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おっさん、ブロス君を泣かす


 カルマール要塞では大勢の住民たちが列をなし、順番に砦の門から出ていく。

 これはガルドア将軍の命によって本国総撤退が実行に移され、商人や一般の住民は不満を持ちつつ荷物を抱え、我先にとメーティス聖法神国へ戻ろうとしている。

 逆に言えばそれだけ戦況が悪く、もはや聖騎士団だけでは防ぎきれないところまで獣人族が迫ってきていることを示していた。

 商人達は報復を恐れ、奴隷としていた獣人族の枷を外し解放したが、それで手心を加えてもらえるかは別の問題だ。

 むしろ奴隷だった獣人族の者達が合流し、さらに軍勢が増強される恐れもある。

 だが、兵が増えるということは彼らの食事を賄えるだけの食料を必要とし、逆に獣人族側の物資の消費量を減らすことができる。


『……これは賭けだ』


 獣人族は同胞を見捨てない。

 たとえ対立する部族であろうとも彼らは助けようとし、自らが飢えることも覚悟して食料を分け与える。食料がなければ獣人族側は侵攻を止めることになるだろう。

 その間にできるだけ距離を稼ぎ、安全に本国へ戻ることが目的であった。


「ガルドア様、もうじき第三陣が要塞を出ます」

「うむ……今のところは順調だな」

「えぇ……ただ、この要塞に留まろうとする者もいるようでして、彼らの説得に時間が……」

「状況を分かっていない愚か者は捨ておけ。今は時間が惜しいのだ……奴が来る前に全てを完了させなくてはならん」


 要塞に留まろうとしている者はこの城塞都市の中で生まれ育った老人か、状況を理化せずに獣人族を捕らえようとしている奴隷商人と、その配下にいる傭兵達であった。

 故郷を失いたくない老人なら話は分かるが、奴隷商人はただの人身売買で稼いでおり、捕らえた奴隷によっては法外な値段で取引されるので美味しい商売だと思っている。

 ガルドアとしてはこんな馬鹿が自業自得で死のうが一向にかまわなかった。


「変な話ですよね。住民は出ていくのに奴隷商人は増えてくる……。彼らはこの要塞が無敵だと思っているのでしょうか?」

「思っておるのだろうな。だが、此度はその思い上がりは通じん。特に奴が相手では城門も破壊されるであろう……」

「獣人族の頭目ですか……。あの骨で作った装備は異彩を放っていましたが、それに見合うだけの強さがありましたからね」

「口惜しい話だが、儂は同胞を見捨てた……。戦場では幾度かそういう選択肢に悩まされたが、本気で逃げに徹したのは初めてであったよ……」


 第36号砦での惨劇は、武人としてのガルドアの人生に影を落としていた。

 それだけブロスが圧倒的な強さを見せていたということだが、視点を変えればおぞましい虐殺光景を敵に見せつけ、聖騎士団の戦意を挫いたといえるだろう。

 しかも砦を瓦礫の山に変えるほどの暴れようだ。

 人間では絶対に勝てない。


「戦えば絶望しかなく、逃げても追い付かれればやはり絶望だ……。だからこそ、囮役となる奴隷商人どもには感謝しておる」

「彼らは命を賭して我らを守ってくれるのですから、本当に感謝しかないですね。奴らの侮蔑の言葉ですら、今ならそよ風のような爽やかさを感じますよ」

「せめて彼らが安らかに冥府に旅立てるよう祈ろうではないか」


 奴隷商人の多くが裏の人間と繋がりを持つ。

 奴隷オークションを開くほどの大規模な組織も存在し、そうした裏組織の人間達は高位司祭などの太いパイプを持っていた。表向きはともかくメーティス聖法神国の裏側は汚職まみれの国なのだ。

 だからこそ聖騎士団が撤退準備をしているにもかかわらず、奴隷商人達は大手を振ってカルマール要塞に来られる。この要塞の管理権限すら裏組織の人間に与えている可能性をガルドアは考慮していた。

