おっさん、傍観中
イストール魔法学院の訓練場では、ウィースラー派の学院生達が武術の訓練を指導されていた。
実戦において魔導士の殆どが軽装の者が多く、身を守る技術がなければ戦場で死ぬことになるため、正直に行ってしまえば騎士団のお荷物にしかならない。
まぁ、それはさすがに言い過ぎだと思うが、魔力が尽きても戦う手段がなければ死ぬだけなのが戦場だ。それでは優秀な魔導士の損失にしかならず、それを防ぐためにも護身のために剣術などの技術を学ぶことは必須となっていた。
無論、この手の訓練など今まで行ったことなどなく、当初は体力作りでかなり難儀していたのだが、よく鍛え・よく学び・よく食べ・よく休むなどの当たり前な鍛錬を繰り返せば、多少なりとも体力がつくというものである。
とは言え、いくら体力がつこうとも武器の扱いに関しては素人が多く、本格的な武術を学ぶなど貴族出身者以外の大半が未経験者だった。
経験者とはいえ実力的には未熟な貴族の子息達が指導するのは不安がある。
そこで構造改革により騎士と魔導士の仲が改善されつつある今、武器や格闘術の経験者である騎士を数名派遣してもらい、希望する学生達の訓練を行っていたのだが……使えるようになるにはまだまだである。
「ヒィ……ヒッィ。もう……ダメだぁ~」
「情けないぞ、ディーオ。『Uryyyyyy』と叫んでいたあの頃の活動的なお前は、いったいどこへ行っちまったんだ!」
「そんな事実はないよぉ、誰のことだよ。それっ!! 別人だから! 間違いなく俺じゃないよねぇ!?」
「ん? あぁ……別人だったか……。なんか、そんなことをしていた気がしたんだが……あれ?」
「俺はてっきり『無駄無駄無駄ぁ!』と自信満々に叫んでおきながら、ツメの甘さで最後にざまぁされたと思ってた……」
「お前もか? 俺は……人間やめていろいろな束縛から解放されることを想像しておきながら、結局は鋼の巨人を怒らせて天誅を受けるんじゃなかったか? そんで首ちょんぱ……」
「最後の言ったの誰ぇ、それって三人組だからね!? あと、全部最近になって販売された漫画の話だよねぇ、みんな読んでることに驚きだよ!? しかも話が混ざってるよ!!」
「「「 やべぇ……疲労から空想と現実の区別がつかなくなってる…… 」」」
戦術研究を行っている学生達は、言ってしまえば士官候補生だ。
配属される部署によっては前線に立たねばならなくなり、生き延びるためにはそこそこの戦闘やサバイバルの技術が要求される。そうなる原因を作ったのも彼らではあるのだが……。
学院でウィースラー派の学生達が発表した構造改革の研究レポートは、国王の目にもとまることになり、騎士団と魔導士団との主導権争いに悩んでいた国王は、レポートに書かれていた構造改革案を迷わず実行に移した。
結果、魔導士団は一部を残して解体され騎士団に編入。そこから更に訓練などで振るいを掛けられ、現在のような厳しい審査基準になった。
今や魔導士は、後方から魔法を放つだけの簡単なお仕事などではない。
「まぁ、市井出身のお前達は、剣術なんて普通は習わないからな。多少マシに動けるようになっただけ進歩してるだろ」
「そう思うなら、少し休ませてくれよ。ツヴェイト……」
「俺達、このままだと倒れるぞ」
「水分の補給は許されてるだろ。それに、騎士団から特別講師として近衛騎士が派遣されてんだぞ? 無理を言って来てもらってんだから無様な姿をさらすな」
次代を担う存在として、成績優秀なウィースラー派の学院生徒は、一身に期待を背負うことになってしまった。
その表れが近衛騎士の派遣である。
彼らは国の中でも精鋭中の精鋭である。
「ふむ……まだ実戦レベルとは言い難いが、基礎となる体は鍛えているようだな。この間まで魔導士候補だったとは思えんレベルだ」
派遣されてきた近衛騎士は当初、学生達の自主鍛錬を見て彼らの技量に感嘆しながらも、どこか甘さが抜けれない訓練方法にアドバイスして修正を行っていた。
