魔龍と巨大ムカデ女
対峙する魔龍とグロテスクな化け物。
片や勇者の魂の集合体、片や犯罪者とその被害やの魂の集合体。
復讐という一つの目的に協力し合う存在と、ドス黒い欲望と未練にすがる存在。
憎悪を持った悪霊という点では同じだが、両者は互いに対極に位置している。
『なんだ? こいつら弱いんじゃね?』
『油断するな。さっきの体当たりの感じでは、奴に大したダメージはないぞ』
『なんか、凄くブヨブヨしていたわよね……』
『凄く気持ち悪い感触だった』
心で意思のやり取りを行う魂たち。
百足の化け物に体当たりをしたが、まるで骨が存在していないような感触に、ジャバウォックは警戒する。
だが、生理的な嫌悪感は観察しながらも増大中。
なぜかは分からないが、目の前の存在を滅ぼさねばならないと本能が告げていた。
『ブレス、いくぞ!』
『先手必勝!』
『ふぁいや~~~っ!』
先制攻撃の火炎ブレス。
龍の口から吐き出された炎の奔流が、百足の化け物へと迫った。
だが、化け物は瞬時に肉体を分散し、その炎から逃れる。
いや、避けただけでなく、周囲の人型肉塊が一斉にジャバウォックに飛びつくと、強酸の液体を分泌して溶かそうとしてきた。
周囲に酸特融の悪臭が漂う。
『ななぁ!? なんだよぉ、こいつら!?』
『まるでスライムみたいよね……。気持ち悪いけど』
『振りほどけ!』
鱗で覆われた体は酸ごときで溶けることはないが、生理的な嫌悪感から体表面の鱗を棘状に変質させて、高々と飛び上がる。
空中で巨体を丸め高速回転し、へばりついている肉塊を強引に弾き飛ばした。
落下ついでに百足女の肉を抉り取るが、飛ばされた肉塊は建物や路面に叩きつけられ、グチャグチャと醜悪に蠢くと再び集まりだし、またも百足のような化け物の姿に形態を変えていく。
なまじ女性型の上半身が百足の頭部に生えているだけ、おぞましさは倍増している。
『『『『『『 き、気色悪ぅ~~~~~~~~~っ!! 』』』』』』
百足女の化け物は体から無数に生えた手足をバネにし、図体からは考えられない跳躍力でジャバウォックに飛びつく。
咄嗟にジャバウォックは尻尾のカウンターを叩き込み、接近戦に持ち込まれるのを防いだ。
吹き飛ばされた百足女は建物をいくつか倒壊させつつ転がっていく。
『ありゃ、無数にあるあの口で噛みつこうとしたよな?』
『絡みつかれたら面倒だな……』
『キングスライムみたいな群体なのか? さっき分離したよな?』
『つまり、肉片一つ残しても再生するってこと?』
『お約束だな』
数度の接触で軟体動物のような感触を確認し、少なくとも絡みつかれるのは面倒だと察知したジャバウォック。
形態を変えられるということは、体を布状にして覆いつくすこともできるということだ。
ジャバウォクも形態変化はできるが、基本的に動物形態が基本となっているので、分離したりすることはできない。
能力的には上でも、体を細かくして排水溝などに逃げるような真似は不可能だった。
『めんどくせぇ~、一気に焼いちまおうぜ』
『取りつかれても困るよな?』
『逃げられてもね』
『復讐に来られると面倒そうだ』
巨大百足女は言ってしまえばトリッキーだ。
百足のような姿はしているが、事実上は姿形の存在しない肉塊なのである。
分離自在、伸縮自在、変幻自在。
欠点と言えば強酸液以外に武器らしいものが存在しないのだろう。
事実、魔法らしきものも一回も使ってこないのだ。
だが、獣の形態をしているジャバウォックを拘束することはできる。
『まずは動きを封じられないための形態をとるべきだろう』
『と言いますと?』
『あっ、何となくわかったぜ。制御を俺っちに任せな』
ジャバウォックの体から無数の剣状突起物が無数に生え出した。
これは全て鱗が変化したもので、並みの剣より硬度がある。それを全身から生やすことで敵を切り裂く仕様だ。
『こういうことだろ?』
『『『『『 おぉ! 』』』』』
『さて、アチラさんはどうするのだろうね?』
あえて言うのであれば完全攻撃形態と表現するべきだろうか。
