おっさんは帰路につき、世界は再生が始まる
アンフォラ関門を落としたことにより、獣人族は戦勝祝いの酒盛りを開いていた。
無論勝利したこと喜びもあるが、それよりも思っていたほど常駐していた兵士たちが弱く、欲求不満になっている者達が多かった。
そのせいか、彼らは勝利した後も興奮状態から覚めず、彼らの文化とも言うべき肉体言語で語り合う状況になっていたりする。
所謂喧嘩祭りだ。
「………ねぇ、ブロス君や。アレは止めなくていいのかい?」
「止める? 喧嘩祭りを? なんで?」
「諦めろ、ゼロスさん……。アレは連中の日常なんだよ。何かにつけて殴り合いたいのさ」
「スポーツ感覚で流血すらしかねない殴り合いを、それも嬉々としてやってる彼らって……。野蛮とか暴力主義とか、そういった言葉の領域超えてね?」
「肉体言語至上主義だからねぇ~、みんな♪」
『『 この文化に染まっているお前も問題だぞ? 』』
老若男女問わず参加し、抉りこむようなパンチの応酬やサブミッション、更には流れるような寝技を交互に外しては仕掛け繰り返すテクニック。
武器を持ち出さないだけ良心的だが、戦勝するたびにこれでは、やがて怪我人だらけの集団になり果てる可能性が高い。
戦うべきときにケガで戦えないことにでもなれば目も当てられない。
そんなバイオレンスな日常も、長く滞在していると当たり前と認識してしまうのだから不思議だ。慣れとは恐ろしいものである。
「………まさかとは思うけど、獣人族が奴隷にされたのはこの文化が浸透していたからじゃないのかい? 前日に喧嘩祭りで疲弊したところへ襲撃を受けて、捕縛されたとか……」
「いやいや、ゼロスさん……。いくらなんでも、それはないと思うぞ?」
「それがね、一部の部族がその理由で捕まっちゃってるんだよね。逃げ切った人から事情を聞いたらさ、『昨晩、喧嘩祭りなんてするんじゃなかった……。ケガさえなければあんな奴ら……』って悔しがってたよ」
「「 マジかよ…… 」」
「あと、『加減せずに本気えぶちのめしていれば、あいつに勝ちを譲ることもなかったのに……』って、友人を失ってつらそうだったね」
『『 それ、たんに勝負に負けたことが悔しかっただけじゃね? 』』
何かにつけて拳で語り合うせいか、それが原因で取り返しのつかない事態を招いていたようだ。
それでも止められない喧嘩祭り。血の気が多すぎるにも程がある。
「ま、まぁ……なんにしてもアンフォラ関門は落とせたし、僕達の役目も終わりだねぇ」
「もしかして帰るの?」
「アド君も奥さんと子供の様子が気になるだろうし、僕もさすがに家を留守にしっ放しにはできないよ。ヤバイものが置いてあるからさ」
「……下手に盗まれでもしたら確かにヤバイよな」
「ゼロスさんも相変わらずだね。何を作ったのかは知らないけど、程々にしておきなよ?」
「ブロス君だけには言われたくないねぇ」
こうして三人揃って語り合うのも、もうすぐ終わりである。
ブロスはこれから獣人族の解放のために動き、ゼロスやアドはまたいつもの日常に戻るため、ソリステア魔法王国へと帰ることになる。
いろいろやらかしたが、こうして別れの時が来ると思うと少々寂しさを感じた。
「あははは、まぁ今夜は無礼講だし楽しめばいいよ。それで、いつ頃帰る予定なのさ」
「あ~……俺的には明日にでも帰りたい。娘のことが心配だからな」
「あれ、ユイさんのことはいいのかい?」
「ゼロスさん……。ユイが、あいつが……俺が数日ほど家を空けたくらいでどうにかなるとでも? むしろ浮気したかどうか気になって毎晩包丁を研いでるだろうさ」
「あ~……別の意味でどうにかなっちゃうのか。いつも通りというべきか、奥さんが重度のヤンデレだと大変だねぇ」
「アドさんの奥さんが怖いんだけど……」
「朝起きたらベッドに縛り付けられ、監禁状態になっていた怖さが理解できるか?」
アドの日常は想像以上にサイコサスペンスだった。
奥さんの愛は空間が歪むほどに重い。
「ん~……でもそっか、帰るならお土産でも送ろうかな」
「「お土産?」」
「うん、これ」
ブロスがそう言いながら、インベントリから無造作に取り出した美術品の数々を並べる。
