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おっさん、恋愛症候群が発動し精神的ダメージを受ける



「………結構、酷いことになってたんだねぇ」


 朝早くルーダ・イルルゥ平原から戻ったことをルーセリスに伝えようとしたおっさんは、教会裏に積み上げられた廃材の山を見て呟いた。

 教会の礼拝堂の天井画は板ごと無残な状態に変わり果て、もはや歴史的価値などないただの瓦礫と化し、『これ、修繕費はどこから捻出されるんだろうねぇ?』とどうでもいいことを考えていたりする。


「あっ、おっちゃんだ。帰ってたんだ」

「やぁ、ラディ君。おはようって、もうすぐ昼になるけどねぇ。実は昨夜遅くに帰ってきて、寝ている時間だろうから知らせることができなかったんだよ。それにしても……教会は大丈夫なのかい?」

「礼拝堂の天井画が落ちたのと、棚に置いてあったものが散乱しただけ。俺達にはなんとんなかったから安心してよ」

「天井が落ちたって、ケガ人は出なかったのか?」

「朝の礼拝以外に教会に来る人なんていないからな、被害はたいしたことないよ。俺達もルーセリスねぇちゃんも外にいたし、揺れで驚いただけさ」

「いや、それって教会としてはどうなのよ。せめて懺悔をしに来る人がいてもいいんじゃね?」


 おっさんの言葉にラディは、『どうせ連中はルーセリスねぇちゃんが目当てなんだから、来るだけ邪魔なだけだよ。下心しかねぇ客なんて来ない方がいいだろ?』などと答える。

 確かにルーセリス目当ての男どもが押し寄せても邪魔なだけだが、それだとこの教会は神を祀る場としての役割を果たしていないことになるわけで、存在価値を問われる問題だ。


「片付け作業は進んでいるのかい? なんなら手伝うけど」

「大丈夫。もうほとんど片付いているからさ、あとはこの廃材を処分するだけ。教会の修復は……領主様の仕事かな?」

「どうだろうねぇ? 街の被害も相当なもんだし、予算が出るか微妙なところだとは思うけどね。しばらくは放置されるんじゃないかな」

「傷んだ天井が落ちただけだし、問題なし。あっ、ネズミなんかはどうなんだろ?」


 教会自体はドワーフが手掛けた石造りの建築物なので、木造づくりは内装や天井などの細かい部分や、床くらいのものだろう。

 一応地下室もあるらしいのだが、長らく放置していたせいか扉が開かないらしい。

 礼拝度の下に地下室があったら床が抜けていたかもしれないとラディは言う。


「ところで、ルーセリスさん達は?」

「あ? いるけど、呼んでこようか?」

「ちょいと待ってて。お~い、ルーセリスねぇちゃんとジャーネのねぇちゃん。旦那が帰ってきてるぞぉ~? 早く出迎えて派手で濃厚なぶちゅぅ~をかまそうや!」

『おい、ラディ!? おま、なにを言ってんだ!?』

『ラディ君、人前でそんなことを言うものではありません!!』


 何やら教会内でわちゃわちゃしていたようだが、ほどなくしてルーセリスとジャーネが押し出されるかのように裏口から出てきた。

 いや、実際子供達に押し出されてきたのだろう。

 裏口のドアが閉まる直前、ジョニー達が男前に笑いながらサムズアップしていた姿が見えた。ついでに少し離れた窓にはイリスがガラスに張り付きながら此方を覗いている。

 何が起きていたのか予想できてしまった。


「ちょっと遅いですが、おはようございます、ルーセリスさんにジャーネさん。実は昨夜帰って来たのですが、深夜を過ぎていましてねぇ。挨拶が遅れてすみません」

「いえ、何事もなくご無事でよかったです」

「ルー……このおっさんが他人にどうにかされるわけないだろ。ほぼ無敵なんだからさ」

「ところで、派手に濃厚なぶちゅぅ~……します? 僕としてはその後の理性が保てるのか保証はできませんが」

「ガキたちの前でそんな真似できるかぁ!!」

「私としてはウェルカムです!」

「「えっ?」」


 ルーセリスとジャーネは互いに見つめ合う。


「ジャーネ……もう、いい加減に覚悟を決めてください。このままダラダラと進展どころか婚姻すら引き延ばすつもりですか? それは慎重ではなく、ただの臆病ですよ」

「ルー……なんでお前はそんなに割り切っているんだ? 普通は恥じらいや躊躇ってものがあるだろ。腹を括りすぎて女なのに男前すぎるだろ」

「ハァ~……このまま放置していると、ジャーネはいつまでも逃げ続けてしまいますね。仕方がありません……ゼロスさん、ここは一発濃厚なぶちゅぅ~をかましちゃってください」