 まぁ、仮にそれが事実であっても、ガルドアは一向にかまわなかった。

 むしろ囮役が増えてくれるほど自分達の命が助かる確率が高まる。

 

『我らがアンフォラ関門を抜けるまで、せいぜい長く抵抗してほしいものだな』


 平原の風に乗り、肌に感じる敵意と殺意が日増しに強くなっていく。

 ガルドアは獣人族の軍勢がそう遠くないうちに現れるだろうと予感していた。できることなら戦うことなくアンフォラ関門まで辿り着きたい。

 焦る心を抑えながら、気を紛らわすかのようにガルドアは空を見上げた。

 その時は近い……。


 ~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~


 平原を進む獣人族達の軍勢は、一時行軍を止めることになった。

 その理由だが――。


「はぁ!? 同胞が逃げ出してきただとぉ、それも大勢!?」


 ――先鋒の仲間から報告を受け、馬車の上で叫ぶ獅子の獣人。

 その横にいるブロスは、奥さんたちに囲まれながらも訝し気な表情を浮かべた。


「ふぅ~ん……それで、彼らの様子はどうなの?」

「いや、カシラ……なんで落ち着いていやがるんですかい? こんなことは今までありやせんでしたぜ」

「たぶん……カルマール要塞から来たんだと思うよ。彼らを解放した目的だけど、おそらくは僕達の食料を減らすためだね」

「なっ、連中は我らが同胞達ですら道具として扱ってやがるのか!?」

「それの裏付けを取りたいから様子を聞きたいんだけど、それでどうなのさ?」

 