その甲斐もあってか、学生達の技量は衛兵レベルにまで上がってる。
確かな成果もでており、これからの未来を担う若者たちの成長を見ることができ、とても満足していた。
「いえ、俺達レベルではまだまだでしょう。この程度では、長期の戦闘に巻き込まれると半数が死にます」
「ははは、その常に最悪を想定する姿勢は素晴らしいが、かといって無理に鍛えても体が壊れるだけだ。成長の個人差ばかりはどうしようもないからな。守備隊や衛兵など街の治安を守る兵なら、君達の腕でも充分に通用するレベルだぞ? そこまで技量を鍛えた自分達を誇りたまえ」
「自分としては、過酷な戦場でも通用するレベルが目標なんですがね」
「先を見据えるのもいいが、地道な鍛錬の積み重ねも大事だぞ? 先を見過ぎて足下が疎かでは話にもなるまい」
ツヴェイトの発言やそこに見え隠れする願望は、近衛騎士から見ても理想的であるが現実には難しく、その領域に到達するにはかなりの修羅場を経験しなくてはならない。
学生のうちから先を見据えるツヴェイトには頼もしさを感じるが、だからと言って無理して厳しい厳しい訓練を課すのも間違いで、適度な息抜きも重要だと釘をさす。
人は強い想いや志を持てばどこまでも突き進んでいけるが、全ての者が着いて行けるわけではない。少なからず脱落者も出るものだ。
「焦る必要はない。君達の進む道は君達自身が決めることだが、騎士団や守備隊などの資格試験は充分に合格レベルだ。陛下の許可があれば、我らが今すぐにでもスカウトしたいくらいだぞ?」
「それは嬉しい評価ですが、実際はそうもいかないでしょう。国防部の文官にも、戦況を理解できるような優秀な人材を入れなくてはなりませんし、国難が降りかかった時に冷静な対処できるよう訓練方法も創案する必要があります。組織として効率的に動くための基礎マニュアルも考えていますが、マニュアルに依存されても怖いのですが……」
「応用力がないと逆に状況を悪化させかねないと? いやいや、そこまで考えられれば充分すぎるぞ。我が国の未来は明るいな……む? そろそろ訓練も終わりの時間か。少し早いがここまでとしよう」
「「「「 ご指導ありがとうございました!! 」」」」
近衛騎士が立ち去ってゆく姿を見送ると、学生達は更衣室へと向かっていった。
普通であれば次の講義を受ける準備なのだが、ツヴェイト達は学院の臨時講師という面倒な仕事を任されており、ツヴェイト達は汗すら洗い流せず講義をしなくてはならない。
騎士団を目指す学生達の講義であれば、基礎トレーニングや武器の扱い方を教えるため、わざわざ着替える必要もない。
しかしツヴェイト達は座学担当だ。
生徒の中には女子もいるので、できるだけ汗臭いまま講義を行うのは気が引けていた。
更衣室で着替えながらも、ツヴェイトはこの不便さをどうにかできないか考えている。しかしうまい方法は思い当たらない。
いや、正確にはどうにかできる手段はあるのだが、それを行ってよいものか実に悩ましい問題があった。
「ツヴェイト……。俺達、このまま講義をするのか? 女子生徒に嫌われね?」
「イワン……お前もか。俺の周りには欲望に忠実な奴らしかいないのかよ……。仕方がないだろ、シャワーを使っている時間がない。実技指導の訓練が午後からだったらよかったんだが……」
「俺達には講義時間を決める権限はないし、そこは諦めようよ。まぁ、女子に嫌われるのは俺も嫌だけどさ……」
「ディーオ……セレスティーナのことはもういいのか?」
「女子に嫌われた噂がセレスティーナさんに知られたら、俺は生きていけないよぉ!! 蔑んだ目で『ディーオさんって、身嗜みもまともにできないんですね……。私、汗臭い人は嫌いです』なんて言われたらと思うと………なんだか、ゾクゾクして最高だね!」
「「 ディーオっ!? 」」
ディーオ君はしばらく見ないうちに妄想癖が悪化したのか、想像の中だけで新たな性癖の扉を開きかけていた。
