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おっさん、異様な存在と遭遇する



 アーハン村廃坑ダンジョンの変化に気づいていない田辺勝彦と一条渚は、サハギンの群れを倒して魔石を回収した後、湖の畔に辿り着いていた。

 澄んだ水を湛えた湖を見て、『綺麗……まるで、鏡のよう……』と詩的に呟いた渚に対し、勝彦は『一条、水着持ってきてない? こう、ハイレグなやつ。きわどいの着て俺と今からバカンスしようぜ』など情緒のない発言をし、思いっきり彼女に蹴り飛ばされた。

 渚は勝彦と二人きりのバカンスなど心底嫌なようである。

 その心境を示すかのように、先ほどから彼女は眼鏡を不気味に輝かせながら、勝彦を無言で何度も踏みつけて続けた。


「痛てぇ! マジで痛いって! ちょ、なんでそんなに怒ってんだよ!」

「自然情緒あふれる風景を見ても、アンタに感動するような理解力がないって、今更ながらに再確認させられただけよ。せっかくの綺麗な景色もアンタの一言で台無しだわ。田辺がモテない理由って、その無神経で女心の機微も理解しようとしない――いえ、しようとも思わない自己中なところが原因ね。予言するわ。アンタは結婚できても半年で離婚確定、その身勝手さが原因でね」

「俺、そんなに無神経っ!? 将来のことまで予言しちゃうほどにぃ!?」

「…………あんたの無神経さは、手の施しようがないほど末期よ。この、サゲ●ン野郎」

「一条さん、言葉遣いがお下品なんですけどぉ!?」


 ボロクソに言われまくる勝彦。

 そもそも衆目の集まる場所で土下座までして金を借りようとし、妥協案としてダンジョンに渚を引っ張り出しておきながらも、諸悪の根源である勝彦は反省するどころか自分の恥ずかしい現実を既に忘れている。

 良く言えばポジティブだが、悪く言えば厚顔無恥で恥知らずなクズだ。


「アンタ、猿からやり直した方がいいと思うわ」

「一応、悪いとは思っているし、反省もしているんですけどぉ!?」

「反省というものはね、次に生かされなくちゃ意味がないのよ。田辺は光の速さで忘れるじゃない。要するに、自分だけが可愛くて他人の事なんてどうでもいいのよ」

「光の速さって……俺、そこまで酷くねぇと思うんだが……」

「そう思うんだったら、少しでも他人に配慮して迷惑をかけるんじゃないわよ。ただでさえ無責任なダメ人間なのに」

「一条……いつからお前は、そんな性格になったんだよ。以前だったこう、もっと優しかった気が……」


 ダメ人間の典型な言葉だった。

 こんなセリフがすぐに出る勝彦に対し、渚の感情は極寒の地のように凍てついた。


「ぜ・ん・ぶ、あんたが原因でしょうが! ここでそのセリフを吐けるのは、それだけあんたが無神経だってことだと自覚しなさい! あっ、でも無理でね。あんたは今言った私の言葉も直ぐに忘れるもの」