全身から剣が生えたジャバウォクに対し、化け物がどのような行動を移すのか、様子見を決め込込む元勇者達であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シャランラ達は街の住民を襲い取り込むことで力を付けようとしていたが、突如現れたドラゴンの出現で計画が頓挫していた。
いや、そもそも計画と呼べるものではなかった。
街の住民を取り込めば確かに力もつくだろうが、別の視点から見るとただブクブクと肥大していくだけだ。捕食した生物分の肉塊を分離し手駒として使う能力や、形態を自在に変化させる能力、物理攻撃に有利な衝撃吸収耐性の肉体。強酸を分身や本体の体皮から出す能力。
気がつけばこのような能力を手に入れていた。
しかし困った事に、目の前の強敵に対して決め手となるような能力は持ち合わせていない。
肉片を飛ばして包み込み、内部に取り込もうともしたが全て防がれ、今は完全に鋭い剣のような鱗で覆われ攻撃する手段がない。
『な、何でこんな化け物が出てくるのよ!』
『姐さん、ブーメランって言葉を知ってやすかい?』
『こらぁ~、今度こそ死んだな……』
『人間やめたら、ただの化け物だった。俺、なんで生まれてきたんだろ……』
『後悔ばかりの人生だったな……』
盗賊達の魂は既に諦めきっていた。
そもそもドラゴンが最強種であることは常識で、ブヨブヨした巨大な肉塊が勝てるような相手ではない。百足女の姿でもそれは同じだ。
『冗談じゃないわ! 私は……私は人間に戻るのよぉ!!』
『『『『『 いや、無理だろ。諦めろよ 』』』』』
こんな時まで自分の都合のいい現実しか見ようとしないシャランラ。
そもそも人間に戻れる保証などどこにもない。
どこぞの大賢者も『無理! 絶対に無理!!』と言うだろう。
『コイツから逃げるにはどうしたら……』
考えている最中にもドラゴンは動いている。
ブレスを放ち、炎がシャランラ達に迫ってきた。
咄嗟に上半身を立ち上げ避けるが、今度のブレスは横薙ぎに移行し、建物ごと百足の胴体を焼き払った。
『ひぃいいいいいいいいいいいいいいいっ!?』
せっかく貯えた力がたった一回の攻撃で急速に失われ、同時に地上を席巻していた手駒である人型も一掃されてしまう。
それでもまだ分離した人型肉塊は多く存在し、命令して呼び寄せ、取り込むことで失った体を再構築する。
『あの炎は危険だわ。ここは死ぬ気で接近戦に持ち込んで……』
『姐さん、やべぇ! こっちに来たぞ!!』
ドラゴンは突進してきた。
動きも意外に素早く、飛び上がった瞬間に腕も同時に振り下ろしてきた。
ギリギリで躱すと同時に龍の顎に女性体の手をあてがうと、即座に自身を構築する肉を移動させ、絡めとるようにして厄介な口を塞いだ。
そこから百足の胴体を巻き付け締め上げようとしたのだが、体中から生えた剣状の鱗に切り裂かれ、一瞬でバラバラにされてしまう。
まさに攻防一体で隙が無い。
『ちょ、こんなの……卑怯じゃない!?』
『まぁ、基本的に俺たちゃ肉だから柔らかいよな……』
『だが、やろうと思えばギンギンに硬くなるんだぜ? フフフ……』
『お前なぁ~、こんな時に下ネタかましてんじゃねぇよ』
決め手がないのに結構余裕がありそうだった。
再結合しては触手のようなものを作り出しペシペシと叩くも、たいして効果があるようには見えない。
数を増やして集中的に狙うが、突き出た剣状鱗で切断されて飛び散るだけだった。
斬り落とされた触手は切り離された勢いで建物に飛び、その重量で倒壊していくも、不気味に蠢きながら本体の元へと戻ってくる。
人間には驚異的な攻撃力も、ドラゴン相手には肩たたき程度の効果しかないようである。
『あの火炎放射が厄介よ! おまけに硬いしトゲトゲ……狡いわ! 卑怯だわ!』
『火炎放射って、ブレスですぜ? 姐さん……』
『あぁ……こんなことなら向こうへ着いて行けば良かったなぁ~。アイツらは今頃ヒャッハーしてんだろうなぁ~』
『運が悪かったんだ……。諦めろ』
以前、二手に分かれた同類達のことを思い出す盗賊の魂達ではあったが、その分かれた連中もどっかのおっさん達によって蜂の巣にされ、今は完全にこの世から消滅していた。
