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ツヴェイトとクロイサスの日常


 イストール魔法学院サンジェルマン派の研究室。

 ここでは主に学生達が生活に役立つ魔道具や魔法薬の研究を進めている。

 彼らのレベルは既に学生の範疇を超えており、最近では物置でお蔵入りとなっていた錬成台を持ち出し、金属加工に挑戦し始める者達がいた。

 その中心にいる人物がクロイサス・ヴァン・ソリスティア。

 ソリステア公爵家の次男坊であり、究極の研究馬鹿な青年である。

 その彼が現在手掛けているのが、なぜか蒸気機関であった。


 ソリステア商会で魔導自動車の販売が大々的に公表されたが、そもそも魔力式モーターの製造コストは高く、量産するにしても専門の職人や技術者の手が足りない。

 技術者の数がある程度揃うまで数年はかかるであろう。

 だからこそ、クロイサスは知的好奇心と簡単な動力として蒸気機関の有用性に着目し、派閥の仲間を巻き込んで研究に着手した。

 これはもはや錬金術や魔道具の範疇でなく機械工学の分野なのだが、可燃において燃焼を行なう術式と、水蒸気を発生させるため水を生成術式は錬金術と魔導士の分野であることから、クロイサスは『魔力と術式で動く機械なのだから、これは魔道具です』と言い張っていたりする。

 実際のところ線引きが微妙な所であった。



「ふむ…………やはり蒸気圧がどれほど高くなるのか、外部から確認できないことが問題ですね。使用している金属も耐久値の限界で爆発する危険性が高いですし、やはり蒸気圧メーターの完成を急がせるしかありませんか。いや、ここは金属素材から見直すべきでしょうか……」

「そう思う前にさっさとボイラーの火を落とせよ! 水や氷系統の魔法で冷やしているが、そろそろ限界だぞ!」

「待ちなさい、マカロフ。こういうときほど焦らず慎重な対応が求められるのです。急速に冷却しても逆に危険ですからね」



 加熱しすぎて赤熱化しているボイラーと、噴出して手がつけられない蒸気。

 加圧限界を迎え爆発寸前のところを学生達は必至に冷却して事故を防いでいるのだが、それでもギリギリの状況だ。その原因はクロイサスが作り出した燃焼術式に問題があった。

 

 蒸気機関とはボイラーで燃焼しタンクの水を沸騰させ、その蒸気圧をシリンダー内のピストンに流しクランクを稼働させることによって動力へと変換するのだが、ボイラー内の熱が上がるばかりで温度が下がらず、水タンクは沸騰による熱膨張しているというありさま。

 もし爆破でもすれば蒸気機関の破片が周辺に飛散し、学生達は命の危険に晒される状況だ。いつもの爆発騒ぎとは訳が違う。

 

 これはコスト的なもので魔石をたくさん用意できないことから、クロイサスが独自に自然界の魔力を流用することに転換し、こっそり術式を作り変えていたことが原因である。

 しかも相談も許可を取らず勝手に組み込んでいたため、他の学生達は気づくことができなかった。




「やはり、自然魔力を流用したのが間違いだったのでしょうか? 魔石や生体魔力に比べ理論上は無尽蔵だから、かなりコストパフォーマンスに優れていると思ったのですが……」

「動き出したら止まらない状況がマズいんだろぉ!! なんで魔石型の術式基盤を変更しやがったんだぁ!?」

「勿論、データ収集のためですよ。それほど大きな術式ではありませんし、魔石を利用した術式に比べ低コストで作れましたからね」

「制御が全くできない欠陥を忘れてんじゃねぇ!!」

「ここまで温度が上昇するとは思っていなかったんですよ。こればかりは動かしてみないと分かりませんから、欠陥が浮き彫りになってよかったではないですか」



 クロイサスも術式基盤から発生させる熱が暴走するとは思っていなかった。

 術式基盤にも耐久温度やボイラー内の熱量限界値も計算していた。

 しかし、ただ一つだけ試作していた蒸気機関の耐熱温度を見誤ってしまった。


 そもそも燃焼術式は、凹凸を利用したプレートを溝に嵌め込み、魔力遮断鋼材のプレートをスライドさせる形で術式基盤を覆い隠すことにより、発動する術式のON/OFFを切り替える仕様であつた。

