ベラドンナさんのプライベート事情(仮)
山脈上空を飛行する黒い生物。
巨大な翼を広げ飛ぶ姿はドラゴンを彷彿させるが、放たれる気配は生物とは思えない禍々しいものであった。
『……なぁ』
『なんだ?』
『面白ネタでも話すのか? Mに目覚めた男の話とか』
『その話、もう七十三回目よね?』
『違う、そうじゃなくてよ。俺達……あの女神からなんて二つ名貰ったんだっけ?』
ご存じ、勇者の魂が集合し、生物の肉体を乗っ取ったうえで異常進化した【ジャバウォック】であった。
偶然なのか必然なのか女神と出会い、彼等は安定しない肉体(主に肥満)を解消してもらったことで、メーティス聖法神国へようやく復讐へと向かっている最中であった。
まぁ、途中で体の試運転がてらどう復讐するのか魂達が相談し合い、余計な会話込みで大分時間が掛かってしまったようだが……。
そんな彼等は、女神【アルフィア・メーガス】から二つ名を貰っていたのだが――。
『闇より来たりし復讐者……だっけ?』
『黄昏よりも紅き者だった気がするぞ?』
『黒いじゃん。たしか饅頭怖いじゃなかったかしら?』
『ミスター・ウクレレじゃなかったっけ? あっ、女もいるか。じゃあ違うな』
『どうでもいいじゃん。二つ名なんて恥ずかしいし』
『痛いよな』
『それよりも、大陸を全裸で縦断した女の冒険話の方が面白かったなぁ~。続きが気になって仕方がないわ』
『『『『『まったくだ』』』』』
――すっかり忘れていた。
仮にも神につけてもらった二つ名なのだが、その時の魂達は超肥満体から解消され、歓喜のあまり話を聞いていなかった。
勢いで自分達がアルフィアに何か言った気もするが、彼女と別れて以降は体を慣らすため西進しながら各地で魔物と派手なバトルを繰り広げ、些細なことなど忘却の彼方へと押しやった。
それだけ肥満体であったかつての体に難儀していたということだろう。
普通に考えても罰当たりなのだろうが、アルフィアもまたその場の勢いでつけた二つ名なので特に気にならないと思われる。むしろ本人も忘れている可能性が充分に考えられた。
所詮はノリと勢いの一幕だ。
『名前がジャバウォックだというのは覚えているんだが……』
『それだけで充分だろ。それより、今はどこを最初に襲撃するかだな』
『砦を襲うんじゃないのか? 国境からじわじわと潰して恐怖に追い込んでいくとか』
『いや、そこは街を襲撃だろ。四神の教会を焼き尽くそうぜ』
『関係ない住民を巻き込むのは駄目だろ。やるなら痛快にしないとさ』
『そうよね。私達、仮にも元勇者だったんだから』
一応彼等は復讐者なのだが、恨みがあるのは法皇を含む神官達だけなので、住民ごと皆殺しにしたいわけではない。
アルフィアの手で調整されたことにより、彼等の魂は亡者としての復讐の念はあるものの理性と常識は取り戻し、関係ない者を巻き込む気はなかった。
何よりもカッコよく登場したい。
彼等はこだわりある復讐者なのだ。
『まずは国の上空を飛び回ってやろうぜ。さぞ慌てふためくだろうな』
『異議なし。そんで神殿一つ一つを落としていくのは大前提で、砦は攻撃されたときだけでいいだろ』
『襲う場所は適当でいいわね。その時の気分と勢いということで』
『同類(勇者)がいたらどうする?』
『そこは、真実を教えてあげるのが優しさだろ。奴ら混乱するだろうな』
『ひゃはははぁ~、暴露タイムの時間が来たぜぇ~!!』
『ほんじゃ~レッツらゴー!』
黒い巨体が空を行く。
そして、ジャバウォックはメーティス聖法神国領内に悠々と侵入した。
地上ではジャバウォクの姿を確認した砦の騎士や、農作業を勤しんでいた民衆が驚愕し、大混乱に陥ったという。
メーティス聖法神国を震撼させる事態がついに始まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
