おっさんとアド、ダンジョンを抜けたら別大陸でした
ダンジョンから外に出てみると、そこは見知らぬ光景が広がっていた。
日も傾き、夕日で世界が赤く染まる大自然の雄大な景色であったが、二人にとってはその景色を楽しむどころの話ではない。
「な、なんだよ・・・・・これは! いったい全体どういうことだってばよ!!」
「アド君や、口調がどこかのアニメキャラみたいになってるよ?」
「んなツッコミはどうでもいいんだよ! 俺達の身に何が起きたんだ! つか、ここはどこなんだぁ!?」
「ん~………もしかしてだけど、ダンジョン内のエリアが他のダンジョンと入れ替わったとか? ほら、出てきたところは廃坑跡地じゃなく自然の洞窟だったし、結果的にだけど中にいた僕達は一緒に転移しちまったのかなぁ~と」
「なんで……そんなに落ち着いていられるんだよぉ、アンタはっ!?」
「そうは言うけどねぇ……」
ゼロスとしては転移など【ソード・アンド・ソーサリス】ではお馴染みなので今さら感があり、この世界に来たときもどことも知れぬ弱肉強食の過酷な森の中。
非常識な事態に何度も遭遇していれば嫌でも慣れてしまい、この程度のことでは別に童謡やとりたて慌てるほどではない。何より自分自身が一番非常識だ。
むしろ、『ここは異世界だし、こういうこともあるかな』とあっさり受け入れてしまっている。いい意味では冷静に対応できる余裕があるので状況に適応するのも容易だ。
見たところではファーフラン大深緑地帯のような危険地帯ではなく、気配を探っても強い魔力反応を持った魔物の存在も感じないことから、自然界魔力の濃度はそれほど高い場所ではないことが分かった。
「ふむ………」
次に目を向けるのは、周辺の植生である。
これから日が暮れ夜になるため、混乱するアドを放置して手早く確認することにする。
「気温が高い……いや、暑い。南方かな? ふむ、これは【ベニヤマツ】か? となると、場所は東方の島国か、あるいは東方大陸北部のどちらかな。島国のほうはソリステア魔法王国と交易しているから、船に乗れば帰れるだろうけど、確か戦国時代の真っただ中に突入していたという話だし、いつになることやら。できれば東方大陸であってほしいところだね」
「なんでだよ。帰るんだったら島国のほうがいいだろ!」
「いやね、東方の島国――国名を【アキノワダツシマ国】というんだけど、どうも外国人を見ると切り捨て御免する奴らがいるらしいよ?」
「………その国、幕末かなんかなのか? 尊王攘夷とか言って争ってんのか?」
ゼロスも詳しい話までは知らないが、頻繁に起こる戦火から外国に逃げ出す人々がいるという話も聞いており、もしかしたら東方大陸にも逃れた人々がいる可能性が高い。
仮にここが東大陸であるのなら、地形に多少の違いはあれソード・アンド・ソーサリスである程度のことは把握しているので、道に迷うことはない。
問題はこの大陸の情勢だ。
「ここが東大陸であるとすれば、昔邪神ちゃんが攻撃した痕跡で地形が変わっているけど、大まかな地形は問題ないはずだ。ベニヤマツが生えていることから北部のどこか、ということになるが……。どの辺りなんだろうかねぇ」
「なるほど……。んで、当面の俺達は街を探して歩き回るしかないと」
「西側に海があることから、あれが南洋大海であることは間違いないねぇ。西洋蒼海だとしたら今頃は深夜で夕日が見れるはずもないし、砂漠化しているからこうした森があるわけもない。間違いなく東大陸の可能性が高いよね」
「……待った! もし東大陸に俺達がいるとなれば、北大陸に戻るには海を渡りファーフラン大深緑地帯を突っ切るしかないのか!?」
ここで少し大陸の地形を説明するが、ゼロス達がいた北大陸の人類生存粋である北半球を横に長く伸びた陸地で、正面に南洋大海、北に北稜極海という海域が存在している。
北極を中心に真上から見ると西大陸はCの字型に見えるだろう。
南大陸は北大陸西方領域の最西端から南に複数の諸島を経由して海を渡ることで、どこかのゲームに出てくるようなスライムのような水滴形状をした南大陸に辿り着ける。
太い部分が南洋大海に幅を利かせており、最西端からはの東大陸最東端が見えることもあるが、海流が激しく船で渡るには難所であった。
