セレスティーナ、ストレス解消の執筆中
ゼロスとアドがアーハン廃坑ダンジョンで一晩を明かしている頃、イストール魔法学院学生寮ではセレスティーナが珍しく執筆作業をしていた。
学院都市は地震の被害が最も少なかった街の一つで倒壊した建物は一つもなく、学生や住民達の片付け作業を二週間ほど続けたことで日常を取り戻し、今は建築業者が建物の被害チェックに入る程度にまで回復していた。
当然のことだが、学生達もいつもの日常に戻ったことで、セレスティーナ達上位成績の者達は臨時教諭を再開し、それ以外の者達も研究や鍛錬に勤しんでいる。
だが、下級生の面倒を見るのは良しとしても彼らもまた学生であり、いつの間にか講義の中に学院の講師がいたことに精神的なストレスを感じてしまい、セレスティーナもまたストレスを抱えた一人でもあった。
まぁ、講師達も前時代の講師達に知識を植え付けられた被害者とも言えなくもないので、新たな知識を学ぼうとする姿勢を見せる講師達に対して、セレスティーナも理解もしている。ただ以前まで講義を受けていた講師の前で授業を行うのはさすがに緊張してしまう。
しかも同じ講師という訳ではないが、代わる代わる講義に参加させられてはストレスが溜まっていくものである。
そのストレスを発散させるため、魔導ランプの明かりの下、セレスティーナは一心不乱で紙にペンを走らせていた。
「……お嬢様、そろそろお休みになられては? 既に深夜を廻っています」
「明日……いえ、もう今日ですね。臨時講師の御勤めもありませんし、後でゆっくり休みますから大丈夫ですよ」
振り向きもせずにペンを走らせるセレスティーナの姿に、普段から暴走気味のミスカも心配になってくる。
質が悪いとはいえ安くはない紙を消費しては、文面が納得いかないと丸めてポイ捨てする彼女の姿には、ミスカも『お嬢様にここまでストレスを与えることになるなんて、講師達は本当にダメダメだったのね。もっと早く改革していればこんなことにならなかったのに……』と、前体制の学院に対して不満の声を心の中で呟いた。
イストール魔法学院は前体制である魔導士団の下で運営されていたこともあり、優秀な者達の研究成果は取り上げ冷遇するような足の引っ張り合いをし、新たな発見や異なる見解などを一笑に伏ししてきた大罪を犯していた。
その体制が崩れた後も苦労させられるのは下にいた者達ばかりで、講師達も『今のままではマズい』と一念発起し、恥を忍んで下級生とともに上位成績者達の講義を受けていた。
『知らないことが恥ではなく、知ろうとしないことが恥だ』という言葉があるが、新しい知識を知る者が学生ということもあり、ここに講師が生徒に講義を受けるというおかしな事態が生まれてしまっていた。
講師もまた一人の研究者ということもあるので間違いではないのだが、臨時とはいえ講師をする生徒達にとっては精神的に来るものがある。前体制の横柄な講師達がいないことだけが救いといえよう。
そこを理解しているだけに、ミスカもセレスティーナのストレス発散を止めることができないでいた。
「それほどまでにストレスを抱えていたのですか?」
「講義をするまではいいんですよ。でも、さすがに年配の講師や教授に手ほどきをするのは………」
「まぁ、お嬢様は以前まで講義の場を破壊する立場でしたから、教える側に廻って初めて苦労を知ることは良い経験になると思います。ですが、ここまでストレスが溜まるのであれば、誰かに講義を代わってもらってはいかがですか?」
「それだと講義していた内容の引継ぎもありますし、私達の代行をしてくれる方が同じ講義を行えるとも限りません。しばらくはこのままなのでしょうね……。ハァ~」
「まぁ、難しいでしょうね」
ミスカもセレスティーナやキャロスティーが行っている講義内容は知っている。
