表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
168/286

その頃のクロイサス君。



 街道を北西に向け高速で走る白い車体。

 地球では所謂【軽ワゴン】と呼ばれる、およそファンタジー世界に不釣り合いな存在が商人達のキャラバンを避けつつ、大いに目立ちながらも走り抜けた。

 それに乗るのはゼロスとアドの凸凹コンビ。


「……意外に乗り心地が良いねぇ、この軽ワゴン」

「エアコンはついてないし、速度メーターや方向指示器、テールランプもない。必要なものしか搭載してない半端モンだけどな」

「いやいや、この世界では充分すぎるでしょ。なんでこれをイサラス王国で販売しなかったんだい?」

「兵器に改良される気がしたんだよ。イサラス王国の戦争推進派は、何かにつけて武器になりそうなモンを要求してきてさぁ~。例えば敵を一網打尽に殲滅できる魔法式の爆弾とか……」

「魔導士一人に無茶な注文を……。まぁ、アド君ならできるだろうけど、そんな連中に車の技術は拙いねぇ。馬車よりも速く部隊を即座に展開できる機動力はこの世界で脅威になるから、少数部隊でもさぞ戦術の幅が広がるだろうなぁ~」


 車という存在は、軍事的な面でかなり重宝される。

 兵力や物資の搬送、作戦地域への迅速な部隊展開。剣と魔法の世界においても、兵力を相手より先に運べるだけで大きなアドバンテージになる。

 それこそ騎馬隊など機動力を生かした先陣の部隊に対し、待ち伏せや即時撤退なども行えるだろう。

 量産型の魔導式モートルキャリッジは動力をソリステア魔法王国で製造するので、イサラス王国ができることは金属フレームなどの部品を工場で量産するだけだった。

外装は馬車と同じく木製なので、動力部の設計技術が盗まれなければ改良することもできない。

 完成品を分解されて技術が奪われることも考慮し、特殊な工具を用いて手順通りに解体ければ、内蔵された魔封石が魔法式を自壊するよう細工も施してある。

 アドから聞いた情報を元に、血の気の多い連中を黙らせる小細工をする必要があったからだが、これは逆にソリステア魔法王国が軍事拡大する恐れもある。

 だが、一般人のゼロスにとってそれは関係ないことで、『面倒事は偉い人が決めればいいや』と開き直り、事実デルサシス公爵に丸投げした。

 

「例えば歩兵に騎馬隊が強襲するとして、偵察部隊が敵より早く情報を持ち帰り、槍兵を展開させて出鼻を挫けるねぇ」

「まぁ、その話だと、部隊を一気に動かして敵の目を攪乱させることもできるな。逆に潰そうと思った部隊が既にその場から移動しているなんて戦法もとれるわけだ」


 この異世界において騎馬隊は花形職であり、機動力を利用したランスチャージは戦場で武功を挙げやすい。騎士を目指す者なら誰もが憧れ騎馬隊に志願するほどだ。

 特に名誉を重んじる貴族出身者などが、こうした目立つ部隊に多かった。

 足の遅い重装騎士は基本打撃部隊になるのだが、いかんせん部隊展開も遅く、何よりも基本装備がランスやメイスなどの鈍器であり、乱戦になれば消耗が激しい。

 大まかに戦術を語るのであれば、傭兵などを含めた軽装盾備の部隊が足止めし、左右から騎馬隊で敵陣を左右から挟撃。

 混戦したところを重装騎士で蹴散らすのが基本戦術である。

 まぁ、それ以外にも兵力数や部隊配置もあるので、戦略的な用兵術は著しく複雑化するのだが……。

 大舞台にもなれば綿密な連絡手段の構築が重要になり、戦場の動きに神経をとがらせ、状況に応じて各部隊に早めに命令を伝え、絶えず戦場を変化させることで自軍に有利な状況へ導く。

 兵力の数と装備・将の質と戦略がものを言う世界だ。ゼロス達の存在はこのセオリーを破壊し、効率的に敵を蹴散らす機械化部隊を生み出してしてしまいかねない。


「けどさぁ~、メーティス聖法神国には火縄銃があるんだよ? 砦などに籠城されたら面倒になると思うけどねぇ。平原だと不利だろうし、少数の機動部隊なんて長続きしないだろうさ。あっ、輸送車で突撃かませば良いか!」

