世界再生の始まりは余波の爪痕を残す
地震後の復興は簡単には終わらない。
まして重機のような機械が存在していないこの異世界において、瓦礫などの撤去作業はすべて人力で行われるわけで、一つの都市の被害でも手が進まないのに範囲が国全体に及ぶとなると、復興作業はさらに遅れる。
普通ならこの常識は正しいのだが――。
「野郎ども! これは金にもならねぇ慈善事業だが、一切の手抜きはするんじゃねぇぞぉ!!」
「「「「「 イヤァ~~~~ッ、ハァ―――――――ッ!! 」」」」」
――ドワーフにとってはその限りではなかった。
自分達の腕を振るえる場所であれば、それが工事現場だろうが被災地だろうが関係ない。
彼らはナグリの指揮の下、統率された動きで瞬く間に倒れた建物を解体し、しかも使用可能な資材の分別まで行っている。
「しっかし……随分とヤワい建物が多いな。俺達が手掛けたもの以外、ほとんどが何かしらの被害を受けてるじゃねぇか」
「そりゃ、親方たちドワーフの仕事比べると、他の事務所の仕事なんて手抜きレベルでしょ」
「あっ? おめぇ……なに言ってんだ? そこに人が住む以上、簡単に壊れるような建物じゃ意味ねぇだろ。頑丈・長持ち・快適の三拍子は建築の基本だろうが」
「そこに安いが入ればいい事なんですけどね」
「おめぇ~なぁ……食堂の飯じゃねぇんだぞ。自分達の住居に金を掛けねぇでどうすんだよ。無駄話しはここまでだ。んで、身元を証明できるものがあったか?」
「いえ、ただ家族との写真が入ったロケットがありやすね」
「火葬場に持っていけ! 放置しとくと腐敗が早まるからな、疫病の原因にもなりかねねぇ」
邪神戦争以降、この世界の建築技術の水準は中世レベルにまで落ちていた。
その中でドワーフ達の技術は恐ろしく高い水準にあり、彼らは重機の扱い方を忘れたが建築技術そのものを遥か昔から受け継いできた。
それも職人としての業としてだ。
まぁ、重機や機械で行う作業などは一部廃れていったが……。
設計から建築作業に至るまで、必要な技術を一人で賄えるプロフェッショナルで、個人差はあるものの集団で同等の技術を持つ。
しかも技術力を上げることにも勤勉だ。
耐火・耐震・通気性・基礎土木技術・左官・塗装・水道技術・下水技術など、今では失われた建築に対するものの考え方が規範となっているので、ただ形だけの建物を建てればいいという他の建築物と比べると、その完成度に差がついてしまうのは当然のことである。
だが、当の本人達はそんなことなどどうでもいい。
彼らは最高の仕事ができれば細かいことなど気にしないのだ。
「親方ぁ、人が埋まってやしたぜ! まだ生きてやす」
「おう! 担架で救護所まで運んでやれや。片っ端から掘り起こしてやらぁな」
ハンバ土木工業の面々は、瓦礫や倒壊した建物の撤去作業も速いが、それ以上に被災者の救出作業も速かった。
それはもう、ハイパーレスキュー並みかそれ以上の迅速さである。
瓦礫の撤去と同時進行でポンポンと被災者が救出されていく。
「こっちにもいやしたぜ。ただ、残念ですが頭が潰れて死んでやす」
「遺品はどうしますか?」
「葬儀社の連中に預けておけ。遺灰ごと遺族に返してくれるだろ」
騎士や衛兵たちの救助作業より、街の土木工会社の方が優秀だった。
だが、間違っても彼らは救助活動をしているという意識の欠片もなく、解体作業の訓練になるという名目で勝手に行動しているだけで、ボランティアですらない。
そう、気に入らない依頼主の新築をぶっ壊す予行練習。ただそれだけである……。
………死体にも慣れておけということなのだろうか?
