男達の暴走
温泉、それは心の癒し。
繰り返すようだが、この世界は娯楽がかなり乏しい世界だ。
観光など貴族や儲けを出している商人しか行けず、国外の旅行など一握り裕福層に限られている。
商人や貴族の護衛で作兵士や傭兵は、仕事として付き合う程度でゆっくりと異国文化を楽しむ余裕はなかった。
「あぁ~~~~っ♡」
リザグルの町のほぼ中央に位置する大衆浴場は、昼前でありながら大勢の女性客がこの湯を満喫していた。
クリスティンもまた温泉に身を委ね、旅の疲れを癒す。
それなりに裕福ではあるが、無駄な税金の浪費ができる訳もなく、行楽目的の旅など簡単にできない立場である。
そのため、ただ温泉あるだけの町でも実に新鮮で、驚きに満ちているように感じていた。
「温泉……領内に湧かないかなぁ~。すごく気持ちいい」
エルウェル子爵家のある土地で温泉を掘るとなると、少なくとも千メートルほど掘らなくてはならないだろう。近くに火山帯のあるリザグルの町とは条件が異なる。
また、硬い岩盤を貫く技術が確立していないので、その作業は恐ろしく時間が掛かる。予算の面も合わせるとかなりの出費で不可能と言っても良い。
それ以前に地質調査の知識も技術もない。
心地よい温泉を堪能する彼女は、自分がとんでもない無茶なことを口にしている事に気づかず、夢物語のようなことを考えていた。
それほど温泉は魅力的だったのだ。
「ゆったり、たっぷり、のぉ~んびり……」
イザートやサーガスは隣の男湯で同じように温泉を満喫しているだろう。
二人にはいつも未熟な自分のために苦労を掛けて申し訳ないと常日頃から思っており、今回も名目はクリスティンの護衛役だが、この休暇だけでも仕事から解き放たれゆっくり疲れを癒して貰いたいと思っていた。
「ハァ~……癒され………ん?」
クリスティンがふと気付くと、傍らには何やら筒のようなものがお湯の中から突き出ていた。
その下はお湯が白く濁っているので、どうなっているのか分からない。
『……なに、これ? 何か空気が流れているようだけど……』
なんとなく筒に指を入れてみた。
しばらくすると筒がプルプル震えだし、やがてお湯の中から水飛沫を上げて勢いよく少女が飛び出した。
あまりのことに呆然とするクリスティン……。
「………君、なにしてるの?」
「………修行」
「「………」」
そのまま見つめ合うこと数分、少女は『……ん』と言いながら親指を立てた拳を見せると、再びお湯の中へと消えていった。
筒を水面に出したまま……。
「…………なに、あの子? 修行? えっ?」
訳が分からなかった。
なんとなく無駄な時間を過ごした気もする。
「よぉ~し、また泳ぐぞぉ~~~!」
「ウルナ、他のお客様に迷惑だから……」
「懲りないですわね、ウルナさんは……」
「こちらにはサウナもありますね。熱いのは苦手ですが、挑戦してみるのも良いかも知れません」
少女がお湯の中へと消えていった後を呆然と見つめていたが、騒がしい少女達の声で再び我に返る。
見たところ三人は同年代で、もう一人は少し年上に見えた。
「友達同士で旅行なのかな? ……ちょっと羨ましい」
クリスティンはボッチである。
同い年の友人はおらず、同年代の知り合いも彼女に対しては貴族としての目を向けるので、信頼はされていても心から親友と呼べる者はいない。
せめて一年早く魔法が使えるようになっていれば、彼女もイストール魔法学院に入学できたのかも知れない。無論使えなくても成績優秀者であれば入学は可能だが、エルウェル子爵家に金銭的余裕はなかった。
それ以前に魔法の才能はないといわれ、騎士家なので当時は魔法に興味はなかった。
伯爵家などで催される晩餐会などにも出席するが、騎士の資格を求める彼女は同年代の貴族令嬢達とは話が合わず、逆に貴族の子息達からは嘲りの目を向けられることの方が多い方だ。
その理由は、昔同じ騎士家の子息に揶揄されたことから勝負に発展し、勝利したのが原因である。