彼女達の行っている講義とは、ゼロスから教えてもらった基礎能力向上の修練法であり、今までの学院では行わなかった実戦向けに根差したのものだ。
保有魔力の増加や魔法の操作技術、身体強化に多重展開など反復練習が重要となる。
基礎能力が低いと、身体レベルが上がったところで大した効果が見込めず、せいぜい前時代の魔導士と同等レベル。それが今では学生との間に実力の面で大きな差がついてしまう。
同じ知識や技術を持っていようとも、訓練を始めた時期や訓練内容の差で決定的な開きができてしまうので、講師達も焦りから自身を鍛えることに前向きに取り組むようになったのだ。
そのやる気に水を差すような真似をセレスティーナはしたくない。
「騎士にしても魔導士にしても、基礎能力をある程度高める訓練は必要と意見が一致していますし、学園の運営側からも理解も得ていますから問題はありません。あるとすれば私達が講師達に基礎訓練を教えることに慣れることだけです」
「お嬢様のように疑問を徹底的に調べ上げ、質問攻めにするよりはマシですね」
「そんなに迷惑だったのでしょうか?」
「質問に答えられなかっただけで講師としては失格でしょう。お嬢様が気にする必要はありません。むしろ今までがマズかっただけの話ですから」
上位成績者同士の話し合いで、基礎能力や基礎体力の向上は優先事項となった。
一部の講師達もその結論に難色を示していたが、実際に効果が表れてくると手のひらを返したかのように自分達も講義に参加し、今では生徒達に追い抜かれまいと必死だ。
今では自主鍛錬をする者まで現れ、その動きが学院全体にも行き届いており、基礎訓練を行っていないのは古いしきたりを持つ有力な貴族や不良学生くらいのものだ。
改革は成功したと言ってもいいだろう。
「そう言えば、クロイサス様がまたおかしなことを始めていましたね。妙な金属の絡繰りを錬金科の生徒と製作していましたが……」
「魔導蒸気機関ですね。火系統の魔法でお湯を沸かし、発生した蒸気で動力を生み出す実験という話です。魔導自動車よりは低燃費なのではないでしょうか?」
「爆発したら大惨事になりますね」
「あれは錬金術というより、鍛冶師の仕事だと思うのですけど……」
「そういえば、ツヴェイト様は学院の兵役動員を危惧されておりましたよ?」
「隣国が崩壊しましたから、難民と共に犯罪者も流れ込んでこないか心配なのでしょう。治安が悪化したら私達も駆り出されてしまいますし、貴重な人材の無駄遣いだと思っているのでは?」
ツヴェイト達ウィースラー派戦術研究の者達は、今の社会情勢を考慮して最悪の事態に備えていた。
イストール魔法学院の生徒は有事の際に戦力として徴兵される責務を背負っている。
まぁ、そこまで来ると戦況は最悪の事態に陥っている可能性が高く、だからこそ事前に対抗手段をいくつも用意しておくことに決めたのだろう。
何しろ隣国のメーティス聖法神国は無駄に国土が広かったのだ。
一部の特権階級者のもとに支持者が集まることで国を興すことまでは想定できるが、その国も予想ではソリステア魔法王国と同規模の国になる可能性が高く、何より国内が荒れている時期に引き起こされるのが戦争だ。これは歴史が証明している。
国内の不安定な情勢を誤魔化すように他国へ攻め込む真似は幾度となく行われていた。
ツヴェイトは戦端を開くための口実が『奪われた国民を取り戻す』であると予想し、侵略戦争へと発展すると考えている。
しかし、ソリステア魔法王国がイサラス王国やアトルム皇国と同盟を組んでいることは周知のことであり、さすがに三国から攻め込まれるような無謀な真似はしないだろうとも推測しているが、現実は予測を超えてくる事態などよくあることであり油断はならない。
権力を持った為政者が無能であるほど最悪の事態に陥りやすい。
「お父様はどう考えているのでしょう。ミスカは何か知っていますか?」
