おっさん、悪魔のメンタルの弱さを不憫に思ふ
翼がないのに飛翔し、霊体状態のくせに物理的な攻撃力は極めて高い。
突然襲い掛かってきた悪魔の攻撃をゼロス達はわりと楽に避けたのだが、その攻撃によって円形広場にはクレーターのような窪地が出来上がった。
「おっ、意外と攻撃力が高いぞ」
「悪魔でもデーモンジェネラル辺りのクラスかな? 魔王クラスも落ちぶれたもんだねぇ」
「封印されていたようだし、仕方ねぇんじゃないか? 今以上の強さを求めるのは酷というもんだろ」
「いや~、けど封印されていたんだよ? ここは一撃で七個師団を焼き払うような圧倒的な強さがないと、期待していた分ガッカリ感がハンパじゃないよ」
「期待してたのかよ!?」
普通の傭兵であれば恐怖のあまり失禁しえない強さの悪魔でも、この二人の前ではさほど脅威とはなり得なかった。
むしろ永いあいだ封印され弱体化しておきながら、これだけの強さを残しておけただけでも見事など、素直に称賛を送っていたりする。
しかし、二人のこの態度は悪魔を激昂させるに充分だった。
「吾輩を愚弄しおって……。たかが人間の分際で何たる非礼、何たる屈辱……」
「いや、別に侮辱したつもりはないぞ」
「猿顔の四本腕って、アシュラコンガってヤツがいるから別に珍しくもないし、腕の数だけでいったら熊にも似たような種がいるからなぁ~」
「吾輩をケダモノ共と同列にするでないわっ!!」
「「まぁ、確かに種として見れば別もんだわなぁ~」」
悪魔は瘴気が凝縮して核を持ち、周囲の魔力と物質を取り込んで誕生するエネルギー生命体だ。
分身を生み出すことはでき、それら全てが自身の複製であると同時に同一存在。どれか一つが存在していれば復活する完成された生命体だ。
生命体ではあるが生物ではなく、エネルギー分裂を繰り返せば当然弱体化するし、時間経過でも魔力の放出現象で弱っていく。
封印から解かれた悪魔がまさにそうだ。
「ふんぬ!」
「おっと……」
「そんな大振り、当たりませんよ」
「おのれ……ちょこまかと……」
悔しげに呻く悪魔。
繰り出される悪魔の攻撃はどれも当たれば即死確実な威力で、しかも狭い範囲だがソニックブームも発生しており、普通なら避けたところで重傷は免れない。
ゼロス達はそれらの攻撃を難なく躱し続け、そのうえ余裕綽々な態度が悪魔の神経を逆撫でしていた。
「フンガ! この……おのれ……贄の分際で生意気な。おとなしく吾輩に討たれるのだ」
「いや、アンタ……なに言ってんの? にしても、ゼロスさん。コイツ……悪魔としてのレベルはどれくらいの強さなんだ? 俺はこの世界の悪魔と戦ったことがないから、基準が分からないんだけど」
「う~ん、イーサ・ランテで僕が倒した奴に比べて弱いかな。階級で言うなら……子爵級?」
「疑問形かよ、さっぱりわからん。つまり、ザコか」
「僕達が異常なだけですよ。コイツを倒せるのは勇者クラスか、あるいはルーフェイル族くらいのもんじゃないかい? 一般人から見たら充分に脅威なのは間違いないけどねぇ」
「異常なぁ~。俺、あんま実感が湧かねぇんだよな」
悪魔を前にして全く脅威だと感じられない二人。
その現実を前にアドは、『あぁ……俺、深刻に人間やめちまってたんだな……』と、攻撃を避けながら諦めに似た表情で黄昏れ、おっさんに至っては『今更でしょ』と開き直っていた。
肉体はともかく精神は普通の人間なので、あらためて自身の非常識さ加減を見てしまうと、どうしようもないやるせなさを抱え込んでしまうようだ。
実に贅沢な悩みである。
『人間を止めちゃっても生き延びますか? それとも普通の人間として素直に殺されますか?』の二択の選択を迫られた場合、彼らはいったいどちらを選択するのか気になるところだ。
それはともかくとして、この悪魔を格下と見做したかのような態度は、当の悪魔本人をますます激昂させていたりする。
かなり気の短い性格だった