 普段の少年のあどけなさを残しぽやぁ~としたブロスの表情は、突然の獰猛で冷徹な威圧感を含んだものに変わる。

 その場にいる獣人族の猛者達も、まるで氷点下の寒空の下に裸で立たされているような寒気を感じ身震いする。


「ぜ、全員がやつれて……ひでぇ扱いを受けていたみたいですぜ。体もガリガリだ。中には骨みたいに瘦せ細った子供までいやす」

「虐待もされてたかな? うん……マジであの宗教国家は潰そう。跡形もなくね」

「それよりも、どうすんですかい。病人を抱えてちゃ、進軍も遅れちまいやす」

「それどころか、このさき大勢の衰弱した仲間を抱えることになるかもね。カルマール要塞に辿り着くころには食料の備蓄はどうなってるかな?」

「んな、のんきな……」

「短期決戦を選んだのは間違いだったかな? まぁ、仲間を返してくれるなら別にいいか。食料なら僕も持っているしね。ただ、足りるかなぁ~?」


 メーティス聖法神国のやったことは許されないことだ。

 しかし、これが戦術という点から見た場合、かなり有効な手段である。

 仲間意識が強い獣人族は同胞を見捨てて先に行くことなどできず、どうしても足止めをくらってしまう。こんな手段を取れる指揮官にブロスは厄介な相手だと感想を持った。

 冷静な判断力と非情さを持ち合わせているに他ならないからである。


『さて、どうしよっかなぁ~………』


 元より獣人族が結束して戦いを始めた理由は、仲間達の解放のためである。

 解放された獣人達を保護するのは当然としても、問題は部族連合軍が食料不足に陥りかねず、ブロスの手持ちの食料を配当するにも在庫があやしいところだ。

 何しろブロスがこの世界に来て初めて行ったのは、飢えに苦しむ部族へ食糧を供給したからだ。そのあたりのことはアドと変わりない。

 その合間にメーティス聖法神国の騎士団や奴隷商が率いる傭兵の一団を潰していた。

 正当防衛による殲滅だが、気がつけば一大勢力に拡大して現在に至っている。

 しかし、勢力が拡大すればそれを維持するための物資も多くなり、遊牧生活で暮らしている獣人族の食料事情も変えていく必要があった。

 紆余曲折あってその問題も獣人族全体が協力し合い解決したが、それでも解放戦争を続けていくには量が足りず、結果的に短期決戦を余儀なくされる。

 ブロスも分かっていた。

 自分が保有している食料を放出しても、獣人族の部族連合を維持するだけの食料はないことを……。


『マズいよね……これ』


 地味ではあるが、かなり痛い攻撃だった。

 聖騎士団を率いる指揮官がよほど優秀なのか、あるいは軍師がついているのかは分からないが、こちらの状況を的確に読んだ一手を打ってきている。

 どうにかしないとカルマール要塞にカルマー辿り着く前に食糧が切れるかも知れない。


「よし、ゼロスさん達に相談しよう。困ったときは他人にすり寄れだよねー」

「カシラ!?」


 難しい問題を考えるのは他人任せにすることを決めた。

 まだ何も解決していないというのに足取り軽く、彼はゼロス達の下へとスキップしながら向かう。

 そこで彼は見てしまった。


「うぅ………」


 馬車酔いと二日酔いのダブルパンチでグロッキー状態の、情けない姿をさらしているアドを……。


「……アドさん、大丈夫なの? なんか、凄く弱っているんだけど」

「馬車酔いだから問題ないよ。しばらく休めば復活するさ」


 ゼロスはかなり適当な扱いだった。

 その横ではアドが呻き声をあげている。


「それよりさ、ちょっと相談したいことがあるんだけど。いいかな?」

「相談したいこと?」

「いやぁ~……実はカルマール要塞に辿り着く前に、食糧が無くなりそうなんだよね」

「……行軍が止まっている事も関係してるのかい?」

「鋭いね、さっすがゼロスさん。話が早い!」


 ブロスは現在置かれている事情をゼロスに細かく説明した。

 その話を聞いて彼がゼロスになにを求めているかを察する。


「……つまり、僕達の食糧を分けて欲しいということかい?」

「そゆこと。インベントリにあるんでしょ? 【ソード・アンド・ソーサリス】で集めた保存食がさ。それを少ぉ~しばかり融通してほしいのさ」

「ふむ……それは構わないんだが、解放された獣人族達はどうするんだい? このまま連れて行くにしても足手纏いでしょ。病人なんだし」

「そこなんだよね~。連れて行こうにも武器や防具があるわけじゃないし、かといって放置していくわけにもいかない。頑張って僕らの拠点に向かってほしいところだけど、その体力も衰弱しすぎいていて無理そうなんだよ」


