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アド、無職になる



 魔導式モートルキャリッジ以外にも、なぜか魔導銃の開発に手を貸すこととなってしまったアドであったが、その仕事にひと段落つき暇になっていた。

 彼の仕事は弾丸を撃ち出すための着火装置担当であったため、魔導術式を刻む金型さえ完成すれば他にやることがなく、それは同時進行であった魔導式モートルキャリッジの魔力モーターの磁力発生術式基盤も同様で、型さえあれば後の事はドワーフ達が勝手に製作することだろう。

 それどころか改良に着手するかも知れない。

 未だソリステア派の工房では魔導士達が扱き使われているだろうが、その過酷な労働に自ら踏み込むつもりなどアドにはなかった。仕事に快楽を求めるドワーフ達とは今後二度と関わりたくないのだ。

 そんな彼はもっぱら娘のカノンを可愛がっていたのだが、リサやシャクティに『無職はいいですよね。働かなくても生きていけるんだから』という感情の込められた無言の圧力を向けられ、肩身が狭い思いをするようになってしまう。

 彼は悟る。『男は、仕事がないと家庭で肩身が狭い』と――。


「ハァ~……。俺もゼロスさんみたいに農家でもやろうかなぁ~、自給自足の方が楽そうだし」


 同じ転生者のゼロスは、見た限り悠々自適な生活を送っていた。

 好きな時に働き、好きな時に遊び、自由を満喫している。

 自由を謳歌しているように見え、アドからすれば羨ましい。


『考えてみると、俺達ってこの世界で技術革命を起こしてるんだよなぁ~。避けていた技術チートじゃん。車の特許料も一部振り込まれるって話だし、そう遠くない未来にまとまった金も入るようになるが、少し複雑だ……』


 ソリステア公爵家との裏取引がきっかけで、魔導式モートルキャリッジの部品製造工場がイサラス王国にドワーフの建築家が監修のもと、現在急ピッチで建てられている。

 今後の技術発展から齎される文明の変化が気になるところではあるが、アド自身は今の生活が重要なので、ゼロスの家に相談のため訪れていた。


『いつ見ても、すげぇ光景だな』


いつのまにかニワトリ達が武術の修行に勤しんでいる光景に慣れた自分に気づく。

 何しろヒヨコが並んで正拳突きの訓練をしているのだ。

 こんな物騒なニワトリが増えたら、どんな騒ぎが起こるか想像できない。

 その飼い主も面白がって鍛えているのだから、洒落にならない強さになっていくことは明らかだ。人類の敵にならないか心配である。

 

『そういえば、工房から別邸に帰ってくる途中、タチの悪い酔っ払いをヒヨコが仕留めていたのを見かけたな……。こいつら野放しにしていいのか?』


 アドはソリステア派の工房から帰宅途中、ゴロツキをヒヨコが集団で袋叩きにしていたところを目撃していた。

 ドワーフの職人に無理やり酒を飲まされていた時なので、当初は幻覚かと思っていたのだが、物騒な生物は目の前に否定しようのない証拠として実在している。

 サントール旧市街はもはや猛獣がうろつくデンジャーゾーンである。

 親鳥も武闘派なら卵から生まれた雛も武闘派。この鳥はもう、弱小な魔物などではなかった。

 いろいろと思う彼の目の前を、シャドーボクシングをしながら駆けてゆく、ひときわ大きなニワトリが横切る。


「おっ、ちょうど良かった。ウーケイ」

「コケ? (なんだ、師父の友人殿ではないか)」

「ゼロスさんは家にいるか?」

「コケコケ。(師父なら家におられるぞ。地下で何やら作業をしているようだ)」

「地下? あぁ~、あそこね」


 ゼロスの家には何度も来ており、アルフィアの件で地下室があることは知っている。

 ただ、邪神ちゃんが復活した以上、そこに用があるとは思えない。

 隠れて何かをする必要など、もうないはずだからである。


「コケ、コケコケコケ。(若造も来ているようだが、二人で何かを作っているようだぞ)」

「若造? 誰のことだ」

「コケコケ。(確か、エロムラとか言ったな)」

「あぁ~……」


 エロムラ。ゼロスやアドと同じ転生者だ。

 ツヴェイトの護衛をアンズとしている話を聞いたが、アドはあまり話をしたことがない。

 そもそもエロムラはイストール魔法学院内での護衛を任されているだけで、ツヴェイトが実家に戻ってきている以上護衛は他の騎士たちの仕事になり、公爵家本邸で待機していることが多かった。