メーティス聖法神国とアトルム皇国の国境より少し北へ行ったところに、物資搬入目的として築かれた砦が一つあった。
国境から離れているとはいえ、メーティス聖法神国にとっては最前線の重要な砦であり、三年前にアトルム皇国へと侵攻した際にもこの砦は前線の兵士達の命を繋ぐ役割を果たし、敗走の折には野戦病院とて利用された。
最も、先のグレート・ギヴリオン出現の際に眷属のギヴリーズに襲撃され、だいぶ破壊されたために現在修復作業の最中である。
だが、思ったよりも職人が集まらず、その作業も遅々として進んでいない。
「お~い、休憩だぞ」
「あっ? あぁ……立ったまま少し寝ていた」
「器用だな。つ~か、サボってんじゃねぇよ」
「いや、暇すぎてつい、うとうととな」
防壁で見張りを担当している兵士達が、長い監視業務から一時的に解放された。
この砦は国境から離れているとはいえ、前線に近い場所に位置する。常に周辺を警戒する監視の兵が駐留しているのだが、国内の立て直しのために兵数の少ない状況が続いていた。
特に見張りは重要な任務なのだが、常に四交代制だったところを現在は二交代制で行っており、長時間の業務が伸びたため兵の精神的な疲労がかなり溜まっていた。
多少気を抜かないと倒れてしまうだろう。
「国境から離れているとはいえ、ここは重要な拠点だぞ。気持ちは分かるけどよ」
「ルーダ・イルルゥ平原での敗北が、俺達の仕事を激務にしたな。何が勇者だよ」
「獣人族を侮っていたな……。まぁ、勇者がいくら強くても、戦争は一人じゃできねぇからなぁ~」
「馬鹿みたいに突撃して、返り討ちにあったんじゃなぁ~。この話も何度目だ? ハァ……休みが欲しいぜ」
一年にも満たないうちに、メーティス聖法神国は不幸が続いた。
国都マハ・ルタートの崩壊から始まり、ルーダ・イルルゥ平原での大敗北。周辺諸国家の同盟による外交衝突と同時に回復魔法の一般販売による神官の需要低下。
さらにグレート・ギヴリオンの襲撃による被害を合わせると、まるで呪われているとしか思えないほど不幸続きだ。しかも勇者達の何名かが行方不明となっている。
四神の神託も降りてこないという話だ。
「回復魔法か……俺も覚えたいぜ。なんでも錬金術師が医療魔導士と名乗り始めたらしいじゃねぇか。薬と魔法による治療が一般に出回れば、神官達よりも需要があるだろうな」
「まぁ、長い時間修行してやっと神聖魔法一つ覚えるより、魔法薬と回復魔法を併用したほうが効率もいいのかもなぁ~。ケガも病気もドンとこい。隙がねぇ~」
「この国、大丈夫なのか?」
「知らん。元より俺は傭兵上がりだし、神官共や聖騎士には義理もねぇからなぁ~」
「それ、他では言うなよ? その場で斬り殺されるぞ」
多くの兵や騎士達が持っている漠然とした不安感。
これは何も彼等に限った話ではなく、街に住む民衆や商人、裏社会の住人達もまたメーティス聖法神国は危ないのではと誰もが思っていた。
特に商人達がこの状況を危機として見ており、実際問題として周辺国から仕入れる商品の物価が上昇し、国都に近づくほど値段は跳ね上がっている。
特に塩が問題で、民達が購入するにも些か高値になりつつある。
「小国家同士が手を結べば、戦力的に見てもこの国と互角に渡り合えるだろ。下手な理由で侵攻すれば別の国が攻めてくる。厄介な事態らしいからなぁ~」
「今は内政に金を回すので手一杯で、他国に攻め込む予算や人的余裕はないだろ。一番の脅威が獣人族だしな」
「昔奪った土地を奪い返されているんだろ? しかも組織立って……絶対に王がいるぞ」
「今までになかった展開に上層部も慌てているらしい。きっと日頃の行いが悪いからだ」
栄枯盛衰は世の理。
今までメーティス聖法神国は手痛い反撃を受けたことはなく、隣の大国でもあるグラナドス帝国とも小競り合い程度。