「・・・・・・・・・」


 現在進行形で迷惑をかけられている渚が言うと、説得力に重みが増す。

 あまりの迫力と容赦ない叱責。

 勝彦に対する悪意の込められた言葉に、何も言い返すことはできなかった。

 それは反省しているからではなく、言い返したところで手痛い毒舌が容赦なく返ってくると判断した結果の、要するに我が身可愛さから出た行動だ。

 本気で反省しているのであれば、そもそもこのダンジョンに来ることもないのだから。


「……そ、それより水場からは少し離れようぜ。サハギンがいたんだ、奴らが突然水中から襲ってくるかもしれないしさ」

「そうね。あいつらは地上での活動は鈍るかけど、水中からだと苦戦は免れないわ。有効な魔法なんて持ってないし、この場を離れるのが適切ね」

「対岸の探索もしたいところだが、俺的には湖中央の島が気になるな」

「いかにもな神殿跡があるし、たぶん何かあるわね」


 渚と勝彦の目的は、当面の生活費を稼ぎだすことにある。

 サハギンの魔石を大量にゲットしているが、売ったところで一カ月生活できる程度の稼ぎにしかならない。勝彦であれば一週間と持たないだろう。

 勝彦の散財力を考慮し、もう少し稼ぎを出しておきたいと思う渚だった。


「中央の島に行くのはいいけど、あの橋は少し……あやしいわ」

「『どうぞ、サハギンに襲われてください』と言われているようなもんだしなぁ~」

「島まで進むには、橋を全力で駆け抜けるしかないわよ。水中から飛び出してくるサハギンの相手なんてしてられないから」

「それは同感」 


 二人は湖の畔から橋の近くにまで移動する。

 幸いにも魔物には襲われることはなかったが、ここで渚は橋を見て違和感を覚えた。


『この橋……見た目は古代の遺跡に見えるけど、比較的に新しいように感じるのは気のせい? 普通は苔や草が石畳の隙間から生えているものじゃないの? それが一切ないということは、この橋は最近になってできたってことかしら』


 そう、橋が古代の遺物と見るのであれば、重なり合った石材の隙間から草が生えているとか、湖面に浸かった石材にも苔が繁殖していなければおかしい。

 あまりにもこの橋は綺麗すぎた。


「……田辺、気づいてる?」

「なにが?」

「この橋、綺麗すぎるわ。たぶん、最近になって出現したものと見るべきね」

「つまり、未開エリアってことか? なら、お宝にも期待が持てそうだな」

「……宝箱の罠に引っかかって死ねばいいのに」

「ナチュラルに人を呪うの、やめてくんない!? それより、ここからは島まで全力疾走だ」

「湖には要注意ね、じゃぁ……」

「行くぞ!」


 二人は橋を全力で走り、湖中央の島を目指す。

 やはりというべきか、水中に生息するサハギンに見つかり、湖面から飛び上がりざまに口から吐きだす【水弾】の集中砲火を受けることになった。


「うぉおおおおおおぉぉっ!? と、止まるんじゃねぇぞ! 俺達の進む先にお宝はある!! だから一条、お前も止まるんじゃねぇぞぉ!!」

『……なに仕切ってんのよ、この馬鹿』


 降り注ぐ水弾を潜り抜け、二人はやっと湖中央の島へと辿り着いたのであった。


◇ ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 勇者二人が島に辿り着いている頃、ゼロス達もまた古代遺跡風の構造に変化したダンジョンを探索していた。

 ギザのピラミッドのような傾斜路を上がり終えた先に広がっていたのは、均等に切り出された石を積み上げて建築された巨大迷路。ご丁寧に木製の扉も見られる。

 気分は某3Dゲーム。


『職業がサムライじゃないのが残念だ』


 新エリアに踏み込んでおきながら、レトロゲーを思い出しつつ場違いな感想を心の中で呟くおっさん。

 出てくる魔物もほとんどがミイラ系で、墓場独特の死臭が空気に含まれており、何とも気分は最悪である。

 

「……うっわ」


 思わず絶句した声を発したのは、マミーを一刀のもとに斬り捨てたエロムラだった。

 マミーとはエジプトなどの博物館で見られる乾燥したミイラのようなアンデッドであり、魔物としては比較的に弱く脆い。数は多いがエロムラでも充分に無双できるだろう。

 ただ、倒した後に舞い上がる粉塵には異臭も含まれており、何とも不快な気分にさせられる。


「楽勝だけど、この舞い上がる粉塵を何とかできないんかね?」

「追いついた……。しかし、この嫌な臭いは」

「ちょっと気持ち悪いですね……」

「まぁ、人型の魔物から発生した体組織の粉塵だしねぇ……。マミーの元が人間だったかどうかは知らんけど、これが皮膚だったらフケを吸い込んでいるようなもんだよ」

「「「うっ!?」」」


 粉塵が皮膚ならば、それはタンパク質であるということだ。

 舞い上がる粉塵を例えるのであれば、密閉された空間に深津な人間を押し込め、全員で頭を掻きむしり頭皮を舞い上がらせているようなものである。

 そんな説明を聞かされたツヴェイトとセレスティーナは、もの凄い嫌そうな顔をゼロスに向ける。


「この粉塵……異臭だけでなく麻痺効果もある。防塵マスクを用意しておくべきだったねぇ……」

 