 話を聞く以上に深刻な状況のようだ。

 おっさんとしても見て見ぬふりをするのはさすがに寝覚めが悪い。


「う~ん……考えるのは後にして、先ずは彼らに食事をさせてあげるべきでしょ」

「一応だけど、今は消化の良い芋粥みたいなのを作っているよ。【チャチャモロ芋】ってやつ」

「肉類は?」

「干し肉じゃ消化に悪いと思うんだけど、塩分は高いし少量入れるってところかな? 野菜はその辺りに生えている野草を使えばいいし」

「なるほど……」


 ブロスの話でもまだ問題があるとゼロスは感じた。

 いくら消化の良いものを食べたところで、失った体力が戻るにはかなり時間が掛かる。

 そして進軍をしている以上は残された時間がない。

 何しろ要塞を落とす攻城戦だ。ケガ人などの死傷者の数が増えることを考慮しても、食料問題だけは解決しておく必要がある。

 問題一つクリアされることで負担がだいぶ減るからだ。


「う~ん……気になるし、様子を見に行ってもいいかい? 保護した獣人族の人数によっても放出する食料の量も変わるしねぇ」

「そうだね、ゼロスさんにも見てもらった方がいいかな」

「ザザさん、アド君の介抱をお願いするよ」

「へっ? わ、私が、ですか?」

「あなた以外に誰がいるんです?」

「アドさんて……意外に繊細だったんだぁ~」


 すっかり蚊帳の外扱いになっているアド。

 馬車酔いで苦しんでいるが意識ははっきりしており、心の中では『俺が悪いんじゃない……馬車の構造が悪いんだ』と叫んでいた。

 アドが思っている通り、獣人族が使う馬車には板バネやスプリングサスペンションのようなものは無く、地面の凹凸による衝撃がダイレクトに馬車へと伝わるのだ。

 ましてルーダ・イルルゥ平原の道は舗装されているわけではないので、その振動は舗装された街道よりもはるかに酷い。


「まぁ、この地方じゃ仕方がないわな。じゃ、ちょっと行ってくるよ」


 動けないアドをその場に残し、ゼロス達は部隊前方へと向かう。

 いくつかの部族軍の横を通り過ぎ、様々な民族衣装の者達の姿を確認したが、その誰もが仲間を救うべく奔走していた。

 具体的に言うと食事の準備だ。


「みんな協力的だねぇ~」

「普段は仲が悪いんだけど、基本的に似た者同士だからね。拳を交わしたら何時までも恨み言を残さないんだよ。人間みたいにねちっこく拘らないのが彼らの良いところなのさ~」

「人間みたいに……ねぇ。ブロス君の言い方だと、自分が人間じゃないって言っているように聞こえるよ。まぁ、こんなチートな体じゃあやしいけどね」

「僕は自分を人間だとは思っていないよ。けど、神様とも思ってはいない。そこまで傲慢じゃないからね。せいぜい獣人族の一種族程度かな」

「俺、Tueeeをやらないだけマシか。僕達の同類が一人馬鹿な真似をして奴隷落ちした例があるけど、自重している分には問題ないのかねぇ……」


 獣人族の様子を見ながらもゼロス達は解放された獣人族達の下へたどり着いた。

 彼らの様子は誰もが栄養失調などで疲弊しており、中には昏睡状態に陥っている者達もいる。部族連合軍の元へ辿り着けたことが不思議なくらいだ。


「……これは酷い」

「僕も報告を聞いただけだから良く分からなかったけど、まさかここまで衰弱させるほど苛烈な扱いだったなんて……。ヤツら……ぜってぇ殲滅する」

「これじゃ栄養価が足りないだろうし、かといって急に食事を摂らせても吐くかもしれない。栄養価の高い汁物の方がいいと思うんだけど?」

「水は平原で貴重だからさ、使いすぎるわけにはいかないんだ。けど彼らをこのままというわけにもいかない……。ほんと、嫌らしい手を使ってくれるよ」


 疲弊した彼らのために必死で芋粥を作る者達。

 だが粥を作るにも火力が足りず、できるまでには時間が掛かる。

 こうしている間にも死亡する者達が出かねず一刻の猶予もない状態だ。


『う~ん……このままだと死者が出てしまうかもしれないねぇ。いや、もしかしたらすでに出ているかも……。それに芋粥ごときで彼らが助けられるとも思えない。どぉ~すっかねぇ~』


『嫌らしい手』という言葉で、セロスはこれが兵糧を消費させるための策であると察した。

 やられる側としては唾棄すべき作戦だが、行う側から見ると実に理にかなった有効な策で、敵側に非情な手段を実行できる度量を持ち合わせた将がいるということが判明した。

 

『なかなかのやり手がいるようだ。しかし、メーティス聖法神国にこのまま順調にいかれるのもムカつく。今できることで有効な手段は……』


 おっさんは頻りに頭をひねりながらも周辺の様子を探った。

 獣人族は現在、芋粥を作っている真っ最中。

 まだできるまで時間が掛かるであろうが、いずれ奴隷だった者達に配られることになる。

 足りないのは体に吸収される栄養だ。


『あっ……』


 そこでおっさんは思いついた。

 この状況を打破できる有効なアイテムがあることを……。

 真剣な表情で考える振りをしながら、内心でニンマリと笑みを浮かべる。


「カシラ! 偵察にいった連中が倒れた奴らを連れて帰ってきました」

「うっそでしょ~……まだ増えるのかぁ…………」

『あらら~、こりゃ先に進むほどに面倒を見なきゃいけない人たちが増えるってことか。なら、今のうちに……』


 まだまだ病人が増えることに心が折れその場にへたり込んだブロスを横目に、おっさんはこっそりと調理中の芋粥を煮ている鍋の傍に近づくと、インベントリ内にあった魔法薬を一瞬の隙を突いて少量流し込む。同じことを他の鍋にも行った。


