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おっさん、アドの金策のためダンジョンへ



 ゼロスは久しぶりに朝から畑仕事に精をだしていた。

 魔力のあるこの世界において動植物の成長は異様に早く、特に雑草などの繁殖性の高く生命力まで強い植物などは、放置していると直ぐに大繁殖をしてしまう。

 根の切れ端が地中に残っているだけでも数日後には芽を出すほどだ。

 それを防いでいたのはゼロスの飼う雑食性のコッコ達である。

 特に庭先の家庭菜園で育てている米――【ライスウィード】は、この世界において雑草扱いされるほど繁殖力が高く、一年内で七度ほど収穫できてしまうほど成長が早い。

 コッコ達がいなければ今頃は畑が草に覆い尽くされていたことだろう。


「まぁ、わずかな面積で育てているからまだマシなんだが、どう考えてもこの生命力の強さは変でしょ……」


 厳密にはイネ科の植物でないのだが、それを抜きにしても成長速度は異常すぎる。

 せめて一年の内に三度ほど収穫できればいいとすら思っている。

 少しで稲から種子が零れれば、再び芽を出して大繁殖だ。別の作物を育てている畑にまで繁殖されては困る。


『成長を遅らせる方法はないものか…………スキル【鑑定】』


 この生命力に悩んだおっさんは、ヒント欲しさに鑑定スキルを発動させた。

 すると――。


 ================================


 【品種】 ライスウィード(種子)

 生命力が強く、一年の内に七度も収穫が可能なG並みの繁殖力を持つ植物。

 ただし、収穫を続けるほどの種子の大きさは小さくなり、味も落ちる。

 根が残っていても繁殖を続けることから、悪魔の植物として農家から恐れられている。

 種子内の水分保有量の差で米の品質が変わる。


 水分(少)=粳米。 1週間天日干し。

 水分(中)=普通に米。四日間天日干し。

 水分(中+)=香米。三日間天日干し。

 水分(大)=もち米。二日ほど天日干し。


 塩水に種子を数日間ほど漬け込むことで繁殖力を抑えることが可能。

 水田だと年に二回の収穫で安定して栽培することができる。

 種子の水分含有量で米の大きさと質が変化するので、乾燥期間の長さで品質を変えることが可能だが、見極めが難しい。

 玄米・発芽玄米の栄養価が恐ろしく高い。

 サイロに保存するときは水分管理に注意。


 ==============================


「……………早く言えよ! つか、これって情報が更新されてね?」


 いろいろとツッコミどころが多かった。

 つまるところ天日干し期間が長いほど種子は硬くなり、短いと水分が多過ぎてもち米になる。しかも安定して補完するには湿度調整が必要ということだ。

 何しろ放置し続ければ水分が勝手に抜け、全て粳米になってしまうからだ。

 一応通気性の良いサイロに入れてはいるが、湿度調節ができているかと言われると微妙なところだ。


「今のところ普通に米が出来ていたが、これって運が良かったからか? それに、普通は塩水選って米の選別作業だよねぇ? 塩で繁殖力を抑えられるだけでなく、まさか水田でも繁殖も抑えられるとは……」