女に負けたことが恥だったようで、それ以降は何かにつけて陰口をたたくようになった。そんな彼女を褒めたのは一度だけ会ったことのあるデルサシス公爵だけである。
その時彼が言った言葉は、『女の身で数人の男子を倒したか、素晴らしい。それほどの実力をつけるには余程の修練を積んだのであろう? 負け犬のように騒ぐ愚物の言葉など捨て置けばよい』だった。
それは遠回しに『修行不足で負けただけだろ。グダグダ言ってないで今以上に鍛練を積め、この馬鹿共がっ!』と言っているようなものだ。
以降、陰口は聞かなくなったのだが、デルサシス公爵に褒められたことで倦厭され、未だにボッチである。
「………友達、ほしいな」
心から信頼できる友人がいないことに、少し寂しさを覚える。
こぼした言葉は彼女の細やかな願いでもあった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カポ~~~ンと、誰かが鳴らした風呂桶の音が響き渡る。
ツヴェイト達は観光がてら仲間達と共に、大衆浴場に来ていた。
無論宿にも浴場はあるのだが、貴族出身の多い友人達は物珍しさから突撃し、のんびりまったり湯船に浸かっていた。
「あぁ~生き返るぅ~~っ」
「団長、めっちゃシゴクんだもんなぁ~っ。俺達はまだ学生だっつーの」
「帰宅前日まで訓練させられたもんなぁ~、まだ筋肉痛が治らねぇよ……。歩く度にあちこちが痛ぇ……」
「騎士団に配属されたら毎日あの訓練だぞ。今の内に体力作りは必須だな」
ツヴェイト達に着いてきたウィースラー派の学院生一同。
彼等は互いに有り金を持ち寄り、少し大きめの部屋を借りて集団で宿泊していた。ツヴェイト達のように無料宿泊券など持ってはいないからだ。
訓練ばかりで小遣いをあまり使わなかった彼等は、全員のお金を集めれば帰りの馬車を借りるのを含め、ギリギリで三泊くらいは可能だった。
また、彼等はツヴェイトと同じソリステア公爵領の貴族であり、遠距離帰宅になる他の者達に比べ距離的にも余裕がある。
要はイーサ・ランテから楽に帰れる者達ばかりであった。
「なぁ~ツヴェイト。この町はワインが名産だったよな? 土産で買っていきたいけど金が足りないんだ。後で返すから貸してくんね?」
「俺だって金がないんだよ。親父は小遣いに関してもかなりシビアだし、必要最小限にしかくれないんだ。欲しいものがあれば自分で稼げというスタンスだな」
「マジか……厳しいな」
「あぁ……だから金のやりくりは大変なんだが、逆にクロイサスはどこから金を調達しているのか分からん」
「たぶんだが、ポーションなんか売って稼いでんじゃねぇの? 学生が作ったやつだから安売りになるが、数を揃えれば良い稼ぎだろ。傭兵が良く買いに来るって聞いたぞ?」
男同士の裸のつき合い。
貴族としての身分を超えた同じ夢と理想を掲げる者達の語らいの場に、温泉浴場は最適であった。
無論、青少年の悩みなども打ち明け相談し合う場でもある。
「ディーオのやつ、お前の妹にぞっこんなんだろ? 脈はあるのか?」
「いや……未だに名前すらまともに覚えて貰っていない。なんとなくは理解しているようだが、俺のオマケ程度の認識だな」
「可愛い顔をしてなんて残酷な……。まぁ、ラブラブになられても俺達はムカつくけどな」
「「「「「同感」」」」」」
「そこは応援してよぉ!? 友達だよね? 友情ってなに!?」
ディーオは生暖かい目で見られていた。
理想を語り合える仲間は確かに素晴らしいが、同時に自分達の目の前でイチャつかれられてもムカつくようだ。何しろ彼等も恋人はいない。
所詮は貴族の次男坊が多く、親同士が決めた婚約者などいない。
場合によっては婿に送り出される立場の者もおり、それ以外は相手は自分で見つけなくてはならないのだ。そんな彼等は素直に他人の恋が成就することを喜ばないし、応援もしない。
相談には乗るが助言程度しか口を挟まないのだ。実に美しい友情である。