「こっちは煮えたぞ! 一番弱っている奴から順に食わせろ!」

「もたもたするなぁ、時間との勝負だぞ!」

「早く持っていけ!」

「邪魔よ! 手が空いてやることがないならどきなさい!!」

「ほら、ゆっくり飲みこんで……。生きるのよ!!」


 病人達に芋粥が配られていく。

 そして、意識すらもう限界に達していた者達が一口飲みこむと、その効果は劇的な形で現れた。


「UWEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!」

「「「「「 はぁっ!? 」」」」」


 瞬く間に健康的な肉体を取りもどしていく栄養失調患者。

 痩せ細った体がはち切れんばかりの筋肉に変わり、先ほどまで瀕死状態だったとは思えない姿に大・変・身。

 しかも一人だけではない。


「Po―――――――――――w!!」

「てぃ~~~~ぱっくぅ~~~~~~~~ぅん!!」

「こぉ~~~ちゃっちゃ~~~~~~あぁっ!!」

「キタわよぉ~~~~~っ!! キタキタキタキタァ!!」

「キマシタですぞぉ――――――――――っ!!」

「「「「「 みぃ~~~~なぎってきたずぇえぇっ!! 」」」」」

『『『『『 ………… 』』』』』


 次々と変な奇声を上げながら、彼らは見事なまでにビルドアップ。

 老若男女問わず素敵なまでにガッチムチ、ミス&ミスターユニバース並みの超絶肉体美。

 その姿はさながら人類最強生物のような変貌ぶりであった。

 

「ゼ、ゼロスさん…………。アンタ、なにした?」

「………なぁ~んのことかな?」

「さっきまでガリガリの栄養失調状態だった人達が、何でいきなり衆人観衆の中で壮絶にバスすらぶっ壊す親子喧嘩をやらかしそうな最強生物になってんのぉ!? どう考えてもゼロスさんの仕業でしょぉ!?」

「肉体が復讐でも始めたんじゃないの? 覚醒したんだよ、きっと……」

「そんなわけないでしょ!!」


 凄まじい効果にさすがのおっさんも罪悪感がハンパない。

 まさかここまでとは思わなかった。


「…………吐け」

「OK、その物騒な戦斧をまずは下ろそうか。喉元に刃を突きつけられちゃ、さすがの僕も説明できる自信がないよ」

「……で、いったい何をやらかしたの? アレはちょっと異常なんだけど」

「フッ………ある栄養剤を使ったのさ。製作者はカノンさんだけどねぇ」

「ちょっ!? いやいや、まさか……その栄養剤って、一時期に魔法薬として売られた」

「そう、その通り! 痩せた肉体に夢を込めて、飲んで手にする肉体美。カノンさん特製栄養剤、その名も【マキシマム・オーバードライブEX】さ!」

「な…………なんてものを………。悪夢だよ……」


【マキシマム・オーバードライブEX】。

 殲滅者の一人である白のカノンが作った超高濃縮エナジーポーションである。

 ただ、あまりにも効果が強すぎるため、強制ブーストされたせいでステータス異常が発生し、簡単な戦闘すら上手くいかず、騎士槍を片手にレイドモンスターへ強襲突撃するしか使い道がなかった。

 何しろアバターが直線攻撃以外の行動が困難になり、止まれない・曲がれない・制御できないの三拍子で、離脱者を続出させた使えないアイテムシリーズの一つなのである。

【ソード・アンド・ソーサリス】ではレイド戦でプレイヤーが集団で突撃を敢行し、そのまま突進を続けて断崖に激突して自爆。多くの離脱者を出してしてしまった悲劇を生み出した。

 その結果、戦力不足でレイドの戦況は最悪の事態を招いた経緯がある。

 しかし、それはあくまでゲームでの話であるのだが、もし仮にそんなアイテムが現実に存在したらどうなるか?

