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ルーセリス、婚約後の日常風景


 ルーセリスの朝は早い。

 早朝、畑の野菜や薬草を収穫し、ゼロス宅のコッコから無精卵をわけてもらう。

 というより、最近はどうもコッコ達が【鑑定】のスキルを覚えたらしく、無精卵を無駄になるよりはと糧にしてほしいと卵を譲ってくれる。

 コッコ達の進化に歯止めがない。

 教会の子供達も手伝ってくれるが、朝食を済ませた後は掃除に畑仕事、武術訓練、簡単な薬の調合をいろいろと試し、飽きたら街へと繰り出していく。

 自由というか、既に自立してるというべきか、何とも逞しく頼もしい子達だ。

 

「さてと……そろそろ往診の時間ですね」


 書斎でメーティス聖法神国から送られてきた書類を確認していたルーセリスは、椅子から立ち上がると、傍らの棚に置いてある大きめの薬箱を手に取り礼拝堂へと向かう。

 往診に出るには教会の正面入り口から出る方が早いからだ。

 最近の彼女は薬師としてもそこそこ名が売れ、旧市街でルーセリスの治療を望む患者も増えていた。その裏でお隣のおっさんが簡単な薬の調合方法を教えていたりする。

 

『今日は先ず、コークさんの家から回りましょうか』


 ルーセリスは最近、往診する患者のケガや病状によって優先度を変えているようになり、症状が重い患者から順番に廻っていた。

 まぁ、これはどこぞのおっさんの入れ知恵だ。

 たまにただの往診が好意を持たれていると勘違いされ、中にはしつこくてアプローチしてくる者もおり、『こいつ、殴ってやろうか?』と本気で思うこともあるのだが、一応は神官の端くれなので我慢しているがストレスだけは溜まる。

 口調や態度が昔と変わったことで、変な人間が言い寄ってくることが最近の彼女の悩みである。生きていると様々なことは起こるものだ。

 特にルーセリスの生い立ちは、アトルム皇国の皇族という由緒正しい血筋でありながら、母――メイアの不倫疑惑が原因で出奔。その母も最初は娘と平穏に暮らすことを夢見ていたが、何を間違ったのか再婚して一つのシマを牛耳る河族の姐さんとなっていた。

 結局、カタギとして生きてほしいという一方的な願いにより孤児として育ち、現在に至る。

 ルーセリスの立場から見ると、親の都合と身勝手さに振り回されたようなものだ。


『まぁ、親が元気に生きているだけマシなんでしょうね』


 河族とはマフィアや極道ほどではないが、荒くれ者が経営する運送業のようなものだ。

 主に河川での荷運びを行う一族で、宿屋の経営だけでなく裏ではカジノなども運営し、本物の裏社会の人達から逆恨みを買うことも多かった。

 特に同業と縄張り争いなど起こし、場合によっては死人も出ることも少なくない。

 母親が一緒に暮らそうとしなかったことも納得できる話だ。


『メルラーサ司祭長の話だと、またどこかと抗争に入ったとか……。殺伐しすぎです』


 昔は親と会いたいと思ったこともあったが、今は近づきたくない。

 皇族生まれの世間知らずが場に染まり、今ではすっかりヤクザな世界に適応してしまった。人の順応力とは恐ろしいものである。


『メルラーサ司祭長も、なんであんな話を嬉々として教えてくるんですか……。まさか抗争に参加していたりして……あ、あり得る』


 騒ぎがあれば必ず中心にいたりする放蕩司祭長。

 酒と博打に喧嘩好きと、およそ聖職者と思えぬ人物なだけに可能性は高かった。


「そろそろお仕事に行きましょうか」


 買い物バッグほどの大きさの薬箱を手に持ち、彼女は今日も往診に向かう。

 往診は毎日同じルートをたどるわけでなく、旧市街を三つのルートに分け一日おきに道順を変更している。昨日往診した患者の下へ今日も向かうなどということを防ぐためだ。

 また、人より魔力量が多いとはいえ、神聖魔法(光属性魔法)による治療を行うにも回数に限りがある。

 少し前までは魔力消費で倒れそうになったことが何度もあり、それを防ぐために怪我の度合いによって魔法を使うかどうかを決めているのだが、医療行為としては正しい判断なのだろうが、ルーセリスとしては治せるうちに治療したいと思っていた。

