おっさん、獣人族とともにカルマール要塞へ向かう
1-72.9
新しい武器を手に取り、部族間でガチ喧嘩バトルを始める獣人族達もさすがに落ち着いたのか、紆余曲折ありながらもようやくカルマール要塞へ侵攻する準備が整った。
その間、散々修繕作業を続けることになったゼロスとアド、そしてブロスは魔力を使い果たし、精神的にダウン状態だった。
まぁゼロス達はそれで構わないだろうが、ブロスはそうはいかない。
なにしろ彼は獣人族の先頭に立つ役目があり、何よりも暴走しがちな獣人達を束ね各部族へ命令を下す立場だ。鬱な状態で醜態をさらすわけにもいかない。
彼は簡素な木箱の上に立ち、松明に照らされながらも毅然とした態度で獣人達を睥睨する。実際はかなりきついようだ。
「さて、武器の準備は整った。いよいよ僕達はカルマール要塞の攻略に向かう。前回は君達の武器が限界を超えていたため断念したが、いよいよこの平原を取り戻す時が来た」
闘志を燃やす獣人族の戦士達。
そして、ブロスの雄姿を見てうっとりしている奥さん達。
「殲滅だ。一騎残らず殲滅だ! 長き時を受け続けた屈辱を思い出せ、家族や兄弟を奪われた悲しみを思い出せ! 戦士の誇りすら踏みつけられた怒りを思い出せ!!」
ブロスが過激な言葉を発するたび、獣人族は盾を叩きながら鼓舞する。
目には闘志が宿り、気が早いものは今から突撃しそうなほど熱狂している。
そう、彼らはこの日をずっと持ち望んでいた。
復讐の機会を……。
「さぁ、戦争を始めよう。奴らから受けた痛みと屈辱を、倍にして奴らに刻み付けてやれ!」
「「「「「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォッ!!」」」」」
ルーダ・イルルゥ平原に獣人族の雄叫びが響き渡る。
「明朝、進軍を開始する! 逸る闘志を酒で誤魔化すことは認めるよ。けど、朝になって二日酔いで動けぬような無様は晒ないでね。寝込んだらここに置いていくら」
「「「「「わはははははははははははっ!!」」」」」
かくして始まる獣人族の大宴会。
ゼロス達もようやく休めると思っていたのだが、残念ながらそう甘くはなかった。
騒がしくて眠れそうにない。
「おぅ、アンタらもご苦労だったな。こいつは俺のおごりだ」
「いや、これって酒でしょ? 正直、今の状態で飲んだらやばいんですけど……」
「大丈夫だ。俺達の酒は飲んだら疲れなんてすぐに吹っ飛ぶぜ。それとも、俺の感謝の酒が飲めねぇとでも?」
「はぁ……じゃぁ、一杯だけ」
木製の盃に注がれた酒は、どことなくヨーグルトに近い香りがした。
獣人族の酒は放牧している山羊や羊から乳を搾乳し発酵させたもので、独特の臭味も含まれているが、気になるほど臭うというものでもない。
味もやはりヨーグルトに近かったのだが、それだけではなかった。
「魔力が若干回復した? まさか、リキュール・マナポーションと同じ効果があるのか……」
「おうよ。それに薬草なども食っているから、滋養にもいいんだぜ」
「天然の発酵ポーション……。いや、こんなものがあるとは知りませんでしたよ」
酒には魔力が含まれるので、リキュール系のポーションの素材になることはゼロスも知っていた。それでも魔力の回復は微々たるもので、魔力を回復させるほどの魔力を含ませるにはかなりの年月を寝かせ熟成させなくてはならない。
少なくとも十年近く寝かせた酒でなくては回復効果が見込めない。
しかし、獣人族の酒は低級マナ・ポーション並みの回復力を得られる。これにはゼロスも脱帽するほどに驚いた。
「酒はいいぜぇ~。というわけだから、飲め! とことんまで飲めぇ!!」
「空きっ腹にキツイんですがぁ!?」
盃になみなみと注がれる酒。
これは不味いとアドに助けを求めようとしたが、アドは既に酒を飲まされ目を回していた。彼はアルコールの類に相当弱いようだ。
代わりになぜかザザがつき合わされている。
「そ、そうだ! ここはブロス君に……」
すかさずブロスに助けを求めようとしたが――。
「アンタぁ~……今夜はアタイの相手をしてくれるんだろぉ?」
