おっさん、オーラス大河を北上す
サントールの街から少し離れた、オーラス大河の畔にある森の中。
朝露に濡れながらも、ゼロスとアドはルーダ・イルルゥ平原に向かうべく、案内人との合流場所の河原へ向かっていた。
辺りは静寂に包まれ、聞こえてくるのは河の流れと着衣に触れる草木の擦れ音、あとは自身の立てる足音くらいのものである。
「指定された合流地点はこの辺りのはずなんだが……」
「人の気配がないねぇ。もしかして隠密スキルか何かで潜伏で見してるのかな?」
大雑把に書かれた地図のみを頼り、二人は周囲の気配を探る。
わずかに感じる小動物の気配以外に人のいる形跡など見当たらない。
涼やかな朝の風だけが静かに流れているだけである。
「オーラス大河の畔と言ってもだいぶ広いんだが……」
「まぁ、まっすぐ進めば案内人がいるでしょ。たぶん……」
「大丈夫かよ」
多くの人々が寝ている時間に起き、急いで街を出てみたが待ち人はどこにも見当たらない。
それでも最初は散歩をしているみたいで気分がよかったが、 しばらくすると会話も続かなくなり沈黙がきつかった。ゼロスとアドの共通の話題など、とっくに出尽くしている。
そろそろ案内人が出てきてもいいのでは思いつつ、無言のまま足を進めると、森の先に人の気配を感じ取った。
「向こうだね」
「おっし、さっさと合流しよう」
人の気配のある方向へ足早に進むと、河辺に一人の男が立っていた。
アドはその人物の顔に見覚えが確かにあった。
「あっ……」
「おぉ、アド殿! お久しぶりです」
「えっと……確か、ダダさんだったっけ?」
「ザザです。簡単な名前なんだから覚えていてくださいよ」
「いや、しばらく顔を合わせなかったからさ、すっかり忘れてた」
「……ひでぇ」
一緒に長旅をした仲だというのに名前を忘れられ、ザザはショックを受けていた。
まぁ、少し前までアドにとってはイサラス王国の事情など利用できかどうか程度のものでしかなく、四神への復讐心だけで動いていたこともあり、他人の名前などどうでも良かった。
「アド君や、さすがに失礼でしょ」
「あまり会わないでいると、相手の顔と名前が一致しなくなるんだよなぁ~」
「それは分からないでもないけどね」
「アド殿、そちらの方は?」
ザザは同行しているゼロスに一瞬だが警戒の色を見せた。
だがそれもすぐに消える。
そんな一瞬の表情の変化をゼロスは見逃さなかったが。
「えっと、この人はゼロスさんと言って……。まぁ、俺の師匠みたいなもんかな」
「ども、ソリステア公爵家側から派遣されたゼロス・マーリンと言います。道中はお世話になりますよ。僕のことは気兼ねなく大将と呼んでください」
「いや、大将って……」
「パピーでもいいですよ?」
「「 親じゃねぇだろ 」」
「僕も君達のような大きい子供を持った覚えはない」
『『 なら、なんで言ったし…… 』』
いろいろな意味でゼロスが掴みどころのない相手だと認識したザザであった。
「ところで、なぜに集合場所を河沿いにしたんです? この国からルーダ・イルルゥ平原に向かうには陸路しかないんですが……」
「それはゼロスさんが……」
「河を北上した方が早く到着するからですよ。そのためにこんなものを用意しました。チャラララ~ン♪ ゴムっぽいボートと船外機ぃ~~っ!」
「待て、ゴムっぽいってなんだよ」
「素材がスライムだからゴムじゃない」
「別にゴムボートでもいいだろ」
ゴムボートはアドも知っているが船外機という言葉は初めて聞いた。
船外機とは、主に小型漁船の後部に取り付けられるスクリュー付きのエンジンのことで、モーターボートを思い浮かべればわかりやすいだろう。
しかし、おっさんが持ち出した船外機はウォータージェット噴射による水圧で加速させるもので、一応ゴムボートにも取り付けられる仕様にとりあえずなってはいるのだが、やっつけ仕事感が拭えないほど不格好な形状をしており不安がある。
ザザも初めて見るものなのでさすがに戸惑う。
『な、なんだ。これは……』