そして肝心の東大陸だが、西方領域から見て南東に存在し、大陸の最北端はちょうどファーフラン大深緑地帯の真ん中あたりから南に向かうことで辿り着ける。
ただし、風や海流の流れにもよるが、ソリステア魔法王国から船でだいたい三週間くらいだろう。
大陸の形状も超極太の『>』の字というべきか、歪で太目な三日月型――現在はクレーターで陸地の形状が変わっているが、とにかくそのような形状の大地だと思ってくれてよい。
クレーターの原因は、邪神戦争時に邪神ちゃんが派手にぶっ放したの超重力攻撃の影響で、いたるところに隕石が落ちたかのような大小さまざまなクレーターができて穴だらけ。
ソード・アンド・ソーサリスワールドの地形とはかけ離れた形状をしている。
クレーターに海水が流れ込み湾になった場所がいくつもあった。
まぁ、そこは南大陸も同様だが……。
ついでに東の島国――アキノワダツシマ国だが、『>』の字の内側に点在している複数の島からなる諸島列島国だ。
大小複数の島で構成されているために統治者が何名もおり、情勢は最悪だという。
「僕達が帰るには二つのルートがある」
「東大陸から南大陸に渡り、そこから北上して【グラナドス帝国】の交易船に乗り、何度も船を乗り継いでソリステア魔法王国に戻るルートか………」
「このまま北上し、どこかの街から島国に渡って北大陸に西方領域――ソリステア魔法王国へ向かう交易船に乗るか、あるいは東大陸から直接帰れる交易船を探すかだね」
「マジかぁ~………」
アドが頭を抱えた。
彼としては今すぐにでも帰りたいのであろうが、状況が最悪だ。
このままでは何カ月もこの大陸で足止めを食らい、船で帰るにしてもしばらく陸地を踏むことはない。
「北にあるのに西方領域とはこれいかに。転移ゲートがあればなぁ~………」
「まぁ、北大陸は西側に人類生存圏があるからねぇ。ファーフラン大深緑地帯がなければ、今頃は群雄割拠の時代になってたんじゃない?」
「邪神戦争で穴だらけなんだろ? ソード・アンド・ソーサリスの地形があてになるのかよ」
ぼやくアド。
実はゼロスも転移ゲートが存在していることを期待していた。
それというのも、【ソード・アンド・ソーサリス】において転移ゲートは古代の遺物とされており、それらしき存在は実のところ複数確認されている。
そう、巨大な岩で構築されたストーンサークルだ。
そして、東大陸にも北部に一つ存在していることをゼロスは知っていた。
『問題は本当に転移ゲートなのか、だよね。ただの遺跡の可能性もあるし、仮に想像が当たっていたとして、魔力枯渇で稼働停止状態にある可能性が高い……。そして、同じ遺跡がイストール魔法学院近くにも存在しているようだが確認していいけど、遺跡をスケッチした図鑑には確かに描かれていたし、もしアレが本物であるなら意外と戻るのは簡単かもしれない。まぁ、自然界に魔力が戻ってきているし、自己修復機能が稼働すれば、あるいは………。問題は魔力がチャージされるのか確認できないことと、うまく稼働しても転移場所がどこになるか不明……。この世界ではどうなんだろうねぇ?』
転移ゲートらしき太古の遺物は、実はソリステア魔法王国にも存在していた。
そこは【石の公園】と呼ばれており、おそらくは当時の為政者が芸術の都を作ろうとしたとき、壊すのに惜しい古代の遺物をモニュメントとして残し周囲を公園に仕上げた。
現在はかろうじてストーンヘンジのような環状列石だと確認できるが、土砂に埋もれ小高い丘となっており、遺跡は巨石を横に積み上げた上部しか確認できていない。
発掘作業する前に政変で国が変わったため放置され、今は芝が敷かれた公園となり学生カップル達の憩いの場と化しているらしく、巨石遺跡はベンチ代わりに使われている。
おっさんは直接見ていないので現状の詳しい状態は分からずにいた。
『エロムラ君が毎日、血の涙を流す場所か……。セレスティーナさんやツヴェイト君からの報告だと、彼はそこによく出没しているらしいからなぁ~』
どうでもいいことも思い出してしまったおっさん。
それはともかく、この世界に転移ゲートが存在していたと仮定して、何とか帰還を試みるしかない。実際この世界のストーンサークルが転移ゲートであるのかまでは判断がつかないため、直接調べてみるしかなかった。