 アドとは異なり仕事は一時休職状態だ。


「助かった。サンキュ~、ウーケイ」

「コケ。(大したことではない)」


 ウーケイの背中を見送るアド。その後姿は妙に風格がある。

 ふと、『俺まで奴らの言葉が明確に分かるようになっちまった……。これって普通に考えておかしいよな?』と、現実に立ち返る。

 だが、所詮はファンタジー世界。人間の言葉を理解するようになる魔物もいるだけに、あまり深く考えないことにした。

 今はこの無職状態を何とかする方が最優先だった。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 カチャカチャと響く金属音。

 巨大な金属の塊を弄り回すおっさんと、その横で放心しているエロムラの姿があった。

 無理やり彼を誘ったとはいえ、何もしない状態で傍にいられると何だか腹が立つ。

 そんな時、エロムラはポツリと呟く。


「なぁ……ゼロスさん」

「何かね、エロムラ君……」

「あの骨格だけのパワードスーツモドキと訓練用ゴーレム、なんで部屋の隅に擱座してんの?」


 エロムラの視線の先に、骨組みのまま放置された魔導式パワードスーツの骨組みが、無造作に置かれていた。

 完成させるのであれば周囲にそれらしい部品が置かれていてもいいのだが、骨格パワードスーツにはうっすらと埃を被り、ところどころに錆まで浮かんでいる。


「パワー制御が難しいと分かってね、前の暴走以降使えないと判断した。アイゼンリッターも関節部に疲労が出てるんだ。やっぱ思いつきで作ったら駄目だねぇ、最初からちゃんと設計しないとさ」

「アレを見ていると震えがくるのはなんでかな? それより、なんで無駄なものを作った?」

「………別に無駄というわけじゃないよ、エロムラ君。少なくても使えないという結果が出たから」

「…………」


 なぜか泣きたいエロムラだった。


「じゃぁ、棚に置いてある木製ガ〇ダムは? ファーストから鉄血まであるんですけど……」

「畑仕事の片手間になんとなく作った」

「∀とGが無いのはどういうわけ?」

「ストーリーはともかく、あれをガン〇ムとは認めない。僕はねぇ、兵器としての機動戦士が好きなんだよ。なんだかよくわからないオーバーテクとか、スーパー系に匹敵する非常識な格闘能力は無用だと思っている」