「ちょ、ゼロスさん? 今、火縄銃があると言ったか? まさか……」

「勇者の誰かが作ったみたいだねぇ。火薬の材料はどこで手に入れたのやら」

「作ったんじゃね?」

「アド君も知っているだろ? 硝石って作るのに時間が掛かるんだよ。しかも戦争に使うとなるとそれなりの量も必要だし、地球とでは製造方法が異なる」


 硝石は作れる。

 錬金術でポーションを作る際、煮込み出涸らしとなった薬草に、モンスターの血液を混ぜて発酵させる。他にも方法はあるが一番楽な製造方法だ。

 しかしこれだと製造できる量が限られ、とても軍で使う量は確保できない。しかも錬金術師にしかポーションが作れないため、メーティス聖法神国では先ず行われることはない。

 何しろ錬金術師は魔導士だ。四神教を信奉する彼等はポーションすら否定するわけで、一番簡単な方法すら使えない。

 

『そうなると、何か別の方法でも発見したのか? まぁ、僕は錬金術を利用した製造方法しか知らないから、他の手段なんて思いつかんけどね』


 地球とでは科学的な法則性が異なるわけで、硝石一つ作るだけでもかなりの研究が必要となる。異世界から召喚した者達の知識などあまり当てにはならないのだ。


「まぁ、火薬を作ってもあまり威力はないからな。魔法をぶっ放したほうが余程効果的だし」

「弾丸を魔法で撃ち出した方が安上がりだからねぇ~。僕もそれをやったし」

「アンタも銃を作りやがったのかぁ!?」

「いや、【ガン・ブレード】。アンチマテリアルライフル並みにでかいヤツだけどね。近接戦闘には不向きかなぁ~、取り回しが困難で銃身のバランスが最悪になった。ついで凄く重い」

「……つかえない」


 以前作った【ガン・ブレード】は趣味心の赴くままに製作したのだが、無駄に稀少金属が使い頑丈にはできた。しかし武器としては総重量が致命的な欠陥品だった。

 ゼロスのような非常識な存在しか扱えなく、使い勝手も悪い上に使う場面もそうそうないので、今も物置で寂しく埃を被っていた。

 要は物騒なインテリア程度の価値しかなかったのだ。


「そんで、一から別なヤツを作った。44オートマグとデザートイーグル、アド君はどっちが良いかね?」

「他にも作ってんじゃねぇか! この国を銃社会にする気かぁ!?」

「原点に戻っただけさ。銃は男のロマンだよ。戦艦と戦車、あとレシプロ戦闘機と巨大ロボもね……で? アド君はどっちが良いかね」

「コルト357マグナムは?」


 アドも銃のロマンには勝てなかった。


「チッ、よりにもよってそれを言うか……。パイソンは僕が使おうかと思っていたのに」

「あったのかよ……」

「……あるよ。仕方がない、僕はZB26でも使うかな。いや、アレが良いかも……」

「チェコの軽機関銃じゃねぇか!? アンタ、死の商人でもなる気かぁ!?」


 どちらかと言えばテロリストだ。

 幸いといって良いかはわからないが、所詮は趣味で製作しているので、販売を目的としたものではない。こんな物を売りさばけば、軍事面でかなり混乱が起きるであろう事が予想される。

 下手に量産でもされれば戦争で多くの命を散らすことにだろう。銃弾が飛び交い爆風が吹きすさぶ炎の時代になりかねない。


「夜なべしてせっせと作ったのに、君は文句しか言わないねぇ」

「夜なべして作る物が物騒すぎるだろうがっ! 大人しく手袋でも編んでろ!」

「残念だけど編み物は苦手でね、スターエンジンなら作れたけど……」

「ゼロ戦でも作る気かよ……」


 趣味だけならば良いのだが、このおっさんはときおり暴走することがある。

 アドも【ソード・アンド・ソーサリス】で散々ゼロスの暴走に巻き込まれ、酷い目に遭った経験を思い出していた。

 このおっさんはあくまでも『他の殲滅者よりはマシ』なわけで、結局のところは他の連中と同類なのだ。目を離すと技術革命を気付かずやりかねない。

 現に殲滅者の弟子が、どこぞの平原でケモミミハーレムを作っていたりする。


『このおっさんから目を離しては駄目だ。気まぐれでとんでもない兵器を作りかねん……』


 中世の文化レベルの世界に現代兵器が加われば、文明レベルは一気に跳ね上がることになる。しかし絶対に戦争になる確率が高い。

 特に名誉欲や権力欲が顕著に表れる世界だ。そこに効率よく敵を倒せる兵器を造り出す技術が加われば、今は大人しくしている王侯貴族の野心に火をつけることになるだろう。

 クーデターに使われでもしたら目も当てられない。


「アド君、軍は何かと金が掛るんだよ。防衛費だって馬鹿にならないし、装備を全て一新するとなると国民に負担が掛る。開発費を考えてもとても民衆の税金だけでどうにかなるとは思えないね。余程の独裁政権でない限り、君が思っていることにはならないと思うねぇ。何よりもデルサシス公爵がそれを許すとでも?」