「えっ、いいんですか!? 早朝のちょっとした親父ギャグのつもりだったのに……」

「ちょっ、まっ!?」


 何やら展開があやしくなってきた。

 こうと決めたら強引にでも事を進めようとするルーセリスの行動に、ジャーネはどこかの司祭長の姿の幻影を見た気がして、背筋に冷たいものが走る。

 親は子に似るというが、ルーセリスの育ての親は間違いなくメルラーサ司祭長で、その行動理念というものを完全に受け継いでしまっているように思えてならない。


「かまいません。夫婦となる以上、朝昼晩のキスは毎日が当たり前と思わなければ、先の関係に進むことなんてできるはずありませんからね」

「朝昼晩って……それは所謂バカップルというものでは?」

「しかも毎日はやりすぎだろぉ!」

「そうですか? よく公園や広場などで見かける恋人たちは、それこそ長時間何度も飽きもせず、しかも人目をはばからずにそこかしこで堂々と濃厚なキスをしていますが?」

「「あ~………確かに」」


 よく考えてみると、濃厚なキスを交わしているカップルや若夫婦は街に出るとよく見かける。

 性や愛に関しておおらかというべきか、余計なことに縛られず自由な恋愛を楽しんでおり、恥ずかしげもなく人前で堂々と見せつけていた。

 独身生活の長いおっさんは軽く殺意を覚えたものである。

 それよりもルーセリスの言動が若干おかしいことが気にかかる。

 三人の関係が進展することを望んでいるところは分かるが、自分達以外のカップルに対して棘があるような言動をしており、まるでエロムラやおっさんが恋人たちを妬む感情に近いものがあった。


『もしかして、なかなか関係が進まないことに焦りを感じているのか? 無意識にカップルに対して嫉妬しているのかも………』


 人は感情の起伏が他の動物に比べて豊かである。

 ルーセリスも人である以上、正の感情以外にも負の感情を持ち合わせているのは当然のことであり、何らかの理由で負の側面が表に出てきているのかもしれないと推察した。

 考えられるのは例の病気だ。

 そう、嬉し恥ずかし忌まわしき恋愛症候群である。


「――というわけで、ジャーネとぶちゅぅ~をかましちゃってください♪ 次は私の番ですよ♡」

「だから、なんでアタシを優先するんだぁ! それなら別にルーが先にキスしてもいいだろ!!」

「………………それもそうですね」

「「ほわぁ~い?」」


 不用意な一言を言い放ってしまったジャーネ。

 その言葉に対してルーセリスはにっこりと微笑むと、オッサンの許へ近づいてきた。

 何やら不穏な気配を感じる。


「………あの、ルーセリスさん?」

「ふふふ……えい♡」


 そして唐突に抱き着いた。

 成人女性の豊かで柔らかい身体の密着に、一瞬おっさんの気が逸らされた隙を突かれ、ルーセリスの唇がゼロスの口を文字通り塞ぐ。

 まるで子供同士が行う無邪気で可愛らしいキスであったが、この行為自体がゼロスの思考を奪い、それと同時に例の症状を目覚めさせる。

 ちゅっちゅと可愛らしいキスを繰り返すルーセリスのことが愛おしく、ゼロスは無意識に手を伸ばすと彼女を抱きしめ、湧き上がる本能と目の前にいる女性の想いに応えたいとする感情が溶けあい、抑えきれなくなった衝動が身体を支配し突き動かす。

