聖法神国の剣豪
地下下水路を走り抜ける巨大な影。
その巨大な影を追いかける二組の小さな影は、激しい戦いを繰り広げていた。
薄暗い下水道に飛び散る火花と、腐臭の混じった黒い血液が飛散し、ただでさえ悪臭の漂う下水道が更なる悪臭によって上書きされていた。
「こいつはしぶといな。大抵は直ぐにくたばるもんだが、なかなかどうして斬り応えがあるじゃねぇか」
「てこずらせてくれますね。私としては、こんな場所は遠慮したいところなのですが」
中世西洋文化のこの大陸に不釣り合いな東方風のいでたち。
一人は刀を携えた五十代の男で、もう一人は見た目がおっとりしたくノ一装束の女性であった。
傭兵にして賞金稼ぎの【榊 厳馬】と妻の【榊 梢】(旧姓コズエ・ファーフェン)である。ぶちゃけて言えばカエデの両親だった。
二人は傭兵で、とりわけ賞金首を狙う狩人である。
だが、傭兵はそれだけで日々の暮らしはやっていけない。たまにはこうして魔物退治をすることもある。
生活苦とは傭兵と切っても切れない関係であり、それはゲンマ達も変わりがなかった。
たまたまメーティス聖法神国に訪れていた二人は、生活苦から傭兵ギルドで下水路に生息する謎の生物の討伐の依頼を受け、複数の傭兵パーティーと共に地下を調査していた。
そして、偶然にもその魔物と遭遇し戦闘に入ったのだ。
ゲンマと別れた他の傭兵達は既に食われており、残りは今も下水路を調査して合流に至っていない。実質コズエと二人で討伐しなければならない状況へと陥っていた。
「コズエ、お前は追跡だけに専念していろ。コイツは俺が殺る」
「あなた……。そろそろお風呂に入りたいと思うのですが、今日泊る宿にお風呂はあるのでしょうか?」
「お前……こんな時に風呂の心配か?」
「大事なことですよ? このような汚いところでお仕事をしているのですから、宿で綺麗にいたしませんと病気になってしまいます」
「まぁ、確かに……」
地下下水路――要は家庭排水を流すための水路だが、当然だが汚物などもこの下水に流れ込むことになるわけで、雑菌なども大量に繁殖していることは間違いない。
お世辞にも清潔な場所であるなどとは言えない場所だ。
「しっかし、なんなんだぁ? この化け物は……」
「ちょ、人を化け物、化け物って失礼じゃない!? 好きでこんな姿になった訳じゃないわよ!!」
「おまけに流暢に喋りやがる。こんな化け――ブッキーな生物なんて今まで見た事がねぇぞ」
「言いなおした!? 誰が不気味よぉ!!」
「姐さん、どう見ても俺らの姿は不気味ですぜ?」
「その配慮が逆に心に突き刺さるぅ~~~っ!」
「痛ぇ、心が痛ぇ!!」
体に無数にある口からそれぞれ別の言葉を紡ぎだす。
何しろ見た目が百足で、頭部に当たるところから女性の体が生えている。しかも巨体。
甲殻ではなく人の肌のような体だが、その各所に眼球や口が無数に存在しているのだ。ついでに脚は人間の手足。
これが不気味でなくて何が不気味だというのだろうか。
正真正銘、まごうことなき立派な化け物である。
「まぁ、お前らが何であるかなんかなんざ、さほど意味はねぇ。俺はお前らをぶった斬れれば構わん」
「女を斬ることに躊躇いはないわけ!?」
「あると思うのか? お前ら、ここに来るまで何人食った。人でいたいならさっさとくたばればいいだろ」
「人を殺そうとする連中を殺して何が悪いのよぉ!」
「逆に、人を食い殺す化け――ブッキー生物を殺して何が悪いんだ?」
「私はいいのよ! 私はいずれ途方もない財を溜めこんで、いい男にちやほやされながら余生を過ごすって決めてるんだから!」
「………その姿でか?」