 瀕死状態にまで弱り切った肉体を、瞬く間に強制的な効果で超人レベルにまで引き上げる、超強力な高濃縮度の栄養剤という扱いになる。

 いや、実際になっていた。


「まさか、芋粥に全部入れたの?」

「いやぁ~、僕もそこまで迂闊じゃないよ。適量を仕込んだらあの状態になった。もし全部飲んでいたらと思うと……」

「いやいやいや、それでもかなりの変貌ぶりなんだけどぉ、芋粥で薄まってるはずだよね!? それなのに見た目が素手で戦車を破壊できるレベルなんですけどぉ!?」

「みんな『オリンピアァ――――!!』って叫んでるねぇ。彼らは意味を分かっているのだろうか?」

「気にするところはそこぉ!?」


 大人も子供も等しくハイパーマッスル。

 筋肉のつき方も凶悪で、もはや獣人ではなくただの野獣である。

 腕や足には剛毛で覆われていたりする。


「あんなの……僕の知ってる獣人族じゃないよ」

「見てみなよ、あの背中の筋肉……。まるで鬼の顔のように見え――」

「うわぁああああああぁぁぁっ!! それ以上はマズイからぁ、なに最強生物をしれっと作ってくれちゃってるのさぁ!!」

「僕は悪くない。あえて言うのなら、カノンさんが悪いと思う」

「あの人のヤバい魔法薬なんか使わないでよぉ、僕のケモミミ達が野獣になっちゃうじゃないかぁ!! せめて一言相談してくれてもいいんじゃないかなぁ!?」

「一刻の予断も許されない状況だったから……。まぁ、そのうち元に戻るよ。今は処理しきれない栄養を摂取してパンプアップしてるだけさ」


 ブロス君は涙目で『本当に元に戻るんだろうね?』と疑い深く聞いてくる。

 そんな確証はどこにもない。

 おっさんはただ魔法薬の特性上、この手のものは時間経過で元に戻るだろうという根拠のない予測にすぎず、こればかりはしばらく様子を見るしかない。

 だが、これにより部族連合軍は食料問題で悩む必要がなくなったことは確かだ。


「ククク……殺れる。これなら殺れるぞぉ!!」

「この力なら……あいつらを殺せるわ。子供と旦那の恨み……晴らしてやるぅ!!」

「あぁ……あの苦しみが嘘のようだ。今なら神だって清々しくぶっ殺せるぜぇ!」

「体中に漲る復讐ドーパミンとアドレナリン……素晴らしいのぅ」

「武器なんていらないわ……この拳だけで充分よ」

「奴らの骨はどんな音がするかなぁ~、楽しみだぜぇ」


 それどころか戦力強化にも繋がった。

 ついでに復讐と言いう名の暗いエッセンスが加わり、彼らは神の使途を僭称する者達を滅びへと導く、復讐の獣へと変貌を遂げている。

 溢れる殺意の波動が止まらない。


「こ、怖い……」

「人は、いつ憎しみを捨て去ることができるのか……。繰り返される負の業により悲しみは蓄積され、集う憎悪の火が劫火となり、虐げてきた者達へと向けられる。復讐の獣達は戦いの果てになにを見るのか。悲哀か、それとも新たな憎しみを呼ぶ戦いの連鎖か……。次回【復讐者達の宴】、君は咎人達の因果を知る」

