おっさん、あの時を夢に見る
アリエネコンガは、現状が非常に危険な状況だと理解した。
体は、四方に浮かぶ魔方陣より伸びる光の鎖に捕らえられ、身動きをする事が出来ない。
自身も空中に浮かんでいるので、攻撃手段は一つしかない。
眼下の騎士達が魔力を高めている事が解り、自分が集中的に攻撃を受ける事になると理解する。
些か状況判断が遅い思考だが、このまま集中攻撃を受けるほど、アリエネコンガは弱い魔物では無い。
魔力を喉元に集め、自身の体液と混ぜる事により、遠距離攻撃を可能とする。
―――カァ~~ッ、ペッ!
飛ばしたのは、タンであった。
「うおっ!?」
「汚ねぇ!? へっ?」
タンをかけられた岩が一瞬にして赤熱化し、溶岩の様にドロドロと融けて行く。
誰もが言葉を失う。
この攻撃を受けては、いくら魔法で強化されていたとしても、無事では済むとは思えない。
しかも敵は頭上である。
アリエネコンガは、そんな騎士達の事情など知る筈も無く、連続してタンを吐き出して来た。
「弓を用意しろ!!」
「クソッ! 何て、汚い攻撃だっ!!」
タンに見えるが、実際は溶解性の合成物質だ。喉元に溜めた毒液を魔力で変質させ、強酸性の液体に変化させたのだ。
粘着力もあり、一度体にかかろうものなら、金属だろうが溶解させてしまう。
騎士達が遠距離攻撃に切り替えるのを見計らい、拘束している光の鎖を引き千切ろうとする。
「放てぇ―――――――っ!!」
戦士系の間接攻撃技は武器の間合いに依存し、剣でも攻撃距離は剣の長さの五倍。
それはアリエネコンガの攻撃範囲内なので使用不可能、槍なども同様であり、そうなると弓で攻撃しなければならないが、弓の威力では致命傷は与えられない。
レベル百では、いくら強化しようとも倍のレベルの相手に決定打にはならないのだ。
ましてや武器は弓であり、貫通力は高くとも打撃力は低かった。
「隊長、効果がありません」
「奴の皮膚が固すぎるか……。このまま魔力が切れるのを待つか?」
「タンが飛んで来て、近付きたくありませんぜ」
「融けたくないですよ」
騎士達に有効な攻撃手段は無い。
あるとすれば、魔法による攻撃なのだが……
「野郎、何て硬いんだ! 魔法すら弾き返しやがる」
「私達のレベルが低すぎるんです。あと少し時間があれば、有効なダメージを与えられたのですが…」
まだ、レベルが届いてなかった。
技量と経験不足が災いし、決定打にはならない。
この二日で騎士達のレベルは百を超えた。
しかし、アリエネコンガは上位種のLv15、下位種であるクレイジーエイプのLv200よりも強い。
そもそも、どれくらいのレベルで進化するのかが分からない以上、検証するにも時間と情報が不足している。
なによりも、【鑑定】のスキルが不親切だった。
人のステータスは、見ようと思えばプライバシーまではっきり見れるのに対し、魔物に関してはレベルとと僅かな情報だけである。
これはゲームの時と異なり、どう考えても手抜きにしか思えない。
判断基準の材料にならないのである。
「闇の縛鎖にしておくべきでしたか? レベルが上がっていたので、油断してましたよ」
「ホントかよ? 何か、別の思惑が在るんじゃねぇか?」
「考えすぎです。仕方が無い……」
騎士達のレベルが百を超えた時点で、クレイジーエイプとは戦えていた。
それ故に、例え上位種が相手でも、決して後れを取る事は無いと思っていたのは事実である。
(レベル百の集団で、レベル二百と互角……少なくとも、この森の奥に生息する魔物よりは強くない。
あの領域の魔物は、どれだけ進化したのでしょうかねぇ~?
それよりも、騎士団から派遣された護衛騎士達が死ぬのは不味い。僕の所為にされませんかね?
まぁ、騎士団に目を付けられる可能性も高いですし、一人くらいは死んでも……いやいや、それはいかんでしょ!
