おっさん、エビ(ザリガニ?)を食う
何気に気づいてしまった【殲滅者】仲間であるカノンに対する疑惑。
しかしながら、いくら考えたところで今や別世界での話であり、確かめる手段などどこにもない。
それ以前に、【ソード・アンド・ソーサリス】というゲーム内の世界でプレイヤーの個人情報を聞き出すなどマナー違反であり、カノン自身に直接聞いたところで教えてくれたとは思えない。
そもそもオンラインゲーム内における人同士の繋がりで、会話の流れから自然と私生活の話をすることはあっても、興味本位で他人の情報を深く聞き出そうととするのはゼロス自身も避けていたこともあり、相手がよほど悩んでいるならともかく節度は守っていた。
「…………気にはなるけど、今更だからねぇ」
「この世界にいる時点で、もう、どうすることもできないからな」
「転生……いや、転移? していなくても、他人のプライバシーに土足で踏み込むほど、僕は人間性が腐ってないつもりだ。そこまで図々しく厚かましいい真似はしないさ」
「ナンパしているプレイヤーは結構見かけたよな? あの連中の態度もなかなかに図々しくも厚かましかったが、その辺りのことはどう考えていたんだ?」
「別にどうも思っちゃ~いないさ。他人事だし、そもそもアバターの中の人の性別なんて分かりゃしないんだから、なぜにナンパしようだなんて思えるのか僕は不思議でならなかったよ。犯罪プレイに走るのも、ゲームだと割り切っていたから良心の呵責に苛まれることないのと同じかねぇ?」
オンラインゲーム内では、普通に考えてもおかしいと思える行動を起こす者は一定数いる。それはソード・アンド・ソーサリスでも同じだ。
自身の性別を変えてTSプレイする者や、キャラ設定に沿ってのなりきりプレイする者、日常ではできない良識の欠けた犯罪プレイをする者もいたほどだ。
電子の中の架空世界で、そうしたなりたい自分になろうとすること自体は悪くないが、倫理観に問われるような行動を起こす者達の実生活が多少気になる程度のところである。
「自由度の高い電脳世界だからこそ、現実の自分とは違う自分というものに憧れているんじゃないのか? PKする連中の考えていることは知らんけど」
「普通にプレイしている僕達から見れば、倫理観から外れるようなプレイをする連中の考えなんて分からんさ。まぁ、今となってはあの世界が本当に電子の世界に構築されていたのか、実にあやしいところだけどね。あまりにもリアルすぎたし、もしかしたら神々が創造した別の惑星であることも充分に考えられる」
『普通にプレイ? 誰が……どこで? なぜにそこまで自信を持って言えるんだ?』
アドからしてみれば、ゼロスを含めた殲滅者達のプレイスタイルも普通とは言い難い。
むしろ常識から大きく逸脱していたと断言できる。
どこまでも自由に、とことん我儘に、人の迷惑も顧みずに好き勝手にやっていた光景しか思い浮かばない。
自分達の行動が他人からどう見られるのか、殲滅者達は全く気にしてなどいなかったことは間違いなく、それを『普通にプレイしていただけ』と本気で思っていたことを改めて知る。
おそらくは殲滅者同士の間でも、『こいつらよりはマシ』と自分自身を棚に上げて思っていたのかもしれない。
そんな当時のことを思い出し、『やっぱ普通じゃねぇよ。この人ら………』と心の中で呟くアドであった。
「なぜにそんな冷めた目で僕を見るのかね?」
「………いや、気にしないでくれ」
アドとしては、『大穴から落ちたとき、どさくさでバスター技を仕掛けてくるような奴が、どの口で普通などとほざきやがる!』と言いたいところだが、それを言ったら後で何されるか分からないので言葉を呑みこんだ。
このおっさんは、羽目を外したらとことん非常識になることを誰よりも良く理解している。何しろアドは被害者でもあるのだから。
「まぁ、無茶苦茶なプレイをしていたことは認めるけどねぇ。今思うと、『なんであんな非常識な真似ができたんだろうか?』と本気で考えることもあるよ」
「あっ、まともな感性を持っていたのか」
「失礼だねぇ。あるよ、人並みにね。ソード・アンド・ソーサリスでの盗賊討伐依頼だって、僕は数える程度しかやっていないよ。気分が悪くなるからねぇ。まぁ、盗賊プレイヤーなら賞金が良かったから、頻繁に襲っていたけど」
「………人並み、ね。『プレイヤー相手ならいいのかよ』とかいうツッコミはいいとして、当時まともな感性があったのかはあやしいところだが、確かに盗賊などの討伐は気分が悪くなるよな。リアルでグロ映像直視だったし、国家同士の戦争イベントなんて、そりゃ酷いもんだった。俺の場合は年齢規制を解除してなかったから、視界がモザイクで埋め尽くされてたけどな」
ソード・アンド・ソーサリスでのプレイヤーの立場は【異邦人】と呼ばれ、基本的に国の所属することのない冒険者という立ち位置だ。
しかも不死身の存在としてNPCから認識されていた。
稀に起こる戦争イベントや盗賊討伐イベント、犯罪者の首を狙う賞金稼ぎといった人命が多く失われるイベントでは、プレイヤーの力はNPCから特に重要視されていた。
何しろ戦争イベントでは多くの異邦人を揃えた陣営が勝利するとまで言われ、国同士の戦いが激しさを増すほどプレイヤーの出番は多くなる。
要人の護衛や戦争での即戦力、敵勢力へ向けての斥候任務や最前線での防衛など、死なないという理由から使い捨ての駒として利用されていた。
特に上位プレイヤーは桁外れの技量を持つ存在であり、戦場に送り込む戦力として高額の依頼料が支払われるほどで、攻略組は資金稼ぎのために戦争イベントを利用していた。
上位プレイヤーが参加したことで滅びた国も一つや二つではない。
だが、ゼロスはこの異世界に転生したことにより、何らかの制御を受けていた思考が通常に戻ったことで、様々な違和感に気づくことができた。
ソード・アンド・ソーサリスというゲームは何かと怪しい。
