おっさん、熱くなる
騎士団の執務室。
そこに、二人の騎士が顔を合わせていた。
一人は騎士団長でもあるマークス・ヴィルトン、もう一人はアーレフ・ギルバードその人であった。
「報告書を呼んだが、凄まじいな。この短期間でレベルが154だと? どれだけの死線を潜り抜けて来た」
「そこに記載されている通りです。厄介な魔物と毎日戦い続け、何とか生き延びました」
「ゴブリンやオークは兎も角、オーガ、トロール、キマイラ、マンイーターだと? 良く生きて帰れたな?」
「倒さなければ喰われるのは我等です。それはもう、色々な意味で……」
なぜか遠い目を向けるアーレフ。
その言葉に少し訝しみながらも、それでも報告書に目を通すマークス。
「二日目にして食料が奪われ、そこから命懸けのサバイバルか……本当に良く生き延びてくれた」
「いえ、多くの部下たちのお陰でしょう。自分はまだ、それほど強くは無いと思います」
大深緑地帯では食糧確保が困難であり、例え肉でも食料として適さない物も多い。
トロールやキマイラが特にそうだ。
淡々と答えるアーレフに対し、マークスはこの数日で見違えるようになった彼の姿に、驚きを隠すことが出来ないでいた。
(どのような経験をすれば、ここまで…。明らかに別人では無いか)
アーレフの体から立ち込める尋常では無い覇気。
理性を持ちながらも、まるで野性の獣の如く周囲を圧倒する気配に、マーカスは驚きと共に喜びに打ち震えた。
彼を鍛え育て上げたのがマーカスであり、我が子の成長を喜ぶ親の心境と云う物を味わっていた。
そして彼らが書き記した報告書をめくり、その内容を読んで『ブフッ!?』と吹き出す。
記載されていたのは、クレイジーエイプの生態であったからだ。
「アーレフ……これは、何かの冗談か?」
「いえ、純然たる真実です。アレは……我らにとっては脅威となる魔物でしょう」
「確かに……これが真実なら、ある意味で恐ろしい内容だ。しかし……」
「信じたくは無いかもしれません。しかし、いつまでも目を逸らす訳には行かないでしょう」
クレイジーエイプは雌しか存在しない猿の集団である。
その雌が序列を争い、一番弱い猿が雄へと変態する。
問題はその変化した雄が、人間の男を襲うという事だろう。
クレイジーエイプは生存競争の中、雄に変化した猿が人間の男を襲い、自身の力を示す事で元の雌へと戻るのだ。
人間の男に対するモーホー的行為は、自分の力を示した証であり、その結果として序列が繰り上がる。
群れで行動する以上、序列は生き残る上で最も必要な物だけに、人間の男はその序列上げと種を残すための道具にされるのだ。
クレイジーエイプは別に変態的嗜好が在る訳でも無く、純粋に生き延びる事に力を尽くしている。
問題は人間の男にとって、この生物の行為が別の意味で脅威な事だが、そもそもクレイジーエイプにそんな事を考える思考は存在しない。
あくまでも生存競争から培った習性なのである。
「く……クレイジー、狂っている」
「いえ、それが奴らの種を残すための行動なら、それは理に適っているのでしょう。納得できるかは別問題ですが……」
「確かに…そもそも種族が異なるのだから仕方が無いが、今まで犠牲になった者達もいるのではないか?」
「恐らくは、いるでしょう。金に困った傭兵や盗賊……考えたくも無いですね」
他にも突然に人が消えた村や、旅人。言いだしたら切りが無い。
しかも、群れで森を移動しなが拠点を変えるので補足しづらく、その力も驚異的である。
並の傭兵では歯が立たず、哀れな犠牲者になる事は間違いないだろう。
「傭兵ギルドに注意勧告を出しておこう。これ以上犠牲者が出ては叶わんからな」
「妥当な判断ですね。仮に奴らの餌食になったとしても、それは自己責任ですから」
