おっさん、アドにイラっと来る
謎の集団ミイラ化事件の調査を終えて三日、いつもの日課であるコッコ相手および腕白チルドレンズの訓練を済ませ、ついでの畑仕事を一区切りつけたおっさんは暇な時間を制作活動に費やしていた。
無論、ヤバ気な魔導銃や魔法動力を組み込んだ乗り物ではなく、原点に立ち戻ったファンタジー定番の魔導具である。
「……う~ん。これなら露店でも売れるだろうか?」
宝石に魔力を込めて変質させた【魔晶石】や【魔石】を利用した装飾品を並べ、その出来映えを一つ一つ丁寧に吟味し、手頃な値段を記したタグを付けていく。
魔導具は単純なモノでも10万ゴル。日本円にして十万円相当で、駆け出しの傭兵ではまず手が出せないアイテムだ。
何しろ魔導具は消耗品であり、特に魔石を流用したものは使用回数が決められている。
その理由は、魔石式魔導具は魔石の魔力を消費し、魔法式に定められた魔法効果を発動させるもので、魔力を消費すると組み込まれた魔石は小さくなり砕け散る。
強力な魔法ほど魔力消費は大きく、攻撃力が高くするには魔法式は複雑化し、魔石内に組み込むのが困難になる。また、威力が高くなるほど魔力の消費量が増える。それこそ範囲魔法などは魔石に刻み込む魔法陣に限界があった。
指輪に大魔法を組み込むなどほぼ不可能に近い。作れたとしても一度きりの使い捨て魔導具となり、取り付けた魔石が魔力を全て消費して砕け散ってしまう。
対する魔晶石式魔導具だが、宝石に魔力を込めることが可能で何度も使える利便性はあるが、込められる魔力に限界がある。
また、魔晶石に加工する宝石が大きいほど魔力を多く込めることが可能だが、複数同種の宝石に圧力を掛けて結合させるので、魔晶石が結合して大きくなってしまい装飾品には適さなくなる。これは魔石でも同じことが言える。
道具として使用するには少々かさばることは間違いない。それこそファンタジーの定番で杖や剣などに組み込めばよいが、そうなると値段がとんでもなく法外なものになってしまう。とても一般人に売れるような物ではない。
そして、この異世界においてゼロスの制作可能な武器や道具はアーティファクトレベルの希少価値があり、その辺で気軽に売りに出すわけにはいかない代物だった。
『武器なら強力な魔法を組み込んだ魔石が使えるけど、ならず者の傭兵に売るのはちょっとねぇ~……』
そして、便利な物ほど犯罪に使われやすい。
ついでに安価で売り出すにしても、使用者が善人とは限らない。
誰かの手から犯罪者の手に渡ることも充分に考えられ、迂闊に危険物を世に出すわけにはいかなかった。
そんなわけで、制作した魔導具は全て中級魔法までの効果で限定され、使用回数も数回程度に抑え値段も割高に設定する必要があった。
「むむ……アド君はどう思う?」
「ん~……ゆかりにするか? いやいや、愛と書いてメグミ……いや、これだと親父をコケにするような娘になりかねないし、何より俺が浮気者みたいで嫌だ……。きらきらネームはムカつくし、いっそ洋風の名前にするべきだろうか?」
「……まだ娘さんの名前を考えていたのかい?」
「しかたないだろ。ユイのヤツが俺に名前を決めてほしいなんて言うし、こういうのは苦手なんだよ」
「君のアバターネームも単純だからねぇ。苦手なのは良くわかる」
アド君がゾンビ調査中、妻のユイが子供を出産していた。
それ自体はめでたいことなのだが、その後、彼は娘の名を決めるのに必死になり、朝も早くから悩み続けている。
「沙耶なんてのはどうだい?」
「ダークな世界で刀を振り回し、血塗れになりそうだから却下」
「咲夜は?」
「旦那に浮気しただろうと勘ぐられ、自棄を起こして物置に閉じこもり火を付けそうだからなぁ……。将来は時間を止めてナイフで滅多刺しにしそう」
「アリス」
「不思議の国に迷い込んで、帰ってこなくなりそうだから嫌だ……」
朝からこんな調子だ。
何かの意見を求めれば、返ってくるのは娘の名前をどうするか逆に意見を求められ、話をずらされる。
