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 おっさん、身の上話をする

 盗賊を討伐して川原に辿り着いたゼロス達は、そこで一晩を明かす事になった。

 セレスティーナやツヴェイトは先に眠り、ゼロスは数人の騎士達と共に見張りを行っている。


 安全な領域であったとしても魔物は現れ、人を襲う事がある。

 彼等は大深緑地帯から帰還して以降、まるで獣の如く感覚が鋭敏になっており、少しの気配でも目を覚ます程である。

 問題は、それがクマなどの獣であった場合、なぜか嬉々として狩をする事だろうか。

 彼等の野生化は深刻だった。   


 焚火に当たりながらも、ゼロスは大深緑地帯で採取した薬草の種などを取り分けていると、そこに一人の少女が近づいてきた。

 自分と同じ境遇で、四神の身勝手で異世界に生きねばならなくなったイリスである。


「おじさん、ちょっといい?」

「すみませんが、僕はロリコンではありませんので、援助交際は遠慮願います」

「違うわよっ!! 何で、そんな話になるの!?」

「以前、街で君と同年代の子に誘われまして……丁重にお断りしたら、『チッ! スカしてんじゃねぇよ、糞親父!』と罵られましたので、ちょっとしたトラウマになっているんですよ」

「そんなのと一緒にしないで、迷惑よ!! ……ソレ、元の世界での話よね?」


 援交扱いされ、些か憤慨したイリス。

 流石にこれは、彼女が怒るのも無理も無いだろう。


「第一、何で私が援交目的扱いになるわけ? 信じらんない!」

「そんな格好をしていれば、誰でも勘違いすると思いますが?」


 イリスの姿は黒を基調とした、胸元が少しきわどい装備である。

 同色でスリッドのあるロングスカート、腕に豪奢なデザインの補助系魔法具と思われるブレスレットをしていた。

 完全に魔法職の出で立ちなのだが、衣装が小柄な彼女の体形と合っていない。

 明らかにセクシー路線である。まだ、あどけなさが残る少女が、ムチャな背伸びをしている様にしか見えない残念さだ。


「うっ……アバターが長身ナイスバディ―の美女系だったのよ。おじさんこそ、どう見ても駆け出し初心者みたいで見た目が怪しいわよ?」

「ワザとですよ。色々有名になり過ぎましたので、カモフラージュをしたんですけど?」

「胡散臭いわ……こう、何て言えばいいの? 映画のエキストラが街の中を歩いている様な、違和感がハンパないわよ?

 その馬鹿丁寧な口調が、怪しさ増大してるわ……正直、もの凄く変!」

「だから良いんじゃないですか。まぁ、口調は癖みたいなものですからねぇ~。

 就職して矯正した時から、この言葉遣いが癖になったものでして、今では感情的にならないと『俺』て言わなくなりましたよ」


 ゼロスの口調は会社勤めの時に矯正し、今の様な状態になった。

 しかし、中肉中背のだらしないおっさんがこの口調でしゃべると、いかがわしさが半端じゃない。

 タチが悪い事に、ゼロスはこの状態をワリと気に入っていた。


「へぇ~……どんな仕事をしていたの?」

「まぁ、ネット上のセキュリティーシステム関係が主ですね。ファイアーウォールを構築して、カウンタープログラムでクラッカーを追跡するような……」

「ひょっとして…おじさん、もの凄くインテリ?」

「……援交はしませんよ?」

「しないわよっ!! 真面目な口調で言わないで」


 元の世界では七年ほど、ある会社で働いていた。

 その頃は彼―――大迫 聡の人生は順風満帆であった。

 いくつかのプロジェクトの責任者となり、陣頭指揮を執って会社の利益に大きく貢献していた。

 また、海外の有名企業と合同で、幾つかの国家プロジェクトにも携わるほどに……。

 ある事が切っ掛けで、会社を辞めざるを得なくなるまではだが……。


「凄いけど、何でリストラされたのよ。普通に考えておかしいわよね?」

「それを聞きますか? 実は、姉がいるんですけどね。これがまた面倒な奴でして、当時は会社の寮で生活していたんですが……肉親である事を理由に奴が転がり込んで来たんですよ。