今は邪神ちゃんの復活により自然界の魔力は戻り始めており、もし転移ゲートであるならば稼働する可能性も高い。上手くいけば楽に戻れる可能性もある。
しかし、糠喜びになる可能性が高いため、今はアドに黙っていることにする。
『東大陸はソード・アンド・ソーサリスで転移ゲートが存在した街、【ファンタン】が存在していたが……おそらくは別の名称だと思うし、下手をすると原生林に埋もれてるかも……』
ソード・アンド・ソーサリスと同様に、この世界にも転移ゲートが存在していると仮定して、重要視されることもなくただの遺跡として放置されている可能性に賭けるしかない。
休眠状態であればゼロス達で稼働させることができるからだ。
だが、現実はそう都合よくできているわけもなく、ただの古代遺跡である可能性の方が高かった。
また、遺跡と知らず破壊され、城塞都市などの建材になっている可能性も捨てきれない。
そもそもこの大陸に太古の遺跡が転移ゲートである確証もないため、おっさんはひとまず希望的な推論を信じて行動するしかなかった。転移ゲートが存在しなくとも普通に船で帰ればいいだけの話だ。
そして、今もっとも重要なことは身体を休める宿である。
「もうすぐ日が暮れそうだねぇ」
「また野宿か……。そろそろ風呂に入りてぇ」
「我儘な。風呂に入れるのは貴族などの特権階級者だけなんだけど? 変な技術を持つ僕達が異常なんだと思いたまえ」
「なんで、こんなことに……」
世界が急速に変化していることを甘く見ていたツケが、こんな時に支払うことになろうとは思わなかったゼロスとアド。
しかし、事態が起きてしまった以上、最善を尽くして何とかするしかない。
こうして男二人による旅は始まったのであった。
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同時刻、サントールの街の教会ガールズたちはというと……。
「おじさん達………今日も帰ってこないね」
「そうですね……。少し心配です」
「あのおっさんなら、そう簡単に死ぬこともないだろ。アタシらが心配しても損するだけだと思うぞ?」
「ジャーネは恋愛委症候群の兆候を引き延ばせて、内心では安心しているだけでしょ。下手したら本能のままにその場でアンアン♡か、あるいは本能に浸食される意識の中で何とか理性を働かせ、ベッドへGOだもの」
……女子会を開いていた。
あまりゼロス達を心配していない女子の面々。
しかしながらこの場には彼女達だけでなく、ユイたち公爵家客人ガールズの姿もあった。
レナやシャクティは心配していないが、問題はユイである。
なにしろ彼女は現在、旦那が行方不明となっているのだから。
「恋愛症候群って、怖いんですね……。じゃなくて! アドさんも帰ってきていないんですよ。二人でどこへ行っているのかな? まさか、二人でいけないお店に……」
「それは絶対にないと思うわ。アドさんは最近情けないけど愛妻家だし。にしても、ユイさんも心配よね。放浪癖のある人を友人に持つ旦那様だと……」
「………なんとなくなんですけど、俊君はこの国――いいえ、違う。この大陸にはいない気がします。どこか東の果ての地にいるような………」
「「「「「「 えっ!? 」」」」」」
ユイはアドの居場所を言い当てていた。
だが、彼女以外の女性達は『そんなはずないわよね?』とか、『この内陸地から海を渡らずに、どうやって移動するの?』とか常識的なことに囚われ、信じないわけではないものの懐疑的な反応を示していた。
ルーセリス、ジャーネ、レナの三人はともかく、この異世界では常識の埒外な現象が起こることを、転生者達は気づいていない。
自分達の存在が常識の埒外であることを忘れて……。
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東大陸の北端側では、現在移民が増えていた。
いや、正確には違う。
島国国家群であった東方列島の一国が、200年ほど前に戦火から逃れるため一族郎党を引き連れ海を渡り、無人の地で【フオウ国】を興したのが事の始まりだ。
以降、200年歳月をかけて、戦乱が続く故郷を脱出した移民が集まり、開拓事業に協力していた。