彼らにも家族はいるでしょうし、恨みをかうのも得策とは言えない。この世は信用第一 )
一人悩むおっさんが、そこにいた。
ファーフランの大深緑地帯は、森の奥に行くほどに魔力の濃度は濃い。
その魔力が魔物との力の差を生み出す要因なのだが、同じ大深緑地帯とは言えど、端っこと深奥部では同じレベルでも力の差が極端に違う。
ただのゴブリンでも、いま戦っているクイーン・アリエネコンガより強かった。
(ふむ、魔力が力の上限を決めるなら、あの森には魔力の濃度を変える何かが在るのでしょう。
興味はありますが、この歳で冒険はねぇ~……あぁ~、日本酒が飲みたいなぁ~)
おっさんは、ロマンよりも酒が恋しかった。
(ホッケでつまみに、一杯……秘蔵の大吟醸【神楽坂】…、おのれ女神共。この恨み晴らさずにおくべきか!!)
楽しみを奪われたおっさんは、四神を恨んでいた。
ワリと、どうでも良い事で……。
「そろそろ、終わりにしましょう。『雷帝の槍』」
ゼロスが掌に生み出した雷の槍。
それをアリエネコンガに向かって投擲する。
―――ギョアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
森に、アリエネコンガの絶叫が響く。
(あぁ……僕は動物虐待をしています。世界が違えば犯罪扱いですね、どこかの団体に訴えられそうですよ。
大抵の団体は企業の好感度を上げるためのヤラセですし、どこぞの捕鯨反対派も、そんなに捕鯨がされたくなかったのなら、自分達の歴史を学べと言いたい。第一、日本の捕鯨は骨以外はすべて食べたり、一部は道具に利用していたのに対して、海外では油を取るだけでしたからね。なんて、勿体無い事をしてたんですかね?
これはクジラに対しての冒涜であり、今さら保護活動したって遅いんですよ! 第一、彼らよりも捕獲はしてはいない。
自分たちの先祖が行った行為が鯨を激減させたくせに、他国の文化に口を出すのは下衆の極み! そっちを反省しろ!!」
結局、奴らは文化に対しての認識が低いんですよね。誰かが悪いと言えば直ぐに流され、それをさも自分の考えのように誇張する。無責任を棚上げにしているとしか思えない。
自分達の歴史を恥じ入っての保護活動なら譲歩の余地はありますが、所詮は他人に扇動されている事の気付いていないし、一つの事に目を向けさせて、実は多くの動物を絶滅の危機に曝している事に気づいていているのですかね? ゴリラも人間の起こした戦争の被害者です。彼らはまだ生きているのですから、何としても保護を……)
ゼロスはゴリラに対して、何か思い入れでもあるのだろうか?
そして、反捕鯨団体に恨みでもあるのだろうか?
しかも知識が偏っていた。
確かに、どこかの国でゴリラは絶滅危惧種である。
そのゴリラを手にかけようとしているゼロスは、自身が凄く罪な人間に思えていた。
気分は密猟者である。
―――パキィイイイイイイイイイイイイン!!
アリエネコンガの叫びとは異なる、甲高い金属音が響く。
封縛していた光の縛鎖が砕け散ったのだ。
「なっ?! バインド・ブレイク!!」
捕縛や封縛といった魔法を打ち消す戦闘系のスキル、【バインド・ブレイク】。
ゼロスの魔法は手加減しても通常の魔物には抵抗する事は出来ないが、クイーン・アリエネコンガはその呪縛を打ち砕いた。
「考えられるのは、【底力】か【凶暴化】……どちらでしょうね?」
「何をのんきに言ってんだよ!! ヤバいぞ、アレっ!!」
クイーン・アリエネコンガの体毛が逆立ち、赤色に変化して行く。
体も一回り大きくなり、筋肉が異常なまでに脈動していた。
「凶暴化の方でしたか……ひと思いに殺しておけば良かった。手加減するんじゃ無かったですかねぇ~?」
『『『『『 手加減したのかよ!! 』』』』』
おっさんは、ローランドゴリラが好きだった。
若い時に社員旅行で海外に行ったとき、そこの動物園で買ったゴリラのぬいぐるみを大切にしていた。
しかも、【ウッホ君】と名付けるほどに……。
「さよなら、ウッホ君……『シャドウ・ジャベリン』」
影から無数に出現した漆黒の槍が、アリエネコンガを刺し貫く。
おっさんは、アリエネコンガに【ウッホ君】を重ねていた。
そして、永遠の別れを告げたのだ。
この世界のゴリラは、可愛く無かったから……。
だが、バーサークしたアリエネコンガは止まらない。