そんなことを知らない彼等は、分かれた仲間達を羨ましがる。
『そんなことを言ってないで、何かいい手を考えなさいよねぇ! 何で全部私が考えないといけないのよぉ!』
『そうは言うけどよぉ、姐さん……』
『俺達はお姐さんに引きずられているようなもんだぜ? あんま自由に動けねぇしな』
『それより前を見ろよ……。なんか、やばくね?』
距離を取って必死に触手でペシペシしていたが、ドラゴンの方で動きがあった。
剣状の鱗全てが放電しだし、周囲にプラズマが飛び交っている。
『あっ………』
『なぁ~んか、いやな予感が……』
『こりゃまずいな……』
『死ねるかも……。逝ける!』
『逃げるわよぉ!!』
危機を察してか、全力で逃げだすシャランラ達。
なりふり構わず建物を粉々に粉砕しながらも、必死にその場から退避しようとした直後、ドラゴンを中心に膨大なプラズマが放射された。
ご丁寧なことに、剣状鱗からもレーザーのようなものが全方位に放たれ、ついでとばかりに怪光線まで口から撃ちだされる。
建物は一直線にぶち抜かれて炎上し、膨大なプラズマが周辺で蠢く肉塊を消し炭にし、口から放たれたブレスが横薙ぎ一閃で街を紅蓮の炎に包み込んだ。
問題なのはこの大規模火災により、シャランラ達から分離した肉塊が焼かれてしまうことだ。
何しろ肉塊は文字通りただの肉で、熱量などを防ぐことなど先ず不可能。あるのは尋常でない再生能力だけだが、焼かれてしまえばその回復も追いつかずに炭化してしまう。
『マズイわ……このままだと殺される』
『いや、もう死んでまんがな』
『ほんと、姐さんは生き汚ねぇよな……』
『なぁ、いっそのこと全部合体させればいいんじゃね? 巨体で圧し掛かって、その隙に本体だけ逃げるんだよ。デカくなるだけで邪魔な肉だしよ』
『『『『『 それだぁ! 』』』』』
まだ街の中で生き残っている肉塊を必死に呼び集め、大きさだけではドラゴンを上回ってきた。
だが、この巨体はあくまでも目くらましで、本体を安全に逃がすためだけのものだ。
結果的に出現したのは、巨大な百足女の姿であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
時間は少し前に戻る。
ゲンマとコズエは門の前で、群れ成す醜悪な人型の肉塊と戦闘を行っていた。
この肉塊は厄介な事に斬っても死ぬことがなく、骨のようなもので構築した武器でカウンターを加えてくる。
唯一の有利な点はコズエが魔法を使えることであり、一箇所に集中させては焼き払うという行為を繰り返していた。
だが、それでも犠牲者は出てしまう。
「た、助けてくれぇ!! うぎゃぁああああああああっ!!」
「ちっくしょぉ、また食われたぞ!!」
「陣形を乱すなぁ、傭兵! 魔法攻撃はまだかぁ!!」
「無理を言うなよ。コズエにも魔力の限界ってもんがあるんだぜ? 一点に大量に集めて焼き払わねぇと、このままじゃじり貧だ」
「何とかしろぉ!!」
ゲンマはこの国に来たことに少しばかり後悔していた。
衛兵……というより隊長クラスの騎士なのだが、とにかく偉そうな態度をとる。
魔法に対して何も知らないのか、何かにつけて乱発を強要してくるのだ。この隊長が言うほど魔法というものは万能ではないにもかかわらずに……。
「あのよぉ~、強力な魔法ほど魔力を大量に消費するんだぜ? 神官の神聖魔法とやらと同じだ。ここぞという時の切り札に使うのに、乱発させてどうすんだ、よっと! 死にてぇのか?」
「だ、黙れぇ!! そんなことを言って、貴様等だけで逃げるつもりだな! いいからさっさと使え!!」
肉塊の単調な攻撃を避けながらも、ゲンマは『めんどくせぇことになったなぁ~』などと思っていた。この隊長はとにかく人の話を聞かない。
しかも民間人に武器を持たせ、迎撃に駆り立てるという徴兵をやらかしていた。
「あなた、どうしますか?」
「こいつの戯言なんざ、聞く必要はねぇな。今はできるだけ魔力を温存しておけ」
「そうしますわ。正直、あの人は生理的に受け付けませんから」