「むしろ、ツヴェイトの護衛の……なんて言ったっけ? エロ馬鹿? あいつの方が脈あるんじゃね? この間、荷物を持って一緒に歩いていたのを見かけたぞ?」
「放課後に、訓練場で近接戦闘の訓練につきあっていたぞ?」
「馬鹿なのに面倒見は良いよな。他にもお姉様方に追われていた妹さんを、全力で逃がそうと体を張っていたぞ? 仕事なのか下心があるのか微妙な距離感だ」
「セレスティーナ……なんで大学院の、しかも同性に追われていたんだ?」
「フッ……クロイサスのやつが作った惚れ薬のせいらしい。たまたま廊下を歩いていた彼女が被害者達の目に留まり、そこから『フォオオオオオオオッ!!』状態に突入したとか」
「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
ディーオ、嫉妬に狂う。
彼からしてみればエロムラはまるでセレスティーナの騎士に思え、それが自分でないことに怒りを覚えたようだ。
かなり身勝手な理屈である。
「……決めたよ、ツヴェイト。俺は今から告白してくる」
「どこにだ? セレスティーナは隣で入浴中だぞ。まさか女湯に突入する気じゃないだろうな?」
「……えっ?」
「いや、番台で金を払うときに、たまたま後から来たアイツらを見かけてな、今頃は隣の女湯だ」
「そ、それはつまり……今俺は彼女と同じ湯に浸かっていることに……グハッ!」
「ディーオ!?」
ディーオは鼻血を吹き、盛大な水飛沫を上げ温泉に沈んだ。
浴場は男湯と女湯に別れているが、湯船の下にある水路で繋がっている。同じ風呂にいるというのも間違ってはいない。
何を連想したのか、ディーオは満足そうな笑みを浮かべ、水面に浮かんでいた。
せめて鼻血は何とかしてほしいところだ。
「ディーオのヤツ、純情なのか変態なのか微妙になってきたよな……」
「言うなよ……そろそろヤバいんじゃねぇかと、誰もが思っているんだからよ」
「ムッツリなのは間違いない」
「恋とは人をここまで愚かにするのか……」
「そう思うなら、お前等もディーオを押さえるのを手伝ってくれ。正直俺の手に負えねぇんだが……」
「「「「無理だ、ツヴェイト! 俺達は今のディーオに係わりたくない。他の女子に友達だと思われたら、彼女なんてできねぇから!!」」」」
本当に美しい友情である。
何にしても問題児は一人撃沈した。そうなると気になるのはもう一人の方だが、そのもう一人は女湯を仕切る壁を見つめ真剣な表情を浮かべていた。
当然エロムラのことである。
「お~い、エロムラ。お前、なに壁を凝視してんだよ。いつもの鏡の前でポージングするのはやらないのか?」
「同士、お前は俺を変態だと思っているのか? 毎日ポージングしているような言い方はやめてくれ」
「じゃあ、なにしてんだよ」
「……いや、この壁なんだが……高さが三メートルくらいで通気のために上が空いているだろ? 要は隙間があるわけで……女湯を覗けないかと思ってたんだが?」
「充分に変態だろぉ!!」
アホだった。
「なにを言う! 温泉、女湯、超えてはならない壁! この三つが揃ってんだ、覗かないのは逆に失礼だろ?」
「力説すんなっ! それをやったら犯罪だ!!」
エロムラはやけに男前で真剣な表情で近づくと、ツヴェイトの両肩に手を当て迫る。
「……な、なんだよ」
「……同士、俺は……おっぱいが好きだ」
「だから?」
「チッパイが好きだ、平均パイが好きだ! 巨乳が大好きだ!! これがエルフであればご飯三杯はいけるほどだ!! 釣り鐘型が好きだ、お椀型が好きだ、ツルペタが好きだ、熟女の熟れた乳は代えがたき美すら感じる! 老いて垂れ下がった乳には悲劇に涙が絶えない……過ぎ去ってゆく刻の残酷さに慟哭すら超える絶望を覚える。アレは見るに堪えない悲劇だ……。美しき母性の象徴を、幼き日に感じていた童心を再び!! アァ素晴らしき豊かな乳、俺はそれが見たい!! もう我慢など無理だ!! それほどにおっぱいを求めている!!」
『あっ……これは駄目なやつだ』
ツヴェイトは直感的に確信する。