~~※~~※~~※~~※~~※~~
イリス達がサントールの町に戻ると、そこは被災地だった。
運び出され治療を受けるケガ人、既にお亡くなりになって臨時の遺体安置所に運ばれていく被害者。その様はまるで戦場であった。
「…………酷いわね。こんな災害、生まれてはじめてよ」
「あんなに地面が揺れるなんてな。アタシもこれまで経験したことがない」
「そういえば、今まで地震が起きたことなんてなかったね。イーサ・ランテの依頼後に一回だけあっただけだったかな?」
「そんなこともあったわね。でも、あの時は直ぐに収まったようだけど?」
「今回は長く続いたからな」
三人が護衛依頼を終えてこの街に戻る途中に地震は起きた。
元より日本人であるイリスは地震に対しても落ち着いていたが、地震が比較的に少ないこの地域で生まれ育ったジャーネとレナは、初めて長時間の揺れに晒されたことに生きた心地がしなかったという。
地震が収まっても体がまだ揺れているような感覚に襲われ、歩く時も足取りが覚束ないちょっとした船酔い近い状態になっていた。
「イリスはなんで平気だったんだ?」
「私? 私は地震が多い地方の出身だし、慣れているってこともあるよね。あれよりも大きい地震に遭遇したこともあるもん。あの程度じゃ慌てたりしないよ」
「地震は火山が多い地方で頻繁に起こるって言うわよね? イリスは随分と危険な地方の出身者だったのね。まぁ、おかげで冷静さを保てたけど……」
「私もそうだけど、アドさんやおじさんも同じ国の出身者だよ? あの程度の揺れは日常だったし、微弱な地震は頻繁に起きてたから今更だね」
「アタシは慣れそうにもないな。この世の終わりかと思った」
地球の――とりわけ日本という国で育った【入江澄香】には地震は日常であったが、レナやジャーネにとってはまさに大災害に思えたようで、震度4クラスの揺れでも冷静ではいられない。
それは、この異世界の住民達も同様のようで、余震がくるたびに悲鳴を上げていたりする。
こんなときほど冷静に行動しなくてはならない騎士や衛兵達も、落ち着いているように見えて顔色は凄く悪い。
「みんな大袈裟だなぁ~……」
「建物が倒壊するほどの揺れなのよ? 大袈裟でも何でもないと思うわ」
「むしろ、お前の落ち着き方が異常だ。それに街中で被害を受けた人もいるのに不謹慎だぞ」
「建物が崩れるって、耐震設計が甘かったからじゃない? そんなの私のせいじゃないし、故郷じゃこの程度の揺れで建物なんか倒れたりしないよ」
「「・・・・・・・・・」」
イリスは二人と比べて認識にズレがあることに気づいていない。
確かに日本では地震は珍しいという訳でもなく、それこそ遥か昔から身近にある自然現象であったため、建築に関しても耐震設計は当たり前だという常識がある。
それこそ歴史的な建造物でもある法隆寺の五重塔も、地震の揺れに対して倒れないように設計されるほど、耐震設計は身近なものだった。
彼女からしてみれば、『この程度の揺れで、なんで建物が崩れるの?』という感覚なのである。
対してレナやジャーネは元ら地震災害の少ない地域で生きてきたこともあり、震度四程度の地震に対しても大災害という認識なのだ。しかも建物が倒れるほどの天災など経験したことがなく、イリスが平然としていることに信じられない。
まして地震が日常的に起こるような状況など、それこそ想像できない話なのである。
「……イリスの生まれた国って、どんだけ頑丈な建物なんだよ」
「きっと石材を惜しみなく使った頑丈な家なのね」
「普通に木造建築だよ? まぁ、大地震の時に家がすんごい傾斜で揺れてたけど、壁に罅が入っただけで家自体は無事だったかな。部屋の中は凄く散らかったけどね」
「それって、今回起きた地震よりも大きい揺れがきたってことよね?」
「うん。立っていることすらできなかったかな。こう……静かな揺れから、いきなりドーンときてね」