「ウググ………吾輩、これほどの屈辱を受けたのは初めてである。許せぬ、許せぬぞぉ!!」
「「 いや、なんか……ごめん。非常識で……… 」」
「謝るくらいであるなら、最初から態度を改めぬかぁ!! 最近の人間はこうなのであるか!? 吾輩たちのような存在を見下せるほど強くなっておるのかぁ!?」
「僕達を除けば、一部の人間だけじゃないかなぁ?」
「出会った相手が悪かったんだよ。俺達以外の人間じゃなければ、さっきの一撃であっさり殺せたと思うぜ? それなりに速い攻撃だったし、俺達じゃなければ見逃しちゃうね」
「だから、なぜ上から目線なのだぁ!! そのような態度をとれるのは吾輩のような高位の存在にのみ許された特権であるぞ!! 実に腹立たしい!!」
怒りの原因が自分達であることを承知しているのに、おっさん達は悪魔に対して憐れみの視線を送っていたりする。
「そう言えばおたく、永いあいだ封印されていたんですよねぇ?」
「それが、どうしたのだ……」
「………名前、無いんですかい? そこそこの強さだけど、普通の人間にとっては恐るべき存在なんでしょ? 悪魔悪魔と連呼するのも様式美に賭けると言いますか……」
「………名、か。そういえば吾輩、複数の名で呼ばれておったな。封印から解き放たれた喜びと、貴様らの無礼な態度に対する怒りから忘れておったが、名乗りを上げなかったことは失態。これは吾輩の落ち度である」
「名前、持ってたのかよ。まぁ、国で信仰されていた存在というのは聞いていたから、無いのは不自然だわな」
「よく聞くがいい。吾輩の名は、ボルグガン・ホルトル・メギュラスカ・チョンコリン・アフン・モウラメーン・フメヨンツヨーク・エグルヨニン・ヨシャナク・モットモトツゥヲーク・ドエムナノン・シバカレヨメナクース・ソレガイン………」
長ったらしい名前が延々と続いた。
序盤から『『な、なんか、いかがわしい響きが……』』と思ったが、あえて黙っていることにした二人。
途中で飽きても来ていたが、余計な一言で遮ったら面倒になると思ったから、あえて沈黙を貫き、そして十分後……。
「………という名だ。覚えたか?」
「無理、長すぎる……。もしかして昔の呼び名をそのまま繋げてんのか?」
「随分といろいろな名で呼ばれていたんですねぇ、さすがは古の時代の悪魔。上手くいけば神として崇められたかもしれないのに、欲望まかせに突き進んできたせいで、すっかりと霊落しちゃって」
「序盤はいかがわしく、中盤はまるで悪口みたいな名で呼ばれてただろ」
「アレじゃないですかねぇ……。日本語の発音として聞くと、言葉が妙な風に聞こえるみたいな? バラエティー番組であるじゃないですか、日本語に聞こえる外国語ってやつ」
「あ~、なるほど……」
おっさんとアドは悪魔に対し、ますます憐憫の目を向けていた。
太古の言語など意味は分からないが、今現在の言語を日本語変換すると、悪魔の名はあまりに長ったらしく、そして恥ずかしく、そんな名を名乗る彼が不憫でならない。
だが、それはあくまでも二人が日本人の感覚であるからこそであり、海外の人から見ればさほど気にすることでもないのかもしれない。
「とりあえず、ボルグガンさんと呼ばせてもらいましょうか」
「そうだな。最初の名前のほうがまだマシだし」
「せめて半分くらいまでで呼んでくれんか?」
「「無理! 覚えきれないし、それだと会話が進まなくなる」」
「ぬぅ………仕方があるまい」
悪魔あらためボルグガンは妥協した。
さすがに名前を言いきるのに十分もの時間を要するなど、時間と労力の無駄であると理解していたのだろう。過去の名を全て記憶しているだけでもたいしたものだ。
「しっかし、悪魔ってエネルギー体だろ。見た目にはこだわったりしないのか?」
「理論上だと姿形は変幻自在のはず。正負の違いはあれ、妖精も似た性質なのにフェアリー・ロゼなんか人間が抱く妖精のイメージそのままの姿だった。悪魔にしても見た目が如何にもな化け物って、今どきの人間には信仰の対象にすらならないよ。これも自然への畏れから生まれた影響による差異なのかねぇ」