今、確かに何かが起こり、事態は最悪の方向へと進んだことを――。
何を言っても無駄であると……。
「なぜ男湯と女湯に分ける! 常識とはなんだ! 男女とは自然から生まれた普遍的なもの。裸で生まれ裸で付合い裸に返る。そう、元より男と女とは裸同士で相対するものではなかったのか? 分別という概念が自然の姿を歪め、倫理観という押しつけ概念が男女との間に壁を構築してしまったのではないのか? 俺はその壁を今日破壊する!!」
「いや、お前が超えようとしているのは、犯罪の一線だと思うが?」
「勃て、益荒男達よ! 今こそ全てしがらみから解き放たれ、あまねく銀河に正しき姿を取り戻す雄叫びを上げよ!! 我等は裸のヌーディストだと高らかに声を上げ、今こそ自然に返るべき刻であると知らしめよ!!」
「「「「「「ウオォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」」」」」」」
男達が立ち上がり吠えた。
老人、商人、ゴロツキ、学生、この場にいる男達すべてがエロムラの叫びに同調した。
これは別にエロムラが支持されているわけでも、カリスマ性があるわけでもない。
彼の職業である【ブレイブ・ナイト】のスキル、【鼓舞咆哮】によるものである。
このスキルは仲間などのテンションを大幅に上げ、同時に戦闘力や防御力を1・5倍跳ね上げる。更に同調効果もあるので、エロムラの馬鹿な考えに僅かでも共感を覚えた者達に作用してしまった。
無意識で使ってしまったのだが、状況は既に手遅れだ。
そう、『コイツ、なに言ってやがんだ?』と呆れていたツヴェイトや、一部を除く男達すべてに効果を及ぼしたのだ。
余談だが、少しでもエロムラと共感を持たなかった者に対しては、この効果は作用しない。
「進め、野郎共ぉ!! あの邪魔な壁をぶっ壊せぇ!!」
「女房がなんだぁ!! 俺は若い女の乳が見てぇ!!」
「許せ、婆さん……儂の猛る逸物が、あの忌まわしき壁を壊せと叫ぶんじゃぁ!!」
「うひひひ……女……オンナァアァァァァァァァァァァァァ!!」
「幼女……幼女………」
最低で最悪の事態に発展。
暴走した男達は、女湯との境界を遮る壁に殺到する。
『うん……俺はここから立ち去ろう。同類とは思われたくねぇ……』
ツヴェイトとこの狂乱効果を免れた一部の者達は、この場から即座に撤収することを決めた。
ベストな選択である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
馬鹿の咆哮は、当然ながら女湯に聞こえていた。
いや、聞こえない方がおかしい。
『『『『『『ウオォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』』』』』』
そして、雄叫びが響き渡ることで、何が引き起こされたのか理解した。
「なに、あの叫び声……」
「まさか、女湯を堂々と覗こうとしている!?」
「嘘でしょ!? 男共は何考えてんのよ!!」
「いやぁああああああああああああああああっ!?」
当然ながらパニックになる。
慌てた女性達は入り口に殺到することになるが、困ったことに扉一枚分の広さなので全員が避難することはできない。
混雑することは目に見えて明らかだ。
「早く出てぇ、後がつっかえてるんだから!!」
「無茶を言わないでよ、入り口が狭いのよぉ!!」
当たり前だが渋滞を引き起こした。
混乱した状況下でこそ冷静さが必要なのだが、全ての人間が冷静でいられるわけではない。ましてや女性達はあられもない姿である。
嫁入り前の女性もいるので、身の危険が先にきては冷静でいられるわけもない。
そんな中、一人の男が壁によじ登り、身を乗り出してきた。
「ヘヘヘ……女の裸……」
「「「「「「いやぁああああああああああああああああっ!!」」」」」」
男は理性を失っていた。
野獣の如く性欲という名の欲望に染まり、ただ一つの欲求に突き動かされている。
