おっさん、今さら昔の仲間に疑問を持つ
スズメバチの巣を探す方法はいくつかある。
その中でも有効なのは一匹のスズメバチを掴まえ、その体に目印をつけて追跡する方法だ。
ハッチマーヤは体も大きく、目印をつけずとも追跡することは容易であるが、問題は巣を発見した後だ。
巨大なハチが数百匹も密集しいる巣に近づくなど自殺行為であり、下手に刺激しようものなら集団で襲い掛かってくるほど獰猛で、殺された後に細かく刻まれ肉球にされた挙句に幼虫の餌にされかねない。
昆虫ゆえに思考はシンプルで、それだけに容赦がない。
そんなハッチマーヤの巣をゼロス達は崖の中腹にある亀裂の中で発見した。
「よくもまぁ、あんな場所を見つけたもんだよ。土の中でなくて助かったけど……」
「あの中に数百匹……最悪、千匹近くいるんだろ? 結構難易度が高いんじゃないのか?」
「女王バチもいるしねぇ、かといって全滅させるわけにもいかない。貴重な素材を集めてくれる虫だからなぁ~」
「普通なら麻痺毒を発生させる煙球を投げ込むんだろうが、あの大きさのハッチマーヤに通用するのか疑問だな。通常種よりも大きいようだし、毒に対して耐性を持っているかもしれない」
「大丈夫だ。こんな事もあろうかと氷結弾を用意しておいたから、このバズーカで撃ち込もう。二・三発撃ち込めば瞬間的に−30度の温度まで下げることが可能で、瞬間冷凍させてしまえば蜂蜜からローヤルゼリーまで取り放題さ」
「なんで、そんなものを都合よく用意してんだよぉ!」
バズーカで撃ち込む氷結弾。
つまり手軽に範囲魔法を撃ち込める武器ということだ。
アドはこのおっさんが戦争する意思がないのか、本気で疑わしく思った。
「いやぁ~、狭い空間で魔法を使うと、逆流現象で僕らもダメージを受けるからさぁ~。想定される事態に対して有効な魔道具を用意するのは当然じゃないのかい?」
「なぁ、本当に戦争する気はないんだよな? 俺から見ると、ゼロスさんは戦争に備えているとしか思えないんだけど………」
「失礼な、一応は魔物捕獲用に作ったものだよ。あくまでも外気の温度を奪うことで範囲氷結現象を引き起こすもので、限定された狭い空間で使用するならともかく、平原のようなフィールドだと拡散率が高くて、たいした効果が望めないんだなぁ~」
「けど、限定された密閉空間であるなら同じ効果を発揮するんだろ? 充分にヤバい武器になりえるだろ。そんなもん気軽にポンポンと作るなよ」
「液体窒素みたいなもんなんだけどなぁ………」
「扱いを間違えたらどっちも危険なのは変わりないだろ。絶対に売るなよ? 絶対だ!」
念押しされるおっさん。
無論、販売目的で作ったわけでもないのだが、ここまで念押しされると本気で販売を考えたくなるというのが、ひねくれ者の性というものだろうか。
意図的に凶悪兵器を作るつもりもないが、こうした物理現象を利用した兵器の知識を魔導士が知った場合、いったいどのような結果を招くことになるのか多少の興味もある。
「………結局のところ、早いか遅いかの違いでしかないと思うんですよねぇ」
「だからって、率先して広げていい知識や技術でもないだろ」
「もちろん、僕もその辺りのことは弁えているつもりだよ? けどねぇ………」
「けど?」
「その知識が広がらなかったせいで、多くの人間が死ぬ可能性もあるんじゃないかなぁ~。まぁ、最終的には倫理観や結果論の問題って話なんだろうけどさ」
知識や技術は使いようだ。
確かに侵略目的で利用されれば脅威だが、その技術も防衛目的で使われると話も変わってくる。そこに善悪は関係なく、求められるのは扱う人間次第ということだ。
実際、イストール魔法学院で教えている魔法の知識でさえ、悪用すればかなり危険な事態を招くことは充分に可能だ。
魔法という学問を追求すれば、科学とたいして変わらない結果をもたらしてしまう。そのための法律や規約を制定する必要があるとは思っていた。
「んじゃ、撃ち込もうか」
「撃つんだな……」
「これはアド君の生活基盤を整えるためのもので、使わなくていいのなら使わないけど? 僕はあくまでも協力者という立場なだけだしぃ~、君が自分で素材や鉱物を何から何まで集められるなら、僕からは何も言わないし何もしないさ。結局は君自身の問題なんだからねぇ」
「うっ………」
「それに………撃ってみたいだろ? バズーカ砲」
「撃ちたい」
自分に正直なアドだった。
彼も所詮は男であり、銃やバズーカ砲などを含めた兵器にロマンを感じる普通の人間だった。どれだけ殺傷力が高かろうと軍用兵器に憧れを持ってしまうことは否定できない。
「まぁ、正確には形だけ似せた空気砲みたいなもんだけどね」
「グレネードみたいにポコスカ撃つのか?」
「どちらかといえば迫撃砲が近いんじゃね? 弾も一発しか撃てないし、次弾はセルフで後込め式……」
「四連装ロケットランチャーの形にすればいいだけじゃねぇの?」
「アド君………エグイことを考ええるねぇ。さっきまで兵器がどうのこうのと言っていた人物とは思えない発想だぞ。僕だって躊躇ったというのに………」
「…………うっ」
そう、ゼロスは確かに現代兵器に似せて作った空気圧式バズーカであったが、あえて効率性を除外した。
