社会情勢的な情報には詳しくないのかもしれない。
そんな事を考えつつ、ゼロスは祭りの打ち上げをそれなりに楽しむのだった。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
ソレは、当てもなく彷徨っていた。
自分が何者か、どこから来てどこへ行こうとしているのか、それすら分からなく何かに導かれるように歩き続けていた。
肥大しはち切れんばかりに盛り上がった鎧のごとき筋肉は、ソレに疲れることすら忘れさせたかのように、ただ一直線に目的の場所を目指していた。
「……ドゴヘ………ナニヲ………」
男は自分が何をしているのか分からなかった。
自分の身に何が起きているのか理解すらできず、思考することすら奪われた哀れな男は右手に癒着した刀によって誘われ、暗い森の中で多くの屍を生み出しながら歩みを進める。
その刀は多くの血肉を吸い、怪しげな光を放っていた。
「モウ直グダ………」
明確な意思を持った声を放ったのは男の口からではなく、癒着した刀身を握る手の甲にできた異形の口からだった。
そう、この刀には明確な意思がある。
しかし、その意志は別の言い方をすれば本能というには歪で機械的。適当な言葉を当てるのであればプログラムが近いだろう。
ただ純粋に定められた役割を全うするだけの存在。
その在り様は自然の法則からはかけ離れた醜悪で邪悪なもので、魔物からも明確な敵意を向けられるほど、多くの生物にとって絶対的な敵であった。
なぜこれほどまでに敵意を向けられるのか。
理由は単純で、生物の本能から拒絶されるほど、刀から放たれる気配がおぞましいからである。一言でいうと世界の歪みだ。
だが、特定の職業の者なら、きっとこう言いかえるだろう。
【呪い】と……。
「命ガ足リナイ………力ガ足リナイ………殺セ、殺セ、殺セ、殺セ………」
【呪い】は何者かの意志によって生じた存在だ。
その者はよほど世界を恨んでいたのだろう。
なにしろ、これほど邪悪な存在を生み出してしまったのだから。
命を食らって糧にし、力を蓄えても満足することは無い。
ただひたすらに飢え、殺すということに特化している。
「滅ベ、滅ベ、滅ベ………喰ラエ、喰ラエ、喰ラエ、喰ラエ……」
その刀は世界の破滅を望んでいた。
いや、正確には破滅を望んでいた者が残した意志の残滓だ。
この【呪い】は憎しみと慟哭、この世界の全てを憎悪した者の名残にすぎない。
その僅かな名残が元となり、生きと生ける者にとっての敵となって顕在化し、己に定められた使命として活動しているのに過ぎない。
ゆえにコレは生物などではなかった。
それどころか信仰から生じた【神】や【魔】ですらない。
もっとおぞましい何かだ。
そして、ソレと刀は目的の場所に辿り着いた。
「力ダ……力ガ湧キダシテイル…………」
ソレらが辿り着いた場所は、一見してただの森の中だった。
だが、魔力を持つ者であれば感じ取れるだろう。
地面から噴き出している魔力の間欠泉を――。
刀に宿った意志は、その魔力の噴出口を『糧』と認識していた。
「「力……チカラ………」」
まるで誘引されてるかのように、ソレと刀の融合体は魔力の間欠泉に身をゆだね、その奔流に逆らうかのように膨大な魔力を吸収し汚染していく。
だが、自身が飲み干せる魔力など微々たるもので、その殆どがソレに遮られ自然界へと流れだしていった。
だが、それで構わなかった。
飲み干せる魔力が微々たるものでも、他の生物にとっては即死するほどの膨大な量だ。
逆に言うとその場にいる限り自身は無尽蔵の力を得られることになる。
力を得たなら定められた役割を果たすだけであった。
「我……ヨ。増エヨ………」
その言葉を口にしたのはソレと刀のどちらであろうか?