 マミーは基本的に弱い。

 しかし、その体には麻痺効果や毒の効果を持つ成分が含まれており、倒されることで相手を弱体化させ、時間をかけて生物を殺すのである。

 倒し続けることでこちらが不利に陥る搦手の魔物で、マミーによって殺された者はゾンビとなり迷宮内をさまようことになる。密閉空間では分が悪い。

 このマミーを倒すことで舞い上がる粉塵は、【ゾンビパウダー】とも呼ばれていた。

 呪術師にはゾンビやキョンシーを生み出すための媒体として使えるのである。


「セレスティーナが麻痺解除のポーションを調合していてくれて助かったな。エロムラが無差別攻撃を続けていたら、俺達が動けなくなっていたぞ」

「何がダンジョン内で役に立つか分かりませんね」

「備えあれば患いなしだよねぇ」

「ゼロスさんが魔法でこいつらを焼いた方が早くね? 俺だけで掃討できるけど、数が多すぎて正直めんどい」


 マミーの弱点は基本的に火である。

 エロムラの言うことも一理はあるのだが、マミーの大群の中で炎を使えば大炎上に巻き込まれるのは確実で、密閉された空間では酸欠になって死亡しかねない。

 部屋によっては一方通行などの個所もあるのだ。

 

「エロムラ君や、ここでそんな火を使ったら全員が酸欠だよ? 状況を考えようよ」

「じゃぁ、どうすんだよ。ゼロスさん……」

「地道にエロムラ君が処理いくしかないでしょ。簡単なお仕事でだろ? ツヴェイト君も戦っているんだし、護衛の仕事はちゃんと努めようよ。僕に頼りきりじゃ何も学べないしね」

「嘘だろぉ!?」

「師匠は本気で戦わないのかよ」

「やる気がまったくないんですね……」

「アンデッドの相手は前回で飽きたんだよ。しばらくは見たくない」


 おっさん、個人的な理由から戦闘放棄。

 確かにマミーは弱くツヴェイト達でも充分に対応は可能だが、アンデッドは共通して生者に誘引されるという特性がある。今は楽に排除できているが、時間をかけるごとに数は増えていき、やがて対処できない数に取り囲まれることになる。


「同志、ぼやぼやしてる時間はないぞ。雑魚だけど放置すれば数が増える一方だからな。いっけぇ、裂空斬!」

「残骸と舞い散る粉塵がきついんだが?」


 やる気のないゼロスを除き、ツヴェイト達はマミーの処理作業を始めた。

 このマミーが元人間の遺体かどうかはともかくとして、粉砕された残骸からは何とも言えない異臭を漂わせ、破砕作業をすればするほど臭いが辛くなってくる。

しかも粉塵は舞い上がる目の中に入り涙も止まらない。

地味に嫌な追加効果だった。


「ゼロスさん、ゴーグルだけでもないの? 粉塵で視界が遮られるし、目が痛いし……」

「ダイアモンドダストで凍らせるって手段もあるけど、地面も凍るから滑りやすくなるんだよねぇ。先を急ぐなら我慢するしかないんじゃね?」

『『『えぇ~~~~~っ……』』』


 石畳の地面は凍らせると滑りやすくなる。

炎の魔法の魔法でマミーを焼き払うのが一番簡単だが、狭い空間では自身も傷つけることになり悪手だ。ダンジョン探索は冷静な判断力を持続が最も重要なことなのである。

 戦う手法の選択次第では不利になる状況もあるので、おっさんはそこはかとなく答えのヒントを混ぜ、わざと軽口をたたく。


『さて、この状況で誰が早く気づくかな?』

 

 おっさんは性格的にドSだ。

 様々な状況下で有効な戦略を立てられなければ、とてもダンジョンでは生き残れないことを知っており、ツヴェイト達にゼロスという安全保障がない場所での対処法を自ら導き出す良い訓練にもなると、ちゃっかりこの状況を利用している。