 この世界は衛生的にも未熟で、神聖魔法で治療しても傷が悪化することがあり、病原体という存在も知らなかったので原因不明な事が多い。

 もっとも、それはゼロスと出会う前までの話だ。


「おんや~、ルーちゃんでねぇかい。今日も往診かのぅ」

「トマお爺さん、こんにちは。最近ぎっくり腰で寝たきりと聞いていましたが、大丈夫ですか?」

「おぉ~でぇじょうぶだぁ~。今なら若い娘とハッスルできるほど回復してるよぉ」

「あはは……それだけ元気なら大丈夫そうですね」


 街を歩けば知り合いからは必ず声を掛けられる。

 ここ最近になって旧市街に移り住んだ人達からも一目置かれ、気軽にあいさつを交わすくらいの交流がある。普通の神官ではこうもいかない。

 ふと道の先を見ると、昔馴染みである青年が歩いて来るのを見つけた。

 向こうもルーセリスに気づいたようだ。


「姐さん、ちーっス」

「あら、キオじゃないですか。久しぶりですね、今日は仕事どうしたんですか?」

「休日っスよ。いくら俺が土木工でも、ドワーフのように休日も返上してまで働けやしませんぜ」

「聞いた限りですと、ドワーフの方々は相当無茶をするらしいですね。なんでも『死ぬまで働くんだよ』と平然と言うとか……」

「それ、マジっス……。現場では毎日のように言ってるっス。それどころか三日飲まず食わずに作業する職人もいますぜ」


 ゲンナリした表情で答える青年、キオ。

 彼はルーセリスと同じ孤児で、昔の悪ガキ仲間の一人だ。

 当然だがジャーネとも馴染みでもある。


「その、大丈夫なのですか? ドワーフ達のいる職場はかなり過酷だと耳にしますが……」

「……正直に言って、超ヤベーっス。ぶっ倒れるまで働かされて、妙な薬で無理矢理叩き起こされては働いての繰り返し。疲れてから飯食って寝るまで仕事のことしか考えられなくなるっス。昔、姐さんとつるんでいた頃の無茶がスッゲェ可愛く見えるっスよ」

「あの頃は私も無茶を………って、今、薬で叩き起こされるって言いましたよね!? まさか危険な薬物じゃありませんよね!?」

「親方が、どっからか仕入れてきた魔法薬っスよ。これがまたスゲェ効き目で、昏睡した奴らが一発でリフレッシュしちまうんでさぁ」

「昏睡? えっ? それって充分に危険物なんじゃ……。副作用はないんですか!?」


 ルーセリスの言葉に、キオの表情は一瞬で暗くなる。

 何と言えばいいのか、それは苦難といったものを遥かに超え、悪夢に散々苛まれた末に絶望の遥か先の世界を垣間見てしまった人間の表情だった。


「へへへ……それが、副作用なんて全くないんでさぁ~。全身が疲労で悲鳴を上げているのに、アレを飲んだら一発でハイテンション。やべぇよ……アレはマジでヤベェよ。なんつぅか、いろんなものから解放されてムチャクチャ仕事に集中できるんスよ。何度も繰り返すと親方の指示が神の声に聞こえてくるから不思議っス。ヒヘへ……」

「ほ、本当に問題がないお薬なんですか? 聞いているだけでも、とてもまともなものとは思えないんですけど……」

「もう、アレ無しじゃ働けねぇっス。過酷な現場なのに……働くことが楽しくて仕方がねぇっス。建物が完成したときの達成感といったら、もう言葉に出せねぇくらいの最高の快感なんス……」

「どこかで聞いたことがある話ですね……」


 彼はしばらく見ないうちに立派な職中毒者になっていた。

 働くことにしか存在意義を見出せず、人生そのものがただ働くということのみに特化されていれていく。

 それは宗教観に近く、ドワーフ達のみが辿り着くことができる精神の高みだった。

 別の言葉に言い換えるなら洗脳が最も近い。


「もしかして、キオの職場ってハンバ土木工業でしょうか?」

「そうっスよ? よくわかりやしたね。以前は食事が摂れないほど疲弊して絶望してやしたが、あの薬のおかげで毎日が楽しいっス。親方もアレをどこから手に入れてきたのやら」