 だが、耐久温度が限界を超えた時点でプレートと安全装置のレバーが癒着ししまい、稼働停止させることができなくなってしまった。

 この時点で他に緊急時に対しての安全装置が一つもなく、学生達も機械工学には疎いことと事前に予測できるような機械技師も存在していない時点で、試作蒸気機関が暴走することは必然だった。


 

「仕方がありません。多少強引な手段ですが、外部から直接術式プレートに攻撃魔法を直撃させ、強制的に停止させるほかありませんね」

「それ、爆発したりしないか?」


「攻撃を加えるのは私がやりましょう。皆さんは蒸気機関の温度をできるだけ下げてください。タンクの水が凍り着くほど冷却できれば楽なんですがね」

「マジか……。お前ら、死ぬ気で氷結魔法を唱えろ! 誰でもいいからタイミングを合わせて水魔法も使え! ボイラーを強制的に冷やすんだ! あとはクロイサスが何とかする」

「「「「 おう! 」」」」



 マカロフの指示に従い、学生達は『『『『 凍れる息吹、凍てつく風。全てを白く染め上げる白銀なる者よ、須らく凍てつかせよ。ブリザード!! 』』』』と呪文を唱えた。

 同時に放たれた氷魔法によって蒸気機関は凍り付く。



「【ストーン・ブリッド】」



 続けてクロイサスが、熱によって比較的に脆くなっている場所を狙い、無詠唱魔法による石の弾丸を術式プレートのある場所に向け撃ち込むと、ボイラー内部で何かが砕けた音が響いてきた。