「わかんねぇぞぉ~? あの人も貴族だし、野心がないとも思えない」

「あの人の性格だと使える物は使うけど、かなり慎重に事を運ぶだろうねぇ。間違いなく法の改正をした後に、武器の類いは民間には出回らないよう厳重に管理するさ」

「……なんでそこまで分かるんだよ」

「新しい物を手にして喜ぶけど、同時に危険性を考えられる人だからだよ。産業の発展のために武器を各地で作らせるより、国直轄の工場を作って厳重に管理するだろう。勿論技術者の監視もコミで……」

「敵に回したくねぇな。何でそんな人が王様じゃないんだ?」


 デルサシスが国王なら、ソリステア魔法王国もかなり繁栄することだろう。

 しかしながら残念なことに彼は公爵の地位で満足している。裏で何をしているかは分からないが、少なくとも国を陰で支える役目を好んでやっているとゼロスは睨んでいた。

 でなければ非常識なまでの情報網を一代で作れるわけもなく、ついでに多くの商人と取引などやらない。情報の重要性を誰よりも知っているからだ。

 つまり彼の立場は裏方であり汚れ仕事なのだが、国とはそうした裏方の舵取りが何よりも重要となる。『よし、戦争しよう!』とその場の勢いで決めることなどない。

 そんなことを思いつつ、ゼロスは車窓から流れる景色をぼんやりと眺めた。


「あっ、アド君……今のところを右に曲がるんだけど」

「マジで!? うっかりオベリスクを見逃した」

「オベリスク……まぁ、形は似ているけど、ただの道標だぞ?」

「どこかでUターンしないとな……。ところで、なんていう砦に向かってんだっけ?」

「ボンバ砦だね。これで七回ほど道を間違えているけど、君は方向音痴なのかい?」

「前に、お台場行くのに仙台を経由した……。馬刺しが美味かったなぁ~……」

「ソレ、青森かな……マジで? 武勇伝だねぇ」


 想像以上の方向音痴振りに、さすがのゼロスも内心で驚愕した。

 帰りは自分が運転しようと思うほどに……。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「ふぅ……疲れた。もうお尻が痛くて……」


 座り続けながら長い間馬車に揺られ、クリスティンは疲れた表情を浮かべていた。

 さすがに国外まで出ると、その旅路の距離は恐ろしく長く感じられ、精神的に疲労するものだ。

 リザグルの町へ到着し馬車を降りてみれば、そこは多くの商人達に溢れた賑やかな町。

 三角の屋根が特徴の木造建築が建ち並び、傍に掘られた側溝には温水が流れ、温かな湯気が立ち上っている。

 この町は冬場なのに、彼女の予想よりも賑わいを見せていた。


「では、私は今夜泊まる宿を探してきます」

「お願い。僕はここで少し体を伸ばしていることにするよ……長旅で疲れた」

「そうですか、それでは私が戻るまでここで待っていてください。くれぐれも一人でどこかへ行かないように」

「あはは、さすがにそんな真似はしないよ。アーハンの村以来過保護だよ? イザード」

「あんな思いは、もうこりごりですからね。それでは少のあいだ馬車を離れます」


 何かと心配性なイザードは、馬車を離れ宿を探しに離れていった。

 彼の背中を見送って直ぐに、馬車の中で居眠りをしていたサーガス老師が下りてくる。馬車のドアが小さめなのか、長身の老魔導士は少々窮屈気なご様子である。 


「よく寝たわい。にしても……ふむ、随分と風情のある町になったのぉ~。以前来たときには寂れた村だったのじゃが……」

「そうなのですか? 以前の村のことは僕は知りませんし、それよりも僕として、早く宿を取ってこの疲労を温泉でとりたいですよ。少し疲れましたから……。ところで、この【無料宿泊券】は宿名が書かれていないのですが、どこでも使えるのでしょうか?」