「もし……もしもだ。ソード・アンド・ソーサリスの世界が別の惑星で、僕達がアバターという媒体でゲーム感覚に暴れていたと仮定すると、凄く恐ろしいことになると思わないかい?」
「………と、言いますと?」
「僕達は知らない惑星の住民や生物を殺しまくっていたことになるんだよ。君も戦争イベントに参加したことがあるなら分かるんじゃないかい? あの世界の住民達は、肉体が消滅してもすぐに復活するようなプレイヤーという化け物が暴れ回り、ときに襲われる恐怖を抱えていたことになる。しかも、僕達はゲーム感覚で殺人を犯していた。これは怖いことだよ。僕や君の手は多くの人達の血で真っ赤に染まっていたことになるんだ」
「…………今さらだな。俺もこの世界で盗賊くらいなら殺しているし、野蛮な行為がまかり通るような世界で人道を叫ぶほど馬鹿じゃない」
「まぁ、そこは同感だねえ。けど………そうした殺人に対する考えか方や感覚を学ぶ場所だったんじゃないかな? あのソード・アンド・ソーサリスという世界は………。思考誘導で地球での私生活には影響がないようにされてた可能性が高いけど、この世界に送り込む以上は、一定の非情さや残虐性がないと生きていけない。生存率を高めるための訓練場だったのではないか?」
「神様はそこまでやるのかよ」
「自分の監理する世界の危機的状況だ。そりゃぁ~、何でもやるでしょうさ」
ゼロスは、セレスティーナとクレストンが乗る馬車が盗賊から襲撃を受けたとき、情け容赦なく盗賊達を殺すも、人の命を奪うことに対して罪悪感がなかった。
これが地球での話であれば、しばらくは吐き気と人を殺害したの悪夢と罪悪感に苛まれていたことだろう。どうでもいい他人の命でも無関心でいられたとは思えない。
そうした獰猛な獣のごとき衝動を受け入れていることに対し、不自然さを感じるのだ。
「平和な社会で生きていたのに、異世界に来て突然殺人行為を行うだけでなく、罪悪感すら抱かない。それにどころか受け入れているんだ。下地が整っていたと考えた方が自然だね」
「確かに……。普通ならウサギ一匹殺すのにも、罪悪感を覚えるもんだよな。ソード・アンド・ソーサリスでの経験が生かされているだけと簡単に思ってたけど、言われてみれば不自然だ」
「地球で暮らしてきた時とは違い、僕達の命に対する認識は恐ろしく低い。だから……」
「だから?」
「こうも簡単に、生き物を殺せる!!」
そういうと、咄嗟に引き抜いたショートソードで、突然に茂みから飛び出してきた影を斬りつけたゼロス。
両断されたのは腕の長く痩せた胴体の短足な生物だった。
一見して人型だが、よく見ると首元から上はイソギンチャクのような頭部であった。
「な、なんだぁ!? まったく気配を感じなかったぞ!?」
「隠密性の高い生物のようだねぇ。見たことのない生物だが……【鑑定】」
謎の生物に対して鑑定スキルを使用した。
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【種族名】チャク・チャック
イソギンチャクのような頭部とゴブリンのような身体の人型魔獣。
隠密性に優れ、不意打ちで獲物の飛び掛かり、仕留めた後は頭部から丸呑みする。
頭部の中心には牙の生えた円形口があり、無数の触手には麻痺と毒を打ち込む針を持ち、獲物をしとめるときに散弾のように放ち動きを止め、そのまま捕食する。
卵で繁殖するのだが毒があるので食用には不向き。
腕は長く、長い指を持つ大きな手の爪には凶悪な細菌が繁殖しており、引っ掻かれただけでも数分で腐敗しだすほどの増殖性は危険。遠距離から仕留めることを推奨。
脚が短いので走ると簡単に転ぶが、跳躍能力は見た目以上に高いので油断はできない。
群れで行動するので、一匹見たら百匹は近くにいると考えても良い。
集団行動になると、体をくねらせながら『ミルミルミー』と叫び奇妙に踊るミルミルダンスが見られる。一般的な感性を持つ人であれば誰もが嫌悪感を抱くことだろう。
一応だが石器を扱う程度の知能を持っており、ミルミルダンスでコミュニケーションをとる変な社会性を持っているのだが、個体同士で会話が成立しているのかは謎。
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「「……………」」
正体不明な謎生物だった。
奇妙な冒険譚で出てきそうな不思議な生態と危険な能力を持っている。
腐食性を持つ細菌というのが特に恐ろしい。
「なぁ、こいつの頭……イソギンチャクだよな? どこに脳があるんだ?」
「知らね。どちらかというとローパーじゃないかな? 獲物を丸呑みにするにしたって、頭部の割合に体が追いついていないんだけど………。胃袋もそんなに大きくはないだろうに、食いきれなかった部分はどうするのかねぇ?」
「インセクトベント………まさかとは思うが、こいつらの肉が混ざっているんじゃないのか? 食欲が失せるんだが……」
「アレを食べるつもりなのかい? 僕はお断りだね 複数の薬草と魔石の粉末を混ぜて煮込み、蒸留することで強力な精力剤が作れるんだよ。あくまでも素材用さ」
「ならいいんだが………」
インセクトベントは確かに珍味として売れるかも知れないが、不気味生物が混ざっていると思うと、さすが食用として売るのは気が引ける。
仮に販売したら良心が痛むだろうことは間違いない。
そんなことよりも、アーハン廃坑ダンジョンが異様で奇妙なエリアを創り出していることの方が問題だ。
「呪術系の素材に正体不明の不気味な生物か、ますますダークファンタジー系の様相になって来たねぇ。このダンジョンはマジでどこに向かっているのやら……」
「バランスが無茶苦茶だろ。何だよ、腐食する細菌って……。傷口から侵入した瞬間から体内で爆発的に繁殖でも始めるのか? 腐食=壊死だとするなら、このダンジョンは相当危険だぞ」
「天然の細菌兵器を保有する魔物が生息しているからねぇ」
BC兵器を持つ天然の生物など危険極まりない。