歴史的な大敗をしたのは過去を見ても数える程度しかない。。
人間至上主義なところがあり、エルフやドワーフの地位は低く、こと獣人はこの国では奴隷扱い。そんなメーティス聖法神国は、力押し一辺倒だった獣人達の戦いに対し『馬鹿の一つ覚え』と酷評していたが、まさか戦術で負けるとは思わなかった。
しかも、その敗北は今も続いており、騎士や兵の損害が酷いことになっていた。
何しろ戦場で殺すだけでなく、捕虜なった者は腕や足を叩き折られ、治療してもまともに戦えない状態にされるのだ。兵を育てるのもタダではなく、余計な損害を受ける前に撤退させるしか手がない状態だった。
更なる問題は、最大の攻撃力を持った勇者が一騎打ちで敗北し士気は低下し、獣人族の指導者――王も化け物レベルであると噂されている。
最近では砦に単騎で乗り込み、立て続けて落としたらしいとか。
「なぁ、例の噂……。単騎で砦を落としたって話、アレをどう思う?」
「普通は無理だろ。間者を送り込んで毒を使うならともかく、人間のできるような所業じゃねぇ」
「俺もそう思ったんだが、どうやら事実らしい。俺の同期がその砦にいたんだが、両腕両足を粉砕されて騎士生命を絶たれた。ざまぁ~」
「ひでぇな、お前が……。そいつのこと嫌いだったのか?」
「イケメン、甘ボイスで女にモテモテな奴でよ。俺の姉もそいつにハマって……。クソッ、美形なんてみんな死ねばよかったのに!」
「まったくだな!」
休息中とはいえ監視任務をそっちのけにし、二人の男達は噂話を続けた。
アトルム皇国が攻め込んでくる事など先ず考えておらず、それを知っているからこそ堂々とサボれる。しかも過度の長時間労働なので完全に士気も低下していた。
こんなところを見られでもすれば減俸ものだが、上司の隊長も似たような状態なので誰も咎める者はいない。
そんな彼等の変わりない日常が、今日に限っては違った。
二人の周囲に突然暗い影が差す。
「な、なんだ……って、なんだぁ!?」
「あ、あぁ……あれって、ドラゴン!?」
漆黒の巨龍が上空を通過した。
いや、ドラゴンというにはあまりにも禍々しい。
砦など簡単に潰せそうな巨体が、本国を目指して高速で飛んでいった。
「拙いぞ! あんなのが国内で暴れまわったら……」
「どれだけ犠牲が出るか分からん。至急、伝令の馬を走らせるんだ!!」
「いや、手遅れじゃね? 空を飛んでんのに伝令が間に合うのか?」
砦内はパニック状態になった。
何しろ同僚だけでなく、砦修復にあたっていた職人達も目撃したのだ。
しかも、よりにもよって災害級の大きさを持つドラゴンである。そんな存在など御伽噺でしか聞いたことがないほどだ。
もはや手遅れかも知れないが、伝令を知らせる早馬を走らせるのにそう時間は掛からなかった。
この日、メーティス聖法神国で初めて『ジャバウォック』の姿が確認された。
同日、神殿の一つが完膚なきまでに破壊されたという。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「んぅ……」
まどろみの中にあった意識が次第に覚醒し、ベラドンナはベッドの上で目を覚ました。
「起きたのかい、キャンディ」
「あ……ルシオン。もう起きてたの?」
「いや、もう昼なんだけどな。随分と疲れているようだから、ゆっくり休ませようと思ったんだけど、起こしたほうが良かったかい?」
「その気配りが嬉しいわ。店にいるとストレスだけが溜まるし……。あと、本名はやめて」
普段は自身の経営する魔道具店で暮らすキャン――もといベラドンナだが、今いる場所は旧市街にある彼女の恋人の家だった。
ベラドンナの店は万年赤字続きで、仕方なく公爵家が運営するソリステア派の工房でアルバイトを始めた。作業内容は箝口令が敷かれているので誰にも言うことができない。