どちらにせよ異変は起こっている。
無数の土塊が集まり、魔力を吸収して一つの形を形成していく。
刀から湧き出す瘴気が土塊に流れ、封じられていた怨念が宿ることで無数の異形が生まれてくる。中には消滅する個体もいたが、この膨大な魔力の奔流にに耐えられた怨念だけが実体化を果たし、刀と同様に瘴気を発散させ汚染を広げていった。
それらは昆虫の脚やムカデの胴体など異形の形をしており、他にも無機物と有機物の融合した歪な存在もいたが、それらはすべて一つの意志によって統率されていた。
「散レ、喰ラエ、増ヤセ………滅ボセ」
本体である刀は、同じ言葉を機械的に何度も呟きながら、自身の分身を作り出していく。
生み出された異形たちは贄を求め、それぞれが同じ使命を果たすべく行動を開始する。
大きな異形が放つ瘴気からは無数の小さな偉業を生み続け、その小さな異形たちは洞穴に溢れかえり、融合や分離を繰り返しながら外部へと目指す。
『ギッ?』
『ギャギャ!?』
だが、その異形たちを見えない壁が遮った。
いや、壁と言うには穴が無数に存在しており、大きな異形は通過できないが小さな個体であれば通り抜けることができた。
それが【結界】と呼ばれる呪術による防壁であることを彼らは知らないが、行く手を阻む邪魔なものであることだけは理解し、幾度とぶつかっては結界の破壊を試みる。
その間にも小さな異形は外部へと流れだし、大気に含まれた魔力を呪詛で穢れた瘴気で汚染し続けていった。
異形が生まれる――。
異形が生まれる――。
異形が生まれる。
何度も結界に阻まれては融合と分離を繰り返し、世界を不浄な色に染め上げながらも数を増やし続け、瘴気の濃度は瞬く間に濃く周囲へと拡大し続ける。
やがて結界の綻びからも流出し、周囲の動植物を呪詛で殺し、その命を怨念で染め新たな異形を生み出していった。
その醜悪で冒涜的な侵略を止められる者はいない。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
木造の神殿造りの家屋の一室で、数名の術師たちが星図を用いて星の動きを読み、長い時間をかけて記された過去の記録と照らし合わせ吉凶を占っていた。
「北天に凶羅の星………南天に陰気に満ちた破星の兆しか………」
「これは、明らかに凶事がどこかで起きておりますね」
「西天の空には災禍と騒乱の前兆もあり、事が動き始めたというところか? 払魔殿からは何も言ってこぬのか? 例の刀の話だ」
「未だに……」
「ふむ………これは、後手に回ったか? 星辰の知らせでもあれば、まだ救いはあるのだがな。長引かれるのも問題がある……長引けば戦乱に時代に突入しかねん」
星読みの儀――月に数回ほど行われる占星術の儀式である。
不確定な未来からより良い選択を選ぶために行われる指標の儀式であり、この儀式の内容の結果によって政務の方針が変わっていく。東方大陸と列島国に長くから続く独自の文化であった。
だが、占星術と呼ばれていても、その的中率は未来予知に匹敵するほどに高い。
そして、たった今、その結果が現れた。
御御籤でいえば大凶。あるいは天中殺か大殺界。
確実に凶事の始まりを告げていた。
「まったく、陰陽寮は何をやっておるのだ。既に事は大きく動き始めておるぞ」
「まだ例の刀の影響だとは断定できていません。確たる証拠もない以上、彼らに調査を委ねるしかないでしょう。我らからの占儀結果にいつ目を通すのかは別問題ですが……」
「儘ならぬものだ。とはいえ、ただの占術家系の我々では、【妖魔】の浄化はできぬがな」
占星術を含めた占いは吉凶を読み解くくらいしかできず、存在する【妖魔】の討滅までは管轄外で、アドバイス程度しかできない立場だ。
例え戦う力があったとしても、国と民間の中間的な立ち位置にいる彼らでは、正式な国家機関である陰陽寮に立ち入ることすら許されない。
国の行政機関から業務委託されているという立場が正確なのだろう。
仕事としての結果は出しても、その結果を大本の組織がうまく使いこなせねば意味がなく、判断するのも自分達ではないので組織の枠を超えて口を出すこともできない。
占術師の長は険しい表情で星を眺めつつ、羅針盤と八卦版を足したような占儀板を眺めながら星の動きを追う。少しでも先の未来の結果を知るためだ。
だが、どれだけ的中率の高い占いであっても、それが占いである限り状況の流れ次第では未来の結果は大きく変わる。
「災禍の種は蒔かれておるようだな………。一度目は封印が解かれたとき、二度目は現在も進行しておるようだ……これは厳しい」
