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ソリステア公爵家別邸の惨劇?




「「…………」」


 見つめ合うツヴェイトとアド。

 何度も別邸であるクレストン邸へ足しげく通うツヴェイトと、半ば居候と化し、今日も元気にソリステア派の工房へと出勤していたアド。

本日めでたく初対面を果たした。

 朝から晩までハードな職場で働いてきたアドは、夕方には自宅であるソリステア公爵家本邸へ帰るツヴェイトとの不思議なすれ違いにより、今までお互いに顔を合わせたことがなかった。

 その二人が、なぜか無言のままお見合い状態となっている。


「お兄様、こちらが先生の弟子であるアドさんです」

「……ども」

「アド君、こちらがソリステア公爵家の長兄で、次期当主のツヴェイト君」

「……初めまして」

「そんで、なぜか僕についてきたイリスさん」

「どもぉ~♡」

「「「いや、なんでいるの!?」」」


 無論、同じ転生者で上位プレイヤー追っかけであるイリスにせがまれたからだ。

 それで貴族屋敷に連れてくるおっさんもどうかしているが、セレスティーナと女子トークがしたいと言われれば無碍にもできなかった。何しろ二人には同年代の友人が少ない。

 教会に子供達もいるが、傭兵としての先輩として見られており、友人というには少しばかり関係が異なる。どちらかというと貴重な情報源と言った方が正しいだろう。

 セレスティーナにしても公爵家の令嬢という肩書があるため、教会の子達はどうしても貴族の娘という壁ができてしまう。物怖じしないのはカエデくらいだ。

 祖父であるクレストンがこの場にいれば、『ティーナの友人が我が屋敷に……。お前達、王族並みに歓待せよ! 失礼な真似は許さんぞぉ!!』などと歓喜に泣きながら盛大に祝ったことだろう。

 幸いなことにクレストンは本宅に出向いており留守であった。


「それにしても、公爵家のお屋敷はおっきいね。安宿の部屋とは大違いだよ」

「比べちゃ駄目でしょ、宿屋の主人がかわいそうだから。それとここは別邸で、本宅はもっと大きいんだけどねぇ?」

「わぉ、スケールがすんごい。ところで、無駄に髪を盛った骨組みドレスの貴婦人や、白タイツ提灯ブルマズボンは見かけないね」

「一昔前まではいたらしいけどねぇ~、今はもう絶滅したらしいよ」

「残念。というか、一昔前まではいたんだね。見たかったよ」


 物珍しげに別邸内を見渡すイリス。気分は観光客のおばちゃん状態である。

 おっさんとしては、イリスが貴族に対してどのようなイメージを持っているのか、少しばかり気になるところだ。


「いや、ゼロスさん。ここ、別邸とはいえ一応は公爵家の屋敷だよな? 観光名所ってわけじゃないんだから一般人を連れ込むなよ」

「まぁ、僕はソコソコに信頼があるから」

「信頼があるとはいえ、無茶にも程がある。よく通してもらえたな……」


 別邸では公爵家の知人に対してかなりアバウトで、ゼロスは顔パスだけで簡単に通してもらえる。


「アドさんって、おじさんの知り合いのわりに常識人だよね。さすが【堅実】二つ名の持ち主、セオリー重視だよ」

「あ? その二つ名は初めて聞いたぞ。堅実って………」

「失礼な、僕にも常識はありますよ。人を非常識の塊みたいに言うのは、おじさん感心しないなぁ~」

「アンタを含めた殲滅者全員は非常識そのものだろ」


 アドも知らないところで二つ名が付いていた。

 ちなみに二つ名の由来は、セオリー通りに手堅くイベントを攻略していたからつけられたわけだが、二つ名が堅実とは正直嬉しくはない。

 むしろ二つ名なんて中二病的なものなど、恥ずかしいから要らない。

 