なんだか良く分からない絵柄の壺や、金の額縁に収められたデンジャラスな絵画、モザイク必須の卑猥なポージングをした金ぴかの裸婦像。
貰っても嬉しくない悪趣味極まりない品々を散見して頭を抱えたくなった。
「………ブロス。お前……お土産と称して俺達に不用品を押し付ける気だろ」
「貰っても嬉しくないよねぇ、コレ……。どこから持ってきたんだい?」
「いやぁ~、残敵掃討中に隠し通路を発見してさ。そこを探索してたら知らないおっさんの死体と、無造作に放置された悪趣味な美術品を見つけてね……」
「やばくなって逃げだしたお偉いさんが、部下に裏切られたのか?」
「その可能性は高いんじゃないかい? そんでかさばらない金目のものを奪われて、邪魔になるようなものを捨てていったと。よほど無能な上官だったのかねぇ~……」
「そんで回収できた戦利品がコレなんだけど、扱いに困ってさ……」
「「そりゃ困るだろ……。誰も要らんわ、こんなもん」」
やたら金彩色の激しい壺や花瓶などは置き場所によって映えるかもしれないが、複数点ある絵画は落書きか無駄に官能的なものが多く、とても芸術性があるとは思えない。
こんなものを好んで集めていた性格を考察してみるに、よほど品性下劣で悪趣味な成金志向の高い人物出ると推測され、そんな上司の下で働かされていたとなると、兵士でなくても裏切りたくなるというものだ。
「……絵画などは売るにしても足がつくからねぇ、加工しやすい宝石類だけ持ち逃げしたってことかな」
「だろうな。売るにしても困るだろ、こんな下品な代物……」
「僕も要らない。どう処分しようかな……」
「う~ん……金箔なら魔導錬成で剥ぎ取れると思うけど、額縁とかに使われているのは金なのかねぇ? 真鍮の可能性もあるんじゃないかい」
「絵画は燃やしてもいいんじゃないか? これって子供の落書きにしか見えん」
「貴金属が採れたとしても、ここじゃ使い道がないんだよね。ゼロスさん達に全部あげるよ」
『『 こ、こいつ……全部丸投げする気だ 』』
獣人族に芸術の文化はなく、ブロスもまたそういった分野に興味は湧かず、金などの鉱物は手に入れたところで必要のない邪魔なゴミだった。
金属を使用している個所だけでも、溶かすなり剥ぎ取るなどの案が浮かぶゼロス達の方が有効活用してくれると判断し、全てを贈呈する気であった。
当然だが、タダ同然で処分するという目的も含まれている。
「とりあえず、魔導錬成でもしてみるかい?」
「そうだな。魔導錬成の【分離】で素材を分けることができたら、リサイクル可能という証明にもなる。ものは試しに挑戦してみるか」
さっそく魔導錬成を始める二人。
幸いと言うべきか、絵画の額縁や石膏像に貼られた金箔などはどれも本物で、中には黄金の水差しやら毛抜きなどの日用品もあったりする。
石膏像にいたっては粉々に粉砕し、絵画に使われている絵具からはアズライトやマカライト、ラピスラズリなどの不粉末も採取できた。
まぁ、使わない油成分なども分離してしまったが。
「地球でも絵の具の顔料として使われてたけど、ここファンタジー世界だと魔法薬の材料にもなるんだよな……。健康に害はないのか?」
「魔物の魔石に含まれる結晶化した体液成分が、鉱物の毒性を無害化するみたいなんだよねぇ。地球には存在しなかった元素もあるし、物質同士よる化学反応がどうなっているんだか、謎が多すぎる。カノンさんがいたら喜びそうな研究テーマだよ」
「あの人、魔法薬の精製に命かけてたからなぁ~………。新薬実験と称してPK職の捕縛に駆り出されたよ。僕もドン引きする酷い実験だったなぁ………」
「ブロスもか……。俺も最上級ポーションの無料支払いを条件に捕縛依頼を引き受けたが、アレは酷い。人間のやることじゃねぇよ」
「ハッハッハ、PK職に人権なんてないよ。僕も対人戦闘用の魔法を作った時に、よくPK職さんのお世話になったもんさ。みんな快く引き受けてくれたねぇ」
『『 快くって……選択肢が最初からないだろ 』』
利用できるものは人間ですら利用する。
それが殲滅者であった。
特に訳アリケモミミ化グッズや効力不明のヤバイ魔法薬、呪いのアイテムに必ず自爆する武器や防具と、誰かが確かめなければ効果が判別できないようなものに限り、殲滅者達はPK職に無理やり実験に協力してもらっていた。