「「 信じられないわ 」」
イリスの言うほどの大地震の話は、二人にとって世界の終末にくるような伝説レベルの災害に聞こえていた。
「でも、一番怖いのは二次被害かな?」
「「二次被害?」」
「内陸部だと火事かな? 地震が起きた時に食事の準備をしていた場合、そこから出火して周囲に広がっちゃうんだよ」
「それ、洒落にならないぞ!?」
「こうした城塞都市の場合だと、火事が原因で引き起こされるファイアーストーム現象が危険だね。別の場所で起きた火事が勢いを増して、被害を免れた周囲の建物を巻き込んで拡大していくんだよね。逃げ場も限定されているから被災者は増える一方……」
「ちょっと待って! 今……現在進行形で火事も発生しているようなんだけど……」
街の中には多くの食堂が、住宅街にはアパートなどで調理していた家庭も多くあり、そこから出火したら瞬く間に広がるだろう。
外に出かけていたなら逃げることもできようが、瓦礫に挟まれた被災者たちの運命は悲惨なものとなることは確実だ。
つまり火事が広がる前に何とか鎮火させなくてはならない。
「火事を未然に防ぐしかないな」
「広がる前なら水で消せると思うけど、人手が足りないと思うわよ。それに、消火活動なら既に始めているでしょうし……」
「魔法で火は消せるとは思うけど、瓦礫の下敷きになった人達も巻き添えにしちゃうかも……。高水圧の魔法は使えないよ」
「こんな状況だもの、多少の犠牲は容認するしかないわ。大火災にでもなったら手に負えなくなるでしょうから」
「状況に応じて対処するしかないな。アタシ達では全員を助けるなんて無理だ」
火事の現場へと急ぎ走り出す三人。
煙の上がる場所を目指し、人込みをかき分けながら進むと、そこは倒壊こそ免れたが二階部分から火災が発生しているアパートであった。
既に日は三階部分へと燃え移り、このままでは全焼は確実である。
「いやぁああああっ!! 誰か……誰か息子を助けて!!」
「あそこには、まだ婆さんが残っているんだ!!」
「たすけてぇ、あついよぉ!!」
「お前たちぃ、この子を落とすから受け止めるんヤァ!!」
「婆さんはどうするんだぁ!!」
「どうせ死にぞこないなんじゃ、子供を助ける方が優先じゃよ。ひゃっはっはっ」
かなり逼迫しているような状況。
子供は助けられても老婆は確実に炎に巻き込まれるだろう。
それほど火の廻りは早かった。
「このアイテムが使えるかな」
「ん? それは指輪か……魔道具なのか?」
「緊急時だから説明はあと! いっくよぉ~~~っ!!」
インベントリから取り出した指輪を即座に填めると、連続で水球を撃ちまくる。
魔力消費を無視するような多連続の水弾は、燃える柱や天井の火を消し、何とか人が進めるだけの空間を作り出す。
それでも発生する煙だけはどうしようもない。
「そりゃ、そりゃ、そりゃ、そりゃ!!」
「すげぇぞ、あの嬢ちゃん!」
「魔法で火を消しながら突き進んでやがる」
「これなら助けられるぞ!!」
イリスが使っている指輪は【水精の指輪】と言い、【ソード・アンド・ソーサリス】ではダンジョンでわりと簡単に手に入る装備アイテムである。
その効果は周囲の魔力を吸収して連続で水弾を射出できるというもので、主に牽制目的として魔力消費を気にする魔導士には重宝されていた。
威力も低いために他の似たような装備アイテムと併用した戦術が組まれるも、ある程度レベルが上がると真っ先に売られてしまう不遇な扱いだ。
そんなアイテムは現在、火事現場で大活躍である。
「イリス、そこの床が崩れそうだから気を付けて」
「はいはぁ~い」
「消火が早いな……。これなら救出もできそうだ」
「三階に行くよ。救助は迅速に」
燃え広がろうとしていた火の手を魔法で消火し、イリス達は四階へと辿り着く。