「うっ………」
返す言葉のない辛辣な一言が突き刺さる。
確かに今の姿では他の男が近づく事などありえなく、財を溜めこんだとしても傭兵達を引き寄せるだけの材料にしかならない。それ以前に人間ですらないので意味がない。
欲望を口にするだけで、実際のところは叶うはずもない夢でしかなかった。
「さぁ~て、御託の時間は終わりだ。再開しようや」
「チッ……面倒ね。こうなったら……」
化け物の脚が一瞬肥大すると、ブチブチと嫌な音を立てて本体から切り離された。
その脚――肉塊は不気味に蠢きながら姿を変え、出来損ないの人型へと変貌していく。
「おいおい……。こつは体の肉を切り捨てて分身を作れんのか?」
「うふふふ、まだまだ増えるわよ? 何せ手駒の材料はたくさんあるんだから」
「まさか、食った人間のことか!?」
「当たり。あなたのお仲間達もいるから、いっぱい遊んでもらいなさい。その間に逃げさせてもらうけど」
次々と増える肉塊から生まれた化け物の分身。
中には人間の下半身が二つ繋がった個体や、上半身が二つに分かれた個体も存在し、それぞれが骨で作られた武器を手にゆっくりゲンマに迫ってくる。
その代わり本体が二回りほど縮んだように見えた。
「……お前、実は苦肉の策なんじゃねぇのか? 前よりも縮んでるぞ」
「でも、その分だけ体が軽くなったわ。邪魔者も切り捨てることができたし、さっさとこの場を退散させてもらうわね」
「待ちやが…うぉ!?」
胴体から八本の腕を生やした分身体が、骨でできた槍でゲンマを串刺しにしようと攻撃してきた。
頬を少し切り裂かれたが咄嗟に躱し、カウンターで横薙ぎを一閃。
他の肉塊も動き出し、一斉にゲンマへと迫る。
「厄介な……。だが、面白くなった来たなぁ!」
数は多いがそれほど強くはないようだった。
手にした刀、【雪風】で斬り散らかしていく。
「無駄だぁ、こんなザコで俺を止められるものか!」
「それはどうかしら?」
「なにっ!?」
不意に背後から感じた気配。
ゲンマは咄嗟にその場から飛ぶと、下半身らしき肉塊から別の腕が生え、ゲンマの背後から伸ばすことで強襲してきた。
いや、切り倒した人型のどれもが同じように腕や足、あるいは頭部や口や目などを生やし、ゲンマに喰らいつこうと襲い掛かってくる。
「な、なんだ……コイツは。いや、前にも似たような奴とやり合ったことがあった。まさか、あの薬の犠牲者なのか!?」
「確かにコイツらは弱いけど、この地下下水路で大量に増えたらどうなるかしらね? もう遅いけど」
「オイオイ……。そんなことをすれば、てめぇも縮んでいく一方だぞ?」
「別に構わないわ。小さくなるほど逃げやすいもの。それに、こんな事もできるのよ?」
百足の化け物のような姿が一瞬で肉塊にまで縮むと、まるでロープのように細くなり、子供が入れるかどうかギリギリの排水口に向かって滑り込んで行く。
まるで蛇のような動きだった。
咄嗟に雪風で斬りつけるも、切り離された部位は再び結合して逃げ果せる。
質量はあるが形態は自由自在のようで、最後に『私を殺せるものなら、殺してごらんなさい』などと言い残し、いずことももなく逃走した。
残されたのは肉塊の雑魚達。
「マジか……あんな真似ができるとはな。こりゃ、依頼は失敗か?」
飛びついてくる肉塊を斬り裂きながら、ゲンマは依頼が失敗したことを悟った。
だが、雑魚とはいえ厄介な化け物はまだこの場に存在している。
このまま放置しておくわけにもいかず、必死に数を減らそうと刀を振るった。
だが、斬ったところで死ぬわけではなく、別の個体となって再生、あるいは融合して攻撃をやめることはない。