なにしろ人手不足のフオウ国にとって人材は多いほど良い。
勿論、東大陸の内陸部でも複数の国家が乱立し、群雄割拠の時代となっていたが、過酷な砂漠と険しい山脈が聳え立つ難所が広がり他国からの侵攻を受けることなく、船により北と南の大陸との交易を率先して行うことで、フオウ国は何とか財政を潤すことに成功していた。
この国だけは戦乱とは無縁の平穏な時代が続いていると思われるが、実のところ多くの人々が気付いていないだけで、つい最近まで南からの砂漠化という自然の猛威が進んでいた。
まぁ、原因は西大陸の某宗教国が行っていた異世界人の召喚によるものだが、そんな事情を知らない一部のフオウ国の学者たちは砂漠化の脅威に気づき、国周辺の土地や環境を調べてていた矢先、新たな異変に気づいた。
「………おい、半年前までここは岩場だったよな?」
「えぇ……間違いありません。記録にも書かれております」
「草木が生えているようだぞ? それに、南の山脈に掛かっている黒い雲は……雨雲か? いや、もしかしたら雪が降っているかもしれん」
「あの山脈から先は乾燥した死の大地だというのに、これはどういうことだ」
半年前まではわずかな草しか生えない荒涼とした山岳の土地に、今は草木が青々と広がり、ときおり動物の姿も見られるようになっていた。
学者の男は西大陸から購入した舶来品の望遠鏡を覗くと、雨雲の掛かっていない先の山麓は、予想通り白く染まっていることを確認する。
「………間違いない。アレは雪雲だ」
「それは、【死の山脈】に水が戻ってきていることじゃないですか! これは朗報ですよ、もしこのまま緑地帯が広がれば生活圏も広げられます!」
「そうとも言えん。あの辺りは永いあいだ乾燥し、土地は干からびている。これから雨が降れば土砂崩れが頻繁に起きるだろうし、突然の鉄砲水にも巻き込まれかねん。しばらくは不用意に近づけない状況になったということだ」
「……となると、調査も難しくなりそうですね」
「うむ……。我が国は移民が増え開拓も進んでおるが、平野部の原生林を切り開くわけにはいかん。石材を削りだすため山岳にも集落を作らねばならないのだが、水が戻ってきているのだとしたら、しばらく様子を見なければならんな」
幸い、今は祖先の故郷である【アキノワダツシマ国】からの同胞たちとの開拓で、何とか生存圏を広げることには成功している。
しかし、世代を重ねるごとに人口は増えるもので、先の未来を考えるのであれば山岳盆地にも街を作る必要も出てくるだろう。
樹木は貴重であり、水を蓄えられる自然豊かな土地もいずれ開拓できなくなるため、開拓候補地の調査に派遣される調査団が増える昨今、不毛の土地に自然が戻ってきている兆候を見れたことは嬉しい限りではある。
だが、同時に慎重にならねばならない。
「せめて、この辺りの山々に木々が増えればよいのだが、十年どころの話ではあるまい」
「地盤が弱いと土砂崩れで流されますからね。調査はまだまだ続きますか」
「うむ……。いろいろと段階を踏んで国土を広げねばな」
フオウ国の国力は年々上がってきている。
しかし、それに伴い移民による人口増加により都市化も進んでおり、民を飢えさせないためには食糧の自給可能な土地は必須なのだが、限られた土地から開拓地を選定するには時間が掛かる。
仮に開拓事業に着手したとしても、物資の運搬や流通を円滑に行うには街道を敷き、商いをする者達を守るための防衛拠点や武力に長けた人材も必要だ。
「せめてあと三十年、移民もなく時間の猶予があればな……」
南大陸と同様に東大陸でも緑地帯は少なく、少ない肥沃な土地を求め昔から人間同士が殺し合う時代が続いていた。
水と同様に木材もこの荒れた地では貴重な資源なため、フオウ国より死の山脈を挟んだ南側では、ゲルのようなテント式の家で人々は移動を繰りす遊牧の民が暮らしていると聞く。
それらの一団で最も大きい集団が国を宣言し、水を求め流浪をしながら争い合う状況だ。
フオウ国を建国した祖先は、海流の流れから東大陸北西部の隔たれた土地に運よく漂着したためか、天然の要害に守られ争いに巻き込まれずに済んだ。
だが、死の山脈に水が戻ったとすればどうなるだろうか?