 見た目では蒸気機関内部の様子は分からない。

 だが、石の弾丸が貫いた箇所と廃熱煙突から炎が吹き上がるも急速に収まり、試作蒸気機関は静かに機能を停止させていった。



「成功……したようですね。ふぅ………」

「クロイサス……お前、よくピンポイントで術式プレートを狙えたな……」

「私が設計図を描きましたから、構造は頭の中に記憶していますよ。それに熱で金属が柔らかくなっていましたから、うまく停止させることができました」

「なんにしても爆発しなくて助かった………」

「「「「 うおぉおおおおおっ、爆発しなかったぞぉ!! 」」」」



 学生達は歓喜の叫びをあげた。

 彼らが喜んだのは大事故にならなかった安堵の声ではない。

 いつものような爆発オチでなかったことに歓喜したのだ。

 それは極めて珍しいことであった。

 熱によって鋼材そのものが柔らかくなっていたことと、生徒達の必死な冷却作業が功を奏した奇跡と言い換えてもいいだろう。



「お、俺……。今度こそ大怪我するくらいは覚悟していた………」

「俺もさ。生きているって素晴らしいな……」

「死を覚悟したよ。ついでの心の中で家族にも謝た……」

「遺書を書いておかなかったことを後悔したよ」

「皆さんは大袈裟ですね。そうそうに爆発なんてさせませんよ」

「「「「 お前が言うなぁ!! 」」」」



 いつも爆発の原因を作っているクロイサスにだけは言われたくなかった。

 そんな学生達の心境をクロイサスが察することはなく、ただ怪訝な表情を浮かべるばかりであった。彼の人間性はどこかおかしい。



「やはり自然魔力を利用する術式は早かったようです。もっと煮詰めないことには実用化も難しいですね。ハァ~……」

「勝手に術式プレートを変更したお前が言うじゃねぇよ」

「そうは言いますが、自然魔力を利用した方が魔石なんかよりも遥かに効率がいいんですよ。研究者としてはどうしてもデータが欲しかったんですがね」

「その代わり、僕たちの命が危険に晒されたんだが!?」


「そこは申し訳ないと思っていますが、だからと言ってデータ収集を怠る理由にはなりません。やはり必要とする魔力量を数値化して………」

「だから、勝手な真似をするなって言ってんだ! お前はなんで研究が絡むと自分勝手な行動するんだよ! せめて一声かけろよなぁ、命がいくつあっても足らんわ!」

「何を大袈裟なことを……。誰も死んでいないのですから良かったではないですか」

「それはただの結果論でしょぉ!!」

「結果さえ良ければいいじゃないですか」

「「「「あぁ~~っ、もう! こいつは………」」」」



 仲間達からの非難の声もどこ吹く風。

 研究が絡んでいる時点でクロイサスに倫理観を求めるのは間違っていた。

 それでもまともな人間なら文句を言わずにはいられない。



「……これを何とか実用可能にして、小型化できれば良いんですけどね」

「なんでそこまで拘ってんだ? クロイサスにしては珍しいじゃないか」

「失礼ですね。私もこう見えて公爵家に身を置いている立場ですから、最近の周辺国の情勢には思うところがあるんですよ」

「………国境付近が荒れると?」

「確実に荒れるでしょうね。なにせ大国が一つ消えましたから」



 今後、旧メーティス聖法神国であった広大な土地は、多くの権力者が派遣を奪い合う戦乱の場へと変わる。既にその兆候は表れていた。

 押し寄せるであろう難民問題もあるが、その難民を追って国を興した権力者が彼らを連れ戻そうと動く可能性も高く、祖国を守るためには迅速な兵の運用が求められる。



「国を興しても民がいなければ意味がありませんから、向こうから仕掛けてくることもあるでしょう」

「だから難民を強引に連れ戻そうとすると? 考えすぎだと思うけどな」

「逃げ出した民ほど使いやすい人材はないでしょう。特に奴隷として、ですがね……」

「おいおい、随分と穏やかじゃない話だな。しかし、仮のそんな事態が起きたとして、この国は難民全員を受け入れる気か? 今のソリステア魔法王国にそんな余裕は……」


「そう、とても多くの難民なんて抱え込む余裕なんてありませんよ。問題なのは、奴隷にするために国境を軍隊で超えてくることにあります。もしかしたら周辺の村や町が襲撃を受ける可能性も高いですし、難民が野盗に変わるなんて話も珍しい話ではありません」

「だから軍備の充実化を図るのか? 向こうもこの間の地震でそれどころじゃないだろ。時間的な猶予はあるはずだ」



 大国が滅び、更に立て続けに地震によって級メーティス聖法神国領土では多大な被害が出ている。ソリステア魔法王国のように技術者や職人が少ない地域なので、復興までには数十年の時間が必要だろう。

 しかし、野心的な権力者が民のことを思いやるとは到底思えず、混乱に乗じで領土拡大を狙う可能性が高い。ソリステア魔法王国としても軍備を整えるのには最低でも二年の時間は必要だ。

 

 被災地の復興という点では旧メーティス聖法神国と変わらず、軍備拡張をおこなう時間的猶予は、実のところ少ないとクロイサスは推測を立てていた。

 だからこそ学生の手で蒸気機関の完成を急がせる必要があった。

 彼ら学生魔導士の優秀さが国の上層部に伝われば、優遇されることはもちろん研究資金も出してもらえる可能性も高くなり、少なくとも研究職の学生魔導士は戦場に出ずに済むかもしれない。



「学生の身とは言え、有事には戦場に出なくてはなりませんからね………。ただ、少し急ぎ過ぎたのかもしれません。私らしくもない……」

「クロイサス……お前……………」



 マカロフはまじまじと友人の顔を見た。

 ただの研究馬鹿だと思っていたが、実は世情にも関心を持てる人間だと初めて知り、しかも国や民の未来を愁う人物であったとは思ってもみなかった。

 溜息を吐きながら淡々と実験レポートをまとめ始める彼に対し、マカロフは『こいつ、誰だ? 本当にクロイサスなのか?』と疑問も浮かんだが、にやけながらレポートをまとめ上げている間にも燃焼術式の改良も同時進行で行う彼に、『やっぱクロイサスだ』と安心する。



「すまん……クロイサス。俺は……お前のことを見失ってた」

「そこは見縊っていたでは?」

「いや、だってよ。お前が国や俺達のために強引に研究を推し進めるとは思ってなかったし、そこまで世間に興味を持つ頭があるとも考えたこともなかった。どこまでも研究にしか興味のない、非人道的なロクデナシだと本気で思っていたんだぞ? それなのに……俺は………」

「研究にしか興味ないのは当たっていると思いますが?」


「俺は……お前のことが信じられなかった。友人として最低だ……。身の回りの整頓もできず、どこからかガラクタを集めては部屋を圧迫し、ときに研究資料の旧時代の魔道具を盗み出し、あまつさえ自分の都合で強引に実験を始めては頻繁に爆発を起こし、他人に迷惑をかけることしかできないクズだと本気で思っていた俺を許してくれ………」

「それはそれでショックなんですがね………」


「しかも運動音痴のくせに女子にはなぜかモテ、周囲から好意の視線を一身に受けているにも拘らず研究に没頭するようなクソ野郎のくせして、周りからの評価が高い不条理な存在だと常々思っていた……。本当にすまない」