そこには当然ゼロスも含まれているが、開発した魔法の的にするだけで、被害者のトラウマレベルは他の仲間達に比べて低い。
黒の殲滅者は別名【殲滅者の良心】と言われていたりするが、やっていることは他の仲間達と同じで、結局は類友なのだ。
捕まったら殺生与奪の権利を握られていることには変わりない。
「しかし……随分と金が使われていたなぁ~。この水差しも純金製の本物だし、金持ちはどうして金ぴかに惹かれるのか……」
「黄金像は粉々にしたんだね」
「あんなのを持っていたら普通に公然猥褻罪だろ。誰が作ったんだか知らないが、粉々に粉砕しておいた方がいい代物だ。子供の教育にもよろしくないしな」
「権力に溺れていた人間って、金と名声と性欲以外に興味を引くものがないのかねぇ? 心を満たせるものが欲望以外に無いなんて、人生を損しているとしか思えないんだが……」
「健全な趣味でも持てばいいのに。ケモミミとか、ケモミミとか、ケモミミ……」
「ケモミミはともかく、親から受け継いだ地位にしがみつく奴なんて、元から心が歪んでいるもんだろ。健全な趣味なんて持つわけないな」
いろいろと権力者に偏見を持つ三人。
勿論、そんな権力者ばかりではないのだが、真っ当な思考の貴族などはメーティス聖法神国では生きづらい。
上層の人間の大半が汚職まみれで、仕事は真面目な人たちに押し付け出世させないと、国家規模のブラック企業状態だ。
それが辺境の防衛拠点にまで及んでいるとなると、ゼロスが思っているよりも早くメーティス聖法神国の破滅が来そうな気がしていた。
「………ねぇ、ブロス君」
「なに?」
「カルマール要塞はあっさり落ちたんだよね? そこに指揮官はいたのかい? 悪趣味な贅沢品を持ち込むような、無能指揮官以外のだけど」
「調べた限りだと、いなかったね。騎士団の詰め所らしき場所にもいったけど、アンフォラ関門の高官室に比べて質素なものだったよ」
「カルマール要塞には有能な、少なくとも戦況を冷静に見極められる指揮官がいたけど撤退したってことだよねぇ。対してアンフォラ関門はこんなものを持ち込む俗物が指揮官」
「それって、カルマール要塞の指揮官がアンフォラ関門にいたら、こんなに早く決着は着かなかったってことか?」
「戦いには勝っただろうけど、たぶん獣人側にも大勢の死傷者が出たと思うよ。ブロス君を警戒していただろうから、部下に犠牲者を避けるため撤退しただけで、もし追いついていたら苦戦は免れなかっだろうね」
獣人族側は兵数において勝ってはいるものの統率されているわけではなく、面倒な民族の性質があるため、ブロス自身が前に出て戦うことができない状況にあった。
勢い任せの万歳突撃である。
対してメーティス聖法神国側は、少なくとも戦況を冷静に見極められる指揮官がいたことは確かで、そんな人物が用兵において指揮能力が低いはずがない。
ゼロス達の先制砲撃も乱戦下では使えないことを見抜かれる可能性は高く、アンフォラ関門戦で参加していれば苦戦は免れなかっただろう。何しろゼロス達は表立っての参戦はできず、ブロスにいたっては獣人側の種族特性が邪魔をし、自ら戦うことを控えていた。
統率された軍と勢い任せの集団が真正面からぶつかることになれば、損耗率は著しく跳ね上がるわけで、これほど簡単に勝てるわけがなかったことになる。
「……カルマール要塞の指揮官、なんで参戦しなかったんだろ?」
「そりゃぁ~、最前線の要所にこんな悪趣味な私物を持ち込む指揮官だよ? どう考えても対立関係にあったと思わないかい?」
「あ~、なるほどな。部下を使い捨ての駒と考える成金趣味の指揮官と、戦場を良く知る人望篤い有能な指揮官とじゃ意見が合わないわな。カルマール要塞の放棄を真っ先に考えたんだから、アンフォラ関門に留まって防衛戦をするわけがない。それどころかアンフォラ関門から直ぐに追い出されたんじゃないか?」
「それだけ冷静に考えられるなら、ブロス君の存在を危険視しないわけがないし、なによりアド君が【暴食なる深淵】を使ったことがあるから、警戒して正面からの戦闘を避けるだろうねぇ。奴隷として捕まった獣人達を解放したのも、自分達が安全に撤退するための時間稼ぎだろう。獣人族を侮っている奴隷商人を囮に使うさ」