 普段のゼロスであれば驚きから硬直したままであっただろう。

 染まりゆく理性の中でわずかに残された冷静な思考も、『据え膳食わぬは男の恥』とか『毒食えば皿まで』といった言葉を免罪符に、次第に侵食されていった。

 押し寄せる衝動が二人の行動を大胆なものへと変えてゆく。


「ん………ふっん……んんっ…………」


 舌を絡ませ合う淫靡な音とともに、ルーセリスの悩ましげの声が漏れる。

 その光景をジャーネは目の前で呆然としたまま傍観していた。


「ふえっ!? ………えっ……………ええっ~っ!?」


 目の前で突然繰り広げられる熱愛シーンに、ジャーネは思わず赤面するもそこから目が離せない。

 それどころか、次は自分の番が回ってくるかもしれないという事実に期待と不安がないまぜとなり、思考とは裏腹に体は硬直したまま指一本動かせなくなっていた。

 同時に心拍数が徐々に上がっていく。

 

『な、スゴ………。うそ、アタシ………こんなことされんのかぁ~~~っ!?』


 恋愛症候群は男女の間で魔力による精神波の共振同調で引き起こされる。

 だが精神波には波というものがあり、この波の同調率が高いほど精神暴走による奇行に走りやすく、今のおっさんとルーセリスの状況はこれに当たる。

 では、なぜジャーネが同じように暴走しないのか? それは三人の中で彼女だけが体内の魔力保有量と体外に排出する魔力の量が低いためだ。

 大気中の自然魔力や体内魔力は精神に反応する性質上、どうしても無意識の精神波が含まれ、それは魔力が高く感知能力が鋭い者ほど同調を引き起こしやすい。

 ルーセリスの場合、彼女の行動はおっさんの放出する魔力に引き摺られた結果になるのだが、キスによる接触により至近距離での魔力共振現象が引き起こされ、今度はおっさんの精神が引き摺られてしまった。

 だが、この共振現象も長く続くことはない。

 元より精神波は個人によって波長が異なるため、徐々に体が慣れていき自我を取り戻す。問題があるとすれば自分達が異常な行動をしているという自覚症状がないことだろう。

 まぁ、ここまで詳しいことを知らないジャーネでも、自身も暴走する危険があることは自覚しており、何とかしたいとは思うものの内面が夢見る乙女な彼女は踏み込めずにいた。

 そうこうしている間に二人は濃厚なキスを終える。


「ゼロスさんって……意外と大胆なんですね」

「女性にここまで迫られたら、男として恥をかかせるわけにはいきませんからねぇ。僕なりに頑張ってみましたよ」

「それに……その、結構………お上手なようで……。もしかして、以前に恋人がいらっしゃったんですか?」

「………いませんよ」


 ゼロスの脳裏に社会人時代の光景が呼び起こされる。

 それは、出張で外国に行った時のことだった。某国のバーにて――。


『Hey、Satosi。テンション低いYo、もっと盛り上がらないとね!』

『いや、キャシー。飲み過ぎだぞ。明日に響く……』

『ダイジョブ、ダイジョブ。心配性ねぇ~。そぉ~んなつれないSatosiには~、こうしてやるぅ~♡』

『おい、待てや! 酔い過ぎだぞ、みんな止めてくれ! おい、やめ……んぐぅ!?』


 ――取引先の社員たちと飲みに行き、壮絶に絡まられた。

 しかも、酔った勢いにまかせ口移しでアルコール度数の高い酒を飲まされたうえに、そのままの勢いで濃厚なキスをされてしまった。

 今でも昔を思い出すたびに、『はじめはバリバリの堅物キャリアかと思ったのに、酒が入るとあそこまで変貌するとは思わなかった……。しかも致命的なまでに酒癖が悪い……』と、何度も呆れた溜息を吐いている。

 まぁ、酔った勢いの事故のようなもので、人にはいくつもの顔があると思い知らされた出来事であった。

 おっさんの中ではノーカン扱いとしている。

 ただ、ゼロスは気づいてすらいないようだが、ルーセリスとのキスの最中に無意識だがこの時の記憶を潜在意識からロードされ、誘導されるように濃厚な行為に及んでいた。

 まるでディスクを入れっぱなしのままのゲーム機を、電源入れたら自動でプログラムを実行するような現象が起きていたのである。それをあたかも自分の意思で行動していると錯覚している。この時点で自身に異常が起きていると気づけない。