畑仕事をしていても、アドは何かとゼロスに泣きついてくる始末だ。
正直、疎ましく思うが、これもアドが親になった最初の努めとグッと心で耐えた。
「じゃぁ、まどか……」
「魔法少女になった挙げ句、最後に親友を泣かせそうだから……。純粋で優しいのはいいけど、駄目。やはり心に夢というデッかい野心がないと」
「デッかい野心って……それなら、まりさは?」
「ムゥアスタァァァァァスパァァァァァァァァァァク!!」
「なぜにスーパーロボット調で言った!?」
そして、いろいろとテンパっていた。
まぁ、初めて子供に良い名前を付けてあげたいという気持ちは理解はできるが、名前の案を出すと直ぐに駄目出しされることを繰り返していた。
例えば、『神楽なんて名前はどう?』と言えば、『大飯食らいで酢昆布ばかり食っていて、暴力的で下ネタを連発しそうだ』と言い返し、『それじゃ、レイなんてのは?』と聞けば、『代わりが何人もいそうだし、眉なしになるのは……』などと返してくる。
結局、なにを言っても揚げ足を取った返しをしてくるので、おっさんは少々相手にするのが面倒になってきていた。
「もう、節子でいいじゃん。これで決まり、乙かれぇ~」
「真面目に考えてくれよぉ~、あんな悲しい最後を迎える名前は嫌だぁ!!」
「結局のところ、決めるのはアド君なんだけどねぇ。僕が名前をいくら挙げたところで納得はしないんだろ? なら、なにを言っても無駄じゃないか」
「そんなことを言わずに、少しでも多く案を出してくれよぉ! 俺、もう限界なんだぁ!!」
「……最後、あかり」
「おしい! 良い名前だけど、恥ずかしいセリフを……」
「アド君……そろそろ殴っていいかね? 正直、僕も限界なんだけどねぇ?」
ここまで来ると、さすがに殺意が湧いてくるものだ。
そして、少々苛ついているおっさんは、アドの額にデザートイーグルの銃口を突きつけると、親指で撃鉄を引き下げた。
実に良い笑みを浮かべてはいるが、背後のドス黒い暗黒のオーラが隠しきれていない。
「じょ、冗談……だよな? それより、それは殴るというより射殺なのでは……?」
「はっはっは、アド君……さすがに温厚なおいちゃんでも、堪忍袋の緒が切れるものだよ? エンドレスになる問答はここで幕引きにしようや」
「俺の人生も幕引きになる状況なんですけどぉ!?」
「三つ数えるうちに、さっさとどうするか決めろや、1」
――ガァァァァァァァァン!!
1と数えた瞬間に迷わず引き金を引いたおっさん。
アドがどこかの映画のように身を仰け反らせて弾丸を避けたところに、追い打ちとばかりにもう一発撃ち込む。容赦のない本気の攻撃だった。
「う、撃ったな……二度も撃った。親父にだって撃たれたことないのに!! しかも3まで数えてねぇ!!」
「男てぇのは1さえ覚えておきゃぁいいんだよ。常に一発勝負を魂に刻んでいりゃいいのさ」
「二発撃ったよな? 一発勝負じゃねぇだろ!! アンタ、マジで殺す気だったろぉ!!」
「細かいことは気にすんねぇ。安心しろ、ただのゴム弾だ。股間に当たると死ぬほど痛いが、死ぬことはない」
確かにゴム弾のようではあるが、そのゴム弾は床にしっかりとめり込んでいるのを、アドはしっかり確認した。
それはつまり、樹脂とは思えないほどの強度を持っていることになるわけで、いくらチートな体のアドでも痛いで済む威力ではないことを示している。
「二発目、マジで俺の股間に当たりそうだったんですけど? ……あの威力で当たったら不能になると思うが?」
「少なくとも、浮気ができなくなってユイさんが喜ぶと思うけどねぇ」
「笑えねぇ冗談はやめてくれぇ!!」
「冗談か……本気で冗談だと思っているのかい?」
おっさんはマジだった。
苛ついているどころか、洒落にならないほど怒っていた。
それがどんな結果をもたらすのか、アドは身を以て知っている。正確にはその怒りを向けられた相手の末路だが……。
「……すみませんでしたぁ!!」
「わかればよろしい」
土下座で謝るアド。