「………それ、僕達が助けられたってことにならないかな。アンフォラ関門は無能者が指揮を執っていたってことでしょ?」
「「あっ………」」
最大戦力のブロスは最前線で戦えなかった。
有能な指揮官が参戦しなかったことで獣人族側には有利になったが、得られた勝利もぬるま湯同然の味気ないものに変わり、手加減されたような気がして素直に喜べない。
そんなことを知らない獣人族は今も派手に喧嘩祭り状態で勝利を祝っていた。
『『『 黙っていることにしよう 』』』
速攻で三人の心は決まった。
今獣人達に手ごわい相手が戦わずして撤退していたという事実を知られれば、雑魚の相手をさせられたと思われ、怒り任せにメーティス聖法神国の国土へと突撃しかねない。
これから連れ去られた仲間を助けるという戦いが控えている以上、余計なことで戦力を減らすような危険を冒させるわけにはいかない。
知らないということが幸せということもあるのだ。
「ほんと、面倒な民族性だよねぇ」
「僕の苦労、分かってくれて嬉しいよ……」
「ブロスは別の苦労も控えているようだけどな」
「「えっ?」」
アドの呟きで振り返るおっさんとブロス。
彼の視線の先には30人の奥様が、夜の戦闘準備万全の状態で控えていた。
「旦那様、その………今夜は私が最初です」
「今夜も張り切って子づくりしよう!」
「あんまり戦ってないんだから、まだまだ元気だよね♡」
「アンタ達、旦那を連れていくわよ」
「「「「 ハァ~~~イ♡ 」」」」
戦いの渦中にいる獣人族の男女は、命の危険が常に付きまとう戦場の空気に中てられ、生存本能から種を残そうとする昂る感情を抑制することができずにいた。
そんな奥様方を相手に、これからブロスは別の戦いに挑むことになる。
「い、嫌だ……。もう搾り取られるのは嫌だぁ~~~~~~っ!!」
ドナドナされていくブロスの姿に哀愁と憐れみを感じた。
「奥様が30人以上いると大変だねぇ」
「助けようとは思わないんだな」
「むやみに人様の家庭事情に首を突っ込んじゃ駄目だよ。馬に蹴られるどころか、実際にマシンガンのごとく繰り出されるキックを叩き込まれるからね」
「実際にやりそうだよな」
ゼロスとしても婚約者が二人いるが、その倍ともなると若いブロスでも体力的にはしんどいだろう。幸運を祈りながらアドと共に敬礼して見送る。
せめてローテーションでも組んであげればブロスも少しは楽になるだろうが、残念なことに獣人族の女性達は肉食だ。性欲に抑制が利かない。
哀れなブロス君は美味しく食べられる運命だった。
「………行ったな」
「僕達も休もうか。ここに立っているだけで、獣人族の皆さんから勝負を吹っかけられそうだしねぇ」
「それ、遅かったみたいだぞ」
「………えっ」
ブロスが去り、血の気の多い獣人達から一斉に熱い視線を向けられている。
殺気も含まれた闘志をビンビンに感じ取れるほどに彼らは本気のようで、逃げ道はなさそうだった。断ったところで諦めず勝負を仕掛けてくるためゼロス達側が折れるしかない。
体力的には問題ないが、喧嘩を好き好んで始めようとする獣人達に辟易しつつ、諦めの感情と精神的な疲労の込められた長い溜息を吐いた。
ほどなくして二対多数の殴り合いが開始されたのであった。
~~※~~※~~※~~※~~※~~※~~
完全復活を遂げた邪神ちゃんことアルフィアの分身は、ようやく本来の役割が果たせるようになり、二神の粛清後に急ぎ南の大陸へと転移していた。
惑星環境管理システムの端末でもある世界樹、【ユグドラシル】。
高次元との連結したアルフィアの本体から流れるエネルギーは、現在この世界樹へと送られており、魔力枯渇によって死滅した惑星の半球を再生させるべく膨大な魔力を生成している。
世界所の周囲を障壁で囲むことにより、貯め込まれた魔力は現在飽和状態になり始め、今直ぐにでも障壁を破り世界へ拡散しそうな勢いだ。
『ふむ……魔力生命体は生まれておらぬようじゃな。ユグドラシルが調整しておるのか。地脈の根にも魔力が送り込まれておるようじゃし、この分であれば死滅していた海も生命の活性化が始まっておろう。そろそろこの障壁も破れる頃合いじゃな』