誰にも迷惑を掛けず空想の中だけで幸せになれるのならよいが、この手の人間は拗らせるとストーカーになりかねず、ツヴェイトとしては本気で通報しようか悩むところだ。
「ディーオ……くれぐれもストーカーなんかになるなよ? そんなことになったら裏で人知れず消されるぞ」
「ん? ツヴェイト、いったい何の話をしているんだい?」
「ツヴェイト……こいつ、少しずつだがヤバくなってねぇか? 都合の悪い話は耳に届いていねぇぞ」
「脳内がお花畑か……。俺にはもう手に負えん。それよりもさっさと着替えろ! 俺達が講義を行う講堂は少しばかり遠いんだからよ」
「しかしよぉ~、汗臭いのはマズいだろ。俺は女子から嫌なそうな視線を向けられたくないし、臭いだけでも落とせなか?」
「「………」」
ツヴェイトもディーオも彼の言っていることは分かる。
しかし、時間的にも距離的にも余裕がない。
一応だが、ツヴェイトには使える魔法を持っているが、この場で使うと騒ぎを起こすことになりかねない。
何しろその魔法、分類上は神聖魔法として名が知られている。
最近は神聖魔法と言われている回復魔法が使える魔導士も増えてきており、神聖魔法と術式魔法の区別も曖昧になりつつあるが、それでも一般に出回っていない魔法が使えることは多少の騒ぎになることは間違いない。
ツヴェイトは自身が騒ぎの中心なることは好まず、こっそり使う程度で周囲の目を避けていた。
「イワン、諦めろ。それに時間がないと言ってんだが?」
「……ツヴェイト、濡れタオルで体を拭くだけでも駄目か?」
「時間がっ! 臨時講師役とはいえ、俺達が遅刻したら示しがつかないよ」
「俺はもう済んだぞ? 待つつもりもないからな」
「「 ツヴェイト、早っ!? 」」
グダグダ会話する合間に手早く着替えを終え、宣言通りに更衣室から足早に退室していくツヴェイト。
慌てる二人の騒がしい声を背中越しに聞きながらも、一人だけ【清浄】の魔法を使うズルをするのだった。
余談だが、当然のごとくディーオとイワンは講義中、女子から嫌そうな視線を向けられることになる。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
カルマール要塞内にある城塞都市の裏路地を、悪趣味な装飾品を身に着けた小太り中年男が必死に逃げ回っていた。
彼はメーティス聖法神国内にいくつもの奴隷売買を行う店を所有しており、その界隈ではそれなりに名の知れた人物だったが、今回に限りその商売が仇となってしまった。
『ハァ、ヒィ……こんなことになると知っておれば、奴隷共を解放して逃げたのに……』
明け方に襲撃してきた獣人族の総攻撃により、要塞は既に陥落寸前だった。
しかも獣人族は人族であれば容赦なく皆殺しを実行しており、獣人らに慈悲を乞うようなことは無駄だった。何より彼自身が奴隷商人なだけに絶対に許されることはない。
実際、同業であぅった奴隷商人は酷い殺され方をした。
死ぬまで散々切り刻まれ、体の一部でも原形が残っていればマシな方で、中には無残な肉片にされた者もいる。
『なぜ……。なぜ儂は、ガルドア将軍の撤退命令を聞き入れなかったんじゃ……。獣どもがまさか、あんな……あんな恐ろしい連中だと分かっていれば……』
男の扱っていた奴隷達は、理不尽な暴力と不条理によって人生を歪められ売られてきた者達ばかりで、男は彼らを売ることで齎される富のみに執着した結果、大きな認識の穴が生まれてしまった。
なまじ聖法神国内中域の街で商売をしていたからか、男の視野は獣人達をただの商品と認識程度の狭さでしかなく、獣人族が黙って狩られるだけの獣ではないという現実が見えていなかった。
いや、人間を獣と認識していること自体が濁り切っているというべきか……。
獣人達を捕らえてくる傭兵達から安価で購入できるため、簡単に倒せる弱小種族だという誤った認識へと常識が当たり前と思うようになっていたが、実際はそんなことはない。
敵対する相手には死にもの狂いで反抗もするし、組織的に動くこともあれば策略も使う。