「白猿の毛皮か、高値で売れるからな。しかし、ゴブリンやオークだけかと思っていたのだが…」
人間や多種族を繁殖の道具にする魔物は限られている。
こうした魔物は、よく森から現れては人里を襲う害獣であった。
傭兵も民である以上は、こうして得られた情報を開示しなくては、犠牲者となる者が増える一方だろう。
この情報が出ても挑み、それでも犠牲となるならば、それは彼等の力が足りなかったとみなす。
何しろレベルが二百を超えた魔物である、それに挑んで返り討ちになったとしても自己責任で済ませるしかない。
「……疲れているのに御苦労だったな。帰って奥さんを喜ばせると良い……」
「いえ、これが私の義務ですから。御心遣い痛み入ります」
「素材を売った収入の一部は、近い内にお前達に渡そう。今日はすまなかった」
「しばらくは休息したいですね。あの森は地獄でしたよ……」
「そうか・・・・・・」
アーレフが執務室を退室すると、マーカスは机の上に頭を抱えて蹲った。
「これ……マジで私が説明すんのか? 頭が痛い問題だぞ……」
これからの自分の仕事を考えると、正直に言って心が重い。
それ程までに、クレイジーエイプの生態は異常で異様あった。
その後、マーカスは恥を忍んでこの情報を開示したが、傭兵ギルドには一笑され、結果として多くの傭兵達が帰って来る事は無かった。
それ程までに高値で取引される【白猿の毛皮】が魅力だったのである。
どんなにふざけた内容でも、命懸けで情報を持ち帰った者達がいた事は称賛に値するが、その情報を信じるかどうかは別の問題だった。
情報を信じなかった傭兵達は、おそらくは激しく後悔したであろう。
しかし、後悔する頃には全て手遅れなのが世の常である。
厳しいようだが、情報を軽んじて自滅しても全ては自己責任なのが傭兵の世界だ。
後に傭兵ギルドが頭を下げ、消えた傭兵達の捜索を嘆願して来る事になるのだが、マーカスはそれを取り合う事は無かった。
結局、情報を信じなかった傭兵達が悪いのだから……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サントールの街に戻って三日。
いつもの事く、セレスティーナとツヴェイトはゴーレム相手に訓練の真っ最中。
ただ、そのゴーレムはマッドゴーレムから、一部がストーンゴーレムに変更されていた。
そのストーンゴーレムも二人は苦戦しながらも倒し、死線を潜り抜けてきた二人は絶好調の様である。
レベルや技量も一週間前とは比べ物にならないほどに変わり、動きも以前の様な危なげな印象は受けない。
「ほう、随分と腕を上げたのぅ。以前とは別人の様じゃ」
「やはり、実戦を経験すると変わりますね。何が重要なのかを肌で感じられますから」
「ストーンゴーレムのレベルはどれ位じゃ? マッドゴーレムも動きが良いようじゃが……」
「平均でLv100に抑えてあります。長期戦になると不味いのは変わりませんが、代わりに二人にはアレを覚えて貰いましたから」
「アレか……くく、実に頼もしく成長したではないか。これなら我が派閥も影響力が増すであろう」
どうやらクレストンは、二人を自分が組織した派閥に加える気の様である。
国の行く末を考える上で、魔導士団と騎士団が揉める事態は何とかしなくてはならない。
だが、弱小派閥でも魔法文字を解読できる二人が加われば、影響力も増す事に繋がる。
しかも王族の親戚筋なので無碍に扱う事も出来ない。
「中々に策士でいらっしゃる。しかし、どうしようもない愚か者は常に存在しますが?」
「そこは暗部に動いて貰う。王族直轄の組織じゃから、国の改革には喜んで手を貸してくれようぞ」