 要らんところで勝手に発動するくせに、大事なことはスキル保持者が発動しない限り全く教えてくれようともしない鑑定スキル。しかも鑑定するたびに内容が変わる。

 今更なことを知り、おっさんは力なく項垂れ、直ぐ傍まで来ていたアドの気配にすら気づかなかった。


「おっはよぉ~す、ゼロスさん。朝っぱらからなに落ち込んでるんだ?」

「アド君か………。いや、気にしないでくれ…………」

「まぁ、いいけど……それにしても、いつ来ても思うんだが、野菜の世話はいつしてんだ? 普通なら長期で出かけただけでも雑草に覆われてるところだぞ」

「除草や野菜の世話は、手が空いているときにやってるよ。出かけている間はコッコ達が管理してくれている。連中も野菜は食うからねぇ」

「そのわりには収穫しているようには見えないんだが………」

「食べる分だけ収穫すればいいだけだし、一人で食いきれるような量じゃない」


 食べきれない野菜は近所へのお裾分けやコッコの餌に変わる。

 ゼロス1人分であれば家庭菜園程度の小さな畑で栽培すればよいのだが、薬草なども栽培しているついでで広く手掛け、結果的に食べきれないほどの量を生産していた。

 ついでに放置していると野菜が植物系の魔物に変化することもあり、武闘派コッコ達の良い実戦相手になってくれている。

 無論、倒した後は美味しく頂くようだ。

 余談だが、魔物化した野菜は味が通常栽培よりも良く、ゼロスもたまに魔物化させては倒し、収穫していた。


「あっ、そこのトマトなんか魔物化しているし食べ頃だよ」

「うわぉ!?」


 他のトマトに隠れ擬態していた魔物化トマト——通称【バッドトマト】が触手を伸ばし、驚きのあまり咄嗟に攻撃に転じたアド。

 そこへ葉を翼のように羽ばたかせ宙に浮きあがるキャベツが突撃してきたが、あっさり両断された。


「【フライングキャベツ】もいたか……」

「キャベツが飛んでいるんだけどぉ!?」

「そりゃ、異世界なんだからキャベツも飛ぶだろ。君は何を言っているんだい?」

「なに、あたり前のように言ってんのぉ!?」

「今日の野菜達は生きがいいなぁ~。殺る気満々じゃないか。ちなみに亜種は【ストライクキャベツ】という」

「異世界はデンジャラス!!」


 今更ながらに異世界の不思議を体験したアド君。

 一瞬で状況を見極め、攻撃される前にシミターを引き抜き、血に飢えたトマトの茎と空飛ぶキャベツを両断したことは褒めるべきかもしれない。


「………なぁ、教会で孤児達を面倒見てんだよな? こんなのが生息してたらヤバイだろ」

「この程度の魔物なんて、あの子らなら楽勝だよ。そんなヤワに鍛えちゃいないさ」

「アンタ………普段から何してんの?」

「発育が良くなるよう、肥料に魔石を混ぜてたら魔物化が頻発するようになってねぇ。おかげで毎日おいしい野菜が食べられるよ。ハッハッハッ」

「だから、なにしてんの!?」


 もちろん、酔狂でこんな実験的な栽培をしているわけではない。

 普通の植物が魔物化するプロセスを知りたくなったため、畑の魔力含有量を意図的に増やしただけだ。おかげで子供達やコッコ達には大盛況である。

 魔物化した野菜と戦うことで実戦経験を積まれ、ついでに美味い野菜も食べられる。まさに一石二鳥な実験だった。


「今日はロールキャベツ入りのトマトスープにするか……」

「この世界に馴染みすぎだろ」

乾瓢かんぴょうがないんだよなぁ~。ロールキャベツをどう縛ろうか」

「楊枝でも刺せばいいじゃねぇか」

「それだと形が崩れそうなんだよねぇ。ただのキャベツ入りトマトスープになるじゃないか。見た目がちょっと悪くなる」

「腹に入れば同じことだろ! 味だってトマトベースなんだからよぉ!!」

「食べるなら見た目が綺麗な方がいいじゃないか。アド君は分かってないなぁ~、そんなんじゃ将来ユイさんに刺されることになるよ?」

「やめろよぉ、生々しいだろぉ!! 洒落にならねぇ予言をすんな!!」


 夫婦生活が浅いアドはおっさんの一言に戦慄した。

 こう見えて彼は勤勉で、子供ができたと知ったときから様々な本を漁り、円満な夫婦関係を続ける秘訣を探っていたのだ。

 その一つに『妻が作った料理にケチをつけない』というものがある。

 また、『おいしかったよ』とか、『いつもありがとう』など感謝の言葉を忘れず伝えるというものがあり、間違っても『母親の作った料理の方が美味いな』とか、『高級料理店とまではいかなくても、定食屋くらいの味にしてくれ』など、誰かの料理と比べるNG発言を言わないよう心がけている。

 要は細やかな気配りが大事ということだ。

 無神経な言葉は夫婦関係を崩壊させる切っ掛けになりやすいとされ、まして子供の世話や家事の手伝いすらしない亭主など、『いない方がマシ』とまで辛辣に書かれていたものまであった。

 そのためアドはユイに対して必要以上に気づかっていたりする。


「君が無神経でなければ大丈夫なんじゃね?」

「俺もそう思いたいが、たまたま満員電車で偶然に誰かの香水の匂いがついただけでも、アイツは包丁を持ち出すんだぞ? うっかり無神経なことを言ったりしたら、本気で刺されるかもしれん……。ただでさえユイは子育てで苦労しているのに、余計なストレスを与えたくはない」