「島国での伝承によると、例の刀の特性は………」
「分身体をばら撒くのは他の化生と同じよ。問題なのは、既に荒魂になっておることだ。こうなると祓うことなどできん。何しろ島国での長き騒乱の発端は、例の刀から発生した事件も絡んでいるのだからな。そこに人の野心が加わると災禍が一気に広がりを見せることとなる」
「きっかけが一振りの刀でも、それが長く続く動乱になるとは、とても信じられません……」
「当時の記録では、小国同士の小競り合いはあったが、比較的に平穏だったらしい。そんな時代にあのような禍々しい刀が打たれたとなると、よほどの外道な行為が行われたのであろうな。おっと………八卦占術によると、龍脈の動きにも陰りがある。枯れていたはずの龍脈も最近は異常なまでに活性化しておるし、ヤツはどこかの龍脈を抑えおったのか? だが、こうも不安定では、な………」
占術とは、天と地の気の動きを読み取ることが原点である。
それをより確実性の高い先の未来を読むため、星の動きや森羅万象の流れを記録として残し、算術を用いて様々な観点から答えを導き出す大系化した技術だ。
家系によって技法の差異はあるが、基礎的なものが同じである以上、よほどの計算間違いを犯さない限り同じ結果が導き出される。
しかし、それも最近になって上手くいかない事態が続いていた。
理由は天と地に流れる龍脈の気の流れが異常活性化し、枯れていた龍脈ですら徐々に膨大な魔力が流れ、復活しようとしていることにある。
「これは異常な事態である……。いや、もしかすると正常に戻ろうとしておるのか?」
「長、それはどういうことですか? まさか、今までの状況が異常であったというのですか!」
「そう考えねば、今現在に起きている事象の変化に説明がつかん。この推測がもし正しければ、最近の占術の乱れにも納得できるものがある。今までの記録が全て無駄になりかねんぞ。最初からやり直しだ」
「それは………冗談じゃありませんよね? 今まで記してきた記録が、全て異常事態の中で記されたものになるってことじゃないですか。これでは事が起きたときに照らし合わせる事象を、我々は予測できなくなります」
「今からでも記録していくしかあるまい。万象の流れが乱れていても、その中には規則性のある流れもあるはずだ。やることは変わらんが、より詳細な記録をつけていく必要が出てくる。この龍脈の乱れは10年程度で収まることはなかろう」
龍脈の流れが変われば、自然体系や気候の変動に大きな影響を及ぼす。
その揺れ幅が極端から極端に流れるほど予測が立てづらくなり、占術により導き出される結果にも大きな影を落とすことに繋がる。要は占いが外れる確率が高くなるのだ。
だが、その極端な揺れ幅さえ把握できれば、算術を用いての占術の不的中率は抑えられることだろう。
まぁ、『当たるも八卦当たらぬも八卦』になりそうではあるが、占いとはそういうものだ。
そもそも森羅万象の全てを見通すことなど神でない限り不可能なのだ。
「しばらくは卓の前で算術を続けることになろうな………」
「アレ、私は苦手なんですよね。計算間違いを許されないから、寝ても覚めても悪夢にうなされることになるんですよ……」
「覚めていても悪夢を見るか、面白いことをいうものだな」
「全然面白くないですよ!」
そう、彼らの根幹にあるのは膨大な過去の記録と計算式。
森羅万象の動きが読みづらくなった今、それすらも想定して新たな数式を導き出さねばならず、その作業を黙々と続けることになると思うと眩暈が来るほどだ。
事実、その話を聞いていた周囲の占術師たちは頭を抱え、虚ろな目でブツブツと何かを呟いていたりする。
「これ、鬱で何名かが世を儚み、自害したりしませんか?」
「そうは言うが、これが我らの仕事であり、生活が懸かっておる以上は地獄のような日々にも耐えねばならん。この一族に生まれた自分を恨み、おとなしく運命に従うのだ。それが我らの役割なのだからな」
「「「「 転職してぇ!! 」」」」
今まで一言も話さなかった占術師たちが一斉の声を荒げた。
そう、この場にいる者たち全員が占術家系の者達であり、それ以外の生き方を知らない引きこもりの陰キャたちなのだ。
そして、陰キャでもありながら占算術のエキスパートであり、これ以外の生き方ができないほど不器用で偏屈であり、人づきあいが下手な連中でもあった。
ついでに言うと、この家系に生まれた以上は技術漏洩を防ぐためにも、転職することも許されない。脱走しようものなら抹殺される黒い職業の方々だった。
彼らに転職という選択肢は最初からないのである。