「一度くらいは戦争があると予想してますね。近いうちに国境付近の領土が増えると思いますよ」
「そこまで事態が進んでいるのですか!?」
「まぁ、いきなり戦争にはならないでしょうが……。この平穏はあと数年くらいで終わると見通しておられますよ?」
「建国ラッシュで国がいくつか増えても、内政が安定するとは限りませんからね。貿易で外貨の獲得もしなくてはなりませんし……」
「お嬢様……以外と政治に詳しいのですね。驚きました」
「一応、公爵家の娘なのですけど!?」
セレスティーナは公爵家の一人娘だが、いつまでも現状に甘んじているつもりはない。
いずれは家から独立し、自分の理想とする道に進みたいと考えている。
理想は、師であるゼロスのような世間に埋もれていながらも有能な魔導士だ。
この時点で、セレスティーナの目にはおっさん魔導士に対する美化フィルターが掛かっているとしか思えない。しかも現在進行形で継続中。
『あの方は、そんな綺麗な存在ではないと思うのよね』と思いつつ、言葉には出さないミスカはメイドの鏡であった。
「私はてっきり、『男性同士の恋愛模様にしか興味はありません。ガチムチ兄貴に胸脛毛ボーボボー、耽美おっさん、鬼畜メガネ×美少年、それに該当する人は前に出なさい』、と断言すると思っていたのですが……」
「ミスカ、私を何だと思っているのですか?」
「腐女子ですが、なにか?」
「………」
まぁ、余計なことを言わなければの話だが。
セレスティーナにしても、趣味に目覚める原因のミスカにだけは言われたくなかろう。
「私はいつまでも趣味にのめり込むほど、子供ではありません!」
「では、今熱心に書き上げているものは何なのでしょうか?」
「ストレスの発散です。そもそも学生に臨時講師をさせるなんて話自体が前代未聞なんです。今の講義内容で本当に魔導士の質が上がるのか不安なのですから」
「ゼロス殿のような無茶はしていませんから、上手く講師をしているように思えますが? 下級生の評判も上々ですし、才能があるかと」
「自分ではそのように思えません……」
他者に何かを教えるということは、導き手となることだ。
その重圧を徐々に実感し、いろいろと抱え込んでいるのだろうとミスカは理解するも、そのストレスの発散方法が薔薇色小説というのはいただけない。
最近の方向性がどうもアブノーマル方面へと突き進んでいるようで、ベストセラーとなった書籍のような文学的なものが全く見当たらず、セレスティーナの将来が不安になってくる。
このままでは無意味な自責の念に潰されてしまうかもしれない。
セレスティーナ達成績上位者は間違ったことを教えていないとミスカは断言できる。
ミスカが学生の頃に比べ実践向きであり、机上の空論を並べ立て破壊された魔法理論とは大きく異なる。時が戻せるのであれば自分が受けたいと思うほど、今の学生達の環境が恵まれているように思えた。
「他者の将来を左右しかねないことは重々理解しています。ですが、今の学生達がお嬢様たちに教えを受けられる環境は、この学園を卒業した身としては羨ましい限りですよ。何しろ自分の実力が上がっていくことを実感できるのですから」
「ですが、もし間違ったことを教えてしまったら、その講義を受けた学生の命を左右しかねません。研究者を目指すのであれば修正は利くでしょうが、戦いに魔法を使うような宮廷魔導士を目指す者には許されないことです」
「その時はゼロス殿が悪いと言えばいいんですよ。何しろ、お嬢様に魔法の知識を与えたのはあの方ですからね。ツヴェイト様もクロイサス様もその影響を大きく受けています」
「さすがに、それは………」
「それに、ただ教えを乞うだけで間違いに気づかず、疑問点や違和感を覚えながらも改善すらせずに放置するような、向上心のない学生達にも問題はあるでしょう。そんな輩はどうせ出世なんてできませんよ」