ただ、毎日魔導術式を鉄板に刻むだけの単調作業で、精神と魔力が疲弊していた。
工房に泊ることも考えたが、頭のおかしいドワーフといると余計な作業を押し付けられそうになるので、近くに住む恋人の家に泊まることにしたのだ。
ちなみに恋人のルシオンは靴職人で、旧市街の一角に作業場兼自宅を所有し、一人前になるべく修行をしている好青年だ。
「ふぅ……ん~~! なんか久しぶりに休めた気がする」
「俺としては、いつでも泊まりに来てほしいんだけどな。月に二、三回しか会えないのは、正直に言って危機感を覚えるよ」
「そうしたいんだけど、あのバカをルシオンに会わせたくないのよ。あなた人がいいし」
「何でクビにしないんだい? 君なら直ぐにでもやってそうだけど」
「したわよ。けど、あのバカはクビにしたことすら忘れて私に迷惑を掛けてくるのよ。自分を中心に世界が回っていると本気で思っているんだから」
「毎回、君の愚痴を聞くけど……想像以上に自己中なのか」
「始末しようと何度思ったか、もう数えきれないわ」
店にいても自称天才の馬鹿店員が問題を必ず起こし、ストレスだけが蓄積する。
殴っても行動を改めず、常に自分の都合のいい方向に思考を向ける。いや捻じ曲げる。
よく言えばポジティブ、悪く言えば自己中心型常識破綻犯罪偽証学習能力欠乏性夢想精神疾患重篤患者だ。思考の全てが自分の中で完結している異常者なのだ。
そんな奴に恋人を引き合わせるなどしたくない。する気もない。
「ルシオンと会えば、真っ先に犯罪容疑を掛けてくるわ。どうしようもない馬鹿だもの」
「だからって、キャンディが全部背負う必要はないと思うんだが」
「フッ……あのバカに係わったら、ルシオンもまともではいられなくなるわ。私、あなたをそんな目に遭わせたくないの」
「そんな死んだ魚のような目で言われても、逆に心配するんだが? 君に何かあったら、俺がおかしくなりそうなんだけど……。そこまで言うほど酷いのか……」
「大丈夫、私はあのバカに対して耐性があるから。でも、あのバカを知っている人達なら、『早く死ねばいいのに』って絶対に思うわね。殺意を持っている人も多いんじゃないかしら?」
「よく犯罪者にならないな……」
駄目店員クーティー。
彼女が犯罪者にならない理由は、全て示談で解消できる程度の軽犯罪ばかりであり、その負担を身近な者達に背負わせるからだ。
例えば食堂でツケを溜めこんでも、その支払いはベラドンナや知人に押し付け、どうにもならなくなった時に初めて泣きついてくる。その繰り返しだ。
恩を与えればつけあがり、冷たくあしらえば『ふん、いいですよ~! 私がいなくなって困ればいいんですぅ~』などとほざいて出ていく。
放り出されても街をさ迷っているうちに別の事に気を取られ、やがて追い出された事実そのものを忘れ何食わぬ顔で戻ってくる。
その間に散々街中で馬鹿なことを仕出かすというおまけ付きで、だ。
衛兵もクーティーとは関わりたくないのか、『こんな奴を野放しにしないでください。できれば鎖に繋いで、地下室で厳重に隔離することを我々はお勧めしますよ』などと言ってくるほどだ。出来るならとっくにやっている。
「たぶん、私があの子を殺しても叙情酌量で無罪になるわね」
「いや、俺にはキャンディが人殺しになることが、看過できない問題なんだけど!?」
「世の中にはいるのよ。善人だけど人を不快にさせることに関して天才的な奴が……。クーティーがまさにそれよね。しかも自分の行動を顧みない……いや、自覚できないから知りようがないのよ」
「それ、普通に異常者って言わないか?」
いくらわんぱくな子供でも、親が何度も口うるさく注意し、ときには叩くことで善悪や物事の善し悪しを理解していくものである。
だが、クーティーにはそれがない。他人の痛みや不快な思いを理解しようとする機能が根底から抜け落ちているのか、同じことを何度も繰り返す。