「………戦隊ロボも紛れているっスけど。フィーバーとバルカンとレオパ〇ドン」

「アレは僕の原点だよ。昔、再放送を見て燃えた。マーベラ~~~ッ!」


 おっさんの原点がよくわからないエロムラだった。

 そもそもロボットアニメは元から正体不明な架空の超化学技術が設定されており、普通に考えてオーバーテクノロジーそのものだ。戦隊ロボも動力は謎のエネルギー設定がある。

 その拘りに意味があるのか分からない。


「それよりも手を動かしてくれないかい? この多脚戦車から砲だけを抜き取りたいんだからさ」

「コレ、無人機だったでしょ。なんで砲だけ抜き取るの?」

「………砲がアハトアハトなんだよ。完全自動化されたロボット兵器に搭載しておくには勿体ないじゃないか」

「ようするに、自分で装填してぶっ放したいだけじゃないスか。なんでわざわざ不便な兵器の方に戻そうとすんの。便利なままじゃ駄目なん?」

「駄目……兵器というのはねぇ、血が通ってなきゃいけないんだよ。走る棺桶というところにロマンがあるんじゃないか。エロムラ君も分かってないねぇ」


 エロムラからしてみれば、第二次世界大戦時の戦車と完全自立起動できる多脚戦車との間に差はない。どちらも砲弾をぶっ放す兵器としての認識しかないからだ。

 むしろ勝手に敵を倒してくれる無人兵器の方が便利だとさえ思う。


「いつ暴走するか分からない兵器なんて、僕には怖くて欲しいと思わないさ。やっぱりマニュアル操作じゃないとねぇ」

「けどさぁ~、こいつを取り外してどうすんの? ゼロスさんのことだから戦車を作る気なんだろうけどさ」

「予定では戦車か自走砲にでもするつもりだよ。動力も多脚戦車のモノを流用するつもりさ」

「できんの!?」

「重機の構造を流用する。同じ技術が使われてるから可能さ」

「そもそも何で重機の構造なんて知ってるんスか? 一般人には馴染みがないでしょうに」

「大学で中古のパワーショベルをバラしたこともあったなぁ~。フッ……昔の友人達はヤベェ連中だったぜ。チハタンくらいなら作れたと思う」

「中古でも重機を分解できる大学って……よっぽど金があったんスね」


 ゼロスが通っていた工科大学はかなり自由度が高い講義を受けられることで有名だった。

 技術を高めるためであれば、それこそコンピューターウィルスをプログラムしても許されるほどに自主性を重んじており、ゼロス自身も友人達と好き勝手に様々なことに挑戦した。

 バイクから重機にいたるまで分解することも、知識と技術を深めるためという名目の元に参加した経緯があり、だからこそ戦車の構造もなんとなく理解できてしまう。

 この異世界に来ていろいろと試した限り、工作機械を用いずとも戦車程度なら作れることを確信してしまい、『なら作らなくちゃ損じゃん』と開き直ったのだ。

 ちなみにアハトアハトの構造は、趣味の一環で既にネットで調べ覚えていた。それ以前に実物が目の前にあるので作る必要もない。


「けどコイツ、厳密にはアハトアハトではないのでは?」

「88mmならアハトアハトだよ。旧ドイツ軍の武器ではないということだけさ」

「なんか釈然としないものが……。それにしても、この装甲どっから外すの?」

「そこが問題なんだよねぇ……。いっそぶった斬った方が早いかな?」

「部品交換はどうしてたんだろ……」

「見た限りだと武装を全部外してから整備したんだと思う。砲塔も含めてね」

「外れんの?」


 おっさんは『そりゃ外れるよ』と言うが、エロムラは『防水加工はどうなってんだ? 渡河を行ったら水が入るし、搭乗者が溺れるんじゃ……』とぶつくさ呟く。

 この多脚戦車、無駄に大きい割に搭乗者が二名と限定され、砲塔のキューポラからハッチを開いて中に乗り込む仕様だ。当然だが中は想像以上に狭い。

 脚部を動かす動力と弾薬庫、自動装填装置、ついでに大きめの魔動力炉と後方上部に搭載されたミサイルポッドの可動部が大半を占め、内部には正体不明の計器類で埋め尽くされている。

 ご丁寧に冷暖房完備だ。

 搭乗する兵士には快適なのだろうが、ゼロスはそこが許せない。


『空調設備の充実は分かる。だが、これは僕の知る戦車じゃない。レーザー搭載の作業用アームなんていらないじゃないか』


 おっさんは戦車に対し変なこだわりがあった。

 ここでひとつ言っておくと、多脚戦車は厳密には戦車などではなく、戦車の形をしたロボットだ。有人でも動かせるオマケつきのプログラムで自立稼働する無人兵器である。

 戦車から派生したロボット技術の集大成で、その設計思想は無駄な人員を削減するというただ一点にあるわけだが、その代わり整備性は劣悪だ。

 一度整備するには装甲をすべて剥がさなくてはならないのだが、どこから手を付けてよいのか分からない。分解できるのは脚部くらいのものだ。

 