 いや、この状況でマミーの集団を利用しようと思いつくあたり、おっさんはかなり性格が悪いといえるだろう。


「ほらほら、ぼやぼやしない。時間がないんだからさぁ~。こうしている間にも隣の部屋からマミー達の増援が来るかもしれないよ?」

「お、おう……」

「分かってはいるのですが……」


 マミーはセレスティーナでも一撃で倒せる。

 何しろ動きが緩慢で一方的に攻撃を与えることができるので、比較的に楽な作業だ。

 だが、マミーを一撃で葬るには胸骨の内側にある核を砕かねばならず、確実に急所狙いで倒さねばならなかった。

 いくら弱いといえど弱点を何度も狙い続けられる訳でもない。


「ご、剛撃!」

「烈破!!」


 本来であればハンマーやアックスなどで放つセレスティーナの剛撃と、ツヴェイトが放った裂空斬の廉価版である烈破が、複数のマミーを巻き込み粉砕した。


『『『『ア゛ア゛アアアア……』』』』


 しかし全てを一撃で倒せたわけでなく、核の破壊を免れたマミー達はツヴェイト達にしつこく付きまとい、止めを刺すことで無駄に体力を減らされる。

 手足や下半身、頭部を失っても生者を襲うのはアンデッドの特徴であり、マミーは欠損部位を補うため自身に巻かれた包帯を操り、敵を捕縛する能力もあった。

 やみくもに戦っているうちに包帯で身動きを封じられる可能性もある。


「討ち漏らしたら厄介だな。集団で囲まれたら戦闘中に包帯で邪魔されかねん」

「頭部が無いのに、どうやって人間を認識しているんでしょうか?」

「二人とも冷静だな……。雑魚だから倒すのは楽だけど、俺ちゃんはもう精神的に疲れたよ。単調作業過ぎて厭きる」

「周囲に拡散する毒性の微細粉塵……。コレがPm2.5というやつかねぇ、健康被害が心配だ……」


 いくら包帯を蠢かせ接近してこようと所詮はマミー。

剣やメイスであっさり駆逐され、ダンジョンに吸収されていった。

 要は捕縛包帯と毒粉塵さえ対処し、一撃で複数を蹴散らせられれば良いだけの話で、ここでは何気にエロムラ君が大活躍を見せていた。


「魔石はどうする? 拾っていくのか?」

「う~ん、これほど大量だと魔石の相場は値崩れを起こすねぇ。前のゴキちゃん騒ぎでも、中品質の魔石が値崩れを起こしたみたいだったし」

「包帯は何に使えんの? こんなボロ集めても使い道が分かんねぇ~」


 マミーの魔石は品質も悪く小さい。素材として手に入れられる包帯にも使い道がなく、傭兵にとっては何の旨味もないのだ。

 錬金術師にとっては小遣い稼ぎに良い素材ではあるが。


「ふぅ、向かってくる奴はこれで片付いたな……」

「先生、この魔石はもしかして、圧縮結合することで品質を上げられるのでしょうか?」

「これだけの数があれば、上品質の魔石が作れるねぇ。包帯も魔力水にしばらく漬け込んでおくと、【古の防腐剤】が勝手に作れるんだよ。小遣い稼ぎにはもってこいだねぇ」

「師匠、その防腐剤は木工技師に重宝されるのか?」

「包帯の量にもよるだろうけど、防腐剤の濃度が濃いほど重宝される。トレントの素材で作る杖なんかに使うと、実に味のある色を出せるんだなぁ~」


 一般的にはクズ素材だが、錬金術師や職人など一部の技術者にとっては地味に重宝されているマミーの包帯。この古の防腐剤は、魔導士が使う木製の杖に適度な強度と魔力の伝導率を引き上げる効果がある。また、魔物の血液と希少金属を混合させることにより、革製の防具の性能を引き上げる強化剤に錬成させることができるのだ。

 もっとも、ダンジョンの魔物であるマミーからは包帯は切れ端しか得られず、地上で手に入れるにしても古代の遺跡を探査してミイラから回収が必要なため、現実にはかなり希少価値が高かった。

 ゲーム世界と現実の違いなのだが、ゼロスはまだそのことに気づいてすらいなかった。


「【エレメントウッドの樹液】や【ドラゴンの血】なんかを混ぜると、ただの木製の杖が最高品質の魔法杖に早変わりさ。再度錬成すると更に効果が上がるんだけどね。使い方は主に長時間漬け込むとか、何度も塗り込むことが多いな」