「吾輩の姿がおかしいというのか!?」
「おかしいと言いますか、古臭い? そりゃ、太古の時代なら力強い生物の特性を持った姿は畏敬の念を抱かせたでしょうが、今の時代だと普通に魔物と同列扱いですよ」
「猿の頭部は知恵を象徴し、四本の太い腕は純粋に力。人型であるのは人間が最も崇拝しやすい形態で、鳥の足はおそらく自由と万能性への憧れが具現化したのかもな」
「このあいだ僕が倒した悪魔は、最初は完全な人間の姿でイケメンな優男でしたよ? 第二形態からは化け物でしたけどねぇ」
ダメ出しや冷静な分析に、だんだんと気落ちしてきたボルグガン。
散々無礼だの不敬だの言ってきたが、ゼロス達にここまで冷静に分析されると、なんとも背筋が寒くなるような怖気も感じた。
今までこんな人間は見たことがない。
遥か昔には敬われ恐れられていたというのに、今の時代にはまったく効果がないどころか、二人の妙な説明で逆に『そういうものなのか……』と思いかけていたりする。
まぁ、ゼロス達はこの悪魔を懐柔する気はないのだが……。
「ぬぅ……まさか、封印されていたせいで吾輩は時代遅れの産物になっておるとは……。いや、しかし今の力だけでも畏れられるほどなのであろう? ならば、吾輩の強さを見せつければ………」
「どうだろうな………」
「暴れるだけの魔物なんて、それこそたくさんいますからねぇ。力があることは絶対条件でしょうが、今は崇高な理念や深淵のごとき叡智などが求められる時代ですし、何よりも見た目が美しくないと誰も信仰しようなんて思いませんよ」
「見た目は綺麗でも中身が残念だと、離れていく者の方が多いだろうな。四神が特にそうだったろ。筋肉の筋肉による筋肉だけのための国を作るなら別だが……」
「あ~、一昔前にいましたねぇ。牛や鶏頭のマッスル神を信仰する部族が………」
「連中は人間性が腐ってたけどな……」
「貴様ら、なぜ死んだ魚のような目で空を見上げているのだ?」
遠い目をして過去を振り返るゼロスとアド。
二人の脳裏にはソード・アンド・ソーサリスで存在した、部族全てが人格的にも腐りきっていた二つの国を知っており、その国が滅び去るところを直接見ていた。
ちなみに、そうなる起因を作り出したのはおっさんである。
「あれは酷い………戦い(レイド戦)だったな」
「僕は別のイベントが発生していたので、充分助かりましたけどね。あの連中自体が悪の元凶みたいな国だったけど、僕達もクレイジーな選択をした悪党だったし」
「国二つ滅ぼしてスカッとしたのは、後にも先にもあの事件以来ないな」
「吾輩も国をいくつか滅ぼしたことがあるが、貴様らも大概であるな。しかし、国を二つ滅ぼしておきながら爽快感を感じるとは、貴様らは本当に人間なのであるか!? 吾輩の同類なのではないか?」
「「 最近、その認識が揺らいでいる。 」」
悪魔にも言われてしまった。
なんせ地球人の肉体に使徒を融合させられた、言わばハイブリット生物だ。
言い方を変えれば改造人間。
しかも馬鹿げた能力値の殆どが日常で使用することはなく無駄となり、結果的にだがその力は趣味に全力投球で向けられてしまうため、下手をすると遊び半分で世間の常識を根底から覆しかねない。
そんな馬鹿げたスペックを持つ生命体を果たして人間と言えるのか疑問だ。
「俺達はどちらかというと――」
「――悪魔の天敵、でしょうかねぇ? ボルグガンさんは、僕達と出会ってはならなかったんですよ。なにせ、立場的には使徒ですから………」
「待て、今……使徒と言わなかったか!? まさか、あの翼を持った連中の……」
「ん? それってルーフェイル族のことか?」
「違いますよ。僕らの場合は最も新しい存在なだけですって」
ボルグガンの顔は青ざめていた。
そう、なにしろ太古の昔に彼を封印した背景には、ルーフェイル族の祖先が関わっていたからだ。