ザザの目の前で必死に空気ポンプでゴムボートを膨らませている二人。
超高速で膨らみ続けるソレは、空気が満杯になってやっとボートの形になったことで、ザザは本気で大河をさかのぼるつもりなのだと認識した。
「ウォータージェット推進なんてものも作ってたのかよ」
「釣りをするんだから必要でしょ。それよりしっかり固定してくれよ? 途中でエンジンだけが河に落ちることのないようにね」
「それはゼロスさんの技術にもよるな」
「だから取り付け作業をアド君に任せてるんじゃないか」
「万が一の時に、俺へ責任を押し付けるためかぁ!?」
「そぉ~んなことは…………ないよ? それより河に浮かべるのを手伝ってほしいな。見た目よりも重いんだよ」
「そのやけに長い間がなければ、俺も少しは信じたんだけどな」
文句を言いつつゴムボートをオーラス大河に浮かべ乗り込む二人。
すっかり蚊帳の外にされ呆然としていたザザだが、ここでようやく我に返り自身も急ぎゴムボートへと乗り込む。
「アド殿……。これ、大丈夫なんですか?」
「作ったのがゼロスさんだからなぁ~、ちょっと信用できない」
「冗談、ですよね?」
「冗談だったらよかったんだけどなぁ~……ははは」
「さて、んじゃエンジン始動! さぁ、乗った乗った」
船外機の駆動音は静かだった。
だが、駆動音が静かだからといって速力が無いとは限らない。
むしろありすぎた。
オーラス大河に乗り出して直ぐに、途轍もない速度でゴムボートは北上を開始した。
「ぎゃぁあああああああああああああああぁぁぁぁぁっ!!」
レース用ボート顔負けの加速力は、ザザとって初めての経験であった。
未体験の速度は彼の本能から恐怖心を呼び起こし、流れの速いオーラス大河の水面で飛び跳ねては不安を煽り、頻繁に襲う浮遊感が死を覚悟させた。
これはもう暴走である。
「……予想より加速力があったねぇ」
「いや、ありすぎだろぉ!? この調子じゃ、いつ転覆するか分からねぇぞ!」
「しがみついていれば大丈夫じゃね?」
「途中で力尽きると思うぞ? カーブで吹っ飛ばされんじゃねぇか、主にザザさんが……」
「言ってる傍からカーブだ。アド君、重心移動を頼む」
「いぎゃぁああああああああああああぁぁぁぁぁっ!?」
オーラス大河は真直ぐな河ではない。
岩場もあれば崖もあり、当然だが橋もある。
当然だが湾曲した場所がいくつもあり、超加速で突き進むゴムボートでは曲がり切れず、転覆するだけならまだいいが下手をすると岩壁に激突しかねない。
そんな危険な速度で突き進むゴムボートは、断崖スレスレを見事なコーナーリングで曲がっていく。
ザザは鼻先に壁面が翳めていく瞬間は、さすがに生きた心地がしなかった。
気が付けば比較的新しい橋の下を通過していたりする。
「ゼロスさん……今、橋を通過したよな? 最近になって架けられた比較的新しい橋」
「通過したねぇ~。あそこの工事は僕も参加したんだけど、正直きつかったよ。ドワーフ達に散々駄目出しされなぁ~」
「そこは別にいいんだ。確か、この先には水面に柱が出てなかったっけ? 魔法少女やスーパーロボの彫刻が飾られた、ギリシャ建築風のヤツ……」
「アレも僕が作ったんだよ。新魔法の実験と水流の撹拌を目的としてたんだけどさぁ~、そこでもドワーフ達に見つかっちゃってねぇ~。いやぁ~ダメだしされて酷い目に遭ったなぁ~、後から撹拌柱って名付けられてたっけ……」
「この速度で突っ込んでいくのは問題ないか? あの柱、隙間を交互にずらして立てられてたろ。ぶつからね? しかも先はスラロームみたいに河が曲がりくねっていたような……」
「……マジ?」
以前、ゼロスが橋の建築を手伝っていた時に、土木魔法の実験として建てた柱。
等間隔で水面から直立しているが、水面から下は舟形のような形状で、水流の調整をするため意図的に凹凸が作られている。
横に整然と並んでいるように見えるが、それはあくまで岸側から見た状況だ。
オーラス大河から見てみると交互にずれているので、大型の船では通過することはできない幅で、中型船で何とかギリギリの間隔だ。