「裏のギルドも存在するのでは? 人の噂も馬鹿に出来ませんよ? 王宮の使用人とか」
「なに、準備は整っておる。そなたの再調整してくれた教本が、奴ら自身を追い詰める事になるじゃろうよ」
「アレは他の派閥とやらが制作した教本ですよね? 下手に弄らない方がよほど使い勝手が良かったはずですよ? なんであんな馬鹿な真似をしたのか、理解に苦しむんですがね」
「真面目に研究している様で、研究資金のほとんどを賄賂に廻しておるのじゃ。おかげで真面目な魔導士達が困窮して、最適化するどころか完全な欠陥品に変えたのじゃろうな」
「悪循環じゃないですか……本当に大丈夫なんですか? この国……」
内政面はともかく、防衛に関してはグダグダで、互いの足を引っ張り合っている現状。
他国が攻め込んで来たら真っ先に壊滅しかねない。
そんな国に対して不安をつのらせ無い人間はいないだろう。
「そうならない様に、今の内に手を打っておかねばならんのじゃよ。こんな国に誰がした……」
「こっちが聞きたいですよ。何があったら、こんな事態になるんですかね?」
無論、一人の魔導士が権力を求め、他の有力貴族に賄賂を渡すようになってからだ。
一人が過ちを行えば、残るは二通りしかない。
不正を戒めるか、不正を行うかである。
(戦争になったりしないよな? 面倒事は御免だぞ……巻き込まれたくは無いしなぁ~…)
過ちを正そうとすれば、そこに反発する者達も確実に存在する。
そうした連中は保身のために、どんな非道な真似も平気で実行して来るのである。
「まぁ、既に儂らは動き出しておる。最適化した魔法はスクロールにして、この街で販売を開始した」
「安価でまともな魔法が売れれば、派閥連中の足元が崩れるという訳ですか?」
「うむ、派閥から追い出された魔導士も、何人かこちらに引き入れたのでな」
魔導士の収入は販売する魔法スクロールか、錬金術で作り出す魔法薬が主な収入源である。
その売り上げの六割を派閥が回収する事で、組織の土台を支えていた。
現領主であるデルサシスは、自分の副業でもある店で、ゼロスが最適化した魔法のスクロールを販売した。
それは、各派閥にとっては土台を揺るがしかねない最悪の事態である。
何しろソリステア公爵家は、この国有数の商人であり、同時に王族の親戚筋。
敵に回すのが厄介な家系であった。
「お主のお陰じゃて。あの魔法式消去の魔法式は、実に有用じゃ」
「魔法を覚えたら、魔法スクロールは邪魔なだけですからね。魔法紙の回収も含めて売りに出せば、儲けもそれなりでしょう」
「売り上げの一部がお主にも振り込まれるぞ? 口座は我が領で運営する金融業者に、既に頼んでおる」
「しばらく生活は安泰ですね」
「土地も今開拓中じゃ、既に家の基礎を作り始めておるがぞ? お主の魔法『ガイア・コントロール』は実に優秀じゃ」
孤児院で使った魔法を知り、クレストンはその魔法を販売しないかと言って来た。
迂闊に魔法を広める気は無いが、使い方を限定する事により、その効果を周囲から目を背けさせる事に成功し、今は農民達も買って行くほどの人気ぶりとなっている。
穴を掘ったり、周囲の土を固めて岩の様にしたり、側溝を掘ったりとつまり、【土木作業】で利用する事で攻撃性が無い様に見せかけたのだ。
しかも、魔法を広めてもスクロールにその魔法は残る事は無く、外部に漏れる心配も無い。
魔導士が購入するかもしれないが、そもそも地属性魔法を使える魔導士が、この魔法を覚える必要性は無い。
その為か、『ガイア・コントロール』の魔法は一般に広く出回り始めていた。
魔力が低い一般人がこの魔法を使っても、大して脅威にはなり得ないからだが、数の暴力を忘れている魔導士や騎士団は現時点でそれほど問題視してはいない。