 二人が気づくのは、もう少し時間を要することだろう。

 そのときには羞恥のあまり転げまわるほど悶えることになるわけで、こうした記憶に残るのに自覚症状がないのだから実にタチが悪い病気である(正確には病ではない)。

 そう、おっさんは昔を回想するくらい冷静に思考できているようで、実は中度の恋愛症候群の影響下にあった。

 

「次はジャーネの番ですね」

「えっ? ちょ……本気かぁ!?」

「本気ですよ? そしてこの紙に署名をしましょう。私の名前は既に書かれています」

「婚姻届けじゃないか! まだ持ってたのか。瓦礫とゴミの中に消えてしまえばよかったのに……」

「あっ、じゃあちょうどいいので僕の名前も書いておきますねぇ~……」


 元より魔力耐性の高いおっさんは魔力波の波から脱しつつあるようだが、それでも嬉々として婚姻届けに名前を書いている行動はおかしい。

 ついでに訳が分からないうちに退路が徐々に断たれていくジャーネ。


「待て、まさかと思うが……そのまま提出する気じゃないよなぁ!?」

「今はまだ出すつもりはありません。今は……ですが」

「その含みのある言い方はなんだよ!」

「まぁ、いつかは出すんですから、別に気にする必要もないでしょ。それよりもジャーネさん………お待たせしました」

「待たせたって………まさか、ほほほ、本気で……き、きしゅを!?」

「そんなに嫌がることはないじゃないですか、さすがにおじさんのガラスのハートも傷ついちゃいますぇ~。まぁ、逃がしはしませんけど」


 ジャーネさん、ちょっと思考判断力がイカレタおっさんにロックオンされてしまった。

 ムードもへったくれもない状況と、逃げ腰になりつつも自身に恋愛症候群の影響が出始め心拍数の上昇を感知したジャーネは、『このままではヤバイ!』と判断し脱兎のごとく逃走を図った。そんな彼女を変なテンションで追うおっさん。

 事情を知らなければ普通に犯罪現場だ。


「はっはっは、どこへ行こうというのかね?」

「アンタ、テンションがおかしいぞ! 自分の異常に気付いていないのか!?」

「異常? 何を言っているんです。僕は充分に正常ですが? 正常だからジャーネさんと愛を深めたいと純粋に思っているんですけどねぇ~」

「その思考自体がおかしいぞ!」


 どこぞの王族の子孫の少女を追いかけまわす某大佐のように、ゼロスはジャーネを次第に追い詰めていく。元より体力的にジャーネは不利だ。

 そんな異常なおっさんだが、楽し気に追い回す一方で思考の片隅では『あれ? 僕は何をやっているんだ……?』と、自分の行動に対して疑問を覚える。

 だが、恋愛症候群罹患者が三人揃っている状況が、引き起こされる共振現象により正常な思考を取り戻す邪魔をしていた。

 ルーセリスとゼロスの精神魔力波の共鳴がズレ始めると同時に、今度はジャーネとの共鳴が始まってしまった。当然だがジャーネにも『なんでアタシ……逃げてるんだろ?』という疑問が脳裏に過る。

 そう、このとき既に【ルーセリス+おっさん】の魔力波の同調が、【ジャーネ+おっさん】の同調に切り替わっていた。しかも同調率は現在進行形で続行中。

 やがてそうした疑問も生物としての本能に浸食され始め、『もう、受け入れてもいいんじゃないか?』という考えに染まってゆく。そうなると理性と本能による二つの感情の戦いだ。

 その状況が危険だと理性のジャーネが警鐘を鳴らしているのだが、本能からの影響が勝り始め逃走する足が徐々に落としていった。当然だがおっさんに追いつかれる。

 おっさんの場合はフィーバータイムRound2に突入。


「捕まえましたよ、ジャーネさん……」

「は、離せ……」

「そんな潤んだ目で見つめられると、可愛すぎて僕も感情が抑えられなくなりますよ」

「も、もう……抑えきれなくなってんだろ」

「えぇ……もう我慢することなんてできません。ジャーネさんがこんなに魅力的なのがいけない」

 