しかし、チャク・チャックはそうした細菌に対する抗体を持っている可能性が高く、上手く抽出して培養できればダンジョンに挑む傭兵は死なずに済む。しかしながら、ゼロスもアドもそうした抗体を培養する知識は持っていなかった。
「一応、爪先の皮膚片と体液を採取しておこう。デルサシス公爵に渡して国で研究してもらえばいいさ」
「細菌兵器を作り出さないか? 俺としては、そっちがやばいと思うんだが……」
「一歩間違えばアウトブレイクだよ。バイオハザードでもいいけど、研究者がそういったリスクを考えないとは思わないんだよね。兵器に流用なんて危険すぎるからさ」
「頭がいい連中は先の危険性を理解するって? けど、国のお偉いさんが兵器転用を実行させようとしたらどうなるんだよ。下手するとこの細菌で国が亡ぶと思うんだよなぁ~」
「けどねぇ、こいつらがダンジョンから出た時点でOUTでしょ。どちらにしても研究する必要はあると思うよ。既にダンジョン内で繁殖してるんだからさ」
「俺達、余計なことをしていないか?」
チャク・チャックがダンジョン内で繁殖している以上、数が増えたことで引き起こされる暴走でダンジョンから放出される可能性もある。
外部で繁殖したのを確認してからでは遅く、細菌への対処を始めたところで、その時にはすでに相当数の犠牲者が出てしまうことは疑いようもない。
何しろこのチャク・チャックは自然界で天敵となる生物がいないのだ。
肉食の魔物がチャク・チャックを捕食しても、この細菌に感染して命を落としてしまうからだ。しかもその細菌は魔物の躯から蠅などの昆虫によって運ばれ拡散し猛威を振るう。
ヒールなどの回復魔法など何の役にも立たず、毒ではないからキュアなどの毒素分解魔法でも効果が及ばない。このようなことから細菌への抗体はどうしても必要になる。
「こりゃぁ~、少し調査もした方がいいかねぇ」
「ゼロスさんと行動すると、何で面倒事が増えるんだか……」
「僕のせいじゃないでしょ」
「トラブルを引き寄せる体質なんじゃね?」
「よしてくれ」
かくして二人はチャク・チャックがダンジョン内でどれだけ生息しているのか、誰かに頼まれたわけでもないのに勝手に調査を開始した。
まぁ、スタンピードでチャク・チャックがダンジョン外に出てしまうことになれば、他人事では済まされないのだから仕方がないのかもしれない。
下手に傭兵ギルドに報告などすれば、それこそ被害者が増えかねないのだから。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
「あ~………暇だなぁ~」
ゼロス達がチャク・チャックの調査に動き出していた頃、次元を隔てたもう一つの世界では、世界の監理者であり観測者でもある名状しがたき神――ケモさんが腐っていた。
次元崩壊が未然に防がれたことを、ルシフェルの報告で訊いた彼は当初は喜んだものだが、時間が経つにつれその喜びも薄れ飽きた。
次元崩壊の兆しを感知し問題の起点となる惑星の情報を、彼は四神を騙し異世界渡航の許可と引き換えに手に入れ、時間を逆行しデータ収集のために一つの星系を創造したが、役割を終えた今となってはこの星系が神々の遊び場だ。
それぞれが好き勝手に楽しんでいる。
この星系は理が外周の星系とは大きく異なるため、次元断層の結界によって隔離された世界であるために、人間達では観測すらできないだろう。
また、ケモさんが管理する世界のギリギリの領域に存在するため、他の世界を管理する観測者も遊びに来る始末。
ソード・アンド・ソーサリスの世界はかつてないほどに賑わっていた。
――が、ケモさんは不満が溜まっている。
「ここは僕が管理する世界のはずなのに、被害に遭った世界の連中ならともかく、なんで他の関係ない世界の連中がくるわけ? まぁ、次元崩壊を防ぐため互いに協力してきたのは確かさ。けど、それと観測者が分身体を送り込んで遊び回るのは違うんじゃない?」
「そう思うのであれば、その不満を直接本人達に言えばよいではありませんか。ここで愚痴を言われても困ります。それと仕事をしてください」
「ガブリエルちゃん、きっつ~い。仕事してるじゃん! 僕、頑張っているよねぇ!?」
「不平不満を私に言われても困るだけです。そんな暇があるならデータを処理してください。報告が溜まっているのですが?」
「………泣いてもいいかな?」
「データを処理しながらであれば、好きなだけ泣いてください」
しぶしぶ端末を操作して恐ろしい速さでデータを処理していくケモさん。
その最中、急に手を止め送られてきたデータを凝視する。
「ねぇ、ガブちゃん?」
「変なあだ名をつけないでください、迷惑です。それで、なんですか?」
「オーディーンのおっさんとゼウスの狒々ジジィの監理する星系で、星間戦争が勃発してるんだけど、どうゆうこと?」
「最近二人で飲んだそうですが、そこで何が原因かは分かりませんが喧嘩が始まりまりまして………。それが理由で星間戦争が勃発したようです」
「なにしてんの!?」
「オーディーン様はキノコ派で、ゼウス様はタケノコ派だそうです。スギノコ派はどこへ消えたのでしょうか? 私、アレが結構好きだったのですが……」
「知らないよぉ!?」
訳の分からない理由から、星系に住む住民を巻き込んで星間戦争が勃発したようであった。神々はときに洒落にならない面倒事を引き起こす。
問題が一つ片付いたら別の問題が持ち上がるのは世の常だ。
「まぁ、あの星系は文明が停滞傾向にありましたから、これもちょうどいいのではないですか? 魂管理局の方々からは文句を言われそうですが」
「戦争始めるなら事前に連絡しなよ。こっちに後始末が回ってくるんだからさ」
ふて腐りながらも端末の操作を再開するケモさん。
理由はともかく発達しすぎて停滞した文明圏に刺激を与えるのは間違いではない。
だが、それにしても事前に許可申請書を提出してほしかった。