『そういえば、以前バザーの時にゼロスさんが、『魔法薬が大量に売れたよ……ハハハ』と言っていましたが、まさか……。商品が売れたのに気落ちしていたから不思議に思っていましたが、もしかして罪悪感に苛まれていたとか……』


 ルーセリスの記憶の中で何かが繋がった気がした。

 しかし確信はあっても確証はなく、ここで『そんな怪しい薬は使わないでください』と言ったところで無意味で、なにより楽しんで仕事をしているキオのやる気を削ぐわけにもいかない。

 目の前で、『いやぁ~、最初は地獄だったけど、慣れてくると仕事って楽しいっスよね』と誇らしげに語る彼に対し失礼である。


「む、無理はしないでくださいね。お薬に頼りすぎるのも健康に悪いでしょうから、何事もほどほどにお願いしますよ」

「それは親方次第っスね。それより……」


 キオの視線はルーセリスの指に填められた銀の指輪に向けられた。

 そこから何かを察したのか、にんまりと笑みを浮かべる。


「姐さん、結婚したんスか。いや~これはめでたい」

「け、結婚じゃありません! まだ婚約の段階です!」

「「「「 なんだとぉ――――――――――っ!!!! 」」」」


 周囲で聞き耳を立てていた男達から一斉に驚きの声が上がる。

 彼らは密かにルーセリスに対して思いを募らせていた者達で、互いに牽制しあいながらも告白すらできず、日々陰で足の引っ張り合いという熾烈な競争していた。

 そんな彼らにとってルーセリスの婚約というのは、絶望という名の崖から突き落とされるのに等しく、全員が精神的に衝撃を受けた。


「終わりだ……さらば、俺の青春……」

「短い春だった……あれ? なんで涙が……」

「こんな事になるなら、ライバルを蹴落とすのに夢中になってないで、告白すればよかった……。ははは、笑ってくれよ。俺の無様な姿をさぁ~」

「相手は誰だぁ、ぶっ殺してやるぅうぅぅぅぅぅぅぅっ!!」


 そして現実の不条理を呪う。

 彼らにしてみれば足の引っ張り合いの最中に、横から美味しいところを持っていかれたようなものだ。あまりにアホで無様な姿である。


「皆さん、どうしたんでしょう?」

「いや、姐さん……? 連中、全員が姐さんを狙っていた奴らっスよ。気づかなかったんスか?」

「狙っていた? もしかして、昔に私がやらかしたことに対する恨みでしょうか?」

「なんでや! アイツら全員、姐さんにホの字だったんスよ。だから婚約したと聞いてショックを受けたんでさぁ」

「………冗談、ですよね?」

「………なんで疑問に思うんスか」


 ルーセリスにしてみれば、ちびっこギャング時代にシバキ倒した恨みしか心当たりがなく、自分に好意を寄せている者がいるとは思いもしなかった。

 意外にも彼女は自分に向けられる好意に対し鈍い。


「またまた、そんなことを言って。キオは昔から冗談が上手いから」

「なんで信じないんスか!? 今の姐さんの容姿なら誰でも惚れますぜ。知り合いの爺さん達からも、『孫の嫁に来てくれんかのぉ~』って言われたことがあるっしょ」

「世間話の中での冗談では?」

「いやいや、めっちゃ本気ですって!」


 そして自分に対しての評価も低かった。

 何しろ男であれば誰もが振り向き、女性であれば羨む容姿をしているのに、あくまでも普通としか思っていない。  

 しかも民族というか種族的に見ても、彼女は上位種の部類に入る。

 かつて使徒と呼ばれた種族を先祖に持つ、有翼の種族であるルーフェイル族の中でも最も能力的に高い皇族の姫であり、その潜在能力は中位のドラゴン並である。

 隔世遺伝で人間ヒューマンの姿だが、翼がないだけで一族特有の能力はそのままだ残され、身体能力も高く保有魔力もハイ・エルフを圧倒的に超える生まれながらのチートだ。

 付け焼刃のようなどこかの転生者や勇者達とは違う。

 ただし、その高い戦時能力は開花しておらず、一般人より保有魔力が多い程度にとどまっているためか、自分がどれだけ恵まれているのか全く自覚していない。