 しかも、三年間も出て行こうとはしませんでした」

「何それ? おじさんのお姉さんなら、大人よね? 働かなかったの?」

「働いてはいましたよ。 直ぐに辞めて結婚もしましたけど、旦那と別れたらしいんですよ……。旦那の貯蓄預金を全部使い潰してね」

「ハァ?!」


 聡の姉は、かなり自分勝手な人物だった。

 両親が死んで遺産を相続し、その半分の金をわずか二年で使い切るほどに金遣いが荒く、結婚相手の預金を無断で全て使いきった。

 離婚どころか、ヘタすれば警察沙汰になり兼ねない話なのだが、旦那が浮気をしていた事を調べ上げていた為に大きな騒ぎにはならなかった。

 むしろ、自分を不幸に見せる事で、逆に相手を追い詰めるほどの策士である。

 その姉が社宅に押しかけて来たのだ。


 しかも、働きもせずに三年もの間、テレビを見ては飯を食うの引き籠り生活。

 預金通帳の類は全て聡が管理していたために、勝手に使われる事なく無事で済んだ。

 元からこの姉を信用していなかった故に、自室内部の回りは厳重に警備を固め、通帳の類は銀行の貸金庫に隠すほどだった。


「どんな姉よ! 人として最低、むしろ寄生虫なんですけど……」

「勝手に出前は取るわ、ツケを人に払わせようとするわ……掃除と称して金品を物色し、部屋を荒らすわで最低の女でしたよ」

「追い出さなかったの? 警察に相談するとか、弁護士を頼むとか……」

「しましたよ? ですが……奴は外面が良くて、外堀を埋めるのが得意なんです。何かあったら僕が悪者ですからね、タチが悪い」


 外では良い姉を演じ、家では横暴。

 同じ社宅に住む奥様連中との仲も良好で、決して自分に対しての悪印象を与えない。

 そんな地獄の様な三年も、仕事で別の地方に赴任が決まり、強制的に追い出す事に成功した。

 嬉しい事に、その赴任先の社宅は独身寮で男しかいなかった。

 更に部屋の造りも狭く、一人暮らしがやっとの2LDK。別れ際に聡を忌々しげに睨んでいた事が記憶にある。


「働く気が全くないのに、金ばかり使う女でしてねぇ~……。この世界にいたら、真っ先に殺してますよ」

「なんか、それで終わりには思えないんですけど……」


 そう、終わりでは無かった。

 彼が仕事で海外に行き、部屋に戻らない頃を見計らい、偶然を装って聡の住んでいた寮に現れ管理人を騙して部屋に侵入。開発中のプログラムデータをハッキングして盗んでいったのだ。