何しろ農作業に使われ始めているのだから、彼らの目には単純な初期魔法に見えるのである。
「それより、訓練の方を見ましょう。実戦経験のあるクレストンさんの意見も、充分に二人の参考になる筈です。僕だけでは知識が偏りますからね」
「うむ。老いぼれでも役に立つのじゃから、これ程嬉しい事は無いぞ。何せ、可愛い孫じゃからのぅ」
ゼロスは『アンタが可愛いのは孫では無く、孫娘の間違いだろ』と心の中でツッコんだ。
色々思う事はあるが、取り敢えず二人の訓練に目を戻す事にする。
「相変わらず…えげつねぇ攻め方をしてきやがる。しかも、防御が堅い」
「スト-ンゴーレムの防御力は厄介ですね。動きが遅いのが救いですが……」
「その代わり、奴にはアレが在る…」
ストーンゴーレムが防御して他のゴーレムを守り、周囲からマッドゴーレムが攻撃を仕掛ける定番だが、定番であるだけに包囲網を抜け出すのが困難であった。
マッドゴーレムよりも防御力が在るストーンゴーレムは、一撃で破壊する事が不可能であり、何より間接攻撃も出来るのだ。
ストーンゴーレムが自分の躰を構成する石を無数に分離し、空中に浮かせる。
「来ます!」
「チッ! 『マナ・シールド』!!」
浮かんだ石が弾丸となり、ツヴェイト達に撃ち込まれる。
それを魔法障壁を展開させ、辛くも攻撃を防ぎ切った。
「ストーン・ショット。至近距離でやられると厄介ですね」
「あぁ…撃ちだす前に石を浮かばせるから解り易いが、攻撃範囲が広い」
「巻き添えでマッドゴーレムに撃ち込まれても、元が泥ですからダメージにはならないようですし」
「結局は核を破壊するしかない。厄介さに磨きが掛かってんぞ」
マッドゴーレムの種類は二種類あり、攻撃主体のマッドゴーレム(太)と中間接戦闘が可能なマッドゴーレム(細)の連携、そこに防衛の要であるストーンゴーレムが加わる事で、布陣は鉄壁になりつつある。
ゴーレムは核を破壊しなければ倒せないが、その核に至るまでが厄介極まりない。
更に、中途半端に破壊しても、核が存在していれば再び身体を再生してしまうのである。
ファーフランの大深緑地帯から帰還してレベルは上がったが、同時に訓練の難易度もかなり上がっている。
「これで動きの速いゴーレムが加わったら、手の出しようが無いですよ」
「全くだ。だが、それが良い。何度でも失敗できるんだからな」
「そうですね。では、仕掛けます!」
「おう、行くぞ!」
「「『白銀の神壁』!!」」
二人は『白銀の神壁』を展開させた。
この魔法は魔力が続く限り障壁を展開させ、自身の意思で形を変える事が出来る。
セレスティーナは周囲のゴーレムを殲滅させるため、前方に向けて無数の棘を伸ばす突撃型。
ツヴェイトは周りの敵を薙ぎ払う、巨大な剣の形へと変える。
ストーンゴーレムがいる以上、長期戦闘は疲弊するだけである。
時に大胆な行動を起こし、統率する指揮官を倒す事も有効であると互いに判断したのだ。
「シールド・バッシュ!」
「ブレイド・スラッシュ!」
白銀の神壁に武技スキルを発動、加えさせ、一気果敢に敵殲滅を敢行した二人。
セレスティーナの突撃でマッドゴーレムは攻撃出来ずに陣形を崩され、周りを包囲していたゴーレムはツヴェイトが寄せ付けない。
しかも、近接戦闘の技を加える事により、その威力は倍に増大する。
この戦闘訓練は、リーダー格のゴーレムを倒せば終わるのだが、そのゴーレムは極端に大きいストーンゴーレムであった。
一撃で倒すのは難しいが、核に攻撃を加える事が出来れば勝利は確実である。
二人は短期決戦で活路を見出そうとした。その考え方自体は間違いでは無い。だが……。
―――ゴォオオオオオオオオッ!
―――ズドン!