レベルの低い一般人は、【鼓舞咆哮】の効果が顕著に表れてしまったのだろう。理性というものが完全に吹き飛んでいた。
捕まったらただでは済まない身の危険を全員が感じ取った。
「【ウォーターボール】!!」
「げふぅ!?」
いきなり魔法攻撃を受け、男はそのまま落下した。
『嫌なものが顔面にぃ!!』とか、『一人やられたぞぉ、衛生兵!!』という声が聞こえる。
『ふぅ……人に魔法を使うのは初めてだったけど、上手くいって良かった』
魔法を放ったのはクリスティンであった。
魔導士が訓練などでよく使う低級魔法【ウォーターボール】。
水球を作り相手にぶつけるだけの魔法だが、威力が【ファイアーボール】よりも殺傷力が低いため、遠慮なくこうした暴徒鎮圧に使うことができる。
「皆さん、落ち着いてください! 慌てれば避難が返って遅れることになります。手の空いている方は周囲にあるものを持って、あの人達に投げつけて!」
「それは、時間稼ぎというわけですの?」
聞き返してきたのは自分と同年代の縦ロール髪の少女。
「そうです。幸い天井と仕切りの壁の間は狭いですから、大人でも超えてくることはできません。石けん水でも浴びせれば、覗こうとしている人達の数を減らせることができます」
「なら、わたくしは魔法で牽制しますわね。セレスティーナさん、手伝ってくださいまし」
「良いのかな? でも、これはどう見ても犯罪行為だし……」
「お嬢様、悪党に情けは無用です。堂々と痴漢行為をする男共など、むしろ抹殺した方が世のためというものです。いえ、殺してもかまいません! 殲滅する気で物を投げつけるべきです!!」
「「「「「「おぉおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」」」」」」
「抹殺って……」
中々物騒なことを無表情で言う女性に、クリスティンはドン引きした。そんな強気発言に周囲の女性達も同調する。
風呂桶などを投げつけることは提案したが、あくまで全員が退避するための時間稼ぎのつもりで言ったのだ。殺処分を提唱したわけではない。
だが、目の前の女性からは凄まじい殺気が放たれている。殺る気なのは間違いない。
このままでは大衆浴場が血で赤く染まることになる。
焦るクリスティンを他所に多くの女性達が殺気立ち、風呂桶や石鹸、どこから持ち出したのか掃除用のブラシを手に一致団結してしまった。
「あの……僕はそこまで言ってませんが?」
「変態共に情けは無用。総員、構え!!」
なぜか女性の指揮に全員が応え、訓練すらしたことがないのに一糸乱れぬ動きで風呂桶を投げる体勢に入った。
そして――。
「放て!」
「「「「「「死ねぇ、変態共ぉ――――――――っ!!」」」」」」
一斉に風呂桶がこちらを覗こうと顔を出した男達に向け投げつけられる。
無論、全てが彼等に当たったわけではないが、直撃を免れた者達には魔法攻撃によって迎撃される。
そして壁の向こうへと消えていった。
『クソッ! 向こうも迎撃してきやがった』
『こちらも魔法で防御だ!』
『ち、乳が……尻が………』
『もういい、喋るな! クッ、奴等の血は何色だ!! 俺達はただ女体が見たいだけなのに……』
『てめぇらぁ、止まるんじゃねぇぞぉ――――――っ!!』
どこかの団長のような鼓舞を、エロムラは再び叫んだようだ。
方や覗きを強行する変態軍、方や撤退の時間稼ぎをする女性防衛軍。
山間部の小さな町で、アホな戦争が始まるのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ファーフラン大深緑地帯の上空を高速で飛行する小さな影。
背中の開いたゴスロリ衣装から翼を拡げ、音速を超える速度で空を駆け抜ける。
それはまるで一筋の流星。
かつて邪神として封印され、再びこの世界に復活を遂げた女神、アルフィア・メーガスであった。