誰かに見られて真似されても面倒ということもあるが、それよりも自分が使う上で単発火力というロマン武器の一点を重視し、大量虐殺兵器と橋掛けのような多連装式を意図的に避けたのだ。
一応この世界の文明レベルに配慮もしていた。
その心づかいの傾向がいささかズレまくっているようだが。
「自覚しようか、アド君。どれだけ綺麗事を並べ立てても君は僕と同類なんだよ。むしろ効率性を重視する点では僕よりタチが悪い」
「それは、認めたくない事実だな………」
「事実でしょ。なんだかんだ言いつつも結局は利便性を求め、兵器は高性能であることを望む。現実を軽く考えているじゃないかい? 行動に反映されない言葉は、重みを感じないんだけど」
「魔導銃やダネルMGLを作っておいて説得力がないぞ」
「アレは弾の製作が難しいという欠点がある。魔封弾を一から作るとなるとかなり手間がかかるから、コスト面でも優しくなくて実用向きじゃないんだよ。僕の魔導銃はもっとお金が掛かると思うよ。希少金属や素材をこれでもかと使うからねぇ」
以前製作したダネルMGLグレネードランチャー。
これは弾丸である魔封弾がミスリルやオリハルコンなどの希少金属をコスト度外視で使用することもあり、素直に火薬式を作った方が遥かに安上がりだ。ソリステア魔法王国側に知られても防衛費の予算や生産性の問題から手間ばかり掛かり、量産は難しすぎる。
ソリステア派の工房で量産している魔導銃と比べても、使用される金属や性能を上げるために使用した希少素材だけでも国家予算が飛ぶほどの価格差があり、標準装備にするには不向きだ。
これなら魔導士に無詠唱魔法と近接戦闘技術を叩き込んだほうが安上がりだろう。
敵陣への範囲魔法攻撃を撃ち込むなど、わざわざ高価な魔道具を使う必要はなく、長距離狙撃も今の量産魔導銃で充分こと足りる。
魔導士が大勢国に所属しているというだけで、戦場では優位に立てるのだ。指揮官が突撃一辺倒でない限りだが……。
そんなことをアドにつらつらと語るおっさんは、『同じ話をするのは、これで何度目だっけ?』などと思っていたりした。
「というわけで、バズーカを撃とうか」
「どんなわけだよ。つぅか、コレも高価な魔道具なんじゃないのか!?」
「いぃ~んや。撃ち込む弾には二つの溶剤が封入されているだけで、けっして魔法なんかじゃないんだ。これは化学反応によって外気の温度を瞬間的に奪い去るだけのただの物理現象だよ。まぁ、中身はこの世界の不思議素材から作ったけどね」
「なぁ………それ、製造方法さえ覚えられたら、この世界の住民でも量産ができるんじゃないのか? むしろ魔導銃なんかよりも危険な兵器になるんじゃないか?」
「不可能ではないけど、知らなければ作りようがないんだからさぁ、そんなに警戒する必要もないんじゃないかい? 教えなければいいだけの話なんだから」
科学と化学に基づく理論からなる物理現象であるなら、研究をすることで量産も可能になるだろう。
しかし、この世界の住民は物理現象による爆発なども、全て魔法による効果であると判断する。されてしまう。
ましてゼロスが行ったの技術は、魔法薬の知識と技術に科学と組み込んだもので、どちらか一方だけでも成立することはない。
しかも、これを確立したのが同じ殲滅者であるカノンであるため、ゼロスが一から伝えようと思ったところで、この知識というかレシピを流用した当人が理解できていないのだから無理な話だ。あくまでも素材を用意して作業工程を順番通りに行っただけにすぎない。
ゼロスとしては魔法薬でこの現象を起こすより、魔法の術式で行った方が手っ取り早く、不便であるとさえ思っていた。
「どうせカノンさんのレシピの流用だし、見たところで理解なんてできやしないさ。魔法薬に込める魔法も口伝だったしねぇ」
「つまり、レシピがあっても作ることが難しいのか」
「元が水虫の治療薬だったしねぇ」
「なんでそうなった!?」
水虫の治療薬も作るだけなら調合で出来るが、そこにカノン独自のオリジナル配合が加わり、ついでに魔力を込めたことで変な効果を発揮するようになった。
しかも途中経過の水虫治療薬でさえ高レベルの調合技術が必要となるわけで、とてもではないが今のこの世界の文明レベルでは再現不可能。
量産ができるようになるまで、いったいどれだけの歳月がかかるか分かったものではない。
「レシピの調合方法も恐ろしく細かい指示が書かれていてねぇ、僕でも苦戦するほどだったよ。再現できただけでも褒められるべきレベルかなぁ~」
「あぁ~………それは確かに不可能なレベルだわ。俺じゃ作ることすらできないだろうな」
「というわけで、これ。さぁ、バズーカを撃とうか!」
「要するに、バズーカを撃ちたいだけなんだな」
「せっかく作ったんだしねぇ。効果がどれほどのものか知っておく必要があるでしょ」
アドは諦めた。
そして、バズーカを右肩へ水平に乗せると、照準器を使いハッチマーヤの巣がある岩壁の亀裂に狙いを定め、引き金を引いた。
『ポスポスッ!』と間の抜けた音と共に弾頭は岩壁の亀裂奧へと吸い込まれ、少し時間が過ぎた頃に空洞内は霜で白く染めあげる。