このままでは長期戦を余儀なくされ、本体を取り逃がしてしまう。
「コイツら、どうやったら死ぬんだ? 前のゾンビのように、体内の栄養分が切れるまで活動を続けるのか? 面倒な置き土産を残しやがって……」
ゲンマが知っているのは、ソリステア魔法王国や周辺諸国で禁忌と認定された麻薬の犠牲のことだ。
使用者を化け物へと変貌させてしまうだけでなく、やがて一つの個体へと集結し、巨大な魔物へと変貌を遂げる。
跡形もなく焼き尽くさない限り際限なく捕食活動を続け、その脅威はドラゴンに出会った時と同等の危険度だ。国一つ簡単に滅ぼしかねない。
「本当ならここで逃げるべきなんだが……」
ゲンマも撤退するなら簡単にできる。
だが、この肉塊の化け物を放置できない理由が今できてしまった。
「……コ、コロシ……テ、ク……レ……」
「ママ……ドコ……? ミエナイヨ……クライ、ヨ……」
「シナセテ……ハ、ヤク……」
「チッ……なんとも後味の悪いことだぜ。しっかし、どうやって成仏させりゃいい。この肉塊は切っても直ぐに再生しちまう」
ゲンマとしては逃げた化け物を追いたいところだが、この哀れな被害者を放置していくことなどできない。できることなら楽にしてやりたいとすら思う。
性質は似ているがなぜか、彼の知るゾンビと同じ存在とも思えなかった。
「一気に焼き払えればいいんだが、俺は魔法が苦手だしなぁ~」
エルフなのに魔法が苦手なゲンマは、攻撃魔法すらまともに使えなかった。
高い魔力も剣戟に乗せる武技に特化しており、基本的に斬ることしかできないのだ。
群がる人型の出来損ないは、自分達の意思とは別の意思によって操られ攻撃を続けており、その攻撃を避けながら必死に考えた。
「おい、コズエ。ちょっと手伝って……コズエ?」
ここは久しぶりにコズエに手を借りようと思い至る。
魔法が得意なのは妻のコズエなのだが、その彼女は忍者に嵌り、二十年以上魔法を使ったところを見たことがない。
だが、肝心な時にその奥様の姿が見当たらなかった。
「おいっ、どこへ行ったんだ!? コズエ、コズエ!」
「あなた、奥にお宝がこんなにありましたよ!」
すっげぇ、目をキラッキランさせながらこちらに戻ってきたコズエさん。
その手には数冊の薄い本が……。
「んあっ!? おま、なんでそんなもんを……。いや、それより衆道本がなぜこんなところに捨ててあんだ!? つか、バッチイから捨ててこい!」
「そ、そんな……これほどのお宝を捨ててこいだなんて……。あなたは鬼ですか!」
「こんな汚ねぇ場所に捨ててあるんだぞ! 病気にでもなったらどうすんだぁ!」
「確かにジットリしてますが、頑張れば読めないことはありません」
「別の意味で病気か……。誰だ、こんな不道徳な本を流行らせた馬鹿は……うぉ!?」
肉塊の触手攻撃。
戦闘の最中によそ見が危険なのは分かっているのだが、それでも奥様の病気的行動にツッコまずにはいられない。
元の場所に捨てに行くコズエだったが、未練がましくもゲンマの方をチラチラと見てくる。
しかし男としても夫としてもBL本は看過できない。できることならこの世界から全て処分したいとすら思っている。
「アンタ……クロウシテンダナ……」
「オクサン、ビョウキ……ダナ……ビジン、ナノ、ニ…………」
「タシカニ、アノホンハ……キョウイクニ、ヨロシク…ナ、イ」
一部の被害者から同情された。
「アレ、ハ……イイモノヨ?」
「ユリハヨクテ、バラガダメナノハ……オカシイ、ワ! ナットク、デキナイ……」
「ダンジョサベツヨ! ドウセイアイハ、シコウナノヨォ!」