「ふむ……随分と地脈の魔力が滞留しておるな。アカシックレコードから情報を得ていたとはいえ、これは酷い。生物が異常進化するわけじゃ、この世界の全ての魔力が宗教国の首都【マハ・ルタート】を中心に集まっておる。これが元に戻るにはしばらく時間が掛かりそうじゃな……」
所謂、現地調査。
世界の三分の一の陸地が砂漠化し、広範囲の海が生態系を破壊され、膨大な魔力が集中している地点のみ生物が異常成長を遂げている。
世界の三分の二が本来の生態系の理から外れ、現在人間達の住む領域のみが以前の魔力の濃度を維持していた。
これは勇者召喚に使われた魔法陣の影響で、次元に穴を開けるために膨大な魔力が吸収されるので、一定の範囲が昔の状態を維持していただけに過ぎない。
その魔法陣から距離が遠くなるほど生態系は異常になってゆき、ファーフラン大深緑地帯近辺に近づくほど魔力濃度が高くなって行く。
この辺りが境界線なのであろう。強力な魔物が多く確認されるようになり、先に進めば進むほど地獄のような光景が広がっていく。
だが、もはや勇者を召喚する魔法陣は存在しない。
『魔力の枯渇した地は簡単には元に戻るまい。龍脈から強制的に流れを変え集められたのじゃ、地下の龍道は既に塞がり、新たに開くには数百年は必要となる。問題は……』
現在人間が生活を営むエリアは、勇者召喚魔法陣の影響で安定していた。
だが、それが無くなれば膨大な魔力が時間を掛けて流入し、この異常な大森林と同じようになってしまうだろう。それも早い時期にだ。
別に人間が滅びても世界にはなんの影響もないが、四神のせいで人類が滅びるのだけは看過できない。
その滅びは自然界の中で行われたわけではないからだ。
因果も歪んでしまっているので、死者がどんな化け物に変質するか分かったものではない。今直ぐにでも森羅万象の摂理を正常な状態に戻さねばならないのだ。
『だが、我にはその力が使えぬ。一つでも封印が解かれるのであれば楽なのじゃが……』
力はあるのに行使できない。
できれば【地】に属する力の封印が解ければこの領域を元に戻せるのだが、異常進化した生態系を戻すには全ての封印が解かれねばならない。
だがこの星の寿命は幾許か延びることには間違いなかった。
『どうしたものか………ん?』
僅かに感知した懐かしい力の波動。
懐かしいと言っても思い出深いものではなく、真逆の忌々しい存在のものであった。
幼き少女の顔に凶悪な笑みが浮かぶ。
「クハハハハハハハハ、馬鹿め!!」
それは歓喜、それは憎悪、彼女はこの時をどれほど待ち望んだか分からない。
この時彼女は音速を超えた。
ソレを発見したのは一瞬だが、彼女の目にはコンマ一秒すら長く、刹那の瞬間すらもどかしい時間に感じられた。
そして、ソレの首に向け右手を伸ばす。
「捕まえたぞ!」
彼女が捕らえたのは、碧の髪をしたボーイッシュな少女だった。
だが、音速を超えたアルフィアは簡単に止まらず巨大な大木を幾本も貫き、岩山を粉砕し大地を抉り、その余剰エネルギーは衝撃波となって大地に巨大なクレータを生み出した。
今だ対流する大気にすらプラズマが荒れ狂い、膨大な熱量が空間を歪めた。
「ククク……久しいな、風の妖精王」
「……だ、だ………れ………」
「我を忘れたか! 世界を管理する役目を疎かにし、我が貴様等から権限を取り戻そうとすれば封印し、異界から関係ない者達を召喚しては世界を滅亡に導こうとしておきながら、この我のことすら忘れていたというのか!」
驚愕で少女の目が大きく見開く。
四神の中で最も速く動くことのできる大気の女神、【ウィンディア】。
その至高の存在が恐怖で顔を歪ませた。
「……嘘……邪神…………な、んで……」
「よもや異界の者に我を滅ぼさせようとはのぅ。じゃが、我は復活したぞ! 貴様等から管理権限を取り戻すためにな」
「……て、転生…者ね………奴等が、お前を……」
「察しが良いのぅ。じゃが手遅れじゃな、我は完全に目覚めたのじゃから。【火】と【地】は馬鹿じゃし、【水】も今となっては雑魚じゃ。貴様等に封印される苦しみを味わってもらおうかのぅ? この惨状の代償を払って貰わねばならぬ」