しかも自分が天才だと本気で思い込んでおり、同時に思い上がっており、時折人を小馬鹿にするような言動をすることもある。
これで善人の位置にいるのだから不思議だ。
「もう、店をたたんで結婚しちゃおうかしら……」
「結婚は嬉しいけど、結婚理由を聞くと複雑だな。その駄目店員はしつこくすり寄ってくるんじゃないのか?」
「毒殺してスライムの餌にするわ……フフフ。死体さえ見つからなければ完全犯罪だし、街の人も喜ぶわね。あのバカは、自分が嫌われていることに気づいてないし……」
「病んでるな、キャンディ……」
会うたびに精神的にヤバくなっていく恋人の姿に、ルシオンは内心は穏やかでいられない。
駄目店員を殺害しそうなまで追い詰められており、このままだと本気で計画殺人を実行に移しかねない。いや、時間の問題だ。
そこまで他人を追い詰めるクーティーが逆に凄いとも言える。
「はぁ~……少し外の空気を吸ってくるわ。清々しい朝が台無しになったし」
「いや、だからもう昼だからな? 昼食もできてるんだが……。それより、そんな扇情的な格好で外に出ていくのか?」
「あら?」
ベラドンナの姿は裸にYシャツ姿。
久しぶりに恋人と熱々な夜を過ごし、英気だけは充分に養えた。
「ウフフ……ドワーフ達も扱き使ってくれちゃって。ここで癒されたけど、体に力が入らないわ……」
「力が入らないのは俺も原因だと思うが……。それより、ドワーフの頭がおかしいのは元からだと思うぞ。ふらついているじゃないか、支えるよ」
「それと、着替え……手伝って」
「はいはい」
よほどハードな夜を過ごしたのか、あるいはハードな仕事疲れか、ベラドンナの体力はかなり消耗していた。そんな彼女の着替えをルシオンは手伝う。
まぁ、夜の話はともかく、仕事中毒のドワーフと共に働けば、飲まず食わず三日以上扱き使われることなど良くあることだ。
朝・昼・晩の三食が保証され、夜も就寝できる職場はかなりクリーンな部類に入る。
その点ではどこかの土木会社はマシと言えるが、今ベラドンナがアルバイトしている場所はソリステア派の工房。ドワーフ達にとって趣味と実益が兼ねた理想の職場なので歯止めが掛からない。結果が出るまで好き勝手に作業ができるので彼等はやりたい放題だった。
体力のない魔導士には地獄の職場と化しているのが現状だ。
「給金割増しにしてもらわないと、正直ワリに合わないわね。このままだと生活費を稼ぐ前に私が死ぬわ。お金だけが唯一やる気を掻き立ててくれるから」
「気力が続かないのか? まぁ、ドワーフが職場にいるんじゃなぁ~……」
着替えを終え、二人は外の空気を吸うために玄関口から外へと出た。
だが、そこでいきなり二人が目にしたものは――。
「あ~~っ! 店長を発見!!」
「……な、なんでここにいるのよ」
「まさか、彼女が噂の………」
「そう、その通り! 煌めく知性に美貌を備え、暴く邪悪な大犯罪。正義の天才名探偵クーティー、噂の現場にただいま参上!!」
『『確かに天災だ……。呼んですらいないのにウザイ』』
よりにもよって一番会いたくない人物。
そう、メイド姿の歩く災厄。
輝く眼鏡とそばかすがチャームポイントの駄目店員が、包帯姿でドヤ顔をしながら奇妙なポーズを往来で恥ずかしげもなく決め、更に聞いていて恥ずかしい名乗りを堂々と声高らかに叫んだ。
しかも天才だの美貌だのと図々しくアピール。凄く腹が立つ。
「なんで包帯姿なんだ?」
「言われた仕事をやらない癖に、独断で余計な仕事ばかり増やすから、ドワーフ達にフクロにされたのよ。それでも死なないんだから頑丈よね……死ねばよかったのに」
「毒……効くのか?」
「一度追い出した時に生ゴミを漁っていたらしいから、毒に対して耐性があるかもしれないわ。人類が滅んでもコイツだけは生き延びそう」