「なに次回予告ふうに語ってんのぉ、やばいよ! 彼らはもう、獣人って種族を天元突破しちゃったよぉ!! あれは紛れもなくビーストさぁ!!」

「人間なんて一皮剥けば獣なのさ。理性を本能が打ち砕き、殺意と憎悪が眠れる野性を解放させたんだ。彼らはもう、心の赴くままに殺戮を繰り返すマシーンだ」

「そのマッスゥイ~ンを生み出したのはゼロスさんじゃないかぁ!!」


 ケモミミを愛するブロス君は、見事なまでに変わり果てた獣人族の姿に涙目だ。

 確かに獣人族は血の気の多い連中が多いが、目の前にいる彼らは違う。

 満ち溢れる力が理性の枷を外し、全身を血流のごとく巡る憎悪はメーティス聖法神国に向けられ、滾る破壊衝動が戦いへと駆り立てる。

 しかも先遣隊が力尽きた獣人を連れてきて、例によって超強壮の芋粥を与えては復讐者を次々と生み出すのだ。その中には子供の姿もあるのだから恐ろしい。

 最初は驚いてた他の獣人達も、やがて羨望の眼差しで彼らを見ているのだから最悪だ。


「………どうすんの。あの子達の将来が僕は心配だよ。親御さんに申し訳ないよ!!」

「所詮はドーピングだし、空気の抜ける風船のように急速にしぼんだりしないかねぇ?」

「こんな酷いドーピング、僕は聞いたこともないよ……」

「聞いたことがない? なにを馬鹿なことを……。君はこれと似た例をいくつも知っているじゃないか。犠牲者なのにまさか忘れたとでも?」

「カノンさんの悪行なんて思いだしたくもないんだよぉ!!」


 ブロスもカノンの犠牲者の一人だ。

 何をされたのかは本人が頑なに口を閉ざして分からないが、相当酷い目に遭ったことだけはゼロスも理解できる。それほどの事をされ彼の心に深刻なトラウマを刻んだのだろう。


「どうでもいい話だけど、アド君の娘さんの名前はかのんちゃんだ」

「なんで、寄りにもよってその名前なのさ……。アドさんだって犠牲者の一人なのに」

「最初の候補の貞子って名付けなかっただけマシじゃね?」

「おかしいですよぉ、アドさん!!」


 アドのネーミングセンスがおかしいと思うのは自分だけではなかったと、ちょっと安心するおっさん。

 だがしかし、安心できない状況が現在進行形で目の前で発生していた。

 人を超え、獣を超え、鬼をも超えた超獣鬼人の彼らが、元に戻るのかは定かではない。


 ~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~


 イストール魔法学院にて、クロイサスはやりたくもない講師役を渋々やっていた。

 サンジェルマン派の成績上位にいる学院研究生達は、それぞれ得意研究の講師役を担当しているのだが、幅広い研究に手を出すクロイサスだけがなぜか余ってしまった。

 なにしろ彼は研究というものに分野関係なく手を出し、他の学院生と同等以上の知識を持っている。だが多くの学院生達は知っている。

 クロイサスが何かをやるたびに有毒ガスや爆発が起きるのことを……。

 当然だが、彼が臨時講師を務める錬金学も、周りには生徒を除けば友人のマカロフ以外にいなかったりする。彼にしてみれば貧乏籤だ。

 一抹の不安を抱える中、学院の研究室でクロイサスによる講義が始まる。


「――以上が基本的な身体強化用の【ブーステッド・ポーション】の調合法です。まぁ、教本通りでつまらない技法ですが、これを基礎として多くの魔導士が研究し、それぞれが独自の配合や調合技術を編み出しています。今のあなた方にそこまでしろとは言いません。無理せず班同士で話し合いながら作業を進めてください。実験を終え次第、各班によるレポートを提出してもらいます」

『……クロイサスのヤツ、機嫌が悪いな』


 教壇に立つクロイサスの言葉のイントネーションが、普段の彼の声に比べて微妙に高いことから、心の底から講師役を務めることが嫌なのだと理解できたマカロフ。

 それでも教えるべきことを伝えようとしていることから、知識を求める後輩達に対して無責任な態度を取らないだけ、クロイサスが調合実験に関して真面目であるといえる。


『だが……いつまで持つのやら』


 それと同時に、クロイサスがムラッ気の多いことを誰よりも理解している。

 唐突に突拍子もない行動をとり、いつも周囲を巻き込む事件を引き起こすため、イー・リンやセリナから監視を任されていた。

 マカロフも『さすがに講義中に変な真似はしないだろう』と思ってはいるのだが、それを信じられるかと問われれば微妙なところだ。むしろ信用に置けない人物なのがクロイサスなのである。


「では、各自調合を始めてください。くれぐれも独断で変なものを混ぜ込まないよう、お願いします」

『お前が言うな!』


 心中で突っ込むマカロフ。

 クロイサスが投げた言葉は特大ブーメランだった。


「君は薬草を擦りすぎですね。そちらは素材を火から離す時間が遅れています。魔法薬は最適とした手順を踏まねば、効力に差が出てしまうほどデリケートな作業なのですよ。真剣にやってください」