物質世界の時間の流れは、高次元生命体にとって地獄でしかない。
元より時間という概念から外れた彼女にとって、時間に縛られるのは苦痛以外の何物でもないのだ。
封印されている間どれだけ四神を呪い続けたか分からない。
無論、一時的に時間の流れの中に身を委ねるのは悪くはない。しかしその時間が千年規模ともなると想像を絶するものとなる。
分身を物質世界に送り込むのとは訳が違うのだ。それ故にソード・アンド・ソーサリスの世界を異世界と認識できず、感情任せに行動してしまった。
だがそれも過去のことである。
「そうそう、我を封じた神器。壊れたらしいな? 喜ばしい話じゃ、これで気兼ねなく管理権限を返して貰うことができる。貴様等は何処にも逃がさぬと思え」
「……なんで」
「権限はなくとも我はこの世界の管理者じゃぞ? 過ぎた時間を見ることなど造作もないことよ。さて、長話は終わりじゃ。管理権限を返して貰うとするか」
右手でウィンディアを束縛し、左手で手刀を作り喜悦の笑みを浮かべた。
お世辞にも女神とは思えない邪悪な顔に、ウィンディアは恐怖で必死に抵抗するも、アルフィアにはさほどダメージにもならない。
むしろその抵抗を嘲り、侮蔑し、塵芥として捉えているようであった。
「無駄な抵抗じゃな。我に最初に見つかった不運を呪え」
そう呟くと、手刀をウィンディアの腹部に突き入れた。
同時に自信の力を流入し、管理権限の一部を活性化させる。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「良くもまぁ、これほどコンパクトにしたものよ。我が創造主は能力だけは一流じゃな、これで何故こんな輩からに管理を任せたのか理解に苦しむ」
霊質的な球体の中に膨大な情報を収めた力、それが管理権限の情報マテリアルであった。その中身を解放し自身に取り込んでゆく。
同時に今まで使えなかった力の一部が解放され、いかにして世界を管理するのかはっきりと理解した。それでも四分の一程度だ。
他の能力にもロックが掛けられており、全てを揃えねば完全な管理者として力を行使することはかなわない。事象を操作するほどの力は使えないないようであった。
『まぁ、一つでも解放されれば僥倖じゃな。さて……』
用済みとなったウィンディアを無造作に放り投げる。
もはや彼女は神ではなく、ただの妖精王だ。その力も見る影もなく減衰していた。
「我を封じて好き勝手やっておったのだ。今度は貴様が封印される番じゃ、この世界が終焉を迎えるまで消えておれ」
「……や、やめ………」
「断る。確か、こう言うのじゃったか? 『さぁ、お前の罪を数えろ』。良い言葉じゃのぅ、今の我にベストマッチじゃ。ではさらばじゃ♡」
一瞬で魔法陣が展開し、ウィンディアは大地に飲み込まれていった。
残りは三柱、アルフィアは神としての復活に幸先の良いスタートを切ったのである。
「むぅ、聖域の転移が可能となったが、これでは少々面白くないのぅ。奴等に身の程を教えてやらねば我の気が済まぬし……さて?」
変質した勇者達の魂を利用して摂理を歪め聖域に乗り込もうと考えていたのだが、意外とあっさり事態が好転してしまい不満を感じる。
完全体になったわけではないので、聖域に乗り込んでも現時点で完全に掌握することは不可能なのだ。今突入しても意味が無い。
残り三神がいれば良いのだろうが、自分を見れば真っ先に逃げ出すに決まっている。そうなるとやれることは一つだ。
「うむ、やはり嫌がらせしかないな。問題はその方法じゃが、何か良いものはないじゃろうか……」
アルフィア・メーガス。彼女も中々に良い性格をしていた。
そんな絶対の女神様は『夕飯までに帰らねばのぅ、ルーセリスに心配されてはかなわぬ。なによりあの者の料理は美味い』と呟くと、夕食までには帰ると心に誓い再び大空を飛翔する。
どうでもいいことだが、今夜のおかずはハンバーグらしい。
アルフィアは食に対して意地汚かった……。