ゴムボートであれば楽に通過は可能だろうが、問題は速力である。
しかも先の地形はスラロームのように蛇行しており、河からは岩も突き出している個所も多く、このまま直進するにはあまりに危険すぎた。
「スピードを落としてくれぇ!」
「それなんだけどねぇ、さっきからスピードが落ちないんだわ……。圧縮結合させた魔石の魔力が切れるまで暴走し続けるんだなぁ~……ごめん」
「「 う、うせやろ……? 」」
二人の顔が引きつる。
そうこう言う間に撹拌柱が迫ってきた。
迂闊に重心を移動すれば、ゴムボートが吹き飛びかねない速度なので、アドはタイミングを見極めようとするが、内心は見た目よりも冷静ではいられない。
しかも案内人であるザザもいるので、他人の命も守らねばならず焦る心との戦いであった。
「前方から船が来ないことを祈ろう」
「なんで焦らせるようなことを言うんだよぉ!?」
「僕達は死なないさ。魔法があるもの」
「どこかのヒロインみたいなセリフを吐くなや、ザザさんはそうはいかんだろぉ!」
「………あっ」
「忘れてたのかぁ!?」
おっさんはおまけがいることを忘れていた。
そのザザは顔面蒼白で、まるで龍王の背に乗っているかのような恐怖に苛まれている。
スピードに対してトラウマが刻まれないかが心配だ。
「う~ん、この速度だと波に弾かれて横滑りしそうだねぇ。吹っ飛んだらマジでゴメン」
「「 不吉なことを言うなぁ!! ……あっ 」」
「おっ?」
言ってる傍から想定外の波によって態勢が崩れ、ゼロス達は浮遊感を感じた瞬間、ゴムボートは無情にも横滑りを始める。
おっさんは船外機を必死に調整してバランスを保とうとし、アドも重心移動をすることでサポートするも、その勢いは止まらない。
「ぶつかる! このままじゃ柱にぶつかる!!」
「こなくそぉ!」
「ひぃいいいいいいいいぃぃぃっ!?」
迫ってくる柱の間を、ギリギリで態勢を整えたゴムボートは凄まじく極端な蛇行をし、柱の間を縫うように通過していった。
幸運にも態勢を整えられた要因は、柱が迫ってくる恐怖に怯え逃げだそうとしたザザが脱出に失敗し、倒れた拍子に加えられた衝撃による加重だった。
だが、それでこの恐怖が終わるわけではない。
「……た、助かった」
「ザザさん、まだ安心はできないぞ」
「アド君の話では、この先かなり蛇行しているらしいじゃないか。この速度で突入して大丈夫だと思うかい?」
「「「 ・・・・・・・・・ 」」」
河川とは、上流に行くほど川幅が狭くなっていく。
他にも浅瀬や岩場、中州などと障害物が存在しており、ジェットコースターを越えた絶叫マシーンのごとく加速するゴムボートで通過するには、あまりにも無謀すぎる。
「こんなことで命を懸けたくなぁ~~~~いっ!!」
「ハングオンダだ。ハングオンでカーブをつっきれ!」
「バイクじゃねぇんだぞ、無茶を言うなや!」
オーラス大河に男達の叫びが響き渡る。
上流へ行くほどに難易度が上がり、命がけの綱渡りのような時間が続いた。
進むは地獄、気を抜いても地獄、諦めたらそこで人生終了。
彼らには逃げ場などなかった。
「岩がぁ、前に岩がぁ!?」
「こりゃ、死んだな……」
「エクスプロード!」
「魚がぁ!? デカい魚がこっちに迫って!?」
「アレは【ビッグリップ】だねぇ、別名オオグチカワアンコウ……。鍋にしたら美味いやつだ」
「追いつかれたらボートごと食われるぞ!!」
彼らはあらゆる手段を用いて立ち塞がる苦難を乗り越える。
泣きながら、喚きながら、叫びながら……。
飛び上がり、跳ねまわり、吹き飛びつつ立ち塞がるものを粉砕し、破砕し、破壊をもたらしながら先へと進む。
そもそも暴走しているので止めようがない。
イサラス王国とメーティス聖法神国との国境付近に到着するまで、ゴムボートはノンストップであったとか――合掌。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