「最後のほうは意味が分かりませんよ」


 今初めて明かされる友人の心の内。

 それは人であれば少なからず抱く嫉妬の心であったが、やはりというべきか、クロイサスにはこの辺りの負の感情を理解できなかった。

ある意味では凄く幸せな人間なのかもしれない。



「この蒸気機関が完成すれば、技術の面で我が国の大きな飛躍になります。いきなり魔力式モーターの研究をするより、確実に国の基盤を整えるのに貢献してくれるはず。大型の蒸気機関であれば多くの人間や物資も輸送できるようになるでしょうから、マカロフ達には多少の危険を冒してでも実験に付き合ってほしいんですよ。今回のことで自然魔力の利用研究は危険なことが判明しましたし、この研究は後回して魔石を使う方向で実証実験を続けることにしましょう」


「事故に巻き込まれそうになった俺達が言うのもなんだが、それでいいのか? お前にとって自然魔力の利用方法の究明は重要な研究なんだろ?」

「今回の事故で気づきましたよ。これを扱うには精巧な制御術式も必要になります。残念ですが、今の我々には手の届かない領域ですね」



 いつになく真剣な表情を浮かべるクロイサス。

 そんな彼に対して周囲の学生は少なからず感動を覚えた。

 サンジェルマン派の学生達全員がクロイサスは研究馬鹿だという認識であったし、研究のためなら他人の命すら軽んずる鬼畜だと思っていたが、まさか国のために貢献するような高い思想の持主であったとは想像がつかなかったのだ。

 これも普段の行動のせいで認識を誤っていたと、学生達は猛反省し考えを改める。



「クロイサスが数年先の未来のために行動していたとはな。あのクロイサスが……」

「俺、間違っていたよ。どこまでも研究しか頭にない、イカレた馬鹿野郎としか………」

「僕もさ。魔力式モーターは確かに素晴らしいが、量産体制が遅れているのも事実だし、代替え動力を準備しておくのも悪くない手だと思う」

「魔導式自動車も、もしかしたら構造を簡略化できるかもしれないな」

「やるぞ、皆ぁ! 国のため、近い未来の混乱をできるだけ軽減するため、他国が遅れている今のうちに少しでも技術の幅を開拓するんだ!!」

「「「「 おぉっ!! 」」」」



 学生達は優秀だった。

 優秀過ぎるがゆえに一致団結し、この日以降蒸気機関の研究に勤しむようになるのだが、それでも彼らは勘違いをしている。そして忘れていた。

 クロイサスは自分の研究のために、こっそり燃焼術式をすり替えていた事実を――。

 結局のところ研究にしか興味なく、どこまでも自己中心的な人間だということに、彼らはついぞ気づくことはなかった。


 余談だが、クロイサス達は金属に関しての専門的な知識を求め、ドワーフの鍛冶師をアドバイザーに迎え入れたことにより、三か月後には蒸気機関の試作品が完成し、その技術をソリステア派の工房へと委ねられることになる。

 その結果、国家事業として蒸気機関車の製作が決定し、多くのドワーフの職人達が嬉々として暴走を始めたことにより、鉄道は急ピッチで敷かれていくことになる。

 その裏では、多くの魔導士達が地獄を見ることになるのだが、それはまた別の話であった。



 ~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~



「ハイテンション! ミーハー気分でフォーリンラブ、君にくびったけ。完璧、究極、推し推しのアイドルぅ!!」



 いきなり叫んだエロムラをツヴェイトとディーオは一瞥すると、何事もなかったかのように紅茶の入ったカップを手に取った。

 豊かな香りと、口に含んだときの微かな甘みが気分を落ち着かせてくれる。



「なんとか言えよぉ、モテない同志達ぃ!!」

『『 なんか、仲間扱いされているぅ!? 』』



 凄い不本意であった。



「ウチの連中も実力が着いてきたな。そろそろ実戦訓練をするべきだと思っているんだが、ディーオの見解としてはどうだ?」

「……そうだね。ここ最近、他国の情勢が不安定だし、みんなの実力の向上を狙うのなら良い案かも知れない」

「俺としては騎士団との合同訓練に参加させたいと思っているんだが、今の状況だとそれも難しいんだよなぁ~。どこも復興作業で大忙しだ」

「そうだね。そうなると国境警備隊あたりが妥当じゃないかな? さすがに国境付近の兵を復興作業に回さないんじゃない?」

「無視っ!? 俺のことは無視なのぉ!?」



 ウィースラー派の戦術研究部であるツヴェイト達だが、学生という身分なだけに訓練の内容はどうしても実戦向きではなく、安全重視のものが多かった。

 勿論、訓練時は真剣に取り組むが、安全の面で保証されているだけに現実的ではない。

 求めるのは本気の実戦である。


 