ユグドラシルの魔力生成量は膨大で、その影響は周囲の土地にも目に見える形で表れている。
本来であれば数千年の時間をかけて成長するような大木が広大な森林地帯を作り、枯れ果てていた大地には急速な成長による代謝機能によって落ち葉が層をなすほど積もり、高濃度の濃霧が障壁の内側に充満し、その湿り気を帯びた大気によって爆発的に繁殖た菌糸類が落ち葉を分解して肥えた土に変え、巨大キノコを膨大な魔力をその身に受け異常成長した生物達が餌として食べていた。
少し前までは荒涼としていた大地が広がっていたのに、今では太古の森が急速に再生拡大している。しかし、このままではいけない。
「自然のサイクルの再生が完全とは程遠いのぅ、植物や菌糸類の成長が早すぎる。草食系や昆虫系の生物が少なすぎるし、なにより巨大化しておるわ。これはいかん」
かつての荒涼とした大地に生息していた動物は、わずかな餌だけで生きる小さな昆虫と、それを捕食する小動物だ。言い換えれば肉食動物が多かった。
それが異常成長により複数の種類に分派したからとはいえ、爆発的繁殖を繰り返しているのは昆虫系統の生物が多く、ネズミや蛇から成長した進化種では繁殖が追い付かない。
龍王クラスのような異常生物に進化されても困る。
『少々早いが、障壁を消すべきじゃろうか?』
現在、巨大動植物が繁殖しているのは山脈のように聳え立つ世界樹の周辺だけで、その世界樹から流れだす雪解け水が川となって砂漠へと流れ込み、砂漠に通常の成長速度を超えて大草原が広がり始めている。
魔力を生成しているのは世界樹だけではなく、精霊樹といった特殊な植物もまた影響を及ぼしているのだが、重要なのは今も絶えず生成され続けている魔力だ。
流れ出した水には高濃度の魔力が含まれており、その魔力の影響を受けて障壁の外に流れ出した水によって成長した植物は、酸素と一緒に魔力を生み出しているように見えた。
つまり疑似的な精霊樹と同種の植物と化していることになる。
『このままでは、魔力を無尽蔵に生成する森が広がることになるまいか? いや、そう結論付けるのは時期尚早か。取り込んだ魔力を放出しているだけやもしれぬし』
高濃度の魔力は動植物の成長を促進する。
だが、その魔力に晒される動植物にはそれぞれ魔力の許容量が存在し、自身の許容を超える魔力は生物であれば呼吸で、植物であれば葉から大気へと排出拡散される。
そんな高濃度地帯で生息する動植物本体は、外界の環境情報を遺伝子情報に取り込み、成長の過程で順応しつつ世代交代を繰り返すことにより魔力許容量と耐性を上げていく。
人間を含め多くの生命はこの機能を持っており特別なものではない。
現在再生されている広大な森は、高濃度の魔力に晒され急速な拡大を遂げてはいるが、植物は魔力を生成しているのか、取り込みすぎて外部に排出しているのか判別が難しい。
障壁の内側は魔力密度が高い空間であり、世界樹上部から流れ出した大量の雪解け水の魔力含有量は超濃縮状態で、川となって障壁の外側に流れ出しても拡散することなく広がることで植物に取り込まれる状況だ。
植物も呼吸をするわけだから、周辺の大気には魔力が満ちることになる。その魔力に中てられ休眠状態であった種子が覚醒し草原が広がってく。
あとはその工程の繰り返しだ。
「ぬぅ……生態系が既に壊れているこの大陸は仕方がないとしても、他の大陸に出る影響が算出できん。溜まりまくった魔力が如何様な事態を引き起こすのか……う~む」
超濃縮状態の魔力を開放するということは、周辺の大気魔力量が跳ね上がることになる。
また、濃縮状態にあった魔力は簡単に拡散することなく地下へと浸透し、地下のマントル層を刺激してしまう可能性が高い。大気バランスも崩れる。
惑星上の生態系が大規模な変革の時を迎えることになるのだ。
『甘く見ておったのぅ……。世界樹近辺に精霊樹が繁殖するのはわかるが、それ以外の広域にまで繁殖してしまうと生態系が大幅に変化してしまうぞ。ファーフラン大深緑地帯の魔力は徐々に拡散し始めておるが、そこにここの飽和状態の魔力が流れ込めば元の状態に戻ってしまうし、なにより魔力の大幅な揺らぎが大規模な地殻変動が起こるやもしれぬ……むぅ』