近くに生えていた大木を力任せに引き抜き、ゼロス達に向かって振り回す。
「余計に凶暴化してるぞ!!」
「手に負えん!! 何とかしてくれ!!」
まだ生き残っていたクレイジーエイプを巻き込み、凶暴化したアリエネコンガは暴れまわった。
木々を薙ぎ倒し、岩を粉砕してもなお戦い続ける。
凶暴化は怒りが最頂点に達すると発動するが、同時に自身の命を無防備に危険に晒す。
怒りに捉われ、周囲に目が届かなくなり、自分の命すら捨て去るのだ。
ただ敵を粉砕し、死ぬまで暴れる事でその効果が消えるのである。
「不憫なコ○ボイ君……。今、楽にしてあげよう…『雷神轟雷球』」
おっさんは、動物に変形した機械生命体も好きだった。
せめてもの慈悲と、掌サイズの雷球を生み出し、アリエネコンガに撃ち込む。
見た目は【ライトニング・ボール】だが、籠められた魔力と威力は桁が違う。
体内に撃ち込まれた雷球は、その魔力と破壊力を開放し、内側からアリエネコンガを焼き尽くす。
更に余剰放電が周囲を蹂躙し、岩や木々を粉砕していった。
それ以前に雌だ。
体内から焼き尽されたアリエネコンガは崩れ落ち、一陣の風が吹き抜ける。
ゼロスは腰のポーチから紙煙草を取り出すと、一本を口にくわえ【トーチ】の魔法で火を燈す。
何の感情も見せず、ただ白煙を静かに吐いた。
「フゥ~……空しい。この空虚な気分は、何なんだろうか……」
彼の脳裏に浮かぶのは、前の世界に置いてきた【ウッホ君】とコ○ボイ君だった。
ゼロスは今、大切な何かを捨てたのであった。
そんな彼に、冷たい視線を送る騎士と教え子の姿があったが、今の彼にはどうでも良かった。
煙草の煙がアリエネコンガを弔う線香のように、ゆっくりと風に流されて行く……。
残敵を掃討しつつ、今日という日は終わりを告げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ゼロスは夢を見ていた。
それは、初めてこの世界に来た時から、三日目の夜の出来事である。
その日は朝から魔物の集団に襲われ続けた。
獲物を倒しても、空から飛行タイプの魔物に奪われ、それでも他の獲物を狩れば、今度は血の臭いに誘われて肉食の魔物が集団で現れる。
解体する前にその魔物を倒すと、今度は別の大型の肉食魔獣が襲って来た。
終わりなき悪循環の中、ゼロスは心身ともに疲れ果てる事になる。
気づけば森は闇に閉ざされ、朝から何も食べていないがために、空腹感が酷い。
食料の肉は横から奪われる。
実に散々な一日だった。
二日目で川の周辺で休んでいたところ、集団のリザードマンにで槍で襲われたので、今度は岩場の影で一夜を過ごす事にする。
冬でない事がだけが救いであった。
もう、声を出す気力は失せている。
疲れのためか、彼は直ぐに眠りに着いた。のだが……その時に奴が現れたのである。
かすかに体をゆする気配に、彼は目を覚ました。
まだ眠い眼を細めながら、今の状況を確認する。
そして、彼は自分の置かれた状況を理解する。
わずかに引き下げられたズボンから見える、自分の尻。
つまり、半ケツ状態だったのだ。
しかも、そのズボンを下げようとしているのは、白い体毛の長い腕と、だらしのない表情を浮かべる赤い顔の猿面。
クレイジーエイプとおっさんの目と目が合う。
「「・・・・・・・・・・・・」」
……沈黙が流れる。
そして確認した。できてしまった。
天をも貫かんばかりの猛々しく、どこまでも高く屹立つ、モザイクが必要なほど凶暴で凶悪なスカイツリーを……。
「フヒッ♡」
「ノォ――――――――――――――――――――――――――オッ!?」
ファーフランの大深緑地帯に響く、おっさんの悲鳴。
言葉すら出せないくらい疲弊していた筈なのに、その声はどこまでも果てしなく響きわたる。
その日から、彼は悪鬼羅刹に魂を売り渡した。
悪魔でないのは、おそらく魂を売れば死は確実だからだろう。
襲い来る魔物は全て殲滅し、警戒して周りをうろつく魔物は無差別に襲い掛かり、逃げ惑う魔物には嬉々として殺戮に向かう。
彼は、自身の貞操を守るために鬼となったのだ。
所詮この世は弱肉強食、敗者には何も語る権利は無い。
無論、貞操の行く末を決める権利も……。
◇ ◇ ◇ ◇
目を覚ますと、実に静かな……
―――キィン! カンカン!