イストール魔法学院にて、成績上位者達は無茶な要求にめげず今後の魔導士育成についての方針をまとめたレポートは、講師達が多少目を通しただけで即時採用となった。
問題なのは中等部や高等部の臨時講師を押し付けられ、その後もひと悶着あったが何とかローテーションを組むことで妥協し、翌日に直ぐに実行することを強要される。
だが、いきなり中等部から上の学年を任せるには準備が足りず、とりあえず基礎優先の初等部から始めることで講師達に納得してもらった。
「……私、派閥には所属していないんですけどね」
「仕方がありませんわ。セレスティーナさんのように無所属の方々を臨時講師の任から外すのは狡いですし、わたくしもご一緒するのですから諦めてくださいまし」
「人前で教えるのはさすがに緊張します」
「これも後輩達のためですわ。それに、似たようなことなら時折やっているではございませんこと?」
「……うっ」
同級生や下級生にゼロスから教えられたものを善意で教えていたセレスティーナ。
本人は家庭教師の真似事のつもりであったが、よく考えてみれば講師の真似事をしていたともいえるので、臨時講師役など今更のことである。
だが、それと大勢の前で教鞭を振るうことは別問題だ。
「で、ですが、講義室には新入生がたくさんいるんですよ? 緊張してうまく教えられるかどうか……」
「数人に教えるのも30人ほどの新入生に教えるのも、人数が異なるだけでやることは大して変わりませんわ。いつも通りに毅然としていれば良いのです」
「キャロスティーさんは、どうしてそんなに落ち着いてられるんですか?」
「わたくしはセレスティーナさんの補佐役ですもの。困っていらっしゃるときにフォローする役回りだから楽なのですわ」
「ず、狡いです……」
「気持ちを入れ替えませんと講義中に失敗しますわよ? 講義室も目の前ですから」
うだうだと悩んでいるうちに講義室に到着してしまったセレスティーナ。
もう逃げ場はない。
緊張で鼓動が激しくなるのを深呼吸で整え、勇気を絞り出して扉を開いた。
教壇の前へと進む二人に新入生たちの視線が注がれる。
『うぅ……緊張してお腹が痛くなりそう』
早くも心が折れそうだった。
扉を開き、緊張を見せないよう振舞いながらも教壇に立つ。
「ふぅ……皆さん、初めまして。私は本日よりあなた方の指導をします、臨時講師役のセレスティーナ・ヴァン・ソリステアと言います」
「同じく、臨時講師補佐役のキャロスティー・ルド・サンジェルマンですわ。今後ともよしなに」
「私達が担当するのは基礎教科、主に魔法の指導となります。皆さんは魔導士を目指すためにこの学院へと入学したわけですが、魔導士といっても様々な職種があることはご存じだと思います。ここで教えることは魔導士としての基礎知識と、実際に魔法を仕様しての訓練などが主な講義内容になりますね。いずれは攻撃魔法や補助魔法なども覚えてもらいますが、その前に様々な心構えなどなども教えていけたらよいと思っています」
緊張のあまり長々と話し始めたセレスティーナ。
少し前まで魔法が使えなかった彼女としては、いきなり【灯火】の魔法を教えようとは思っておらず、簡単な魔法文字を使用した魔法の発動からレクチャーしていこうと考えた。
これは前回の成績上位者達による会議で、『どうせなら新しいことを試していこう』と決められたことだ。
「先ずは、基礎魔法に関して説明から始めましょう」
そう言いなら黒板に魔法陣を描いていく。
魔導士は脳内の戦時意識領域内に、自分が使える魔法の術式をインストールされているようなものなので、任意指定した術式の魔法陣を発動させず引き出すことが可能だ。
そこをチョークでなぞり黒板に魔法陣を描いていく。
これで魔法陣が誰にでも見られるようになったが、実はこの技法、地味に高騰テクだった。
魔法陣を展開した以上、魔法が発動するか否かを制御するのは術者の精神力に委ねられるからであり、意外に精神を削られるのだ。