ボルグガンの悪行に立ち向かった多くの人間達は、封印するまでの時間稼ぎのためだけに命を投げ出した。しかし、最後の最後に封印の手助けをしたのが使徒と呼ばれる者達だ。
そもそも、かつては強大な力を有していた悪魔が、原始的な魔法しか使えなかった人間に封じることなどできるはずがない。
まして、ダンジョンにまで追い込まれるほど弱らせるなど不可能なことだ。
逆らう人間達をプチプチと残虐に殺していたときに彼らは現れ、集団による圧倒的な飽和攻撃によって魔力を削られ、ボルグガンは逃走することを余儀なくされたのである。
しかし逃げた先には使徒と手を組んだ人間達が待ち構えており、自分が誘導されていたと気づいたときには手遅れで、あっさりと封印されてしまったのだ。
その同類が目の前にいる。
「グヌヌ………魔力に惹かれる習性を利用されなければ………」
「悪魔や妖精って、魔力が減衰すると自身を維持できなくなるから、他者から魔力を奪うか魔力濃度の高いスポットに逃げようとするんですよねぇ。ダンジョン内は特に魔力の濃度が高いから、弱体化されて無意識に向かって行っちゃったんだろうね」
「そこで待ち構えていた封印部隊によって包囲され、今まで……って、昔はともかく最近までこの世界の魔力は枯渇寸前まで消費され続けていたんだよな? なんで太古の悪魔が封印されたまま無事に生き延びてたんだ? 普通に考えてもダンジョンとともに消滅してるだろ」
「たぶん、ファーフラン大深緑地帯のどこかにあるダンジョンに封印されてたんじゃないかい? あの辺りは魔力濃度が何故か標準異常に高いから」
「ダンジョンのエリアが異空間内に作られている時点で、そういうこともあるか……。自然界の魔力が元に戻ってきて、悪魔も誕生しやすくなる……」
「ダンジョン内がゲームのように思えますよ……。ますます世界が数式で構築されている説に、信憑性が出てきたなぁ~。あんま考えたくないねぇ~」
ダンジョンという存在が、実はとんでもなくヤバイ空間なのではないかと思い始めたゼロス。
そもそも三次元世界に存在する一定空間内に広大な領域を構築するということは、空間内に虚数領域の世界を組み込むだけでなく、その虚数領域内に三次元世界と同等の環境を創造し維持することができることを意味している。
重力崩壊魔法で空間が破壊されるのは三次元世界とマイナスの虚数世界の境界が歪み、そこへ修正力が働くことで両空間の隔たりが0となるからだろう。
以前、ダンジョン内のエリアを破壊したとき、広大なエリアが消滅した後に坑道へ戻ったことからも、ダンジョン・コアには簡易的だが高位次元生命体と同質の力があることになる。
「………ダンジョン・コアって、実は僕らの想像以上に超高度高性能なコンピューターなんじゃないのかい? それもエネルギー生命体に近い性質を持った」
「コアを壊してダンジョンを消すことが正しいことなのか、疑問に思うよな。惑星上の魔力循環を制御しているんだろ? 人間の都合は抜きに世界には必要なシステムだろ」
「人間に対する配慮は最初から一切ないよ。事実、ダンジョン内のエリアは過酷な環境が多いし、生息する生物も特殊な力や能力を持った独自の進化をしている。ダンジョンが生命体の霊質を上げる修練の場だとしても、それが肉体と魂の進化を促すためだけに用意されたと考えるには、いささか疑問に思うんだよねぇ。事実、霊質的な知的生命体でもあるボルグガンさんは封印されたままの状態で放置され続けていたし、ダンジョン・コアから見て悪魔や妖精は、果たして新たな種としての基準に入っているのやら」
「考えたくはないが、この悪魔……ダンジョンに利用されているだけなんじゃないか? 生命体の進化を促すのに必要な捨て駒として………」
「どう考えても階層ボスとして用意されてたしねぇ。たぶんだけど、彼を倒しても別のボルグガンさんが用意されてんじゃないかい? 人格や記憶をダンジョン・コアに情報として集積されているのだとしたら、魔力を凝縮して悪魔化させたあとにデータをインストールすることで同一存在をいくらでも量産できるだろうから。ダンジョン・コアに封印を解く能力はないと言い切れない」