一度破壊された生態系を元に戻すことは難しい。
高濃度の魔力流入により一時的な生物の大繁殖が引き起こされるだろうが、生態系のピラミッドが構築される前に、余波で引き起こされる自然災害の影響が問題だ。
地殻変動による大規模な隆起と沈下は、海を離れた別の地域にも影響を及ぼす。
特に津波などは小さな島国には洒落にならない被害を出してしまうだろう。
そこへ異常気象と生物の凶暴化が加われば、人類が済む領域など簡単に崩壊してしまいかねない。ダンジョンなどからも大量の魔物が発生する。
ここであることに気づいた。
『待て、休眠中のダンジョンコアに魔力が流せばよいのではないか? じゃが、現時点でどれほど残っておるのかも分からぬ。大規模なダンジョンのコアが20個でも残っておれば、少なくともこの魔力による影響はだいぶ軽減されるじゃろぅが、これは賭けになるのぅ』
ダンジョンが機能するには大量の魔力が必要となる。
アルフィアが確認できている大規模ダンジョンは二か所で、一か所は最近になって急激に成長を始めた坑道型ダンジョン。もう一か所はファーフラン大深緑地帯の中央に存在して手付かずのままの未発見ダンジョンだ。
それ以外は小規模ダンジョンが数か所かろうじて動いていた。
南半球にいたってはダンジョンコアの存在は確認できていおらず、魔力枯渇で休眠状態に入っていると思われるため、どれほどの数が残されているのかは現在のところは不明だ。
その休眠状態のコアに高濃度の魔力を流し込むことで強制的に目覚めさせ、ダンジョン再構築のために膨大な魔力を急激に吸収させることにより、地形変化や空間歪曲・内部環境の差異構築に利用されるので、かなりの魔力がダンジョンコアに集中することになる。
惑星規模から見れば少ない数だが、勇者召喚による大規模な魔力消失の穴埋めができ、引き起こされる災害の規模を最小限に抑えられるかもしれない。
だが、現在抑えられている高濃度の魔力を開放することは賭けであり、惑星上で休眠状態にある大規模ダンジョンのコアが20に満たない場合、足りない数に応じて発生する災害の規模が大きくなる。
「我は勝つ方に賭ける! 障壁解除、ユグドラシルシステムにアクセス開始。惑星上の魔力循環を掌握、全てのダンジョンコアに強制リンク。気象管理プログラムを使い、大気に拡散する魔力の流れを制御しつつ、同時進行で枯渇している南半球を最優先に龍脈も利用して強制的に流し込む。これでどうじゃ!」
世界樹の復活時より、魔力の枯渇した南半球は緩やかに再生を始めていた。
そこへ龍脈を通じで突然膨大な量の魔力を急激に流れ込み、許容量を超えた魔力は龍脈から漏れだし、近くに存在するダンジョンコアは強引に目覚めた。
ダンジョンコアは魔力に反応し吸収を始め、定められたプログラムに従い活動を開始した。南半球で次々とダンジョンコアが覚醒し世界樹へとアクセスが始まる。
「……きた! きたきたきた、きたぁ~~~~~っ!!」
殆どが小・中規模のダンジョンであったが、大規模ダンジョンの覚醒は地上と海底に複数個所存在し、膨大な魔力の収束現象が確認された。
ダンジョンの再構築は一時的に中断させ、必要となる魔力の吸収に集中させることで惑星上の大気や地殻の変動を抑え込むよう命令を下す。
「4……5……6、7……ふむ、そこそこ大きいダンジョンじゃ……。数は多いが魔力吸収量が足りん。ん? なんじゃ……なぜに一か所に二つも大規模ダンジョンが? いや、まて……この魔力吸収量からして、惑星上で最も大きいダンジョンだったのではないか? これは予想外じゃな。我としては嬉しい誤算じゃが」
二つのダンジョンが近くに存在していることも珍しいが、吸収されている魔力の総量が通常の大規模型ダンジョンを優に超えており、しかも同時に再起動を始めたことから、この二つのコアは情報と地脈を互いに共有し合っていることが考えられる。
だが、このようなダンジョンが生まれた理由が分からない。