「駄目ぇ、今夜は私なんだからぁ!」
「アンタは昨日かわいがってもらったでしょ? 今日は私よ」
「ハハハ……困ったなぁ~」
――奥さんに囲まれていた。
三十人以上もいては、夜のお相手の順番を決めるのも楽ではないのだろう。
最悪全員と相手しなくてはならず、それもブロスは自覚しているのか目が死んでいた。
「ブロス君………「もげちまえっ!!」」
「なんてことを言うのさ!」
おっさんの嫉妬は見苦しかった。
なぜか『もげちまえっ!!』の一言だけザザの声と重なっていたのだが、おっさんはそこに気づいていない。
「助けてよ、ゼロスさん……。明日からは行軍してカルマール要塞に向かわなきゃならないのに、奥さん達の相手をして遅れますじゃ示しがつかないよ」
「無理。僕は夫婦間のいざこざに首を突っ込む気はないし、何より彼女達の目が『邪魔するなら殺す』って無言の圧力をかけてきているからねぇ……。馬に蹴られたくはないのだよ」
「そんなぁ~……」
「かわりにこれをあげよう」
インベントリから取り出した瓶をブロスに投げ渡す。
瓶のラベルには【ドクトル・ムッハァ~】と書かれていた。
「あの……ゼロスさん? これは……」
「それを飲めば、誰もが一時的に夜の帝王になれるよ。ガンバレ~……」
「いやだぁ~~~っ! 搾り取られるぅ~~~~~っ!!」
「グッドラック」
奥さんに引き摺られながら、ブロス君はテントへと連れ込まれていった。
これにより、おっさんは獣人族の男達から注がれる酒からも逃れることができなくなり、腹を括って飲み干すことに決めた。
やがて深夜が訪れる頃、騒ぎまくる大勢の獣人達を横目に途中からちびちびとペース配分をしつつ、『今夜も徹夜かな……』などと呟きながら酒を楽しむのであった。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
ガルドア・カーバインは闇の中にいた。
どこへ向かうも目の前は無明の闇が広がっており、その闇の奥からは背筋が凍るほどの殺意が自分へと向けられ、絶望だけがそこにあるだけであった。
『こ……ここはどこなのだ。儂の部下たちはどこへ……』
周囲から放たれている殺意が、自分が戦場の真っただ中にいることを教えてくれるが、同時に孤立無援状態であることを示している。
更に言うのであれば敵陣に深く踏み込んでおり、もはや逃げ場など無いに等しい。
それでも生きるためには闇の中を進むしかない。
長い時間、ガルドアは闇の中を彷徨い続けた。
いつの間にか考えることを止め、どこへ行く当てもなく疲労に耐えながらもただ歩き続ける。
――ビシャ。
殺意漂う闇の中で自我が失われかけた時、自分の足元がぬかるんでいることに気づく。
その瞬間、世界は一変する。
破壊され尽くした砦。
おびただしい量の血液が流れぬかるんだ地面と、横たわる大勢の騎士達の躯。
騎士達を地獄へと落とした憎悪を滾らせる獣人族の大集団。
そして、瓦礫の上で自分を見下ろす一人の少年。
大型の魔物の骨と金属を癒着させたかのような異様な大剣からは、大勢の騎士達の命を喰らったであろうことを示すかのように、血液だけが残滓としてしたたり落ちている。
『お、お前がこれをやったのか……』
ガルドアの問いかけに少年は何も答えない。
魔物の頭骨で作られた兜の奥には、ただ獲物を見るかのような獣の眼光だけが光っていた。
おぞましかった……。
それ以上に猛々しくも美しかった……。
古き神話で語られるような英雄とは、まさに彼のような姿なのかもしれない。
そして、この英雄に喰われるのは自分であると理解する。
『………ただでは死なぬぞ』
そう苦し紛れに吐き捨てると、ガルドアは剣を構えた。
すると目の前の少年は大剣を軽々と持ち上げると、ガルドアに向けて切っ先を突きつける。
『『『『『ウォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』』』』』
獣人達は一斉に雄叫びを上げ、ガルドアへ向けて殺到した。
怒り・憎しみ・悲しみ・恨み……。