「くそ、どこから入り込みやがった!!」
「知らん!! 良いから叩き斬れ、数が多いぞ!!」
「いやぁああああああああああっ!?」
「ネスが捕まった!? 隊長!!」
「クッ、ツヴェイト様、セレスティーナ様、援護を……」
「「『ファイアーボール』!!」
―――ドゴォオオオオオオオオオオオオン!!
……実に、賑やかな騒ぎの真っ最中だった。
ゼロスが目を擦りながらテントを出ると、目の前を騎士の一人が吹き飛んで行く。
「・・・・・・・・・・・」
一歩タイミングを間違えば、ゼロスはニアミスを起こしていた事だろう。
危ない所であった。
ファーフランの大深緑地帯、実戦訓練最終日の朝は、盛大に植物系の魔物に襲われていた。
女性騎士の一人が捉えられ、それを助けようと数人の騎士が挑むも上手く行かず、どこから現れたかは知らないが多くの魔物に囲まれていた。
クイーン・アリエネコンガとの戦いが終わっても、彼等のおかれた状況に変わりは無かった。
ただ魔物を倒し続け、その肉を喰らう日々が残っただけである。
それは最終日とて変わりは無い。
「この魔物は、どこから……?」
拠点である陣地は、周囲を魔法で作った壁で囲まれており、魔物が入り込める箇所は無い。
だが、相手が魔物であると、地中からという事しか考えられない。
現にクレイジーエイプが侵入し、食料を根こそぎ奪い去っていた。
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【マンイーター・ビーストコピー】x6 Lv125~176
HP 248~303/248~303
MP 615~1045/615~1045
=========================
鑑定能力は一纏めに、適当に出る。
(ビーストコピー? 魔物の花ですかね? それとも……魔物を複製するのか?)
良く見ると、魔物の体の一部から緑色の蔦が生えていた。
それはマンイーターに繋がっている様で、答えは後者であると判断する。
(確か、ホムンクルスの触媒の一つが、この魔物から獲れるはず……)
オンラインゲーム時のデータを参照に、この魔物を冷静に分析する。
このマンイーターは植物の癖に炎に強く、氷結魔法に弱い。
同時に、生み出した魔物の複製も同じ特性で、比較的楽な相手であった。
騎士団や教え子たちには面倒なようだが、この一週間によるレベルアップより何とか善戦している様で、魔法だけでは無く武器でも充分に相手をしていた。
女性騎士が、牙の生えそろった花に連れて行かれる。
「いやぁあああああああっ!? 食べられちゃうぅ―――――――――っ!!」
「『霧氷散華』」
範囲型攻撃魔法、【霧氷散華】。
氷結魔法【ダイヤモンドダスト】の魔改造魔法で、敵を凍らせ霧散させる魔法である。
マンイーターの本体が氷結して行き、やがて見事な彫刻が出来上がる。
騎士が剣を振るうと、少しの衝撃で無残に砕け散った。
女性騎士は半泣き状態である。
「ゼロス殿!? 助かりました」
「朝から襲撃ですかぁ~……ウンザリしますよね。ホント……」
髪を掻きむしりながら、呆れた口調で呟く。
「ここのところ、毎日でしたからね。今日が最後だと思いたいですよ。まったく……」
「マンイーターですか、少し気になる素材がありますので、解体しますよ?」
「魔石は戴いても?」
「かまいません。欲しい物は、別の物ですから」
ゼロスは砕けたマンイーターを見分し、ひときわ大きい個体をナイフで砕きながら目的の物を探す。
=========================
【変魔種】(無情報)
マンイーター・ビーストコピーの複製種。
他の生物の遺伝子情報を複製し、同じ個体を量産する。
魔物本体が倒されると種に変わり、そこから新たなマンイーターが芽を出す。
ホムンクルスの体を構築させるのに必要な素材。
回復薬系統にも応用として使えるが、効果が上がるほどに味が最悪になる。
=========================
「作った事は無いけど、興味はあるかなぁ~……どんなの作ろうか?」
命の創造は禁忌として扱われている事を知らないゼロスは、畑を耕す人手を確保するために人造生命体を作る事を考え始めた。
しかし、それにはまだ素材や設備が足りなく計画段階に止めて置く事にする。