「おそらくそうじゃろぅ。さて、どの宿にするべきかのぉ~」

「今、イザートが宿を探しに行きましたけど……」


 既に高齢のサーガス老師だが、クリスティンよりも足腰がしっかりしていた。

 とても老人とは思えないほどで筋が伸び、疲労の色が見えない。

 騎士として鍛練を積んでいる彼女としては少し羨ましく思える。湯治が必要か微妙なほどで体力が有り余っているのか疑わしく、そんな老師は何やらシャドーボクシングのようにジャブを打ちまくっていた。

 風を切る拳が実に良い音を立てている。


「先生……本当に魔導士なのですか? とてもご老体が繰り出すパンチに思えないんですけど……」

「魔導士にも体力は必要じゃろ。机に齧り付いている頭でっかちが実戦で役に立てるとは思えぬのでな、昔から体力作りをして趣味になったのじゃ」

「拳闘士でも通用しそうですよ。魔物も格闘だけで倒せるのではないですか?」

「以前に、グレイベアを殴り倒したことがあったのぉ~。盗賊もこの鍛え抜かれた肉体だけで圧倒したわい」

「予想以上でした……」


 この老魔導士は、想像以上に武闘派だった。

 クリスティンは魔法の講義を受けていただけで、サーガスの放浪生活がどのようなものかは初めて聞いた。

 そんなご老体の自負は、『知を求めるのであれば、先ずは健全な肉体と魂を鍛えるべし』である。むしろ肉体改造がメインになっているとさえ思える。

 そうこうしている間に、先ほど宿を探しに離れたイザートが戻ってきた。


「お嬢様、そこの角にある宿が空いているそうです。一応、我等が滞在するかも知れないので、部屋に客を入れないよう頼んでおきましたが……どうしますか?」

「ご苦労様、ではそこにしましよう。やっと休むことができるね。あっ、馬車を止めることはできるのですか?」

「大丈夫だそうです。ちょうど二組の客が出て行ったときだったので、少しロビーで待たされるかも知れませんが」

「宿が見つかっただけでも充分だよ。ご苦労様、イザート。君も疲れたでしょ?」

「いえ、この程度であればさほど。では直ぐにでも宿へ参りましょう」


 二人が直ぐにでも宿へ向かうべく馬車に乗り込もうとしたとき、後ろでは老魔導士がもの凄い速さで拳を繰り出していた。旋風が巻き起こるほどで風切り音が尋常ではない。

 むしろ衝撃波も発生している。


「……サーガス殿は、湯治をする必要があるのでしょうか?」

「それは僕も疑問に思っていたよ。長旅だったのに全然疲れているように見えないし……」

「ムゥアキシマム、プゥワァアァアアアアアアアァァァァァァッ!!」

「「あっ……」」


 ――ズバァアアアアアアアアアアァァァァァン!!


 全身に力を入れて、雄叫びと共にポージングをした老魔導士。

 クリスティンとイザートは、この老人の着ているローブが悲鳴を上げた音を聞いた。

 狭い馬車はサーガス老人に相当にストレスを与えていたようで、リザグルの町へと到着したことで一気に開放的な気分になったのであろう。

 彼がはしゃいだ結果、哀れな姿となったローブの無残な残滓である切れ端が、弔いの風に乗って宙を舞う。


 このあと三人は宿のロビーにて、前の客が使用した部屋の片付けが終えるまで待たされることとなるのだが、上半身半裸のガチムチ老人と一緒にいることが凄く恥ずかしかったという。

 おはだけはどこかの食の巨人だけで充分である。



◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 ゼロス、セレスティーナ、ツヴェイト達がそれぞれに活動していた頃、もう一人の人物はイーサ・ランテの街で研究に没頭していた。