長い歴史の中で蓄積されたあらゆる負の感情を武器に込め、敵に復讐する一点に集約した獣人族は、まるで津波のように襲い掛かってくる。
『ぬおぉおおおおおおおっ!!』
剣を手にガルドアは押し寄せる獣人族の中へと挑んでいく。
そして……闇に呑まれた。
「うぉおおおっ!?」
ガルドアは叫びながらベッドの上ではね起きた。
気がつけば、そこは殺意の闇に包まれた戦場などではなく、カルマール要塞の執務室隣にある自分の寝室であった。
まだ辺りは暗く、わずかに地平線の先に太陽の光が上り始めた時刻だ。
「ハァハァ……嫌な夢だ。いや、夢とは言い切れぬ、か……」
夢の中で怒涛の勢いで迫る獣人族の姿は、今まさに現実のものになろうとしている。
要塞に閉じこもっているだけでは守り切れぬ状況になりつつあるのだ。
『まさか正夢では……。いや、虫の知らせと見るべきか』
北東の方面に目を向ければ、わずかに肌にピリピリとした気配のようなものを感じ取れる。これは長いあいだ戦場などを転戦したことで培った予感のようなものだ。
多くの者達はこの感覚を覚えるまでに至らず騎士としての職務を止めていく。
騎士の視点で見るのであればガルドアは優秀な指揮官であろう。
「不吉な予感が拭えぬな。早めにこの要塞の放棄を実行せねばならぬやもしれん……。間に合えばよいのだが」
肌にひりつく感覚が残された時間が少ないことを示しているかのようだ。
冷静になろうにも嫌な予感は離れることはなく、逆に日増しに濃度が増している気がしてならない。直感がこの地にいれば間違いなく死ぬであろうと告げている。
「少し外に出て来るか……」
いつもの軍服を上着だけを残して着替えると、ガルドアは外の空気を吸いに中庭に向かう。
いつもは騎士達が鍛錬に明け暮れているこの場所も、今は人っ子一人存在しない。
まるで悪夢の中にいるかのように自分だけが取り残された気分になり、その孤独と絶望感に身震いする。今も夢の感覚が記憶に残され自身の心を暗雲で満たしている。
夜警中の衛兵達と幾度かすれ違い、城壁の上へと辿り着く。
「………」
明朝の風がガルドアの頬をなでるが、それは決して爽やかなものではなく、むしろ明確な敵意の冷たさが含まれているかのように感じる。
『もはや時間がない。この場に立って確信したわ』
平原の空気は震えていた。
見渡す限りに広がる草原は、近いうちに戦場に変わるだろう。
ガルドアは自分の直感が正しかったことと、自分達に残された時間が少ないことを確信する。握り締める掌は汗で濡れていた。
「将軍、このような時間からどうなされましたか?」
「……敵が来る」
「はっ?」
「我らが撤退するのが早いか、あるいは獣人族が攻め込んでくるのが早いか……。時を見誤れば全滅するであろう。この空気はそんな危うさを秘めておる」
「敵って、獣どもがですか? いや、この堅牢な要塞であれば、奴らがどれだけ攻めて来ようとも返り討ちにできましょう。それほど心配なさることですか?」
「お前達には分からぬか……」
それは諦めだった。
守備兵達もガルドアほどの戦闘経験を積んでいたのであれば、平原を漂う不穏な空気に警戒したかもしれないが、残念ながらそれを望むのは無茶というものだろう。
ガルドアが感じているのは所謂勘のようなものだ。
ガルドア以外の者が口にするのであれば笑う話だが、歴戦の彼が口にするのであれば確実に来る未来だと守備隊の兵は知っている。時に人知を越えた直感が生死を分けることもあるのだ。
長いこと戦場に身を置いた者でなければ辿りつけないある種の境地である。
見晴らしの良い平原をただ眺めながら、敵の有無を見るだけの仕事をしている者達には宿ることのない能力であり、多くの兵達がガルドアのこの直感で生き延びた実績があるため、それは予言に近いものとして聞こえていた。
幸いなことにこの要塞で彼の言葉を疑う者はいない。
「ほ、本当に敵が来るのですか……?」
「北東からの空気がざわめいておる。実に嫌な感じだ……今までにない規模の軍勢が攻めてくるやもしれん」
「それは……いつ頃でしょうか?」