「君、かのんちゃんの世話……してないのかい?」

「俺………変な方向で不器用だから、おむつの取り換えでかのんをミイラみたいにしちまった……。それ以来ユイは何もさせてくれん。あとは掃除洗濯くらいだが、公爵家の別邸に居候していると何もすることがない。メイドさん達が全部やっちまうから……」

「駄目な父親だねぇ~」

「ぐはぁ!!」


 おっさんの無神経な一言がアドのハートにクリティカルヒット。

 彼のHPはもう0だ。


「そうなると、君にできることは稼ぐことだけしかないかな。けど今は無職だしねぇ」

「人のことは言えねぇだろ。ゼロスさんだって無職じゃんか」

「僕は魔法スクロールの売り上げが何割か振り込まれるし、そもそも贅沢をしたいわけじゃないからあまり大金は持たない。こんな世界だし生きていければそれでいいさ」

「………確かに、自給自足はしてるよな。金が必要だとも思えない」

「せいぜい安物の服や日用品を買うくらいだよ」


 アドより人生経験の長いゼロスは、この世界に来て直ぐに『あれ? あまりお金を稼ぐ必要なくね?』と、労働で稼ぐ意味がないことに気づいていた。

 その気になれば迷宮ダンジョンで採掘や採取で稼ぐなり、あやしい行商人として魔法薬の転売でもすればそれなりに生活はできる。事実お得意様もいるほどだ。

 基本的に自給自足なだけに大金があったところで使い道がない。

 魔法スクロールの収益も、殆どが擁護院などのボランティアに寄付しているので、月に一回わずかなお金が家に送られてくるだけで、その僅かなお金でも生活するには充分な金額なのである。


「そう言えば、寄付した金が何に使われているか知らないなぁ~」

「いやいや、そこは知らないじゃ済まされないだろ」

「けどねぇ、デルサシス公爵に全部丸投げしたからさぁ~、たぶん悪用はされてはいないと思うよ。その辺りのことはきっちりしている人だからねぇ」

「そりゃ……あの人はそんなセコイ真似はしないだろうが、だからって自分の資産くらいは把握しておこうぜ」

「宵越しの金は持たない主義なんだ」


 おっさんは金銭にあまり興味がない。

 補足しておくが、ゼロスの寄付金である【マーリン資金】は、主に擁護院などの子供達の小遣い稼ぎの給料や日用品などに使われていたが、地震などの被害で崩れた擁護院の壁などの修繕費用にも充てられている。

 限りある予算を均等に分配できるようやり繰りされていた。


「いや、金は大事だろ。俺も家が欲しいし、家族を養わなくちゃならない。のんびり過ごせるならゼロスさんみたいな生活も悪くないと思えるが、現実はそううまくいかないだろ」

「そう言えば、君の家の建築が始まらないねぇ? 隣は既に更地になっているのに……ハンバ土木工業、今忙しいのかな?」


 自宅の土地の隣には、小道を挟んで空き地が出来上がっていた。

 しかし未だに基礎工事が始まる様子がない。


「建築会社の事情なんて知らないが、地震の影響で修繕作業に追われて、新築に手が回らないんじゃないか?」 

「なるほど……。となると次に必要なのはアド君の就職かぁ~。自営業でも始めるかい?」

「ゼロスさんほどじゃないが、俺も鍛冶はできるし魔法薬も作れる。それもいいかもしれない」

「なんなら、地下の工房を使うかい?」

「……家が建ったら地下で繋げさせてもらうよ。それよりも今は生活できる金を稼ぐ必要がある。狩りにでも行くべきかなぁ~」


 傭兵ギルドに登録しているので、食肉に適している魔物を狩り納品すれば収入にできる。

 しかしアドはハンター稼業で生活費を稼ぐ気はないようであった。

 獲物を狩れば血抜きや解体などの手間がかかり、それを毎日続けていく勇気が湧かないのだ。高度な文明に慣れてしまった現代人特有の感覚なのだろう。


「採掘や採取などで生計を立ててみるとか? 希少な薬草など高く売れると思うけどねぇ」

「マンドラゴラはそれほど売れそうにもないと思うけどな。教会で栽培してるじゃん」

「それでも需要が高い分、供給が追いついていない。擁護院で育てているのも薬草ばかりだし、マンドラゴラのような半分魔物のような植物は(別の意味で)危険視されているからねぇ。栽培に挑戦するかい?」