実もふたもない言い方だった。
ミスカからしてみれば、セレスティーナがプレッシャーに苛まれる必要はないと思っている。そもそも学生達に問題を押し付けた講師陣営の情けなさの方が問題だ。
いくら成績が優秀とはいえ社会経験の乏しい学生に講義の丸投げなど、どう考えても無謀な試みであり、教職者としては最低の決断である。しかも改革を急進させる動きが強かったせいで、なし崩しの場当たり的な状況を生み出したのは、諸悪の根源である権力欲に溺れた旧魔導士団の者達はすべて裁かれるべきである。
だが、旧魔導士団に所属していた魔導士の大半は既に職務を追われ、見込みのある者達は命懸けの現場に送り込まれ地獄の洗礼を受けている。
それなのに腐りきった旧組織の体制は、置き土産とばかりに問題を放置したまま今も残されている。
安易にクビにしたことは間違いで、きちんと責任をとってから処罰するべきであったのではないかとミスカは考えていたが、今さら現状を変えることは難しい。
既に沙汰は下った後なので今更だ。
「腐りきった爺共など、事態の収拾に当たらせたあとに、ファラリスの雄牛で処刑してしまえばよかったのに……。クビなんて生ぬるい」
「そ、それは少し過激すぎるのではないでしょうか………」
「今さら言っても仕方がないですが……。さて、お嬢様が散らかした紙くずを片してから休むとしましょうか。まったく、こんなに紙を無駄に使用して、お嬢様は紙職人に申し訳ないと思わないのですかね……。資源の無駄遣いですよ」
「………ゴメンナサイ。あと3ページほど原稿を書いたら、おとなしくベッドで休むことにします」
「そうしてください。掃除するのも大変なのですから」
床に散らかった没原稿を集めるミスカ。
だが、集めた紙くずにどんな内容が書かれているのか、好奇心がそそられる。
セレスティーナは背を向けたまま原稿に集中しており、幸いにもミスカの行動は見られていない。
『ちょっとだけ……ちょっとだけよ、ミスカ……』と心で呟きながら、手にした紙くずを広げて内容を確認する。
『テレジア=シュトラーゼ公爵令嬢! お前のような悪辣な女との婚約関係など我慢できん。この場で婚約を破棄させてもらう!』
『えっ!? あの……殿下? 突然何を仰られるのですか!?』
『知らないとは言わせんぞ! ミリアリア=テンプテーション男爵令嬢に対する嫌がらせの数々、俺が知らないとでも思っているのか!!』
『そのようなことをした覚えなど、私にはありません!』
『しらばっくれるな! 私が愛するミリアリアの名誉を貶めてまで王妃の座が欲しいのかぁ、卑しい女め!!』
なんか、凄く普通に読める内容だった。
いや、貴族視点で読む限りだとあり得ない状況なのだが、今までの薔薇咲き誇る内容に比べれば百倍マイルドである。
『真っ当……とは言い切れませんが、今までに比べて凄く普通の内容ですね? スランプなのでしょうか……』と、首を傾げるミスカ。
さらに続きを読む。
『そもそも私は、殿下との婚約を誰かに押し付けられるのであれば、今すぐにでも押し付けたいと常々思っておりました。ですが殿下との婚約は王命。王族と我が公爵家との間で取り決められたことなので、私には逆らう権利など与えられておりません。殿下がどうしても破棄したいのであれば、直接陛下の前で婚約破棄の許可をとってからにしてくださいませ。このような場でいきなり宣言されても迷惑なだけですわ』
『『『『『 えっ!? 』』』』』
『いや、待てっ! テレジア……お前、俺との婚約を破棄したかったのか!?』