「アドさん、今度暇なときに一緒に冒険しようよ。おじさんとは冒険したから、今度はアドさんと行ってみたい」

「それくらいなら別にいいが……。(なんで俺、こんなに尊敬の眼差しを向けられてんだ?)」

「本当に? やったぁ~!」


 アドの手を取り、嬉しそうにブンブンと上下に振りまくるイリス。

 彼女にとってファンである【殲滅者】と、その周囲にいる上位プレイヤーの名は既に調べ尽しており、いずれ彼等のレベルにまでたどり着き一緒に冒険することが目標だった。

 それはさておき、事情をよく知らないユイの目が怖いところで、ゼロスも内心では冷や汗を掻いていた。

さすがに、子供を抱いているときに暴走はないと信じたいところだが、にっこり笑っている姿が妙に怖い。


「イリスさん、アドさんが困惑してますよ?」

「あっ、ゴメン。目標にしていた人達だったから、この機会を逃したくなくて、つい……」

「わかります。先生達は本当に凄い人達ですから」


 セレスティーナに注意され、「てへっ」とあざとく笑うイリス。

 上位プレイヤーファンのイリスは、アドとも冒険したいと心から思っていた。この機に乗じて約束を取り付けようなどと思っていたりする。

一応、これでも常識を弁えているので、貴族屋敷まで来てミーハー根性丸出しな真似は避けている。もっとも本人がそう思っているだけではあるが。

 事情を知らないセレスティーナも、うんうんと頷いていたが、彼女の場合は上位の魔導士に対する尊敬の念の方が強いだろう。

 二人の認識の間に、少しばかりズレがあるようである。


「アドさんとゼロスさんはよく行動していたから、凄い逸話が後を絶たないんだよねぇ~。PK……もとい殺し屋に狙われたから、ストームワイヴァ―ンの亜種を嗾けた話とか」

「逆だ。狩りをしている最中に奴等に襲われて、タゲが移っただけ。俺達は何もしてねぇからな? やったとしても殆どがゼロスさん達だ」

「彼等の装備品は割といい値がついたねぇ。レイド前の資金稼ぎ中だったから、実は少し助かった」

「あの後、俺達はそのレイドでゼロスさん達の魔法で吹っ飛ばされたんだけどな……。暴走するような試作魔法なんて使うなよ」

「あの件は何度も謝ったじゃないか。意外に執念深いんだねぇ、君」

「そのあとの混乱による二次被害がなければ、俺も恨み言なんて言わねぇよ……」


 有名人の噂は時として尾ひれがつくものだ。

 イリスの話もアドの言った通り、狩りの最中に横から襲撃され、避けたところをストームワイヴァーン亜種が狙いを変更しただけの話だったが、なぜか数日後にPKを誘い込んで返り討ちにしたという話になった。

 それからというもの、アドのパーティーはPK達につけ狙われるようになった。

裏で賞金が懸けられたという話も聞いている。

 当然PKプレイヤーとの戦いが始まり、結果として武勇伝が残される形となったのである。ゼロスと行動することが多かったので尚のこと目を付けられた。

 レイドでも毎回馬鹿騒ぎに巻き込まれ、やがて殲滅者達と同類扱いされるようになり、パーティーメンバーを含め『あの人達と一緒にしないでくれ……』としばらくお通夜状態が続いたとか。

 余談だが、ゼロス達殲滅者の逸話はほとんどが事実である。

 

「おじさん達、いつも爆発や暴走に巻き込まれてるよね。まともに戦ったことってあるの?」

「「あるよ。たぶん……」」


 自信のない上位プレイヤー。

思い出すだけでも結局なんらかの騒動に巻き込まれ、あるいは引き起こす側になり、そちらの印象が強すぎて記憶にあまり残っていないのだ。

 人とは嫌なことだけ強く脳裏に強く覚えている動物なのである。


「師匠の弟子ってことだろ? 俺とそんなに歳が変わらねぇようだけど、そんなに凄いようには思えねぇな」

「俺は弟子じゃねぇよ。まぁ、それに近いことは否定しないが……。この人達に着いていくと、嫌でも酷い目に遭わされるんだ。関わったのが運の尽きだと思った方がいい」

「酷いねぇ。一応、君達パーティーの手伝いもしたじゃないか。あと、アド君はツヴェイト君よりも年上だよ? まぁ、民族の特性上、若く見られがちだけどね」

「ついでとばかりにレアなモンスターと戦わされたこともあったな。俺達は逃げようとしたのに、『大丈夫、噂ほどたいしたことのない奴だから、楽に勝てるさ』なんて言いながら先制攻撃をぶちかましやがった……。三時間ぶっ続けで戦わされたさ。離脱者が一人も出なかったことが奇跡だ」