「鉱石や宝石の類はどうなんだ?(別の意味ってなんだ?)」

「希少金属や特殊な宝石以外は、それなりの値段で買い取ってもらえるけど、加工していない原石だと安く買い叩かれるよ」

「それはやだな」


 加工すらされてない鉱石や宝石の原石は、どうしても買取価格が下がってしまう。

 必死に運んできてた鉱石や宝石の原石は、加工した時点で鉱物の重さや量、不純物の含有量でも価格に差が出てしまうもので、実はそれほど旨味がなかった。

 希少金属や希少宝石で一攫千金が狙えるのは、金属や宝石の魔力伝導率や保有・浸透率の高さによるものが大きく、迷宮などの危険地帯でなければ手に入らない。

 加工しても精製することはできるが質が悪く、その希少性と危険に見合った手間代から高値が付けられるのも当然といえよう。


「ブロスのところに行っても、金が入るわけじゃなかったしなぁ………」

「タダ働きだね。まぁ、発見されたパワードスーツを貰えたのは嬉しいが、同じものが作れるわけじゃないしねぇ……」

「得したのはゼロスさんだけじゃん。結局アレ、どういった代物なんだ?」

「二次装甲以外、繊維金属によって織り込まれた服といった印象かな。魔力を流すと繊維が膨張して筋肉のようになるパワーアシスト機能により、身体能力を引き上げる仕様だった」

「それ……アーマードマッスル――」

「そこから先を言っちゃ~いけないなぁ~。それに形状記憶合金のような針金フレームも入れられていたから、見た目の形状が崩れない。頭部のヘルメットが弱点かな? 体はともかく頭に砲弾を食らったら簡単に首が吹っ飛ぶ。まさに太古の危険な遺物を守る妖精さんが使いそうなスーツだったよ」


 ゼロスが調べ一番重要だと思えたのは形状記憶合金の針金フレームだ。

 このフレームは魔力による繊維膨張が起きたとき、パワードスーツを支える骨の役割をするだけでなく、増幅されたパワーによる人体関節の負荷を最小限に抑えるとともに、関節が曲がらない方向に力が加わらないよう機械的に制御する仕様だった。

 そのため肘や膝などの各部には超小型のセンサーが内蔵されていた。


「例の工作機械を使えば量産は可能だよ。けど、ハンドメイドで製作するのは難しい。シリコンセンサーなんて特殊部品、再現不可能だ」

「やっぱ、希少金属をふんだんに使われているのか?」

「まぁね……。金属繊維は鉄が40%くらいで、他は正体不明の繊維とミスリルとオリハルコン、その他もろもろの多重複合金属だし、この繊維がどうやって作られているのかが分からん」

「ポリエルテルとかカーボンファイバーみたいなやつじゃないのか?」

「他の物質と融着……いや、この場合は融合が正しいかな? それなのに金属繊維としての機能を維持している触媒だぞ。金属の性質も根幹から変質させてるようだし、マジでどうなってんだろ……」

「魔導錬金で再現かできないか?」

「無理……あんな繊維触媒の製造なんて、素材の配合からしてかなりデータ収集するような研究を続けていないとねぇ。お手上げだよ」


 魔導文明の製品は同じ時代の機械でないと再現は不可能。

 生産職としてのスキル能力が完全敗北していた。


「店を始めるにしても、素材を集める場所がなぁ~。魔物の素材くらいならファーフラン大深緑地帯近辺で集まりそうだけど、希少な金属や薬草がある場所なんてわからないぞ」

「まぁ、そんな都合のいい場所があったら、傭兵ギルドで把握しているだろうしねぇ。何より鉱山関連は国が確保してるからおいそれと手出しできないよ」

「となると……危険覚悟でヤバい場所に踏み込むことになるのか」

「そうなる……。けど、そうした採掘場所の把握はしていた方がいいんじゃね? まぁ、僕は以前にダンジョンで採掘していたけどさ」

「ダンジョンかぁ~………」


 鍛冶師と錬金術師の二足わらじを考えるアド。

 しかし、武具や魔法薬を作るには素材が必要で、その手の素材は専門の問屋が卸している。

 街で店を出している素材販売店もこうした問屋から仕入れているのだが、アドが個人で店を開くとなると素材の仕入れは問屋か素材販売店を利用することになり、材料購入費だけで懐事情が圧迫されかねない。