「レナさん、救助をお願い。私は火を消すのに専念するから」
「了解。お婆さん、大丈夫?」
「なぁ~に、ちょいと火傷したが、たいしたこたぁ~ないよ」
「ジャーネ、お婆さんの保護をお願い。私はこの子を……うふふ♡ 青い果実……いえ、五年後が楽しみだわ」
「こんな時に発情すんな!」
「失礼ね。いくら私でも、幼い子に手を出すほど腐ってはいないわよ」
「………どの口が言ってんだ?」
ジャーネは即座に『嘘だ!』と言いたかったが、今は非常時であり余計な言葉はあえて心の奥に呑みこんだ。今は緊急事態の真っただ中にいるのだ。
消火はしているが床が崩れる可能性もあるため、迅速に行動することを優先したのだった。イリスは念入りに火を消している。
「イリス、撤収するぞ」
「えっ? もう少し消火しておかないと、後でまた出火するかも知れないよ? 火種を残しておくと危ないんだから。住んでいた人には悪いけど、水浸しになるのは覚悟してもらわないとね」
「あら、イリスってば用心深いのね。そうよね……火種はけしておかないと、後々厄介だから念入りに消すべきよ」
「なんか、微妙に変なニュアンスを感じたけど……。まぁ、用心しておくに越したことはないんだよ」
建物から出る時も水弾を撃ちまくり続けたイリス。
火は鎮火するものの後始末は大変そうである。
階段を下りドアから出てみると、大勢の人達から拍手喝さいを浴びた。
感謝の声に照れ臭かったのか、イリスとジャーネは『次の場所に向かうから』とそそくさと逃げだし、レナは母親と抱き合う少年を物欲しそうに眺めたまま、二人に引き摺られるように現場を後にする。
「そういえば、意外と火事になっている家が少ないよね?」
「あ~、消防隊や衛兵は魔法が使えるからな。マナ・ポーションを飲み続けながら必死に消火活動をしてるんだろ」
「お腹がタプタプになりそうね。魔法が使えなくてよかったわ」
「あれ? もしかして私……何気にチート?」
どこかのおっさんのように目立つようなことはないが、イリスも自身が何気にチートであることを、今さらながらに気づいた瞬間だった。
このあと三人は、街中を駆け回り多くの被災者の救助は続けられた。
~~※~~※~~※~~※~~※~~
地脈を流れる魔力による地殻変動は惑星全土に波及し、当然だがイストール魔法学院にも及んでいる。
ただ、学院都市においては元よりドワーフ達の手による建築物が多く、見た限りではさほどダメージを受けた様子は見られない。
しかしながら建物自体は無事であったとしても、その中身までは無事であるとは限らなかった。
大図書館では本棚から収蔵されていた本が全て落ち、実験棟では薬品棚が倒れ漏れた液体が化学反応により変なガスが発生し、修練場では地震に驚いた生徒が滑って転んで失神するなど、危険極まりない事態からコミカルなものまで様々な影響が出ていた。
「クロイサス、大変だぁ!!」
「なんですか、マカロフ……。いま片付け作業で手が離せないのですが?」
「お前の部屋なんて、年がら年中散らかってるだろ。今さら何を言ってるんだよ」
「何気に失礼ですね、事実ですけど……。それで、なにが大変なんです?」
「おっと、そうだった……。実験棟で薬品棚が倒れて………」
「変なガスが発生しましたか? それも今さらですね」
「………よく考えれば、いつもヤバイ事態な気がするが、そんな日常に慣れてる俺たちが嫌になるな。だが、今回はちょっと違う」
「なにが違うんです?」
「薬品棚の溶剤をサマール達がぶっ被って、オネェになった」
「……………はぁ?」
クロイサスに『オネェ』という言葉を使ったところで彼は理解できない。
そのためマカロフに詳細を訊いてみると、内容はこうだ。
実験棟で在庫の薬品を確認中に地震が起こり、棚が倒れた拍子に中の性別転換薬を被ってしまい、サマールという青年は女性みたいな男性に姿が変わってしまったらしい。