『データを呼び出してっと……ふむ。この規模になったのは、異界からの抗体を頻繁に召喚するようになってからじゃな。この二つのコアは何をしようとしいたのじゃ? 最後の記録情報は……ほうほう、魔力に依存しない生物の創造か。つまり、この二つのコアは惑星上から魔力が失われることを想定して活動しておったのか! 四神共よりも優秀じゃのう。結局、周囲の魔力が枯渇して休眠状態に入ってしまったわけじゃが、それなりの成果は出しておるようじゃ』
30年おきに急激に膨大な魔力が失われるなか、二つのダンジョンコアは惑星の延命のために魔力を内に内包しない動植物を生み出そうと活動を開始し、その過程で生まれた実験体を未完成のまま外部に放出していた。
現在、南半球に比較的に近い場所に生息する海洋生物や植物は、全てこの二つのコアが生み出したものが繁殖しており、魔力濃度が希薄になった地域でも知的生命体が絶滅せずに済んでいた。内包した魔力が比較的に少ない動植物を食料としたことで、人類は体の内にある魔力が減少しても生存できるよう環境に適応し、海に囲まれた小国だが何とか数を増やし文明を維持し続けている。
しかし南半球は完全に魔力が存在しておらず、動植物も絶滅しており、死の大地と海が広がっているような状態だ。ユグドラシルシステムが急速に回復させているようだが、魔力が満ちたとしても完全に再生するにはしばらく時間が掛かるだろう。
「大地は枯れ、海は腐るか……。世界樹の根による浄化能力でも時間が掛かりそうじゃのぅ。頭が痛い問題じゃな」
魔力濃度がそれなり濃い北半球でも絶滅する生物が現れており、それに代わってこの双子のようなダンジョンから放出された生物が、確実に生存範囲を広げているようだった。
北大陸の人類は滅亡寸前であることに気づいていなかったが、大陸から離れた場所に住む人類は魔力枯渇に気づいていた様子が見られ、彼らが生存できたのはこのダンジョンによる動植物のおかげだと言ってもいいだろう。
緊急時の対処能力が優れているダンジョンコアだった。
『人格のないコアでもここまでできたというのに、あの四神共は何をしていたんじゃ……。まぁ、良い。南半球への魔力循環は現状を維持するとして、問題は北半球じゃな。稼働しているダンジョンが活性化したとして、その影響はどれほどの範囲に及ぶのやら』
いろいろと問題がでそうだが、だからといって現状維持はできない。
多少の犠牲が出ようと、この惑星が崩壊するよりはマシであり、世界の摂理に食い込んだ異界の理を取り除くにも、まだ当分は時間が掛かる。
しかし、少なくとも次元崩壊を引き起こしかねなかった事態を脱却できたのは救いだろう。あとは果てしなく地道な改修作業だ。
『北半球へ流れる龍脈の出力を30%に抑えて流すか。ゆっくりと調整しながら流せば、地殻変動や大気バランスの異常などの影響も、多少は軽減できるじゃろ。起きたら起きたで、まぁ……どうしようもないのぅ。そのときは諦めてもらうしかない。アホな国家の暴走の原因は放置し続けた他の人間の責任でもあるしのぅ。んじゃ、ポチっとな』
この日より、滅亡に向かっていた惑星の再生が本格的に始まった。
大規模な自然災害は発生しなかったが、本来なら自信すら発ししなかった地域でも地殻変動が起こり、地政学などに詳しくない人々の混乱を招くことになる。
~~※~~※~~※~~※~~※~~※~~
ルーダ・イルルゥ平原での用事も終わり、ゼロス達が帰る日が来た。
獣人達に見送られる中で、ゼロス達はブロスとの別れの言葉を交わしていた。
「ゼロスさん、アドさん。来てくれて本当に助かったよ」
「こちらもいい実験ができたしねぇ。お互い様さ」
「いや、喜んでいるのはゼロスさんだけだと思うぞ。88mm砲はともかく、あの【魔封弾】はヤバイ。特にゼロスさんが使うと洒落にならねぇ」
「アド君もだけどね」
いろいろとやらかしてはいるが、それなりに満足したおっさん。
だが、満足していない者達もいる。獣人族の皆さんだ。
「ちくしょう、勝ち逃げする気かよぉ!」
「アタシ、まだ一撃も当てていないのよぉ!? あとひと月くらい居てもいいじゃない」
「一日、一日だけでもいいから、儂と戦ってくれぇ!!」
獣人族はゼロス達を引き留めることに必死だ。
主に強者と戦いたいがために……。
「………彼らはブレないねぇ」
「脳筋だからね。しかたがないよ」