 しかも、その時は別の男と知り合い、結婚までしていた。


「その相手が…ライバル会社の重役でして、奪った開発中のソフトをいち早く発表しやがった!」

「口調が変わって来てるわよ、おじさん……」


 当然、特許申請が出ていたので裁判になり、更に欠陥がある事を証拠にその裁判には勝利したが、聡は厄介な姉の所為で会社をクビになる。

 姉の旦那でもある重役も責任を取らされクビ、誰も得などしない悪夢の様な出来事だった。


 そして聡は田舎に土地を買い、農業を営みながら引きこもり生活を始めた。

 ゲーム自体は昔から好きなのでやっていたが、スローライフを送りながらの引き籠り生活は、意外にも快適だったのだ。

 田舎生活を送っていると知った聡の姉は、それ以降は寄り付きもしなくなる。

 農家の生活など、やっていられないと判断した為であろう。


「何で、身の上話をしているんでしょうね? ところで、その装備を変える気は無いのですか?」

「これ以外に装備が無い……。素材はあるんだけど……」

「あー…古い装備は真っ先に売るタイプですか。残しておくと強化も出来るのに」

「どの道、セクシー系統だから無理よ。今の私じゃ似合わない」

「だから傭兵で資金稼ぎして、装備を買い替えようと?」


 その後、ゼロスは他愛もない会話を混ぜながら、イリスの状況をおおよそ把握していた。

 おそらくはゲームを楽しんでいたプレイヤーで、基本は自分の殻に引きこもる体質。

 好奇心は強いが、危機感はいまいち足りない。

 家族との関係は良好とは言えないが、悪いとも言えず、ごく普通の一般家庭の生まれと見た。

 交友関係は希薄で、転生してこの状況を楽しもうとしているフシがある。

 ゼロスの分析見解はこんな感じだが、凡そ間違ってはいない。


「おじさんは、今は何をしてるの?」

「貴族の子息女に魔法を教えていますが、もう少しすれば無職ですね」

「き、貴族って……何でそんな偉い人達と付き合えるの?! しかも、ひと月足らずで……」

「偶然、盗賊に襲われている所を助けただけですよ?」

「だからって、普通は貴族と話す事なんて出来ない事なんじゃないの? ラノベでも似たような状況はあるし……」

 

 この世界でも、貴族と民衆の間には大きな隔たりが存在する。

 地位と権力を持つ者と、支配される者だ。

 普通なら、ゼロスは貴族と関わるどころか、言葉を交わすだけでも名誉な事になる。

 それが上から目線で指図する立場にある事が、イリスには信じられなかった。


「初対面の時には本音を半分、虚言を残り二割、残り三割は相手の観察のため誘導に使うんですよ。

 言葉のニュアンスから情報を得て、時にもっともらしい言葉を並べる事で相手の感情を探り、後は虚と真実を交えて話を繋げる。

 交渉術の基本ですよ? 後は自分の技量で乗り切る豪胆さが必要ですけどね」

「黒い! 黒いわよ、おじさん!!」

「初対面で信用を勝ち取る事はありませんが、会話をこなす事で自分に有利に仕向けるんです。信頼を得られたなら裏切らない事が何よりも重要」

「それ、半分は詐欺師の手口じゃないの? かなり悪辣なんですけど……」

「人の信用を得るに会話は重要ですよ? どれだけ自分に対して好印象を与えるかが、勝負どころです。

 そもそも貴族なんて、会社の重役か政治家みたいなものでしょ? 何度も相手にしましたから慣れてますが?」


 海外でのプレゼンテーションの時、相手と会話しながらも如何に好印象を与え、信用を勝ち取るのが勝負どころである。

 それが新たなビジネスチャンスに繋がり、成功すれば見返りは大きい。

 幾度かこうした経験を重ねたゼロスは、現在家庭教師の枠に収まっている。

 数週間後には無職になるが……。


「その気になれば、国の偉い人になれるんじゃない?」

「嫌ですよ、めんどくさい。僕は畑を耕して、のんびり生きたいんです」

「なんて、才能の無駄遣い……勿体無い」

「人の生き様など、人其々です。他者に何を言われても変える気は無いですね」


 性格的にも、国の重要スポットに着く気にはなれない。

 金は生活する分だけあれば良いし、ただでさえ国の内政官でもある貴族達の権力争いが激しいのだ。


 現時点でのこの世界での戦力は、戦闘職の騎士達の貢献度が大きい。

 魔法国家だけに魔導士の地位も高いが、現在では権力に固執し、実戦を想定した戦略の意味合いを考えてはいない。

 