「いや、そこまでは分からんが、ここに立って確信したわ。奴らはカルマール要塞に間違いなく近づいておる。前回攻め込めなかった奴らが、あのままおとなしく引き下がるわけがない。おそらく準備が整ったのであろうな」
「………他の者達に伝えておきます」
「うむ……我らの方針は既に伝達しておる通りだ。急がせよ」
ガルドアは全軍総撤退を命令していた。
ゆえに残された時間のうちに物資をできるだけ集め、本国へ撤収する準備を整えていた。
そもそも既にカルマール要塞やアンフォラ関門すら安全な場所とは言い難い。
長き時間をかけて行ってきたルーダ・イルルゥ平原の制圧は、獣人族側に指導者が生まれたことで全てが無駄となったことをガルドアは気づいていたが、残念なことに国の上層部がそれを理解できていない。
戦場で一刻を争う事態も本国では楽観論によって塗り潰されるからだ。
情報が錯綜していたらなお悪い。
『……アンフォラ関門に撤退するまで気が抜けぬな。最悪は本国まで攻め込まれることだが……』
獣人族は捕らえられ奴隷となった仲間を解放しつつ、急激なまでに勢力を拡大し続けている。下手をするとアンフォラ関門先にある鉱山を襲い労力にしている奴隷達も解放されかねない。
この勢いを止めようにも、今の聖騎士団では防ぎきれないのだ。
ついでに秘密兵器である火縄銃にも連射ができないという欠陥があるため、当てにするには危険すぎる。ゆえに選択肢は逃げの一手でしかなかった。
なすべきことを果たすまでガルドア将軍の心は休まらない。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
イストール魔法学院では、新たな教育プランを実施していた。
それは学院内での成績優秀者を臨時講師として一時的に雇い、低学年層から教育プランを練り直す、一種の実験のようなものだ。
当然ながら通常の学科も学年別にカリキュラムが用意されているが、成績優秀者達は基礎学科以外を担当し、それぞれの得意分野に分かれ講義をしてはその時の内容を纏め共有し、無駄なく知識を後輩達に教えていった。
まぁ、はっきり言ってしまえば成績優秀者達の講義の方が以前よりもはるかに分かりやすく、評判においても講師陣営に冷や汗を流させるほどに好評だった。
『わ、私達が存在している意味はあるのだろうか?』
上位の成績優秀者の講義を眺めていた講師は、自分の存在理由に疑問を抱いてしまった。
現在、歴史学科においてツヴェイト達ウィースラー派の生徒達が講義を行っている。
その内容は今までの歴史の中においての古き国々の政治状況や、戦争で実際に行われた戦略の講義を行い、今の時代から起こりうる未来への予想を立てられる学院生を育てるというものだ。
歴史を教えることには別に反対はしないが、ツヴェイト達が望む後輩が現れるかは未知数で、それでも手探りで講義を進めている。
「――以上のことから、アルスマール城塞都市においてのミスは人為的なもので、当時の第七騎士団の独断専行は軍規においては看過できないものだ。この戦いにおいて攻め込まれた側のトラン王国は、国家存亡の危機にもかかわらず人間性に問題のある将軍を指揮官として采配したことにある。ここまでのことで何か質問はあるか?」
「はい、質問します。この第七騎士団の将軍は、なぜ人間性に問題があると分かるのでしょうか? 騎士は名誉を重んじるものであり、この時の進撃は騎士として見れば正しいと思いますが?」
「あぁ~……それは俺達が検証して至った答えだが、この将軍は歴史書の中で見ても突撃一辺倒で、戦術を駆使した戦いを行ったことがない。もしくは記録にすら残っていない」
「あの……記録にないのであれば、将軍がどのような人物か細部まで分からないのでは?」
「それは敵国側であるアサン国の戦略を見ればわかるだろう」
ツヴェイトは黒板に第七師団が突撃した背景を書いていった。
敵国であったアサン国の動きはどう見ても戦術を駆使したものであり、逆にトラン王国の騎士団の動きだが、まるで誘導されているような動きを辿っている。