やはりバイト先でも役立たずのようだった。
ちなみにクーティーの仕事は鉄板を加工する作業で、冒険者だったころにハンマーを振り回していた事から自ら志願し、作業に従事していた。
しかし、元が大雑把な彼女にまともな仕事をこなせるはずもなく、不良品を大量に作り出した。
職人達が加工作業の指示をするも『こんなの、天才の私に掛かればチョチョイのポイですぅ。適当で充分』などとほざき作業するので、当然だが不良品ばかり出来上がり職人気質のドワーフ達は怒る。
そして何度もゴツイ拳の洗礼を叩き込まれた。
前日、ベラドンナよりも先に帰ったはずなのだが、なぜこの場にいるのかわからない。
「店長ぉ~、店の鍵が開いてませんでしたよぉ? 路地裏で寝る羽目になったじゃないですかぁ~」
「あぁ……そう言えば鍵は私が持っていたわね。でもアンタなんだし、路地裏で寝ていても誰も襲わないわよ」
「そんな事はありません! こんな世紀の美少女が路地裏で寝るなんて、多くの男性がきっとハァハァしていたに違いありません! あぁ、なんて罪な、わ・た・し」
「美少女って、アンタ……。成人してから何年経ってるのよ。もう直ぐ行き遅れ確定じゃない」
「乙女は、いつまでたっても少女の心を忘れないものなんですぅ~。そんな事も分からないなんて、店長はとうとうおばさんの領域に踏み込んでしまいましたか…ヘブゥ!?」
ベラドンナ怒りの拳が問答無用でクーティーの顔面に叩き込まれた。
しかも、身体強化魔法で威力も倍増された容赦ない一撃だった。
クーティーは物理法則的にあり得ない回転をしながら路上を転がり、派手にバウンドしたあとゴミ箱を弾き飛ばし、ダイナミックに壁へと激突する。
「アレは死んだんじゃ……」
「それだと嬉しいんだけど」
「いたた……店長ぉ~酷い。そんなんだから嫁の貰い手が……あべし!?」
身体強化された上に炎系魔法で属性付与され、加速を加えた威力が激増しの飛び蹴りが、再びクーティーの顔面に叩きこまれた。
普通なら頭部が粉々に砕けてもおかしくはない威力なのに、後頭部が壁にめり込む程度で終わった。
それでも生きているクーティーは、ある意味で化け物なのかも知れない。
「うぅ……本当のことを言っただけなのに」
「やかましいわ! そんなことより、何でアンタがこんなところをうろついてんのよ。不審者が街を歩き回るなんて、それだけで犯罪じゃない」
「誰が不審者ですかぁ~!! 誰もが羨むこの天才をつかまえて」
「天才でなく天災でしょ。子供が怯えて逃げ出すほどの変質者が、堂々と街中を歩き回るもんじゃないわよ! 一般人に迷惑でしょうが!!」
「店の鍵を開けておかない店長が悪いんじゃないですかぁ~。合鍵くらい用意してくれてもいいじゃないですかぁ~」
「アンタに鍵を渡すと、勝手にスペアも作るから死んでもごめんよ。追い出した後にこっそり忍び込まれ、お金を持ち逃げされると困るもの。不満なら、実家から生活費を持ち逃げした前科のある自分に文句を言いなさい」
さすがに昔の悪事をだされると困るのか、誤魔化すように顔を背けるクーティー。
何しろこのクーティーの頭は、『お金がない』→『天才の私が店員をやってあげているんだし、少しくらい持ち出してもいいですよねぇ~』→『クッソ不味いご飯より、豪勢な料理の方が天才の私に相応しいですぅ~』→『今日は高級店でディナーにしよう!』と考えるどうしようもない自己中だ。そこに店の売り上げとか他人の金という思考が働かない。
実家から飛び出した時も『農家なんて天才な私の頭脳を腐らせるだけ。出世したらお金を送ればいいし、少しだけ借りても良いですよねぇ~』などと考え勝手に持ち出した。
クーティーの両親や兄弟は三か月以上極貧生活を強いられる。当然だが、クーティーは未だに実家へ仕送りをした試しがない。
