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おっさん、二度目のお見送り


 闇を斬り裂く閃光。

 甲高い金属音と共に木々の間を飛び交う黒い影。


『クッ……手強い。拙者の技がことごとく捌かれる』


 両翼に目立つ白銀の長い羽根を刃とし、無数の斬撃を目の前の影に放つも軌道はすべて小太刀と呼ばれる剣によって逸らされ、相手に手傷すら与えられず焦燥するザンケイ。

 自らを鍛え極めんとする技の全てが、目の前の相手には通用しない。


『ウーケイは既に倒され、センケイは奴を警戒し隙を窺っている。我らでさえここまで追い込まれているのだ、他の者達では手も足も出せずに屈服したのも分かる。師夫並みの強者が敵に回ることが、これほど恐ろしいとは……』


 目の前の相手はそれほどの強者だった。

 この敵は音もなく突然に現れ、気配を感じさせることなく背後に回り、気づく間もなく仲間を静かに狩ってゆく。

 強者であることは認める。しかしコッコの中で最も強い自分達が手玉に取られるなど、あってはならないことだ。

 成す術なく敗北など、そんなことは自分達の矜持が許さない。

 だが、目の前の相手にとってその矜持ですら子供の強がり程度でしかない。それほどの強者だ。


『圧倒的だ……こんな相手をどうすれば倒せる』


 弱気は技を鈍らせ、焦りは隙を生む。

 そんな当たり前のことなど最初から分かり切っているのだが、どれだけ渾身の技を放とうとも倒せないないどころか隙すら与えてくれない敵に、嫌でも残酷な現実を理解させられ心が削られる。

 全てが無駄だった。

 それでも抗うのは武芸者としての意地のようなものだ。


『覚悟を……決めるか』


 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。

 たとえ無駄だと分かっていても、最後まで意地を通したい。

 一矢報いずして果てるなど、それこそ受け入れがたい屈辱だった。

 幸い敵は遊んでいる。

 その油断こそが付け入るべき隙だ。

 冷静に動きを見極め、身を捨てて右翼の刃から繰り出された渾身の一撃。

 だが小太刀がそれを弾き、それでも間髪入れずに左翼の刃で足元を狙うと、敵は一瞬だが体勢を崩した。

 この好機を逃せば次はない。

 

『ここだ! 【双翼十蓮解散そうよくじゅうれんげさん】!!』

『【五方刃翼ごほうじんよくのまい】』


 センケイも好機はここしかないと判断したのだろう。

 五つの方向から囲むように黒い羽根の刃が敵を襲う。

 同時にザンケイの双翼から繰り出された十連撃で逃げ場はない。

 