「ミサイルポッドは取り外せたんだけどねぇ。砲塔はどうやろうか?」

「これ、結構重いんじゃないっスか? 普通に考えても俺達だけじゃ手が足りないだろ」

「中の電子機器を先に取り外してた方が無難かねぇ? 空いたスペースで88mm砲を分解するとか……。なんとかなると思うんだけど」

「装甲を全部取っ払うほうが確実かも知れないけど、全然外せる仕掛けが見当たらないぃ~~っ、俺達だけじゃ無理だぁ~」

「やっぱ無茶か……。つか、普通なら整備のために装甲が外せるはずなのに、この多脚戦車は繋ぎ目すら全く見当たらない。どうなってんだろうねぇ?」


 普通、どんな機械でも整備しやすいように設計されているものである。

 車や戦車もそうだが、エンジンに不調がでた場合に即座に整備ができるよう、外側から装甲を開けるように作られているものだ。

 だが、多脚戦車にはそれが見当たらない。

 熱排気するためのスリッドはあるものの、内部を整備するために装甲カバーを外すボルトやリベット、留め金すら見当たらない。表面が恐ろしく綺麗すぎた。


「内側からボルトで固定しているのかとも思ったが、中も似たような感じだしなぁ~。溶接個所も見当たらないし、まるで魔導錬成で作られたような……いや、待てよ? 魔導錬成……?」

「ゼロスさん、何か気づいたん?」

「ちょっと試してみる。少し離れていてくれ」

「お? おう……」


 ゼロスは多脚戦車の装甲に手を触れると、錬成陣や錬成台を使う時のように魔力を流してみる。

 すると、装甲のいたるところに光のラインが走り、場所によっては勝手に装甲が剥がれ床に落ちた。しかも全て人が二人で持てるサイズに細かく分離している。

 

「な、なんじゃこりゃ!?」

「装甲の内側に簡易魔導錬成陣の術式が刻まれているんだ。装甲を取り付けたときに魔力を流すことで術式が発動し、金属同士を溶接したかのように癒着させる。だから繋ぎ目が見当たらない」

「それだと、外側から同じように敵に魔力を流されて、装甲が剥がされるんじゃないのか?」

「いや、それを防ぐ役割が強化魔法の術式だよ。癒着した装甲は内側にある魔動力炉から常に魔力が送られ、強化魔法によって硬度が維持される。つまり異なる魔法によってコーティングされるから、動力が動いている限り敵によって装甲を剥がすことはほぼ不可能。しかも恐ろしく超硬度ときた。考えられているねぇ」


 剥がれた装甲に触れ調べてみると、装甲は三重構造となっているようで、術式は中央の金属に刻まれているのだろうと予測する。

 希少金属による合金で耐久性があるが以外にも厚みがなく、魔法強化により強度を上げることに重点を置かれているのか、あるいは軽量化のためかは知らないが装甲版は思ったよりも軽かった。


「この多脚戦車、図体に似合わず軽いのかねぇ? レールガンの一発で脚部が吹き飛んだしなぁ~……」

「いや、さすがにレールガンまでは想定してないだろ。あの威力なら、ティーガーの装甲でも簡単にぶち抜けると俺は思う……」

「こいつがいつの時代のものかは分からないが、旧魔導文明の最盛期じゃないことだけは確かだねぇ。大出力のレーザー衛星を作れる時代のものにしては、妙に操縦席まわりがごちゃごちゃしてるし」

「いつの時代のものだろうが、やべぇ兵器だというところは変わりないんですが?」


 エロムラの正論だが、ゼロスが気にしているのはそこではない。

 多脚戦車が魔導文明の初期に開発された兵器だとすれば、そこから派生した後継機はどのように進化していったか。技術の発展次第では戦車が低空を飛行できた可能性も考えられる。