リーダーであるストーンゴーレム・コマンダーは吼えると、両腕を振り上げ、地面を力強く叩き付ける。
同時に発生した衝撃による振動波が地面を揺らし、二人の体勢を乱す。
「なっ?! 『アースクェイク』?!」
「んな能力、聞いてねぇ!!」
自然界で発生した魔物のゴーレムは、こうした魔法攻撃を見せる事は無い。
何しろ魔力が消費されれば、自身が再びただの石に戻ってしまうからである。
だが、決して魔法が使えない訳では無い。
緊急時にはこうした攻撃を加え、敵が怯んだところを質量攻撃で粉砕するのだ。
ついでに配下はマッドゴーレムで、肉体を崩してスライムの様に這い回り、二人の周囲を瞬く間に囲んでいく。
勝機を見出そうとした行動が、逆にカウンターを受けた形になってしまう。
結果、二人は泥だらけにされる事となった。
「うん、少し決断するのが早すぎだな。相手が手の内を見せているとは限りませんよ?」
「しかし、良い戦い方じゃ。増々将来が楽しみじゃわい」
「けど、悔しい……。もう、ちょいだったのによぉ~」
「あそこでアースクェイク……ゴーレムも侮れません」
「大深緑地帯のゴーレムは、あの程度では済みませんよ。アースクェイクで大量の土砂ごと巻き上げられ、周囲の森が吹き飛びましたからねぇ~……懐かしい」
「「「アンタ(お主・先生)……良く生きていたな(のぅ・ましたね)?」」」
普通に死ねる環境で、一週間も生き延びたゼロスが驚異的であった。
自分達も知らない脅威的な魔物に驚きもするが、それ以上に危険な場所で生き延びたゼロスが遠い存在に思えた。
教え子二人は知る。
自分達が過ごした場所は、まだ地獄の入り口にも至っていない事を……。
魔の森はどこまでも深く、そして恐ろしい危険地帯なのだった。
戦慄を覚えながらも、いつもの日課となった戦闘訓練は終了する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最近のツヴェイトは、どこか挙動不審であった。
時折セレスティーナをチラ見しては、深い溜息を吐くようになった。
今も彼女の後を陰から見ては、やはり溜息を吐く。
「今日こそは……。しかし……」
傍目からは妹に恋慕の情を抱える、アブナイ兄貴にしか見えない。
そんな事とはつゆ知らず、彼は隠れては決意と怖じ気の間を彷徨っていた。
他の女給たちにも、自分の姿を見られているとも知らずに……。
「俺……こんな情けない人間だったのか?」
「いえ、それは元からの資質でしょう」
「んな訳ねぇ! 俺は男としての矜持を常に抱いて生きて来た」
「矜持ですか? ルーセリスさんに権力を利用して、強引にモノにしようとしたのもですか?」
「うっ…アレは確かに俺の間違いだった。今思うと馬鹿な事をしでかしたと反省している」
「反省しているのであれば良いんですが、中には人の忠告も聞かない方もいますしねぇ~……」
「相手にされていない事は分かったが、なんか悔しくて、って師匠?!」
いつの間にか背後にいたゼロスに、ツヴェイトは驚愕して飛び跳ねた。
全く気配を感じなかったのだ。
「いつの間に……」
「今ですけど……さすがに、それはやめた方が良いですよ?」
「何がだよ」
「片親だけとは言えども、血の繋がりのある妹に対してその様な恋慕の情は……」
「違うからな?! そんなんじゃねぇから!!」
ここに来て、彼は自分の行動が周囲の人々に勘違いさせている事に気付いた。
「半分血の繋がった妹に対して、思わず『ムラッ』と来たのでは無いので?」
「違ぁ~う!! 断じて違う!! 俺はただ、謝りたかっただけだ!!」
「謝る? あぁ~……なるほど」
ゼロスはここで自分の勘違いに気付いた。
ツヴェイトはこのソリステア公爵家の跡取りであり、昔からセレスティーナを虐めていた張本人だった。
その過去を清算する為の機会を伺っていたのだと推測する。
「知ってるとは思うけどよ、あいつは昔から魔法を行使する事が出来なかった。けど、その原因が魔法式その物にあるとは当時は思わなかったんだよ。今だから言うが、ウチの家系は代々魔導士の家系だ。
そんな一族の中に無能な存在がいる事に、俺は我慢が出来なかったんだよ。最近までな……」
「成程…、充分に理解出来ましたよ」
ツヴェイトは自分の血筋や歴史、その全てに誇りを持っている。
その中で何の才能も見いだせないセレスティーナが、彼にはどうしても我慢できなくなり辛くあたっていた。
だが、その状況が一転すればどうなるか?