「…………念のため、もう二発ぶち込もうかね」
「充分じゃないのか?」
「念を押してだよ。どうせ君は夜のバズーカを撃ち込むのも得意なんだろ? 『俺のバズーカはもっと凄いんだぜ☆』なんて言って、毎晩ヒャッハーしてんでしょ。畜生めぇ!!」
「下ネタぁ! あと、俺はそんな真似した覚えはねぇぞ‼ 知らないのに変なイメージを勝手に押し付けてくんなぁ!!」
「知らぬさ、それがどうしたぁ! 天然鈍感男を装いユイさん焦らし、意図的に誘導し関係を持ったままの勢いを持続させ、突き進んだ道だろぉ!」
「変なテンションでいきなり嫉妬してんじゃねぇよ!? 酷い濡れ衣だぁ!!」
おっさんは年下の女性二人の関係に対して、未だに悶々とした感情を消化できずにいた。
これはジャーネの方も同様で、こうなると『もう、どんな形でも関係を持ってしまった方が楽ですね』と吹っ切れているルーセリスの決断も、妥当な判断と考えていいだろう。
初恋が実の姉に潰されたゼロスと、初恋相手が父親と言っても差し支えない年代の男性であったジャーネ。
トラウマと一般良識の板挟みの違いはあれども、恋愛に臆病になっていることはどちらも変わりない。
そのジレンマがアドに嫉妬という形で向かうのは、なんとも大人気ない。
「地獄で会おうぜぇ、ベイベー‼」
「ハッチマーヤに八つ当たりしてんじゃねぇよ!?」
二丁構えでバズーカ発射。
しかし、その行動理由が実に情けなく、そして酷かった。
「さて、それじゃ採取に移行か」
「………さも何事もなかったかがごとく。ゼロスさん、ここ最近……情緒不安定になってないか?」
「恋愛症候群を発症するとねぇ、思考能力が過敏になることが自分でも分かるんだよ。それが何かのきっかけで一気に暴走する。その恐怖の最たるや………。無邪気な心のままでいられたなら、それさえ分からないでいられたのに……」
「それなんだが、自分で抑制できないのか? 人間なんてウサギと同じで年がら年中発情できる生物だろ」
「それができるなら、僕がとっくにやってる。惑星規模の魔力枯渇が大きな原因だから、自然界の魔力濃度が元に戻るまでこの奇病は発症する。君も他人事じゃないんだけどねぇ……」
恋愛症候群の発症原因は自然界の魔力濃度が極限までに低下したことにより、その環境下で多くの人種が慣れてしまったがため、わずかな魔力変動で相性の良い者同士の脳波が魔力で同調し、魔力波の増幅でレッツ・フォーリンラブを決めてしまう現象だ。
恋はいつでもハリケーンとかいうが、ハリケーンどころか破滅への片道切符になりかねない災厄だ。この惑星の自然界魔力が元に戻ったとき、後世の歴史家はこの珍妙な季節病をなんと書き記すのであろうか。
遥か未来においては笑い話になっているかもしれなと思うと、おっさんとしては『せめて自分の醜態が歴史に残るような事態にならないで欲しい』と願わずにはいられない。
そんな哀愁漂うやるせないゼロスの背中をアドは見ながらも崖を登っていく。
ほどなくして断崖に開いた亀裂へと到着した。
「おぉ………見事に凍り付いてるねぇ」
「ハッチマーヤ、全滅したんじゃね?」
「この巨大蜂は冬眠するから、この程度で死ぬことはないよ。それにしても………デカい巣だねぇ。こんなのは初めてだ」
「………これはすげぇ」
亀裂の奥は冷凍庫状態であった。
幼虫を育て、巣を守る単純だが平穏なハッチマーヤの日常が、外からの襲撃者によって一瞬にして氷結させられてしまった。それでも彼らは生きていた。
「ソード・アンド・ソーサリスでもここまで巨大なものは無かったぞ」
「天井から床まで、だいたい10mくらいかな。奥行きもあるようだし、かなり大きな巣だ。さて、採取の時間だよ」
ハッチマーヤの分類上はミツバチだ。
だが、その習性は雑食性に近く、花の蜜を集める個体と魔物の肉を集める個体が存在し、役割分担で幼虫の世話をしている。
「蜂蜜は確か、ハッチマーヤの卵から孵化したばかりの幼虫に与える餌だったよな?」
「ある程度大きくなると、魔物の肉を唾液と混ぜて発酵させた餌で育て始める。この餌――【インセクトベント】もかなり高額で取引されるぞ。一流の料理人が作る肉料理よりも遥かに美味らしい」
「なんの魔物の肉が混ざっているのか分からねぇから、食いたくねぇな」
「ゴブリンですら餌に使うからねぇ」
インセクトベントは幼虫の餌であるが栄養価も高く、肉の旨味が凝縮されたダンジョンの珍味扱いで、掌サイズの缶詰で売っても三カ月は豪遊して暮らせる値がつけられた。
この世界では分からないが、高級食材として広まる可能性は充分にある。
「肉質は蜂蜜の糖分の発酵作用も関係して、どんな魔物の肉でも最大限に熟成されるとか……。ファンタジーの世界は常識が通用しないから、よく分からん」
「糖分が熟成すると、アルコールになるんじゃなかったっけ?」
「ある程度の水分がないと酒にはならないよ。蜂蜜が乾燥しても糖しか残らないし、抗菌作用も強いから腐らない。普通の蜂蜜でこれなんだから、昆虫系の魔物であるハッチマーヤの蜂蜜はどんなことになっているのやら……」