ほどなくしてケモさんはルシフェルの報告し書をデータの中から見つけ出す。
「ふむ……向こうは魔力の減衰した惑星の再生を始めたようだね。ダンジョン・コアを利用するのかぁ~。なかなか楽しい世界になりそうで羨ましいよ」
「そう思うのであれば、この世界をアップグレードしてしまえばよろしいのでは? 主様なら簡単にできるはずですが」
「高濃度の魔力は生物の生態系に多大な影響を与えるけど、魂の進化にはあまり期待できない。特に僕達の世界ではね。環境が不便なほうが魂の進化を促せる物質文明が最適さ」
「その代わり資源の枯渇が早いですけどね」
「何かを得ようとするなら、何かを失うのは当然じゃないか。物質世界に縛られてている以上は犠牲なしに文明は構築できない。それは魔力に満ちた世界でも同じだよ」
ケモさんの監理する世界では物質による文明構築がメインの世界だ。
低レベルの物質文明圏では魂が神の領域に踏み込んだ者達が大勢いたが、高レベルの文明に発展したときにその勢いを失くし、現在は衰退傾向にある。
これは自然界に対する信仰や呪術的概念が魂に影響を与え、霊質を自ら過酷な環境下に置くことで鍛え、その境地に辿り着いた者がいたためだが、文明が高度に発達するにつれて魂の進化は著しく低くなった。
生活が豊かになった世界で、霊的な世界へ目を向ける者が少なくなったためであろう。
心霊スポットに好奇心で挑む程度では魂の昇華には繋がらない。
「そういえば、下界で心霊スポットが最近増えましたよね。事故物件とか廃病院、使われなくなったトンネルとか廃村跡地……あとは戦場跡地でしょうか」
「死を受け入れることができず、今も世界にしがみついている魂達だよね。そりゃ怨霊化するよ。彼らは今も生きていると思い込み、死という現実から逃避しているんだから。そうした連中が傷の舐め合いで集まって、生きている人達にちょっかいを掛けるんだ」
「中には欲望を消化できず、抱えたまま悪霊化している者達もいますね」
「そういった連中はタチが悪いよ。同種の人間に憑依して、自分の欲望を叶えようとするんだからさ。いつまで生前の欲望や願望にしがみついているつもりなのかね……」
かつては生者と死者との間は密接であった。
過去の時代において戦乱が続き、死はすぐ隣に存在しており、だからこそ生きることに対して貪欲であった。
交易のために海へと出て、国力を上げるために隣国へと攻め入り、危険を冒しながら生きることへの執念を文字通り命懸けで燃やして突き進んだ。
やがて世界が狭く感じるようになると、今度は国家同士の利益を求めて戦乱を引き起こし、多くの命がその犠牲になっていく。
そのような世界であるからこそ旅立つ家族の無事を祈り、病に苦しむ者の傍らに寄り添い、志半ばで散っていった者達の死に救いや未来があることを願った。
現代社会は隣に存在する死に対して鈍感になりつつあり、死者に対しては無関心を貫き、強い祈りや願いは形式的なものへとなり替わりはじめている。
悪霊が増える一方で、このままでは魂の進化が停滞しかねない勢いだ。
「悪霊化した連中を説得するのは結構面倒なんだよね。連中は自己主張が強いし、怨念の塊のくせして協力しては【異界】を作り出してさ。生者を強引にあちら側へ引き込むし……」
「そのために捜索班がいるのでは? それに主様は何もしないじゃないですか」
「そうなんだけどさぁ~………ところで、あの用務員衣装どうにかならないの? 異界に取り込まれた連中を救助する仕事とはいえ、もっとお役所仕事のような堅い感じでいいんじゃない?」
「それで救出に向かった際に、被害者達は怯えて逃げ出しましたが……」
「警官でいいじゃん。なんで制服のデザインを軍服にしたんだか」
「主様の指示です」
神隠しにあった被害者が現世に戻ってくるときに出会う都市伝説の用務員おじさん。
彼らは霊体が集まり協力して生み出した異空間から被害者を救出する、神々側の捜索部隊であった。しかしながら救出される者達の生存率は少なく運の要素が高い。
大抵は異界に飲み込まれ一部と化してしまうことの方が多い。
そもそも異界を作り出すような怨霊は遥か昔に神として崇め祀られ、時代の中に忘れ去られたような存在が同類の悪霊を呼び寄せ、存在を確立するために空間を歪めた結界の中で独自の世界を構築している。
ある意味では自然発生した天然のダンジョンと言い換えてもいいだろう。
これには観測する側であるケモさんも驚いた。
「物質世界に拘った弊害かな。まさか霊体がダンジョンを作るとは思わなかったよ、当時はね」
「昔は魔術やシャーマニズムが盛んでしたからね。それを信じていた者達や理解できないものを神として崇めた結果、魂の力が増幅され摂理を歪ませるまでに至ってしまったのかと。なぜ人間のときにこれほどの力を出せなかったんでしょう?」
「人間の想いや信仰の力は、死んでからも馬鹿にできないよね。だからこそ可能性に満ちた知的生命体が愛おしいんだよ。早く僕達のもとへ辿り着て欲しいと期待してしまうほどにね」
「剥き出しの魂のまま稚拙な概念理論だけで、よくもまぁ、あれだけのことができるものです。侮れません」
「悪霊の集合体が妄想を爆発させただけで空間を歪めるんだから、僕もさすがにびっくりしたさ。古代魔導士なんかはその異界すら自ら作り出して利用していたし、観測したときには誰もが感動したもんだよ」
「その過去の残滓が現代社会の歪みになって、現在進行形で悪さをしているのですから笑えませんよ。まるで反社会派のゲリラのようです」
物質世界とは著しく魔力濃度を低下させた世界だ。
無論多少なりとも自然魔力の存在はしているが、普通に暮らす人々はこの魔力を扱うことはできない。濃度が低くて感知できないからだ。
だが、稀のそうした魔力を扱う者達が生まれてくる。
一般的に、霊能者・陰陽師・超能力者・聖人・エクソシストと呼ばれる者達がこれに該当する。世界が異なれば彼らは優秀な魔導士になれたであろう。