 何しろエアライダーと呼ばれる飛行バイクがあったくらいだ。


『……空飛ぶ砲台を戦車と言えるのか微妙だねぇ』


 実際に存在していたかは知らないが、完全にコンピューター制御で飛行する戦車をおっさんは戦車とは呼びたくなかった。

 そこまで来るとSFの領域で、正直面白みがない。

 ただの偏った拘りである。


「うぉ!? な、なんだこれ! 戦車……なのか?」

「おや、アド君じゃないか。どしたの?」

「こっちのセリフだ。どっから拾ってきたんだよ、こんなもん」

「ダンジョンに落ちてたよ」

「マジか……。ファンタジー感ぶち壊しだな」

「魔法が科学に近いのか、化学が魔法に近いのか分からなくなるよねぇ。あっ、暇なら手伝ってくれないかい?」


 飛んで火にいる何とやら。

 のこのこと現れたアドをこれ幸いと、多脚戦車の分解作業に巻き込んだ。

 こうして88mm砲は取り外され、ゼロスの趣味はブレーキの壊れた暴走列車のごとく更なる加速を見せることになる。

 このおっさんは、もう止められない。


「どうでもいいが、部屋の隅にあるパンジャンドラムは何なんだ?」

「なんとなく作ってみたが、解体するのが勿体なくなってねぇ」

「「・・・・・・・・・」」


 いや、止まる気は最初からないのかもしれない。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


『勝手知ったる他人の家』という言葉がある。

 今はともかく、昔の日本文化において田舎の御近所つきあいはオープンで、お隣さんが他人の家の状況を良く把握していた時代があった。

 事後承諾で物の貸し借りが行われ、しかもあっさりと許され、今では余計なお世話と思われがちな人の触れ合いが平然と行われていた頃だ。

 絶えて久しい義理人情。ご近所の人達が殆ど家族と変わらないつき合い、助け合いながら日々の生活を暮らしていた古き良き時代ともいえる。

 無論、相応の良識や常識があってのことだが、少なくとも今でいうボスママや無断拝借するパク泥、勝手な思い込みで不必要に煽ってくる隣人は少なかった。

 なぜこのような話が出るのかというと、お隣の教会に住む隣人と非常識な魔導士の家との関係が、まさに『古き良き時代の隣人との付き合い』に該当するからである。

 