「先生、何なのですか? その種は……」
「ポーションの素材ですよ。他にも使えますが、あまりお勧めはしません」
「なぜですか? 回復薬なら、需要が高いのではないでしょうか?」
「味が凄く悪くなるんです。これ以上の不味い物が無いほどにね」
とてつもなく苦い回復薬に需要があるとは思えない。
飲んだら全力で走り出し、腹筋を千回繰り返した後に、壁に頭部を幾度となく打ち据え、変な奇声を上げて踊り狂うほどに不味いのだ。
絶対に売れない事は間違いないだろう。
「効果は高いのですけどねぇ~……」
「そんな物、何に使うんだよ」
「酒場で喧嘩をした時に、罰として飲んで貰おうかと……」
「師匠……悪魔か、アンタ…」
恐ろしい罰ゲームだ。
罰を受けた人は、別の意味でハッピーになる事だろう。
最終日は朝から散々な状態であった。
◇ ◇ ◇
昼に差し掛かる頃、ゼロスは煙草をふかしながら目の前の状況を見ていた。
広がるのは魔物の毛皮と骨や牙、食べられる肉は保存して、食用に向かない肉はツヴェイトが魔法で焼き払う。
先ほどセレスティーナも、この焼却作業をしていたが、現在は魔力回復のために体を休めていた。
マンイーターの戦闘から五回ほど魔物の襲撃があり、全てを倒した騎士達の表情も流石に疲弊の色が浮かんでいる。
現在、拠点の周囲には壁が無く、彼等は迎えの馬車が来るのを待っている状態であった。
「馬車が来たぞぉ~~っ!!」
「こ、これで帰れるわ!」
「あれ? なんで……涙が…」
「長い戦いだった。もう、何も怖くは無い……」
騎士達は、地獄の日々が終わりを告げた事に喜びを隠せない。
「この辺の魔物……、奥に生息する奴らよりも弱いのですが?」
『『『『マジでっ?!』』』』
ここは、大深緑地帯の一番外れである。
生息する魔物は多少は強いが、国の至る所に出没する魔物の1.5倍ていどだ。
恐怖を捨て去るには些か早いだろう。
「確か、森の奥で一週間もサバイバルだった話だよな?」
「あぁ……だから、俺達の不幸が嬉しかったんだろうな」
「一週間もの間、命懸けの戦いをしていた頃に戻ったゼロス殿…。あの心理状態はヤバイ」
「長いから【あの頃のゼロス】殿で良いんじゃね? まぁ、確かにヤバい」
「本気で俺達の不幸を喜んでたよな。今となっては、その気持ちも痛いほどに分かるが……」
彼らはゼロスに同情の視線を送っている。
なぜなら、騎士達もまた同じ体験をしたからである。
特に、クレイジーエイプが……。
「荷物は纏めてあるか? ならば各員、積み込みを始めろ! この地獄からおさらばするぞ!!」
『『『『『オオオオオオオオオオオオッ!!』』』』』
彼等は、この危険地帯から逃れられる事が、心の底から嬉しかった。
馬と馬車を運んできた騎士達は、彼らの姿を見て驚愕した。
「「「「何で、ボロボロなんだよ!?」」」」」
騎士達の鎧は、この地に来た時よりも破損し、彼らの顔つきは一相に凄みを増していた。
明らかに歴戦の戦士のような風貌だったのである。
ぬるま湯の安全地帯にいた彼らには、知る由も無い。
過酷な戦いの日々の苦労は、ここにいる仲間達しか分からないのだ。
馬と馬車の番をしていた彼らは知らない。
ここにいる誰もが死線を潜り抜け、生き延びた事に……。
そんな迎えの騎士達を他所に、彼等は嬉々として荷物を積み込んでいった。
直ぐにでも、この土地から離れたかったのである。
彼等の心が一つになり、積み込み作業が恐ろしく早く進む。
三十分後……彼らは、この穢れた土地から逃げ出すように撤退するのであった。
◇ ◇ ◇
馬車に揺られながらも、騎士達の心は軽い。
何しろ、終わりなき戦いのロンドに別れを告げ、今はゆっくりと安眠できる安全な土地へと向かっていたからだ。
森が遠ざかるにつれ、彼らの表情は心の底から喜びに包まれていた。
サントールの街は、約二日ほど馬車で移動する事になる。
その間の時間、彼らが何をしていたかと言うと……寝ていた。
昼夜問わず魔物が襲い掛かって来るので、彼らの精神は相当に疲弊していたのだろう。
常に命に係る緊張感に曝されていたために、ゆっくり休息をとる時間が無かったのである。
あまりにも不憫な状況だが、自然界の環境は人間がどうにかできる物では無い。