「やはり魔物や盗賊の討伐任務を経験したいよね」

「戦場で『人は殺せません』じゃすまされないからな。そんな甘えた考えでは味方を殺すことになる」

「好き好んで人を殺したいわけじゃないけどね」

「殺人が好きな奴なんていないだろ。だが、騎士団に配属されれば死刑囚で嫌でも経験させられるからな……」

「……そうだね」

「放置しないでくれ、寂しいんだけどぉ!?」



 騎士団に配属されれば、新人はまず死刑囚を相手に殺しを経験させられる。これは強制だ。

 戦場で敵を殺す度胸をつけるためのものであり、訓練の一環として取り入れられている通過儀礼であり、騎士達は必ず経験している。

 しかしながら初めて人を殺す経験をした者達は、人を殺したという事実を受け止めきれず精神に不調をきたし、しばらく悪夢で魘されると有名な話であった。



「重犯罪者を相手に集団で斬りかかるなんて、俺にはとても訓練になるとは思えねぇんだけどな……。死体も酷い状態になるって話だぞ?」

「そのうえ片付けもさせられるんでしょ? そりゃ夢にも見るってもんだよ」

「国内で戦場になった場合、敵や味方の遺体を検分や選別して埋葬する作業も行うからな。民だけでなく共に騎士もやらされるんだ。武器や魔法の威力によっては酷いものを見ることになる。必要なこととはいえ、とても慣れそうにはない……」

「ツヴェイトも嫌なんだね」

「そりゃ、誰だって嫌だろ。魔物の解体でもキツイっていうのによ」

「お願いだから相手をして……。俺、寂しいと死んじゃう生き物だから………」


 鬱陶しいエロムラを無視し、二人は話を続ける。



「実戦訓練もいいけど、臨時講師はどうするのさ。僕達が抜けたらサンジェルマン派の連中にしわ寄せが行くけど? 後できっと恨まれると思うよ」

「俺達のほうは言ってしまえば運動専門だし、歴史上の戦略講義なんて受けたいやつがいると思うか? 騎士や衛兵のような仕事に就きたい奴らしか興味ないだろ」

「………抜けても大丈夫そうだね。講義を受けている学生達も僕らの派閥に入ってきてるし、似たようなことを研究している他の派閥も訓練には着いてくると思う」


「そうなると、あとは学院の運営側に掛け合う必要があるか。学院長は話を聞いてくれるか、ここが問題だな」

「今は難しいかもね。平穏に見えてまだゴタゴタしているし」

「だよなぁ~。講師連中も頼りにならんし、実戦訓練はしばらくお預けになる可能性が高いか……。皆に実戦経験を積ませたいんだがなぁ~」

「あっ、そこのウェイトレスさん。午後はおっ暇ぁ~? 俺ちゃんと食事でもどう? えっ? 下心はないよ。純粋に君とお話ししたいだけさ。グへへ」



 ツヴェイトとディーオは一瞬だが冷たい視線でエロムラを一瞥したが、何も語らず溜息を吐く。エロムラの奇行はいつものことだ。

 同列とも思われたくないので、あえて口を出すこともない。



「笑い方がゲスいって? こんな爽やかな俺ちゃんを見て、なに言っちゃってんの? 大丈夫だって、変なことはしないよ。俺ちゃん、女の子に酷い事をするような人間に見える? 見えるって………傷つくなぁ~。何もしないから。ホント、ホント……ちょっと宿の一室を借りて、君に俺ちゃんのジョイスティックを………あっ、逃げなくてもいいじゃん!」