名前の代案を考えてくれていたのに、どこかのアニメネタで駄目出しされ続けたのだ。よほど気の長い人物でも苛立ちくらいは覚えるものであろう。
「一生ものの名前だし、なんとか良い名前を付けてあげようとする気持ちは分かる。だが、それで他人に意見を求めておきながら、駄目出しして却下するのはいかがなものかね。これで何度目だい?」
「んなこと言われても、俺に名前を決めさせるのは無茶だとしか言えない。俺のネーミングセンスは最悪だからなぁ~」
「ちなみに、最初はなんて名前を付けようとしたんだ?」
「……貞子。ユイに却下されたが」
「うん、それはユイさんファインプレーだねぇ。なぜその名前に決めようと思った」
アドのネーミングセンスは人と若干ズレていた。
貞子に決めようと思った理由が、『どんな障害でも、力尽くで強行突破しそうな強い子になりそうだから』ということらしいが、おっさんからしてみれば悪霊化しそうで怖い。
他にもアドがお勧めだと思う名前もいくつか挙げてもらったが、その結果導き出された結論はどれも悲劇的に死んだキャラの名前か、あるいは典型的な悪役として無残に殺された名前が占めていた。
なぜにそんな名前を優先して選ぶのかが理解できない。
「君……子供に対してなんか恨みでもあるのかい? もしかして本当は子供が嫌いだとか」
「馬鹿なことを聞かないでくれ。こんな物騒な世界で生まれたのだから、俺としては少しでも験を担ぎたいんだよ。アニメの悲劇キャラってバックボーンがしっかりしていて、最期のときでも意志が強いじゃないか」
「いや、君が出した名前の中に、何の意味もなく無残な屍になったキャラもいたけど? ここは一反アニメから離れた方がいい。どう考えても泥沼に嵌まる」
「まぁ、作品によっては同じ名前でも役割や性格が違うからなぁ~。やっぱ、【華漣】か【華音】にするべきかな。ファンタジー世界でも違和感がねぇし」
「良い名前じゃないか。いつから考えていたんだい?」
「今朝だけど?」
「おい……」
つまり、朝から続いていた今までの問答が無駄であったわけで、最初からこの二つの名のどちらかを選んでいれば、ゼロスもここまで苛つくこともなかった。
名前に願掛けをする気持ちが先行しすぎて泥沼に嵌まり、優柔不断な性格が状況を悪化させた。結論を言ってしまえば悩む必要はどこにもない。
その回答が出たことで、おっさんはキレた。
「初めてですよ、僕がここまでコケにされたのはねぇ」
「……あぁ…………は、話せば分かる」
「話し合いで全てが解決するのなら戦争は起こらないんだよ。さぁ、始めようか。僕達の戦争をねぇ」
サントールの街の片隅で、ポケットにすら入らないアホな戦争が始まった。
ゴム弾が飛び交い、悲鳴が響き渡り、激しい打撃音が大気を振るわせた。
アドがボコられ尽すまで、この争いは止まることがなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
馬鹿騒ぎはともかく知人のおめでたい話なので、ゼロスもまた祝いの品を用意し、クレストンの住む別邸へとやってきた。
ユイは今もベッドの上で安静中の身であり、あまり動くことはできない。
父親となったアドもこの異世界で子育ての準備などしておらず、ベビーベッドやおむつなどの買い出しで奔走していた。
『クレストンさんところのメイドに、いつまでも世話になり続けるわけにはいかないからなぁ。アド君も大変だぁ~』
どこまでも他人事なおっさん。
そんなおっさんはダンティスに案内され、ユイがいる部屋へと案内されていた。
「ユイ様の部屋はこちらになります」
「いやぁ~お忙しい中すみませんね」
「いえいえ。ツヴェイト様達やお嬢様が生まれたときを思い出して、少し懐かしく思っていること頃ですよ」
「三兄妹はこちらで生まれたんですか?」
「ツヴェイト様達は領主館の方ですね。ここで生まれたのはデルサシス様とお嬢様ですよ。デルサシス様のときは私が執事見習いでこのお屋敷に来た頃でしてね、あの頃は私も若かったものです」