「き、貴様ぁ!!」
身勝手な命令など聞く必要はなかった。
元より傭兵であり、別に前金を貰って雇われたわけでもない。
『そんなに魔法が使いたければ、自分でやれ』と言ってやりたいとすら思っている。
「セイッ!」
出来損ないの人型を無残に細切れにすると、角材を持った民間人に襲っている別の個体を背後から両断し、出来るだけ被害が出ないように努める。
だが、そんなゲンマに向かって『貴様っ、さっさと助けろ!』などと言ってくる騎士隊長。
自分より小さい人型肉塊と取っ組み合っていた。
『なんか、こいつごと両断したらスッキリしそうな気がするな……』
さすがはカエデの父親というべきか、思考回路が似通っている。
「この! この! このぉ!!」
「どうやったら死ぬんだよ、この肉塊!」
「火で炙れ! それでなんとかなるはずだ!!」
とにかくこの人型肉塊は厄介だ。
細切れにしても小さな破片は蠢いており、再び一つに結合して元に戻る。
斬ろうが潰そうが死ぬことがなく、細かくなったものを徹底的に叩き潰してから火にかけることで、この化け物達はようやく動きを止めるのだ。
倒すのに手間が掛かり過ぎる。兵達は苦戦を強いられる状態だ。
生き残るために街の住民も集団でボコっているが、一匹倒すのに時間が掛かる。効率が凄く悪いのだ。
中には近く店から油を無断で持ち出し、火炙りにして倒す者達もいたが、それでも足りないくらいに動く肉の数が多い。
『……にしても、地下のヤツに比べて動きが遅いな? 喋らねぇし……。まぁ、それで助かっているようなもんだが』
この人型は地下下水道で戦った時の奴よりも不思議と強くなかった。
動きが単調で緩慢、ゲンマから見れば楽に斬り捨てられる。実際傭兵達も何とか倒していた。
損害も思っていたより少ない。
もっとも、数の暴力だけはどうしようもなかったが……。
「問題は簡単に死なねぇことなんだが……」
「早く助けろお! 貴様ら、俺を誰だと思っているぅ!! スプラツゥーン伯の血族だぞ! その俺を見捨てておいてただですむと思っているのか!!」
「……あの五月蠅いのがいなければなぁ」
「貴様らぁ、覚えていろ!! 必ず極刑にしてやるぞぉ、これは脅しではないからなぁ!!」
『…………もう、殺るか?』
今まで適当にあしらっていたが、さすがに不愉快になってきた。
『もう、斬っちまってもいいよな? この非常時だし、一人ぐらい手元が狂って殺しちまっても構わないよな?』などと本気に思い始めたゲンマ。
とにかく五月蠅い。
特に地位を利用して偉そうにほざく無能をゲンマは嫌っていた。
無論、自分が聖人君子でないことは自覚しているが、剣を持ちながら何の覚悟もない雑魚の戯言など聞くに堪えない。
『無様に生きるくらいなら、戦って死ね』がゲンマの持論だった。
『ただなぁ~、あんな奴の血を【雪風】に吸わせたくはねぇんだよなぁ~』
愛刀の【雪風】は、ゲンマのお気に入りだ。
柄を握れば体の一部かと思わせるくらい手に馴染み、振るえばどんな固い甲殻を持つ魔物も斬り捨てられる。そのうえ刃毀れしない。
素人が持てば危険な刀であり、その美しい輝きに魅入られる者も出るだろう。
とにかく切れ味が尋常ではない最高の相棒だ。
そんな名刀に雑魚の血を吸わせるなど、ゲンマには受け入れがたいほど拒絶感を抱いてしまう。それだけこの騎士隊長がクズだということだ。
今も喚いているが、ゲンマは振り返る気すら起きない。
「誰か、あの馬鹿を殺ってくれねぇもんかな……」
「おい、アイツを捕らえ…………」
「……んっ?」
突然に雑魚騎士隊長の声が途絶えた。
振り返ると、そこに先ほどまで喚いていた愚物の姿はなく、かわりに何かが通り過ぎたかのような抉られた跡が残されている。
地面は赤々と溶岩のように高熱を放ち煮え滾っていた。
瞬間的に嫌な予感がよぎり、咄嗟にその場から飛ぶ。同時に凄まじい熱量を持った光が通り過ぎていく。
「な、なんだぁ!?」
「うぉわっ!?」
「ぎゃぁ!!」
いたる所で悲鳴が上がる。
辺りを見渡してみれば建物が何故か炎上し、空を裂く光が無差別に街中を走り、街を紅蓮の色に染めあげていく。