 少なくとも今までソリステア魔法王国は大きな戦争に巻き込まれた事は無く、なぜか軍務の命令系統が二つ分割されており、魔導士団と騎士団は別々に行動する事が多い。

 だが、戦闘になると合同で戦闘をこなさねばならず、命令系統が二つに分かれていると何かと不都合な問題があった。

 合同で動くと作戦時の命令が両師団に伝わるが、ここに来て互いの足を引っ張り合いが始まり、どちらが早く手柄を立てるかで揉めるのだ。

 無論、表立っての衝突は少ないが、水面下では互いを信用していないため、政治的な睨み合いと策略を用いて水面下で火花を散らしていた。


 魔導士は実戦訓練はしているが、本当の意味での実戦は経験した事が殆ど無い。

 騎士団は盗賊や魔物を相手に連携を強め、組織的な運用を目指してはいるが、ここに異なる命令系統を持つ魔導士団が加わり足を引っ張られる事を由としない。


 同じ命令を受けても解釈の仕方で魔導士達と異なり、実戦(盗賊討伐)をこなしている騎士達を蔑ろにして勝手に動き出す。

 勿論、戦闘時に於いてそれが有用な事もあるが、大体が騎士団に対する嫌がらせだ。

 これは複数の派閥に分かれた魔導士団だからこそ起こり得る事で、誰が手柄を上げて優位に立つかが念頭に入り、騎士団を無視して先走る。

 真面目に魔導士として役割を果たそうとする者もいるが、各派閥連中に睨まれると職を失いかねない。

 派閥の実力者の大半が、権力を持つ貴族達だからだ。


 国王も騎士団も、魔導師団の内部分裂には頭が痛く、しかし派閥の代表者が政治中枢にまで手を伸ばしているので、下手に刺激できない有様。

 国が混乱しているどころか、既に一部が暴走を開始していた。


「そんな国に仕えたいと思いますか? 背中からナイフで刺されそうなのに……」

「この国、大丈夫なの? なんか、防衛面で凄く歪な気がするんですけど?」

「まぁ、真面目な魔導士を騎士団に組み込めれば話が変わるのですが、組織内に派閥を作って周りを巻き込んで、常に足を引っ張ってますからねぇ~……駄目なんじゃね?」

「真面目な魔導士が可愛そう。騎士団への嫌がらせは互いに手を組むのに、魔導士団内部でも権力争いをしているの? 駄目じゃん」


 それを憂いてクレストンが独自の派閥を作ったのだが、今のところ状況は芳しくは無い。

 なによりも、研究目的の魔導士が多いため、こうした軍事面に関りたがらない事が多かった。

 他にも、派閥の連中が怖くてクレストンの派閥に入りたがらない魔導士もおり、人員確保が難航していた。


「聞いた話によれば、国王派と貴族派、騎士団派なんて小さな派閥もあるらしいですよ?」

「派閥を作るのが好きなの? ワケわかんない。良く国が維持できるわよね」

「誰も自分達の利益だけは分かっているので、民に対しての横暴な振る舞いは禁止しているようです。まぁ、偶に馬鹿な真似をする方もいるようですが、暗黙の了解ですねぇ~」


 懐から煙草を一本引き抜き、火をつけて静かに紫煙を吸い込む。

 まるでどこぞのバイヤーみたいに、彼の仕草がいちいち胡散臭い。


「タバコ……禁止されてるんじゃないの?」

「普通に売ってますよ? 愛煙家にはたまらない世界ですねぇ~、何かあっても回復魔法で治療できますから」

「ファンタジーの世界が一瞬で崩れるわ……。何でそんなに嬉しそうなの」

「値段が高くなっても、煙草だけは止められなかったからなぁ~。君は冬の寒空の下、北風が吹き抜ける喫煙所でタバコを吸う気持ちが分かりますか? 屋外で屋根すら無いんです」