神聖魔法と聖騎士団というアドバンテージがなければ傭兵など蹴散らせるだけの戦闘力もある。今おかれている状況はそうした認識の甘さから、男が自ら招いた災いだろう。
しかも取り返しのつかない失敗だ。
「どこか、隠れる場所は……」
「どぉ~こへ行くのかなぁ~? 逃げても無駄だよ。奴隷商人は皆殺しって決まってるんだからさ」
「ひぃっ!?」
男の前に現れた、異様な姿の少年。
龍の頭骨を兜のように被り、装備の殆どが骨をベースに拵えてある。
武器も同様で、担いだ大剣は何らかの魔獣の背骨を金属と癒着させており、刃からは大量の血液に塗れしたたり落ちていた。
「た、助けてくれぇ! 儂はただの商人じゃ、助けてくれるなら相応の金を支払う!!」
「ただの商人? 馬鹿なことを言っちゃ駄目だよ。アンタが奴隷商人だということは、扱き使うために連れてきた同胞から教えてもらったからね? それに……アンタが必死こいて逃げる姿を僕は見てるんだよね」
「なぜじゃ、お前は人間じゃろ! それなのに……なぜ獣どもに力を貸す!!」
「そんなの決まっているじゃないか。僕が人間のことが大っ嫌いだからだよ。できれば獣人に生まれたかったね」
それは、自身すらも否定する侮蔑の言葉だった。
ゼロスが言っていた通り、ブロスは重度の人間不信――いや、人間嫌いだ。
その理由は彼の育った家庭環境にある。
ブロスという少年は、元は普通のより裕福な家庭に生まれ育った。だが両親が事故で他界してから状況は一変する。
親戚は親の残した遺産目的で彼を引き取り、ブロスが受け取るべきだった財産の全て取り上げただけでなく、彼に毎日苛烈な虐待を行っていたのだ。
今まで親切に接してくれた人達の変貌ぶりに戸惑い、毎日のように投げかけられる侮蔑の言葉と度重なる暴力により人格が歪んでいき、怒が殺意に変わるのもそう遅くはなかった。
だが所詮は子供であり、やれることなど限られている。
幸い、隙を突いて抜け出し警察に逃げ込んだおかげで親戚は逮捕されたが、しばらく入院するほどの酷い衰弱状態だった。このことはニュースでも取り上げられたほどである。
そして、やっとの思いで家から追い出すことに成功し、両親の遺産も取り戻せたことで生活は改善されたのだが、人間不信になった彼は以降、学校にもいかず家に引きこもるようになってしまった。
暗い部屋でただ一人、【ソード・アンド・ソーサリス】世界に浸り、人間という種族を捨て冒険に勤しんでいた頃は充実していたが、所詮はゲーム内の世界であ、親しくなった人達も含め全てはデジタルな世界の中で、現実に戻ると全てが空しくなった。
孤独感の中でもゲーム世界からは離れられず、その繰り返しが毎日続いた。
転生するまでは――。
「僕はね、お前らのように他人の物を奪い、腹を肥えさせるようなクズが一番許せないんだ。同じ人間だとは思えないほどにね。だから僕が潰すのさ。ただの腹いせと自己満足のためにお前らは死ぬんだよ、見ていて吐き気がしてくるんだから仕方がないよね」
「そ、そんなくだらぬ理由で……」
「何が大事でくだらないかは僕が決めるよ。お前みたいな糞豚を見てるとさぁ~、嫌でも思い出させるんだよ。両親が残したものを食い潰すダニのような親戚の顔をね。今まで獣人達の命を金に換えてきたんだろ? なら、逆襲されても文句は言えないよね」
ブロスは人間が嫌いだが、それ以上に金のためなら何でもする俗物が殺したいほど一番憎い。嫌でも忘れたい親戚達のことを思い出させるからだ。
特に集落を襲撃して強引に攫っていくというやり口は絶対に許せない。
それを率先して推奨しているメーティス聖法神国や奴隷商も同様に、ブロスの怒りを買ってしまった。
「今まで入荷してきた奴隷が手に入りづらくなって、最前線なら大量に仕入れることができると思ったんでしょ? 馬鹿だよね、わざわざ死にに来てくれるんだからさ。情報を重要視する商人なら普通は近づかないよ? 欲って怖いなぁ~」