「不憫っスね……あいつら。ジャーネの姉御も無自覚だし、なぜ二人して自分の評価が低いんスか」

「ジャーネはほら、きっと揶揄われていると思っているんじゃないですか?」

「昔、皆で散々弄りまくったツケっスか。認めたくないっスね、子供ゆえの過ちっていうものを……」


 子供の頃というのは何の意味もなく他人を無邪気に貶めることもあり、やった当人達は忘れても、やられた側はいつまでも根深く覚えているものだ。

 しかも今でこそ清楚な見た目のルーセリスだが、子供の頃はお転婆を超えたオラオラで、ジャーネも虐められっ子タイプだったせいか、成長した今でも自分の容姿に対して自信も自覚も持てないでいた。

 そうした自覚が出る前に神官修業やら放蕩司祭長からの戦闘訓練やらを受け、少女時代に少しずつ覚えていく女性としての嗜みなどを殆ど経験することもなく、自身の美貌を自覚する前に成長してしまった。

 いや、自覚して傲慢な性格に育つ可能性を考えると、ある意味において健やかに育ったと言えなくもないのだが、男泣かせであることは間違いない。

 実際に現在進行形で大勢の男が泣いている。


「どうするんスか、あいつら……」

「あっ、そろそろ往診に向かわないと! ごめんなさい、また今度ゆっくりお話しましょう」

「……そうっスね。(あ~……昔からこうと決めたら一直線だったからなぁ~。周りのことなんて眼中にないんスね)」


 ジャーネはともかく、ルーセリスは昔からこうだった。

 一度決めたことは絶対に実行し、引かない、曲げない、逃げださない。

 前しか見ない、後ろを見ない、振り向かないを地でいっていた。

 どこかのグラサン団長のようである。

 隣区画のちびっこギャングの前で、『アタシを誰だと思っているのよ!』と啖呵を切っていた頃が今も恥ずかし――もとい懐かしい思い出だ。


「あの姐さんが婚約か……。ところでお前ら、もう潔く諦めろっスよ。こうなったのも足の引っ張り合いなんかしていたお前らにも原因があるっス」

「言わないでくれよ、キオ……」

「傷口を抉らないでくれぇ~~~~っ!」

「神は死んだ……」

「もう、何も信じられない……」

「女々しくてつらいんだよぉ~~~~っ!!」


 絶望のどん底に落とされた男達は、悲壮感と哀愁を周囲に振りまく、再起不能状態となった。

 手に職を持つ者達もいるのだが、おそらく仕事はしばらく手につかない状態になるだろう。本当に無自覚で罪作りなルーセリスであった。


『マジであれは卑怯っスよね……。変わりすぎっス』


 昔の勇ましい悪ガキ少女と今の聖女のような姿を交互に思い浮かべ、時間の悪戯というものの恐ろしさに、キオは諦めの溜息を吐く。

 ちなみに彼も密かに聖女なルーセリスに惚れていた一人であった――。


 ~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~


 ルーセリスの患者は、主に風邪のような軽い病を患った者や裂傷や骨に罅が入った怪我人達である。

 ポーションのような魔法薬で回復させることもできるが、一般人に購入できるものは効果が微妙なものが多く、ものによっては効果にばらつきがあり、中には偽物を購入してしまう者もいるので余り信用されていない。

 これは以前まで存在していた魔導士団が回復薬の販売を牛耳っていたことで、良質なポーションの販売が独占されていたことと、一般魔導士――錬金術師が個人で販売による効能のバラつきに踏まえ、ついでに魔導士団から追放された者が恨みから偽物の販売をしていたなど、複数の要因によって魔法薬に対する信用が失墜していたからである。

 どちらにしても民にとってはありがたみがなく、常備薬として一つあればいいという考えであまり売れなかったが、最近では改善され質の良いものも手軽に購入できるようになってきた。