「ドワーフの職人が欲しがりそうだ……」

「けどねぇ、防腐剤の抽出に時間が掛かるから、職人が扱うにはかなり包帯の量が必要になるんだよねぇ。巻かれた包帯だけ奪うのはかなり面倒だよ?」


 マミーを倒すと包帯もダンジョンに吸収される。

 つまり動いている奴から強引に剥ぎ取り、急いでアイテムバックに回収しないとならない。高価な道具と手早い作業が必要だが、今のところは誰もやろうとは思わない。


「つまり、マミーを脱がすのか……誰得だよ」

「エロムラ君……」

「エロムラ……」

「エロムラさん……」


 なんでもそっち関係に話を持っていくエロムラに、三人の冷たい視線がチクチク刺さる。

 そうこうしている間に、隣の部屋から再びマミーの集団が現れた。


「アェェェェェ……」

「また出てきたぞ」

「さすがにこの数は鬱陶しいよねぇ」

「少し疲れてきました……」

「この微細粉塵でもなんとかなればなぁ~……ゼロスさん、なんとかできない?」


 ゼロスはもうゾンビやマミーといったアンデッドに飽きている。

 戦えばすぐに全滅させることができるが、気分が乗ってこないのだ。

 仕方がないといった風におっさんは溜息を吐くと、エロムラに向けて最大級の支援魔法を掛けることにする。それはエロムラにとって災難だった。


「【メンタルバースト】、【ゴッドブレス】、【ホーリー・エンチャント】、【ブレイン・バーサーク】、【ウィンドアーマー】」

「URYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!!」


 エロムラ、暴走モードに突入。

【ゴッドブレス】によって全身体能力を強引に引き上げられ、【ホーリー・エンチャント】によって対不死属性を与えられ、【メンタルバースト】によって戦意向上と理性の低下を引き起こし、【ブレイン・バーサーク】によって超狂戦士化。