目の前の少年が言う通り、奴隷商の男は新しい奴隷の安価な仕入れが目的だった。
むしろ傭兵達に捕らえさせれば仕入れの金もかからず、最低限の出費でぼろ儲けができると思っての行動だったが、よく考えれば『なぜ、新しい奴隷を仕入れることが難しくなったのか?』そこに疑問を持つべきだった。
「ま、まさか……情報が規制されておるのか!?」
「そうなんじゃない? 聖騎士団は敗北続きで、勇者までボロ負けしたんだ。メンツが丸潰れなんだから、そんな情報を流すはずがないでしょ?」
「だ、だから聖騎士団は住民ごと撤退しおったのか……」
「本当に商人なの? 新しい奴隷が購入できなければ、普通に戦況が悪いこともおのずとわかるよね。無敵のカルマール要塞だっけ? その要塞が危なくなるほどヤバイ事態だったってことだよ」
奴隷商人の男は、聖騎士団が撤退する前にカルマール要塞に入った。
避難勧告も出されていたが、そのことに対して何の疑いを持つこともなく、獣人族を捕らえて奴隷にする目的だけしか考えていなかった。
いや、それ以前に良く記憶を思い返してみると、アンフォラ関門に多くの民間人が集まっていたことを疑問視するべきだった。
その全員がカルマール要塞から撤収した難民だったのだ。
彼ら撤収の第一陣が安全にアンフォラ関門に辿り着いた知らせを受け、数日前に最後の聖騎士団が撤退を開始したのである。
今カルマール要塞に残っている者達は獣人族を甘く見ていた傭兵か、情報を軽視し情勢を読み取ることができず、欲でこの要塞に入った愚か者ばかりだ。
その結果が復讐心にかられた獣人族による虐殺に遭遇したのである。
自ら危険地帯に飛び込んだのだから救いようがない。
「な、なぁ、頼む! 儂を獣どもから助けてくれぇ、何でもする!!」
「……必死だね。けど無理、助けないよ。お前は獣人族を何回獣と呼んだんだい? 人として見てないよね。僕の今の家族達を侮蔑したのが何よりも許せない」
ブロスにとって獣人族は新たな家族だ。
多少めんどくさいところはあるが、基本的にシンプルで故意に他者を騙し貶めるようなことはない。何より欲というものが基本的に薄いのだ。
力を示せば簡単に受け入れるおおらかさと、仲間と認められれば何かと世話を焼いてくる人情味あふれる種族で、親戚のような欲に塗れた悪意もない。
部族間での衝突はあるものの戦争になるようなことはなく、貧しい暮らしだが仲間同士で協力し合うことができる。
簡単に人を裏切るような真似はせず恩には報いる義理難さを持つ。そんな獣人族に仲間として認められブロスは救われた。
だからこそ、自分の家族に手を出してくるメーティス聖法神国と奴隷商を憎み、今も容赦なく苛烈に駆逐している。
「お前はさぁ~、自分の家族に悪意を持ってちょっかいをかけてくる奴らを許せるの? 許せないよね。何より大事な家族を攫って行くんだよ。死んだ方がいいよね、そんな奴ら……」
「ま、待ってくれ……」
「今まで僕の仲間を何人売りさばいてきたんだい? おまけに獣扱いしてさぁ~失礼にもほどがあるでしょ。ダニの分際でさぁ~」
ゆっくりと振り上げられる大剣。
奴隷商の男はブロスの目に危険な光が宿っていることに気づいた。
文字で表すのであれば【狂】、あるいは【憎】。
明確にわかる隠す気もない純粋な殺意。
「ダニは片っ端から潰すべきなんだよ。プチッてね」
「や、やめ……」
その目は奴隷商の男を人間として見ていない。
いや人間すべてをゴミ程度の存在としとしか思っていない。
「こうして話しているだけでも充分に長生きできたでしょ? もういいよね、潰しちゃってもさぁ~。死ぬのなんて一瞬だよ。僕は苦しめながら殺すほど無慈悲じゃないから、安心して死んでね」
「あ、悪魔め……」
「あははははははははっ、僕が悪魔? なにを言ってるのさ、悪魔はお前達だろ? いや、誰しも心に悪魔を持っているもんさ。お前だってそうだよね。今まで獣人族の命をどれだけ弄んできたのさ? その金で食った料理はさぞかし美味しかっただろうね。それを悪魔の所業と言わずしてなんていうの? 今度はお前らが喰らわれる番なのさ。文句は言わせないよ、同じことをしてきたんだろ。因果は巡るんだよ、そして自分へと返ってくる。自業自得さ」