しかし、自然魔力は何も彼らだけに力を与えるわけではなく、霊体にもその恩恵を与えてしまうことがある。守護霊や悪霊などがここに含まれる。
「自然界の魔力濃度がもっと高ければ、多少修行した僧侶でも魂から生前の記憶だけを洗い落とすこともできるんだけどね。けど、魔力濃度を上げた時点で所謂ファンタジー世界の始まりだよ」
「洗濯機か遠心分離器にかけるようなイメージですね」
「うん、まさにそれ。しかも上に『壊れた』って言葉が吐くけど……。高濃度の魔力は浄化作用もあるから、魂の核だけを輪廻転生の円環に戻して、汚れ――いや記憶は魔力の中に溶け込み、アカシックレコードに情報として記録される。よほど強い思念を残していたら話は別だけどね。けど、僕達の世界はその現象が著しく低い仕様だよ」
「幽霊と残留思念との違いもありますからね。幽霊は自らの意思で活動できますけど、残留思念はその場にとどまりつけて生者に危害を加える。似て非なる存在ですね」
「されど非にて似た存在。この両者は波長が合うと結合する……。近しい存在だから互いに惹かれ合うんだ。ス●ンド使いのようにね」
「魂回収部隊は苦労しているようですよ? 魂から人間の負の感情や記憶だけを落とすなんて、油汚れの如きしつこさで浄化してもしきれません。なにか良い漂白剤はないのでしょうか?」
「洗濯物や使用後の調理器具じゃないから難しい。魂に刻み込まれた強い意志の問題だからね。下手に神の力を行使すると魂の方が傷ついちゃうから、かなりデリケートな扱いをしなくちゃならないのは仕方がないさ」
「特殊調理食材みたいですね」
物質世界は魂関係でいろいろと不便があるようだ。
だからこそ神々の数は多く、それ以上に天使や死神といった公務員のような立場の者達が必要となり、他の世界に比べて神族の数は類を見ないくらいに増えていた。
「魂と言えば……例の世界に送り込む候補者の中に、特殊な者がおりましたね」
「あ~、カノンさん姉妹のことかな? 本来なら魂の波長の個人で異なり、どれ一つとして同じものがないはずなんだけど、この二人は恐ろしい確率で近い霊波長を持っていた。魂の双子なんて初めて見たよ」
「けど、双子ではありませんよね? 姉は現在社会人で妹は高校生だとか」
「まさか、一つのアバターを二人で共有できるなんて思わなかったよ。魂の波長を登録して個人識別していたのにねぇ~、アレは奇跡だよ! 長いこと生きていると、実に面白いものが見れるもんだね」
「その奇跡のせいで、彼女をあの世界に送り込めなかったのですが?」
「波長が似ているとはいえ、全く同じものではなかったから。そのせいで候補者選定のシステムがエラーを起こして、不適合者としてこっちに残っちゃったし、事が終わった後に気づいたんだからしょうがないよ。いつも世界は僕達の予想を超えてくる。けど、ゼロスさん達だけじゃ不安なんだよなぁ~…………」
そう、殲滅者の中でゼロスだけでなくカノンも異世界送りの候補者であった。
だが、カノンは妹とドリームワークスを共有して使用し、ソード・アンド・ソーサリスの世界で遊び廻っていた。
ケモさんの予定では、問題の世界で観測者が復活したとしても、世界の再生は簡単にはいかないと結果が出ていた。だからこそ復興の支援目的で自分の世界から有力な候補者を選び、かの地へと送り込んだのである。
「魔力が枯渇しかかっているということは、世界樹以外にダンジョン・コアも活動を停止していることは明白。自然界の魔力濃度を元に戻せば、再起動したときに各地で様々な混乱が引き起こされるだろうからね。だからこそ人命救助の支援目的で上位プレイヤーを送り込んだんだ。向こうの人間が絶滅しかねないからさ」
「向こうの観測者に恩を高く売りつけたとも言いますが?」
「売れるときはとことん売りつけるよ? データ共有もしておきたいし、今後の世界管理についていろいろと相談もしたい。自分との同類と交流を持てることはメリットがあるんだ」
「たかだか惑星一つの支援ですけどね」
「けど、その惑星一つが次元崩壊の引き金になる寸前だった。このデータは今後の想定されるイレギュラーに対応するシステム構築に使えるから、緊急時のマニュアル作成のよい資料になるよ。多少無茶してでも恩を売りつけ――もとい恩返ししたいところだね」
「世界を壊そうとする無知な愚か者はいません」
「何事にも想定外はあるさ。だからこそ親密な関係は築いておきたいんだ」
そう言いながらも、ケモさんはデータ処理を続けた。
空宙に浮かぶ無数の透明なモニターには、今も異世界で生き残っているプレイヤー達のデータが映し出されている。
それに一度だけ視線を向けると、ケモさんは戻ってきたプレイヤー達の蘇生許可にサインをすると配下の者を呼び、その後は担当部署に一任することになる。
彼らプレイヤーは一度時間を巻き戻り、異世界送りになる時間軸から再び日常生活を始めることになる。それは現在の歴史が変わることを意味した。
修正されると言った方が正しいのかもしれない。
こうして超越者達の手により、【ソード・アンド・ソーサリスプレイヤー、集団変死事件】は、文字通り歴史から痕跡すら消されてゆくことになる。
それらの全てを統括する観測者のケモさんは、『カノンさんを向こうに送り込めないかなぁ~? 今からじゃ無理かな? ゼロスさんとアド君だけじゃ不安なんだよなぁ~』などと考えていたりする。
連続勇者召喚の影響で次元世界同士を隔てる異空間が不安定となっている今、人間一人を送り込むにも相当な危険を冒さなければならないわけで、ケモさんは危険を承知で助っ人を送り込むべきか、少しばかり悩むのであった。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
ダンジョンは薬草の宝庫であった。
勿論、多くの魔物が生息しているがゼロスとアドの前では敵にすらならず、一般的に転売されているものや希少なものまで採りたい放題のウハウハ状態。テンション上がりまくりで採取に没頭していた。