『『勝った!』』


 勝利を確信した。

 高質化した黒羽根が無数に突き刺さり、白刃によって切り刻まれた敵が無残に飛び散った。

 確かな手ごたえをセンケイとザンケイは感じ、生き延びたと安堵する。

 だが、敵の死を確認するため傍らに降り立った時、直ぐにそれが間違いであることに気付く。


『ば、馬鹿な……。これは、丸太!?』

『変わり身……だとぉ!? ならばヤツは……』


 敵の姿を探すため周囲を見渡したそのとき、一瞬の隙を突かれザンケイが姿を消した。


『ザ、ザンケイ!?』

「モ~~~フ~~~~~~………」

『ぬぅおわぁぁぁぁ……』


 遠ざかる奇妙な叫びとザンケイの悲鳴。

 センケイはすぐに後を追いかける。


『や、やめろ……このような屈辱。こ、殺せ……いっそひと思いに殺してくれぇ!!』

「モフモフモフモフ……」

『やめてくれ……こ、これ以上は……あぁ……』


 もう間に合わない。

 センケイはそう状況を認識した。


『……モフられたか。これで残りは我だけ……フッ、詰んだな』


 戦況は不利と判断したセンケイはただちにこの場から離脱を試みる。

 コッコ達は群れで行動する魔物だが、仲間意識や情というものはあるものの死生観についてはドライだ。敗北した者は即座に切り捨てる。

 センケイの冷徹な判断も人格からではなく本能からくる衝動だ。

 生まれながら生存本能に刻まれているからこそ、敗者には目もくれず撤退を即座に選択できるのである。だが今回は相手が悪かった。

 いや、正確には今回もだが……。


「……モ~~~~~~~フゥ~~~~っ!!」

『もう追いついてきたか……。だが、そう簡単には捕まらぬぞ』


 センケイは気配を消し闇に紛れる。

 隠密行動や奇襲、暗殺などの不意打ちを得意とするセンケイは、自然と同化する能力に長けている。

 しかしながら、それは相手も同じだ。

 何しろ相手は忍者、同じ闇に紛れる職同士の対決である。

 いや、分はセンケイの方が悪い。

 全ての気配を遮断し闇に紛れるセンケイの背後から、『もう見つけているぞ』と教えるかのように視線を感じた。


『チッ、やはり欺けんか! 【羽毛糸縛陣】、【影分身】!』


 羽毛糸縛陣は羽毛を糸状にして木々に絡ませ、蜘蛛の巣のように敵を誘導し動きを封じる自滅への誘い技である。言うなれば罠を作る技だ。

 そして影分身だが魔力体に自身の気配を乗せ、敵の目を欺く幻惑の技である。

一応攻撃も可能だが、術者本人よりも格段に攻撃力が下がる欠点がある。

センケイはこの技を同時に行い、敵の目を欺きつつ周囲に糸で縄張りを構築し、敵が引っ掛かるように誘導する計略だ。

これで失敗すれば後がない。


『クッ……未熟。咄嗟のこととはいえ分身体を10体しか作れぬとは……』


 切り札と呼ぶには心もとないが、これが今のセンケイに唯一できた抵抗だ。

 内心ではこの縄張りに引っかかってくれることを願わずにはいられない。

 しかし現実は残酷だった。

センケイは自身の気配を乗せた分身を10体作り出したが、突如としてそれ以上の数の気配が自身の周囲を囲むように現れる。


『ば、馬鹿な……質量を持った分身だというのか……?』


 強敵だというのはわかっていた。

 だが、封縛の罠をものともしない数の分身を、それも自分以上の数を作り出すとは思ってもみなかった。

 ザンケイの罠に引っかかるのは相手の分身体のみ。

 自分以上の技の使い手であることの証明、それは同時に自分の運命が決定されたと同じこと示している。

 逃げることすら許されぬと。


「もぉ~~っふもふぅ~~~~~~~~っ!!」

『く、来るなぁ――――――――――――――――っ!!』


 分身とはいえ無数の敵が自分に迫ってくるのは恐ろしい。

 そして、その分身の中には本体が必ずいる。

 そこ見極めカウンターを仕掛ければとも思ったが、相手の技量が上過ぎて判別不可能なうえに、珍妙な奇声がザンケイの冷静さを削る。

 彼は理解していた。

 この敵に掴まった者の末路を――。

 なぜなら、一度その地獄を味わったことがあるからだ。その恐怖があるからこそ冷静な対処ができない。

 そして――。


「捕まえたぁ~~~♡」

『コケェ!?』


 センケイの尾羽は敵に掴まれてしまった。

 その意味に全身から大量の冷汗が流れる。


「もふもふもふもふもふもふもふもふもふもふぅ~~~っ!!」

「コケェ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」


 後はもう、敵――アンズが満足するまで一方的にモフられるのみであった。


「真夜中になにしてるんですか、アンズさん……。こうも騒がれては眠れませんよ」

「ん……ぐんない、殲滅者。今、コッコちゃんの羽毛モフモフを堪能してるとこ」

「いや、センケイが悶絶してますが? 本当にモフってるだけ?」

「……秘密」


 ゼロスは夜更けに外が騒がしく、つい様子を見に外へと出てみれば、アンズとコッコがくだらない理由で壮絶な戦闘を行っていた。

 庭先にはセンケイと同様に悶絶したコッコやヒヨコ達が屍のように倒れている。

 

「アンズさん、明日は……いや今日か、護衛でサントールの街を離れるんでしたよねぇ。こんな真夜中に騒いでいて大丈夫なのかい?」

「だから来た。今夜を逃したら……しばらくモフれない」

「ご近所に迷惑でしょ」

「……許せ」


 アンズにとってモフることは、たとえ近所迷惑になろうとも実行せねばならない重要なことのようだ。


「ハァ~……堪能したら早く寝るんだよ。朝方には出港予定らしいじゃないか」

「問題ない……貫徹でモフって、船で寝ればいい」

「徹夜でモフるの!?」


 死屍累々となっているコッコ達を見て頭を抱えた。

 こうも一方的にやられては、さすがの武闘派コッコ達もしばらく落ち込むかもしれない。

 何しろ一矢報いることもなく手加減までされて敗北したのだから。


『コッコ達よ、君達は充分に戦った。だが、相手が悪すぎたんだよ……』


 おっさんは同情する。

 だが、助けようとはしなかった。

 ここでアンズにモフることを止めさせようとすれば、今度は自分がアンズと戦うことになるからだ。そんな面倒――もとい不毛な戦いなど望んではいない。


「ほどほどにね」

「……ん」


 こうしてサントールの街の夜は更けていった。


 ~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~

 