「ポーションが効きましたね」

「お姉ちゃん、ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」


 擦り傷を低品質のポーション数滴で治療したルーセリスは、次なる患者の下へと向かう。

 品質は低いが自作のポーションによって魔力の消費が抑えられ、今まで以上にけが人や病人の治療ができるようになり、ルーセリスはますます意欲的に訪問診療に力を入れていた。

 

「ほんと、ゼロスさんには感謝しかありませんね」


 ルーセリスはゼロスから医療知識の教えを受けており、傷口の消毒や細菌による感染症の危険性など、多くのことを学び治療を実践するようになった。

 もっともゼロスにとっては家庭の医学程度の知識でしかないのだが、それだけの知識でも彼女の治療行為は評判になり、街の人からの信頼はさらに高まっている。

 また、ゼロスによる影響はそれだけではない。

 彼女が使う神聖魔法にも大きな変化を与えていた。


『まさか、神聖魔法まで改良していただなんて……。聖法神国が知ったらどうなってしまうんでしょうか?』


 メーティス聖法神国で教えられる神聖魔法には致命的な欠点がある。

 始めに覚える回復系神聖魔法は【ヒール】だが、この魔法は軽い傷しか治せず、重傷者を癒すには倍の時間が掛かってしまい、魔力消費量は傷の度合いによって大きく変わる。

 骨折や病気は治療することができない。

 次に【ミドル・ヒール】という魔法だが、これはヒールより治癒時間は掛からず、効果も骨折を治せるのくらいに高いのだが、当然のごとく魔力の消費も多くなるため術者の魔力は直ぐに尽きてしまう。

 病気などは治すことができない。

 そして【ハイ・ヒール】。高司祭長クラスが行使できる魔法で、重傷者だけでなく病人まで癒せるのだが、魔力消費が激しいために高位司祭でも一日に五人くらいしか治療できない。

 他にも毒を癒す【キュア】や【キュア・ポイズン】、麻痺を癒す【ディレイ・パラライズ】、鬱症状を治す【ハレルーヤ】などあるが、とりあえずここは省かせてもらう。

重要なのは、この魔法のどれもが術者の保有魔力量に依存しているとう点が共通しており、一人の神官が治療できる人数が限定されてしまうということだ。

 一個人の魔力量で患者を癒せるのに限界がある。それはルーセリスも変わりはない。

 だが、最近になって改良された回復魔法が世間に出回るようになると同時に、医療魔導士という存在も現れだしたのである。


『魔導士が回復魔法を使うようになったら、神官の出番はなくなりますね。司祭長様達はこれからどうなってしまうんでしょう』


 神官の立場はここ最近微妙なところだ。

 メーティス聖法神国は各国に神官を送り、医療行為に従事させて外貨獲得している。

 戦争や内乱、果ては盗賊退治などでの回復役として騎士団に着いていき、法外な値段で治療を行っていたために評判が悪かった。

 医療魔導士は、そんな彼らの地位を脅かす存在として各国が生み出した治療専門の魔導士だ。ヒールなどの基本回復魔法以外にも複数の魔法を行使でき、元が錬金術師なので薬草や魔法薬の治療も行える。

 回復魔法の効果では神官達に軍配は上がるが、薬学や錬金術に精通しているおかげでその差を簡単に縮めることができ、数さえ揃えれば神官は無用の存在となる。

 そして、ルーセリスはゼロスのおかげで医療魔導士と同じ魔法を行使できるようになったが、この事実をメルラーサ司祭長以外に知る者はいない。

 彼女が魔法を覚える切っ掛けになったのが、たまたまイリスがポーション作りを教えてもらっていたところに、偶然にも居合わせていた時のことだった……。


『ルーセリスさん、ちょっとお願いしたいことがあるんですが、いいですかねぇ?』

『お願い……ですか?』

『えぇ、ヒールの魔法を改良したんですが、僕が使っても魔法効果が過剰に効きすぎて、使い勝手が分からないんですよねぇ。一応イリスさんにも試験してもらっているんですが、怪我しないと回復魔法なんて使いませんし、意見を聞きたくてもなかなかその機会が少ないんですよ』