「やめればいいでしょ! 健康に悪いわよ、周りにも」


 煙草好きのセロスは、それでも煙草を止められなかった。

 仕事は辞めさせられたが、煙草だけは今も吸い続けている。

 畑仕事後の一服をこよなく愛していた。


「ここに来て、数日は辛かったですね。煙草が無くて……」

「そのまま禁煙すればいいのに……」

「街でタバコ屋を発見した時には、思わず小躍りしましたよ。花笠音頭をヒップホップな感じで」

「どんな踊りよ、見たい!」

「なぜか、見ていた人達がお金を置いて行きまして、ささやかながら臨時収入を得ましたね」

「大道芸人と勘違いされた?! しかも稼いでる!」 


 ゼロスは煙草の煙を吐きながら、何を考えているか分からない表情でイリスを見る。


「な、何よ……」

「君は……このまま傭兵を続ける気ですか?」

「もちろん! こんな楽しい世界は無いわ。聞けばダンジョンもあるそうよ?」

「……婚期、逃しますよ? この世界では結婚適齢期が十七歳。二十歳以上は行き遅れ」

「ほっといて! それまでに良い男を捕まえるわよ」

「夢を見るのは自由ですからねぇ~……フゥ~」


 どこか気だるげに煙草の煙を吐く。


 ゼロスが本当に言いたかったのは、『殺伐とした世界に身を置き続けるのか?』という事なのだが、現在職が無くなる寸前の自分が言っても説得力が無いと感じたのでやめた。

 そもそも他人の人生に口出しできるほど、自分は偉そうな人生は送ってはいない。

 いや、既に偉そうな事は言ってはいるが、内心では結構不安なのだ。


 特に、二人の教え子たちは多大な影響を与えてしまっている。


「まぁ、関わってしまいましたし、何かあれば相談くらいは乗りますよ?」

「……変な事、考えていないわよね?」

「僕は巨乳派ですので、もう少し胸が大きくなったら誘惑してください」

「うぬぅ~……人が気にしている事を…。相談も何も、私はおじさんの名前を知らないんですけど…」

「あっ、君の事は知っていますから大丈夫。仲間の女性と話している時に聞きましたから」

「私が知らないのよっ!!」


 ここに来て、お互いがまだ自己紹介をしていない事に気付いた


「ゼロス、ここではそう名乗っています。前の世界の名など意味は無いでしょうし」

「ゼロス……まさか、【黒の殲滅者】っ!?」

「その二つ名は初めて聞きますね……」


【黒の殲滅者】はゼロスが最強装備状態のとき、たまたま全身が真っ黒の状態になる事からついた二つ名だ。

 なぜか五人いた仲間全てが戦隊ヒーローの如く色違いであり、リーダー格の一人が全身深紅であった事から、各色に合わせて【殲滅者】の前に色を付けられたのだった。

 しかも最近の事で、ゼロス本人は知る事が無かったようである。


「二つ名は厨二病的で嫌なんですけどねぇ~。そんな歳じゃないですし……」


 今更である。


 やるせない気分になり、ゼロスは煙草の煙で輪を作って誤魔化す。

 だが、気分は晴れる事は無かった。

 

 今夜の煙草は、空しさが染み渡るかのように苦い味であったという。

 


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 


 翌朝、馬車はサントールの街へ向けて出発した。

 先頭馬車の中で、ゼリスは手にしたスクロールを教え子の二人に手渡す。


「先生、これは……?」

「僕のオリジナル魔法の一つですよ。約束通り、二人に与えますから使いこなしてみてください」

「『白銀の神壁』? 知らない魔法だな……防御魔法か?」

「それを、生かすも殺すも貴方達次第です。極めれば切り札の一つとして使えますから、存分に訓練してみてください」


 二人はさっそく魔法式を展開し、自身の脳内イデアに魔法を刻み込む。

 だが、魔法式を刻み終えると、スクロールの魔法式は瞬く間に消滅した。


「なっ?!」

「スクロールから……魔法式が消えた…?」

「元から術式に細工を施し、一度イデアに魔法式を刻めば、全て消滅するようにしてあります」


 魔法式が消えたとなると、誰かに教える為には自分で魔法式を書かなくてはならない。

 しかし、白銀の神壁は恐ろしく膨大な魔法文字であり、しかも使われている魔法文字が0か1しか無かった。

 これではどんな魔法なのかを読み解く事も出来ず、他人に譲り渡すにも自分自身で理解不能な膨大な魔法式を書かなくてはならない。しかもデータ圧縮により恐ろしく緻密であった。