無能と思われた存在が、実は大本の魔法式によって才能が閉ざされ、それ故に冷遇されたとなれば罪悪感が半端なモノでは無いだろう。
ましてや自分自身が率先して冷遇した立場であるだけに、彼はその罪悪感に耐えきれないでいた。
「……そこまで思えるなら、なぜルーセリスさんにあれ程まで陰湿な真似を?」
「そこはもう、良いだろ!! 本気でどうかしてたとしか思えねぇんだからよ!!」
派閥連中の影響と、軽い発情状態だったからである。
「過去は変えられませんよ?」
「うぐっ……確かにそうなんだが、自分でも良く解らん。何か、熱にうなされ暴走したとしか……」
「その言い訳が通じるとは思えませんが、とにかく過去の自分を振り返り、セレスティーナさんに謝りたいと…そう言いたいのですか?」
「最初から、そう言ってんだろ! なんで実の妹にそんな劣情を……」
「中には、そういう人もいます」
「俺は、そんな変な嗜好はねぇ!!」
事情を確かめる積もりだったのに、なぜかツヴェイトを揶揄っているゼロス。
実際、彼はツヴェイトが慌てふためく姿を見てが楽しかった。
「謝れば良いじゃないですか。簡単な事でしょうに」
「言うのは簡単だがよ。実際の当事者からしてみれば、かなり気が重いぞ?」
「それが君が背負い込んだ罪の重さです。許す許さないとは別に、けじめをつけて来なさい」
「それが出来ねぇから、悩んでんじゃねぇか!!」
どうも踏ん切りがつかない様で、一歩踏み込めば良い所を出来ずに手を拱いて見てるだけの様である。
気持ちは分からくも無いが、ここは勇気を出して進む事が肝心な場面であろう。
けじめをつけようとしているだけマシではあるが、どうにも情けない。
「悪いと思うなら、直ぐに頭を下げる事が肝心です。いつまでもこのままでいると、やがては謝る事すら出来なくなりますよ?
人は楽な方向に進む傾向がありますから、いざと言う時に頭を下げる事が出来ないと、信用を失います」
「しかしなぁ~……なんか恥ずかしいと言うか、格好がつかないと言うか……」
「それが今まで冷遇して来た者の言う事ですかね? 今、過ちを正さねば、このまま一生情けない思いを背負い込み続ける事になる。思い立ったら、勢いで頭を下げるべきです」
「分かっているんだが……いざ行こうとすると、こう……何というか…」
……ヘタレだった。
普段の威勢のよさはどこへやら。何やらモジモジしていて、見ていて正直気持ち悪い。
だが、良い若者のこんな姿は、おっさんのゼロスからすれば苛ついて来る。
―――ぷちっ。
そして切れた。
「うだうだ言ってねぇで、さっさと謝って来い!! テメェは男だろうが、何を女々し事言ってやがんだヘタレめ!!」
「うおっ?! どうしたんだよ師匠……」
更にバーニング。
「どうしたも、こうしたもあるか!! テメェは昔からあの子に対して恥を掻かせて来たんだろうが、今更恥ずかしいもクソもあるか!!
これはテメェの矜持、男の沽券にかかわる事なんだよ! ここで男を見せなきゃ、いつまでたっても女々しい糞野郎のままだぞ、それで良いのか!!」
「うっ……それは少し情けねぇ……」
そこから燃え尽きるほどにヒート。
「『少し』じゃねぇ!! テメェは貴族だろ、貴族って奴は守るべき民衆の為に、気に入らない相手にも頭を下げなきゃならねぇ立場だろうが!! たかが血の繋がった妹に謝るくらい、なんでもねぇだろうがよ。
悪いと思うなら即行で謝れ! それで許されなくとも、それはお前自身の罪だろ! 胸に刻んで生き続けろ、許されるなら今後は守れるくらいの男になってみせやがれやっ!!」
「も、もし、許されなかったら…?」
「やってもいねぇ内から、結果を見ようとすんなっ!! 先ずは行動、それ以外に何もねぇ!!