『それで、よく神聖魔法を使う私に意見を聞かせてほしいということですか?』

『ルーセリスさんはヒールを使う機会が多そうですしねぇ。お礼として改良した魔法を進呈しますよ』


 なんてことがあった。

 ルーセリスは以前にゼロスから、神聖魔法と魔導士が使う魔法は同じものだと聞かされており、実際問題として神聖魔法のヒールの使用時は魔力消費が早いため、この提案を二つ返事で了承した。

 結論から言えば改良ヒールは無茶苦茶使い勝手がよかった。

 自然界の魔力も利用するので魔力枯渇が遅く、しかも今までの三倍の患者を診察できるようになったことから、この実験に率先して付き合うようになった。。

 ただ、途中で『あら? これって司祭長に話をつけないといけない案件なのでは?』と思い、酒でデキあがっていたメルラーサ司祭長に報告したのだが……。


『改良した神聖魔法ねぇ、別にいいんじゃないかい? 魔法が使いやすくなるならアタシらが相手をする患者にもいいことさね。ルーの好きなようにおやり』


 ……と、あっさり許可が下りた。

 それから数日後に『アタシにも使わせるさね』などと言ってきた。

 発売を公表する前の改良段階だったので、この案件はルーセリスとメルラーサ司祭長の二人だけの秘密となり、当然だがメーティス聖法神国に報告することもなかった。

 その気もなかった。

 メルラーサ司祭長が言うには、『こんなものが広まると知られたら、難癖をつけてでも戦争を引き起こして邪魔するさね。そのどさくさに紛れて奪おうともするから、秘密にした方がいいのさ。連中は性根が腐ってるからねぇ~』とのことだ。


『もう、メルラーサ司祭長はあの国の高司祭という自覚がないのではないでしょうか……。まぁ、なんとなく気づいていましたけど』

 

 異端審問官による懲罰部隊が送り込まれかねない放蕩司祭長は、今日も元気に酒と博打を楽しみ、所により喧嘩の華を咲かせていることであろう。

 神をも恐れぬ所業を平然とやってのける。


『昔は憧れていたんですけどね……』


 最近ではメルラーサ司祭長に懲罰隊が送り込まれるのか心配していた。

 しかしながら、メーティス聖法神国では現在進行形で自国の問題解決に躍起になっており、懲罰隊を送り込む余裕などない。

 そんな事実を知らないルーセリスは、要らない心配をしながらも次の往診先へと向かう。


「こんにちは、お婆さん。腕の具合はどうですか?」

「おんやぁ~、ルーセリス様でないかい。あ~今日は往診の日だったねぇ。腕? まだちょいと痛むけど、掃除くらいはできるようになったよぉ~」

「骨折したんだから無理はしないでくださいよ?」

「ほんに情けない話だよぉ~。たかだか浮気性の爺さんをサンドバックにしたくらいで、あっさりとポッキリいっちまうなんてねぇ。歳は取りたくないもんさ」

「お爺さんの方が重傷だったんですけどね……。今は診療所に入院してますよ」

「チッ……あのロクデナシ、まだ生きてんのかい? 存外しぶといねぇ。帰ってきたらきっちり引導を渡してやらないと、また同じことを繰り返すに違いないよぉ」


 老婆は夫に止めを刺す気満々だった。

 しかもキレのあるシャドーボクシングで準備を怠らない。

 パワフルな老婆である。


「このあいだ骨を繋げたばかりなんですから、無茶をしないでください。また折れてしまいますよ」

「そうは言うけどねぇ、日課をこなさないと調子が出ないんだよぉ~。いつもならウチの爺さんがいるからいいんだけど、今はいないしねぇ」

「お爺さんも体を鍛えているんですか?」

「いんや。隙あらば毎日のようにご近所さんの娘の尻をなでるから、殴って躾けしてるんだけど……まったく懲りた様子がないんだよぉ~。追いかけるアタシの目を掻い潜って、娘さん達に手を出すのが癖になっちまったんさ。命がけのスリルを楽しんでんだよぉ、きっと」