「デルサシス殿の子供の頃なんて、正直想像もつかないんですが……」
ゼロスの問いかけに、ダンティスは『当時のことを知りたがる方は、皆さん同じ事を言います』と苦笑いをする。
最近ではツヴェイトが同じ事を言ったらしい。
「ユイ様、ゼロス様がおこしになられました」
ノックをしてからダンティスが部屋の前で声を掛けたが、なにやら内側はかなり騒がしいようであった。
特にアドの『ユイ、無理はするなぁ! まだ休んでなければ駄目だろぉ!!』という叫び声が聞こえる。ゼロスとダンティスは困惑しながら互いに顔を見合わせる。
「……なんでしょうねぇ?」
「さぁ?」
部屋を覗いてみてみれば、ユイが軽いストレッチをしており、アドが必死に止めようとしていた。
「アド君……今日から仕事のはずなのは置いておくとして、これはなんの騒ぎだい?」
「ゼロスさん、いいところに! ユイを止めてくれ、出産して体調が万全じゃないのに運動してんだよ」
「なるほど……。ユイさん、アド君が心労で死にそうな顔をしているから、無理はしないでおとなしく休んでください」
「え~、出産直後は女性ホルモンが増えているから、運動すればいつまでも綺麗なままでいられるんですけど……」
「なるほど……アド君のためだったか」
どこまでも愛されているアド。
正直に言って妬ましかった。
「そうそう、これは僕からの出産祝いですよ。粉ミルクと哺乳瓶に紙おむつ……」
「ゼロスさん、ありがとうございます」
素直にお礼を述べるユイ。
「ちょい待ち! ゼロスさん……なんでこんなものを持ってんだ?」
「ん? 余り物だけど大量にあるから使って欲しいだけ。イベントでレシピを手に入れたから、たくさん作って売りに出したじゃ……あぁ、あの時はアド君達はいなかったか。生産職スキルを上げるため、ケモさんの前のパーティーメンバーと一緒に無茶したんだったかな……」
「無茶って、何をしたのか気になるが……こんなレシピあったか?」
「導入されたのは四度目のアップデートの時かな。用がなかったからイベントに参加しなかったんだけど、イベント報酬がどうしても必要でね。必要に迫られてクリアしたんだよ。資金稼ぎにもちょうど良かったし大量生産をやってみた。材料を集めるのに苦労したなぁ、試作品が余っちゃってさ、まいったよ」
【ソード・アンド・ソーサリス】四度目のアップデートで、クエストも一般市民にも焦点を当てられたイベントが増えた。この乳幼児対象製品制作イベントは、評価が高いと王侯貴族からの注文が殺到するので高額の資金を稼げたのだ。
ただし、デメリットとして産業スパイが現れレシピを盗むまで生産作業を続けなくてはならず、他のクエストを受注することができなくなる。
うっかり産業スパイを倒してしまい、NPCから注文が殺到してしばらく粉ミルクや紙おむつを製作し続けた苦い記憶があった。要は蟹工船だったのだ。
これが粉ミルクや紙おむつが大量に余っている原因である。
「アド君にこのレシピをあげよう。今度から自分で作ってくれ」
「いや、なんでレシピを持ってんの? なに、この書類の束……」
書類を見ると、そこには紙おむつや粉ミルクの材料や、その製作工程がこと細やかに書かれていた。どう見てもどこかの企業の重要書類だ。
「君もさぁ、アイテム製作レシピが記録された本も持っているだろ。僕も偶然インベントリーを漁って発見したんだけど、すんごく分厚い本だった……」
「えっ、マジ!?」
【ソード・アンド・ソーサリス】において、一度でも魔法の改造や生産職に携わった者は個人スキル覧に、魔導書やアイテム製作レシピというスキルがつく。
例えばゼロスなら【マーリンの魔導書】、アドの場合は【ADOの魔導書】といった具合だ。レシピにおいては普通に【アイテム製作レシピ】だけである。
それはこの世界において本という形で存在し、とにかく凄い分厚さの本が亜空間に数百冊以上保管されていた。アドに渡したのはその写し書きである。