道は行動してから見えて来るもんだ。何もしてねぇ内から悩む必要はねぇし、後はセレスティーナの返事一つだろうが、結局は行動しなければ答えなんて出ねぇんだよ!! とっとと、本音で語って来い!!
分かったか! 分かったなら行動しやがれ、若造がっ!!」
おっさん、この世界で初めてのヒートアップ。
久しぶりのバーニング状態。
彼は地球で、この状態で常に部下を引っ張っていた。
幾人も徹夜で潰し、期限ぎりぎりまで仕事をさせ続け、自分自身もその修羅場に身を置いていた。
ついた通り名は【ドS主任】だった事は言うまでも無い。
限りなく黒に近いグレーな立場だったようだ。
「た、確かに俺はまだ何もしてねぇ……。師匠…俺、けじめをつけて来るぜ!」
だが、元から熱血漢であったツヴェイトには、心に過る熱い何かを感じたようである。
若者は走り出す。
今までの自分に、さよならを告げる為に。
・
・
・
セレスティーナは、一人バルコニーで風に当たっていた。
森から吹き抜ける風が、深緑の木々の香りを運んでくる。
こうした自分の時間を楽しむのが、彼女の趣味の一つである。
だが、そんな細やかなひと時に、一人の闖入者がいた。
ツヴェイトである。
「セレスティーナ、少し良いか?」
「何か御用でも? 兄様」
「いや、コレは俺のけじめの問題だ」
「けじめ……ですか?」
少し、妙な気配を感じたのか、セレスティーナは若干警戒しながらもツヴェイトの言葉を待つ。
「ガキの頃からの事も含め、セレスティーナ……今まですまなかった!」
「兄様っ?! いったい何を……」
行き成り頭を下げられ、彼女は困惑した。
「俺はこの公爵家の跡取りだ。ガキの頃からそう言われていたからな、あの頃の俺は、魔法が使えないお前が同じ血を引いている事自体が許せなかった。
だが、それが魔法式の欠陥によるもので、お前に何の落ち度が無い事が判明した今、俺はお前にしてきた数々の仕打ち、自分の過ちを清算したいと思った。
だからこうして頭を下げている。本当にすまなかった! 許してくれとは言わん、俺はそれだけの事をしたと自覚している」
「兄様・・・そこまで」
セレスティーナは、ツヴェイトが自分の一族の事をどれだけ誇りにしていたかを知っている。
その中でただ一人、魔法が使えなかった彼女に辛く当たってきた事も、仕方のない事なのかもしれない。
だが、その誤りを知り頭を下げてきた事に対して、セレスティーナは彼の誠実さを初めて知った。
ソリステア公爵家は、代々この国を守る守護の一族である。
類稀なる魔法の才能を持ち、その魔法の威力を持って、多くの民を守ってきた一族なのだ。
その一族の中に生まれ、魔法が使えなかった自分が冷遇される事も納得はしている。
しかし、それが間違いであった事を知り、更に謝罪して来るツヴェイトに、セレスティーナは貴族としての誇りを感じ取った。
だからこそ、自分もその誠実さに応えねばならないと思う。
「兄様、先生の魔法をどう思いますか?」
「あっ? なんだ、いきなり……正直、スゲェと思うぞ? あの威力、それに魔法の効率化……どれを取っても桁が違う」
「そうですね。ですが、同時にそれは…この国にとっての危険でもあります。
わずかな魔力消費であの威力、敵に漏れればどれだけの血が流れるのでしょうか?」
「戦場を蹂躙しそうだな。とても俺達の知る魔法とは違う、圧倒的な力だ」
「更に、広範囲殲滅魔法もあります」
「それが信じらんねぇ……話には聞いているが、実際に完成させた魔導士なんていないからな。広範囲魔法を改良した程度に思ってたんだが」
広範囲殲滅魔法は、現在各派閥で研究されている別名戦略級魔法である。
それが既に完成され、個人が保有しているとなると問題になって来る。
核弾頭が手足付きで歩いている様なモノだ。
余談だが、広範囲魔法と広範囲殲滅魔法の区別は威力の大きさである。
広範囲魔法は威力自体は一定しており、威力を弱める事は出来るが規定以上の威力を出す事が出来ない。