普通に売り捌いても一財産くらい稼げそうな勢いだ。
別の言い方をすれば乱獲し放題とも言う。
「ふふふ……いいね、いいねぇ~♪」
「なんか、見たことない薬草なんかもあるけど、これって使えるのか? 俺は世間一般的に流通している魔法薬しか作れないんだが……。カノンさんのレシピは難しすぎて無理だし」
「作業工程が複雑だからねぇ、僕もたまに苦労してるよ。品質もカノンさんに比べれば極端に低いし、彼女は成分分析もしてたからねぇ。専門職じゃないと上手くいかないこともあるさ」
「研究は専門外なんだよなぁ~………」
「ユイさんにやらせてみれば? 君なら状態異常無効化のアイテムくらい作れるでしょ」
「部位欠損するような爆発でも起こしたらどうする気だよ」
「そこは瞬間的に発動する結界や魔法障壁でカバーすればいいんじゃね?」
アドが店を開くとして、商品を作るのがアドだけでは無理が出てくる。
無論ゼロスも少しは手伝うつもりではあるが、商品は毎日補充しなくてはいずれ底を突いてしまう。入荷の当てがない以上は自作で何とかするしかない。
ソリステア派の工房と繋がりを持てば、仕入れや経営サポートも受けられるのであろうが、公爵家が管理する国家機関の一つと密接な関わり合いを持つのは避けたいところであり、結局のところは自営業を何とか切り盛りしていくしかない。
夫婦二人での経営ができるのかゼロスには甚だ疑問であったが。
「まぁ、どっちにしてもユイの奴に錬金術を教えるのは却下だな……」
「そらまた、なぜに?」
「してもいない浮気を疑われたとき、その都度毒を盛られるから……」
「Oh―…………」
ヤバい奴――もとい愛情深い女性に錬金術の知識は危険だった。
ケモ・ブロスとは真逆の立場で、亭主の命がヤバい。
「………ポーションを入れる瓶も作らなきゃ駄目か?」
「あ~……陶器製の試験管でいいんじゃね? 蓋はコルクで塞げば充分でしょ」
「陶器は瓶を作るより面倒じゃねぇか。俺だと魔導錬成で作りだすのは無理だ」
「じゃぁ、地道に大量の砂を集めますかねぇ~」
「近くに川でもあればいいんだが……」
「使い魔でも放って周辺を調べてみるかい?」
そう言いつつもすぐに使い魔を放つおっさん。
調べてみたかなりだと、かなり広大なフィールドのようで、森をすぐ出ると遺跡らしきものが点在する平原が存在し、その先に川が流れているところを発見する。
川底が見えるほど透明度が高い。
「ん~、砂の確保はどうにかなりそうだねぇ」
「おっし!」
「んお?」
使い魔の視覚から、川の中に蠢く大量の生物の影を確認した。
それを見た瞬間、おっさんの脳天から足下にかけて稲妻のような衝撃が走り抜けた。
「アド君、アド君!」
「なんだよ、ゼロスさん。急に興奮状態になって………ま、まさか…俺に欲情したとか!?」
「…………アド君や、そのボケはときに命取りになるということを知ろうや。一瞬だけど……本当に一瞬だけど、君の死体すら残さない決意をさせる程度の殺意が湧いたよ」
「お、おう………。つか、程度どころの話じゃねぇだろ!? 確実に俺を殺ろうとしてたんじゃねぇか!」
「そんなことはどうでもいい! この先の川で、でかいエビを発見した。イセエビとかロブスターを超えるほどの大物で、しかも大量に生息しているぞ」
「なにぃ!?」
異世界だけに陸上にも蟹や海老はいる。
しかし、それは通常種を遥かに超える巨体の蟹や海老だ。
しかも味に関しては美味いのだが、食性が異なるのか金属の味や、妙に苦みのある味などが含まれていたりする。
最悪の個体になると毒を体内に宿しているものもいるほどだ。
雑食ゆえに何でも食べてしまい、結果として体内に金属物質や毒を蓄えてしまうのであろう。だが澄んだ水質の川に生活しているとなると味は保証される可能性が高い。
「問題は寄生虫か」
「ちょいまち! ゼロスさん、ここはダンジョンだ。仮にエビを捕らえたとして、どうやって持ち帰るつもりだ? 生き物はインベントリー内に入らないだろ」
「………即死させてすぐに納めればいいんじゃね?」
「なるほど、ダンジョンに吸収する前に根こそぎか………」
「気になるなら実験してみるといいかもしれない。インベントリーの入れるのと、調理の両方を試す」
「土産にもなるからな、すぐに試すか!」
二人は無言で頷き合う。
この二人、甲殻類がもの凄く食べたかった。
勿論だが、オーラス大河にもエビやカニはいるのだが、やや泥臭さが残っているので二人はあまり好みではない。
食べる前の下処理では三日ほどかけて体内の泥を抜かねばならず、調理する前段階までに時間が掛かるのだ。しかし透明度の高い川の中に生息する蟹や海老は期待が持てる。
「すぐさま確保だ! アド君、覚悟はいいかい?」
「勿論だ。俺はこれから修羅に入る」
おっさんと青年は、まるで何かに憑りつかれたかのように、全力疾走した。
溢れる食欲が抑えられない。
進む方向になにやら不可思議な魔物もいたようだが、一瞬にして倒してしまい、哀れにもダンジョンに吸収され消えていった。
「あれだけ透明度が高いと、僕らの姿を見た瞬間に一斉に逃げ出す。なら、分かっているね?」
「おうよ。一瞬で仕留めてやらぁ!!」
一陣の風となった二人は、川に反射する光が見えてくるところを確認するとすぐさま魔力を高め、走りながらも魔法を放てる準備を開始した。
そして水面が近づいてきた瞬間に魔法を躊躇いもなく放つ。
「「 サンダー!! 」」
まるで落雷でも落ちたかのように川に水柱が上がり、電流が無差別に水面を伝って駆け抜ける。ちなみに電流を流して魚を捕るビリという漁法は違法である。
「捕れやあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「駆逐する勢いでゲットォオォォォォォぉォォォッ!!」
どこからともなく取り出した大きな網で、感電したエビを乱獲していく。
なにが彼らを其処までさせるのであろうか?