そして、ゼロスに言われるまで、アドはそのことに気づいていなかった。
「……これ、デルサシス公爵との交渉に使っていいか?」
「いいんじゃね。好きに使うといいよ。けど魔導錬成できる僕らは製作工程が省けるけど、一般に販売を目指すなら一から作り方を学んだ方がいいかな。製品化を目指すなら交渉も早いうちに進めるべきだね」
「ゼロスさん……ありがとう! 俺、これで試作品を作ってみる! イサラス王国にも売り出せば、子供が死なないですむぞ」
「作業工程を分割して製作すれば、流れ作業で大量生産ができると思う。乳幼児の子供を持つ奥様方には大人気になるだろうねぇ」
ただし、錬金術が使える人員が大勢必要になるが――。
余談だが、この粉ミルクはゼロスのインベントリー内に大量に保管されていた。
しかし普通なら食料の部類に入る粉ミルクは、なぜか素材覧の片隅にあったので見過ごしたのである。おそらくはお湯で溶かさねば完成ではないので素材扱いなのだろう。
問題は、ファーフラン大深緑地帯でそれに気づかなかったことだ。
貴重な栄養源であったのにもかかわらず見逃し、一週間ものあいだ過酷な肉だけサバイバル生活を続け、心身共に疲弊した。
まぁ、魔物を倒す度に次が湧いてくるので、素材覧を確かめているような心の余裕があったとは到底思えないが、この事実を後で気づいたときおっさんは本気で落ち込んだ。
同時に、いい歳したおっさんが哺乳瓶を咥えて歩き回らずに済んだとも言えるが、生死を懸けた過酷な自然界でのサバイバルを考えると些細な問題だった。
「ゼロスさん、【ポルタ芋】で砂糖を作るレシピも教えてくれよ。イサラス王国に送ってやりたいんだ」
「砂糖は貴重品扱いだから、国家事業になるんじゃないかな。薪はアトルム皇国からに輸入になると思うけど、砂糖が作れれば充分に元が取れる……と思う」
「思うって、何か問題があるのか?」
「生産が間に合わないと思うんだよね。あと、品質。確かに茎や葉からは糖分がとれるけどさぁ、煮込むときの火加減を間違えると、糖分を抽出するときに植物独特の苦みがね……」
「それは向こうで実験するだろ。いきなり大量生産なんて無茶はしないと思うぜ」
「だといいけどね。後で書き写しておくよ」
ゼロスとしてもアドが自由に動ける立場が望ましい。
国賓待遇でいられても後々面倒になることもあり、イサラス王国とは少しでも距離を置いて貰いたい。そのための協力はできるだけするつもりだった。
「でも良かったぁ、粉ミルクや紙おむつがあって。正直、母乳だけだと不安があって……」
「そうだろうね。僕達みたいな立場だと、この世界での子育てには不安が残るし、特に衛生面では不安も感じずにはいられないから」
「これで、【かのん】を育てるのが少し楽になります。ゼロスさん、本当にありがとう」
「名前、かのんちゃんですか」
「はい、平仮名でかのんです。できれば地球の……日本の名前にしたかったので」
「アド君が必死に絞り出してたからねぇ~。ロボットダンスを踊り出したときには、とうとう壊れたのかと思ったが……」
「ゼロスさんも親になってみれば分かる! 子供の名前を考えるのが、どれほど苦しいのかを!!」
「それよりも僕は、君が仕事をせずにここにいるのが不思議なんだが? リサさんやシャクティさんもメイドとして真面目に働いているのに。今日は確か、魔力モーターの内部術式を刻む仕事があったよね?」
アドは思いっきり顔を背けた。
どうやら今になって思い出したらしく、心なしか表情が悪い。
そして、そういうときに限って悪いことは起きるものである。無論アドにとってはと言う意味でだが……。
突然部屋のドアが蹴破られ、ゼロスも見知った人物が乱入してきた。
「いたわよ! クーティー、さっそく連行!!」
「ほいさぁ~!!」
「な、なんだ、お前ら! 離せぇ!!」
「離すわけがないでしょ、君をいくら待っても来ないからこちらから、こっちから迎えに来てあげたわよ。ありがたいと思いなさい」
「嫌だぁ、そんなことより今はユイの無茶な真似を止めないと……グハッア!!」