更に二次被害で発生したガスにより、周囲にいた複数人の男女学生達も『オネェ』に大変身。あまりの事態に大混乱に陥ったとのことだ。
「女生徒もその場にいたのですか?」
「あぁ……。彼女達はその……生えたらしい。それも、かなり立派なものが……」
「体は男性にならなかったので?」
「不幸中の幸いと言うべきか、見た目だけなら無事だ。一部だけが強調されているようだけど……」
「おもしろい……実におもしろい。どのような反応でそのような気化ガスが発生したのか、そのプロセスを考えるだけでも実に興味深い」
「なんで嬉しそうなんだよ。イー・リンやセリナも被害に遭っているんだぞ」
「それは、ぜひともレポートを書いて提出してほしいところですね。効果がどのように及んだのか、詳細な内容が実に気になります」
クロイサスは研究が絡むと外道だった。
身近な友人たちが犠牲になろうと、偶発的であろうと結果を知ることが何よりも重要であり、そこから『効果に対して、様々な考察を行うのに必要なデータを得る好機』という思考に囚われてしまう。
彼にとって友情とは何なのか気になるところだ。
「お前な……あのセリナが泣いてるんだぞ。少しは心配をしろよ、不謹慎だろ」
「研究棟の棚にあった性別転換薬は、短時間で効果が薄れるモノですから心配することでもないでしょう。放置しても自然に元に戻りますよ」
「男子の心が折れるんだよ!」
「なぜ?」
「それは……」
偶然にも現場を見てしまったマカロフは、そのあまりの状況に絶句したほどだ。
特にフ〇ナリとなった女子のアレは立派過ぎて、スカート越しからでも目立つほどに凄く、元から男子として生を受けた彼からしてみれば羨ましすぎて泣けてくる。
自前のモノに変化がないオネェ化男子たちが絶望したほどだ。
だが、そんなことを軽々しく口に出せるものではない。
「男性化と女性化の魔法薬が互いに中和しあった結果なのでしょうか?」
「俺に聞くなよ」
「発生したガスは? まさか、換気扇を回して外部に流したわけではないですよね?」
「それは知らん」
「ふむ……どのような状況なのか理解できませんので、実際に見に行きますか」
「やめろよぉ、セリナとイー・リンが自害しかねないだろぉ!?」
「………じゃぁ、なぜ私を呼びに来たんです? どうせ効果は直ぐに切れるのですし、放置しておいて大丈夫でしょう? 私に被験者を診察してほしかったわけではないでしょうに」
「……あっ」
冷静に考えれば、棚にあった性別転換薬は短時間で効力を失うことは分かったはずであり、クロイサスを呼びに来ることに意味はない。
医学的な見地から診察するのならともかく、混乱している状況にクロイサスを投げ込むなど悪手だ。更なる波紋の相乗効果を発揮することは分かり切っている。
それなのにマカロフは彼を頼ってしまった。
「地震による動揺と二次被害による惨事に気を取られて冷静さを失い、状況を把握することを怠ったようですね。目先の情報に気を取られ過ぎると真実を見失いますよ?」
「ぐっ……確かにそうなんだが、いつも惨事を引き起こすクロイサスに言われると納得いかないものが……。そうだよ、なんで俺はクロイサスを頼ろうしたんだ? むしろ状況が悪化するだけじゃないか」
「本人を前に失礼ですね」
冷静になればクロイサスに頼ろうとしたこと自体過ちであると理解する。
そして、いたところでクロイサスが役に立たないことを、今さらながらに自覚し深く項垂れた。
「まぁ、危険物として性別転換薬の原液を別の場所に保管しておいて、正解だったということですね」
「あぁ……そうだな。もし原液を同じ場所に保存しておいたら、いずれお前が妙な調合の実験に使いそうだったから、別途保管を推奨しておいて本当に良かった」
「……えっ!? 待ってください。原液の保管場所移動の話は、取り扱いの難しいからという理由だったからではないんですか!?」