 

 サントールの街の船着き場はいつも喧騒に包まれている。

 荷運びを行う船員が忙しなく働き、他の街へ向かう客達は彼らを避けながら船に乗り込み、あるいは商人同士で何らかの商談を行っている姿も見られる。

 今もまた、港に船首部分が上腕二頭筋のような飾りをつけた船が入港してくる。

 船はそれぞれ入れ代わり立ち代わり入港しては出港し、サントールの街に客と商品を運び入れている。それだけこの街の経済が活発であることを示していた。


「相変わらず賑やかだねぇ」

「ここがサントールの玄関口だからな」

「一度でもいいから海を見てみるべきかねぇ」

「海か……」

「おや、ツヴェイト君は海が嫌いかい?」

「嫌いというか、海水の独特の匂いが駄目だな。先にあるという大陸や島国には興味はあるが……」

「意外に繊細だねぇ」


 ツヴェイトが外のまだ見ぬ世界にロマンを感じることには共感を覚える。

 ゼロスとしても行って見たいと思う。


「さぁ、エロムラさん。わたくしの荷物を運び入れてくださいまし」

「なんで俺が……。俺の仕事は護衛なんですけどぉ~」

「殿方は女性に親切であるべきですわよ。紳士的な殿方はポイントが高いのですわ」

「いや、それよりもなんでこんなに荷物が多いんだ? しかも重い……」

『『 エロムラ(君)…… 』』


 エロムラはキャロスティーに扱き使われていた。

 どうも以前温泉地で集団覗きを決行した首謀者がエロムラで、荷物運びは彼女なりのペナルティーらしい。

 必死で荷運びをするエロムラの横で鞭を構えているミスカが気になるが……。


「エロムラさん、キャロスティーさんの荷物が終わったら私の分もお願いします」

「うそぉ~~~ん。あれ? そういえば、アンズちゃんは?」

「アンズさんなら、船のマストの上にいますよ。どうやら眠っているようですね。そんなことよりもキリキリ働きませんと、鞭をお見舞いしますよ? あっ、もしかしてそれがお望みですか?」

「ミスカさん……俺のことをいつもどんな目で見ているんだ?」

「淑女の口からはとても言えません」

「言葉に出せないほど酷く思われてんのぉ!?」


 ゼロスが船を見上げると、マストの二段目辺りに座り、支柱に体を寄せて居眠りしているアンズの姿があった。

 明らかに落ちそうな危険な場所なのだが、船が揺れるたびに体がバランスを調整しているように見えた。


『……無意識なのか?』


 スキルによるものなのか、あるいは元から持っている平衡感覚のなせる業なのか分からないが、全く落ちる様子がない。

 なんとも器用なことである。


「見事なバランス感覚ねぇ。こういうのを技前と言うんだっけかな?」

「技前ってなんだよ」

「高等な動きをした者を称える誉め言葉かな? 僕も木の上で寝ることはできるけど、常に揺れるマストの上はちょ~っと難しそうだねぇ」

「できないとは言わないんだな……」


 どちらにしてもツヴェイトにはできないことだ。

 できたら便利そうな技術であることは確かだが、無理して覚えようとは思わない。


「そういやクロイサスのヤツはどうした? ミスカ、あいつの姿が見えないんだが、別口で学院に戻るのか?」

「いえ、いますよ。ここに」

「どこに?」

「そこの樽です」

「樽?」


 ツヴェイトがよく見ると、横倒しになった樽から銀色の髪が見えた。

 そう、クロイサスは猿轡をされ縛られただけでなく、樽の中に頭だけ出た状態で運搬されていたのだ。

 