「うあ~~……しみるな」


 湯船のお湯に身を浸したジャーネは、その温かさで日々の疲れを癒していた。

 普段の姉御風とは大きく異なりリラックスした表情で、言い方を変えれば締まりがないくらいに蕩けきっている。

 隣国の温泉に行って以降、ジャーネはすっかり風呂にハマってしまった。

 そう、要するに教会のうら若き乙女達は、たまにゼロス邸へと風呂を借りに来ているのだ。

ゼロス自身も容認している。


「ジャーネ……そのセリフはおじさんくさいですよ?」

「そうは言うが、風呂なんて滅多に入れるもんじゃないし、この快楽を知ってしまったアタシとしては、もう風呂なしの生活なんて耐えられない」

「一応、ここはゼロスさんの家なんだから、少しは遠慮して……あぁ、私達二人でゼロスさんにお嫁入りするから、別にかまいませんか」

「んえ!?」


 ルーセリスのいきなりの発言に、ジャーネは思わず湯船に沈んだ。

 そんな彼女を見てルーセリスは楽しそうな笑みを浮かべている。


「ななな、なにを言ってるんだ!」

「えっ? でも結婚したらここが私達の家になるわけですし、間違ってはいないですよね?」

「アタシはまだ結婚なんて考えていないぞ」

「ジャーネ……」


 恋愛症候群の症状が出ている二人だが、ルーセリスは結婚に前向きでジャーネはいまだに覚悟が決められないでいた。

 ルーセリスは思いっきりがよく、なぜに即断即決ができるのかジャーネには分からない。普通なら結婚に対していろいろと考えるものだろう。


「ルー……なんでお前は前向きに結婚を決められるんだ。年の差とかそういうことに悩んだりしないのか?」

「逆に聞きますけど、発情期の兆候が表れているのに悩む必要がありますか? 私達の本能がゼロスさんを求めているのに」

「発情期言うな……。それにしたってもっと、こう、段階を踏むべきなんじゃないのか? その……例えばだがデ、デートしたり、とか……」

「ゼロスさんにそれを求めるのは無駄だと思いますけど?」

「何気に酷いな!?」


 年頃の娘二人が浴場で交わす、恋バナと言ってよいのか分からない内容の会話。

 この手の会話は二人が教会でよく話すので今更だが、少しずつ夏が近づくほどに恋愛症候群の兆候頻度も高くなっていく。ルーセリスがジャーネの奥手な性格を心配してのことだ。

 恋愛症候群の末期が到来し、本能の赴くまま絶叫告白をするのが恐ろしいのだ。友人が社会的に死ぬところなど誰も見たくないだろう。

 場合によっては、人前で嫁にいけなくなるような醜態をさらしかねない事態にもなる可能性も高く、それほどまでに脳内がお花畑で浸食される厄介な現象なのである。


「つまり、段階を踏めば良いということですね。わかりました、明日三人でデートしましょう」

「いきなりだなぁ!? つか、おっさんにも予定というものがあるだろ。地下で何しているかは知らんけど」

「ハァ~、そうやって先送りにして、最悪の事態に陥ったらどうするんですか? 自分の身に起きていることなのに」

「わかってるよ……」


 ジャーネとて別に結婚したくないわけではない。

 年齢差ということも口に出してはいるが、実のところこの世界では歳の差夫婦など珍しいわけでもなく、街を歩けば普通にいくらでも目にすることができる。

 では、彼女が何を問題にしているのかというと、単に彼女の内面が夢見る乙女なところにある。


「んなことより、勝手におっさんの予定を決めていいのかよ。つか、アタシも生活費を稼がないといけないんだが……」

「たまにはゆっくり休まないと、溜まった疲労でお仕事に支障が出てしまいます。週に一回くらいは休日を入れるべきですね」

「無茶を言うな、いい依頼は早いもの勝ちだ。より多く稼ぐために、いつも傭兵ギルドの掲示板を確認する必要があるんだぞ。毎日チェックしていないと見逃してしまう」

「移動するだけでもお金がかかるのに、そのうえ装備の手入れ代金に回復用の薬代。食費に宿代も入れたら相当な金額になりますね。余ほど効率よく依頼を受けないと赤字になってしまいますから、必死になる気持ちもわかります。」

「ポーションは自作できるようになって薬代は節約できるが、有効期限があるから毎日確認しておく必要があるんだ。長期保存が利かないからな」


 魔法薬は特殊加工をしていない瓶以外に入れると、内の魔力が大気に拡散してしまい時間経過で効能が弱くなってゆく。一般的に売られているポーションの殆どがこれに該当する。