「なるほど、抗菌作用の強い蜂蜜を魔物の肉に混ぜるから腐らず、逆に熟成されて旨みが増すことになるのか」
「樽に満載してデルサシス公爵の商会に卸してみるのはどうだろう。いい値で買い取ってくれると思うよ。あっ、乳幼児に蜂蜜は危険だから、かのんちゃんにはくれぐれも食べさせないように」
「育児本にも似たようなことが書いてあったな。黒糖もだっけ?」
乳幼児には黒糖や蜂蜜はNGと言われている。
その原因はボツリヌス菌であり、抵抗力の低い幼児に感染すると死亡例が出てしまうほどに危険だ。他にも塩分やアレルギー性のある食材など様々だが、現代の日本では広く知られている常識だ。
「インセクトベント……本気で持っていくのか?」
「樽二十個分もあれば充分でしょ。蜂蜜もそれくらいあればいいか」
「俺と合わせて八十樽………多過ぎね?」
「この蜂蜜を使うと、ポーション作りのときに高濃度魔力水の量を節約できるし、作る手間も省けるんだよねぇ」
「奥は蜂蜜か……。馬鹿げた量だな。おっ、あそこにあるのはゴールデンローヤルゼリーか」
「手分けして採取だ! 君の場合、お金はいくらでもあった方がいいんだろ」
「おう……。店を開くためにも、素材は多めに集めておかねぇとな」
ハチの巣は幾つものエリアに分かれており、一番奥には蜂蜜の貯蔵庫。その手前にはインセクトベントの熟成部屋になっていた。
蜂の幼虫なども珍味として珍重されているが、さすがに抱えるほどの大きさがあるハッチマーヤの幼虫など、生きているのでインベントリやストレージ枠に入れることもできないので諦めた。
それ以前に、ここまで巨大化した幼虫など食べようとも思わない。
「俺、蜂蜜の方を回収するわ」
「じゃぁ、僕はインセクトベントの方を回収するよ。スコップでね」
「現実に採取しようとすると、普通に肉体労働だよな……」
「樽の方も実際にはそれなりに重量があるからねぇ」
なんだかんだ言いつつも手慣れた様子で採取作業を行う二人。
そんな住処荒らしの姿を、凍り付いていたハッチマーヤたちは忌々しげに見ている事しかできないでいた。
凍て付いていなければ集団で襲い掛かっていた筈なのだが、こうなると哀れだ。
ゼロス達が持ち去った素材はハッチマーヤにとって微量であったことは幸いである。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
四神の威光を失った神官達だが、彼らは悲惨な道を辿っていた。
ある国からは地位を剝奪され国外追放となり、ある神官達は町民から農民に至るまで恨みをぶつけられ石を投げられる始末。
またある者は、降臨した神によって導かれ使命に準じる覚悟を持った。
しかしながら、それ以外の者達はどうなったか?
そう、メーティス聖法神国という後ろ盾を失くした勇者達だ。
彼らはそれぞれ部隊を与えられ、聖天十二将とは別の命令系統で動ける騎士団であったが、政治の中枢を丸ごと失った国に留まるのは危険と判断し、部下やその家族まとめて亡命する道を選んだ。
彼らは自分達が率いる部隊別に分かれ、それぞれが一路ソリステア魔法王国を目指し長い旅を続けていた。
「ヤーさん、ヤーさん」
「サマッチ……その言い方は、義理と人情を秤に掛けたお堅い職業の方々みたいで、俺としては嫌なんだけど……」
【八坂 学】と【佐々木 学】の同名コンビは他の生産職の勇者達を加え、【笹木 大地】や【川本 龍臣】の部隊よりも早く亡命準備を整え、混乱の渦中にあるメーティス聖法神国から離れた。
こうした段取りを整えるのは八坂の得意とするところであり、国から出ることを望まない部下の家族達にも、『このままだと戦乱の火中に飛び込むことになるけど、いいの? 死ぬよ? 自由意思は尊重するし俺は別にかまわないけど、その時には俺達は守ってやれないからね? 生まれた土地に骨を埋めたいという気持ちも多少は分かるしね』という伝言を持たせ、半ば脅迫気味に説得することに成功した。
「それよりもヤーさん、なんか……商人たちが増えている気がするんだな」
「……機を見るのに長けた商人たちは、この国がもう駄目だと理解したんだろうな。だから家財を持ち出して心機一転、新天地で一旗揚げようとしてるんだろ」
「こうなると、食料にも問題がでてくるんだな」
「そんときには狩りでもして、何とか不足分を補うしかない。幸いとも言うべきか、このところ草食の魔物と頻繁に出くわすことが多くなってきている気がするし、間引くには丁度いいだろ」
メーティス聖法神国の広大な領地にも異変は起きていた。
先ずこの地は勇者召喚魔方陣の影響で自然界の魔力の真空地帯だったためか、植物が簡単に育たないような荒野が各地に点在していた。逆にダンジョンなどが近くにあるような土地は森が広がっており、そうした肥沃な土地は有力な神官貴族が統治している。
しかしだ、ここ最近急速に自然の力が戻ってきているのか、真空地帯であった荒涼とした大地には信じられないほど青々とした草花が繁殖し始めている。
同時に、今まで姿を見せなかった草食性の魔物がどこからともなく現れ、群れを成して移動している光景も珍しくなくなってきていた。
では、この魔物たちはどこから現れたのだろうか?