 魔法式を展開しただけでは、その見た目には光る球体にしか見えない程に。


「自分の教え子に譲る時は、自分でスクロールを書いてください。魔法式の解読は不可能だと思いますけどね」

「コレ……全然分かんねぇぞ? 何で魔法式が成立してんだ? 無理だろ」

「0と1だけでこれ程の魔法を……先生はどこまで凄いんですか!」


 機械言語を読める者など、今のこの世界には存在しないため、ゼロスの魔法はもはや解読不能の域に達している。

 文明レベルが千年ほど先に進めば、もしかしたら理解できるかもしれないが、仮に今の文明レベルで解読できたとしたら天才である。

 セレスティーナとツヴェイトには、ゼロスの魔法は未知の物であり、それを与えられた事が限りなく名誉に思えた。

 大賢者という職業がそれ程までに位が高い存在である事など、ゼロスはあまり分かってはいない。

 この世界の住人からしてみれば、魔法の神と言っても過言では無いのだ。


「神壁と言うだけに魔法障壁ですが、この障壁は自分の思う形に変化させる事が出来ます。盾にも剣にもね」

「もしかして伸ばしたり、周囲に棘の様に展開する事も……?」

「可能です。ただ、魔力制御が上手くできないと、ただの盾にしかなりませんから無駄ですが」

「面白い魔法だが制御が難しそうだな。とっさに形を変えるとなると、要はイメージが重要になって来る」

「ついでに透明化させたり、撃ち出す事も出来ますけどね」


 どこが障壁魔法なのか理解に苦しむ内容である。


 攻防一体の魔法で、更に短時間であれば間接攻撃も可能。

 唯一の欠点は、障壁の強度が個人の資質に依存する点であろう。

 魔力制御や個人魔力保有量も強度に関係し、強度を上げる為には自信の魔力も大量に消費する。

 無論、自然界からの魔力も利用して使い勝手は良いが、使用者のレベルが低ければ只の障壁と変わらない。


「結局、使いこなすには、俺達自身が強くなければならんわけか」

「奥の手とも言える魔法ですね。試してみたいですが、魔力の消費率がどれ位なのか……」

「感覚で覚え込まねぇと駄目だろ。具体的な数値なんて誰も分からんし、個人差もあるからな」


 何にしても、直ぐにでも新しい魔法を使って見たい二人だった。


(元気で良いなぁ~……これが若さか。本気で若返る事を考えてみるか?)


 若返るためには【時戻りの秘薬】と呼ばれる魔法薬か、【回春の秘薬】が必要となる。

 脳内データを参照すると、【時戻りの秘薬】は一度使用すると二十歳ほど若返る事が可能。

 しかも、何の副作用も無く若返る。

 問題はその秘薬を作るための材料を集めるのが面倒な事だが、現在その材料は揃っていた。

 ただ、機材が無いだけである。


 もう一つの秘薬、これは些か問題がある【回春の秘薬】。

 確かに若返るが見た目だけで、使用すると体の細胞を活性化させて、体を一時的に変化させる。

 だが、老いは決して消える事なく、数年もあれば一気に倍以上の早さで老け込むのだ。

 元々体の細胞には一生のうちに分裂回数が決まっており、無理やり肉体の細胞組織を活性化させると寿命が縮まる事になるのである。

 品質が落ちるほどに、そのマイナス効果は顕著に現れ、正直に言って使いたくは無い。


 (まぁ、もう少しおっさんのままでいようかね。怪しい見た目はそれなりに好きですから。ククク…)

 