『当然ですわ。誰が愛してもいない殿方の下へ嫁ぐことを喜ぶ女がおりましょう……。王妃という立場も自由など殆どなく、正直なりたいとすら思ったことなどありません。それも殿下の妻という立場ですのよ? あり得ませんわ。ですが……これも王命。臣下としては断ることもできません。宿命として受け入れるほかありませんの……。あまりの苦しさに胸が張り裂けそうな想いですわ。そんな私が彼女に嫌がらせするなど、お思いになりまして?』
『そ、そこまで嫌われていたのか!? 俺、お前に何かしたか!?』
『いえ、ただ生理的に無理というだけの話ですわ。私にだって殿方に対する好みというものがありますもの。殿下に対しては、その……申し訳ありませんが論外です』
本当に貴族視点から見ればまとも(?)なストーリーであった。
しかも公開断罪してみれば、断罪を受けたはずの令嬢は王妃という立場に執着どころかまったく興味がない。
思わず『うん……これは当然ですね。こんな粗忽者の婚約者という立場など、地獄以外にないわ……。こんなのが次期国王なら国が亡びます。お嬢様は本当にどうしてしまったのでしょう? 作風があまりにも……』と心でミスカは呟く。
だが、明らかに今までのセレスティーナとは異なる作風であった。
『ちなみにですが、私の好みの殿方は強面で長身、比類なき屈強な歴戦の戦士のような方ですわ。甘やかされて育った軟弱で貧弱で惰弱な殿方など、はっきり申しまして眼中にありませんの』
『それ、俺と真逆のタイプだだよなぁ!? むしろ野蛮人だろ!!』
『野蛮ですか? 少なくとも妻を守れるだけの必要な力は持ち合わせておりますし、むしろ女なら逞しい腕に抱かれたいと思うのでは? 勇猛でも紳士であれば見た目の屈強さなど気になりません。このような公の場で女性を殿方数人がかりで糾弾するような卑怯者よりも、遥かに素敵だと思うのですけれど』
『うぐっ………』
読み進めるにつれ、まともに見えて実はかなり酷い内容になってくる。
そして主人公である令嬢の男性の好みも極端だった。
一国の王子を公の場でこきおろす令嬢の丹力も凄いが、公衆の面前で威風堂々と自分の好みの男性像を暴露する公爵令嬢の女傑ぶりが、実にセレスティーナの作品らしいともとれる。しかしあまりにも作風がぶっ飛んでいる。
最近流行りの甘ったるい恋愛小説に一石投じるつもりなのかもしれない。
しかし、これだけは言える。
「お嬢様がご乱心なされたぁあああああぁぁぁぁぁっ!!」
「ひゃぁ!? な、なんですか! 突然叫び出すなんて………」
「どうなされたんですかぁ、お嬢様! いつもの『俺の昂る聖槍をお前の鞘で包んでくれないか? 今にも暴れだしたくなるほど滾って仕方がないんだ』とか、『お前のここは準備できてるじゃねぇか。ククク……どこまでもそそらせてくれる坊やだ。まぁ、俺が躾けてやったんだがな』とか、萌える展開はどこへ消えたのですかぁ!! こんなの、こんなのお嬢様らしくありません!!」
「何気に失礼ではありませんか!?」
「お嬢様は腐っていなくては駄目なんです! 腐っていないお嬢様など、お嬢様ではありません!! スランプであるなら原点に回帰し、土に還るほどのヘドロの如き熟成醗酵の腐を極めるべきなんですよ! なぜ路線変更などしたのですか!!」
「乱心しているのはミスカではっ!?」
ミスカが求めているものは腐であり、腐こそがセレスティーナの真骨頂であると断言する。それゆえに路線変更した作風が納得できない。
しかしながら、それはあくまでもミスカの価値観の押し付けであり、セレスティーナとしてはただのストレス解消で、そこまで言われる覚えはない。
むしろ、ただの有難迷惑であった。
暴走するミスカを必死で抑えながら、セレスティーナの夜は更けてゆく。
深夜の風に腐の単語をいくつも乗せて……。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
早朝、ハンバ土木工業の棟梁であるナグリは、ゼロス宅の隣の更地に来ていた。