「このアサン国の本陣がここで撤退を開始したわけだが、そもそも兵力でも勝り周辺の砦や都市を抑えていた。力押しでも制圧するには充分な兵力があったんだよ。撤退指示をだす意味がこの時点でないわけだ。では、なぜアサン国はここで動きを変える必要があったと思う?」
「この動きを見るからに、わざと引いて見せた……でしょうか?」
「そうだな。だが、それだけではないと思う。戦において自軍の兵力の損耗は少ないに越したことはない。しかも戦場となった場所は城塞都市で攻め込む側が最もキツイ攻城戦だ。アサン国はこの第七騎士団を動かすため、意図的に隙を見せたんだろうな」
「なるほど……」
「そして第七騎士団はまんまと釣られた。このことから指揮官の将軍は短慮で、何でも力押しで突き進む蛮勇な性格なのだろうと分かる。第一、アサン国のこの動きはあまりに露骨すぎるだろ。馬鹿にしているとしか思えない不自然さだぞ? なんで攻め込める好機と捉えたのか俺には分からん……」
講堂内にかすかに笑いが上がる。
黒板に描かれた戦場の動きは、どう見ても『これ、どう考えても罠だろ。誘っているとしか思えねぇ~』というような不自然な動きだったのだ。
こんな戦術に簡単に引っかかった将軍は愚かだったとしか考えられない。
「むしろ怖いのはアサン国側だな。これはトラン王国側の正確な情報を持っていたんだと思うぞ。それこそ将軍の性格まで込みでな……。そして土壇場で作戦を変えてきた……いや、計算通りか?」
「質問、この作戦が計算づくだとなぜわかるんですか?」
「それは最初の陣形だな。当初はアスマール城塞都市を囲み、補給すらできないよう城門前を抑え長期戦の構えだ。いくら相手側が防衛戦をしていたからとはいえ、この包囲陣形を崩す必要は全くない。時間を掛ければ落とせるのだからな。第七騎士団が出てきたのを確認してから各部隊に連絡し動きを変えたか、あらかじめ予測していたとしか思えない動きだろう?」
「なるほど……。あれ? じゃあ最初からこの将軍の率いる第七騎士団を誘うための布石だったのでは……」
「当時のアサン国の軍師……【ラクノア・フューレン】。相当な切れ者だぞ。第七騎士団の将軍は馬鹿だったが、配下の騎士達の練度は高かった。今後のことを考えると、損耗を抑えるためには真っ先に潰す必要があったんだよ。指揮官が蛮勇だけの無能だと理解していたから実行した作戦だな」
それは戦争において正確な情報が何よりも重要であることを示していた。
正しい情報を知り戦術を練る参考材料として使い、犠牲を0にすることはできないが、味方の損耗を最小限に抑える作戦を考えることはできる。
その結果、力で押し潰すことが主体の第七騎士団は、見事なまでの四方から集中攻撃を受けて瓦解した。
「怖いのは有能な敵ではなく無能な味方ということだな。こんなあからさまな誘いに乗ったということは、指揮している将軍は自尊心や功名心、出世欲も強い傾向があるとみられる。むしろ無能な野心家だったら敵として戦うには楽な相手だろう」
「短慮で考えなしの野心家って……めちゃくちゃ救いようがないですよね」
「なんにしてもこの戦いで戦局は大きく崩れ、以降は立て直しもできずトラン王国は滅亡することになる。アサン国も十年後に当時のメーティス聖国によって滅ぼされ、中原の覇者は決まったわけだ。メーティス聖法神国が大国になった理由はこの二か国が潰し合った結果だな」
ツヴェイトが言い終えると同時に講義終了の鐘が鳴り響いた。
講義終了の時間が来たため、授業を見ていた講師がこれ以上の講義を止めに入る。
「はい、ここまで! 以降の講義は三日後です」
「起立! 礼!」
これによりツヴェイト達の講義は終わり、挨拶をした後に退室が始まった。
後輩達が部屋から出ていくのを見送りながら、ツヴェイトは疲れたように溜息を吐く。
「ふぅ……人に教えるのは難しいな」
「結構、様になってたよ?」
「よせよ。俺は人に何かを教えるのは向いてないぞ」
「いや、なかなかの講師ぶりでしたよ。ツヴェイト君とディーオ君……。君達は立派に役割を務めてくれている」