 比較気に入手しやすい薬草などはゼロスのように栽培すればいいだろうが、鍛冶で使う鉱物は自分で集めた方がコスト的に安上がりだ。

 客がついていない段階で素材問屋などを利用するのは、資金のないアドにとって悪手と言えるだろう。


「アド君や、素材を購入するために借金をするかい?」

「借金はやだな。利息分すら払える自信が無い。となると、今のうちに資金を稼いでおく必要があるのか……」

「手の空いているうちに素材の在庫を増やしておいた方がいいんじゃないかい? この際、多少の危険は覚悟した方がいいと思うねぇ」

「そうだな……準備くらいはしておくか。ときに、近場にダンジョンはあるんか?」

「あるよ。一度目は最下層まで行ったけど、あとは素材収集で何回か往復したねぇ。最後に潜ったときは構造変化の真っ最中だった」

「行って大丈夫なのか? どう考えてもヤバい状況になってる気がするんだが……」

「心配性だねぇ、君のレベルなら余裕っしょ。大量の兵器に群がられるかも知れないけど……」

「マジで大丈夫なんだよなぁ!? 怖いから案内くらいしてくれよぉ!!」


 涙目で叫ぶアドに、おっさんは白けた視線を送りながら内心で『チートなんだから余程のことがない限り大丈夫だろうに、心配性だねぇ。まるで〇び太君のようだ』、などと失礼なことを思っていたりする。

 そのアドも、『土地勘のないこの国で、一人で出かけたらいつ戻れるか分からん。俺は方向音痴なんだぞ』などと、かなり深刻な悩みを抱えていた。

 慣れ親しんだ場所でなら迷わないのだが、それ以外の場所では確実に迷う。

地図を持っていても迷い、案内人がいても遭難し、見知らぬ場所では確実に行方不明になると断言できるほどだ。


「大の大人が情けないことを言うもんじゃないよ」

「ゼロスさん……アンタは俺を見失っている。俺は………小学校低学年の時に、山の麓で遭難した経験者だぞ。中学の修学旅行では、乗る予定の観光バスを素通りして先生に止められたほどだ。肩を掴まれなかったら気づかないで確実に行方不明になっていた自信がある!」

「そんな堂々と言うものじゃないよね!? それより……見失うって文法の誤りじゃなくマジで見失うのか。引率の先生方も苦労しただろうねぇ……って、それ僕が案内しても直ぐに君を見失うことにならないかい?」

「今まで行動を共にしてきて、俺が迷ったことはあったか?」

「……ないねぇ」


 つまり誰かと一緒に行動していれば迷うことはないということになる。

 だが、それだと少しばかり妙な話になる。


「君………この世界に来た当初はどうしてたんだ?」

「適当に歩いていたら、偶然リサとシャクティに出くわした。あとはシャクティの意見を参考に行動してたな。おかげで遊牧民の村に辿り着けた。裏の仕事を手伝っていたときは、優秀な案内人が常に一人は傍にいたから、迷うことはなかったぞ。まぁ、イサラス王国の城内では迷ったけど」

「結局迷ったんかい」

「道が入り組んでいたり似たような光景が長く続くと駄目なんだよな~。視野狭窄になって、どこを進んでいるのか分からなくなるんだ。地図で目的地を目指す場合は、より詳細なやつが必要になる。時間は掛かるが傍で誰かが教えてくれると覚えやすい」

「それ、カーナビ並みに詳細な情報がないと駄目ってことじゃね? そんなものを今のこの世界に求めても無駄だろうねぇ……。魔導文明期の地図だって詳細すぎて戦略的に重要なもの扱いだし、国が厳重に管理しているよ。きっと……。そして、そんな地図を何とか手に入れてられたとしても、現在の街とは符合しないし結局迷う。君さぁ~、ちょいと病気だよ」