「こいつ……なんでこんなことになってんだ?」

「クロイサス様は、学院に戻るという予定を立てておきながら準備もせず、ひたすら何かの実験と研究を続けておりましたので、強硬策を執行せていただきました」

「なんというか、剣を刺したら飛び上がりそうだねぇ」

「普通に死ぬだろ」

「お試しになりますか? ちょうどこの辺りに心臓があるかと思われます」

「「 トドメを刺せと!? 」」


 どこぞの危機一髪ゲームか、あるいは海賊に処刑される哀れな被害者のごとき無様な姿にしておきながら、ブラックなジョークを軽く投げ込んでくるミスカ。

 相変わらずである。


「エロムラさん、クロイサス様を船の船倉に運んでおいてください。下手に開放すると船の中で実験を行いますから」

「そりゃ爆発されちゃ叶わんわな……。けど、マジ船倉でいいの?」

「構いませんよ。できれば思いっきり転がして運び入れてください」

『『容赦ねぇ……』』


 ミスカは手間がかる子に容赦がなかった。

 クロイサスの自業自得とはいえ、人間扱いされず荷物として運び込まれてゆく姿を、おっさんとツヴェイトは嫌な汗を流しながら見送る。


『クロイサス君の入れられた樽はともかく、インベントリに荷物を収納しておけば楽なのに、なんで律義に荷運びしてんだろ……』


 クロイサスの入れられた樽を転がしながら船に運ぶのは、ミスカが怖いからか。

 それはともかく、荷物程度なら楽に運べる能力持ちなのに、そこに気づかないのはエロムラの頭が残念なのか、それとも環境に適応したがゆえに便利な能力のことが頭から離れてしまったのか不明である。