講師に褒められ、恭しく頭を下げる二人。
だが、内心では緊張の連続で精神的にくるものがあり、慣れるにはしばらく時間が掛かりそうであった。
「いや、私よりも講師らしいよ……。ほんと、私がこの学院にいる意味があるのかなぁ~……。もう、田舎に帰ろうかな……ハハハ」
『『 めっちゃ落ち込んでるぅ!? 』』
そして、知らないうちに講師の自信を完膚なきまでに粉砕していた。
ツヴェイト達は歴史的観点から昔の政治や亡国に至るまでの経緯を調べ上げており、歴史に関しては講師達と遜色ないどころか、それ以上のレベルまで知識を深めている。
ウィースラー派の生徒の大多数がそのレベルにあるのだ。
学院卒業後に魔導士団の下っ端として仕事をし、構造改革で流されてきた講師達とは知識の深さが異なるため、彼らが落ち込むのも無理はない。
言ってしまえば基礎学しか知らないまま講師を押し付けられた者と専門家の違いだ。
ツヴェイト達は事実上、歴史学者の予備軍みたいなものである。
「しかし……なんで旧トラン王国の政治考察講義から、滅亡した歴史的な戦争の講義に話が変わったんだ? まぁ、やりやすかったからいいけどよ」
「たぶん、滅亡する原因が王侯貴族の怠慢と増長だと、ツヴェイトがざっくばらんに教えたからじゃないかな? おかげで時間が思いっきり余ったんだよ」
「いや、だってよ……汚職収賄が横行するような国だったんだぞ? 民を蔑ろにして国内を退廃させたから諸外国が付け入る隙を与えたんだろ。こんな内容なら短時間で済む話だ」
「同感だけど、もっと細かく教えてもよかったんじゃないかい? いくらなんでも、『三代目が周囲から祭り上げられ、増長して政治を腐らせた』って一言で済ませるのは問題じゃないかな?」
「それ以外になんて言うんだ。一応だが、細かく当時の状況も教えたんだから問題はないだろ」
「それだって思いっきり端折ってたよ? 俺がフォローを入れなかったら中途半端な内容だったと思うし、もっと要点を抑えて教えようよ」
さっそく始める問題点の粗探し。
しかしなが講師には彼らの話についていくことができない。
何しろ随分と昔に学院で教えられた歴史しか知らないからだ。
「すまない……私には君達の言っていることの半分も分からないんだ。それと反省点を語り合うのであれば、別の部屋でやってもらえないかね?」
「あっ、すみません。そもそも講義内容の報告と精査は、あとから報告会で語り合うって決めたんだった。申し訳ありませんでした」
「けど、いろいろと至らないところは見えてきたから、今のうちに纏めておこうよ」
「それはいいから、次の講義でここを使うから退室したまえ。私も職員室に戻って次の講義の準備をしなくてはならないからね」
講師は嘘をついていた。
彼はこの後の時間は暇になる。しかし、この場に残っていると自分と上位成績者を比べてしまい、深い自己嫌悪とジレンマの泥沼に陥りかねない。
そんな考えを持ってしまう矮小さに耐えられず、急かすようにツヴェイト達の退室を促した。
「次の講義はどうする? クラトス戦役の話にするか?」
「それは無茶だよ。クラトス戦役の状況はかなり混乱していたから、まだ誰も確証を持って論文に出せるような内容でもないんだしさ。下手をすると架空戦記的な話になるよ」
「それでも歴史的な転換期に起きた戦争だろ。後輩が柔軟な考え方を持つように促すには、格好の題材と俺は思うんだが……」
「ハードルが高すぎると思うよ」
『頼もしいなぁ~。私がいる必要性がないけど……』
講師はツヴェイト達の立ち去る背中を見送りながら、完全に自信喪失していた。
同時に『いっそ彼らに講義を全部押し付けた方が早くね?』とも思う。
そんな無責任な自分が嫌になり、重苦しい溜息を吐くのであった。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
馬車はゆくゆく、おっさん一行を乗せ平原を……。
荷馬車で揺られるゼロスとアドは片や寝不足、片や二日酔いの状態だ。