運悪く直撃を受けた者は無残な屍となって転がった。
閃光が走ると、その場にいたものは人や物関係なく一瞬で焼き尽くされ、哀れな消し炭と化した。
建物の炎上は光が通過した結果、余剰熱量によって副次的に火災が発生しただけに過ぎず、光が後には東門の方角へ一直線に道が残されていた。
何者かが尋常ではない威力の光を放ったとみるべきだろう。
『ま、魔法攻撃か? だが、なんだ……この威力は』
ゲンマはこのような強力な攻撃を見た事がない。
いや、正確にはこの手の大規模な魔法攻撃は一度だけ見た事はあるが、ソレとはまた別の属性攻撃に思えた。
少なくとも、どこぞの大賢者が使った魔法と比べると明らかな差があるようだと感じる。
主に破壊的な威力と範囲という意味でだが……。
「お、おい……」
「化け物共が………」
魔法攻撃がやんだと思えば、今度は化け物達に動きがあった。
緩慢な動きしかできなかった歪な人型の肉塊が、周囲の同類と融合を始め、蛇のような形態で素早く一斉に移動を始めたのだ。
まるで一点に集まるかのように急速な動きで、この化け物の本体に何かが起きたとゲンマは直感で察する。何が起きているのか分からず呆然とする民衆や衛兵達。
肉塊は東門の方角に移動をしていることは明白。つまり、本体――百足女は東門にいることになる。
そんなことを考えていたゲンマの目の前で、音を立てて次々と倒壊していく建物群。
崩れた瓦礫のその先、燃え盛る炎の中に見えたものは――。
「おいおい……ありゃ、ドラゴンかぁ!? 冗談だろ」
遠方の先にいてもはっきりと見える巨大な影。
つまり、二匹の化け物がガチで戦っていることを示していた。
冗談にも程がある。
「あらあら、まるでこの本のようですね」
「化け物同士が大激突か、洒落になら……ちょっと待て! コズエ……今、本とか言わなかったか?」
正体不明の化け物の行動より、妻が発した別の言葉が気になったゲンマ。
彼女の豊かな胸元に抱えられた数冊の薄い本。
タイトルは見えないが、オビに【獣二匹、ベッドという名のジャングルで漢を賭け大暴れ】と書かれていた。しかもシリーズ物らしい。
ゲンマは知らなかった。
メーティス聖法神国がその手の書籍の聖地――もとい性地であることを。
「おま、こんなクソ忙しい時に、一体どこで何をしてたんだぁ!?」
「偶然拾っただけですよ? あちらの崩れかけた書店からですが」
「あぁ……あのなぁ~」
ドラゴンと化け物の二大決闘より、こんな時でも趣味を忘れない奥さんの病気の方が深刻だった。
燃え盛る炎と立ち上る黒煙を見上げながら、ゲンマは『遠い所へ行っちまったんだなぁ~……』と現実から目を背けるかのように深く溜息を吐きつつ、ポツリと呟いた。
余談だが、タイトルの方は【男淫怪盗マンチカンと男色王子ゲイダー、真夜中のIN果な大決闘】であったとか……。
奥様の決して褒められない趣味に、今日もゲンマは悩まされる。
せめて娘だけはこの母親と同じ病気に染まらず、修羅でもいい元気に育ってほしいと、心から切に願わずにはいられない。
まぁ、ゲンマ自身も親として褒められたものではなかったのだが――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
周辺を雷撃と無差別レーザー攻撃で薙ぎ払ったジャバウォック。
燃え盛る炎の中、百足女が何かしていることを察知する。
百足女の周りに同色の青白い肌をした無数の蛇が一斉に集まりだし、次々に融合していく。
不気味に蠢く肉塊が肥大し、徐々に大きさを変えていった。
『……グロい』
『どうでもいいけどアイツ、さっき言葉を話していなかった?』
『やっぱ同類か?』
『なんか違う気がする。発生過程は同じかもしれないけどな……』
『どういうこと?』
『俺達と同じで怨念が結合した存在だけど、向こうは欲望の塊なんじゃないか? 俺達は少なくとも復讐という一点で纏まっているが神様に力を与えられているし、似ているだけで別物と考えて良いだろう。』
元勇者達の考えは正しかった。