「ひでぇな……」


 ツヴェイトはアドに同情の目を向ける。

 そんな話を聞きかされながらも、おっさんは素知らぬ顔でタバコに火をつけた。


「先生……それは酷いですよ」

「………おじさん」

「そんな冷たい目で僕を見ないでくれ。ちょっとゾクゾクして新しい扉を開きたくなるじゃないか。まぁ、これは冗談だけど……。あの時は敵と認識したら執拗に追いかけてくるタイプの魔物だったからさぁ、出会い頭に手傷を負わせた方が効率的だったんだよ。どうせ逃げられないなら戦うしかないじゃないか」

「それは後付けの理由だろ。あの時は何の説明もなくいきなり攻撃したじゃねぇか、情報を伝える余裕くらいあったはずだろ」

「人はねぇ、経験しないと学ばない生き物なのさぁ。僕が得た情報が間違っている可能性もあったし、半信半疑だったんだよ」


 事が済んだ後なら言い訳などいくらでもできる。

 口では何とでも言っているおっさんだったが、真実は『歯ごたえのない戦闘ばかりだし、もう少しスリルを味わいたいなぁ~』という、その場の勢いから出た行動だ。

 そこにアド達パーティーを思いやるような感情や思考はまったくない。


「まぁ、目をつけたら相手が死ぬまで追いかけてくる魔物は、確かにいるよな。スプリガンとか、コカトリスとか……」

「ツヴェイトだっけ? 騙されるな。このおっさんは、その場の勢いで攻撃を仕掛けたんだ。ちょっと歯ごたえのない戦闘ばかりだったから、最後の〆としてヤバイ奴を相手にしたくなっただけで、そこに深い理由なんてねぇ」

「フッ……アド君。君にはこのセリフを送ろう。『これだから、勘の鋭いガキは嫌いだよ』」

「おじさん……それ、悪党のセリフなんだけど」


 長い付き合いであるがゆえに、アドはゼロスの性格をある程度理解していた。

 出会った頃の当初は口車に載せられたが、何度も被害に遭った今では完全に確信犯であることを悟った。いや、悟らされた。

 元より鈍感なところのあるアドの直感が鋭くなったのも、このおっさんを含む【殲滅者】と関わったことが原因である。

それが異世界で生き残る力になるとは、本人も思ってすらいなかったが……。


「アンタ、ひでぇ目に遭い続けたんだな……」

「普通に生活しているときのこの人は信用できるが、趣味に走っているときは絶対に信用はするな。このおっさんとその仲間は、頭がおかしいとしか思えないことを何度も実行しているからな……」

「そ、そうなのか?」

「あぁ……この間は何の準備もなく雪山で龍王と戦わされた。三日三晩戦い続けて、死ぬかと思った」

「「龍王!?」」


 アルフィアを復活させるために生贄とされた龍王、【ブリザード・カイザードラゴン】。

 節理の枠組みから外れた存在だったとはいえ、立った二人で戦いを挑むには無茶な相手だった。しかも雪山で、だ。

 長期戦になることもさることながら、雪山なだけに寒さとの戦いでもあった。

 下手をすれば龍王を倒しきる前に凍死していた可能性の方が高い。


「そんなのと戦ってたのかよ!」

「先生、酷すぎます」


 龍王は存在自体が最悪で災厄の魔物だ。

 それを二人だけで倒しに行くなど自殺行為どころか正気の沙汰ではない。


「やむにやまれぬ事情があってね、そこはアド君も承知していたさ。それに、ツヴェイト君やセレスティーナさんは、それを言う権利はないと思うなぁ~」

「「なぜに?」」

「今日、朝食に何を食べたか覚えているか? この別邸の朝食はサラダや卵に添えられたベーコン。アレ……俺達が倒した龍王のなれの果てだ。俺達だけじゃ食い切れなくて公爵家に流したんだよ」