「お爺さんも大概ですね……」


 元気な老人達である。


「ルーセリス様も気を付けるんだよ。あの爺さん、ルーセリス様のことも狙っていたからねぇ。アタシにボコられてたのも口実を作るためさぁ」

「まさか、二日に一度は教会に治療に来ていたのって……」

「口説くためだねぇ。いいかい? 年上の男とくっつくのはいいけど、歳が離れすぎてても駄目だぁ~よ。特にウチの狒々爺ぃのような頭まで下半身のような相手はねぇ」

「その辺りは大丈夫ですよ。それより、そろそろ治療しましょう」


 先ずは包帯をほどいた後に軟膏を塗り、【ヒール】をかけ、薬を塗った上にガーゼを当てると上から再び包帯を巻く。

 一連の工程は五分とかからない。


「はい、これで終わりですね。無茶をしたから少し腫れてましたよ?」

「爺さんを殴れるまであと何日かかるかねぇ?」

「骨が完全にくっつくまでは大事にしてください。せめて一カ月くらいは様子見するべきです」

「ハァ~……それまで爺さんは野放しになるよぉ~。入院していても安心できないし、困ったもんだねぇ」

「いくらお爺さんでも、重傷を負っているのにそんな無茶は……」

「あの爺さんならやるよぉ~。たとえ手足の骨が粉々に砕けていても、股間の足が元気なら女医さんにすら手を出すさぁ~」

「………」


 パワフルな老婆にここまで言わせる爺さんとは、よほどの女好きのようである。


「これで今日の往診は終わりです。本当に無茶はやらないでくださいよ?」

「しかたがないねぇ~。爺さんが戻ってくるまで、リハビリでもして待つことにするよ」

「そのリハビリが凄く気になるんですけどね……」


 老婆の家を後にしたルーセリス。

 ふと『お爺さんが他の女性に手を出すのって、お婆さんが恐妻家だからじゃないでしょうか……?』と思った。

 そんなことを考えている彼女の後ろで、今出てきた家の中から『バスバス!』と何かを叩きつける音が聞こえていたが、聞かなかったことにする。

 たとえ『ばっちゃ……ルーセリスねぇちゃんから、無茶はすんなって言われただろ。なんでスパーリングしてんの?』とか、『こんなのなんでもねぇ~よぉ。それよりも鈍った拳を鍛え直すのが先さぁ~』と聞こえていたとしても、それはただの空耳である。


~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~◇~~


 一方その頃。

 暇なゼロスとアドは、今日も旧時代の遺物の分解作業に勤しんでいた。

 分解しているのは円筒形の部品で、ゼロスが魔動力炉と呼んでいるものだ。

 恐ろしく固く固定されたボルトのような金具を外し、なんとか分解に成功してみると、内部構造は凄く単純なものだった。


「……なんだ、コレ。こんなのがなんで動力として成立してんだよ」

「これなら僕達にも作れそうだねぇ」


 魔動力炉の中身はモーターのような構造に近かった。

 細い円柱棒に厚めの円盤がいくつも差し込まれ、その円盤には魔導術式がびっしりと刻まれている。入れ物としている外側の円柱の内側面には四方に金属塊が張り付けられており、その金属塊も同様に術式がこと細かく刻まれていた。