ここは以前まで住居者のいない家屋や荒れ地が存在していたが、彼ら土木作業員の手によって綺麗に整地され、今や新しい家屋が建てられるのを待つばかりであった。
その更地に現在多くの職人達が健在を運び込んでいる。
「ようやく始められるな」
ハンバ土木工業はどんな仕事も期日までに終わらせるプロの集団である。
そんな彼らが新築――アド邸の工事に入れなかったのは他に仕事を抱えていたこともあるが、地震による影響での復興作業も重なったこともあり、工事着工期日が伸びたためだ。
無論これはスケジュール上、仕方のないことである。
しかし、常に仕事を完璧に熟してきたプロである彼らにとって、本来であれば既に工事に着工していなければならない現場を放置しておくなど、とても我慢ならなかった。
「ナグリよぉ、さすがに今回は無茶じゃねぇか?」
「ボリングよぉ、俺たちはプロだ。街の復興作業なぞ今まで鍛えた新人たちに任せておけばいいだろうが、受けた現場を放置しておくなぞお前だって納得してねぇだろ」
「そりゃそうだが、自然災害は別だろ。他にも現場があるんだからよぉ」
「だが、この家だけは別だ。仕事の依頼は前からあったが、それをこっちの都合で引き延ばしてたんだ。これ以上の引き延ばしは俺達の沽券にかかわる」
「だが、新人共もそろそろ限界だぜ? 一日くらい休暇を入れてやらんと、動けなくなる連中も出て来るぞ」
「ローテーション組んで二日ほど休ませるか。効率も落ちてきてるし、しゃぁねぇな……」
一見して職人のことを心配しているように見えるが、それ以前に職人達はぶっ続けの休みなしで働いている。
しかも魔法薬で強制的に回復させられ、回復過程でドーパミンやアドレナリン出まくりのハイテンション状態となり、ブラック企業を遥かに超えた地獄のような環境で今も作業を続けているのだ。
あまりにも過酷な状況下に思考がやられ、重労働でエクスタシーを感じるまでになってしまい、傍から見れば仕事をしながら恍惚な表情を浮かべているなど、かなり危険な光景に見えるだろう。
ドワーフが所属している建築事務所では、どこも同じ状況なのだから尚のことタチが悪い。
「まぁ、この現場は加工した建材を使えばすぐに終わるだろうし、それほど問題はねぇか……。だが、代わりに貴族屋敷の補修工事などが遅れるだろ。復興作業を名目に頓挫している家屋の工事も進めちまおうかと思ったんだが、職人不足がネックだな」
「んで? この家の設計はどうなってんだよ。もうできてんだろ?」
「隣のアンちゃんちの設計を流用している。一階を小さめの店舗にしてほしいという話だ」
「旧市街に店? 雑貨屋でも開くのかよ」
「住む奴も魔導士らしいから、おそらくは魔法薬の専門店だろ。そろそろ例の精力剤も切れてきたから丁度いい」
「ナグリ……おめぇ、それが目的じゃねぇよな? アレ、かなりヤバイぞ。もう少し控えた方がいいと思うぜ」
「新人がグダグダで育たねぇのが悪いんだろ。いつまでたっても弱音や能書きばかりたれやがって、口先でなく技術を鍛えろってんだ」
一般人の視点では至極真っ当な意見でも、ドワーフ達の視点ではただの能書き扱いにされてしまう。種族としての特色上こればかりは変えようがなかった。
そして、それが一番の問題でもあることをナグリ達は気づかない。
それでも新人職人の心配をするボリングはまだマシな部類であろう。
「んじゃ、そろそろ基礎の工事を始めるか」
「そうだな」
測量計などの道具を持ち、基礎工事を始めようと動き出すドワーフの職人達。
何気に隣の魔導士宅が目に入ると、そこには独立間近の子供達とコッコが、早朝から壮絶な戦闘訓練をしている光景が目に入る。
連続して放たれる蹴りの応酬や斬撃、分身して翻弄する超スピードのコッコ。
集団で挑み来るコッコ達と、必死で彼らの攻撃を捌き続ける少年少女達。