「売ったお金は別の用途に使って、貧乏だったアド君もやっと就職できた。けど、この国に定住すると税金がねぇ~。他にもいろいろと立場的なものがあって、事実上は監視されているようなもんかな?」

「あぁ……こうしている間も誰かの視線を感じるな。これは、デルサシス公爵の配下にいる諜報員か? 数は……五人か」

「いや、師匠? 監視って……。それに龍王の肉……かなり高額な値がつくはずだぞ? 最近、肉がやけに美味いと思ったが、それが理由か!? まぁ、あのベーコンや肉は確かにすげぇ美味かったけど、他の素材はどうしたんだ?」

「「売れると思う? 鱗一枚でも国家予算分の値がつく代物だぞ?」」


 龍王の鱗や爪などの部位素材は簡単に手に入らない希少な代物で、その価値はオークションに出しただけでも天文学的な金額を叩き出すだろう。それがドラゴン一頭分ともなれば騒ぎになるのは間違いない。

 騎士達に武器や防具を作り装備すれば、ほとんどダメージを受けることのない最強騎士団が出来上がる。それ以前に高額過ぎて国家でも買い取りをするのは不可能だろう。

 それはさて置き、屋敷内に潜んでいるデルサシス直轄の諜報員達は、いきなり自分達の存在を話のネタとして出され、内心は焦りを覚えていた。

 この時、自分達の腕が良いから監視に気づいていなかったのではなく、単に見逃されていたのだと知る。これが敵だったらと思うと恐ろしく、冷や汗を掻いていたとか。


 余談だが、鱗などの素材は売ることはなかったが、龍王の肉の売り上げはイサラス王国にアド名義で送金や物資購入の代金として消え、多大な恩を売っていた。

換金するのに時間が掛かり過ぎ、送金できたのは最近のことだ。

 超超超レアな肉なだけに国外からも商人が買い求め、ソリステア商会が市場を混乱させたという……。


「そう言えば、アンズちゃんもいるよ。アドさんは再会したっけ?」

「いや? まだ会ったことがないな……ピンクの忍ばない忍者」

「アレ? イリスさん、アンズさんとはちょくちょく会っているのかい? 僕は数日前に、苦無や手裏剣の補充を頼まれただけなんだが……」

「教会に商品を売りに来ているよ。その……女性用の下着なんだけど」


 神出鬼没の小学生忍者は、教会にまで足を延ばし女性用下着を販売していた。

 元より情報収集能力が高く、客になりそうな相手の前に突然現れては強引に商品を見せ、試供品を試させて顧客を増やす販売方法を行っている。

 既にどれだけの顧客を抱えているのか分からない。


「この国の下着ってさぁ~、肌触りが悪いんだよね。職人は男性が多いから、女性のデリケートな事情なんて分かんないまま商品を作ってるんだよ」

「分かります。アンズさんの下着を使い始めたら、他の下着なんて使いたくなくなりますから……」

「それに、結構お洒落なやつが多いんだよね~」

「デザインが凝っていると言いますか、本当に年下の女の子が作っているのか疑問に思うときがありますね。中には凄い物ありましたし……」

「「「凄い物!?」」」


うんうんと頷き合うセレスティーナとイリス。

 だが男性人二人は別の方向に気を取られていた。


『凄い下着だと? それって、どんなやつだ?』と想像がつかないツヴェイト君、『凄い下着だと!? 小学生なのにけしからん。なんでそんなものを知ってるんだ! これはユイにも買って……いやいや、注意した方がいいんじゃねぇか? 教育的に……』と思うアド。

 おっさんは、というと……。『教会にも現れたとなると、ルーセリスさんやジャーネさんにも売ったということになる。二人とも見事なプロポーションだし、これは少し見たい気もするなぁ』とムッツリ。それぞれが心の中で反応していた。

 男とは悲しい生き物である。

 