「ゲイデモイイジャナイ、ニンゲンダモノ……」
そして、一部から批判された。
「お前ら、そんな姿になっても余裕あんのな……。成仏しなくても別にいいんじゃないか?」
「「「「「「 ソレハコマル! 」」」」」」
早く楽になりたいのは確かなようだ。
攻撃を加えてくるのも、体(?)が命令で勝手に動いているとゲンマは察した。
しかし、彼等を救済できるコズエは意気消沈で奥へと消えたままだ。その間にも攻撃は続けられている。
避けるのは楽なのだが、さすがに何度も続けられるのも精神的に苛立つ。
そのコズエさんがトボトボと奥から戻ってきた。
後ろ髪をひかれているのか、あるいは断腸の思いなのかは知らないが、足を止めては後ろを何度もチラ見している姿がなんとも未練がましい。
「お待たせ、しました……」
「おう、確かに待ったぞ。早速だがこいつらを楽にしてやってくれ、俺じゃ魔法が使えねぇからよ」
「分かりました。この悲しみを怒りに変えて、跡形もなく、塵も残さずに焼き尽くして差し上げますわ」
「「「「「「 リフジン!? 」」」」」」
哀れな被害者達は腐女奥様の腹癒せで滅ぼされるようだ。
ゲンマもさすがに気の毒に思う。
「【糸躁封縛】」
周囲に飛ばし張り巡らされた糸が肉塊の人型を縛り付け、その動きを一時的に封じた。
魔力で強化されているので、糸の強度は鋼並みに増している。
しかし、肉塊は自らを斬り落としながら封縛から逃れようと蠢いていた。
「【ヘルフレイム】、【フレア・バースト】」
地下下水路に紅蓮の炎が吹き荒れた。
肉塊は瞬間的に消し炭にされ、爆風が下水路の狭い空間を伝って加速し、全てを跡形もなく吹き飛ばす。
「うおぉおおぉぉぉぉぉぉつ!?」
爆風から逃げるように二人は全力で走り、効果範囲から必死で距離を取るゲンマとコズエ。
どこを走ってきたのか覚えていないが、ちょうど出口が見えたところで互いに頷くと、外に出た瞬間を見計らい左右へと飛んだ。
間一髪で爆炎が横を通り過ぎ、熱波が二人の肌を焼く。
「……ハァハァ、危ねぇ、ところだった」
「あぁ……これであのお宝も灰に………。後で拾おうと思っていましたのに……」
「最後までそれかぁ!?」
最近、妻がどこか遠くへと行ってしまった気がするゲンマ。
何にしても二人は、地下下水路に住む魔物の討伐に失敗したのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
地下下水路に住まう魔物討伐の依頼を受けた他の傭兵達は、謎のムカデ女と遭遇していた。
数十名の傭兵パーティーの半数以上が返り討ちとなり、多くが殺され、食われ、化け物の一部となる。
「く、来るな……来るなぁ!!」
百足の胴体から無数に生えた腕に捕らえられた傭兵は、四肢を引き千切られ、いたる所に開いた無数の口の中へと消えていく。
体中にある眼球が獲物を捕捉し、一人、また一人と捕らえられ食われていく。
「ば、化けも……あぎゃ!」
頭部に生えた女性体の腹部にあるひときわ大きな口が、絡みついた傭兵を頭部から丸齧りにし、残りの体をそれぞれの口が貪るように食い散らかす。
「て、撤退だぁ! 今直ぐこの場から撤退しろぉ!!」
「冗談じゃねぇ、こんな化け物相手してられっかぁ!!」
「逃げろぉ!!」
地下下水路には血の臭いが充満していた。
散乱した傭兵であったものの肉片を、鼠がおこぼれに預からんとばかりに群れで殺到する。
「ハァ~、嫌ねぇ~女を集団で追いかけ回すなんて」
「姐さん、今の姿のどこが女なんスか?」
「充分に化け物だろ」
「こんな姿になっても腹が減るんだな……」
「お黙り!」