「むしろ、ダンジョン内に封印されたことで、オリジナルの魔力生命体(悪魔)を分解解析された可能性も高いよな。よくよく考えたら、悪魔や妖精って実体化したプログラムそのものと見てもおかしくはない生態だし」
長々と推測交じりの会話を続ける二人を前に、今度は別の意味で顔を青くさせるボルグガン。
なにしろダンジョンに封印されていたことで、自己を証明するものが曖昧になっていた。
確かに封印されていたことは事実だが、太古の時代の悪魔が今も存在し続けていたこと自体おかしく、何者かに生かされていたと考える方が自然だ。
もしくは複製された。
それがダンジョン・コアだったとして、それでは『なんのために生かしておく必要があったのか?』と問われると、それは『生物をより高みへと導く必要悪として』ということになる。要は生贄だ。
ここで問題は、ダンジョンは魔物を生み出す力を持っており、上記の目的から同じ個体を何度も複製し、特定のエリアに出現させること出来ることだ。
この時点でボルグガンが本物か複製なのか判別がつかなくなる。
なまじ理性を持っているだけに、『お前、偽物なんじゃね?』と言われても否定のしようがないが、過去の記憶を持っていることから認めることもできない。
本物か、偽物なのか、自己を証明することができないのだ。
「バ、馬鹿な………吾輩が、偽物だと!? そんな筈は……」
「いえ、その可能性があるというだけですよぉ~? ただ、それを証明することができないというだけの話」
「本物だと証明することもできないけどな。なんせ、ここはダンジョンの中だ。オリジナルと寸分変わらない偽物を作り出すことができる。ここの封印だって、実はダンジョンが再現した仕掛けで、オリジナルは当の昔に消えているんじゃないのか?」
「違う……そんな筈はない。吾輩には記憶が……だが、この記憶は本当に吾輩のものなのか? ダンジョンによって意図的に植え付けられたものの可能性も……いや、違う。吾輩は……吾輩はっ!!」
ボルグガンの様子がおかしかった。
頭を抱え錯乱したかのように取り乱す姿は、まるで自身のアイデンティティが崩壊したかのようで、自己を肯定できる要素がないことに恐怖感を持ったかのようだった。
これは霊質的な存在に近しい魔力生命体にとって、致命的な弱点でもあった。
知性があっても行動が短絡的な悪魔や妖精は、基本的に難しいことは考えず残虐で享楽的な性質を持つ。ボルグガンもかつては弱者を嗜虐することを楽しんでいた。
どれだけ知性的な面を持ち合わせていようと、その本質はどこまでも幼稚なのだ。
事実イーサ・ランテに出現した悪魔も理性的に見えて、ゼロスの簡単な挑発で激昂するほど短絡的だったことが挙げられる。
そこにはエネルギー生命体であるがゆえの性質が起因している。
悪魔と妖精との違いは精神性が幼いままか、長い時間とともに学習することで精神構造が複雑化するかにある。
それは同時に人間のような精神構造のように思考が複雑化し、脆弱性かを持った個体から乖離していく。悪魔は永く存在し続けた個体ほど、多くの情報を蓄える過程で思考能力も必然的に高まることから、精神的な成長により存在概念を強固なものにしていく。
だが、封印されると外部情報を得ることができないばかりか、長い時間が経過するとともにその精神性は弱体化し、存在概念は脆弱になって消滅してしまう。
ボルグガンは自己存在を否定される言葉に対し、悪口のような軽い精神攻撃にですら耐えられないほど弱体化していたようで存在概念が揺らぎ、精神崩壊を引き起こす状態に陥ったのだ。
「………苦しんでいるようだが、どういうことだ?」