「これが、簡単な魔法の代表とも言えるトーチですが、このように一つの魔法には様々な魔法文字によって発動の条件が緻密に構成されており、魔法陣は発動した魔法の魔力を維持するための卵の殻のようなものだと思ってください。実は、この中に書かれている魔法文字の一文に、単体だけで魔法を発動させることができるものがあります。今回からしばらく術式を使わずその文字だけで基礎講義を進めたいと思っています」
魔法文字の一文字だけで魔法が発動する。
およそ大半の人々の認識が魔法=術式という常識を覆す言葉に、生徒達が一斉にどよめく。
なにしろ常識を打ち破る言葉であったからだ。
「セレスティーナ先ぱ……いや、臨時講師。質問をよろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょう」
「その……術式の文字だけで、本当に魔法が発動するんでしょうか? にわかには信じられないのですが……」
「えっと、あなたは……えっと、クラス名簿は……。グラバーさんですね」
「いえ、マスタングです」
「あれ? 席順には……」
「入学してすぐに目が悪いものですから、グラバーに代わってもらったんですよ」
「そうですか……」
このマスタングの年齢は18歳。
ツヴェイトやクロイサスと同年代の新入生で、思わず恐縮してしまうセレスティーであった。
そう、新入生の中にはセレスティーナよりも年上の者も少なからずおり、それ自体は別に珍しいことではない。
ただ個人として、彼女は年長者に魔法の講義をするのは若干の抵抗があった。
「そもそも術式は、発動を円滑に行うために利便性を追求した結果作られたもので、魔法文字の一文が使用すべき魔法に明確な発動のイメージを与えるものであれば、魔法は簡単……とまではいきませんが、発動は可能です。問題となるの発動プロセスから制御にいたるまで、全て自分で行わなくてはならないことと、魔力の制御ができなければ一瞬で魔力枯渇を引き起こしてしまう、デメリットがありますけどね」
「では、魔力や発動した魔法を自身がコントロールできれば、どんな魔法でも自由自在に使えるということですか。術式による魔法よりも?」
「理論上はそうですが、実はそう上手くいくわけでもありません。一個人の保有する魔力量など限られていますし、私のように最初から魔力量が低い体質の方もいます。実際に制御してみると分かると思いますが、術式なしでは簡単な物理法則を明確にイメージできても発動しなければ、ただ無意味に魔力を無駄遣いすることになりますね。他に質問はありますか? 他の方でもいいですよ」
新入生達はそれぞれ顔を見合わせる。
その中で女子の一人が勢い手を挙げて質問をしてきた。
「質問! あの呪文詠唱は何とかならないのでしょうか? 正直恥ずかしいんですけど」
「あれは魔法を発動するための精神集中のようなもので、慣れていれば無詠唱でもできるようになりますよ? 術式魔法における呪文は、使用する魔法の工程を言葉にすることでイメージすることを円滑に行うものなので、魔法の発動工程を明確にイメージできれば呪文は必要ありません。これは太古のシャーマニック・マジックの名残でもあります」
「そうなんですか?」
「ですが、だからこそ自分の知識と保有する魔力の制御や、発動した魔法のコントロール技術が重要になってくるんです。例えばですが、魔法文字の一節文だけの魔法と完成された術式魔法とでは、効果はもちろん発動自体にも差が出てきますね」
魔法文字の一文だけで魔法を発動するには、発動させたい魔法の物理法則を明確に理解し想像力に依存しており、そこに自身の魔力消費の調整や制御を並行して行わなければならず、想定していた以上に精神力が削られるほど難しい。
魔法を発動させるだけであれば、既に完成された術式を使った方が効率性に優れている。
だが、現在において多くの魔導士が根幹の法則を忘れ、呪文詠唱などと言う非効率的な技法を行い、無詠唱で魔法を発動させる魔導士の数が極端に少ない事態を招いている。