 見ている分には真面目に指導しているように思える。

 だが、この時のクロイサスは後輩の指導と同時に別のことも考えていた。

 もう一つの思考で行っていたことは――。


『あの術式を入れれば自然界の魔力により、魔法の効率が上がるはず。問題は既存の魔法術式のどこに入れるかがですね。一歩間違うと術式自体の容量が増えて潜在意識領域の要領を超えてしまいますし、もっとコンパクト化できれば……』


 ――魔法構築であった。

 二つのことを同時進行で行う。それは思考の分割――所謂並列思考というものなのだが、この時のクロイサスは自分が何をしているのか理解していなかった。

 講義を行いつつも自身の研究である魔法構築を行うという離れ業を、彼は無自覚に行っている。これは二つの魔法を同時に扱えることを意味している。

 だが、クロイサス自身は自然とこのスキルを使えるようになったためか、魔法の二重展開を行うという発想が思いつかない。

 あのゼロスですら並列思考を行うと『気持ち悪い』と言うほど思考が乱雑化し、戦闘という局面での魔法展開以外でしか使用しないスキルなのである。

 それなのにクロイサスは普段から日常で行使しているということは、魔導士としての才能という観点で見た場合、ゼロスよりもクロイサスのほうが才能を持っているということになる。

 まぁ、気づいていなければ意味のないことだが、得てして天才という存在とはそういうものなのかもしれない。


「クロイサス先輩、手順通りに進めたのですが……魔法薬の色が茶色に変色しました。教本とは異なる反応なのですが、これはいったい……」

「えっ、茶色に……?」


 この時、クロイサスの脳内で二つの意識が原因究明へと動き出す。

 仮にこの思考をクロイサスAとBとしよう。


A『茶色に変色? 素材のどれかが多かったということでしょうか?』

B『このような反応は初めてですね。実験に使う素材は全て選別されていますし、異なる素材が混ざる確率も低いでしょうから、やはり作業工程内で不手際があったと見るべきでしょう』

A『では、どこかの工程で間違えたかが問題ですね』

B『いったいどこで間違えたか……。まず調剤の段階では考えられません』

A『そうですね。となると加工段階……成分の抽出時でしょうか』

B『ならその工程を遡ってみましょうか。私の記憶から作業工程の状況を精査し、どの段階で変化したのか原因を割り出してみましょう』


 並列思考の中で行われる高速思考による記憶からの作業工程のシミュレート。

 それは僅かな時間内に行われ、様々な観点から答えを導き出す。


「作業工程は記録していますか?」

「えっ? は、はい……これです」

「ふむ……。栄養剤を作る工程で【ファラリの根】が混入されたんでしょう。この作業を行ったのは誰ですか?」

「あっ、俺です」

「おそらく君が間違った素材を入れたのでしょうね。その成分が抽出された溶剤を用いたからこのような反応が出たのでしょう。ここで使用するのは【オルカ樹の実の種子】だったはずですが? この工程は二回行われますね、現にその素材だけが少ない。原因は人為的な作業ミスによるものですね」

「「「「 ほんとうだ 」」」」


 そこで原因が判明。

 何気にもの凄いことが起きていたのだが、全てがクロイサスの脳内で行われたものなので、誰も彼の能力に気づくことはない。

 結果として下級生達は卓上の素材の減り具合から、クロイサスが原因を推理したと思ってしまう。それとは別に爆上がりするクロイサスへの信頼。


「ほんと……なんでこうした実験とかに限り、あいつの勘は働くんだか……」


 勘ではないのだが、クロイサスの灰色の脳細胞が働くのは実験や研究の中だけなのは確かで、彼を監視していたマカロフは呆れつつも友人の知識の深さには敬意を覚える。

 そう、身近にいる者達ですらクロイサスが何をしていたのか理解しておらず、その異質性を伝える者もいないので、彼は無自覚のまま日々を過ごすことになる。

 そして、本日の講義時間は恙なく終了した。


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