「五年くらい住めば完璧に道を覚えられると思うんだが……」


 変なところでポンコツなアドであった。

 あるいは本当に深刻な障害を持っているのかもしれない。

 仮に障害を持っていた場合、この世界に精神科専門の医者や病院が存在していないため、彼の症状を正確に診断することは困難である。


「まぁ、アーハンの廃坑ダンジョンはこの街からほぼ一本道だし、迷うことはないだろう。村へ続く分かれ道にも、直ぐ傍に道標である石柱が立っているしねぇ」

「そうなのか?」

「この街の南門と北門は街道で繋がっているからねぇ、東門を出て真っ直ぐ進めばアホでも辿り着けるさ」

「そこを進まず真っ直ぐ進んだらどこへ行くんだ?」

「狩場だね。傭兵家業の連中が生活費を稼ぐために行き来している。その先には砦があるらしいけど三日はかかるかな」

「ゼロスさん、詳しいな……」

「生活する街の周辺は調べておくことが基本だよ。まぁ、街中よりも迷うような複雑な道でもないし、一度覚えたら楽と言えば楽かな」

「それすら覚えられない俺の立場は?」


 どうもアドは自分が住んでいる近隣の道を覚えることに消極的に見える。

 いや、もはや諦めているのかもしれない。


「……行ってみるかい?」

「今から?」

「どうせ暇なんだろ? なら気晴らしに出かけるのも悪くないさ」

「そうだな……。かのんの世話も『俊君は不器用だから何もしない方がいいよね』なんて言うくらいだし、金稼ぎに精を出した方がいいだろうな。父親なんて影の薄い存在なのだと理解したよ」

「そこまで言われるって………」

「おむつを取り替えていただけなのに、なぜかミイラみたいになっちまうんだ。ホント、ナンデナンダロウナ? ……へへへ」


 ゼロスは出産祝いにアドに紙オムツを渡している。

 オムツ交換は簡単なはずなのに、なぜミイラのようになるのか理解できなかった。

 同時に家庭内にいると全く役に立たたない、駄目な父親像を垣間見てしまった気がする。


「ゼロスさん……男は…男はさぁ、子育てに介入するもんじゃないんだよ。せいぜい奥さんが忙しいときに、代りに手伝う程度でいいんだ。親父なんてぇのはいるだけ邪魔なんだよ……ハハハ」