怨念で発生した存在なのは確かに同じだが、ジャバウォックは四神教に対しての恨みが原動力だ。対して百足女の方は生前の妄執や欲望といった未練である。
その本質の違いゆえにジャバウォックは四神教以外に他者を襲わず、百足女は平然と他人を食い殺す。目の前の肉塊にあるのは、功名心、物欲、金銭欲、性欲、食欲といった欲望が歪んだもので、被害者達の意思を除いた全ての怨念をシャランラの魂が引き受けていると言っても良い。
だからこそ醜悪な姿をしているのだろう。
『けどよぉ、奴らは他人も取り込んでるぜ?』
『何とか助けられないかしら?』
『う~ん………』
『あっ、あの肉塊を食えば俺達も同化させることができるんじゃね?』
『『『『『 食うのかぁ!? アレを!? 』』』』』
今もなお融合して肥大化を続ける巨大な肉塊。
お世辞にも美味そうには見えない。
『ないわぁ~……。アレを食うのだけは、マジでないわぁ~』
『奴らを取り込んでどうする気だよ!』
『絶対に理解し合えないよね……』
『『『『『 つーか、食いたくねぇ!! 』』』』』
間違いなく腹を下すような、見た目にも悪臭が臭ってくるような腐肉である。
食いたくない。食欲もわかない。そもそも食欲なんて存在しない。
今さら他の悪霊を取り込む必要性すら感じないが、だからと言って化け物に食われた被害者を放置するのは良心が痛む。しかし試すには勇気がいる。
試しに融合しようと移動してきた肉塊を捕まえてみるが、うねうねと動いて顔を背けるほど気持ち悪い。
だが、勇者の魂の中にはチャレンジャーがいた。
『グダグダ言ってねぇで、試してみようぜ。もしかしたら、俺達がパワーアップするかも知れねぇじゃねぇか』
『『『『『『 岩田ぁ――――――っ、何てことを!? 』』』』』』
勇者【岩田 定満】は余計な真実を知ったばかりに殺され、死体を地下下水路に捨てられた挙句、自分の体が鼠に食われる様を眺め続けた怨霊だった。
他の似たような殺され方をした境遇の勇者の魂達に後押しされ、ジャバウォク肉体を一時的に制御。強引に化け物の肉を食らった。
ジャバウォクの力が僅かばかりだが上がった気がした。
『……奴らの力を奪えるようだな』
『たとえそうでも……心の準備はさせろ』
『……ブヨブヨしてた』
『変な汁がのどを通過するとき、吐きそうになったんだけど……』
『不味いのは理解できた……』
『パワーアップすんだから我慢しろや。いくぜぇ、覚悟を決めろや!』
『『『『『 や、やめろぉ―――――っ!! 』』』』』
傍目には化け物に猛然と迫り、その肉に食らいつく獰猛なドラゴンに見えているが、実際は涙目状態。岩田を含む調子に乗っていた元嫌われ勇者達は、基本的に他の勇者達の魂と同調が不安定で、感覚の共有ができていないのが不幸の始まりだった。
まともな感性を持っていた勇者達は一時的にジャバウォクの肉体制御を奪われ、無理やり百足女を食らう羽目になる。
この場合、問題となるのは味覚だった。
『『『『オラオラオラァ、全部食えぇ!! この後の予定も詰まってんだよぉ!!』』』』
『や、やめ……』
『おえぇ!』
『いがいがするぅ~……。のどの奥でいがいがぁ~!』
この捕食行動がジャバウォックを強化した。
体が肥大していき、首が五本に増え、怪獣のような姿へと変貌していく。
百足女が取り込んでいた被害者の魂は、どこかへと送られていくのを感じる。
さて、首が増えたことはなにもメリットばかりではない。何が言いたいかと言えば――。
『岩田ぁ~……てめぇとその他大勢。よくもやってくれたなぁ~?』
『覚悟はできてるわよねぇ~……お?』
『てめぇらも、この肉を味わってみろや……』
『言い出しっぺなんだから、喜んで全部食べるのよね?』
『俺らだけに食わせようとか、考えていないよな? 俺たちゃ運命共同体だぜぇ?』
『『『『『 は、話せばわかる……… 』』』』』
『『『『『 ざけんじゃねぇ!! 』』』』』
首の五本中、一本が岩田達不良勇者の魂が宿ったようで、残り四本に他の勇者達の魂が制御できるように進化した。
そして、数が多いのは比較的まともな精神をしている勇者達の魂。
もう、お分かりだろうか?