そこで、あえて非効率な魔法の使用で基礎の向上や技術を学び、スキルを獲得したうえで術式による魔法へと転向し、無詠唱魔法の訓練へと移行した方が魔導士としての成長にはよい。急激な魔力消費を繰り返すことで保有魔力量も増える。
急がば回れという言葉通り、より高みへと目指すのであれば魔法の訓練方法を地道な太古レベルに戻した方が、基礎能力を高めるには都合がよかった。
「このルーン文字による魔法の行使は、太古の魔導士達が行ってきた技法です。術式の魔法で楽をして、その結果が魔導士の力の低迷を招いては本末転倒です」
「それで本当に魔法が上手く使えるのですか?」
「使えますよ。ただ、発動させられるようになるまで少し時間が掛かりますけど。試してみますか? 【ファーダ】」
セレスティーナは手のひらサイズの魔法紙に書かれた魔法文字を使い、指先に小さな火を灯した。
ファーダとはルーン文字で火を意味する言葉で、明確なイメージと魔力の制御力によって魔法が発動する。属性を意味する単語だけで発動する条件は簡単な呪符や魔法符に近い。
そんな彼女を見て新入生達は一斉に驚きの声を上げた。
「今はファーダという火を意味する言葉を使いました。他にも土を意味する【スーン】、水を意味する【アクラ】、風を意味する【フェン】。他にも光の【レイ】、闇の【アプス】と、現在分かっている魔法文字が使えますね」
「ルーンを知っているだけで魔法が使えるんですか!?」
「正しく意味を理解し、イメージできれば可能です。まぁ、制御が極端に難しくなりますけど。皆さんにはこれから同じやり方で魔法の基礎技能を訓練したいと思っています。他に質問はありませんか?」
「は~い、質問!」
「元気がいいですね。えっと……ファラさんですか。質問をどうぞ」
「魔法は発動する前に、術式を潜在意識領域に記憶させなければ魔法が発動しないと教わりました。魔法文字だけで魔法が発動するとするなら、術式を覚えなくてもいいということでしょうか」
魔導士の勘違いの一つがこの質問にある。
術式魔法は利便性が高いため、誰もが潜在意識領域に術式を記憶させるのが当然と思っていたが、実際は違う。
術式はルーン言語による物理法則の説明工程と物理変換を行うためのもので、専用のインクが必要となるが紙に書かれた魔法陣だけでも発動する。古い魔導書がこの部類に入る。
しかし、実戦においてはいちいち魔法のスクロールや魔導書を開くなど実用的でなく、何よりも複数の魔法を使う状態であれば潜在意識領域内に記憶する方が効率が良い。
理論上は術式を覚えなくとも別の方法で魔法の発動は可能だが、高度な魔法であるほど顕在化させる物理法則を正しく理解していなければ不可能であり、正しいとも言えない。
「良い質問ですね。そうですね……ここはキャロスティーさんから説明してもらいましょう」
「わたくしが!? えっと……そうですわね。わたくしはサンジェルマン派の研究室に所属していますから、術式の研究は解読方法が判明してから研究を重ね、魔法文字の属性を示す意味のある言葉だけで魔法が発動するということが判明してますわね」
「意味ある言葉……ですか?」
「そう、魔法文字――ルーンは言語なのですわ。これに物理現象に照らし合わせ法則を言語化し、発展したものが術式ということになります。ですが、ルーン言語だけの魔法と計算され尽くした術式魔法では、その効果と利便性において術式が圧倒的に勝るのです。ですから術式を記憶しないという考えはナンセンスですわね」
属性を示すルーン文字は、その言葉だけで様々な魔法の姿をイメージしやすい。
漠然と火をイメージしても人によっては劫火を想像し、ある者はろうそくの小さな火を思い浮かべる。魔法を使う上で属性を意味するルーンほど便利な言語はない。
しかし、それゆえに不安定で扱いが難しい。
実はこの講義内容を考えたのはクロイサスで、学院で教えている魔法自体は術者自身の魔力のみで発動させていることが主流で、セレスティーナのように魔力が低かった者には発動が難しい欠点がある。ならば単純なルーンによる単語だけではどうだろうか?