 それ以前に、身嗜みを整えるのが面倒なだけである。

 独り身なだけに縛られる事が無く、ズボラな姿でいても誰に咎められる事は無い。

 気楽なだけに、そこまで身嗜みを気にする事でも無かった。


 リストラされてから怠け癖がついたとも言える。

 精神は若い積もりでも、肉体の衰えは気になるお年頃。 

 しかし、面倒な事はやりたくなかった。


 人として駄目になるほどに、引き籠り生活は長すぎたようである。



 

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 

 イリスは馬車の荷台に座りながらも、前を進む馬車の中のゼロスを見ていた。

 自分と同じ境遇でありながら冒険するつもりも無く、土地を手に入れ農作業をすると言う変なおっさんが気になっていた。


 一ヶ月ほど傭兵をしていたから判るが、ゼロスほど強力な魔導士はいないであろう。

 何しろ、彼女自身が高位の魔導士と呼ばれ始めているのだから、この世界の騎士や魔導士の力量は転生者よりも遥かに低い。

 ただでさえ【殲滅者】と呼ばれる程の高レベル魔導士が、この世界にとってどれだけの影響を与えるかなど、彼女には計り知れないだろう。

 ただ、仲間にいればこれほど頼もしい存在はいない。


 何より、【殲滅者】のような高位プレイヤーは彼女にとって憧れでもあった。


「ハァ……」

「なに? イリス、溜息なんか吐いちゃって」

「セナさん……いや、あの人をどうにかして仲間に引き込めないか考えた」

「あのおじさん? そんなに凄いの? イリスよりも?」

「たぶん……世界最強の魔導士」


 今回の事で、イリスは傭兵がいかに危険な仕事であるかを学んだ。

 どれだけレベルが高くても、一度でも人を殺す事を躊躇えば敵はそこを確実に突いて来る。

 他人を殺す事に迷いが無いのは問題だが、殺せない様では傭兵なんて務まらない。


「人は見かけによらないのね」

「うん。味方ならかなり心強いわよ? だから引き込めないか考えているんだけど……」


 イリスはワリと本気の様である。


「ねぇ、イリス?」

「なに?」

「いくら強くても、おじさんはちょっと不味いんじゃ……家庭を持ってたらどうするの?」

「ハアッ?! 家庭は持って無いと思うけど……何が不味いのよ」

「だって、おじさんよ? イリスと年齢がだいぶ離れてるし、貴族ではそんな歳の差カップルの話も聞くけど……イリスは不味いわよ。

 だって、無い乳つるペタ、おまけに幼児体型だし……あのおじさん、捕まっちゃう」

「誰が幼児体型よ! あるわよ、少しは……そ、それ以前に、そんなんじゃないから!!」


 セナが勘違いしている事にようやく気付いた。

 