「妖精や悪魔の違いって、要するにクソガキか、いけ好かない神経質なリーマン上司みたいなもんなんだよ。悪魔は自尊心が強く、暴力で周囲に存在を強調するくせにメンタルはムチャクチャ打たれ弱いから、存在を否定されるとアイデンティティが崩壊するのかもねぇ。剥き出しの魂が実体化しているようなもんだから、言葉だけでも大ダメージを与えることができるんだ。しかも封印されて弱体化しているところに自分の存在を否定され、錯乱状態に陥ったんじゃないかな?」
「そううなのか?」
「エクソシストなんかがよく悪魔祓いをしているだろ? ただ、普通は悪魔に対して憑依を解くことなんてできないし、簡単なことではない。特にファンタジーの悪魔相手に戦いを挑むなんて無謀だし、延々と聖書の一節を読み続けるなんて自殺行為だ。」
「憑依した悪魔に悪魔祓いが成功するのは、なんでなんだ?」
「憑依ということはね、悪魔は誘惑をしかけた人間の悪感情を増幅し、他者の魂を取り込むことで肉体の支配権を奪うことなんだよねぇ。要は被害者の魂を捕食するんだ。だけど生物には意思があり、精神力が強いと逆に悪魔側が取り込まれてしまうこともある危険な行為なんだよ。だから憑依された被害者を聖句で励まし、悪魔にもメンタルダメージで崩壊するような人間賛歌や人道主義万歳的な言葉を延々と聞かせる。要は嫌がらせだね」
「はぁあっ!?」
悪魔祓い=悪魔に対する悪質な嫌がらせ。
勿論のことだが、この程度のことでへこたれず、悪魔祓いの最中に攻撃を仕掛けてくる悪魔も存在する。
だが、憑依状態とは悪魔と被害者との精神の鬩ぎ合いであり、元より魔力が意思を持った生命体である悪魔には、肉体を持たないだけに精神戦においては若干不利であった。
なにしろ人間は脳を持ち、記憶や意思は魂と脳の両方に存在している。
魔力だけであれば悪魔側が有利だが、憑依状態では被害者の魂に宿る意志の強さが脳内の機能を活性化させ、同時に体内を循環する魔力が活発に動き回るので悪魔は憑依を維持できず、精神側と肉体側の両方から攻撃を受けることになる。
これが成功すると、悪魔は被害者の身体から弾き出されるのだ。
エクソシストはこの作用を効率的に行うための技術を持つ者達の総称である。
生物である人間は肉体をどのように動かすのか本能的に知っており、信仰心や日々を健全に生きる者達は、エクソシストの口から出る聖句と聖水による浄化で精神的な優位性を無意識で作り、ときには神聖魔法などの外部から干渉し被害者から悪魔を引き剝がすのだ。
では、長き封印から蘇った悪魔に対し、こうした嫌がらせを実行したらどうなるだろうか?
「要するにだ、歳くった古い悪魔ほどインテリになるけど、余計な知識を持つために理屈的になるから、屁理屈を並べただけでも精神が激しく消耗されるんじゃないかな? この手の魔物は単純思考のほうが強いからねぇ。まぁ、それでもあの魔力量は人間にとって脅威なんだけど」
「まぁ、普通に力押しだけじゃ悪魔に勝てんわな。つか、なんでエクソシストのことに詳しいんだ?」
「少し前に、テッド君に教えてもらったんだよねぇ。ドヤ顔で蘊蓄語ってたけど……」
「あ~、それはムカつくな」
殲滅者メンバーであるテッド・デッドのドヤ顔を思い出し、アドが少々不機嫌になった。
それはともかく、精神崩壊しかけているボルグガンも、この程度で終わるはずはない。
精神崩壊を引き起こすということは、内に秘めた魔力が制御を失い無差別に放出する暴走状態に陥るわけで、このまま放置しておけば自己崩壊しながら暴れ回ることになる。
地球のエクソシストが祓える程度の悪魔であるならともかく、ここは魔力に満ちたファンタジー世界であり、悪魔の強さに決定的な差がある。
暴走する魔力量も尋常ではない。
「アガガガガガガッ………」
「偽物かも知れないという憶測が、奴にとってそんなにショックだったのか?」
「そりゃぁ~、赤の他人に自分を存ごとを否定されるのはショックでしょ。しかもここはダンジョンだし、なにが起こるのか分かったもんじゃない。君は、ユイさんに浮気性だと一方的に断言され責め続けられる現実に、耐えることができるのかい?」