ブロスは歪んでいた。
誰の目から見てもまともな思考ではない。
なぜなら、今から人を殺そうとしているのに、実に嬉しそうに無邪気な笑みを浮かべているのだから。
「四神の裁きを受け地獄へ落ちろぉ、この悪魔めぇっ!!」
「あはははははははははははははっ、四神? それがお前らの信仰する神様? ならその神様も殺してあげるよ。斬り裂いて、粉砕して、磨り潰して、焼き尽くして、この世に残らないよう徹底的にねぇ!」
大剣は振り下ろされる。
奴隷商の男を真っ二つにした瞬間、加速された重量によって生じた衝撃波が地面ごと男の身体を粉々に粉砕し、破壊の牙はなお止まらず周囲の建物ごと抉りとる。
人外の力で放たれた一撃が狭い路地にクレーターを作りあげる。
肉片は粉塵と共に四散し、爆発の中心にいたブロスの全身を真っ赤に染め上げた。
「……うえぇ、バッチイ~。生ごみをまともに被っちゃったよ」
「カシラぁ~、粗方片付きやし……どうしたんスかぁ、全身真っ赤ですぜ?」
「汚いゴミ袋が直撃しちゃってね、早く風呂に入りたいよ。きちゃない……」
人間を生ごみ袋と言っている時点で、彼の歪み具合が分かるだろう。
完全に人を汚物として認識していた。
「この後どうしやす? 予定通り要塞を再利用するんで?」
「しばらく悪臭が酷くなるし、正直使いたくないよね。いっそ焼いちゃう?」
「俺達にはあまり意味がないですからね」
「じゃあ火を放とう。みんなにもそう伝えておいて」
それからしばらくして、カルマール要塞のあちこちから火の手が上がった。
城壁以外の大半が木造建築だったこともあり、一度火が着けば周囲に広がってゆく。特に街は良く燃えていた。
その炎は獣人族の復讐の犠牲となった者達の遺体を焼き払い、全てを灰に変えてゆく。
まるで獣人達の怒りを現しているかのように……。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
同時刻、平原で待機していたザザは、カルマール要塞から煙が立ち上るのを確認した。
その数は次第に増えていくことから、獣人族は要塞を利用する気が無いことが窺える。
『要塞に火を放ったか……利用する気はないってことだな。もったいない……』
ザザから見るとカルマール要塞に火を放つなど考えられないことだ。
元来、砦や要塞を落とせばそこを補給物資の保管庫として使え、戦況が不利になれば逃げ込める安全地帯のはずだ。しかし獣人族は要塞に固執していない。
イサラス王国に属しているザザとしては、せっかく落とした要塞に火を放つなど蛮行に等しい行為なのだが、そもそも文化や常識そのものが異なるので『もったいないから、やめろ』とも言えない。
その一言で獣人族から不興を買えば、せっかくの協力体制が崩れかねないからだ。
『……アド殿からもなんか言ってもらえればいいんだが、無理かな~。以前のような暗い印象が消えてるし、すっかり普通の魔導士だ。いったいどんな心境の変化があったのか』
アドの仲介してもらい、カルマール要塞をイサラス王国側で使えるよう交渉したかったが、以前の殺気立った雰囲気が消え失せた彼が協力してくれるか微妙なところだ。
危うさのようなものを身に纏っていたアドであれば、間違いなくメーティス聖法神国に打撃を与える行動をとっていただろう。できればその内なる野心のようなものの欠片が残っていて欲しいところだ。
『そのアド殿なのだが……』
件のアドはゼロスと平原の草原に腰を下ろし談笑中。
何を話しているのか分からないので、とりあえず二人の傍に近づいてみることにする。
アドもそうだが、ゼロスという魔導士も何か危険なものをはらんでいるように思えて仕方がない。これはザザの諜報員としての直感だ。