「その渇いた笑いに哀愁を感じるねぇ……」


 どうも役立たずだと自覚して落ち込んでいたようである。

 こうなると『気晴らしでもさせないと本気でマズいかもしれない』と判断したおっさんは、多少強引にでも連れ出し、気分転換をさせようと決めた。


「やはり稼ぎだよ。男は働いてなんぼだ! さぁ、行こうかアド君!」

「どこへ?」

「ダンジョンだよ! 少しでも稼いでユイさんの生活を楽にしてやるんだ。今はその準備期間だと思えばいいさ、家具などは家ができた後でも作れるしねぇ」

「お、おう…………」


 無職という立場なのは同じなはずなのに、おっさんは自分を棚に上げてアドに労働することを仄めかす。

 これで立ち直れなければ、第二プランとしてハンバ土木工業にでも強制就職させようかなどと考える。実に酷い人だ。

 その不穏な気配を察知したのか、アドは『ダンジョンデ一稼ギハ、ファンタジーノオ約束ダヨナ! イクベ、イクベ』と棒読みで話しながら率先して前を歩きだした。

 二人が教会の横を通り過ぎようとしたとき、ちょうど裏口からルーセリスが姿を現した。


「おはようございます、ゼロスさん。お出かけですか?」

「おはようございます。えぇ、少しばかりアド君と一稼ぎしてこようかとね」

「………まさか、危険な場所に行こうなどとしていませんか?」

「いやいや、僕達にとって危険な場所なんてそうそうありませんって。心配せずとも大丈夫ですぜ」

「心配しますよ。ゼロスさんって、なんとなくで危険な場所に踏み込んでいきそうな気がしますから」

「ハッハッハ、そんなことあるわけないじゃないですか。嫌だなぁ~、おじさんは痛いのは嫌なんですよ。好き好んで危険地帯に飛び込むほどドMじゃありませんよ」


 ヘラヘラと語るおっさんに、アドは『嘘だ』と心の中で呟く。

【ソード・アンド・ソーサリス】のときからゼロスは好奇心のままに行動し、ゲーム世界を気ままに冒険していた。それも面倒な魔物が出現する危険地帯ばかりだ。

 このおっさんは時折常識的なことを言いながらも、やっていることは非常識とゲーム時代と何一つ変わりない。


「ところで、改良した神官服の方はどうです?」

「気のせいか、前よりも着心地がいい気がするのですが、ゼロスさん……いったいどのような改良を加えたんですか?」

「そんなにたいしたことはしてませんよ。おっと、例の症状が出ないうちに行きますか。人前で暴走したら洒落になりませんからねぇ」

「そ、そうですね」


 結婚に対して乗り気なルーセリスでも、さすがに精神暴走は恐れていた。

 こうして話しているだけでも心拍数が上がるのだから、このまま時間が経過したら自分がどんな行動に出るか分からず、人前で晒す醜態の恐怖を想像するあまり焦りだす。

 ジャーネとおっさんを含めた三人きりであれば、なぜかOKらしい。


「それじゃぁ、行ってきますねぇ」

「気を付けて行ってください」


 アドと連れ立ってアーハンの村を目指す二人。

 サントールの街の復興作業は頭のおかしいドワーフ達職人達の力で急速に進んでいるようで、喧騒と怒号と打撃音が街のいたるところから聞こえてきた。

 それとは別に、他の問題も起きていたりする。


「ミランダぁ、私は君のためならすべてを捨てられる! その証を今ここで示そう!!」


 アパート上階の一室に視線を向けていた好青年は、叫びながら突然にその場で衣服を派手に脱ぎ捨てた。

 やっていることは変態なのに、イケメンゆえか威風堂々と妙に様になっていたりする。


「なにぃ~~~~っ!? ぬ、脱いだ……だとぉ!?」

「これが私の決意だ! ミランダ、私と苦楽を共にする伴侶になってくれ!!」

「さ、さすが……エミリオ。パンイチでも堂々としてやがる」

「俺達ができないことを平然とやってのける………」

「あぁ……私のエミリオ。その潔さと情熱に痺れ愛焦がれますわ! アナタが愛のために脱ぐというのであれば、妻となる私も脱ぎます!」

「「「 こっちも覚悟完了だとぉ!? 」」」


 そう、毎年おなじみの恋愛症候群による暴走者の奇行だった。

 そんな彼らを止めようとする衛兵達だが、愛の熱に燃え上がったか二人を止めることはできない。

 膨大な魔力が世界に循環し始めたことで、各地で絶叫告白暴走も始まっていた。


「ゼロスさん………アレ………………」

「見てはいけない、彼らは社会的に死んだも同然なんだ。後からくる二人の自己嫌悪の苦しみを哀れと思うのであれば、ここは見て見ぬふりをしてあげるのが情けだよ」

「アレが噂に聞く恋愛症候群か………恐ろしい」

「そして、僕が辿る未来の姿でもある………あれ? なぜか涙が……」

「え? いや、マジで?」


 しかも今年はだいぶ早くに症状が出た者が多い。

 これは世界に魔力が満ちてきた証明であり、惑星そのものが消滅の危機から脱した証でもあるのだが、それを知らない人々にとっては毎年恒例の恐怖でしかない。

 踏み込んではならない話題と思い、アドは咄嗟に話題を変えることにする。


「復興……いやに早く進んでいるよな」

「ドワーフ達が張り切っているからねぇ……。彼らにとって仕事は快楽だから」

「どんだけ仕事ジャンキーなんだよ」

「あそこを見るがいい。足場の上でダンシングしながら働くドワーフ達、輝いているだろ? 彼らは全員休日返上して働いている。いや、そもそも彼らの文化に休息という文字はない。飯を食う時間が彼らの休暇なのさ………」

「いやいや、死んじゃうって! 連中は酒好きでもあるんだろ!?」

「アルコール度80%の酒なんて、彼らには水と同じだよ。昼食の合間にも飲んでるしねぇ」

「ヤベェ連中だと思っていたが、想像以上にヤバかった……」


 現場で爽やかな汗を掻きながら作業を続けるドワーフの職人。

 だが、彼らの腰に吊るした水筒には、水ではなく酒が入っている。

 水分補給に度数の強い酒をかっくらい、ノリノリでリズムを取りながらダンシングし作業をするのだ。それなのに一ミリのミスも犯さない。


「………さっさと街を出ようぜ。なんか、連中を見ていると頭が痛くなってくる」

「そうだねぇ。もし連中を眺めているところを発見されでもしたら、『兄ちゃん、俺達の仕事に興味あんのかい? なんなら現場を体験させてやってもいいぜ』って言われながら連行され、気づいたら仕事のことしか考えられない体にされるよ」

「OK、今街が危険地帯だということはよくわかった。俺は金稼ぎにだけ専念することにする。ドワーフ達の姿なんて見なかった。そう、俺は見ていない……」

「……それがいい。いろいろとヤバいんだ、彼らは……。あのリズムを聞いているだけで、僕は……」


 そう呟いたおっさんの声には哀愁が込められていた。

 これ以上は危険だと直感したアドは、急いでサントールの街から出立するのであった。


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