発動させる物理法則を明確に想像し、自身の魔力で発動させることで制御力を鍛え、ついでに魔力消費によって保有魔力量を増やす。
その基礎訓練を行った魔導士が術式魔法を使ったらどうなるか、これは実験的な意味合いもあった。
「まぁ、わたくし達もいきなり魔法文字だけで魔法を行使しろとは言いませんわ。ですから、先ずは簡単な属性のシャーマニック・マジックで下地を積み、保有魔力の増加と制御力の向上を目的とし、皆さんの基礎技量を底上げてしていきたいと思っています。
最初は発動さえ難しいでしょうけど、基礎が固まれば楽に魔法を使えるようになりますから、術式魔法を覚えるのはそれからでも遅くありません」
「――ということで、皆さんには先ほど私が言った六属性の簡単な魔法を行ってもらいます。この小さな紙に魔法文字でそれぞれの属性が書かれていますので、今からこれを皆さんに配りますね。あぁ、返却はしなくてもよいですよ? これから皆さんも自主的に訓練をするようになると思いますから」
二人は六属性の文字が書かれた魔法紙を新入生達に配り始める。
六種類の魔法紙にはそれぞれ属性を現すルーンだけが書かれており、新入生にはどれが火や水の属性なのか分からず、『術式魔法の方が楽なら、わざわざこんなの使わなくてもいいんじゃね?』という疑問を持っていた。
「皆さんには全部配り終えましたね。では、準備ができましたら皆さんにはそれぞれの属性魔法を発動してもらいます」
「「「「「 はぁあ!? 」」」」」
「発動させるコツは、自身の保有する魔力の制御と現象への変換をいかにイメージできるかによりますわ。例えば闇と言われても漠然としすぎていてイメージできないでしょう?
ですから、最初は水や土など分かりやすいもの選ぶのをお勧めしますわ」
「「「「「 いや、イメージしろと言われても…… 」」」」」
新入生達はセレスティーナ達成績上位者が戻ってくる前から講義を受けており、【灯火】や【石】などの簡単な術式魔法が使える。
精神を集中して呪文詠唱をすれば魔法が発動するので、今更こんな原始的な魔法を使う理由が分からず困惑していた。
そもそも発動できるのかすらあやしい。
「イメージとは、要するに物理法則をどれだけ理解しているかによります。『火はなぜ燃えるのか?』、『水は何から構成されているのか?』、『風はどうして動くのか?』、『土はどのようにして形成されたのか?』。そうした理解力を深めるのも講義だと思ってください」
「では、臨時講師の御二人はそれを理解しているということでしょうか?」
「当然ですわ。闇の概念は今一つ理解が及びませんけど、火や水などの基本四元素は理解できていますわよ? 今度はわたくしが手本を見せてさしあげますわ。先ずは【土】」
キャロスティーが使ったのは土の魔法文字であった。
彼女のイメージは大気を漂う塵を集め、水分などを含ませることでどこにでもある土を生み出そうと、自身の魔力を周囲に放出しながら操作する。
新入生達の目の前で、何もなかった空中に小さな土くれが出現する。
「今、土を生み出しましたわ。これを固めると……」
空中で動くわずかな土くれは一点に凝縮し、小さな小石となって床に落ちた。
観ていた新入生達の目には、無から有が生まれたかのように思えたことだろう。
「キャロスティーさん……小石を作るのは応用の範囲になりますので、彼らにはまだ早いですよ?」
「あら、そうでしたわね。でも彼らには知っておく必要があると思いましたから、サービスでちょっと早めの手本を見せてみましたのよ?」
「そういうことですか。でも、やるのでしたらもっと興味を深めるようにした方がよいのではないでしょうか? 例えば……」