ゲンマとの戦闘で消費した肉体を倒した傭兵で取り込むことで、手駒の補填を充分に満たした。
だが、こうして討伐隊が編成されたとなると、この地下下水路に潜伏できる時間も限られてくる。
傭兵自体はたいしたことはないのだが、中には手練れが紛れ込んでいることが問題だった。化け物――シャランラ達は言わばレギオンで、生命力が異常に優れているだけで決して強いわけではない。
取り込んだ者達から多くのスキルも獲得しているが、全て使いこなせているわけではないのだ。はっきり言えば器用貧乏以下である。
例えばシャランラは影に潜む【シャドウダイブ】が使えるが、今は他の取り込んだ者達のスキルが邪魔をして使えない。
まるで取り込んだ者達がシャランラの足を引っ張っているかのようだ。
彼女が使えるのは化け物化して新たに手に入れた【分裂】や、自身の姿を変化させる【変態】。【強酸】などだけである。
勇者達の便利そうな能力も、一部を除いて全く発動しなかった。
今の異様な姿では人目に触れず逃げ切るなど不可能に近い。
現に賞金稼ぎや傭兵によって討伐隊が編成され、シャランラを滅ぼそうと襲い掛かってきている。
彼女は自分のために他人を犠牲するのは良いが、他人の生活費のために犠牲になることに我慢がならなかった。
「この下水路から逃げた方がいいわね。討伐隊の相手なんて面倒くさいし、いちいち相手してらんないわ」
「ここを出てどこへ向かうんだよ」
「俺たちゃ人間じゃねぇんだぞ? 街に潜むなんてできやしねぇぞ」
「こうなれば自棄よ。街や村を片っ端から襲って、力を溜めこむのよ! こんなふざけた世界に復讐したいと思わないの?」
「「「「 確かに…… 」」」」
所詮は野盗やゴロツキなど腐った魂の集合体だ。
彼らの共通点は誰よりも身勝手で暴力的。社会不適合者なので世間一般の社会には溶け込めず、周囲から煙たがられた者達だ。
その思考は『自分は間違っていない。受け入れないこの世界が悪いんだ』という、かなり身勝手な反社会的感性の持ち主ばかりなのである。
簡潔に言ってしまえば『貧乏なのは社会が悪い』、『俺が馬鹿なのは教師や親が悪い』、『受け入れられないのは周囲の人間が悪い』など、自分の素行不良を他人の所為にして生きてきた腐った意識の集合体。
自分の甘ったれた感性を押し付けるような人間が、周囲から信用されるはずはないのに、そこに気づかず人に責任を押し付ける自己中だ。
だが、魂だけとはいえ、そんな思考の持ち主の魂が集団――統合されるとどうなるか。
答えは極端な行動に移すである。
「弱い奴をぶん殴ってただけで村を追い出された。アレさえなければ路頭に迷わなかった……」
「俺を振ったあの女、殺してやりてぇ……」
「弟の方が優秀だと、家督を譲らず捨てた糞親父……。あの財産は全て俺のものなのに!」
「たかが売上金を拝借した程度でクビにした店主……許せねぇ!」
「そうよ! もう化け物なんだから、今まで恨んでいた奴らに復讐してやるのよぉ! 何で私達が不幸にならなくちゃならないのよ、理不尽じゃない!」
自業自得なのに逆恨み。
だが、彼等の怨念は自己正当化によって負の力が増幅され、そこに他の被害者達の怨念を同調させ、さらに強化されてゆく。
困ったことに、世間一般にただの逆恨みだとしても、彼等にとっては正当なものだと信じて疑わないのだから救いようがない。
肥大した自己中心的な顕示欲が、自分達以外は全て否定すべきと認識を書き換えていく。
――オォオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォッ!!