「おじさん……」

「お兄様……」

「俊君……」

「「「何か邪なことを考えてませんか?」」」


 教え子と同郷のお子様,そして若奥様の視線が冷たい。


「まぁ、アド君の場合、よからぬ下着はユイさんが使用することになるねぇ。二人の夜の営みのことはどうでも良いですが……」

「なぜ、そこで俺を出す!?」

「俊君……ポッ♡。かのんちゃんに聞かれちゃうと教育に悪いと思うの……」

「そういうことは、二人っきりの時にやってくれませんかねぇ」

『このおっさん……俺とユイをダシに話を有耶無耶にしやがった!?』


 ゼロスの一言で何かを察したのか、イリスとセレスティーナは赤面したままうつむいてしまった。結果的にだがツヴェイトも助かる。

 しかし、話の途中で突然爆弾を落とす者は現れるものだ。


「う~ん……かのんちゃん? アドさんの娘さんって、かのんちゃんていうの?」

「あぁ、候補の二つから選んだ名前で、俺も響きが気に入っている」

「もしかして、おじさんと同じ殲滅者のカノンさんにあやかってつけた名前なのかな? 下位プレ……もとい初心者傭兵にすんごく優しい」

「あの女と一緒にするなよ! 奴はある意味でゼロスさん以上に厄介なんだぞ。誰があんな女の名前を娘につけるか……って、ん?」


 否定するアドだったが、イリスの悪意なき言葉はすでに手遅れな状況を生み出していた。

 アドの肩に背後からポンと手を置かれ、恐る恐る首を動かし背後を確認すると……。


 ――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!


 ユイの顔が至近距離まで迫っていた。陰で顔が隠れ表情をまったく見ることができない。

 ただ、殺意の波動を纏った迫力が凄まじかった。


「ゼ、ゼロスさん、信じられないものを見た……。ユイが怒っている。それはもう、これ以上にないくらいメッチャ猛っていらっしゃる。まるで今にも時を止め、ロードローラーで押し潰さんばかりに憤怒に打ち震えている。何を言っているのか分からねぇと思うが、俺も何を言っているか分かんねぇ。ただ分かることは、今までのように感情や衝動で刺しに来るような、そんなチャチなもんじゃ決してねぇということだ……」

「信じられないか……。残念だけど、これ現実なんだよねぇ」

「うっそだろぉ!?」

「俊ィク~~~~ン……」


 オドロオドロしい声が響く。

 暗黒のフォースの中から澱んだ声色でアドを呼ぶユイが逆に怖い。

 邪悪な何かが顕現しようとしていた。


『『これは、ヤバい……』』


 おっさんとアドは心からそう思った。

 般若――いや羅刹女がそこに確かに存在していたのだ。


「俊クゥ~~ン……。俊君ハァ~、可愛イ娘ニィ~他ノ女ノ名前ヲツケタノォ~~?」

「ち、違うぞ! いくら何でも、俺があの女の名前を娘につけるわけないだろぉ!!」

「ジャ~ア~、カノンチャンノ名前ハァ~、イッタイドコカラ来タノカナァ~~?」

「………む、昔に読んだ漫画と言葉の響きから」

「ホォ~ン~トォ~ニィ~~~ィ?」

「マジだぁ!!」


 さすがにアドが哀れに思えてきた。

 巻き込まれるのは御免だが、とりあえず怒りを緩和して被害を最小限に抑えなくてはならないと、おっさんは必死に脳をフル回転させる。

 そして、わずかな時間で答えを導き出し、仲裁に移る。


「あぁ~ユイさん。カノンさんですが、別にそれが本名ってわけじゃありませんよ?」

「ソウナノォ~~~ォ?」

「下の名前までは分かりませんが、確か苗字が『観音大寺』だったと聞いたなぁ~。昔からお寺みたいで嫌いな名前だったんで、カノンと略したみたいですよ」

「ヘェェェェ~~~~~………」


 咄嗟に口から出たでまかせである。

 そこに得意の真実を織り交ぜる。


「それに、アド君は彼女の常連被害者だったからねぇ~。何度か試作品のポーションを貰って服用したとき、そりゃぁ~もう酷い目に遭ったらしいからずっと倦厭してねぇ、よほどのことがない限り近づこうともしませんでしたよ。間違ってもアド君が自分の娘に彼女の名前を付けるとは到底思えませんねぇ」