 魔力の吸収と収束を行うことで内部に魔力が満たされ、円盤に刻まれた術式が発動することによって中央の円柱棒が回転し、魔力から変換された大出力の電力が発生する。


「まんま発電モーターだろ」

「だけど、発電量が尋常じゃない。ガードロボットや多脚戦車を動かせるほどの大電力だ。これ一つで何件の家庭電力を賄えるんだろうかねぇ」


 ゼロスとアドは魔導文明の技術に驚嘆しているが、一方でエロムラは無言のまま山積みの資材の分別作業を継続中。

 単調作業を長く続けていたため飽きたのか、時々コンテナの中を漁っていた。


「これ、コンテナの中にあった作業機械も動かせるんじゃないか?」

「PCらしきものも動かせるかもねぇ。他にも工場に置いてあるような作業用ロボットアームもあるし、思い切って地下工房を作ってみようか」

「秘密基地みたいで燃えるな。試しにこの動力を使って発電してみるか?」

「いいねぇ。他の機材のチェックもしてみるか」


 分解作業を中断し、工作機械のチェックを始めた二人。

 それからしばらく時間が経過する。

 分解した部品から手頃な配線を探し出し、ひときわ小型の魔動力炉に接続。そこから拾ってきた機械に電源を通して実際に動かしてみる。

 旋盤、溶接、組み立て、形状加工と用途に合わせて様々な機械があり、連結させて3Dプリンターのような大型工作機械になるようだった。

 これらの機械は全てが一つのパーツで、組み上げることで大きな機械が完成するだけでなく、単体でも専用の加工機械としても使えるように設計されている。

 調べるついでに回収したパソコンの一つを調べてみると、工作機械の組み立て図案がデータで残されており、機材を取り付けるフレームを作れば全ての工程を一機で賄えるようになる使用には驚いた。


「……これ、組み立ててみるべきじゃね?」

「ゼロスさんもそう思うか? 俺も作ってみたい。これって万能工作機械だろ」

「その試作品ってところじゃないかい? 一部別の部品を交換する必要があるみたいだけど、その部品もコンテナの中で見かけた。これがあればミリ単位の術式すら簡単に刻めることができる。いちいち魔導錬成やたがねで削る必要もない」

「それどころか、ガードロボットすら作れるだろ。中のOSは一からプログラムを組まないと駄目だろうけどな」

「そこは僕の専門分野だねぇ」

「OSって、これじゃね? コンテナの奥にあったけどさ」

「「えっ?」」


 いきなり声をかけてきたエロムラが手にしたパッケージには、【チャンドラー2600】と書かれていた。

 中身は分からないが、明らかに機械へインストールするプログラムディスクのようである。OSの可能性は充分に高い。


「おいおい、マジかよ……」

「運命は僕達になにをさせようというのか……。これがOSならやりたい放題じゃないか」

「なぁ、この万能工作機械とやらが完成したら、大型人型ロボットも作れるのか?」


 ゼロスとアドは互いに顔を見合わせる。

 理論上なら可能だ。しかしそれにはいくつかの課題が存在する。


「できるできないで言えば、可能だねぇ。完全な人型は無理そうだけど……。その前に機材が足りない」

「ゼロスさん、なんで変形合体は無理なん?」

「エロムラ君、よく考えてみよう。アニメのような変形合体するようなロボットを造ると、どう考えても中身はスッカスカの張りぼてになるぞ? 殴り合いなんて無理だし、耐久力も低下する。現実的じゃないんだわ」

「物理法則をクリアするのは、なかなかに難しいからな」


 アドもゼロスに同意見であった。


「同じ万能工作機械が数台は必要になるな。部品くらいなら作れるかもしれんが、フレームを作るとなるとかなり大型のものが必要になるぞ」

「組み立てた万能工作機械で増やすことはできねぇの?」

「それだけでもかなりの資材が必要だねぇ」

「無難なものから試してみるべきか……」


 人型機械。それは人類が夢見た高い汎用性を持つロマンの象徴。

 魔法という技術が機械では再現不可能な技術を可能とし、地球の化学力では実用段階にすらいかない代物が、この異世界で再現できる。

 重力魔法を流用すれば理論上、慣性の制御があるていど可能となり、強化魔法も利用すれば関節部の摩耗も防げるだけでなく、手足を動かす時にかかる負荷も軽減できる。

 ついでに動力にはほぼ永久機関といえる魔動力炉があるときた。男達の夢は広がる一方だ。

 まぁ、現実はそんなに甘くないのだが、夢を持つのは勝手である。


「「「 やるか! 」」」


 意気投合した男達は分解作業を中断し、万能工作機械の組み立てを始めた。

 しかし、ここで残念な事実があった。

 エロムラはツヴェイトの護衛として、三日後にサントールの街から離れることになる。要は人手が減るということだ。

 そんなことに気づかない三人は、地下倉庫に山積みとなった部品探しに着手したが、工作機械の組み立て作業を始めるのはこれから四日後のことである。

 目先のことに囚われた男達の頭上で、吊り下げられた88mm砲が空しく揺れていた。

 


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