 分かっていることは研究馬鹿クロイサスが酷い目に遭っているということだけだ。


「先行き……不安だねぇ」

「クロイサスが馬鹿な真似をしない限り、学院には安全に行けるとは思うけどな……。さて、それじゃ俺も船に乗り込むか」

「気を付けていくんだよ。道中には良からぬ者が出てくるかもしれないからね」

「それなら戦闘訓練になるだろうし、むしろ出てきてもらいたいな」

「数の暴力は君が思っているよりも厄介だよ。まして人を殺したことのないセレスティーナさん達もいるから、何事もなく学院に行けるに越したことはないでしょ」

「俺だって戦いたいわけじゃないが、こればかりは運しだいだ。いつどこで盗賊共が現れるか分からないからな」

「まぁね。無事であればいいさ」


 荷物を抱えてタラップを上ってゆくツヴェイト。

 セレスティーナ達も既に船上に乗り込んでいた。


「先生、行ってまいります」

「またご教授してくださいまし。今度は魔法の改良を指南してほしいですわ」

「行ってくるよ、ゼロスさん」

「師匠、クロイサス以上のヤバイもんは絶対に作るなよ? 絶対だぞ」

「ツヴェイト様、それはフリですか? そんなことを言われたら、ゼロス殿は間違いなく作るに決まっているではありませんか」

「何気に失礼ですねぇ、ミスカさん……(その通りなんだけどね)。長いようで短い学生生活、充分に満喫してきなさいな」


 船員たちが慌ただしく動き始め、タラップを引き上げて出港の準備が始まった。

 オールを動かしゆっくりと船は岸から離れてゆく船の姿を、おっさんはただ見送る。

 気のきいたセリフでも言おうかと思ったのだが……。


「おっかぁ~~っ、必ず一旗揚げて帰ってくるからなぁ~~~~っ!!」

「必ず……必ず事業を成功させて戻ってくるから、俺を待っていてくれぇ!」

「てめぇ、逃げる気かぁ!! 勝ち逃げなんて絶対に許さねぇからなぁ、戻ってきたらもう一度勝負しろ!!」

「あなたぁ~~~っ、行かないでぇ! お腹の子はどうする気なのよぉ!!」

「てめぇ、金返してから消えろやぁ! このクソ野郎!!」

「はっはっは、誰も俺達の愛は止められない。残念だったな、親父さん。娘さんは俺を選んだぞ」

「……」


 夢を追う者、恋人に見送る者、捨てられた者、借金取りから逃げる者、逃避行する者達と様々な人生模様が繰り広げられていた。

 気の利いたセリフも言って送り出そうにも、周りがやけにドラマテックのバーゲンセール過ぎてタイミングを逃したおっさん。

 人の数だけ人生があるというが、周囲のインパクトが強すぎた。


「……まぁ、ほどほどにガンバね」

「「「「 もう少し言うことがあるんじゃないですかねぇ!? 」」」」

「無理ですね。周りの人達が濃すぎて、ゼロス殿の言葉など霞んで聞こえます」

「ミスカさん、分かってるじゃないか。じゃ、そういうことで」


 船はゆくゆく、言葉は出ない。

 人それぞれの人生模様に押され、でないはずだよ、イカしたセリフ。

 離れていく船を見送りながら、おっさんは『釣りでもして帰るかな~』と、全く関係のないことに思考をシフトチェンジしていた。


 余談だが、先回りして船に乗り込み、偶然を装ってセレスティーナに近づこうとしていたディーオは、キャロスティーがいたことで目論見が大きく外れ泣いていた。

 その後はミスカの監視の目もあり、ツヴェイト同伴のでの世間話しかできなかったとか。

 もう一つの余談だが、船上での旅でディーオは何度かセレスティーナに声を掛けることに挑戦しようとしたが、一人では何もできず陰でモジモジしていたとか……。


 ~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~


 ルーダ・イルルゥ平原。

 ここは現在進行形で戦場であった。

 メーティス聖法神国に反旗を翻した獣人族連合は、その圧倒的な兵力で奪われた平原の大部分を取り返したが、最後の段階で大きな壁が立ちふさがった。

 メーティス聖法神国、北方防衛要塞。

 その名を【カルマール要塞】である。

 巨大な防壁もさることながら、六芒星の形で築かれた要塞には死角がなく、迂闊に攻め込めば三角形の防衛陣地によって左右から弓で集中攻撃を受け、多くの犠牲者を出してしまう。

 大砲がないだけまだ楽だなとケモ・ブロスは内心で呟く。


「ありゃぁ~、面倒な形をしてるよね」

「カシラ、あの要塞は今までのように簡単に攻め込めねぇですぜ」

「そうだね。僕一人なら単騎で乗り込めば落とせるけど、それだと君達は納得しないだろうし……困ったね」

「当然ですぜ。カシラに全部任せれば楽かもしれねぇですが、俺達はカシラに頼り切るようなクズには落ちたくねぇ。戦いは体を張ってなんぼですからね」


 獣人族は今までメーティス聖法神国に虐げられてきた。

 ある者は奴隷として鉱山などで扱き使われ、またある者は性的な欲望のはけ口にされてきた。誇り高い獣人族にとってこの暴挙は許しがたいことだ。

 だからこそ自らの手で破壊する。

 まして突然現れて獣人族の長に就いたブロスに、圧倒的な力で敵を粉砕してきたもらうなど、それは獣人族としての矜持が許さない。


「けど、あの扉は簡単に開きそうにはないかな。僕としても自由を勝ち取るには君達の手でって思っているし、無粋な真似はしたくないんだ」

「我らの心内を汲み取っていただき、感謝いたしやすぜ」

「とはいえ……面倒な要塞が残っていたもんだよ。この平原では死角がないし、武器を用意するにも時間が掛かる。それまで連中が待ってくれるとも思えないよ」


 獣人族の各部族が結集した獣人連合軍は、最大の難関に直面していた。

 カルマール要塞は北方平原最後の砦であり、この要塞を落とせば獣人族達はメーティス聖法神国に奪われた土地をほぼ奪還したことになるのだが、数で攻め込んでも犠牲者が増えるだけで攻略は容易ではない。

 また、無視してメーティス聖法神国本土に攻め込めば、後方から襲撃を受けることになる。

 数の暴力で押し通るにしても、この先の渓谷にある【アンフォラ関門】から援軍が来ればやはり挟撃されてしまう。つまり短期間で犠牲を出さずに落とす必要があった。


「あの万里の長城のような防壁がなければ楽なんだけどなぁ~」

「ばんり? あぁ~、【北壁】ですか」

「そう、それ。自然に盛り上がった地形を利用したアンフォラ関門はまだしも、そうでない場所は砦同士を繋げた北壁がルーダ・イルルゥ平原を縦断するように国土を守っているから、向こう側に回ってテロ活動すらできない」

「別にルーダ・イルルゥ平原すべてが城壁で塞がっているわけじゃないですぜ?」

「そうなんだけど、北壁が途切れている個所は殆ど断崖絶壁だし、先には必ず別の砦があるでしょ。そこを無事に抜けられても直ぐに発見されちゃうよ」


 北壁は平坦な場所だけでなく、なだらかな丘陵山を利用して築かれた防壁だが、断崖などの険しい地形はどうしても隙間ができてしまい、そこを穴埋めするかのように奥に砦が築かれている。

 獣人側からすれば人的被害を無視して壁がない場所から侵入しても、その先には必ず砦を防衛する騎士団が監視の目を敷いており、砦を迂回するにもリスクを伴う。

 無理を押し通せば無駄に命を落とすことになりかねないのだ。


「あ~……こんな時に師匠やゼロスさんでもいてくれればなぁ~。贅沢を言わなければアドさんでもいいや」

「アド……確か、聖法神国が攻めてきたときに力を貸してくれた、イサラス王国お抱えの魔導士ですよね?」

「イサラス王国は鉱物資源が多いから、金属が採掘できないウチとしてはありがたいんだよね。食料と鉱石を交換してくれるしさ」

「物資が足りないですからね……ウチは」

「おかげでカルマール要塞を力押しで攻め落とせないんだよ。僕を除いてね」


 ブロスであれば一日もたたず要塞を落とすことはできるだろう。

 彼は強者であり、今までメーティス聖法神国の侵略者をことごとく打倒し、武勲を上げたことによりカリスマとして君臨するようになったが、今やその武勲が問題になってしまった。