「……そうなんだ。良かったぁ~」


 邪悪なオーラが消失した。

 アドは言葉に出さないが、涙目でゼロスに感謝する。

 おっさん、ファインプレー。


「でも……同じ名前なのは変わらないよね? 私、かのんちゃんの名前を聞くと、どうしてもカノンさんを連想しちゃうんだけど」

「いや、でもその名前もカノンさんの本名じゃないからね?」

「他の女性と同じ名前な事実は変わりないよね?」


 ――ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!


 イリス、火が消えたガソリンに核弾頭をぶち込む。

 暗黒のフォースが第7感を天元突破し、Ωを超えるほどにまで激しく燃え上がる。

 悪気がまったくないだけに最悪だった。


「おまっ!? 何で余計なことを言うんだぁ、不発弾をハンマーで思いっきりぶっ叩きやがってぇ!!」

「えっ? 思ったことを言っただけなんだけど……」

「イリスさん、反省しよう。今日、君の不用意な一言で一家無理心中が起こる。それも、今から僕達の目の前でねぇ……。それと、ユイさんを不発弾と例えるのは…………もう、何を言っても手遅れか。これは僕達も巻き込まれるかな? 短い人生だったなぁ~」

「「「えぇえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」」」


 そして、この時になってイリスやツヴェイト、そしてセレスティーナは気づいた。

 ユイはヤンデレと言うにはあまりに危険すぎた。

 大きく(想いが)、重く(愛が)、深い(独占欲が)……凶悪すぎる闇デレだった。

サイコさんの可能性も捨てきれない。


「ごめんね、かのんちゃん。あなたの名前を聞くたびに、お父さんは他の女を思い出すみたい……。フフフ、心配しないでね。決して一人にしないから……死ぬときはみんな一緒よ」

「ユ、ユイさん、落ち着いてください!」

「名前が同じなんてよくある話だろ。馬鹿なことを考えるなぁ!!」

「おじさん、どうしよう! 私のせいでアドさん一家が心中にぃ!!」

「……アド君一家が消える程度で済めばいいけどね。言っただろ? 『僕達も巻き込まれるかな?』と」

「「「 えっ? 」」」


 そう、問題なのは重度のヤンデレであることだ。

 ユイは娘の名前が会ったことすらない女性の名前と同じことが許せない。当然と言っていいのか分からないが、他人からその女性の名前を知っていることすら不愉快なのである。

 愛するアドの耳に入ることすら激しく嫌悪し、アドの周囲に女性がいることすら実は許容できない。

今の環境は、ユイがいつ爆発してもおかしくない危険な状態が続いているに等しい。

 むしろ今までよく暴走しなかったものである。


「コレを使う日が来ることを忌避していたのに……。どうしてみんな私から俊君を奪おうとするのかなぁ? そんな人達なんて、いなくなっちゃった方がいいよね♡」


 ユイがインベントリから取り出したもの。

 それは、誰もが知る某殺人鬼が使用したことでも有名で、本来木を切るための道具を機能として組み込んだ、ひと振りの剣であった。


「そ、それは……まさか、伝説のチェーンソード。その名も【フライデー13 Ⅴ-Max】!?」

「な、それって……ガンテツさんが作ったという、初期型のクレイジーウェポンシリーズ!? なんでユイがそんなものを持っているんだ……」

「テッド君とガンテツさんがノリと勢いで制作した、初期型呪装武器……。アレには確か、自爆能力が付加されていたような……。テッドが呪いの調整のために持ち出したって、まさか!」

「テッドの野郎、そこまでして俺を殺したいのかよぉ!!」

「初恋相手がすでに男つきだったんだ。そりゃ~、殺したくもなるってもんでしょ。他人の手でだけど……」

「ユイごと俺を抹殺する気だったのか……。アイツ、どこまで病んでいるんだよ」


 ストーカーには複数のパターンがある。

 『あなたも殺して私も死ぬ』という道連れ型や、『君を殺せば永遠に僕のものに……』という自己陶酔独占思考型。そして『裏切ったな……俺を裏切ったなぁ!!』と勝手に盛り上がって自滅する型などだ。傍迷惑なのは全部同じである。