「それも理由の一つだが、お前が勝手に実験に使いそうだということが大きいな。みんなで話し合った結果だ。総意だから諦めろ」
「納得できませんよ!?」
実験という名のクロイサスの暴走は、多くの学生から危険視されていた。
前々から分かっていたことなのに、クロイサスは少しも理解と自覚をしてくれず同じことを繰り返し、周囲に混乱を振りまいている。
口で言ったところで効果がないのなら、実力行使で被害を抑えようとするのは当然のことである。
「お前のせいで頭を下げるのはもう嫌なんでな、こうするしか手がなかったんだ。恨むなら今まで自分の仕出かした不始末を恨め」
「……一応、頭は下げているんですがね」
「全然反省なんかしていなかったろ。謝罪に行っても屁理屈で丸め込み、講師陣営をケムに巻いていただけじゃねぇか。あれを反省とは言わねぇよ!」
「失敗した原因と、反省を生かした今後の方針を懇切丁寧に伝えただけじゃないですか。解せません」
「それを反省してねぇって言ってんだけどな。研究のことだけを強調して、騒ぎを引き起こさないという根本的なことを無視してるじゃねぇか」
「失敗なくして成功はないというのに、そんな無責任なことは言えませんよ。失敗するときはどんなことをしたって失敗します」
「本音と建前をきっちり分けろって言ってんだが? だから俺達の心象まで悪くなってるんじゃねぇか」
「なぜ?」
クロイサスは自分が問題児である自覚が全くない。
問題を起こし反省はするものの、その経験は全て研究に向けられるため、他人に対して配慮するという認識部分が他と大きくズレていた。
「まぁ、いいでしょう。それにしても余震が続きますね」
「ちっともよくないが、長い地震だよな。こんなの初めてじゃないのか?」
「この分では、また大きい揺れがくるかもしれませんね。片づけるのを止めておきましょうか。また散らかる気がします」
「そこは片付けろよ。散らかった惨状を放置しておくと、お前は後になっても片づけないだろうが」
この日、一部で酷い被害を受けた学生もいたが、片付け作業は生徒全員で行われた。
ただし、クロイサスだけは偶然発見した文献に夢中になり、作業を途中で放棄することになる。
いるだけ邪魔になるので、誰も声を掛けることはなかったとか。
~~※~~※~~※~~※~~※~~
大図書館にて調べ物をしていたときにセレスティーナは地震に遭遇した。
本棚はドミノのごとく倒れ、蔵書物は散乱し、一部の生徒は倒れる棚にあった大量の書籍に押しつぶされる。
大きな揺れは去ったが未だに余震が続く中で、たまたま他国の歴史を調べに来ていたツヴェイトが陣頭指揮を執り、棚の間に挟まれた生徒達の救出に当たっていた。
「タイミングを合わせて全員で持ち上げろ! 手を放すんじゃねぇぞ」
「「「「 せぇ~のっ!! 」」」」
「っ………このまま、勢いで棚を立たせろ」
「「「「 っこらしょぉ!! 」」」」
幸いとも言うべきか、一回部から天井まで伸びる柱が本棚を支えており、下敷きとなった者がいなかったものの、大量の本に埋もれ身動きができずにいた。
だが、大型の本棚はそれなりの重量があり、簡単には持ち上げることができず救出作業は難航するわけで、本に埋もれた生徒は身動き取れず救助を待つしかない。
「セレスティーナ、そっちの本はどかせたか?」
「まだです。皆さんで運んでいるのですが、数が多すぎて人手が足りません」
「だろうな。こりゃ、徹夜で救助活動するしかねぇか……」
大図書館の本棚は両面に本が置けるようなタイプのもので、しかも天井に届くほど高いく大きいため、元に戻すにもそれなりに重量があり作業は難航していた。
少しでも楽に起こすには、本棚から落下を免れた書物を移動させなければならず、その作業だけでも時間がかかってしまう。