 最初は良かったのだが、ブロスが強すぎたために獣人族の戦士達は『俺達、要らない子だよね? 全く役に立っていないよね?』と意気消沈し、ほどほどに活躍の場を与えなければいじけて戦力にならなくなってしまったのだ。

 戦士としての面目が丸潰れである。


「やっぱ僕が落としちゃダメ?」

「駄目ですよ。ただでさえ連中の落ち込みが酷いのに、ここであの要塞を落とされたら立ち直れませんぜ」


 なんというか獣人族は面倒くさい。

 カルマール要塞の城門を破壊して彼らを突入させようと提案してみれば、『だったらカシラが一人で突入すればいいじゃないっスか』と言われ、弓兵を先に倒すから城門を破壊して突入すればいいと提案すれば、『俺達じゃなくてもいいっすよね』と返される。

 屈強な力自慢たちがこぞって拗ねてしまい、最近ではブロスが活躍するだけで獣人族は落ち込むのだ。逆に言えばそれほど圧倒的な力を見せつけてしまったともいえる。

 ご機嫌取りのためにも彼らに活躍してもらうほかない。


「……しかたがない。今回は勢いでここまで来ちゃったこともあるし、カルマール要塞の攻略を見送るよ」

「えぇっ!?」

「皆の武器は今までの戦闘で壊れかけてるし、これ以上の戦闘継続は無理でしょ。ちょうどいいし、一度態勢を整えようかと思うんだ。矢の補充すらできないんだから、カルマール要塞を落とすのは難しいよね。よしんば攻略できたとしても後が続かないよ。もし撤退中に追撃してきたら返り討ちにすればいいだけだし、地味に戦力も削れる」

「そこを何とか……。皆、あの要塞を落とすのにスゲェ意気込んでるんですぜ?」

「意気込みだけで戦争はできないよ。それに僕が出ていくのは駄目なんでしょ? そうだ、イサラス王国の友人に連絡をつけてくれる? 『魔導士アドをこちらに送ってほしい』ってね」


 イサラス王国とは互いに不干渉を貫いている獣人達だが、交易だけは今も続いている。

 また、お互いメーティス聖法神国と敵対しているので、多少の援助や情報共有を行っていた。その中で知人でもあるアドはイサラス王国で客分扱いなので、こちらの戦闘に加わっても問題ない立場だ。応援要請すれば引き受けてくれるかもしれない。

 武器などの修復もできるので協力してもらおうと考えた。


「確かに強いですが、よそ者ですぜ!?」

「僕も元を正せばよそ者だけど? そんなことより、ぶっちゃけ僕だけじゃ君達の武器の修復は追いつかないんだよね。獣人族の中にも鍛冶師はいるけどさ、ただでさえ耐久度が低いのに強度を犠牲にして変な飾りや模様を彫ってさ。もう少し頑丈な武器を使おうよ!」

「いや、それはほら……伝統ですし」

「それで戦闘中にポッキリいかれたら駄目でしょ。実際の問題として、そんな欠陥武器が山ほどあったけど? いや、現在進行形で増えてるんだよね。修理する身にもなってよ」

「面目次第もございやせん」


 獣人族はエルフとは少々異なるが自然崇拝の民族で、持ち物などの呪術的な模様を入れることが多く、特に武器は身を守るための道具なので念入りに意匠を施していた。

 だがその意匠を施す文化が、ただでさえ鍛冶の技術が乏しい彼らの武器の強度を下げてしまい、戦闘中にあっさりと折れる事例が続発している始末である。

 元より民族的に大雑把な性質なので、武器なども使えればいいという簡潔した考えが根底にあるので、良い武器を作るための技術の積み重ねが殆どない。

 そのため彼らの武器はブロスが思うよりも遥かに脆いものだった。


「まぁ、アドさんが来なかったそのときは別の手を考えるよ」

「わかりやした。イサラス王国側に伝えておきやす」

「撤退命令の方も頼んだよぉ~」


 側近がその場を離れ、ブロスだけが残された。

 カルマール要塞を眺めながら、静かに溜息を吐く。


「今は退くけど、次に戻ってきたら必ず落とすからね」


 これから血の気の多い連中を黙らせることを思うと頭が痛い。

 獣人側陣地からは、さっそく要塞攻略戦が中止になった事で激昂した者達の怒号が飛び交っていた。

 ブロスはこれから彼らとО・HA・NA・SHIすることになるのである。

 拳で――。


 ~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~


 イサラス王国の国王、【ルーイダット・ファルナンド・イサラス】は最近上機嫌だった。

 今までこの国は獣人族やお隣のアトルム皇国から食料を買い、その見返りとして鉱物資源を渡す形で何とか生きながらえてきたが、その事情はソリステア魔法王国から続く地下街道によって大きな変化を迎えた。