答えは分かり切っていた。
「【試練の迷宮】か、それ以外のダンジョンから魔物が放出されているんじゃないか? 急速に生態系が元に戻ろうとしているように感じるんだが、サマッチはどう思う?」
「これは危険な兆候だと思うんだな」
「……だよな」
この世界の住民たちは不安定化した国内の状況に戸惑い、周りの環境が変化し続けていることに気づかないでいるが、異世界出身の勇者達はその変化を敏感に感じ取っていた。
今は草食系の魔物やゴブリンなどの小型種が数を増やしているように思えるが、いずれは自然環境を整えるために肉食系の魔物も現れ可能性が高い。
そのような事態になったとき、今も混乱の最中にある貴族たち権力者が対処できるのか疑わしい。間違いなく見捨てられる者達も出てくるだろう。
「今も貴族派閥同士で牽制し合っているようだし、近いうちに戦争をおっぱじめるに決まっている。ヤバいのはフューリー・レ・レンバルト将軍だな」
「ヤーさんはフューリー将軍を危険視してるんだな。ぼ、僕はアーレン・セクマ将軍の方なんだな」
「フューリー将軍は人望があるし、他人を取り込む手練手管が上手い。立ち寄った街で聞いた話だと、既に周辺の貴族をまとめ上げているって話だぞ。しかもこの短期間で不安定化した行政を正常化するために苦心しているそうだ。この噂を聞いて支持しない奴なんていないだろ」
「でも、お、おかしい話なんだな。なんで、距離の離れた街にそんな噂が流れているのか、ふ、不思議なんだな」
「不思議なもんか。自分の配下を使って意図的に噂を流し、民衆からの支持を得ようとしてんだから」
情報が錯綜し混乱している時期だからこそ取れる有効な手段。
有力な貴族達は周辺の貴族達を取り込むために動く中で、民の置かれた状況は放置されたままだ。しかも自身による被害も出ているというのに何の支援の手も打てない。
そのような状況で民のために苦心する領主の噂が立てばどうなるのか。
民は自分達の住む領地を治める領主とフューリー・レ・レンバルト将軍を比べる。
高まる名声はやがて彼を王へと押し上げることになるだろう。
「じゃぁ、アーレン将軍の方はどうなんだな?」
「あの人は、どっかの馬鹿貴族を担ぎ上げたようだぞ? 一応は公爵家らしいが領地も狭く、民からの信頼も底辺って噂だ。名ばかり貴族だな」
「……そ、そんな貴族を担ぎ上げても、む、無茶なんだな」
「そんで、その公爵の名のもとに武力で周辺の貴族を平らげているらしい。いざ危険が迫ったらその公爵の首を切るつもりなんだろう。使い捨てにするには丁度いい神輿だな」
「あ、悪辣なんだな!?」
「んで、その情報を流しているのもフューリー将軍の配下の者だと俺は思っている。どっちが悪辣なんだかな……」
王になろうとしている男と、神輿を担ぎ上げて戦乱の世を作ろうとしている男。
人道を貫き名君としての片鱗を見せるフューリーと、挿げ替え可能な神輿を担ぎ上げて戦いを楽しむアーレン。勇者達にとってはどちらも物騒な存在だ。
「川村氏は大丈夫か、し、心配なんだな」
「川村は大丈夫だろ、問題は笹木の馬鹿だ。甘い言葉にホイホイと釣られそうな気がするんだよなぁ~」
「さ、笹木氏は別にどうでもいいんだな。アホが自業自得で死んでも、だだ、誰も悲しまないんだな」
「サマッチ……辛辣すぎるだろ。同感だけど」
【笹木 大地】に対する勇者達の心象は共通している。
強きに靡き、弱きを挫く典型的なクズだという意見で一致していた。
普段は偉そうな態度をしている姿は、かつて死んで逝った勇者【岩田】と共通しているが、少なくとも岩田は人間性に関してはクズでも、力に対してはそれなりの信念のようなものを持っていた。
だが笹木にはそれすらない。
場当たり的で状況に流されやすく、煽てられればその気になる単純さで、簡単に他人を裏切るような性格だ。だからこそ信用されていない。
「岩田の奴は、少なくとも強い相手に対してはそれなりの敬意を持っていたからなぁ~。何かとタイマン張ろうとしていたし、面倒な奴だったけどな」
「笹木氏は薄っぺらいんだな」
「周りから持ち上げられたら、後先考えずにその気になっちまう馬鹿だし、俺としては仲間だと思いたくない」
「ゲームだと間違いなく足を引っ張るキャラなんだな」
「もしくは、中盤で仲間を裏切り敵側に寝返るキャラだろ」
「そして、散々利用された挙句に生贄かなんかで殺されるんだな。笹木氏はそんな雑魚臭がプンプン臭うんだな」
勇者達から見た笹木の評価は最底で辛辣だった。
それすら今さらなことなので、今は合流予定であるもう一人の勇者の方を心配する。
「川村はどうしてんだろうな………。上手く俺達と合流できればいいんだろうが、善意で余計なものを背負いかねないからなぁ~」
「川村氏は人が好過ぎるし、正義感も強すぎるんだな。困っている人達を見捨てることなんてできないんだな」
「いい奴すぎるんだよ。頼まれたらNOといえない典型的な日本人そのものだし、強く迫られたら押し切られて………うっわ、考えたくない」
メーティス聖法神国にとって勇者とは聖女に次ぐ象徴的な立場だった。
召喚された当初は国民の前で大々的に喧伝され、戦闘能力の高い者は騎士団の団長クラスにいきなり抜擢。以降は軍務という名の雑用に従事させられてきた。
国のイメージアップのためにアイドル活動みたいな真似もさせられたことがある。
滅魔龍ジャヴァウォックにより聖法神国の悪事が露見させられたが、国民にとって勇者は未だに救世主扱いをしている者達がおり、国内の混乱を収めて欲しいと懇願する者も少なくない。
「こ、今回は、さすがに安請け合いはしないと思いたいんだな」
「だといいんだが……」
「それよりも、あそこが少々不安なんだな」
「あいつらか………」
二人の視線の先には、馬車の荷台で手を震わせている生産職たちの姿があった。
彼らは生産職勇者ではなく、また別口の生産職の方々だ。
「原稿を……白い原稿をっ‼」
「クッ……点描作業の後遺症が………。手の震えが止まらん…………」
「集中線………カケアミ、背景……アシスタント作業はもう嫌………。早く作品を描かせて………」