「なぁ、ナグリよ。コッコってあんなに武芸達者だったか?」
「……知らん」
異常な職人気質のドワーフ達から見ても、おっさん魔導士の飼うコッコ達は異様に見えるようであった。
こうした日常の中で、少しずつ常識や価値観は変化していくのであろうが、その常識が当たり前となった世界を想像するだけで恐ろしいものがあった。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
アーハンの村廃坑ダンジョンで一夜を明かしたゼロスとアド。
地下に構築された空間内に昼と夜があることに不思議だと思うが、理屈では説明が難しいことも『まぁ、異世界だしなぁ~』の一言で受け入れ順応する二人は、一般の地球人に比べて少々異質なものを持っているのかもしれない。
そんんなことを考えつつ朝食の準備を進めていた。
「ダンジョン内で普通に飯が食えるって、よく考えればおかしな話だよな? この場合、携行食が一般的じゃないのか?」
「そうかい? 魔物の存在しない世界での野営でも、獰猛な動物を警戒して適切な場所に陣地を構えるなんて話はよく聞くし、安全を考慮すること自体は別におかしなことじゃないでしょ」
「その安全の落差が極端なんだが?」
「ユイさんの生霊が出てくるよりは楽でしょ………。体は寝ているのに頭が妙に冴えちゃってさぁ~、あの絵から声だけでなく黒い影まで現れて、延々と恨み言を囁いているんだぞ……。おかげで僕ぁ~寝不足だよ」
「なんか、すみません。うちのユイが迷惑をかけて……」
「君の枕元に朝までいたでしょうに……」
ユイの生霊が枕元に立っている時間はアドの方が長かった。
寝ているときのアドは魘されていたようだが、起きたときの彼は落ち着いた様子で、ゼロスのように睡眠不足というわけでもない事実に驚きを隠せなかった。
「俺は慣れてるから。いつものことだし……」
「なに、それ……怖っ…………」
いまさらユイの生霊くらいでは動じないアドに、おっさんは少なからず恐怖心を抱いた。
いくら浄化しても切りがないような怨念の如き淀み濁った情念に慣れるなど、とてもではないが普通の人間には無理だ。それほどまでにおぞましい気配を放出していたのだから。
それを『慣れている』の一言で済ませるアドの適応力が恐ろしい。
「ユイさんは本当に人間なのだろうか……」
「失礼だな。まぁ、気持ちは分からなくもないが……。嫉妬心が誰よりも深く重いのはゼロスさんも知っているだろ」
「本気で呪われるかと思ったんだけど?」
「余計なことをしていなければ大丈夫だと思うぞ」
「余計なこと……ねぇ~」
ユイにとっての余計なこととは、主にアドを大人向けの飲み屋に誘ったり、さらに踏み込んでいかがわしい風俗店に連れ込むといったことだろう。
だが、ゼロスもアドもこの世界の衛生環境が低いことを知っており、進んで行きたいとは思わない。何よりもアドにとっては命に係わる。
この様な事情から現実に起こり得ないと言える。
「まぁ、その手の店には行きたいとは思わんがね」
「普通に酒場だったら行ってみたい気もするが……。チンピラに絡まれるテンプレイベントに遭遇してみたいし」
「そんで留置所に送られ、ユイさんの生霊が出現し、都市伝説を作ることになるんだね。なんまいだぁ~」
「留置所送りは現実的にあり得るシュチュだな。生霊が出るところを含めてホラー展開か………。ユイのやつ、都市伝説になると思うか?」
「あの怨念じゃぁ、確実に伝説を作れるでしょ。それより食事を済ませてしまいますかねぇ」
嫌なことは忘れるに限る。
昨夜から朝方にかけてまでのアンビリーバボーな恐怖体験を脳裏から消し去るかのように、おっさんはこの後のダンジョン探索の予定に思考を切り替え、広大なフィールドに視線を向けるのであった。
人はそれを現実逃避とも言う。