言い切る前にクーティーのハンマーがアドの腹に突き刺さった。
普通なら即死レベルなのだが、アドはおっさんと同類。気絶だけで済んだようである。
「ベラドンナさん、なぜにあなたがここへ来るんです? 店はいいんですか?」
「フッ……どっかの馬鹿が客に失礼をカマして、収入が少ないのよ。このままだと完全に私の店は潰れるわ……」
「こんな店員、さっさとクビにすればいいんじゃないですかね? どう考えても更生は無理でしょ。元から頭がどこかおかしいんですから」
「失礼ですぅ~~っ!!」
「そうしたいけど、こんなのを野に放ったら犠牲者がね……。私としては人知れず始末したいところなんですけど」
毒にしかならない自己中店員は、深刻にベラドンナの店を潰す寸前にまで追い込んでいたようだ。彼女の表情に哀愁が漂っている。
「毒殺した後に、スライムの餌にすればいいんじゃないですかね?」
「……なるほど。それはいい手ね。どうせ街の嫌われ者だし、いなくなっても誰も困らないわ。クーティーの両親もどっかで野垂れ死んで欲しいと言ってたし、素敵な完全犯罪ね」
「酷い! 店長は本人の前で、なに殺人の計画を話し合ってるんですかぁ~っ!! こんなに優秀な店員は他にいませんよ!!」
「優秀………どこがなんですかねぇ? 他人に迷惑をかける能力がって意味ですか?」
「もし本当に優秀なら、とっくの昔に独立して他人に迷惑なんかかけないわよ。いつまでも寄生しか出来ない役たたずなんて、スライムの餌になった方が世のためだわ」
アドをロープで縛りながらクーティーは文句を言うが、普段の行いが既に非常識だと世間に認識されているので、誰も擁護するような者はいない。
そして、おっさんもベラドンナも容赦がなかった。
ゼロスから見ても、クーティーは方向性が違うだけでシャランラと同類なのだ。善人か根っからの悪人の違いだけで、そこに優劣は存在しない。
なにより、例え根が善人であっても、相容れない人間は存在する。
世話になっている店に迷惑をかけていながら、それが当たり前と自己完結して反省せず、同じ事を何度も繰り返すクーティーには嫌悪感しか湧かない。
ゼロスとベラドンナの意見が合うのは、かつて同類に追い込まれた者と現在進行形の被害者という事実が、自然とこの二人の間に奇妙なシンパシーを生み出していた。
そして、同類同士が揃うと、その考え方はより過激なものになる。
「な、なんでこの二人は、こんなに意見が合うんですかぁ~っ! ラブですか? ラブラブなんですか!? そんなに相性がいいなら結婚しちゃえ!!」
「なんとなく、ゼロスさんとは他人って気がしないのよね。自分と似ているっていう予感があるのよ」
「クーティーさんと同類の腐れた身内がいましてねぇ、ヤツを始末するためならどんな犠牲も厭いませんよ。そう、最悪の魔法をぶちかましても抹殺する覚悟はできてます」
「わたしと似ているんですかぁ~。それはさぞ優秀な人なんですねぇ~」
「他人に迷惑をかけるという面では腹立たしいくらいに優秀ですねぇ。殺してやりたいほどに……。楽には殺しませんけど」
「わかるわ~。私も、クーティーを始末するときは、どれだけ苦しめてやるべきか考えてしまうもの。やぱり、楽に殺すのは論外よね。徹底的に地獄を見せて、生まれてきたことを後悔させてあげないとね」
「……………」
クーティー、命の危機だった。
ゼロスとクロイサスの同様に、ベラドンナとゼロスは出会ってはならない存在であった。
こと復讐という意味でこの二人が揃うと、相乗効果を発揮し過激で悪辣な計画を練り始めてしまう。趣味と復讐の違いはあれ、混ぜてはならない劇薬同士なのだ。
このままでは本気で自分の命がヤバいと感じ始め、クーティーは青冷めた。
「それはそうと、今はなにをしているんですか? アド君を迎えに来たことを考えると……」