 テッドは自身が安全なところから状況を操作し、他人の手で周囲ごと巻き込むタイプのようで、ユイは全てに当てはまる破滅型と言うべきだろうか。


「うふふふ……。俊君には私だけいればいいの、他の女なんていらない……。この世界には私達家族だけで他の人もいらないわ。目障りだから念入りに全員消さないとね……フフフ」

「せ、先生……なんか関係ない私達も標的にされている気が……」

「あわわわ……ユイさんって、こういう人だったのぉ!? おじさん、なんとかしてぇ!!」

「なぜか俺も標的にされてないか? 師匠……あの女、かなりあぶねぇぞ!?」

「アド君とユイさんを引き合わせたのは、間違いだったのかもしれないな。こんなことになるとは思ってもみなかったよ。ハハハ……」

「……なんか、皆すまない。地獄でも謝るから……もう諦めてくれ」

「「「「諦めるの、はやっ!?」」」」


 おっさんは善意で二人を再会させた自分の間違いに後悔し、アドはいまさら何を言っても無駄だと諦め、運命を受け入れていた。

 巻き添えになる三人はただ運と間が悪かった。

 そして惨劇が始まる。






「……シャクティさん、ミスカさん。なんか悲鳴が聞こえなかった?」

「聞こえたわね……。見に行くのが怖いし、放置しておきましょうか。どうせアドさんがユイさんに刺されているんだろうし」

「ふふふ、なかなか楽しいことになっていますね。被害者が出ないよう、他の使用人達にも伝えておきましょう。そう、決して近づかないようにね……ふふふ」

『『な、なんでこの人……こんなに楽しそうなの?』』


 ソリステア公爵家別邸で響き渡った複数の悲鳴は、たまたまこの別邸を訪れていた商人の帰宅中に聞かれ、瞬く間にサントールの街全体に噂が広まった。

 新聞記者も取材に来たのだが、誰もが一様に口を閉ざし事の真実は誰にも語らず、この話は世間を少し騒がせただけで歴史の闇に消えた。

 ただ一人、傭兵ギルドに所属する少女魔導士だけが、『ユイさん怖い、ユイさん怖い、ユイさん怖い……』としばらく重度の鬱に悩まされていたとか。


◇ ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 メーティス聖法神国にある某商業都市。

 最近は周辺諸国からの圧力を受け、この国の商人たちは難儀していた。

 商人の大半が神官との繋がりがあり、彼等の影響力を笠に商人達は周辺諸国での取引を優位に進め、売り上げの何割かを賄賂として渡す関係を築き上げていた。

 長いこと続いたこの関係も、周辺諸国に広まりだした回復魔法の販売からケチがつき始め、今も神官達の影響力の低迷は続いている。

 結果として神官達を後立てにしていた商人は、今まで不当な扱いを受けた他国の商人から反撃を受け、通常の取引でさえ困難な状況に追い込まれた。

それほど他国の商人から恨まれていたということだろう。

 当然だが失業した商人も大勢おり、現実を受け入れられず麻薬に手を出し、思い出の中へ逃避する者が増えていた。

 そんな一人でもある元商人は、地下水路で麻薬を購入しようとしていた。


「な、なぁ~早くくれよ……。もう、アレがねぇと耐えられねぇんだ……」

「おいおい、これっぽっちの金じゃたいして売れねぇぜ? せいぜい三日分だな」

「頼む! 頭がおかしくなりそうなんだぁ、薬を……俺に薬を売ってくれぇ!」

「まぁ、欲しければ売ってやるけどよ。しっかし浅ましいもんだな、大店の商人だったアンタも随分と落ちぶれたもんだぜ。人間、こうはなりたくねぇわ」


 商人が手にした麻薬を奪い取ると、元商人の男は震える手で一粒取り出し、水を使わず強引に飲み込んだ。

 即効性なのか、男は瞬く間に幸せそうな笑みを浮かべ、思い出の中へとトリップする。


「金ができたらまた売ってやるよ。それまでしっかり稼いできな」