『そりゃ逃げるよ………』

『そろそろ通報したほうがいいか? こいつ、護衛の仕事を何だと思ってんだ。給料をもらっているんだから真面目に働けや!』



 最近のエロムラはナンパの方法が露骨に性欲丸出しになっていた。

 意図的にやっているのだとしたらセクハラで、無自覚であれば通報レベルの犯罪者予備軍であり、何も考えていないのだとしたら大馬鹿だ。

 そのナンパに失敗したエロムラは、爽やかな笑みでこちらに戻って来た。



「エロムラ……お前、さっきのはなんなんだよ。通報されてもおかしくないぞ」

「なんでそんなに爽やかなのさ。普通に振られたんだよね?」

「ん~………元々交際目的でナンパしていたわけじゃないし、軽い感じでHさせてくれるなら誰でもいいかなぁ~ってな。中にはお金目的でさせてくれる子もいるだろうし」

「「 コイツ……最低だ………… 」」



 どうやら身体だけの関係を求めていたようだ。

 イストール魔法学院近辺は学術都市なので学塔周辺に風俗店など存在せず、性欲の溜まった一般人は街外れの風俗街へと向かう。だが貴族の護衛であるエロムラは簡単にその手の店を利用することはできない。

 これは犯罪奴隷からの解放を条件に、エロムラとソリステア公爵家との間で取り交わされた規約で決められており、どうしてもその手の店に行きたい場合は上司でもあるミスカに許可を取らねばならなかった。


 しかしだ、ミスカはクールでSっ気のあるい、ささか性確が問題の上司であり、何よりも彼女はまごうことなき女性だ。

 いくらエロムラがアホでも、女性に向かって『風俗店に行きたいから許可をください』なんて言えやしない。

 口に出すのも恥ずかしいが、そんなことを言えば後からネタにされることは分かっているので、エロムラも許可の申請を求めることができずにいた。



「そんなに店に行きたいなら、ミスカに許可をとればいいだろ。いくらアイツでも、性欲の溜まった野獣、セレスティーナの近くに置いておきたいとは思わんだろ」

「エロムラ……君、彼女に変な目を向けていないよね? いないよね?」

「おいおい、いくら俺ちゃんでも、護衛対象であるティーナちゃんをそういう目で見たことはないぞ? 命が惜しいからな。ディーオと一緒にするなよ」

「どういう意味ぃ!?」



 ディーオはエロムラから見ても、ままならない恋に身を焦がす不遇の挑戦者と思っていた。

 いくら公爵家の令嬢としては正式に認められていないとはいえ、やんごとなき貴族家の血筋であることに違いはないのだ。そんな彼女に恋慕の情を募らせるなど無謀としか言えない。



「エロムラも、その辺りのことは理解しているんだよな。なんでディーオは分からないのか……」

「恋は人を愚かにするってやつなんだろ。俺はそこまで命知らずじゃない」

「待って、それって俺がエロムラよりも聞き分けがないって言っているように思えるんだけどぉ、そんなに無茶を言っているように見えるのぉ!?」

「「 いや、実際に無茶だろ 」」



 何しろディーオは都合の悪い話を聞こうとはしない。

 セレスティーナが公爵令嬢という事実は受け入れているが、恋心を抱いたところでその想いが成就する可能性は極めて低いというにもかかわらず、周りが何度も窘めたところで頷くことを拒否するのだ。

 ついでのセレスティーナは年上好みという事実も判明していた。

 聞き分けのない坊やなディーオの恋が叶うなど、今後一切ないのである。



「セレスティーナの奴、同年代の男には興味がないらしいからな」

「それってショタコン? それとも年上好み?」

「後者だな。だが、何度言ったところでディーオの奴は………」

「知らない、聞かない、信じない! 俺は悪夢(現実)を受け入れない!!」

「なっ?」

「………重傷、だな。こんな筋金入りに意固地になっちまって、マジで大丈夫なのかよ」



 爺馬鹿のクレストンが裏でセレスティーナに近づく男を調べまくっている以上、露骨に好意を見せているディーオが見逃されるはずもなく、むしろ要注意人物としてブラックリストに入っている可能性がある。

 百歩譲ってディーオがセレスティーナとつき合うようになったとして、二人の行動は常に監視され続けることは間違いない。男女の関係になりそうになったら人知れず闇に葬られることも充分に考えられた。