 自宅の外壁に押さえつけられ、ジャーネに逃げ場はもうない。

 いや、正確には自らの本能が逃げる選択を拒否していた。

 二人の顔が次第に近づいていき、唇が優しく触れ合う。


「はぅ…ん……」

「可愛い声ですね、ジャーネさん……。もっと可愛いらしいところを僕に見せてください」

「ひゃ……ひゃい♡」


 囁くように耳元で告げられたその一言で、ジャーネの理性は吹き飛んだ。

 熱に浮かされたジャーネさん、恋愛症候群フィーバーに突入。

 同時におっさんの脳裏でも、『なに恥ずかしいセリフをかましているのかねぇ~。まぁ、いいや……。このままGO GO!』という思考に染まり切っていた。

 二人は拍手するルーセリス監視の許、濃厚な口づけを交わし続けたのであった。

 二人の魔力波による共振同調の同調率ズレるまで……。

 自己嫌悪確定した瞬間であった。



 ~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~



 一方で、ソリステア公爵家別邸に戻ってきたアドは、真っ先にユイと娘の下に向かおうとする衝動を抑え、クレストンのところへ報告に訪れていた。


「………なるほどのぅ。アンフォラ関門まで落としたか」

「ゼロスさんは戦争が始まると言っていたが、実際はどうなんです? こっちではなにか動きがありましたか?」

「動き出す前にこの騒ぎじゃよ。街の様子を見たであろう?」

「古い家屋は軒並み地震の影響を受けていたな。復興が早すぎるけど……」

「馴染みの土木会社が張り切っておったからのぅ。職人達の目は死んでおったが……」


 おっさんからの前知識によってあまり驚かなかったが、どう考えてもハンバ土木工業という会社はおかしいと再認識したアド。

 ただ、ドワーフの職人根性は理解していても、その悪質性だけはいまいち理解できないでいた。


「まぁ、我が国の方針では、しばらくは様子見じゃな。地震被害の事もあるが、メーティス聖法神国が今後どうなるのか、状況の流れ次第じゃろう」

「獣人族以外のことで、あの国に何か動きでもあったんですか? どう考えても好機なのに見物なんて、おかしいと思うんだが……」

「うむ………実はのぅ。メーティス聖法神国の聖都マハ・ルタートが、ドラゴンの襲撃を受けて崩壊しおったらしい。今やあの国は無政府状態よ」

「はあっ!?」


 知らないうちに大国が滅びる寸前に陥っていた。

 アド達が支援しているイサラス王国にとっても好機到来だが、わりを食うのは民達なので素直に喜ぶことができない。

また、メーティス聖法神国の貴族達も原始的な暴力による強引な統治を実行すれば、不満から反乱を企てる組織も生まれる。

 まして無政府状態ともなれば大頭する貴族たちが勝手に国を興し、更なる混乱によって国内を破壊することに繋がる。知らない間にとんでもないことになっていた。


「いやいや、なんでそんなことになってんのぉ!? 無政府状態って、そんなことになれば……」

「中原は戦乱の世となるのは確実であろうのぅ」

「ゼロスさんもある程度は予想していたが、急展開すぎるだろ……」

「まぁ、混乱を収めるために有力な貴族を担ぎ出すじゃろぅが、そうした連中はこぞって評判が悪い。下剋上を狙う野心家であれば真っ先に潰す標的に選ぶじゃろうな」

「うわぁ~………」


 はっきり言えば戦乱の到来は野心家にとっても好機だった。

 気に入らない相手を叩き潰し、支配する領地を増やすことで自分の国を興すことができる。しかも滅んだ国の悪政を喧伝すれば大義名分と正当性が得られるオマケつきだ。

 特に好き勝手やらかした神官を処罰することは民も納得するだろう。

 まぁ、そうした神官達の殆どは貴族階級出身者が多く、彼らの悪評を利用すればライバルの民からの支持は下がり、蹴落せる可能性も高くなる。


「あと、これは未確認情報じゃが、四神は天誅されたらしいのぅ……アルフィア殿に」

「……あっ、なんかスゲェ納得した。見かけないときが多かったが、四神を探していたのか。(てことは……この世界の管理権限を取り戻せたってことか?)」

「密偵の報告によると、どうもメーティス聖法神国の裏事情や悪事も暴露されたらしいのぅ。これであの宗教国家の地位は地に落ちたことになる。この混乱は波紋のように広がり、大きなうねりとなって戦乱を呼ぶきっかけとなろう。何しろ神官達の正当性は失われたのじゃからな」