「本をどかせ、手が出たら引っ張り出すぞ」
「その本を抜き取ろうにも、棚が邪魔して引き抜けねぇんだよ。微妙な角度で重量がのしかかっているからな。こりゃ、地道な作業を繰り返すしかないな」
「だが、このままだと何日かかるか分からねぇぞ?」
「やるしかないだろ。あとでまた並べるのが大変だけどな」
「言ってる場合か! さっさと手を動かせよ」
救出作業に当たっている学生達は、そもそも救難活動の訓練など受けたことのない者達ばかりで、その作業はお世辞も効率がいいとは言えない。
それでも何とか助けだすことには成功している。
「ツヴェイト兄様、このままだと……」
「わかっている。あの柱で棚が支えられてはいるが、それがいつまでも続くとは思えん。棚が重みで横ズレなどしたら完全に潰されるな」
「そんなことになったら、今棚の間にいる人たちは……」
「あぁ……本と棚の重量で圧殺される。時間との勝負だ」
大図書館を利用している生徒は多いが、学院の生徒数と比べるとその数は限りなく少ない。
しかし、現時点において学院中で騒ぎが起きており、事態の収拾にあたっているのはここだけではないのだ。何しろ大図書館の隣にある研究室でも色路と騒ぎが起きていた。
「ツヴェイト、戦略研究部の皆を連れてきたよ」
「ナイスだ、ディーオ! 皆は直ぐに本をどかす作業に当たってくれ。一階から三階に均等に人員を分担し、作業を迅速に効率よく進めるぞ!」
「緊急事態だからな、指示には従うさ」
「俺達がきたからには安心だぜ♡」
「短時間で作業を終わらせるぞ!!」
助っ人を呼びに行ったディーオは、同じ研究室の仲間を引き連れてきた。
これにより作業効率は一気に引き上げることができる。
「セレスティーナ様、下級生だけど助っ人を連れてきたよ」
「わたくしも暇そうな人達を連れてきましたわ」
「キャロキャロは拉致してきたって言わない?」
「失礼ですわよ、ウルナさん! 善意の協力者ですわ」
善意の協力者。
それは、大図書館の前で突然の地震に見舞われ、呆然としていた一般学生達だ。
キャロスティーは放心していた彼らに声を掛け、『何をしていいのか分からないなら、手伝いなさい!』の一言で無理やり引き込んだ。
ちなみにウルナは同じ獣人族のハーフ達に声を掛けた。
ハーフであるウルナは獣人族の血が濃いために魔法の扱いは苦手だが、イー・リンのような魔法を扱える獣人族の混血も学院には少なからず在籍しており、いわゆる横繋がりの関係者を連れてきたのだ。
なんにしても助っ人は多いに越したことはない。
「なんでもいい、女子は今すぐ本をどかすのを手伝ってくれ。男子は棚を持ち上げる力仕事だ。一階から三階に班に分けて作業に当たってほしい」
「ケガ人はどうするんだ?」
「私達じゃ手当なんてできないわよ」
「そこは俺達が応急処置をする。その後は学院内の診療所に任せるさ。骨折している場合もあるから、何人かは担架で負傷者の移送だな。時間がないから即刻作業開始だ」
「「「「 おぉおぉぉぉぉぉぉぉっ!! 」」」」
援軍の投入で二日ほどの時間をかけ救出活動を終わらせることができ、最悪の事態は避けられることになったものの、それでも骨折などのケガ人が出ていた。
死者が出なかったことに安堵しつつも他の場所に救援に行こうとした矢先、今度は棚から移した書籍を元に戻す作業を頼まれ、その作業で一週間の時間を費やすことになる。
その頃にはある程度状況は落ち着いたものとなっていたのだが、講師学生を含め全員が疲労で倒れる羽目になり、学院としての機能を取り戻すのにしばらくの時間を要するのであった。
~~※~~※~~※~~※~~※~~
ソリステア公爵家の屋敷にある執務室では、、デルサシス公爵とクレストン元公爵が苦い顔をして地図を見ていた。