「その前に刺されると思うが……」
「アギョアアアアアアアァァァァァァァッ!!」
そして、理性を失ったことで暴走したボルグガンの魔力だが、不定形のおぞましい化け物へと姿を変えていった。
一言で言えば剛毛に包まれた肉塊――いや毛玉。
だが、その塊からは無数の猿人の腕が生え、体中には巨大な口が三つほど開き、まるで花が咲いては散るかのように、無数の目玉が次々と浮かび上がってははじけ飛んでいた。
「あれだけのことで本当に理性が消し飛んだようだぞ?」
「よほど人間を舐めくさってたんだろうね。たぶん目の前で悪口を言われたこともなく、その強さゆえに口喧嘩や論争などの経験もなかっただろうし、反抗的な人間がいたとしてもいたとしても力尽くに排除してきたから、心理戦にめっぽう弱かったんだと思う。理性的に見えてすぐにキレる若い悪魔のほうが厄介だよ」
「どうする? あのデカい毛玉……。霊体化してるから物理攻撃が通用しないぞ」
「魔法で吹っ飛ばす。それよりもさぁ~このダンジョン、なぜか二段階変身するヤツが多いよねぇ?」
「結局は力尽くかよ……」
嘆息を吐くアド。
とは言え、暴走し始めた悪魔を放置しておくわけにもいかない。
なにしろ理性を失った悪魔など動き回る爆弾と変わらず、このままでは自己崩壊の爆発にゼロス達も巻き込まれかねない。
逃げてもいいが、そのせいで空間を歪めるような大破壊を引き起こされでもすれば、下手するとゼロス達は異空間の狭間に吹き飛ばされる可能性もある。
採るべき手段はひとつに限られていた。
「「【フォース・レイ】」」
純粋魔力である光の砲撃、フォース・レイ。
その魔法を連続してボルグガンであったものに向けて叩き込み、暴走の過程で膨れ上がる魔力を軒並み削り取っていった。
淡々と作業でもするかのように、二人は何の感情も湧かず容赦なしに魔法を使い続けた。
そして――。
「ア…………アァ……」
「逝ったか………」
「楽勝なのは分かっていたけど、なんだか可哀そうなことをしたかな?」
「別にいいだろ。それよりもだ、このダンジョンは収穫がないし、そろそろ帰ろうぜ」
「薬草の類は大収穫だったでしょ。まぁ、帰ると決めたのはアド君だし、僕からは何も言わないよ」
――ボルグガンをもの凄くあっさり倒し、次のエリアに向かう地下への階段が現れていたが、ダンジョン探査をここでお開きにして帰ることに決めた。
それが、まさかの不運に巻き込まれることになろうとは、この時の二人は気づくこともなかった。
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ゼロスとアドが撤収に入った頃、データリンクによって繋がったダンジョン・コア達は、現在の迷宮構築に関して談義を行っていた。
『――侵入者が撤退を始めたようだ』
『現段階でエリア交換による拡張は、どうにもバランスが悪くなるようだな。いちど再構築の段階から見直す必要があるのではないか?』
『鉱脈がないというのは致命的である。これでは観察対象が挑んでこなくなるではないか。アカシックレコードから得たデータによると、かの地には鉱山が少ない。貿易で鉱石の輸入はしているようだが、生活圏内に出回るほどではないらしい』
『では、私のダンジョンから、鉱脈のあるエリアの入れ替えるというのはどうですか? 生物実験エリアを繋げただけでは、さすがに知的生命体に不評のようですし』
『君のところのエリアは、まだ魔力の循環率が低い。ここはα737A5D008ダンジョンのエリアと入れ替えたほうがいいだろう。地脈の魔力もだいぶ溜まっているようだし、今から実行に移すことにする』
『今から、だと? しかも俺の管理迷宮の階層エリアじゃねぇか。仕方がないとはいえ、今からだと侵入者が確実に巻き込まれるぞ』
『問題ない。かの者達の実力は把握しているし、多少の困難など簡単に乗り切ることだろう。転移したくらいでどうにかなる存在ではあるまい』