安定した威力を求められたために、結果として最大威力が固定される形となったのだ。
これが広範囲殲滅魔法となると威力は制限無しで、理論上は世界すら滅ぼす事が可能と思われていた。
「先生は言っていました。魔法の威力に溺れると、時として凶悪な魔法を生み出してしまう危険性があると…。…私は先生の弟子として、人が幸せになる様な魔法を作りたいと思っています」
「戦略級魔法を完成させていたのか……。いや、師匠ならあり得るな。魔導士は研究が全てだ」
「破壊の為では無い。多くの人達に貢献できる様な魔法の使い方を生み出すのが、私達弟子のする使命なのではないでしょうか?」
「俺はこの国を守る一族の後継者だ。民を守るのが使命だと思っているが、それ以外の道が在るのなら、お前が進め。俺は貴族としての役割を全うする」
「兄様・・・・・・」
「確かに師匠の魔法はスゲェ。だが、使い方を誤れば悲劇しか起きん。力に対して責任があるのは、ここに帰って来て理解した。
だが、俺はあくまで民を守るために……貴族としての使命に殉じる積もりだ」
二人の道の行く末は違う。
セレスティーナは民の暮らしをより豊かにするため、ツヴェイトは民を守るために手を血に染める道を目指している。
どちらも必要な事であり、決して交わる事の無い相反した道を互いに進む事になる。
「セレスティーナ……お前は、師匠の広範囲殲滅魔法を見たのか?」
「魔法式は見ましたが、それでも凄い魔力の循環を感じました。魔法式も高度過ぎて理解できませんし、それに……アレは危険すぎます」
「だからだろ。お前には違う道を進んで欲しいのかもな、師匠は」
「兄様は、戦い続ける道で本当に宜しいのですか?」
「それが俺の義務だからだ。俺が生きて来れたのも民の血税、その民に育てられた俺が逃げる訳には行かねぇんだ。例え死ぬかも知れなくてもな」
ツヴェイトは既に覚悟を持っていた。
そんな彼に対し、セレスティーナは自分が思い違いをしていた事の気付く。
ツヴェイトは英才教育を受けているため、普段がいかに粗暴でも教養は高く、一般同年代の若者とは違い貴族としての責務を教えられ、心の内に秘めていた。
それ故に、民を守るための魔法の使えなかったセレスティーナに対し、彼女の存在が許せない思いに駆られたのだ。
血税で育ちながらも、何の役にも立たない存在であったが故に。
だが、それは民を守るためであり、尊敬する祖父と同じ道を進む覚悟があったからである。
「民の為に、魔法を追求するのは変わりは無いのですね?」
「それが暮らしを豊かにするか、命や財産を守るかの違いだ。すまないな、俺はこの道しか行けねぇんだよ」
「いえ、兄様の御心を知れただけで充分です。私は……お兄様を許します」
「おい……?」
ツヴェイトが内に抱えていた貴族としての覚悟。
それを知っただけで充分だった。
幼い頃からツヴェイトは、民の命の重さを理解し背負っていたのだ。
それに対して彼女自身は暗い感情を内に秘め続けただけで、努力していたように見えて、実は自分の立場から逃げていた事を理解する。
「こうしていられるのも、今の内だけだ。学院を卒業したら、俺は軍務に就く事になる」
「私は……」
「お前はここで、お前にしか出来ない事を探せば良いんじゃないか? 焦る必要はねぇ、御爺様が政略結婚なんてさせる筈がねぇからよ」
「私だけ、良いんでしょうか? クロイサス兄様もいずれは……」
「アイツも覚悟くらいはしてるだろうさ。ムカつく奴だがな♪」
屈託なく笑うツヴェイト。
そこに、先ほどまでの覚悟の籠った色は無く、年相応の少年のような笑みが浮かんでいた。
この日、二人は過去のわだかまりを解消させる事になった。
だが、セレスティーナには彼の表情が酷く悲しい物に思えた。
決められた道しか進めないツヴェイトの人生が、どれほど重い物であるかをセレスティーナは初めて知ったのである。