特にアドは馬車に揺られ過ぎたのか酔いが悪化し、吐き気を何とか必死に抑えているのだが、込み上げたものを堪えるためか口元を手で押さえ顔色も悪い。
寝不足のゼロスの方がまだ健康そうだ。
「アド君、酒に弱かったんだねぇ」
「……うぷっ! 頭がいでぇ……ぎぼぢばどぅい……」
「しかも馬車に揺られてりゃ、そら気持ち悪くなるよねぇ。乗り心地がむちゃくちゃ悪いし」
「お……俺より、向こうが……深刻だろ…」
震える手で刺すその先には、奥さんに囲まれハーレム状態のブロスの姿があった。
しかし、その彼の表情にはまるで生気が無く、そして可哀そうなくらいカッサカサにやつれていた。
『『 絞られちゃったんだなぁ~……… 』』
ゼロスとアドはハーレムの恐ろしさというものを知る。
特に獣人族は性には奔放で、そのうえ野生の本能に素直で忠実なのだ。当然だが夜の営みは激しい。
しかもブロスの奥さんは三十人以上で、これからも増える可能性が高い。
ますますブロス争奪戦が激しくなることだろう。
そんなブロスの悲惨な姿を、血の涙を流しながら羨む者がいる。
「う、うらやましい……」
「いや、さすがにあんな姿を見せられちゃ、羨ましいとは思えないんだけど? ザザさんはあんな風に干からびたいのかい?」
「ゼロス殿……私、いや俺はですね、なにも大勢の女性に囲まれたわけじゃないんですよ。ただ一人、愛する女性がいればいいんです」
「そこは同感ですが、あんなブロス君の悲惨な姿を見せられて、血の涙を流すほど羨みますかい? 逆に女性の恐ろしさを知って結婚願望が無くなると思うんですがねぇ」
「ブロス殿には同情くらいはしますよ。ですがね………男なら誰も大勢の女性に愛されることを夢見るものじゃないですかぁ!! そんなうらやまけしからん人物が目の前にいたら、そら嫉妬くらいしますよ!」
ゼロスは自分の知る人物とザザとの間に、共通する何かを感じ取った。
異なるのは、ザザは常識を弁えておりハーレム願望は低い。
それでも自分の欲望を思わず口にしてしまう残念さは、勢いで欲望任せに行動し奴隷落ちまでした、どこかのおバカさんを彷彿させる。
「ザザさん……俺が言うのもなんだが、一言に一人の女性といっても奥さんになる女性は性格を含めて良く選んだ方がいい。凄まじく嫉妬深い性格だと………死ぬぜ」
「死ぬぅ!?」
『アド君が言うと説得力があるなぁ~……』
経験者は語る。
まぁ、嫉妬深い=一途ともとれるので、一人の女性を愛し続けられるのであれば問題はない。しかしこの世界は一夫多妻や一妻多夫が多いのだ。
しかも聖法神国以外は法律で正式に認められているので、大家族は一般的である。
まぁ、裕福な家庭か土地持ちの農家の差はあるが……。
ただし、貴族や商人でもない限り生活はかなり困窮しているだろう。
「いや、女性の中には惚れた男の近づく女性を過度に許さない、恐ろしく苛烈な性格持ちもいるんだ。うっかり捕まったら、たとえ職場の女性と話すだけでも背中から刺される」
「いやいや、そんな女性がいるわけないでしょ。それ嫉妬というより執着心が凄いだけでは?」
「「 その両方だからタチが悪いんだ…… 」」
「えっ? えぇ~………?」
嫉妬心か執着心のどちらからならまだ救いはあるが、その両方が強いうえに凄まじく粘着質だったら地獄である。
ゼロスとアドはその典型的な例を知っているだけに、ザザに注意を促した。
だが、そんな二人の心配――いや忠告の意味をザザが理解できたかは微妙である。
「しかし……このルーダ・イルルゥ平原は妙なところだねぇ」
「たまに旧時代の建物が廃墟となって見られますからな。痛みが激しくてかつての姿がどんなものだったかは分かりませんが……」
「掘ってもガラクタしか出て来なさそうだな……。ブロスや獣人族の連中は、そのガラクタから武器を作っているんだけどな……うっぷ!?」
「ブロス君も地道なことをやってたんだなぁ~……」
ルーダ・イルルゥ平原には魔導文明期の建造物が朽ち果て、まるで墓標のような姿を現在に至るまで残している。
しかし、その全てがビルであった原形が僅かに見て取れるものや、地中に埋もれ確認できないものが多い。民家などは既に崩壊して残されていないだろう。