『これは、マズイ事態ではないのか? あの山脈より南は、人々が殺し合う地獄のような土地だと聞く。水が戻れば南に住む者達はあの山脈を越え、我が国に侵攻してくる可能性も出てくるぞ』
そう、山脈に雪が降ること自体は歓迎すべきことだが、それは同時に山岳地帯全域に水が潤うということだ。
水が豊富な土地が増えることで中継地となる街が築かれ、それらを経由してこちらに攻め込んでくることも充分に考えられる。大規模な戦争にはならずとも小競り合いは起こるだろう。
では、その状況が数年先まで続いたとすればどうなるか?
『こちらにも自然が戻るということは、向こうも条件は同じ……。せめて緑地が増えることで争いが治まればよいのだが、長いこと続いた習慣は簡単には捨てられまい』
南に住む者達のことは、百年ほど前に送り込まれた調査団の報告書に記載されていた。
わずかな水場を発見し、そこを中継地点に山脈を超え南の大地に抜けた調査団であったが、そこには渇いた大地だけが広がっていたという。
その夜になって、調査団は奇襲を受けてほとんどの者達が捕らえられた。
難を逃れた者達は岩場に隠れ様子を見ていたが、彼らは仲間を人質に投降を呼びかけ、応じなければ一人ずつ斬首していくという見せしめを行った。
仲間を助けるために出ていった者達も矢で射殺されてしまい、彼らには平和的な話し合いが通じず、どこまでも好戦的で盗賊や夜盗の類としか思えなかったという。
この報告は当時の調査団の最後の生き残りが、命懸けで持ち帰ってきた情報だった。
『生きるために他者から奪う……か。人の世はどこまでも変わらぬものなのだな』
今も戦乱の続く故郷の島国を思うと、奪い奪われることを繰り返す野蛮な人の業に、調査団の隊長は溜息しか出ない。
ならせめて、あと百年くらいこの平穏が続いてほしいと男は心で天に祈りを捧げた。
その祈りが届いたのかは分からないが、以降の山岳地帯は豪雪地帯となり、そこに生息する獣は獰猛な魔物へと変化し、けして人の踏み入ることのできない危険な領域になっていくことになる。
また、東大陸南部との交易が始まるのは、そこからまた二百年の時を要するのであった。
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フオウ国の王都より西、【キョウサの街】
そこは広大な広さを持つ神宮を中央に街が広がっている。
普通であれば王宮などが建てられるものだが、この街の中央には巨石で作られた環状列石――ストーンサークルが存在し、それらの巨石群を囲むように【ミホノフナヒコネ大神宮】が建てられていた。
主にこのストーンサークルは、五穀豊穣を願い神々に奉納する舞や神事を行う祭祀場として使われており、若い神官や巫女が日々この場所で伝統の舞を訓練していた。
今日もまた、雅楽器の奏でる音に舞う巫女たちの姿があったが、彼女達はいつもとは異なる異変を目の当たりにすることになった。
それは、奉納の舞の終盤に差し掛かった頃であった。
最初に気づいたのは雅楽器の大鉦鼓を担当していた権禰宜の男であった。
訓練とはいえ神事の舞なので、よほどのことがない限り腹痛やクシャミすら強靭な意志で堪える彼だったが、この日ばかりは無理であった。
「………な、なんだ……これは何事だ!?」
環状列石の中央で舞っていた彼・彼女らは、男の声で途端に集中力を失い、一斉に冷たい視線を送った。
だが、それが周囲の異変に気づくきっかけとなる。
「石柱円の舞台が………」
「光っている……?」
「これは凶事!?」
「宮司様に知らせろ!」
「駄目だ、出られん……。これは【結界】か!?」
周囲を囲む巨石には魔力が宿り、細かい幾何学模様が幾重にも現れ、その内側は薄い膜のようなもので覆われ閉じ込められた状態。
今までになかった現象に、神官や巫女たちは混乱していた。
「神代の時代の遺跡ではなかったのか!?」
「しかも、これは……」
巨大な環状列石は永い間放置されてきたこともあり、岩の柱の上に置かれた巨石にズレが生じている個所や、すでに崩れ落ちた部分も存在していた。
だが、それらの巨石がまるで意思を持っていうかのように浮き上がり、かつての姿を取り戻そうとしている。