 鉱物資源の買取でソリステア魔法王国から商人が来るようになっただけでなく、なんと国家事業としてソリステア魔法王国と共に【魔導力車両】――魔導式モートルキャリッジの部品工場を設立するため、多くの職人も訪れるようになった。

 更に食糧支援なども受けて現在イサラス王国は復興の兆しが見え始めている。


「ソリステア魔法王国とは、もう敵対はできんな」

「恩を受けましたからな」


 今までオーラス大河の上流からソリステア魔法王国(正確には建国前の別国)に対し、幾度となく侵攻しては敗北した歴史がある。イサラス王国からすれば自分達の願いを打ち砕いてきた忌まわしい土地であり敵国だった。

 そんな敵国から支援を受けるだけでなく公共事業を共同で行い、更には秘匿すべき回復魔法まで伝えられにより、穏健派と戦争推進派との仲は一時的にだが緩和し、ともに国内の安定に向けて協力し合うことになった。

 現在イサラス王国でも医療魔導士の育成も始まっている。


「医療魔導士はどれほど育成できたのだ?」

「元から医者であった者達から教育を受け、現在に順調に育成が進んでおります。彼らは来るべき反撃の時の重要な支えとなりましょう」

「兵数には限りがあるからな。で、軍部はどこまで侵攻することを決めたのだ? あまり欲張るとこちらが不利になりかねん。失敗が許されぬ以上、事を慎重に進めねばなるまい」

「アトルム皇国とも協議した結果、東方平原の三分の二ほど掌握することになるでしょう。諜報部の情報によりますと、メーティス聖法神国の力が弱まる時期はおそらく遠くはないかと」

「今のところは順調であるか。忌まわしき勇者共も離反しておるという話だし、あの国はいったい何をやっておるのだ? こちらとしては助かるのだが」

「さぁ? 神の威を僭称する輩の考えることなど、私には分かりかねます」


 メーティス聖法神国を囲む周辺の小国は現在すべて同盟国となり、その小国家群は現在急速に力を入れ始めている。イサラス王国もその流れに乗り遅れまいと必死だ。

 その中心にいる国がソリステア魔法王国というのも複雑なところだが、かの国には多くの便宜や支援を受けている恩があり、そのおかげで何とかことを大きく進めることができていた。

 どの小国家もメーティス聖法神国には消えてもらいたいというのが共通の認識なのである。


「まぁ、しばらくはこちらの動きを感づかれないようにせねば。獣人族は別だが……」

「あの連中は人の話を聞きませぬからな。おかげで良い目くらましとなっております」

「だが、それも長くは続けられまい。獣人族の武器は劣悪であるし、時間を稼ぐ意味でもこちらから支援はできぬものか……」


 先祖の治めていた土地を奪われ、いつか奪還せんと苦渋の時を送り続けていたイサラス王国だが、今の時代になり念願の好機が訪れようとしていた。

 肥沃な土地とそこに住む民を取り込めば国力は上がり、更に豊富な鉱物資源によって今よりも民に豊かな暮らしをさせることができる。そのためには同盟国との連携は必要不可欠だ。