 売人は商人であった男を哀れな目を向けながら、次の顧客の下へ向かうべくその場を後にした。それがこの後の明暗を分けることとなる。

 残された男は麻薬によって夢の中。へらへらと唾液交じりの笑みを浮かべ、この場に危険な存在がいることに気づけない状態だった。

 黒い影が静かに男の下へと忍び寄り、周囲に敵がいないかを確認すると、霧状の体を男の口や鼻から体内へと一気に侵入する。


「ゴハッ、グゲェ………ウゥ……グム………」


 しばらく暴れまわっていたが、やがて痙攣した後におとなしくなる。

長い静寂の時間が経過し、やがて異変が起き始めた。

男の体が異常に膨張を始め、膨れ上がった背中の肉塊から白い手足が無数に生え出していく。

 まるで寄生した虫が宿主の肉体を食いつくし、成虫となって脱皮するかのようだった。

 ただし、男の体を突き破って出てきたのは虫などではなく、おぞましい姿をした化け物だ。

 見た目は百足に見えるが全身は人の肌のようで、頭部辺りから女性の上半身が生えている。無数の手足も全て人間の手足だ。

また、上半身に生えた女性の体にある頭部は、本来眼球がある場所からカタツムリのような目が飛び出ていた。

また、体のいたるところにも眼球や口が存在し、それぞれが勝手に蠢いていた。


「ウフフ……やったわ。とうとう肉体を取り戻したわよぉ!」

「いや、シャランラの姐さん……自分の体をよく見てくれよ。これが人間の体か?」

「えっ?」


 シャランラは自分の今の体をよく確認した。

 当然だが、その姿は彼女が求めた姿とは程遠い――いや、地平線の彼方のように果てしなく遠すぎる姿だった。


「な、なによこれぇ!?」

「見事なまでに化け物だよな」

「体は手に入れたが、これじゃ外に出られねぇぞ」

「しかも女を抱くことすらできねぇ……トホホ」

「てめぇ、人を殺しておいて、よくもそんなこと言えるなぁ!!」

「返して! 私達の人生を返してぇ!!」

「イヒッ、ヒヘヘヘヘヘ……」


 体にある無数の口から、それぞれ別の言葉を吐き出す。


「な、なんでこんな姿に……」

「俺達が知るわけねぇだろ」

「姐さんは馬鹿だからなぁ~……」

「そんなことはどうでもいい! 家族を殺しやがって、呪われろぉ!!」

「ひゃははっは、いい気味よ。無様ね」


 呆れる盗賊達の魂と、ゾンビ化された被害者達の魂がそれぞれ好き勝手に騒ぐ。

 こんな姿では討伐対象になるのは確定で、今のままでは水路から出るのは自殺行為だ。


「い、いやぁああああああああっ!! こんな姿、私じゃな~~~いっ!!」


 あまりのおぞましい姿に居た堪れなくなったのか、シャランラはその場から全力で逃げだした。

 彼女達がこんな哀れな姿になった原因は、元商人の男が服用した麻薬にある。

 この麻薬は、以前にアドがイサラス王国の軍部と製作したアミュレット型魔道具に使用された邪神石の効果を危険視し、処分するため裏社会に出回っている麻薬に粉末状にして混入させたものだ。

アドは四神に対して細やかな嫌がらせを目的とし、イサラス王国の軍部も敵国に少なからず打撃を与えるため、メーティス聖法神国の犯罪者に流したのだ。

彼が軍の上層部と関わった事案は、アミュレットの件も含めてこの二件だけである。


 この麻薬は、効果は薄いが何度も服用すると人間を化け物に変質させてしまうため、ソリステア魔法王国と同盟を組んでいる小国家群では規制対象とされていた。

シャランラ達はその麻薬を取り込み変異したのである。

 かくして、ゾンビから不気味生物となったシャランラ達は数日後に発見され、討伐対象として追われることになるのだった。


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