 定期的にチェックをしておかないと、いざ必要としたときに役に立たないないなんてこともあり、ジャーネ達のような真面目な傭兵であれば入念に確認を行っていた。

 余談だが、特殊加工を施してある瓶はなぜか魔道具扱いされており、長期保存できるという点で同じ効果のポーションでも値段に二倍くらいに差が出てしまう。

 ポーションの自作は大きなアドバンテージになるが、それだけで生活が楽になるほど傭兵家業は甘くない。


「長期保存できる瓶の作り方も、ゼロスさんに教えてもらうというのはどうでしょう?」

「それ、普通に転職した方が稼げるよな? 一人前になるまで何年かかるかは知らんけど」

「ですが、懇切丁寧に教えてもらえますよ? ゼロスさんとの距離も縮まりますし、一石二鳥です」

「それが目的か……」


 一部の国を除きこの世界では重婚が普通に認められている。

 ルーセリスのように重婚を当たり前のように受け入れている者もいるが、ジャーネは乙女趣味な小説の影響からか、一途な愛に憧れを持っていた。

 それ以外にも別の理由から結婚というか夫婦というものに忌避感があり、特に異性に対して拒絶感とまではいかないものの、男性を避ける傾向が強い。

 その理由を知っているルーセリスも無理強いはしたくないのだが、恋愛症候群という奇病というか珍病の恐ろしさを知っているだけに、強硬に事を進める必要があった。

 だが、彼女の思うように進めるのは難しく、傭兵といういつ仕事が入るかも分からない不定期な職業柄なこともあり、ゼロスとジャーネの仲を取り持つ接点を作るのがとても難しい。

 あまりしつこくするとジャーネが逃げてしまうので、どうしたものかと頭を悩ませる毎日が続いていた。美しい友情である。


「ゼロスさんに、もっと歩み寄るべきだと私は思っていますよ?」

「ルーは往診が無いとき以外はほとんど教会にいるが、アタシは生活のために依頼を受けて、各地を廻らなきゃならないんだぞ。一日休むだけで数日分の稼ぎが無くなるんだからさ」

「だからこそ今デートするんです!」

「だから、なんでそんなに強引なんだよぉ!?」

「私は……ジャーネが社会的に死ぬところなんて見たくないんです」

「うっ………」


 ジャーネも本当のところは分かっている。

 確かに傭兵活動で移動が多いことは確かだが、サントールの街に帰ってきてゼロスを見るたびに、彼女の心臓の鼓動は自分の意志に反して激しく動悸する。

 今まで考えないようにしてきたが、最近は鼓動が激しくなる頻度が増えてきており、思わず身を隠すようになったほどだ。


『……これって、本当に恋なのか? なんか小説のようなときめきとは違う気がする』


 恋のときめきと言うにはあまりに無遠慮で、内面乙女なジャーネは受け入れがたい。

 愛だの恋だのという話はジャーネにとって小説の中の話で、夢見がちな彼女がいざ現実に直面すると偏った知識が影響して否定的になり、直感や本能からくる衝動に対して忌避するようになってしまったのだ。


「本能に身を任せた方が楽ですよ?」

「だから、アタシはそういう勢い任せが嫌なんだよぉ!」

 