 彼は薄暗い部屋の中で笑みを浮かべ、ハイテンションというか、まるで危ない薬の常習者の如く邪悪な笑みを浮かべ結果を紙に書き殴り、再び同じ作業に没頭する。


「フフフ……素晴らしい。これが旧時代の魔道具! これが、かつて繁栄していた文明の技術っ!! この地はまさに研究者の天国!! 休む時間すら惜しい!!」

「……いや、少しは休ませろよ。今まで同じ事を何回言ってんだ? このままでは俺達が本気で死ぬぞ、クロイサス……」

「知の宝庫で埋もれて死ねるのであれば、ソレは研究者として本望なのでは? マカロフは研究者としての自覚が足りませんね。それにしてもコレは……フフフフフフ」


 ヤバかった。

 クロイサスは取り敢えず理性を保ってはいるが、長いこと研究を続けていたせいで脳内ではアドレナリンなどの快楽物質が出まくり、かなりハッピーになっていた。

 普段は端正で理知的な上に、多くの女性達を虜にするクールな彼の美貌は、今では目の下に隈が現れ目は血走り、まるで物語に出てきそうな悪役魔導士の様相とへ変貌を遂げていた。

 何が楽しいのか分からないが、彼は愉快そうに邪悪な笑みを浮かべている。

 そんな脳内お花畑のクロイサスの周りでは、同じ研究者を目指す学院生達と国から派遣された研究職の魔導士達が屍をさらしている。かれこれ四日ほど徹夜続きであったのだ。

 学院生達はともかく、実は研究職の国家魔導士もクロイサスと同類であった。そんな彼等の行き着く先は、果てのない荒野を歩き続けることに等しい。

 要するに……研究に没頭するあまり力尽き、疲労で全員がリタイアした。

 未だに元気なクロイサスがおかしい。


「……ここは地獄だ。俺は絶対に魔道具の研究者にはならないぞ」

「何を言うのですか、マカロフ! ここには叡智が……失われた偉大な技術が溢れているのですよ? 今この手で触れ、謎を解き明かさねばきっと後悔します! えぇ、後悔しますとも!!」

「何故にそんなハイテンション……。ここに来てからお前、おかしいぞ?」

「想い焦がれ、求め続けた英知が目の前にある。ここでできるだけ研究し理解せねば、魔法を極めるなど夢のまた夢。私は知識を貪るためなら悪魔にでもなんにでもなりますよぉ!」

「……さよけ。どんだけハイになってんだ。ときにクロイサス、お前は帰る準備はできているのか?」

「………ハァ?」


 クロイサスの思考が停止した。

 そして、何度もマカロフの言葉を反芻してみるが、その意味が理解できないでいた。


『帰る? どこへですか? ここには叡智の結晶が解析できないほどあるのですよ? この高度で美しい魔道具を放置して、いったいどこへ帰るというのですか? そもそも帰るという言葉が出るのだから、どこかへ戻ると言うことになるのですが……マカロフは何を言っているのでしょうかね? 私達が戻る? 戻る場所? そんな場所がありましたか?』


 残念なことだが、クロイサスの頭の中は全て研究一色に占められていた。

 そこに自分が学院生であるという事実や、冬期休暇による実家への一時帰省という恒例行事すら頭の片隅にすら残っていない。

 彼に残されたものは叡智の探求一つであり、ソレがクロイサスの全てである。古き時代の叡智を残して実家に戻るなど考えられない。

 研究のためなら親をも泣かすことすら厭わないほど、研究馬鹿なのである。


「『………ハァ?』じゃねぇよ! まさかお前、自分が学院生であることを忘れてないか? 少し連絡が遅れたが、帰省しなきゃならんだろ。ここは学院じゃない、ツヴェイト達や下級生は既にイーサ・ランテを出たんだぞ! 俺達は解析班の手伝いで時間を食ったが、これ以上ここで引き留めるなどできないと研究部の班長が四日前に言ってただろうが! マジで聞いていなかったのか……」

「……そ、そんな……馬鹿な」


 クロイサスはこの世の終わりのような、絶望に満ちた表情でその場に崩れ落ちる。

 そもそもクロイサス達がイーサ・ランテにいる理由は、学院の講師達が『彼等には教えることはない』と職務放棄したからだ。同時に国内の大規模な組織改革によって旧時代の都市を調査するのに人手が足りず、渡りに船とばかりにこの地へ送り出された経緯がある。

 無責任な講師達の浅知恵だが、クロイサスにとってはパラダイス。

 冬期休暇による帰省は、クロイサスにとって楽園からの追放に等しいのである。その絶望たるや推して知るべしであった。


「何故……帰る必要があるのですか。家族など放置しても勝手に生きていきますよ。いにしえの叡智を知る機会はこの時において他にないというのに、学院の講師達はどこまで愚かなんですか……」

「いや、その前に俺達が死ぬだろ……。ここに来てから殆どが机の前で魔法式の解析作業だし、休憩も十五分ていど。食事のとき以外に生きているという実感が湧いたことがねぇよ」