突然発生した災害の対処に部下総動員で収拾に当たっているが、その被害は予想以上に大きい。特に百五十年前から残る建物の影響が酷いようで、旧市街地や住宅街の民家倒壊は頭が痛い。
「………予想以上の被害じゃのぅ」
「復興のために、しばらく予算が食われそうですな。商会の方でも商品に被害が出ておりまして、いやはや……頭が痛いところだ」
「国から復興予算は出そうにないのぅ……」
「国内全土に影響が出ていると見てよいでしょう。領内で何とかせねばならないが、どこから予算を捻出するべきか……」
報告で齎される情報を精査すると、サントールの街だけでも地震の被害はかなりのものだ。そこに各村や町などを入れると資金が尽きかねない。
「……こんな時に言うのもなんじゃが、メーティス聖法神国の動きが気になるのぅ」
「今襲撃を受ければ、我らには成す術がりませんからな。ですが、おそらくは大丈夫でしょう」
「その根拠はなんじゃ?」
「この地震の被害が我が国だけとお思いですか? おそらくは……」
「メーティス聖法神国にも同様に……ということか? ふむ……」
この時点では、まだ聖都マハ・ルタートの崩壊の報せは届いておらず、デルサシスは自領の建築物の構造から被害予測をしただけなのだが、導き出された結論は正鵠を得ていた。
メーティス聖法神国の政治中枢は消滅し、さらにこの地震による被害の収拾を着けようのない状況にまで落ち込んでいる。ソリステア魔法王国に攻め込む余裕すらない状況だ。
しかも国の基盤となっていた信仰も【神】よって完全否定されていた。
もはや国として成り立たない。
「しばらく猶予はあるか。その前に国内の復興を優先せねばな」
「幸い、我が国には頭のおか――もとい、優秀な職人がおりますからな。復興も彼らの手で好き勝手に行われるでしょう。今のうちに彼らの支援体制を整えておくべきか」
「デル……おぬし、さらっと『頭がおかしい』と言おうとせんかったか? まぁ、あのドワーフ達のことじゃから、これ幸いと勝手に建て直しをしてくれるじゃろぅが……」
「彼らには慈善事業などという言葉はないが、新人教育という言葉はある。倒壊した建物を全て技術の向上のために利用するかと。ですが……」
「我ら領主の立場がないぞい。じゃから支援体制を整えて体裁を保つと?」
「彼らの私財を使われると、それこそ立場がありませんのでね」
「頼りになるが、扱いが難しい連中じゃわい。独立性が強すぎるのも考えものじゃのぅ」
ドワーフ達にとって今回の震災は渡りに船だった。
使えない新人を現場に放り込み、強制的に技術力を上げる所謂ブートキャンプのようなもので、職人が育つのであれば見返りは求めない。
しかし、それでは領主としての立場がないわけで、彼らの仕事ぶりに甘えるわけにもいかない。何より権力者よりも職人が尊ばれるわけにはいかないのだ。
たとえ彼らの行動が善意ではなく、技術を強制的に学ばせるためのものであったとしても、民は彼らの働きぶりを支持することだろう。
「駆け出しの職人達は過労死せんじゃろうか?」
「その心配は無用でしょう。哀れには思いますがね」
「おぬし……冷たいのぅ」
「彼らが未熟な職人を過労死させるとは思えませんのでね。死なすなら働き甲斐のある現場でしょう」
「それはそれで酷いと思うのじゃが……」
これから続くであろう新人職人達の地獄の日々を思うと、クレストンは涙を隠せなかった。
事実、今も遠くで新人職人の悲鳴が響き渡ってる。
しかし、クレストン達は彼らに同情はしても助けない。正確には助けられない。
なぜなら彼らを助けようとすればドワーフ達が反発し、領地の復興が遅れてしまうからだ。領主の立場から小さな犠牲は黙認することを決める。
何より領地の被害を調べるだけで手一杯だ。
……間違ってもドワーフ達に殴られるのが嫌だからではない。領地の回復を最優先するべきと判断したからである。たぶん………。