「静まれ、我が右手………今は創作意欲を溜め込むことが先決。落ち着け……落ち着くのだ」
「私に………私に漫画を描かせろぉおおおおおぉぉぉぉぉぉつ‼」
『『……………』』
ヤバい目つきのおかしな生産職たち。
彼ら・彼女らこそ、メーティス聖法神国が誇る公然猥褻創作物をばらまく、薄い本創作出版部隊の精鋭作家たちの姿だ。
度重なる修羅場を乗り越えてきた彼らは、もはや締め切り限界まで追われる日々が快楽となっており、もはやまともな生活が送れないほど行き届いた洗脳教育をされてしまった重度の駄目人間だった。
空いている時間の殆どをネームやテロップ作業を続け、寝ているときは修羅場の悪夢に苛まれる、引き返せない道を進んだ求道者だ。
彼らの日常に安息の時間はない。
「サマッチ……なんで、あんな連中を連れ出してきたんだよ。隙あらば俺達をネタにするようなクズどもだぞ」
「ソ、ソリステア魔法王国に連れて行けば、もしかしたら正気に戻せる魔法薬があるかもしれないし、まともになれば戦力になるかも知れないんだな。それに【腐☆ジョッシー】女史は意外にやる人なんだな」
「逆に、更なる地獄を見る過酷な修羅場へ突入するんじゃないか? 連中のせいで摘発を受けたらどうする気だよ。あと、ジョッシーと女史が被っているんだが……」
「そ、そそ、その可能性を見落としていたんだな……。あの人達、基本的にドMなんだな」
「こうなると、ますます川村が余計なお荷物を抱え込んでこないことを祈りたいな。あの連中だけでも厄介なのに、更に難民まで背負い込みたくはない」
「難しい問題なんだな」
しかしながら、この時の二人の心配は最悪な形で当たってしまうことになる。
多くの難民を引き連れた川村龍臣の部隊と合流することになろうとは、この時は誰も予想していなかった。
唯一の救いは笹木大地の部隊が少人数で合流してきたことだろう。
このときの勇者達は、『こいつ、本当に人望がないんだな………』と再認識したのだとか……。
薄っぺらな人間は対人関係も薄っぺらいようである。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~~◇~~
フューリー・レ・レンバルト将軍――いや、伯爵は執務室で事務官と共に政務に追われていた。
周辺の貴族達は彼に臣従し、格上の貴族たちも自分達に属する貴族達の離反で失い、その大半をフューリーが取り込むことで着々と勢力を伸ばしている。
しかしながら地震の影響で被災地の収拾が疎かになっており、その対応にも追われているので軍事行動に出ることもできず、大半の仕事が復興作業のものに置き換わっていた。
それはフューリーも同様で、さすがに毎日事務仕事を続けてはストレスも溜まるばかりだが、英雄王を目指す彼にとっては避けては通れない仕事であるため、鬱屈した感情を必死に隠しながらデスクワークに忙殺される日々を甘んじて受け入れしかなかった。
「ふぅ………。これは、どうしても南の土地を手に入れなければいけませんね」
「南、ですか?」
「えぇ、我々の領地は国のほぼ中央寄りですからね。他の貴族の領地を得ても海側の国との距離は遠く、交易のためにはどうしても街道を抑えたいところです。流通経路を確保しないことには復興もままなりません。難民も増えてきていますしね」
「ソリステア魔法王国は南東ですから、領地から見て南とは、小国家群との交易ですか?」
「商業連合国と言い換えてもいいかもしれません。複数の国が関所を廃止し自由貿易を行っていますから、交渉次第ではソリステア魔法王国より関税を安くすることができるでしょう」
「ソリステア魔法王国との交易はいいのですか?」
「今のままでは足元を掬われますよ。あの国には危険なお方がいますからね」
「…………【沈黙の獅子】ですか?」
「あのお方ほど英雄に相応しい……いえ、覇王の方が正しいでしょうか。今の段階で敵に回すには恐ろしい人物ですよ」
フューリーは英雄王を目指すにあたり、特に危険視している人物がいる。
世代を重ね君臨するグラナドス帝国の【征服皇帝】と、その皇帝を支える正体不明の軍師【静謐の指し手】、自分の英雄譚の好敵手として選んだアーレン・セクマ将軍、そしてソリステア魔法王国の影の王にして【沈黙の獅子】の異名を持つデルサシス公爵だ。
そして、フューリーは誰よりもデルサシス公爵に強い憧れを持っていた。
「あのお方が本気で動けば、この大陸の半分は確実に支配できるほどの実力を持っていると、私は思っています。まったく………なぜあのお方が王でないのか理解に苦しみますよ」
「酔狂なのでは? もしくは常識に囚われない自由人の可能性も高いですね」
「あのお方にとって西域中央の領土争いなど、つまらないものなのでしょう。せめてファーフラン大深緑地帯全域にも大国が複数存在していれば、あの方も大陸制覇に興味を持ったかもしれませんね」
「私達にはありがたい話なのですがね」
フューリーの口調にはどこか熱が込められていた。
彼が西域中央を含めた北大陸全体を西域と呼称するのは、世界から見てもちっぽけな人類生存領域で争い合うことに対し、酷く滑稽な印象を持っているからなのであろう。
そんな狭い領土争いにデルサシス公爵が動くなど、覇王の才を持つ者には相応しくない行為であると考えていた。ここまで来るともはや心酔の領域である。
「ところで、最近は奇妙な報告が多いようですね」
「奇妙……ですか?」
「えぇ……畑に植えた作物の成長が早くなっているとか、今まで魔物の姿すら見たことのない地域でゴブリンが活発に活動しているとか………」
「私のところにも挙がっていますが、それほど気にすることでしょうか?」
「気になりますね。えぇ………とても気になります」
四神を下し本当の神は復活を果たした。
そんな神が次に起こす行動は世界の再生であろうことは予想がつく。
植物の急速な成長はそこに端を発していると思われるが、問題は魔物の姿が各地で見られるようになったということだ。何かを見落としているような気がしてならない。