歪んだ醜悪な化け物が行動を開始した。
地下下水路をさまよい、出口が分からず強引にマンホールをぶち破ると、街中へと這い出た。
「な、なんだアレは!?」
「バ、化け物ぉ!!」
「逃げろぉ!!」
街はパニック状態になる。
そして、逃げ惑う群衆に襲い掛かり、無差別に捕食を開始する。
阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ジャバウォックは自由な空を満喫していた。
禍々しい姿なのに優雅に空の旅を満喫し、思い出したかのように四神教の神殿や教会を襲撃し、気が済んだら撤退を繰り返す。
聖騎士達はジャバウォックの後取をつかめきれず後手に回り、彼等の無駄な努力を眺めては小馬鹿にするかのように姿を現し、必死に攻撃を加えようとする努力を嘲笑う。
性格が悪いと言われればそれまでだが、勇者として召喚され用が済んだら暗殺などで殺された被害者だ。その程度の復讐はご愛敬であろう。
何しろ彼等は、勝手な都合で召喚され続け闇に葬られてきた被害者なのだから……。
「次はどこを襲撃する?」
「大きい神殿がいいわよね? 歴史的な建造物が一瞬で瓦礫に変わる瞬間は最高よ」
「神官共は、さぞ慌てふためいていることだろうな」
「教皇は俺に殺させろ! あの糞爺、楽には死なせねぇ!」
「岩田君……殺されてたんだ。でも、こんな姿は一条さんに見せられないなぁ~」
ジャバウォックは徐々にパワーアップしてきていた。
怨念が受肉し、アルフィア・メーガスの力によって強化され、今や最強の魔物と化している。
無論、どこかの大賢者やケモナーがコンビで襲撃してきたら敗北は必至だが、あの連中は規格外であるものの敵に回ることはないだろう。
むしろ『もっとやれ』と応援するに決まっている。
まぁ、彼等とはまだ接触していないジャバウォックは、今日も元気に教会を二つほど巨体で押し潰すという一仕事をやり遂げ、騒ぐ聖騎士達を尻目に別の街へと移動していた。
夜間飛行のため彼等の姿は目立たないが、街の明かりは充分に目立つ。
もう一仕事して以降かと意見を出し合っていた時、上空から見えた街の異変に気が付いた。
「あれは、火事かしら?」
「いや、なんかおかしくね?」
「戦争か? 革命か? それとも反乱? 一揆か?」
「どれも似たようなもんじゃない。ほんと、何かしらね?」
「ちょっと寄ってく?」
「「「「「「 いいね! 」」」」」」
満場一致の可決で元勇者達の意見が決まった。
高高度からゆっくりと降下すると、街の外壁に沿うように旋回する。
そこで彼等が見たものは――。
「なんじゃ、ありゃ?」
「化け物……」
「いや、俺達も充分に化け物だからな?」
「キモいな……」
「うぅ……吐きそう」
「生理的に受けつけん。なんだよ、あの世界の終焉に現れそうな不気味生物は……」
それは、一言で言えば百足に似ていた。
だが、その姿はどこまでも醜悪で、生理的嫌悪感を誘う。
ジャバウォックも似たような存在だが、どちらかと言えば彼等の方がまともな姿と言えるだろう。少なくとも生物の形態をとっているのだから……。
「どうするよ?」
「あぁ~放置でもいいと思うんだが……」
「なんか、見ているだけでもキモいのよね。始末しちゃわない?」
「今後、俺達の邪魔になる可能性もあるな」
「街の人には恨みはないし、助けた方がいいよ」
「はっ、笹本は甘めぇな。だが、相手をするのは賛成だ。いい暇潰しになる」
「笹本って誰のことだ?」
「数が多いから誰だか分からないよ。少なくとも五人はいるし……」
旋回をしながらも街の様子を確認するジャバウォック――いや、元勇者達。
その化け物は不気味で、異様で、おぞましい姿だった。
街の住民を捕らえたら食い殺し、徐々に成長してきているように見える。
何より自分達に近い存在というのが生理的な嫌悪感を抱いた。
彼等は決断する。
「「「「「「「 この嫌な感情を消してやる! 」」」」」」」
ジャバウォックは少し距離を取ると、二対の翼を羽ばたかせ加速し、百足の化け物にめがけて突進した。