地脈から汲み上げた魔力で自己修復しているのだ。
「これは、この祭祀場は生きている? これはなんだ、なにが起きているというのだ……」
神事を司る者達はおろか、この場にいる者達は事態を誰も理解できないでいた。
この世界から薄皮一枚離れた次元の狭間に存在する神々の領域では、外なる神から齎された【ソード・アンド・ソーサリス】という似て非なる世界のシステムを上書きされたことにより、今まで存在していなかった転移ゲートが出現したことを……。
だが、まだ完全には稼働しているわけではない。
『転移ゲートの修復・再設置が完了しました。これより稼働実験を開始します。基本システムを惑星管理システム【ユグドラシル】と接続を開始、リンク可能なゲートは他二か所と確認……。テストとための同期、ならびに魔力充填を開始――。魔力不足により、初期稼働に時間を要します。ダンジョン・コアとリンクし、龍脈より強制的に魔力供給を試行……失敗。』
まだ自然界の魔力が惑星中に満ちた状態ではないため、一時的に蓄えた魔力で出来たのは、各ゲートの存在確認と転移媒体となる遺跡の修復が最優先となった。
そのプロセスを完了した転移ゲートは、稼働のための実験を何度も試すものの、失敗から他のゲートが魔力不足か休眠状態であると知り、待機状態へと移行する。
しかし、この魔力供給の試験稼働が周囲の自然魔力を促進させることを、人々はまだ知らない。人々には転移ゲートのシステム音声すらも聞こえていないのだ。
だからこそ人々は、知らないゆえに何らかの異変が起きていると信じ込んだ。
実際に歴史を変えるほどの異変が起きていることは確かなのだが……。
彼らがその真相を知るのは、もう少し先の話である。
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おっさんと青年の二人連れは、仲良く森の中を進んでいた。
元よりソード・アンド・ソーサリスであるの記憶があるため、ある程度かけ離れた地形環境下でも迷うことなく、『海岸を進んで行けば街くらいあるだろ』的感覚で移動していた。
ダンジョンを抜けたら見知らぬ場所など今更であり、アドは多少混乱したが直ぐに落ち着きを取り戻している。それは見知った山脈が遠方に見えたからであろう。
見知った地形と同じであれば、この二人は世界中のどこでも生きて行けるだけのポテンシャルを持っているのだ。
「しっかし、街が見当たらねぇな……。ソード・アンド・ソーサリスだったら、この辺りにもいくつか城塞都市があったはずなんだがなぁ~」
「そりゃぁ、現実とゲームは違うよ。あの世界は飛空船がガンガン飛んでいたし、浮遊大陸も存在していた。地形は同じでも都市の配置は異なるもんでしょ」
「ケモノ道はあっても村すら見当たらないし……。俺、少し飽きてきた」
「茹でたカニなら残っているけど、歩きながら食うかい?」
「ポン酢が欲しいよなぁ~」
進む先には砂浜が広がっている。
なぜかヤシの木やソテツなども生えているが、それ以外にもとんでもない魔物が闊歩しているのを目撃していた。
「アレ……ブラキオサウルスじゃないのか?」
「濃い緑色と黒のゼブラトーンの体毛が生えているけど、おそらくは……」
「プテラノドンも飛んでいるようだぞ?」
「羽毛が生えてるねぇ。デカいペリカンの間違いじゃないのかい?」
東大陸には北大陸西方領域では見たことのない珍しい魔物が生息していた。
だが二人は率先して倒す気がない。
倒したところで解体に手間と時間が掛かり、大量の肉を持て余す。また使える素材があるのか不明なので狩るのは一時保留にした。
そうこうしている間に岩壁にぶち当たり、仕方なくロッククライミングで上の森へと登り、更に鬱蒼と茂る木々の間を進んで行く。
当てもなく進むのは危険なのだが救援の見込みがない以上、ある程度の方針を立てて臨機応変に対処しなくてはならない。
しかしながら、こうした山歩きに慣れていない現代人には、さすがに精神的にくるものがある。
無言で歩き続けるのも辛いので、ここでおっさんは話題を投下することにした。
「この大陸、傭兵ギルドでもあればいいんだけどねぇ」
「その前に街だろ」