人の摂理など自然界の中の一部に過ぎず、少しでもその場から離れると過酷な自然との戦いになり、負ければ屍を晒すだけである。
死すれば弱者の腹に収まり、勝てば弱者を喰らい続ける。
純粋なまでに、冷酷で非情な世界がそこに在るだけであった。
騎士達はそこから生還を果たし、今は安心感に身を委ねて疲れを癒しているのだ。
馬車はゆっくりと進みつつ、サントールの街から手前の休憩地点へと差し掛かっていた。
ゼロス達が一度、立ち寄った事のある川辺である。
しかし、そこで彼等が見たものは……
「な、なんだよ、コレ……」
「壊れた馬車と、商人達の死体……盗賊か?」
休憩地点とされている川原の傍には、おびたたしい血の跡と無数の死体だった。
商人と、その護衛の傭兵達であろう。
「そう言えば、一月ほど前にも盗賊に襲われましたねぇ? この辺りには多いんでしょうか」
「いや、そんな筈は無い。どこかの賊が流れて来たか……、疲れていると言うのに…」
アーレフが忌々しげに呟いた。
ファーフランの大深緑地帯周辺の森には、森から出てきた魔物達の姿も良く確認される。
この辺りは、森に慣れた盗賊達でも危険な場所でもあるのだ。
「隊長、死体がまだ温かい。少し前に襲われたようですぜ?」
「なに? となると……近くにいるな」
盗賊が潜伏するとなると、水辺が近くにある方が良い。
奪った荷物を隠すための拠点があるに違いないが、おそらくは岩場になる事が予想される。
「この辺りに洞窟なんてあったか? 私は聞いてないが……」
「俺がガキの頃に、マシラ盗賊団ていう賊の拠点があったと聞いてますぜ? この辺りだったと思うんですが……」
「ふむ……。おそらく、その盗賊団のアジトを再利用しているのだろう」
彼らは、よほど猿に縁が在るようである。
「ツヴェイト君、セレスティーナさん……使い魔の用意を」
「おっ? 俺達の出番か?」
「空から盗賊のアジトを調べるのですね?」
直ぐに、三羽の使い魔が空を舞う。
上流と下流に別れ、空からの捜索が始まった。
そして、盗賊達を意外にあっさりと見つけ出す。
「いた。上流に歩いて……だいたい、三十分くらいか?」
「女性と子供が人質になっていますね」
「今夜はお楽しみですか。その夢をぶっ壊したくなりますねぇ~、糞虫が!」
ゼロスは大変ご立腹だった。
肉ばかりの生活に、彼……もとい、彼らは嫌気が差していた。
皆、怒りに身を震わせ、殺意を隠さず放出している。
今にも怨嗟の声が聞こえてきそうだ。
大深緑地帯から帰還した彼らは、悪鬼羅刹に変貌を遂げていた。
「盗賊共め、余計な仕事を増やしてくれる……ククク…」
「畜生共め、息の根を止めてやんよぉ~!」
「今宵のミスリルソードは、血に飢えてやがる……へへへ…」
「それ、ただの鉄の剣でしょ? にしても……」
「見栄を張らないでよ、恥ずかしいわよ? それより、Gみたいな連中ね。さっさと始末しないと……」
思いは一つであった。
安息の時間を奪われた怒りの矛先は盗賊達に向けられ、彼らは再び悪鬼羅刹へと変わる。
飢えた獣のような眼が、異様なまでに輝いていた。
「こいつら、一週間前と別人じゃねぇか……」
「戦いは、人を狂わせるのですね。なんて、罪深い……」
闘い争うというのは、業を背負うという事である。
今の彼らは騎士という職業を捨て去り、ただ戦い続ける戦士に変わっていた。
「総員、戦闘準備!! 盗賊共をブッ殺すぞ!!」
『『『『『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼‼‼‼‼』』』』』
川原に響く鬨の声。
彼らは戦いに挑む。
自分達の安息を守るためだけに……。
騎士の矜持はどこへ行ったのか、それは誰にも分らない。
唯一判明している事は、盗賊達は知らない内に、凶暴な獣の群れを敵に廻してしまった事であろう。
勢いづいた彼らは、盗賊達のアジトのある方角へ向けて侵攻を開始した。
「・・・・・・この惨状、俺達が片付けるのか?」
「・・・・そうなるな。それより、どうしちまったんだ? あいつら……」
「知らん……知りたくも無い」
残されたのは、送り迎えを担当した騎士達だけである。
彼ら数名は、嘆きながらも川原の惨状を片付けるのであった。
それも、この場を発見した騎士の仕事なのだから。