魔龍VS醜悪な化け物の戦いが、今始まる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街の門番を二十年務めた衛兵の男は、その日もいつも通りの勤務についていた。
いつもと変わらない日常。
それが破られたのは昼を過ぎた頃であった。
この日は地下下水道に住み着く魔物を討伐すべく、朝から傭兵ギルド所属の傭兵達が地下へと潜り、多少の騒ぎがあったもののいつも通りの平穏が続いていた。
そう思っていたのだが、その日常は突如として破られることになる。
夕暮れ時、地下から突如として現れた化け物が街の住民を襲いだし、この世の終わりのような地獄が始まったのだ。
悲鳴が上がり、血の臭いが街に充満し、門の前には多くの住民が殺到する。
最悪なのは、この街の門は敵の侵攻を防ぐために狭く、しかも東と西の二か所しか存在しない。押し寄せた住民が詰まり逃げ出すことができない状況に陥っていた。
さらに問題なのは、化け物から分離した肉片が人型の化け物となって民衆に襲い掛かり、被害者もまた化け物となって他の人々に襲い掛かる。
増えた人型は百足のような姿をした本体に融合し、その姿は次第に肥大していった。
そう、地下水路から現れた化け物は、街の住民を食っていたのだ。
「……悪夢だ」
知り合いが、住民が、傭兵が、同僚が、皆食われていく。
まさにこの世の地獄である。
幸いにも衛兵の男の家族は逃げだすことに成功したが、この化け物が追いかけないとも限らない。だからこそこの場に残り少しでも時間を稼ごうと試みた。
他の同僚も同じだったが、一人、また一人と食われ数を減らしていく。
「おっさん、お互いに運が悪かったな」
「これも仕事さ。それよりも西門は大丈夫だろうか?」
「東方風の男女の傭兵が善戦していたのを見かけたが、今はどうだかわからねぇ。どちらにしても俺達はここまでの運命だがな」
「妻と娘を逃がせただけが救いか……。せめて孫の顔だけでも見たかったのだがな」
まだ若い傭兵の男と苦笑いを交わすと、手にした剣に力を込めた。
もはや後戻りなどできない。
周りは街の住民であった人型肉塊に囲まれ、門は完全に閉じられており退路は塞がれている。
男にできることは一匹でも多くの化け物達を道連れにすることだけであった。
同僚の衛兵は三人しか残っておらず、傭兵達も五人程度。そして近づいてくる百足の化け物。もはやこれまでと覚悟を決める。
「せめて一太刀でも叩き込んでやりたいな、あの化け物に……」
「同感だ。あのムカつく化け物に、目にもの見せてやる!」
「「「「「「 おぉう!! 」」」」」」
生き残った衛兵と騎士達は、最後の悪あがきを始めようとしていた。
まさにその時だった。
――グオォオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォッ!!
天から響き渡る咆哮。
そして、凄まじい速度で百足の化け物に体当たりを喰らわす漆黒の巨影。
「あ、あれは……」
「ドラゴン!?」
「な、なぜ………こんな時に」
最近メーティス聖法神国を騒がせている漆黒のドラゴン。
襲うのは四神教の神殿や教会ばかりで、人的被害はほとんど聞いたことがない。
精々いけ好かない司祭や枢機卿辺りが巻き込まれて犠牲になる程度だ。
神官も多少は犠牲になるが、ドラゴンが姿を現した警鐘を聞いて大半が真っ先に逃げ出すので、被害は最小限で済んでいる。
それでも聖職者だけが酷い目に遭っていることは否めないが、一般市民の被害はゼロに等しい。
そのドラゴンが百足の化け物に襲い掛かったのだ。
群れ成す不気味な人型を長い尾で薙ぎ払い、再び轟いた咆哮が衝撃波となって吹き飛ばす。
まるで、彼等を守るかのように、ドラゴンは百足の化け物の前へと立ち塞がった。
「ま、まさか………」
「これは夢か? 助けて、くれたの……か?」
「馬鹿な、ドラゴンだぞ!? 獣にそんな知性があるとは思えんが……」
何が起こったのか衛兵や傭兵の男には分からない。
しかし、ここに奇跡が起きたことだけは確かであった。