このエリアの蟹やエビを本気で駆逐しかねないほど、凄まじいばかりの勢いであった。
「死んでいる奴はインベントリーに入る。大量だぜ」
「問題は味だよねぇ。回収を終えたらさっそく味見してみようか」
「調理している最中にダンジョンに吸収されないか?」
「その辺りは大丈夫なんじゃね? ダンジョン内で料理したことがあるけど、食材が吸収されることはなかったから」
「生息している魔物限定で吸収している可能性もあるし、ここは検証する意味でも塩茹でにしてみようぜ」
「いいねぇ~♪」
さっそく鍋を用意し、塩を入れた水にエビを無造作に入れて茹で始める二人。
検証とは名ばかりで、その目はどう見ても食欲に憑りつかれた捕捉者のものであった。
煮込んでいる最中も腹の虫の大合唱が止まらない。
「マヨネーズとチーズもあるし、エビが煮える間に焼いてみるのもいいんじゃないかい?」
「なっ!? それ……絶対に美味いやつじゃん!!」
「食欲が抑えられないねぇ………」
「やべぇ、まだ焼いてもいないのに涎が………」
もの凄く邪悪な笑みを浮かべながらエビを焼く準備を始めた。
確保したエビを包丁で縦に両断すると、そこにマヨネーズとチーズをのせじっくりと焼き始める。アクセントにハーブをまぶすと良い香りが鼻腔を擽る。
「ま、まだか………?」
「もう少し………駄目だ、止められない食欲が早く食えと僕を急かす」
「胃袋が食いものを欲してやまねぇ、さすがはエビだな」
「今日は暴食に走るだけで終わりそうな気がするねぇ」
青い殻が赤色に染まり、焦げ目のついたチーズとマヨネーズの色合いが食欲を増幅させる。見ているだけでも美味しいやつだ。
もはや無言となった二人の皿に二つに分けられたエビを乗せると、銀色に輝くフォークを天高く掲げ、まるで最悪も魔物にでも挑まんばかりの気迫でエビに向けて振り下ろす。
凄まじい速さで振り下ろされたフォークの先には、チーズとマヨネーズに包まれたエビの白身が湯気を上げて刺さっていた。
そして、切腹でもするかのような覚悟で目を閉じると、ぷりっぷり熱々の身を静かに、そして香りすらも味わうようにゆっくりと口の中にいれる。
無言の二人の間にかすかに聞こえる咀嚼音。そして……。
「「 筆舌に尽くしがたし!! 」」
……くわっと目を見開き、同時に同じ言葉を叫んだ。
そこからは無言だった。
一匹や二匹では足りぬと追加のエビを焼き、ただひたすら貪り食らう。
ついでに茹で上がったエビにも齧り付き、胃袋に限界が来るまで一心不乱に没頭ならぬ没食を続けた。あまりの美味さに涙を滝のごとく流しながら……。
「「 ごちそうさまでした……… 」」
二人は生まれて初めて食材に感謝をした。
逆に言うと感謝の念を抱くほどの美味であったということだ。
「いやぁ~、実に満足いく味だったねぇ」
「………なぁ、一心不乱に食っていて気付かなかったが、アレってエビではなくザリガニなんじゃねぇのか?」
「どっちでもいいじゃないか。美味かったし」
「そうだな。ミソの苦みと身の甘さといったら、思い出しただけでも……」
「殻もガンガンに煮込めば、濃厚なスープが作れんじゃね? 試してみよう」
「俺の腹を壊す気か!?」
思いついたら即行動。
おっさんは食い散らかしたエビの殻を集め川で丹念に洗うと、火を通したオリーブオイルとニンニク・バターで炒め、全ての旨味を抽出するために手持ちの金属棒で粉砕いていく。
半ば粉々になった殻の状態を確かめ、高温で加熱しつつも水と複数の切り刻んだ野菜や香草を適当にぶち込むと、しばらくじっくりと中火で煮込み続けた。
「そんな棒でよく粉々にできたな……」
「力押しの荒業だけどね。鍋をもう一つ用意して、旨みの含まれた濃厚スープを布で濾す」
「殻は捨てるのか?」
「畑の肥料になりそうだから、持って帰るよ。ゴミのポイ捨てはダンジョンでも駄目でしょ」
「くっそ、腹いっぱいなのにまだ美味そうな香りが………」
「ここで取り出しましたるドラゴンベーコンを細かく刻み、濃厚スープに入れた後に塩コショウで味を調えながら、しばらく煮込めば………」
ほどなくして赤いスープが完成した。
味のベースはトマトの野菜たっぷりスープが出来上がった。
皿から漂う濃厚な香りに、満腹状態のアドの腹の虫が再び合唱した。
「マジか……。あんな適当な作り方で、なんでこんな美味そうなスープができんだよ」
「これが男飯ってやつさ。さぁ、お・あ・が・り・よ」
「こ、このおっさん……俺の腹を破裂させようとしていやがる」
「トッピングにチーズを乗せるかい?」
完成したスープを目の前にしたアドにスプーンを手渡すと、彼は無言のままひと掬いし、息を吹きかけ熱を冷ましながら静かに口の中へ啜っていった。
「な、なんじゃこりゃ~~~~~~~~~~っ!?」
美味かった。
暴力的なまでの美味さだった。
エビ、トマトを含む野菜、ドラゴンベーコンや香辛料の旨味が凝縮され、超濃厚。
グルメ漫画であったら巨大化して口からレーザーを放ったり、無意味に全裸になるほどのリアクションをしていただろう。
その美味さ、尊厳破懐級。
「やべぇ……この美味さの破壊力は凄すぎるぞ」
「ハッハッハ、アド君は大袈裟だなぁ~。そんなわけ……うっまっ!?」
「ゼロスはん、アンタ……なんつぅ~もんを食わせはるんや」
「まさか、ここまでとは………。これはスープパスタでもイケるんじゃないか?」
「また、そうやってメニューを増やすぅ~っ!」
ダンジョン飯を堪能する二人。
よく考えてみると魔物にいつ襲われるか分からないこの状況下で、暢気に料理に舌鼓する彼らの余裕は異質すぎるのだが、当の本人達は異常な行動に慣れてしまったのかマイペースを貫いていた。