「俺としてはイサラス王国の動きが心配なんですけどね。あの国には世話になったからなぁ~……」

「ふむ………」


 クレストンはイサラス王国側の視点で動きを脳内で予測してみた。

 イサラス王国はアトルム皇国やソリステア魔法王国に支援を受け、着々と軍備の拡張と戦争への準備を秘密裏に進めていたが、現時点では兵力や兵站も充分とは言えない。

 余剰兵力があるわけでもなく、一定範囲の領土は奪えるがその土地の防衛を維持し続けることは難しく、兵力が足りない状況下で勝ち続けることを余儀なくされる。

 ならば、メーティス聖法神国の崩壊し混乱が長期に及んだ状況こそ動く機会であり、侵攻の準備と同時に有能な人物の調略に掛かる。領地を保有する有力な貴族であればなお良い。

 戦争はただ敵を倒し続ければよいというわけではなく、事前の下準備も戦略として求められる必要ものなのだ。


「儂の予想ではイサラス王国はしばらく動くまい」

「その根拠は何です?」

「あの国は兵員やそれらを維持する食料に限りがある。それにメーティス聖法神国にも有能な人物はおるからのぅ。いくら好機とはいえ無茶もできるはずもなく、攻め込む前に調略くらいは始めるじゃろ」

「有能な人物が弱小国に大人しく従ってくれるのか、甚だ疑問だな。それに時間が足りないんじゃないんですか?」

「逆じゃな。時間を置くほどに聖法神国の混乱は長く続くじゃろう。そうなると有能な人物の下に兵力は集中することになる。その人物を引き込めばよいのじゃよ。なに、別に忠誠を誓わんでもいいのじゃ。使える駒となってくれるなばな」


 野心家であれば周辺の国に自分を売り込むことが考えられ、混乱に対処できない貴族であっても領土の譲渡を条件に地位の保証してやるなど、戦わずに領土拡大を図ることは可能だ。

 一度でも味方に引き入れることができれば、邪魔になったときに自国の法で裁くなり使い潰す駒として利用するなど、切り捨てる方法などいくらでもある。

 要は国に損害を出さなければいい。


「けど、それってある程度の現状把握能力がないと駄目じゃないですかね? 無能な奴は極端なまでに無能だしさ」

「そこそこ利口であれば保身に走るじゃろぅが、引き込むに足りるか判別するには、小競り合いくらいは初めて貰わんと審査する価値はないのぅ」

「危機感を煽って行動の結果を見ることで選定するのか。現段階で靡くような奴らって、面倒事から逃げようとする使えない連中の可能性があるし、見極めえるのが難しいところだな」

「その辺りのことは儂らのような貴族や暗部の仕事じゃ。これ以上の話は機密事項が多いから話すことはできん。すまぬのぅ」

「いや、これ以上踏み込むのも野暮だろうし、聞いたら政治介入になりそうだ。報告も終わったことだし、ユイや娘に会いに行くことにするよ」

「うむ、話はここで終わりじゃな。アド殿も早くユイ殿に顔を見せて安心させてやると良い。心配しておったからのぅ。ふぉっふぉっふぉ」

「それじゃ、失礼します」


 一礼して立ち上がると、アドは執務室のドアから出て行った。

 クレストンは彼の背を見送ると、『すでに調略は始まっておる。我が国も多少領地をいただかねば割に合わんわい』と呟いた。

 現在、目立った領土的野心がある同盟国はイサラス王国が顕著であり、アトルム皇国は現状で満足している。領地を増やしたければ【邪神の爪痕】を通り、ファーフラン大深緑地帯の開拓を始めればよいのだから、アトルム皇国にとっては中原の領土紛争などに興味がない。正確にはルーフェイル族だが……。