「――ということで、第一期目と二期目とではストーリー展開の粗さが目立つわけだ。有能な指揮官のはずが無能になったり、ヒロインと思われたキャラを壮絶に殺したり、二期目の主人公を後半で前作の主人公と差し替えたりと、悪い方向で期待を裏切るような展開はいただけないよねぇ」
「納得いかない展開が多かったよな。『どうしてこうなった?』的展開は炎上もの案件だぞ。やるにしても、もっと設定を練り込んで欲しいところだ」
「週刊少年誌やラノベのアニメ化はいいけど、いざ映像化されると大事な設定や場面がはしょられたり、原作とは違う内容に置き換わってたりで減滅……。アニメ化に当たる前のプロット段階で間違えたのか、あるいは予算枠内で収めるのに苦心したのかは分からないが、ファンを泣かせるような駄作になるのは僕にはつらい」
「漫画ではせっかくいいシーンが多いのに、アニメ化でカットされてた時は俺もスタッフの正気を疑ったな……。『なぜ、ここで必要なあのシーンをカットしたんだ?』とか、余計な設定でキャラの持ち味が消されていたとか、本来は出番のない場面に別のキャラを入れて関係を匂わせるとか……。まるっきり原作とはかけ離れた作品になっていた時には、思わずテレビのリモコンを投げたほどだぞ」
「なぜ省かれたのかが分からないと、視聴者としては不満が溜まるよねぇ~。しかも二期目に続かない作品は駄作のまま消えることになって、原作者が不憫だよ。炎上作品でも二期シリーズがでるだけマシなのかねぇ?」
「そういうときって監督が代わっていたりするよな? 制作スタジオも変更れてさ」
そんな二人は朝も早くから体育座りで空を見上げ、仲良くアニメ談義の真っ最中。
当然だが、なん話をしているのかザザにはサッパリ理解できない内容だった。
『な、何の話をしているんだ……この二人は』
「鬱ゲーのアニメ化もどうかと思うよな。俺的には観たくないんだが、その手のアニメに限って、やたらスタッフの力が入っているのは気のせい?」
「現実においても救いようのない話はあるけど、それを映像化してまで視聴したいとは僕も思えないねぇ。ストーリー次第ではしばらく精神的なダメージが残るし……」
「やったことはないけどさ、エロゲーでもそんなのがあるらしいぞ。ヤバすぎる犯罪描写が多くて、キャラも全員死ぬやつ……」
「実際にあったらサイコパスどころの話じゃないよねぇ~。社会の闇か、あるいは係わった者達の精神がヤバいのか……。しかもキャラのバックボーンもかなり痛ましいらしいよ。鬱展開の脚本を書いた人の精神状態がどうなっているのか、僕は知りたい」
朝食を済ませた二人は暇だった。
それはもう、くだらない話を熱く語れるほどに。
二人を見たザザは頭を抱えたが、とりあえずカルマール要塞の状況を伝えることにした。
「アド殿、ゼロス殿……カルマール要塞で火の手が上がりましたよ」
「見た目が可愛らしいキャラが無残な遺体となる描写は、さすがにショッキングすぎて僕には……ん? 要塞から火の手?」
「ブロスのヤツ、あの要塞を再利用する気が無かったのか?」
「ん~……たぶんだけど、散々殺しまくって血の臭いが漂っているのが不快だから、焼き払うついでで熱消毒でもしたんじゃね?」
「あいつ……ますますバーサーカーになってねぇか?」
「まぁ、【野蛮人(バーバリアン】だからねぇ」
ゼロスとアドの反応は妙にあっさりとしていた。
ブロスを含めこの三人の関係が気になってしかたがない。
職業上いろいろと気になることがあるので、素直に答えてくれるとも思わないが、思い切って直接聞いてみることにする。
「あなた方は、いったい何者なんですか……。不可思議な魔道具を作れることといい、どう考えても普通じゃない。それなのに今まで名前すら知られていないこともおかしすぎる」
「普通ですよ~、少なくても僕達は……」
「いや、普通じゃねぇだろ。安心できないのならこれだけは言っておく。少なくとも俺は戦争に加担するようなことはしないし、ゼロスさんのようにヤバイもんを作る気もない」