『魔物……つまりどこかで繁殖をしていた? しかし、なぜ今頃になって……いや、今だからこそ魔物が活発に動き出したと見るべきでしょうか? これが神の復活による影響だとするのであれば、魔物が増えやすい環境………ダンジョン?』
今まで起きた事実から関連する情報を纏め推測するフューリー。
ダンジョンが魔物を放出するという話は傭兵ギルドからの報告を受けているが、メーティス聖法神国ではダンジョンから魔物を放出されるような事例は長いこと起きていない。
この手の調査は魔導士の学者が行っているもので、魔法そのものを禁止していたメーティス聖法神国では全ての関連する書物や研究資料を焚書しており、簡単に調べることができない環境にあった。
そのため憶測交じりの推論で調査を始めなくてはならない。
『調査をするには行動方針を決めておく必要がありますね。勇者の召喚による世界の魔力枯渇……神はきっと世界中の魔力を元の状態に戻そうとするはず。もしダンジョンがこの影響で活性化しだしていたのだとすれば、ダンジョンでは既に魔物が繁殖場と化していることになります。ですが………』
世界の魔力濃度が元の状態に戻る影響でダンジョンが活動を始めたと考えると、今おかれている状況にも辻褄は合う。問題は魔物の繁殖力だ。
魔物も生物である以上、成長するには一年やそれ以上の年月を必要とするはずだ。
仮にダンジョンで繁殖が行なわれていたとして、短期間で放出するほどまで大繁殖させることが可能なのか疑問であった。しかもメーティス聖法神国で活動状態のダンジョンなど【試練の迷宮】以外になく、魔物の放出現象が起きたという事例など聞いたこともない。
『今まで活動状態になかったダンジョンが活性化していると仮定して、この推測が正しかった場合、遺跡と化した古いダンジョンは実は休眠していただけで、活動を再開したと見ることができる。これは徹底的に調査をしないと危険ですね』
フューリーの国造りは今のところ順調だ。
何とかギリギリの状況で地震による被災地の復興が進む中、不確定要素を放置しておくのはマズイ事態だと結論付ける。考えすぎであれば笑い話で済むが、事実であった場合いは最悪の事態を招く恐れがあるからだ。
「………直ぐに、傭兵ギルドに通達を出してください」
「通達ですか。それで、なんと?」
「私の名を使い、『試練の迷宮ならびに各ダンジョン跡地の徹底調査』の要請を出します」
「我が国にはダンジョンがいくつか確認されていますが、一つを除いて稼働しているという話は聞いたことがありませんが? それなのにダンジョン跡地にも……ですか。そこまで徹底する必要があると………」
「えぇ、もしこの世界の魔力が減衰した影響でダンジョンが活動を停止していたとしたら、世界に魔力が戻ることで目覚める可能性も捨てきれません。この忙しい時期に魔物の相手までしていられませんからね。念入りに調査をする必要があると判断しました」
「嫌な予感がしますね。これが杞憂であってほしいと思いたいのですが……」
「私もですよ」
植物の繁殖力が上がることは、魔物が生息しやすい環境に戻るということだ。
フューリーも貴族ゆえに数多くの書籍を読み知識を深めており、その中の植物学者が残した書籍には『魔力の濃度が高い地域ほど植物や動物の成長が顕著であり、その生命力や繁殖力は信じられないほど強い』と記載されていた。
世界の再生が始まっているのだとしたら、その影響が大陸全体に及んでいると考えることが自然であり、人間の都合などお構いなしに自然の猛威が牙を剥く。
野菜の成長が早いと暢気に喜んでいては、気づいたときには原生林に囲まれたなどということも充分に考えられる事態であり、しかも魔物がダンジョンから放出されるというオマケ付きだ。
警戒するには充分な理由である。
「メーティス聖法神国という国は高い代償を支払い滅びましたが、多額の借金も残していったようです。その返済を我々がやらされるというのは、何ともやり切れませんね」
「その取り立てが神ですか? 生存者の話では神が降臨したという話らしいですが、私には信じられません。本当に神などいるのですか? 私にはどうにも………」
「あの日、マハ・ルタートから放たれた気配は尋常なものではありませんでしたよ。民達に感じ取れたかは分かりませんが、私は勇者の血を引いていますからね。心の底から湧き上がる畏怖の感情は今でも忘れようがありません。あのような強力な気配を放つ存在など会いたくもない」
「おや、英雄を目指すフューリー様なら、神の御尊顔を拝謁賜れる機会を喜ぶと思っていましたが、違うのですか?」
「私を何だと思っているのです? 神など天上から我々の行いを見物していればいいのです。直接降りてきて口出ししてくるなど迷惑極まりありません。人の世は人の手で築いていくものだと思いますからね。我々は須らく神の子ではあるのでしょうが、いちいち親の干渉を受けては成長などしないでしょう? 私は自立もできない親不孝者になどなりたくありませんね。それがたとえ間違った道であったとしても、神に甘え続けるような存在にはなりたくないのですよ。情けないではありませんか」
この世界は四神がいたがゆえに、フューリーは神が存在していること自体は否定していなかったが、気まぐれに神託で人間に干渉してくることに対しては不満を抱いていたこともあり、聖天十二将の地位にいながらも四神教の教義には傾倒したことは一度もなかった。
そこには幼いころから抱いていた英雄願望を拗らせ、純粋な想いが野心へと変わっていく過程で四神に対しての不満が積もり、やがて神という存在に疑問を持ったことが起因している。
四神が紛い物の神と判明した今では、『自分は間違っていなかった』という自信が長年抱え込んでいた英雄への道を進みたいという信念と繋がり、蓄積されていた英雄願望が見事に爆発。
結果、彼は国造りへと走り出してしまった。
現代日本風に言うと、彼は行動力のある厨二病だと言える。
「何にしても、我々は新たな時代を築く道を進まざるを得ない立場です。今は苦しい状況ですが、多くの民との協力を得られれば、理想とする国の基盤くらいなら作れるかも知れません」