【ウィンドアーマー】にいたっては、微細粉塵塗れになるのを考慮した、おっさんのささやかな心尽くしだ。

 エロムラ君は今、無理やり野生の本能に目覚めさせられ、目につく不浄の敵を全て打ち砕くなんちゃって聖獣と化す。


「グオォオオオオオオオオオォォォォォオォッ!!」


 高らかに咆えるエロムラ。

 しかし、その姿は人でありながら獲物を狩る肉食獣のごとく、マミーの群れへと突撃していった。

 台風のような凄まじい斬撃が飛び交い、マミーが一瞬で残骸と化していく。

 そこに人の理性は存在せず、あるのは敵と認識した者を滅ぼす破壊衝動だけであった。

 その光景はあまりにも一方的過ぎた。


「せ、先生……」

「ひでぇ……。アレはひでぇ……」

「人を超え、獣を超え、勇者を超え、彼は今、不浄を滅ぼす神兵となったのだよ。巻き込まれないように距離をとろうか」


 剣で斬りつけられたマミーは浄化され、斬撃はマミー諸共に壁ごと粉砕され、暴走させられた自我は不浄の存在のみを確実にロックオンし続ける。

 全能力をフル活用でアンデッドを滅ぼしまくるエロムラ。

そこに、理性などというものは存在しなかった。


「獣に、野生を縛る首輪はいらないと思うんだ」

「いやいや、あんなんでもエロムラは人間だろぉ!? なに強引に野獣化させてんだよぉ!!」

「エロムラさん、かわいそう……」

「なら、君達がやってみるかい? 一週間は筋肉痛で動けなくなるかもしれないけど。エロムラ君の体力だからできることなんだけどねぇ」

「「 遠慮します 」」


 ツヴェイトとセレスティーナ、あっさりとエロムラを見捨てる。

 そう、おっさんは何もエロムラを虐めているわけではない。

 体力的な面で付与魔法の重ね掛けに耐えられるのはエロムラしかおらず、攻撃力はおっさんを抜きにして最も高い。公爵家の子息令嬢をバーサークにさせるわけにもいかない。

 消去法で結果的に選ばれただけで、そこに悪意は全くないのだ。


「おっと」


 余波でこちらに飛んでくる斬撃を剣で迎撃し、おっさんたちはエロムラが無秩序に暴れた後を追う。

 ただ、舞い上がる微細粉塵だけはどうしようもない。


『のどがカラカラになるねぇ……。二人には気づいてほしかったんだけど』


 遺跡型迷路の部屋は狭い。

 舞い上がる粉塵は視界を塞ぎ、まるで砂嵐の中を進んでいるような気分にさせられる。しかもタンパク質の嫌な臭いが漂う。

 この不快な状況を少しでも良くするため、おっさんは簡単な魔法を使うことにした。


「【ミスト】」


【ミスト】とは、一定の範囲を霧で覆い隠す魔法で、主に攪乱などに用いられる。

 なぜこのような魔法を使用したかと言えば、魔法によって発生させた霧によって微細粉塵を水の粒子に取り込み床に落下することで、空気を正常化させるためだ。

 そして、この試みは見事に成功する。


「……ダンジョン内で雨が降るか。なんか、洞窟探検みたいになってきたなぁ~」

「こんなことができるなら、さっさとやれば良かったんじゃないのか?」

「ミストにこんな使い方があるなんて……」

「できれば、君達にいち早く気付いてほしかったんだよねぇ~。ここへ何のために来たのかな?」


 ゼロスはインベントリからレインコートを三着取り出すと、一着は自分が着こみ、残り二着をツヴェイトに手渡した。


「これでも着てちょうだい。もう一着は……」

「セレスティーナにだな?」

「天井から水滴が落ちてくるから、必要以上に汚れないようにしよう。麻痺や毒を防ぐだけでなく、後で装備の手入れに苦労するからさ」


 ツヴェイトは受け取ったレインコートをセレスティーナに渡し、自分も着込む。

 エロムラの姿は既になく、マミーの残骸だけが物悲しく地面に転がっていた。


「諸行無常だねぇ……。つわものどもが夢の跡かな?」

「いや、マミーのどこがつわものだよ」

「このマミーって、異国の歴史書にあるミイラの事ですよね? 明らかに人の手が加えられているのに、どうしてダンジョンに存在しているのでしょうか?」

「それは僕にも分からない。居たんだからしょうがないとしか言えないねぇ」

「んな、いい加減な……」


 ゾンビとは、死体に悪意ある魔力――瘴気あるいは残留した怨念が憑依した魔物であり、魔力濃度の高い地、もしくは多くの人が死んだ瘴気が漂う戦場などで発生しやすい。

 マミーも同様だが、明らかに人の手が加えられた死体が動いており、自然界では発生しにくい。ダンジョンがどうやって生み出しているのか謎が残る。


「マミーになる前のミイラはさぁ、死体から内臓などを抜き取って防腐処理をした後、遺体を綺麗にしてから特殊な溶剤を染み込ませた包帯を巻くんだったかな? 当然埋葬するからダンジョン内で大量発生するのはおかしいんだ。どうやって数を増やしたのかねぇ?」

「ダンジョンがミイラ作りをしているとは考えられませんか?」

「いや、それはおかしいだろ。ダンジョンにそんな知性があるとは思えん。一般的にダンジョンとは、現象が目に見える形で具現化した魔物って認識だろ」

「マミーも生物ではないですし、繁殖するはずもありません……。本当に不思議ですね」

「不思議に満ち溢れたデンジャーフィールド。それがダンジョンなのだよ」


 なぜかドヤ顔のおっさん。

 しかしながらゼロス自身もダンジョンがどのように形成され、どのような法則性を持ってフィールドを形成し、正体不明の魔物を増やしているのかまでは知らない。

 知識という点ではツヴェイト達とあまり変わりがなかった。


「エロムラさん、どこまで行ってしまったのでしょう……」

「あの強さで更に暴走までしてたからな、かなり先にまで進んでいるんじゃないのか?」

「マミーの残骸を辿ればすぐに合流できるから、楽でいいねぇ」

『『 いや、暴走した原因はアンタ(先生)だろ(じゃないですか……)』』


 エロムラの犠牲により先へと進む道のりは比較的に楽だった。

 おっさんはまったく気にしていなかったが、ツヴェイトとセレスティーナは複雑な気分を引きずりつつ、後に続く。

 偶に、エロムラが討ち漏らしたマミーが必死にゼロス達に向けて包帯を伸ばしてくるが、一撃で倒せるので脅威にすらならない。


「こいつら、なんで包帯を伸ばしてくるんだ?」

「マミーの攻撃は基本的に包帯で相手の動きを封じ、時間をかけて獲物を倒すんだよ。倒されても麻痺や毒の効果を含んだ体皮を大気中に拡散させ、搦手で人間を殺そうとする傾向が高いかな。数で圧倒するタイプの魔物だと覚えておけばいい」