「そうなんだが、この辺りはどうも人の手が入っていないよね。もしかしたら開拓されていない地域なのかもしれない」
「せめて開拓中の村でもあればいいんだがな」
「山賊の潜伏地になってたりして」
「やめてくれよなぁ、そういう希望を打ち砕くようなことを言うのは……」
「希望を持つのもいいが、最悪な事態も想定しておくもんでしょ。なんせここは、異世界なんだからねぇ」
地球での常識が通用しない世界。
安全の保障など紙切れ同然であり、人の命の値段が安い社会体制が常識だ。
凶悪な犯罪者は血眼になって探すが、それ以外の小さな犯罪は見過ごされる傾向が強く、チンピラから少し逸脱した犯罪者程度ならごろごろしている。
警戒くらいはしておかないと命が危ない。
「んお?」
「なんだよ、突然変な声を出して……」
「あれ、灯りじゃないかな? もしかして村があるのかねぇ?」
「マジで!? どこに……」
「見えないかい? ほら、ここから少し先に――」
「よし、ここからは警戒して向かうか。できればベッドで寝たいんだが、この際だからそんな贅沢は言わない」
「香しい臭いが立ち込める馬小屋で寝ることになるかもよ? よしんば受け入れてくれたとしても、実はよそ者が寝ているときの襲ってくるような閉鎖的な村かも知れないねぇ」
「だから、アンタはなんで気が滅入ることばかり言うんだよ……」
自由気ままに遊び惚けているように見えて、ゼロスはリアリストな一面がある。
現在の状況、周囲の様子から情報を読み取り、想定される可能性を口にしただけにすぎない。
一応だが、親切心で『警戒は怠らないように』と忠告の意味もあったのだが、人によってその言葉は空気の読めない余計な一言に聞こえてしまうこともある。
特にアドにはそう聞こえていた。
まぁ、ダンジョンアタック後に帰ろうとしたところ、いつの間にか別の大陸に来てしまったのだから平静ではいられまい。
状況に対して焦りが、なにより家族のこともあるなら尚更だ。むしろマイペースなおっさんの方がおかしい。
「アド君や、何もそんなに急がんでも……」
「俺は、早く帰るんだ。でないと……でないと。ユイのやつに祟られる!」
「うん、それはありえる。けど、その前に僕が先に祟られるんじゃないですかねぇ?」
「………ゼロスさん」
「なんだい?」
「頼むから呪い殺されないでくれよ? 俺一人だと、いつここから帰れるか分からん」
「あ~………そう言えば君、方向音痴だったね。忘れてたよ」
【ソード・アンド・ソーサリス】の世界を地図もなしに各地へ赴いていたゼロスは、ある程度の地形は把握している。
かの世界がこの異世界を元に作られていたのだとすれば、地形に関してだけで言えばアドよりもゼロスのほうが詳しく、また道に迷うようなこともない。
もしゼロスと離れてしまえば、アドがこの東大陸から帰れる保証がなくなることになる。
「おっ、村が見えてきたようだねぇ」
「………なんか、江戸時代の集落みたいな場所だな。」
「灯りはあるのに人に気配がない。こりゃぁ、最悪の事態を考えたほうが良いかな?」
「嫌なことを言うなよ……」
「それより……ここの住民はどこへいったのやら」
建ち並ぶ茅葺屋根の家屋と、なぜか玄関先に置かれた皿の上に蠟燭の明かりが灯され、暗くなった集落に幻想的な雰囲気を醸し出していた。
しかしながら、人が生活している痕跡はあるものの、そこに住む住民の姿がどこにも見当たらない。
だが、少し歩いたところで何やら太鼓を叩くような音が聞こえてきた。
「……もしかして、祭りの最中なんじゃないか?」
「あ~、うん。僕も今、同じことを思ったところだよ」
「行ってみるか」
「宿がありそうにもないし、寝床を借りるにも住民の許可が必要だからねぇ」
「向こうから聞こえてくるようだな」
「畑……かな。家屋が少ない割に畑は無駄に広いようだねぇ。あっ、笛の音も聞こえてきたわ」
聞こえてくる祭囃子に、おっさんはどこか懐かしい気持ちになる。
幼い頃、両親に連れられて行った近所の盆踊りを思い出しつつも、その音色に引き寄せられるように二人は歩いて行った。
だが、その祭囃子の先で二人が見たものは、なんとも異様な光景であった。