 だがディーオは、これらの最悪の事態を思考から放棄していた。

 もしかしたら恐怖のあまり現実を受け入れられないのかもしれない。



「思えば不憫なやつだよな。一目惚れした相手が悪すぎる」

「親父は筋を通せば交際くらい認めるかも知れないが、おじいさまは駄目だ。人脈を生かして裏で徹底的につけ狙うぞ。暗部すら動かすかもしれん」

「暗部って、国の情報部か!? まさか、そこまでするのか? 一応は国の重要な機関のはずだろ。元公爵の一存で動かせるのぉ!? 仮に動かせるとして、そう考えるとデルサシス公爵は随分と大人の対応なんだな」

「いや、むしろ親父の方が危険だと思うぞ。裏社会の人間まで牛耳っているからな………って、この話も何度目だよ」

「わ~おぅ……前門のベヒモス、後門のドラゴンだぁ~。逃げ場ねぇ~」



 立場上は表立って愛情を伝えられないデルサシスと、露骨に愛情表現丸出しの祖父、クレストン。

 下手するとディーオは国家権力と裏組織に絶えず狙われることになる。



「まぁ、結局のところはセレスティーナの意志次第なんだろうが、少なくとも相手はディーオでないことは確かだ。いまだ微妙に名前を憶えられていないし、友人関係すら構築できていないんだからよ」

「ぐはっ!?」


「おまけにティーナちゃんは、向上心が人一倍強そうだしな~。色恋沙汰にはしばらく見向きもしないと思うぞ。魔法を自在に操れるようになって、今が面白くて仕方がないんじゃないのか?」

「ごふっ!?」


「そもそも最初から相手にされてないんだから、さっさと告白でも何でもして玉砕すりゃいいんだ。人の忠告は無視する癖に、隙あらばセレスティーナとの接触の機会を設けろとぬかしやがる。他人任せで自分から動こうともしない奴が、セレスティーナの気を惹けると本気で思ってんのか? しかもアイツは別の意味で腐っているんだぞ」

「そっち趣味なら間違いなく友好を築けるだろうな。ディーオ、薔薇の道に進んでみたらどうだ? その代わり人生が詰むけど」

「げふらぁ!!」



 ディーオ、痛いところを集中的に突かれ撃沈。

 そもそも彼は自分の想いは口にするくせに、潔く覚悟を決めて告白という行動に移すことはなく、どこまでも他人に頼ろうとする女々しい卑怯者だった。

 それに比べれば堂々とセクハラ発言をするエロムラのほうが、よっぽど潔く男らしい。



「無理……俺にそんな勇気はない。けど、諦めきれないんだよぉ~………」

「傷つくのが嫌なら潔く諦めろ。惰弱な」

「友人相手に同志ってば、きぃ~びぃしぃ~っ! だが、弱音を吐いている時点でディーオに資格はないと思うぞぉ~。本気なら、なりふり構っていられないはずだし」

「俺……別の意味で茨の道を進んだ方がいいのかな……………」

『『 なりふり構っていられないとは言ったが、そっちを本気で考えてるぅ!? 』』



 要するにディーオは自分が傷つくことが怖いだけなのだ。

 現にこの手のやり取りは今までに何度も行われているが、ディーオ自身は一向に改善の兆しすらなく、未だに恋の種火を燻ぶらせている程度で収まっている。

 そのくせ裏ではセレスティーナファンクラブに参加し、彼女に告白しようとする男どもを闇討ちするなど、少々看過できないアレな一面があることを二人は知らない。



「メンタル弱すぎるんじゃね?」

「そろそろ時間だな。俺は研究部の連中と訓練に出るが、ディーオはこれから講義だっただろ。教室に向かわないとまずいんじゃないのか?」

「うぅ……親友が冷たい。俺がこんなにも苦しんでいるのに………」

「俺達に色恋沙汰の相談をすること自体、間違いなんじゃないのか? 立場的には相談されても乗れないんだからよ」

「まぁ、同士は公爵家の跡取りだからな~。友人とはいえ、家族に手を出そうとする連中の力にはなれんでしょ。逆に忠告してくれているだけありがたいと思わないと駄目だろ」



 意気消沈のままとぼとぼと哀愁を漂わせながら去っていくディーオ。

 彼がいくら相談を持ち掛けたところで、公爵家に身を置くツヴェイトには話を聞いてやることしかできない。応援するような無責任な行動はとれない立花のだ。

 エロムラも『なんで諦めきれないんだ? 大したつき合いもしていないだろうに……』と、恋の炎に身を焼くディーオの心内が理解できずにいる。

 そんな二人は、本気の恋心がどういうものなのかを騙るには、あまりに人生経験が乏しかった。


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