「助けられて、好意を持っちゃうのは分かるけど……あの、だらしないおじさんじゃねぇ~」

「だから、違うって言ってるじゃない!」

「昨夜は二人きりで何を話してたの? だいぶ話し込んでたわよね? 楽しそうに……」

「セナさん、しつこい!」

「まさか、イリスちゃんがおじさん好みだったなんて……お姉さんは吃驚! 驚愕したわ」

「吊橋効果の恋愛なんて、長く続かないわよ! それ以前に、セナさんの勘違いだからね?」


 しかし、彼女は決して引く気は無いようだ。

 完全に自分の思考の渦に流され、暴走を始めている。

 つまるところ……人の話を聞いていない。


「あっ、発情期には気を付けてね? 思わずあのおじさんを襲っちゃうかもしれないから」

「人間に発情期なんて無いでしょ! ある意味、万年発情してるかもしれないけど……」

「あるわよ? 発情期……まさか、知らないの?」

「・・・・・・・えっ?」


 この世界の人間には、発情期が存在した。

 それは季節が来れば種族保存のために動き出す自然現象では無く、所謂若い性欲の暴走現象であった。


 男性の場合は万年発情みたいなものであり、さほど影響はないのだが、女性となると話が変わる。

 女性の場合、より優れた子孫をの残すために男を計るのだが、その計測が魔力による本能的なもので、能力だけでなく自分の性格や嗜好と合った人物を選ぶ傾向がある。

 無論そこには性癖も含まれ、男性の魔力と一時的に共振し、生物としての本能が理性を越えてしまう。

 その時、男性の方も魔力共振により昂り、行為に及んでしまうのだ。


 意思はあっても行動が野性的になるので、自我でで抑え込むのは難しく、主に初恋どまり(若しくは恋愛未経験)の女性がこの状態に陥りやすい。

 そこから放出されるフェロモンみたいな魔力が、男女互いの魔力と反応し、互いに求め合うようになる。


 これは魔力が男性よりも女性の方が高いために引き起こされ、魔力が精神にも作用する性質上、女性達の異性に対する条件や性癖が一種の呪詛の様に男性の魔力に干渉し(その逆もある)、自身に最も適した異性を見つけ出す事が可能。

 ぶっちゃけて言ってしまえば、女性が男性を押し倒すのだが、その逆のパターンも少なからずある。

 男の場合は発情しても、『思わずムラッと来たから』で済んでしまう所が悲しい所だが。


 これにより混乱が生じるかに思えるのだが、実は意外に上手く行っている。

 女性が異性に対して暴走したとしても、襲われた男性とは心身ともに相性が良いという事になるため、結果一夫多妻や一妻多夫の様な家庭も多く、その大半が魔導士が多かった。

 しかも円満な家庭を築いているのだから、下手な恋愛結婚よりは幸せになる確率が異常に高い。

 

 現代社会なら犯罪扱いだが、この世界ではなぜか普通に幸せになってしまう事が多いのだ。

 しかし、いくら本能が求めても、互いの内どちらかが魔力干渉を受け入れなければ成立はしない。

 現にツヴェイトはフラれているので、必ずしも成就するとは限らない。


 彼の場合は自身がいくら求めても、ルーセリアには求めるべき因子が存在しなかった事になるのだから、結局はフラれる運命にあった。

 まぁ、それでも男が女性を力尽くで襲った場合は犯罪になるのだが……。

 

「う、嘘でしょ? 嘘よねぇ?」

「本当と書いてマジ……。でも、襲った相手とは絶対に上手く行く事は、間違いないわよ?」

「冗談でしょ……そんなの、困るぅ~~!」

「別名『キューピッドの悪戯』と呼ばれているわ。皆、普段の理性がおかしな方向に突き進むみたいで、特に魔導士が良く暴走するわよ?」

「うそっ?! 私、すんごい危険じゃん!!」


 魔導士である以上、魔力と親和性が高いため、間違いなく暴走するのだ。

 当然だが、その暴走で襲う相手は自分と相性が良い男性となる。


(嘘でしょ? ……あっ、でも仮に襲ったとしても、その男性とは相性が良いのよね? でも……もしおじさんを襲っちゃったら……)


 本能と理性が程良い加減で融和し、酔っぱらった様なこのブッ飛び暴走現象は、この世界では広く一般的である。

 しかも複数の女性を妻に、或いはその逆だとしても、なぜか血塗れの刃物沙汰はならなかった。

 これは似た性質の者達が集まる事で、互いに理性と本能が同調し、お互いが納得できてしまうからであろう。

 元より人間が群れで生きる生物という事もある。


 イリスはこの世界に来て、初めて戦慄を覚えた。

 この世界は、現代日本に生きていたゼロスやイリスには分からない、別の摂理が在るようである。


 異世界だけに人にも異なる特性が在るのは分かるが、さすがに発情期が来るとは思わないだろう。

 今はイリスの心には、驚愕すべきこの世界の常識から来る冷たい風が流れた。


 彼女は怯える、いずれ来るかもしれない発情期と言う名の暴走を。

 誰も、自然の生理現象には逆らえないのだから……。 


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