 そして、その中心となる国がソリステア魔法王国なのが少々思うところはあるのだが、メーティス聖法神国内の街道を抑えればさらに交易の幅が広がる。

 イサラス王国としてはこの波に乗るしかないので、過去のいきさつなど些細なことと割り切った。


「恐ろしいものですな、デルサシス公爵は……」

「うむ。我らに恩を与えつつも互いに大きな利益を享受する。なぜにあの男が王ではないのだ? 私でも羨む才持ちの傑物であるぞ」

「おそらくは天才なのでしょう。ですが、天才とは時として常人とは異なるものの考え方をしますから、我ら理解できぬ視点で世界を見ておるのやもしれません」

「ますます羨ましい……」


 ルーイダット王は良くも悪くも凡庸な王だった。

 大きなことをなす前にはさんざん悩み、決断した後でも胃を痛めるほどの繊細で、穏健派と戦争推進派との間で常に頭を抱えていた。

 簡潔に言ってしまえば優柔不断なのである。

 彼からしてみればデルサシス公爵は憧れを抱くほど才に満ちた傑物であり、自分の矮小さに落ち込むほどだ。


「アド殿はあの男の下にいて無事であろうか……」

「我が国の英雄ですからな、デルサシス公爵も無碍には扱いますまい。彼のおかげで公共事業が進んでいるのですし」

「この間、岩石芋ポルタから砂糖を作る方法を伝えてきたな。少ない量しかとれぬが我が国には貴重な交易品となろう」

「少々苦みはありますが、菓子に使っても問題はない品質であると評価を得ております。アド殿達が現れてから運が向き始めましたのぅ」

「うむ、彼はきっと神が遣わした導き手なのであろうな。我が民達はきっと救われる」


 アドの面倒事を避けるための行動は、なぜか更に評価を上げることに繋がってしまっていた。

 イサラス王国としては無償で食料事情を改善させ、因縁ある土地を収める国との仲を取り持ち、更には支援までしてくれるよう便宜を交渉した救国の英雄扱いである。

 まぁ、実際はデルサシス公爵がアドの名で裏から支援していることが殆どなのだが、全てがイサラス王国のメリットになっているので気づくわけもない。


「魔導力車両の工場建設はいかほどの進行具合であるか?」

「すでに第三工場の建物に着手しており、第一工場は稼働を始めました。ただ、心臓部はソリステア魔法王国で作られているので、こちらで作れるかどうか難しいところではあります」

「魔法に関してはソリステア魔法王国の独壇場だからな、そこは仕方があるまい。我が国の研究部でも作れないものか……」

「今のところ難しいとしか言えませぬ」


 魔導力車両――魔導式モートルキャリッジは技術革命の尖端を切った。

 こと動力部は様々な機械に流用できるので、ドワーフ達が大いに興味を示している。

 ソリステア魔法王国でもドワーフが中心となり工作機械の試作機が作られ、現在様々な研究が行われているが、このことに関しては今も秘匿とされていた。

 その陰で魔導士達がブラックな激務で涙を流すことになっているが……。

 

「陛下、ご会談中に失礼します」

「なにか緊急の報告かな?」

「先ほど諜報部を通して獣人族側から要請が来まして……」

「獣人族側から要請? 彼らとは互いの干渉の不可侵と一部の交易程度の繋がりなのだが、はて?」

「何でも獣人族を束ねている者から、その……賢者アド様をよこしてほしいと」

「アド殿を? なぜ獣人族が……」

「なんでも、獣人族の指導者であるケモ・ブロスなる者と賢者様が知り合いとかで、どうしても手伝ってほしい事があるということです」

「なんと……」


 アドは忽然と現れた流れの魔導士で、何の見返りもなく各村の食料事情を改善させていた奇特な人物という認識でしかなく、それが縁でイサラス王国の客分となった経緯がある。

 だが、彼の生い立ちなどは依然として謎に包まれており、その胡散臭さが戦争推進派の不評を買い敵視されていたのだが、ここに来て獣人族の指導者との繋がりを聞き大いに驚いた。


「意外な繋がりがありましたな」

「うむ……しかし手伝ってほしい事とは何であろう? もしやカルマール要塞絡みであろうか?」

「おそらく……」

「あそこは難攻不落として有名でしたな。今、獣人族側に躓かれるのは困るが、かといってアド殿はソリステアにいるし……困った」

「いくらアド殿が我が国の客分であるとはいえ、恩ある彼を気軽に呼び出そうというのはあまりに不敬。しかし、あの要塞絡みであれば……確かに納得がいきますな」


 カルマール要塞の堅牢な防御はイサラス王国側にも伝わっている。

 獣人族の力任せな侵攻ではおそらく手古摺るだろうと判断できるが、自国の英雄を気軽に呼び出されるのも困る話だ。しかも本人はイサラス王国を不在にしている。

 かといって獣人族の指導者と知り合いとなると、ここで勝手に断りを入れてアドの不興を買うわけにもいかず、実に悩ましい問題だ。


「……ここは諜報部に繋ぎを入れてもらい、後の判断はアド殿につけてもらうことにしよう」

「それがよろしいかと。話は聞いていたな、諜報部に至急伝達を頼む」

「はっ、了解しました」


 それから数日後、アドの下に諜報部所属のザザが訪れることになる。

 この件が発端となり、ただでさえ国内が疲弊し始めたメーティス聖法神国の崩壊が加速し始めた。


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