ダンジョン・コアの言動は妙に人間臭くなっていた。
活動開始からの情報収集と学習により、その知性は飛躍的に上がっており、もはや世界樹の管理下にある使徒と言い換えてもいいだろう。
そんな彼らはリンクした状況で、現在の世界状況から適切なダンジョン構築を模索している最中であった。
『ところで、ファーフラン大深緑地帯に点在しているダンジョンのエリアは、入れ替えなくてよいのか? 私のところはまだ魔力が足りないので、高濃度の魔力に満ちた空間を送ってくれると助かるのだが』
『ウチの迷宮のエリアは………なぁ?』
『えぇ………今の世界の知的生命体には、とても対処できない異常種ばかりで何とかしたいとは思っているわ』
『報告データによると、内部に生息している生物たちも、もはや最強種と言い換えても過言ではない。現段階で他種族に嗾けるのは、さすがに無茶であるな。間引くことを推奨する』
『せめて最下層にしろ。我が迷宮の範囲に滞留している魔力を、エリア交換という形で他のダンジョン・コアに回せば、世界中の地脈の活性化が早まることだろう。何度か入れ替えをすることで、惑星上の環境も回復が加速するだろうさ』
『アンタの所だけじゃないでしょ。近所には私の監理するダンジョンもあるのよ? 魔晶石化して鉱脈になっている魔力を吸収して他に回せば、この惑星の魔力循環も早まると思うわ。アタシ達が担当する大陸にこれだけ魔力が集中している状態は異常だもの、他のダンジョンの活性化を進めるのに使ってもいいわよね。濃度が濃すぎて生息している生物の生命力がおかしなことになっているんだから』
『それでかまわぬが、地上にも大きな影響が出ると思うぞ?』
『元より承知の上です。今の私達ではとても管理しきれないほど生息生物が強くなってしまいまして、滞留する魔力を減少させて弱体化を図らないと、ダンジョン内の生物もとてもではありませんが地上には放出できません』
『了解した。では、お前達の監理する迷宮のエリアを、全ての他のダンジョンに総入れ替えするということで決定する』
『くれぐれも魔力枯渇した地域に限定しておいてくれ。それも最下層にしておけよ?』
『できれば滞留魔力を吸い尽くしてくれて構わん。その過程で生息生物が死んだとしても、我らは還元できるのでな』
その後は、ファーフラン大深緑地帯に点在するダンジョン内部のエリアと自然界魔力をいかに分配するか、コア同士で様々な意見が交換され即座に計画は実行に移されていった。
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「うりゃ!」
「またゴーレムか……。まぁ、鉄鉱石がドロップするからいいが……来たときにこんな魔物いたか? どこかで道を間違えたとか……」
「なんか、嫌な予感がするねェ」
撤収を開始して三日後、ゼロスとアドは違和感を覚えていた。
アーハン廃坑ダンジョンのエリア内を移動してきたというのに、出現する魔物はオーソドックスなものばかりで、しかも凄く弱い。
ダークファンタジー系の魔物や病魔に汚染されたかのようなフィールドは、いったいどこへ消えたのか。
まるで、内部構造が突然変化したかのように、地上に向けて進んでいたエリアの光景が別のものに大きく様変わりしていた。
「この洞窟、上に続いているようだねぇ」
「出口か、長かったな………」
洞窟は自然にできたもののようで、鉱山のように人の手で掘り進めた跡が一つもない。
そして、先を進みダンジョンから出たことで、嫌な予感が的中していたことに気づく。
アーハン廃坑ダンジョンの眼下にあった村の姿はどこにもなく、目の前に広がるのは鬱蒼と茂った森と、木々の間から僅かに見える海であった。
「「 ……………ここ、どこだ? 」」
まるで神隠しにあった被害者か、あるいは時の流れから取り残された浦島太郎のように、二人は茫然とそう呟いたのであった。