 他にも同盟国はいるが、中原で戦乱が起こることで彼らがどう動くのか、この辺りも見極める必要がある。

 そんな為政者の思惑など関係ないアドは、何の根拠もなしに妻子の待つと思しきサロンに向け、スキップする姿を周りから奇異な視線を送られつつ向かう。

 根拠もないのに向かった先でユイの姿を確認できたのは、野生の直感か愛のなせる業かは分からないが、広い別邸内を探し回らずに済んだのは行幸といえよう。


「ユイ、かのん。今帰ったぞ」

「あっ、アドさんだ」

「俊君、お帰りなさい」

「お土産はないのかしら? アドさんって意外に気が利かないのね」

「シャクティ……なにもないルーダ・イルルゥ平原で、土産なんか手に入るわけないだろ。ゼロスさんが謎のパワードスーツを手に入れたくらいだ」


 なにやらファンタジー世界でありえない単語を訊き、三人の思考は一瞬にして固まった。

 シャクティも冗談のつもりで言った言葉だが、どうにもアドはゼロスが絡むと予想外のことに巻き込まれる傾向があるようで、どんな非常識な真似をしでかしてきたのか大いに気になった。


「みんな、無事だったようだな。サントールに戻ってきたら家屋が倒壊しているところが多くて、本気で心配したぞ」

「俊君は心配性だね。私たちは特に問題はなかったよ」

「そうそう。地震後にボランティア活動をしていたくらいだから」

「こんなときほど人の逞しさを実感するわよね。最初は家をなくして落ち込んでいた人達も、復興作業が進むにつれて立ち直っただけでなく、自ら作業を手伝うまでになるんだもの」