「限定された空間だと脅威ですね。今のように四方が囲まれた部屋だと、あっという間に捕縛されてしまいそうです」

「遺跡タイプのダンジョンだと、よく姿を現すんだよね。おっと、そろそろエロムラ君に掛けたバフ効果が解ける頃合いなんだけど、彼はいったいどこまで行ったのかねぇ?」


 相手に能力向上や状態異常を与える魔法には、効果時間というものが存在する。

 例えば身体強化する魔法の【フィジカルブースト】と、騎士などが行う【闘気法】を比べた場合、その効果時間は後者の方が持続時間は長い。

 その理由は【闘気法】が体内で魔力を循環させる技術であるのに対し、【フィジカルブースト】は体の周囲に魔力を後付けで纏うと思えばよいだろう。

 体内から効果を及ぼす技術と外部に後づけされた魔法とでは、魔力が自然界に還元されるという法則上、魔法が大気に拡散する時間の関係で効果時間に差が出てしまう。

 ゼロスがエロムラに仕掛けた強化魔法の数々は、体外に付加させた魔法であるために制限時間が来ると効果をなくす。予想では既に正気を取り戻している頃合いだ。


「のぉおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」


 迷宮内に響き渡るエロムラ君の叫び声。


「意外と近くにいたねぇ……」

「いや、すげぇ叫んでいたけど……ヤバい状態なんじゃないのか?」

「ですが、エロムラさんの実力でマミーに苦戦するとは思えませんけど……」

「それ以上の何かがいたのかねぇ? 急いで向かおう」


 強制暴走によって破壊された壁を潜り、マミーの残骸を辿りエロムラのもとへ急ぐ。

 だが、そこでおっさん達が見たものは……。


「く、来るな……。俺の傍に近寄るなぁあああああぁぁぁぁぁっ!!」


 ――女性型のマミーと、無駄に腰をシナらせるオネェのファラオのような大型ミイラだった。

 エロムラは壁際に合で追い込まれ、包帯を絡みつかされながらも必死に抵抗している。

凄く無様な姿だ。


「「「…………」」」


 ゼロス達の目が死んだ。


「アイツ……そっち系の奴らになぜか好かれるよな」

「そうなんですか♡」

「セレスティーナさんは、なぜそんなに嬉しそうに……。エロムラ君の貞操の危機なんだけど」

「むしろ、そこから先が見てみたいです! これは学術的な興味ですよ!」

「「…………」」


 セレスティーナの病気が再発した。

 どこかのクールビューティーなメイドさんがこれを聞いたら、おそらく素敵な笑みでサムズアップするに違いない。


「ツヴェイト君……」

「言わないでくれ、師匠……。もう、セレスティーナは戻れない道に足を踏み込んでいるんだ」

「君だけは、まともでいてほしい」

「師匠がそれを言うのか?」

「僕だからだよ……。趣味も深みにはまれば冥府魔道だ、踏み込みゆけば後は地獄。そう、真理や極意、あるいは悟りを極めるまでね」

「重い言葉だ……」


 ツヴェイトは既に諦め、ゼロスはかつての仲間を思い浮かべる。


「いいから助けろよぉおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

「お二人とも酷いです! 私は本当に生物学的に興味があるだけで、そこに疚しいものは一切ありません!! 純粋な興味でだけですよ!!」

「「 なぜに、そこまで必死なんだ? 」」

「聞いてる? ねぇ、お願いだからヘルプミ~~~~ッ!!」


 貞操と世間体の危機にエロムラとセレスティーナは必至だ。


『あらぁ~ん♡ また素敵なおじさまと、若々しい子羊ちゃんが来たわねぇ~。いいわぁ~、凄くいい♡ でも……小娘はいらないわ。踏んづけてやろうかしら』

「「「・・・・・・・・・・・・」」」


 貞操の危機はエロムラだけではないようだ。

 どうやらオネェのファラオは、ツヴェイトとゼロスもロックオンしたようである。

 ただ一人、セレスティーナだけは命の危機だった。

 そう、エロムラが最後に突入したのはボス部屋だったのである。


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