稀にこの地には遺物を発掘するトレジャーハンターなどが現れ盗掘をし、彼らが持ち去るものの大半がガラクタにすぎないが、魔導士達にとっては貴重な資料として相応の値段で取引されていた。
クロイサスがガラクタを購入しているのも、その手の連中から買い取っているからだろう。
「トレジャーハンターって、どこからくるんだい? もしかして西の大国を経由して、迂回する形でこっちに売りにきていたのかねぇ?」
「というより、グラナドス帝国がトレジャーハンター達の拠点ですよ。あの国は小国を打ち倒して領土にするたび、ころころと国名を変えるので面倒だから帝国って呼んでますがね」
「そんなに国名を変えているので?」
「あまり知られていないでしょうが、実はここ150年くらいで四回ほど……。正式に公表する前に皇帝が死去したり、国内でいろいろ問題があって有耶無耶になったとか……。ソリステア魔法王国は最東端に位置する国ですから気にしていないでしょうけど、イサラス王国はルーダ・イルルゥ平原を越えて直接帝国の使者が訪れますので、また国名を覚えるのが面倒なんです」
メルギルド帝国からグラナドス帝国に改名するまで、数回国名の変更があったようだ。
ただ、それが浸透する前に国内の事情で正式な公表されず、周囲に触れ回った名残だけを残し全て忘却されていった。
変更した国名を告げられた国はいい迷惑であっただろう。
おっさんは心の中で『千の国名を持つ国』と勝手に命名したが、それよりも気になることを聞いた。
「ほう……使者が来るのですか」
「まぁ、来ないときには2~30年ほど極端に間が空きますが、その時になって初めて国名が変わったことを知らされるんですよね」
気になるのは、西の大国がルーダ・イルルゥ平原を横断する危険を冒してまで、イサラス王国のような小国に使者を送るのかだ。
同盟を結ぶための外交使節団かと思ったが、それにしてはイサラス王国に来訪する使者のスパンが長すぎ、とても交易や軍事同盟などが目的とは思えない。
北東の弱小国家に使節団を送る理由がどうしても薄いのだ。
「……密偵の拠点代わりにイサラス王国を利用するにも、ルーダ・イルルゥ平原を越える必要があるから意味がない。何の目的なんだか」
「そもそも、密偵だけなら直接メーティス聖法神国に送り込むだけで済みますから、彼らが何の目的があるのか私達にも分からないのですよ」
「う~ん、長期的な視点で見て……イサラス王国の軍事力が知りたかったんじゃないですか? メーティス聖法神国に攻め込むには国土が広すぎますし、戦争するにも敵国の政治が安定されては困る。多面作戦で攻め込むための駒として使うのに、戦力を調べていたのではないんですかねぇ?」
「我らを利用するつもりだと?」
「獣人族はともかく、メーティス聖法神国の国力は奪う必要がありますからねぇ。周辺の小国家が戦争を起こしてくれれば万々歳」
「なるほど……」
所詮は憶測だ。
だが、それ以外に西の大国が北東の弱小国に使者を送る理由が見当たらない。
逆に言うとグラナドス帝国は中原の豊かな土地を狙っているともとれる。
イサラス王国が攻め込んだとしても維持できる領土は限られており、軍事力で圧倒するグラナドス帝国はイサラス王国が攻め込む以上の領土を奪うことができるが、戦争による消耗は少ないことに越したことはない。
別の場所で戦争が起きてくれれば、それだけで十分に助かるのだ。
「まさか、帝国は大陸全土を手中に収めるつもりだと?」
「それは無理だと思うけどねぇ。国土が広くなれば維持も難しくなる。ただ、目の前の邪魔な宗教国には消えてもらいたいってところじゃな……」
「オロロロロロロロロロ……」
「「………………」」
真面目な話の最中にアドがリバースしていた。
何もかもを残念な感じでぶち壊したアドに、ゼロスとザザは『『アド君(殿)、君には凄くガッカリしたよ……』』と、心の中で呟く。
そんな二人の心境を知らず、アドは二日酔いと馬車酔いのダブルパンチで苦しんでいた。