 地震による被害は大きく、家族を亡くした家庭も多い。

 それでも立ち上がり復興のために働く人たちの姿は、生きようとする命の悲しくも力強い輝きというものを教えてくれる。人は決して弱い存在ではないのだ。


「まぁ、それとは別方向で力強いエネルギッシュな人たちもいたけどね……」

「あの土木作業をしていた人達だよね」

「あの人達、大丈夫なのかな? 目つきが少し異様だったけど……」

「………土木作業」


 アドは昨夜見かけたドワーフの作業員を思い出す。

 ハンバ土木工業――技術を学ぶ機会があれば、それがたとえ被災地であろうとも嬉々として飛び込み、異常なまでの速度で復興作業を促進させる頼もしい援軍だ。

 だが、彼らの行動にはボランティア精神など一切なく、技術力の向上を図るという一点のみに集約されている。

 救助活動すらモノのついでなのだ。

 彼らの中心にいる種族がドワーフなだけに、その仕事に対する熱をよく知るアドは複雑な表情を浮かべていた……。



 ~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~


「「「あぁああああああぁぁぁぁぁっ!!」」」


 恋愛症候群の波が去ったとき、ゼロス達の脳裏に走ったものはどうしようもない羞恥心からくる衝撃と精神的なダメージだった。

 行動が大胆になると言えば聞こえがいいが、言い換えれば感情からくる精神の暴走である。それを理性が自覚したとき恥ずかしさのあまり死にたい気持ちになる。

 暴走時に本人に自覚がないことが最悪だ。

 もっとも、衝撃を受けた三人とも受けた衝撃の質が異なる。


「まさか、自分からキスしていくなんて……。いずれはそんな関係になると思っていましたが、自ら飛び込んでいくとは思いもしませんでした……」

「僕としてはただ嬉しかっただけですけどね……。あの内からくる愛おしさの感情が本心なのだとしたら、もう隠すことなんてできませんよ……――」


 理性のある今のゼロスは、『二人を愛しているのだと……』という言葉を口に出すことがどうしてもできなかった。

 ルーセリスやジャーネを一人の女性として愛しているのか、本能的な衝動が彼女達を求めているだけなのか、今のおっさんには分からないからだ。

 いや、二人に惹かれていることだけは確かだ。ここは断言できる。

 問題なのはそこに本当に愛があるのか、たんに性的な意味合いで魅力的な女性と見ているのか、そこがわからない。

 前者なら良いのだが、後者であった場合は二人に対して失礼極まりある。性欲発散の対象としか見ていないことになるのだから……。

 何しろ行動が突発的で無自覚なのだ。しかも理性と本能の逆転現象なため、己を取り戻した瞬間の罪悪感はより酷いものになる。


「うぅ……あんな…あんなこと………。初めてだったのに………」

「覚悟は決めていましたけど、実際に体験してみると凄く恥ずかしいですね」

「お前は横で拍手喝采しながら喜んでただけだろぉ!?」

「可愛かったですよ? ジャーネ」

「うがぁああああああぁぁぁぁぁっ!!」 


 常識的な思考の持ち主であれば、このままだとジャーネは鬱かノイローゼになってしまわないか心配になるだろう。

 だが、恋愛症候群によって引き出された行為は、その全てが自身の内側に閉じ込めておいた感情の爆発だ。受け入れてしまえば問題はない。

 しかし物事はそんな単純な物でない。人とは馬鹿正直に生きているわけでもなく、虚勢や見栄を張って生きていることが多い。いくら相性が良くても父親と娘ほどの年齢差があるゼロスを愛しているなどと簡単に受け入れることができないほど、ジャーネはとことん乙女だった。

 許容が狭いとも言い換えることができる。


「ハァ~……あそこまで濃厚なキスをしたのだから、いい加減に受け入れてもいいのに……。そういえばゼロスさんは? 先ほどまであまりの羞恥に悶えていましたけど」

「あそこで珍妙なポーズを取りながら苦悶しているぞ……」

「なんで移動しているんですか、あの人………」

「知らん」


 おっさんは羞恥心に駆られ、奇妙に体をくねらせながらルーセリスたちから離れていったようである。

 恋愛症候群の症状が発動時になると美化フィルターが掛かるようで、ルーセリスやジャーネには百倍美化された姿でおっさん見えてしまう。抱きつかれ潤んだ目で見つめられるなどすると雰囲気に流され、どんな堅物な性格の人でも一発で落ちやすくなる。

 重度の恋愛症候群の症状を別の言い方をすると、【突発性チョロイン熱愛誘発症】であろうか。イザナギとイザナミが一発で恋に落ちたように、レッツ・フォーリンラブしてしまうのだ。その記憶がおっさんを苦しめる。


「恐ろしい……自分が自分でないようだ。確かに、若い女性と口づけなど約得なわけで……いやいや、そうじゃなくて! 問題なのは、あの時ジャーネさんを押し倒そうとする欲望が抑えきれなくなっていたことだ。あのまま症状が続いていたら、真昼間から青空の下でハッスルドッキングしていたとこだぞ!? ヤバイ! ヤバイぞ!! 嫁入り前の女性の僕はなんてことを……ふぬぐぅおおおおおぉぉ!!」


 ジャーネよりもおっさんの方が重傷だった。


「今なら分かる。全裸で砂浜を『アハハ』『ウフフ』とっ走り回るバカップルや、人目をはばからず愛を叫んだ後に、その場でラブラブ・ストライクをかました人達の気持ちが……。自分の視野が二人だけの空間に限定されてしまうんだ! これが複数となると……く、他人事だと思っていたが、これではブロス君のことは笑えない」


 そして、三十人以上の奥様の相手をしているケモ・ブロス君の勇気に、敬意すら覚えた。

 獣人族は本能に忠実なため、毎日が恋愛症候群のようなものだ。さすがにチートなブロスでもカッサカサにされるだろう。

 抑えきれない本能と情欲を求める衝動が、いかに危険なのかをおっさんは再認識し、奧さんズに抗い続けているブロスの苦悩を本当の意味で理解した。

 どうしようもないのだ。


「ブロス君、僕が甘く見ていたよ。君は………紛れもなく勇者だ!」


 力強く叫んだが、これは論点をずらしただけの現実逃避にすぎない。

 なんでもいいから適当なことを言って誤魔化さなければ、羞恥のあまりに本気で正気を失いかねない。自我を守るための逃避行動だ。

 もっとも、どれだけ現実逃避しようとも起きてしまった現実は変えようもなく、三人はしばらくの間悶々とした日々を過ごすことになる。

 一部始終を覗いていた教会の子供達は言う――『もう、いい加減にくっついちまえよ!』と……。


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