ジャバウォックの肉体を、一時的にでも少数の魂が制御を奪うことを可能であるなら、それは他の勇者達にも可能ということ。
岩田達の宿った首を無理やり制御し、目の前の肉塊を無理やり食わせようと動かした。
『いがいがぁ~!! おえぇえぇっ!!』
『酸っぱい汁と、ねっとりしたのど越しが……』
『俺が悪かったぁ―――――っ、許し……うぷっ!?』
『NO―――――――――――s!!』
『あれ? 結構イケる……』
一人、剛の者がいた。
それはともかく、ジャバウォックは百足女の肉を喰らい続け、更なる力を得ていった。
一方でシャランラ達はと言うと……。
『ちょ、食べられてるわよぉ!? 大きくなったら美味しそうに見えてるんじゃないのぉ!?』
『これは意外……。見た目にも毒がありそうなのになぁ~』
『毒があるのは姐さんだけどな』
『誰がうまいことを言えと?』
『見た目、凄く不味そうなんだけどな……』
まさか食われるとは思っていなかった。
巨大化して格闘戦に持ち込み、そのどさくさに紛れて本体だけ逃げるつもりだったのだが、逆にジャバウォックのパワーアップに手を貸してしまった。
首が五つに増え、体が一回り大きくなり、翼も倍以上に成長している。
しかも思っている以上に捕食速度が速い。
『まぁ、これはチャンスだな』
『こいつが食いついているうちに、俺達だけでも逃げるぞ!』
『どうやって逃げる気よ! 分離したらさっきの一斉攻撃で焼き払われるだけじゃない!』
『姐さん、街の門をよく見て見ろ。扉がさっきの光線で吹き飛んでるぜ? 本体だけを向こうに投げ飛ばせば、食われるのは残された肉だけって寸法さ』
ジャバウォックの攻撃で、街の門は既に機能していない。
扉は吹き飛び、周りの外壁も半ば崩壊しており、門そのものもいつ崩れ落ちるか分からないほどボロボロだった。
そして、重要なのは門の外に出ることができるという一点にある。
シャランラ達が地上へ出てきたとき、当然だが大規模なパニック状態になった。
街の門には我先にと避難民が押し寄せ、混雑した状態のところへシャランラ達――百足女は襲い掛かった訳だ。
被害者が出る中で衛兵達が扉を閉め、シャランラ達を街の外に出ないよう閉じ込めたのである。彼等にしてみれば命懸けの作戦だったに違いない。
しかも門の内側と外側を挟む中間位地には、普段は天井付近で吊り下げられた鉄格子が存在し、逃げるときに鎖を切られ鉄格子を落とされていた。
だが、ジャバウォックの無差別攻撃――光撃によって粉砕され、今であれば楽に通ることができる。
『さっさと逃げるわよ!』
『『『『 うぃ~っす! 』』』』
巨大な百足女の体から無数の触手を生え出しジャバウォクを襲うが、これは注意を剥かせるためのフェイク攻撃だ。無数の触手全てがダミーで、本命の触手一本に本体を移している。
ジャバウォックに食われながらもダミー触手で攻撃を続け、本体のある触手を振り回すと同時に本体である先端部分を切り離す。
分離された本体は壊れた城壁を超え、バウンドしながらも街の外へと転がっていった。