「じゃあな。縁があればまた来るかもしれないが、そん時はもう少し自重させてくれ」
「それは保証できないかなぁ~、みんな戦うことが好きだし」
「では行こうか」
獣人族の許から立ち去る離れる二人。
そんな彼らを惜しむ――とは少々異なる声が背中に一身に受け、ソリステア魔法王国を目指す。
彼らの背中が見えなくなると同時に、土埃が舞い上がるのを確認した。
おそらくはアドの軽ワゴンによるものだろう。
「そういえば、ゼロスさんから選別を貰っていたなぁ~。なんだろ」
紙袋をインベントリから取り出し、中身を確認するブロス。
そこには【超強力精力剤】とラベルに書かれた瓶がたくさん入っていた。
「……………」
オチの回収も忘れないおっさん。
だが、これは別の意味でブロスの悲惨な未来を指し示していた。
今も増え続ける奥さんと夜のバトルが待ち受けている。
この日の夜、さっそくこの精力剤のお世話になることになるのだが、それはどうでも良い話であった。
一方でゼロス達はというと―――。
「今帰るぞぉ、ユイィ~~~~~~~ッ!!」
「……爆走するのはいいけど、安全運転を心がけてね? 僕は君と事故死なんてしたくないんだからさぁ~」
――妻と子に会いたいアドが運転する軽ワゴンで平原を爆走していた。
しかし、ゼロスはアドの妙に必死な表情が凄く気になる。
「ゼロスさんは分かってねぇ! ユイはなぁ、少しでも帰りが遅いと浮気を疑うんだよぉ!! 満員電車やバスでたまたま香水の移り香が付着しただけでも、包丁を持って追いかけてくるんだ……」
「君……そんなに信用されてないのかい?」
「わかってんだろぉ、ユイがおかしいだけだぁ!!」
実に命懸けな夫婦生活である。
仕事か何かで長期出張にでもなったら、どんな手段を行使してでもアドの近辺に探りを入れるようなことをしかねない。それこそ興信所を雇うほどの嫉妬深さだ。
だが、そんな夫婦生活に信頼関係があるのか微妙なところである。
「難儀なことだ……ん?」
「どうし……おっ? なんか、揺れてね?」
「地震のようだねぇ。震度4~5はあるかな。比較的に地震が頻発するような地域ではないはずなんだけど、珍しいこともあるもんだ」
「えっ、この大陸って地震が少ないのか?」
「少なくとも、路面の悪い場所を走っている車の中で揺れを感じるような、強い地震は少なかったはずだ。戦争の記録はいくらでもあるけど、地震による被害は歴史書からでも見たことがない……ねぇ」
「なんだよ。急に歯切れが悪くなったようだけど、気になることでもあるのか?」
「いや………なんか引っかかって」
ソリステア魔法王国を含む複数の国は北大陸の西側に集中している。
この地域は情報収集のために読んだ歴史書にも書かれている通り、地震被害は殆どないと言ってよい。頻繁に地震が起こるのは後方に山脈が聳え立つ山岳の小国に限られていた。
つまり人々は地震を経験したことがない。
「………この世界の建物って、耐震設計を考慮して建てられているのかねぇ?」
「知らんけど、見た感じではかなり頑丈そうに見えるぞ?」
「それは城や砦などの魔物や戦争時の襲撃を受けそうな場所に限られている。一般の建物は外回りの外壁をレンガで囲むように作って、中身は木材を組んで床を貼った簡素なものだ。それを階層ごとに繰り返して建てていく。耐震設計など無いにも等しい」
「………それ、やばくないか?」
地球においても地震の少ない地域の建物は耐震設計など無いに等しく、震度4の揺れ程度で簡単に崩壊するようなものが多い。事実百数十年ぶりに起きた地震で村や町に壊滅的被害を齎したという話もあったほどだ。
それが中世レベル文明の異世界ともなると、どうなるであろうか。
「アド君……とばせ」
「へっ?」
「サントールの街にどんな被害が出ているのかが分からん。アクセルをベタ踏みで、全速力で帰るぞ! 嫌な予感がする」
「お、おう……」
唐突に発生した地震により、全速力で平原を突っ走る軽ワゴン。
ノンストップでオーラス大河源流まで戻り、その後ゼロスお手製のゴムボートで河下りをし、二人はサントールの街を目指す。
二人がサントールの街に到着するころには四日ほど時間を費やした。
 