「ふ、ふん。店長だって、見知らぬ男性と一緒に何やっていたんですか? まさか……」
『ぎくぅ!?』
ベラドンナにとってルシオンのことは一番触れられたくないところだ。
これ以上安息の地がなくなるのは彼女にとって困る。
「まさか、店長……。自首してください」
「はっ?」
だが、所詮はクーティー。ベラドンナに恋人がいるなどとは思いもしない。
彼女のアホな脳みそが叩き出した答えは、実に頓珍漢なものであった。
「いくら恋人ができないからって、弱みを握って好きなように……。いつから店長はケダモノになって……あ、元からでしたね」
「こ、このドアホ……」
「はぁ~、行き遅れのおばさん間近な店長は、そこまで堕ちましたかぁ~。安心してください、刑期が終わるまで店は私が管理しますぅ!」
「やかましいわぁ、いい加減にしろぉ!!」
流れるような動作でクーティーの背後に回ると、ベラドンナは彼女の腰を両手で抱えるとそのまま押し上げ、明日への架け橋ジャーマンスープレックス・ホールドを華麗に叩き込んだ。
ピヨっているクーティーを無理やり起こすと逆さに抱え込み、パイルドライバーに繋げる。更にジャイアント・スイングをかまして街燈へと叩きつけた。
立て続けに脳天へダメージを受けたクーティーはさすがに気絶する。
逆に言えば、ここまでやらないと気絶することがないということになる。
身体強化による効力は今も続いており、増幅された体力で石畳に舗装された路面に叩きつけられたのだ。これで気絶でもしなければ既に人間を止めている。
クーティーがまだ人間であることが一応だが証明された。
「チッ……まだ息があるわね」
「キャンディ……。君、いつもこんなことをしているのか?」
「この馬鹿が怒らせなければ、私は人畜無害よ」
「苦労……しているんだな。話には聞いていたが、確かに凄くイラっとくる」
何しろ雇われている身でありながら雇い主を犯罪者扱いし、その上ベラドンナの店を『任せろ』などと口にした。クーティーに店を任せれば三日で売られることだろう。
信用という言葉が裸足のまま全速力で逃げだす生物、それがクーティーなのである。
「それより、コレをどう始末しようかしら?」
「放置すると俺達の関係がバレるからな、家に連れて戻るわけにもいかないだろう」
「ルシオンにコイツの被害者になってほしくないし、どうしようかしらね……」
気絶したクーティーはいずれ目を覚ます。
ルシオンの家に連れ込めば恋人関係がバレ、やがて食事や金をせびりに現れる。ルシオンもその辺りの事情はベラドンナに聞いていた。
一目でわかるウザイ女には、近づいてほしくない。
「なんだろうな。一目で彼女とは相容れないと分かったよ」
「誰もがそう感じると思うわ……ん?」
処理に困っていたところに、偶然にも釣り竿を持った灰色ローブの胡散臭い魔導士の姿を確認する。
ベラドンナにとってこの魔導士は同志とも言える存在であった。
「おっ? ベラドンナさんじゃないですか、今日も駄目店員にジャイアント・スイングをかましてるんですか? 彼女も懲りないですねぇ」
「ゼロスさん!?」
「誰?」
ルシオンとは初対面だが、当の魔導士はそんなことどうでも良いのか、クーティーの様子を窺う。というか一瞥しただけで状態を見抜く。
「ふむ……生きてますか。僕はこれから釣りに行きますが、ついでにオーラス大河へ捨ててきましょうか?」
「お願いできるかしら。私の体力だとそこまで運べないし」
「ついでですしねぇ。よっこらしょ……うっわ、予想以上に重い。なにを食ってんだか」
「たぶん、ここに来る前に何か食べてきたわね。その上で私に食事を奢らせようとしたと見るべきかしら……」
「どんだけ大飯ぐらいなんですか。まぁ、彼女がいなければ、しばらくはゆっくりできるでしょう」
「そうだといいんだけど……」