セレスティーナは火と水を唱え、灯火と小さな水の塊を同時に複数生み出すと、今度は空中で動かした。
それはまるで火と水の妖精が空中で踊っているかのような、凄く幻想的な光景に見えた。
「す、凄い……」
「二つの属性魔法を同時に操るなんて」
「たった一文だけど、あれって相当難しいんじゃ……」
「ん? もしかして、風で操っているんじゃない?」
「だとしたら三属性ってことになるね」
「いや、でも風属性を現す【フェン】は唱えていないよな……。だとしたら魔法の制御力だけであんな複雑に動かしているのか? いや、まさか無詠唱で風の魔法を!?」
「光はともかく、闇ってどうイメージすればいいんだろ?」
実際のところセレスティーナが使っているのは二属性だ。
空中で浮かばせているのは魔法制御と魔力制御の同時併用によるもので、簡単にやっているように見えて実は魔力の消費が激しく、しかも精神力をガリガリと削られていた。
気を抜いただけで魔法が消滅しかねない。
逆に言うと、それだけセレスティーナの魔力と魔法の制御力が高いことになる。
「むぅ~……わたくしも、いつか複数の属性を操れるようになってみせますわ」
意外と負けず嫌いなクリスティーであった。
それはともかくとして、セレスティーナの手本を見た新入生達は俄然やる気を出し、同じようにルーン文字だけで魔法の発動に挑戦し始めた。
結果として35人中7名が発動に成功し、惜しいところまでいった者が13名、残りは発動すらしなかったという。
そして、意外にもこの講義は好評となり、なぜかセレスティーナ達が受け持つようになったとか……。
余談だが、この古代の魔法発動方法は上位成績優秀者でもなかなかうまくいかず、ほぼ全員が苦戦する羽目になった程に難しい。
発動に成功したのはゼロスの指導を受けたツヴェイトや、彼に指導を受けたウィースラー派の一部の者達、あるいはセレスティーナとキャロスティーの訓練を見て触発されたサンジェルマン派の生徒くらいだ。
ちなみに研究室に籠りきりのクロイサスは当然できなかった……。
彼は本気で嘆いていたという。
~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~
オーラス大河を北上していたゼロス達一行は、一日中ボートで暴走し続けることになり、その日の深夜になってイサラス王国とメーティス聖法神国の国境付近に辿り着いた。
食事をする暇もないほどスリル溢れるクルージングによって、アドやザザもさすがに満身創痍状態となり、無様に河辺でへばっていた。
まぁ無理もない。
「い、生きてる……。俺、生きてるよ……」
「魔石の魔力が底を尽きたからねぇ、そりゃ止まるでしょ」
「な、なんで……ゼロスさんはぴんぴんしてんだよ………」
「慣れた」
「「………」」
アドとザザの二人は言葉を返す気力もない。
一瞬でも気を抜けば地獄行きの直行便に乗っていたのだから、二人が疲労困憊する理由も分かるのだが、同じボートに乗っていたおっさんだけが妙に元気であった。
「二人ともこの調子だし、今夜はこの辺りで野宿して、朝一でルーダ・イルルゥ平原に向かうことにしよう。ところで食事はできそうかい?」
「「 無理…… 」」
「だろうねぇ~。けど、一日中食事を摂らなかったんだから、何か口にしたほうがいいだろう。今からスープでも作るから休んでるといいよ」
そう言いながらさっそく野営の準備を始めるゼロス。
この時どんなスープを飲まされたんか不明だが、アドとザザは翌日になり妙に目が冴えた状態で早朝を迎え、それから数日は疲れ知らずであったとか。
理由を問い詰めるも、ゼロスは話をはぐらかすばかりであったという。
本当に何を飲まされたのか気になるところである。