一般的な傭兵がダンジョンに挑むとき、彼らの食料は栄養価が高くても味気の無い携行食が一般的であり、それは軍隊でも変わらない。
その常識に照らし合わせると、ゼロス達のやっていることはまさにクレイジーだ。
「全部は食いきれないか。作りすぎたようだし、持って帰ろうかねぇ」
「ユイにも飲ませてやりたいが、かのんに与えて大丈夫か?」
「ん~……甲殻アレルギーがなければ大丈夫なんじゃね? まぁ、生後間もない赤子に食わせて良いものでもないだろうから、自重しておいた方が無難かな」
「アレルギーか。蜂蜜なんかもヤバいらしいが、この世界だとどうなんだ?」
「僕に聞かれてもねぇ」
この世界の医療の常識を知らないゼロスには、子供に与えてはいけない食べ物の種類など分かるはずもなく、地球での一般常識に照らし合わせるしかない。
知らないなら無難な選択をとるしか方法がないのだ。
「さて、それじゃ~行こうか」
「どこへ?」
「いや、アド君? 君、ポーションの瓶を作る珪砂を必要としていたよねぇ? チャク・チャックの生態調査もあるし、エビやカニの確保も忘れちゃぁ~いけないなぁ~」
「最後はゼロスさんの欲望だろ」
「………要らないのかい?」
「カニは食いたいな」
海の幸が恋しい二人であった。
ゼロス達は川に沿って歩き出す。
多少進んでは砂とエビをゲットし、歩いてはまた採取と捕獲を繰り返す。
時間が掛かるが確実に素材も集めており、川の中には少ないながらも翡翠やダイヤ等の鉱物が混ざった原石も発見する。
「ふむ……以前のような古代文明の遺跡より収穫がいいな」
「遺跡だったら何か問題があるのか?」
「いやぁ~、探索していた時に擱座されていた多脚戦車と戦闘になってねぇ。主砲やミサイル撃ちまくりで大変だったよ」
「多脚戦車……アレか。分解するのが手間だったな」
「鋼材は大量に手に入ったけど、君が求めているのは違うだろ? 先ずは魔法薬専門店を開いて、鍛冶に手を出すのは後からでいい。あれこれ手を出していると面倒になるだけだから、販売業に慣れてからで充分さ」
この世界の魔法薬はソード・アンド・ソーサリスに比べて効能が低い。
市販のものを買うくらいなら自分で作った方がマシなレベルだ。
また、品質の良い者は優先的に騎士団などに回されるので、一般市民が購入するのは数でも値段的にも難しい。
「ポーションの類は専用の瓶を用意しないと、時間経過で効能が落ちていくからねぇ」
「消費期限があるのかよ。瓶に品質維持の付与魔法も掛けていないのか?」
「掛けてないよ。専用の瓶一本でポーションは10本ほど買えるさ。低品質に使うようなもんじゃないだろ?」
「まぁ、確かに……。ぶっちゃけ赤字覚悟だわな」
「付与魔法なんかも秘匿している連中がいるようだし、大量生産できるほどの錬金術師が少ないんだわ。下手するとポーションの瓶目的で店を訪れる客が来るかもよ」
「それはそれで、なんかスッゲェムカつく」
なんだかんだと話をしながら進むと、チャク・チャックの姿が見えてきた。
咄嗟に草むらに隠れ、彼らの生体を確認することにし、気配を消して様子を窺う二人は見てしまった。チャク・チャック以外の別の魔物の姿を――。
『ゼ、ゼロスさん……また新種だ』
『こりゃまた対照的な………』
チャク・チャック以外に姿を見せた新種。
それは痩せ細ったひょろ長い人型の身体にミミズのような長い頭部を持つ、実に奇妙で気持ち悪い生物だった。チャク・チャックと共通しているのは不気味という一点だけである。
鑑定をしてみると――。
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【種族名】ニョル・ミョルニール
細身長身の身体と長い手足を持つ、ミミズのような頭部を持つ人型の魔物。
長い頭部で獲物を丸呑みにし、口内にあるストロー状の舌を突き刺して血液を吸い尽くす。吸血生物のような特徴だが獲物を強酸性の胃液で溶解させ捕食する。
チャク・チャックとは縄張り争いする関係で、どちらも捕食対象。
毒のようなものは持っていないが、吐き立つ胃液は強力で危険。
目を持っていないので生物の熱や臭いを感知して狩りを行う。
貧弱そうな見た目のわりに頑丈で、30mほどの高さから地面に叩きつけられても死ぬことはないが、知能はチャク・チャックに比べて低く本能だけで生きている生物。
新たな人類種の失敗作。
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『『失敗作なんだ………』』
ダンジョンのコンセプトが少しだけ分かった気がした。
おそらく惑星上の魔力が急速に失われ、生態系が破壊されることに気づいたダンジョン・コアが独自に作り出した、新人類の試作生物なのであろう。
本能のままに生きていることから、知能は獣よりも単純な思考しか持っていないのかもしれない。どちらにしてもチャク・チャック同様の不気味生物だった。
「連中、互いに殺し合っているんだけど………」
「醜く、浅ましく、何よりグロいねぇ。処分しちゃった方がいいんじゃないかい?」
「繁殖力がどれほどあるかも分からんし、勢いで倒すのもどうかと思うぞ。連中が卵生だったらどうすんだよ」
「数千個の卵を地中に産み落として、ウミガメみたいにわらわら孵化するところを想像すると、さすがに気持ち悪くなるかな」
「よせよ、想像しちまったじゃねぇか………」
遭遇する不気味生物の数々に、おっさん達はゲンナリした表情で観察し続けるのであった。