「魔導式モートルキャリッジの仕事よ。こと魔法術式に関して彼の技術は凄いわ、私もまだ未熟だったと思い知らされたわね。特に動力部の魔力モーター。磁力を発生させる術式が細かくて今の私には無理なのよ。あそこまで繊細な術式を刻める者がいるなんて思いもしなかったわ。芸術の域にいると言っても過言では無いもの」
「そ、そうですか……。てことは、ソリステア派という魔導士派閥の一員で?」
「私の立場は臨時職員ね。人手が足りないときに駆り出されて、仕事を請け負う派遣要員ってところかしら。クレストン元公爵ともその繋がりで知り合いよ」
「なるほど。しかし魔力モーターでも高度すぎたか……。蒸気機関にすればよかったか? いや、それだとお湯を沸かすだけで魔石が大量に必要になるし、コスト面から言っても実用的では……いや、けどなぁ~」
ゼロスが思っていた以上に、この世界の魔法技術は低かった。
生産職に携わることが少なかったアドですら作れるものが、この世界の魔導士達では苦労する代物だった。魔導式モートルキャリッジは想像以上に高価な代物になりそうである。
材料自体はどこでも手に入る物だが、心臓部である魔力モーターの基盤である魔法術式を刻める者が少ない。
人員の育成だけでも手間が掛りそうな予感がした。
「あっ、少し長話をしてしまったわね。今日のノルマが間に合いそうもないし、今から手をつけないと。クーティー、いつまで震えてんのよ! さっさと連行する!!」
「はぃ~~~っ!!」
アドが引きずられながら連行されていく。
ベラドンナもどこか足取り軽く、手を振りながら上機嫌で部屋を後にした。
おそらくだが、自分の知らない技術を見られることが嬉しいのであろう。クロイサスとどこか共通した気質が感じられた。
「俊――アド君、今日は帰ってこれるのかな? なにか凄く重要な仕事を任されているって話みたいだったけど……」
「さぁ? 現場を見たことがないので、僕にはなんとも……」
窓の外では、ロープで雁字搦めになった芋虫姿のアドが、問答無用で馬車に放り込まれる姿を確認した。扱いが酷い。
窓から飛び出た足が未練がましく無様に藻掻いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アドがしばらくの間、ソリステア派の工房で缶詰状態になり、臨時職員のベラドンナは自分の店に戻って来ていた。
ここ数日は忙しい日々が続き、しばらく店を閉めていたので、久しぶりに開店したのだ。
足りない鉱石や魔石などは、ソリステア派の工房から報酬としていただき、自分の工房でゆっくりと研究に明け暮れるつもりだ。
「て、店長ぉ~……」
「なによ。今いろいろと忙しいんだから、手短に言いなさい」
「この壺………スライムがいっぱいいるんだけど」
「それは、新鮮な素材の方が質もいいから生かしてあるのよ。それがどうしたっていうのよ」
「じゃあ、この変な臭いがする草は? 見た限りだと、これって毒草……」
「媒体に使う溶液を作るのに、その毒草が必要なのよ。いつものことじゃない」
毒にスライム。
クーティーにとって、この二つが揃うことは命の危機が近づいていることに等しかった。
彼女の顔が次第に蒼白になり、全身がこれでもかと言わんばかりに震えだす。マグニチュード7くらいありそうな震え方だ。
「嘘だぁ~~~っ!! 店長は私を今日始末する気だぁ~~~~っ!!」
「………あっ、暇があったら殺ってもいいわね」
「やぶ蛇っ!? というか、暇潰しに私を殺すんですかぁ~~っ!?」
「暇ならね。あと、いい加減に煩わしくなったら、うっかり殺っちゃうかも知れないわ」
「うっかり? うっかりで私は殺されるのぉ!?」
「アンタが馬鹿なことをしなければいいのよ。そう……馬鹿なことを、ね………」
妖艶に笑うベラドンナは、まさに魔女そのものだった。
美人が笑うだけで恐ろしいと感じたのは、クーティーはこれが初めてのことである。
いや、正確には何度見ても直ぐに忘れるだけなのだが――。
しばらくは真面目に店番しようとクーティーは心に誓う。
まぁ、三日も経たずに忘れるであろうが――。