「理想の国を建国するとは言わないのですね」
「私が理想とする国は、所詮は独り善がりのようなものですよ。代を重ねれば理想の形も変わるでしょうし、私が是とする国とは大きく乖離していくことでしょう」
「なるほど……。では、その理想のために書類の整理を早く終わらせてください。まだまだ処理してもらう書類は多いですから。その前に傭兵ギルドへ提出する調査依頼の書類作成もお願いします」
「理想は遠く、現実は非情なるかな……。儘ならないものです」
深い溜息を吐くと、フューリーは傭兵ギルドへの調査依頼の手配書を書き始めた。
その最中に新たに運び込まれた書類の山を見て彼は絶望する。
徹夜仕事が確定した瞬間であった。
その後、ようやく休息をとれたフューリーであったが、敵対意思を露にした周辺の貴族が領地に攻め込んだことにより、戦場へと向かうことになる。
彼が休息をとれる平穏な時間は遠い。
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ゼロスはとアドは蜂蜜とインセクトベントを採取し、ハッチマーヤの巣穴からダンジョンのフィールドに戻って来た。
断崖を下りて一服するゼロスの横には上機嫌なアドの姿がある。
「そう言えば、ハッチマーヤの蜂蜜を使ったポーションの作り方、アド君は知っているのかい?」
「手伝った記憶はあるが、正確な調合手順は覚えていないぞ。まぁ、大量に手に入れられたから多少失敗しても元は取れるだろ。調合方法は知っている人に聞けばいいしな」
「それ、僕のことかい? まぁ……別にいいけど」
アドは生産職の手伝いをしたこともあり、調合や鍛冶のスキルはそれなりに育っていたと記憶している。しかしアドは自分から率先してアイテム制作を行うことはない。
それなのに不思議と採取や採掘を行なえば生き生きとしてくるのだから不思議だ。
「君さぁ、もしかして採取や採掘みたいなマメな仕事が好きなタイプ?」
「カノンさんから依頼を受けて、ちょくちょくやっていたからな。気づいたら得意になっただけだぞ。別に好きというほどのものじゃない」
「彼女は魔法薬の探究は嬉々としてやっていたけど、素材の採取とか面倒そうな顔で仕方がなくやっていた印象だからなぁ~。適当な理由でアド君や知り合いのプレイヤーをこき使っていたっけ……」
「それでもカノンさんの作ったポーションは効果が凄かったから、俺達も文句を言わず依頼を受けてた。依頼内容はハードだったがメリットもあったし」
「けどねぇ、自分が出張れば早く片付くような依頼も君達に任せていたんだろ? つまり、やりたくないことは絶対にやらない。アレでは社会人と通用しな………あれ?」
「どうしたんだ?」
突然カノンに関してゼロスは違和感を覚えた。
この世界に来る前、ソード・アンド・ソーサリスでのカノンの印象は言動から社会人と思しき内容がちらほらと出ていたことは記憶しているのだが、それよりも前のちょうど仲間に加わって間もない頃に、彼女の口から『自分は中学生だから』といった個人情報を一度だけ聞いたことがあった。だいたい三年くらい前の話だ。
しかし、中学生という情報が正しければ現在は高校生。つまりアドの妻であるユイと同年代ということになる。
だが、ゼロスの記憶ではカノンは会社での愚痴をこぼしていたこともあり、少なくとも高校生ということは年齢的にまずありえない。
ここである疑惑が脳裏をよぎる。
「…………カノンさんって、実は二人いた?」
「はぁ!? ゼロスさん……アンタ、何を言ってんだ?」
「いや、三年くらい前に、僕はカノンさんが中学生だという話を確かに訊いたことがあるんだよ。けどこの世界に来る前にどこかの研究所で働いているみたいな話も聞いた。年齢が合わないんだ……。研究所で働いているということは、少なくとも大学を出ていなければおかしい。『カノン』というアバターを二人の人間が使用していたと考えれば辻褄が合うんだが………」
「それはおかしいだろ。ソード・アンド・ソーサリスのアバターは、登録したプレイヤー本人でなければ使うことができない仕様のはずだろ。別の人間が他人のアバターを使うにしても、網膜認証システムで弾かれる」
「そうなんだけどねぇ………今思うと、時々カノンさんの言動が妙に幼い時がったんだよねぇ。なんで今まで不審に思わなかったんだろ………」
「二人の人間が同じアバターの姿でプレイしていただけなんじゃねぇか?」
アドの推測は一応だが筋が通る。
しかし、パーティー所有の拠点でセーブした場合、何度も顔を合わせることがあるのだ。
拠点でのセーブはパーティーメンバーでなければ行うことができず、またフレンドリーチャットでの登録では『カノン』という名前は一人だけしか登録していなかった。
同じアバターを使用している人物が二人いたとして、少なくともパーティーメンバーでない方の人物は、登録された拠点でのセーブどころか侵入すらできないのだ。
プレイヤーの制約が絶対である以上、このようなことは起こり得ない。
しかし疑惑の言葉は拠点で訊いたものであり、この矛盾点におっさんは頭を悩ませる。
『三年前、僕は確かに『中学生だから』という言葉を聞いたが、同時期に『助教授から不倫しないか?って誘われた』などという愚痴も訊いたことが……。この時点で大学生であったことは間違いない。スキップ制度のある海外からのログインも考えられたが、日本在住みたいな話も聞いているし、やはり二人の人間が同じアバターを共有していたとしか思えないんだが、どうやっていたんだ?』
異世界に来て、初めて仲間の不審な部分に気づいたゼロス。
しかし地球と世界が隔たれている以上、今さら確かめようがない。
疑惑は疑惑のまま残り、真実を確かめられないまま、おっさんは一人悶々と考え続けることになった。
ゼロスは失念していた。
そもそもソード・アンド・ソーサリスというゲーム自体が疑惑の塊であることを……。
その事実を知りながらも、このときは思い出すことはなかったのであった。