おっさん魔導士はクーティーを抱え、『海まで流されると良いですねぇ』などと言い、軽く手を振り挨拶しつつ波止場の方へと歩いて行った。
クーティー路上からオーラス大河へと運ばれていった訳だが、そこでルシオンは河に生きたまま気絶者を投げ捨てるこの二人の異常さに気づき、『あれ? これって犯罪じゃないのか?』と当たり前の疑問を持つ。
彼は真っ当な人間だった。
「キャンディ……いいのか? これ、普通に殺人だと思うんだが」
「衛兵もクーティーがオーラス大河を流れていったところで、手放しで喜びはすれ調査なんてしないわよ。それだけ周りに迷惑を掛けているから」
「そうか……。(俺の想像以上に周りに迷惑を掛けているのか? どんだけ街の人達から疎まれてんだ……)」
衛兵にすら見放されている駄目店員。
正直、関わり合いにならなくて良かったと思ったルシオンは、この件を直ぐに忘れることを決め、数日間ベラドンナと共に甘い時間を過ごした。
こうして、ある意味犯罪の現場であった旧市街は、再び平穏な時間を取り戻すのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
オーラス大河に釣り糸を垂らすゼロス。
少し先にはメイド服を着た水死体――もとい、先ほどオーラス大河へ投げ捨てたクーティーが、下流へと流されていく。
「おい、水死体だ……って、どこかの迷惑探偵じゃねぇか」
「なんだよ、脅かすな。どうせ、また馬鹿やってオーラス大河に放り込まれたんだろうぜ」
「これで何度目だ? 漁師の知り合いが『網が駄目になるからもっと下流で流してほしい』って言ってたぜ?」
「どこまでも迷惑なアマだぜ」
「まったくだ」
船乗り達が流れていくクーティーを確認すると、まるで日常であるかのように無視を決め込む。不思議と誰も助けようなどとは思わなかった。
「親父、水死体が……」
「馬鹿、指をさすんじゃねぇ。起きたらこっちに来ちまうだろ」
「針を投げ込むのは少し待て! アレに引っかかったら地獄を見ることになる」
「誰だよ、あんな粗大ゴミをオーラス大河に捨てたやつは。迷惑だろ!」
本当に誰も助けようとはしない。
それどころか、万歳三唱しながら流れていくクーティーを見送る者もいるほどだった。
「……どんだけ嫌われているんだろうねぇ、あの駄目店員」
そんな様子を見ながら、おっさんは煙草に火を付けながら周囲を冷めた目で見ていた。
やがて飽きたのか釣り糸にのみ意識を集中させ、クーティーの事など綺麗サッパリ忘れ去るのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一週間後。
「店長ぉ~、なんで捜索してくれなかったんですかぁ~。優秀な店員が行方不明だったんですよぉ~!? 海岸沿いの漁村で目を覚ましたんですからぁ~!!」
「アンタ……しばらく見ないと思ったら、なに仕事をサボって海に行ってんのよ。バカンス? いい身分じゃない。大方、港で昼寝でもして河に落ちたんじゃないの?」
「そんな記憶はないんですけどねぇ……。あれぇ~?」
ボロボロな姿で戻ってきたクーティーは、ベラドンナがルシオンといた記憶を綺麗に忘れていた。
これ幸いにと、ベラドンナはクーティーの無断職場放棄を責める。
「アンタの記憶なんてどうでもいいのよ。戻って来たのなら、さっさと掃除でもしなさい」
「えぇ~っ、やっと帰ってきたんですよぉ!? 少し休ませて……」
「一週間もどこかにほっつき歩いておきながら、まだ休むつもりなわけ? どうせ役立たずなんだから掃除くらいはやりなさい、この穀潰し!」
「理不尽!!」
今回に限ってはクーティーが正しい。
しかし、普段の行いで周囲に迷惑をかけまくる以上、彼女に同情の余地はない。
自称名探偵の駄目店員、クーティー。
彼女が更生する日は遠い……。