「そのヤバいものを作る手助けはしてくれるけどねぇ。その時点で君は共犯者さ」
「………ちくしょう。言い返せない」
力関係は何となく把握できた。
ブロスはどうだか分からないが、アドはゼロスに頭が上がらない。
無茶な要求であれば断ればいいが、少なくともアドにはそうした決断をする必要性が感じられず、なんだかんだ言いつつも手を貸しているのが現状だろうと判断した。
そうなると、このゼロスという魔導士がますます厄介な立ち位置にいることになる。
「私としては、アド殿のよりもゼロス殿の方が脅威に思えるんですけどね。なんですか、あの馬鹿げた魔道具は……。船が水面を恐ろしい勢いで滑っていましたよ」
「ザザさん、ゼロスさんに関してはあまり踏み込まない方がいいぞ? 他人を平気で実験に使う人だからな。何をしでかすか分からないところはブロスと変わりない」
「人の趣味に文句を言うのは結構だけどね、アド君だって似たようなもんでしょ」
「俺はそこまで非常識なものは作らないぞ」
ザザから見てアドは優秀な魔導士に思える。
そんな人物が非常識というのだから、その知識と技術はアドを超えているものとみて間違いなさそうであるが、問題は人格だ。
アドの口ぶりでは、何度もはた迷惑な真似をやらかしているニュアンスが見て取れる。
「ザザさんや、仕事に忠実なのは大変結構なんだけどねぇ。あまり詮索はしてほしくないんわ。一応だけど僕は公爵家の依頼でここにいるわけで、これ以上は干渉とみなさなくちゃならないんだけど?」
「し、失礼しました……。(公爵家……忘れていた。アド殿が頭の上がらないほどの魔導士を雇えるような人物となると、デルサシス公爵か? いや、場合によってはソリステア王家が裏にいるのかもしれん。ゼロス殿ほどの魔導士が今まで表に出て来なかったのは、国が隠していたからと見るべきか)」
ザザ君は深読みしすぎていた。
ゼロスの立場は実のところアドと変わりなく、普通に街で生活しているなどとは彼も思いもしないだろう。何しろ秘匿された魔導士であるという事実はいくらでも出てくるが、フリーの趣味人という証拠はないのだから。
それを裏付けたのがバカみたいな性能の魔道具の数々なのだが、そんな疑念を持たれている本人はどこ吹く風といった態度で、暢気に煙草をふかしていた。
「さて、ブロス君はこのあと、どう動くのかねぇ……。アンフォラ関門を落として止まるのか、それともメーティス聖法神国まで一気に攻め込むのか。そこまで付き合う気はないけど」
「世界を巻き込んだ戦争にならないよな?」
「それは何とも言えませんよ。我が国とアトルム皇国、西のグラナドス帝国にソリステア魔法王国を含めた小国家群……。領土を欲しがる国は多いですからね」
「西の大国に領土を欲しがる理由があるのかねぇ? 攻め込む理由があるとしたら、四神教を邪教と認定して国境周辺の土地に侵攻するくらいじゃないかい?」
「まぁ、四神教は充分に邪教だけどな」
「まだ大戦には繋がってほしくないところなんですがね、私共としては……」
「ふぅ~ん。〝まだ〟ね……」
獣人族がメーティス聖法神国に攻め込めば、当然だが国内情勢は一気に不安定化する。
それをイサラス王国やアトルム皇国が見逃すはずもなく、遥か昔に奪われた領土を取り戻そうと動くだろう。戦争の始まりだ。
だが、この二国は小国であり、イサラス王国に至っては戦力不足もいいところだ。
長期戦に耐えられないのである。
しかし好機でもあることも確かであり、逃すこともできない。
未来が分からない以上は、自らの行動で先を切り開く以外にない。未来はそうして形作られる。
だが、その未来が決して輝かしいものではないことは、この場にいる三人は理解していた。
「まぁ、メーティス聖法神国に滅んで欲しいことだけは確かなんだけどねぇ」
「「 それは同感 」」
ただし、どこぞの宗教国には滅んで欲しいという思いだけは共通認識であった。