 何しろ、この世界は本能からくる衝動に身を任せて結婚する人達は大勢おり、意志の力でその衝動を否定する人の方が少数といえる。

 そして、恋愛症候群による衝動を限界まで抑え込む者ほど酷い目に遭うことになる。泥酔した者のように奇行に走るようになるのだ。

 おそらくジャーネの考え方に同調する者は、ゼロスのような異世界人くらいであろう。

 異世界人にはイリスもいるのだが、彼女はジャーネの結婚は肯定的で相談相手にならない。それ以前に内面がお子様だった。


「だ、だが……いきなりデートというのは難易度が高くないか?」

「私も一緒に行きますから、そんなに気を負わなくてもいいですよ。ゼロスさんと二人きりになったら、デート中にジャーネが会話できるとは思えませんから」

「何気に酷いぞ……」


 ゼロスと偶に買い物に出かけるルーセリスは、二人きりでの会話もさほど苦ではない。

 対してジャーネは異性と二人きりで街を歩いたことすらなく、しかも相手は父親と言ってもおかしくないくらいに歳の離れた年長者だ。会話が続くとは思えなかった。

 無論、ゼロスとジャーネくらいに歳の離れた夫婦は世間に大勢いるが、いざ自分が当事者になると気後れしてしまう。それ以前にもう一つ問題がある。

 ある意味これが一番の原因ともいえるだろう。


「あぁ~、認めるよ。アタシは確かにあのおっさんに本能から惹かれているさ。けどさ、アタシにも思うところがあるわけだ」

「それは乙女趣味のところですよね?」

「ほっとけ! そりゃ、アタシだって……結婚はしたいと思っているよ。けど、あのおっさんはムードもへったくれもなくセクハラ発言を連発するじゃないか」

「たぶんですが、ただの照れ隠しだと思いますけど?」

「だとしてもだよ……その、なんだ……。できれば勢いでなくちゃんとプロポーズしてほしいな~と、アタシは……思う、訳で……。憧れというか……」

「ジャーネ……」


 ジャーネは頑なに拒んでいるが、実のところはおっさんを嫌っているわけでもない。

 何しろ本能からくる衝動があるため、嫌でも相性というものを理解させられる。

 だが、それでも譲れないものがある。

 そう、乙女趣味のジャーネが求めているのは、異性からのロマン溢れる甘ったるいプロポーズの言葉だった。

 ルーセリスもジャーネと長い付き合いゆえにそこは理解しているのだが――……。


「無理じゃないですか?」

「少しは肯定してくれてもいいんじゃないか!?」


 ―――バッサリと切り捨てた。


「ゼロスさんもある意味ではジャーネと同類ですし、告白するにしても照れ隠しから冗談を交えて言うしかないと思いますよ。私達との歳の差を考えてみてください」

「となると、アタシ達から切り出すしかないのか?」

「社会的に死にたくなければ、そうするしかないですね。私は既に準備はできてますよ、婚姻届けのですが」

「お前は少しくらい段階というものを考えろよぉ!?」

「ちなみにジャーネの分の婚姻届けもあります。メルラーサ司祭長が『ジャーネともども発情期が来たって? しかも同じ男に惹かれているってか。アンタ達は本当に仲がいいんだねぇ~ヒヒヒ……』と言って用意してくれましたから」

「誰だ……司祭長に教えた奴は」


 無論、博打仲間でありジャーネの傭兵仲間でもあるレナが情報源である。

 本人の知らないところで結婚準備が着々と進んでいるようだ。

 あるいは外堀を埋めるともいう。

 周りが心配してお節介を焼いていると思いたいが、メルラーサ司祭長が動いているという点で信用度が大きく下がる。

 仮にも司祭達の上に立つ立場でありながら、面白半分で周囲を引っ掻き回す愉快犯でもあるのだから。


「ジャーネ、覚悟を決めてください」

「もう少し時間をくれよ……。こんなの人に言われて決めるもんじゃないだろ」

「仕方がないですね。でも私達に残された猶予は少ないということを覚えていてください」

「うぅ……」


 普段の姐さん言動するジャーネとは思えない乙女な一面を、ルーセリスは正直可愛らしいと思う。羨ましいとすら思える。

 それ以上に――。


「話は変わりますが、ジャーネ……」

「なんだよ」

「また、胸が大きくなっていませんか?」

「にゅえっ!?」


 ――ジャーネの胸の成長が気になった。

 ルーセリスもスタイル的には上位に入るが、ジャーネはそれを大きく超えていた。

 野性を思わせる均整の取れたプロポーションなのに、女性から見ても目を奪われるほどに引き締まっており、何より褐色の肌がノスタルジックで息を呑むほど美しい。

 正直、嫉妬すら覚えるほどだ。


「触ってもいいですか? 胸……」

「ちょ、話がいきなり飛びすぎだろぉ!?」

「いえ、ジャーネを見ていたら何と言いますか、ムラムラ~ときてしまいまして」

「ま、待て……なぜに距離を詰めてくる。それにお前だって充分に綺麗だろ。胸だって平均以上あるって、絶対!」

「ジャーネ……人というものはですね、自分にないものを追い求める存在なのです。そう、私にはないその豊かな膨らみを……」

「ちょい、ま、待て、ルー……。お前は何を言って………つか、言うほど小さくもないだろぉ、むしろお前だって大きい方から! や、やめ、ふぁあああっ!?」


 浴室の中にてうら若き乙女の悲鳴が響き渡る。

 幸いと言ってよいか分からないが、ゼロス達がいる地下へ響き渡るほどでもなかった。

 




 

 


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