「私は充分に充実していましたよ!」

「だから、俺に言っても仕方がないだろ……。誰かこの馬鹿を説得してくれ……」


 学院生達の主な仕事は、イーサ・ランテに放置された旧時代の文献解読や、魔道具のコアに刻まれた魔法式の模写。壊れた魔道具を分解しての機能解析など様々である。

 だが、その量が問題であった。

 サンジェルマン派の学院生達は、三日でここが地獄であることを自覚した。クロイサスを除いてだが……。


「駄目だよぉ~、クロイサス君……。親孝行をしたいときに親がいないなんてこともあるんだから、帰れるときにはちゃんと帰って家族と会話しないとぉ~」

「デルサシス公爵はともかく、その奥様は心配しているんじゃないかしら?」

「イー・リン、セリナ……あまり家庭のことは言いたくないのですが、母上達は父上に熱を上げているだけの色ボケで、それ以外は貴金属やドレスなどの流行にうつつを抜かす俗物ですよ? 私の心配などするはずもありませんね」

「俗物……お前、家族に対しては辛辣だな……」


 クロイサスの言動には些か偏見の目が入っているが、貴族の奥方にとって流行を追い求めるのは、ある種のステータス向上のようなものである。

 美容に始まりファッションなどを流行らせるのは貴族が最初であり、経済を回す宣伝効果も高いわけで、金を無駄に貯めすぎないためにある程度放出するのは義務であった。

 また、貴金属の類いは大事が起きたとき、他国へ亡命するときの資金になる。

 社交界の大規模な催しなどはだいたい王族や公爵家が執り行い、個人の付合いである茶会などは、個人で行うことが多かった。

 これは貴族達の繋がりを強くするためのものであり、情報の遣り取りを行う上では重要なのである。ある意味では公務と言っても良いだろう。


「ハァ……この調子だと帰り支度なんかやってねぇな。仕方がない、俺達で手伝ってやろうぜ。どうせゴミのような部屋だろうし、今からやらんと間に合わない気がする」

「そうね……。これで公爵家の一族なんて、正直信じられないわ」

「クロイサス君は研究者を目指しているから、後を継ぐことなんて考えていないんだよぉ~」

「ま、待ってください! 私は帰ると一言も……」

「「「駄目!!」」」


 一人残る気でいるクロイサスだが、学院生である以上はそんなわがままは通用しない。

 嫌がるクロイサスを引きずって彼の部屋に辿り着いてみれば、そこには数多くの魔道具に埋め尽くされていた。予想を超えた腐海振りである。

 不思議な茸まで生い茂り、とても人が住める環境ではなかった。


「「「………」」」


 仲間達もさすがに言葉が出なかったが、何かを決意したかのようにマカロフが重い口を開いた。


「汚い部屋なのは覚悟していたが……。おい、クロイサス。この山積みの魔道具、どこから集めてきたんだ? まさか、倉庫からちょろまかしてきたんじゃないだろうな?」

「………そう言うわけでは。興味深かったので借りてきたのですが、いつの間にか……。返そうとは思ったんですよ? ただ、その暇がなかっただけで……」

「許可は取ったんだろうな?」

「………」


 沈黙が全てを物語っていた。

 三人の冷たい視線が痛い。


「あっ、コレ……倉庫から消えたって大騒ぎになったやつだよぉ~!? 私、探すのを手伝ったのに見つからなくて……。クロイサス君、酷ぉ~い」

「こっちもそうね……。学院生の部屋も調べたのに見つからなかったと聞いたけど、どこに隠していたのかしらね……。クロイサス君、あなたのやったことは犯罪よ?」

「お前……やって良いことと悪いことがあるだろ。あらぬ疑いを掛けられて泣いた奴が大勢いるんだぞ、どうする気だ?」

「そんな騒ぎ、ありましたか? まったく気付きませんでしたが……」

「「「少しは反省しろぉ(しなさい)!!」」」


 クロイサスは研究が絡むと周囲に無頓着になる傾向がある。

 悪気がないだけにタチが悪い。

 その後、研究部の所長に謝罪に向かい事なきを得たが、一歩間違えば犯罪者として処刑される寸前にまで話が進んでいた事をここに記しておく。

 クロイサスは美しい友情によって救われたのであった。

 もっとも、彼がこれで自分の行動を改めるとは思えないのだが……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