亡霊の動向
リザグルの町。
かつてはわずかばかりの鉱脈を採掘するため、鉱山労働者によって作られた小さな村であったが、結局鉱物の採掘は微々たるもので空振りに終わり寂れる寸前であった。
名産は冬場の稼ぎとして始めた【ルーズベリーのワイン】しかなく、数が少なく安値で商人に買いたたかれ、収益にすらならない。
だが、イルマナス地下大遺跡の拡張整備によって、多くの土木作業員がこの村に押し寄せることになり、急激に拡張が進んでいった。
地下トンネル街道が開通すれば用のない村になるはずであったのだが、嬉しいことに温泉が湧き出たことで、宿場町として更なる飛躍を遂げるきっかけとなる。
トンネル街道が旧文明期の残された地下都市【イーサ・ランテ】と繋がったことで、多くの人や物資が行き交う交易の拠点もかわりつつある。それに対応する形でアトルム皇国や鳥ステア魔法王国の支援を受け、リザグルの町の住民は生活の安泰を約束されたものだ。
ついでに交易商人の長旅による疲れを癒す温泉は瞬く間に商人達の情報網に流れ、アトルム皇国やイサラス王国から温泉宿を建てるビジネスチャンスも到来し、もはや建設ラッシュとなっている。どこかの工務店の職人達も笑いが止まらない。
区画整理と拡張工事が非常識な速度で進められていった。
そして現在――。
「なんか、故郷でこんな郷があった気がする………」
「随分と賑わってるな。情報だと、貧しい鉱山の村だった話だが……オェ」
そこは、三角屋根が特徴の建物が並ぶ、どこかの有名観光地をイリスに彷彿させた。
ついでにジャーネは未だに乗り物酔いに苛まれていた。
「護衛依頼が終わったら直ぐにサントールに戻ったし、まさかこんな町に発展しているなんて……。まぁ、あの頭のおかしい工務店ならあり得るのかな?」
「……それより、早く宿に………。死にそうだ……」
「ガッカリだよ、ジャーネさん……」
アトルム皇国は地球でいうところの東洋系大陸文化に近いのだが、目の前に広がる町並みは日本風に見える。余計な装飾が一切なく、イリスに懐かしさを思いおこさせる。
しかし、連れの状態がそれを見事にぶち壊していた。
『直線でだいたい時速六十キロ、カーブでは速度を落しても三十キロくらいだったのに、ここまで酔うんだぁ~……』
車はこの世界では新しい技術である。
未知なる存在と言っても過言ではなく、それ故にこの世界の民には耐性がない。
ましてジャーネ達は、ゼロスのバイクに牽引されたリヤカーに乗っただけでも酔ったのだ。時速六十キロの体感速度は彼女にとって恐怖を覚える速度であり、更に酔いが回ってイリスに抱きつき、更に運転が荒くなる。
そしてエンドレス。
結果はグロッキー……イリスもよくここまで運転して来られたものである。
『レーシングゲームをやっていて正解だったなぁ~、本気で危なかったよ……。ありがとう、マ○オ。バナナの皮や碧の甲羅を避けるテクが役に立ったよ』
赤い帽子を被った謎の配管工に心から感謝するイリス。
「ん? 饅頭って、聞いたことのない菓子だ……うっぷ!」
「小麦を練った皮の中に、小豆を砂糖で煮た餡を包んで蒸したものだよ。でも、いま食べたら絶対吐くから諦めてね」
「うぅ……イリスが冷たい。アタシをこんな体にしたクセに……」
「なんか、人聞きの悪い言い方をされてるぅ!? あやしい関係と思われるからやめてよぉ!?」
『レナさんの影響を受けてる!?』と、この時イリスは思った。
「ところで、どこの宿に泊まるの?」
「あぁ……ウェ。空いている宿ならどこにでも泊まれる……はずだ……。どこでも良いから早く宿を選んで…くれ……」
普段の頼りがいのある姿が、今は見る影もない。
それほどジャーネは乗り物に弱かった。車の速度に慣れているイリスやゼロスとは違い、彼女にとっては絶叫系ジェットコースターに乗るのと同じことなのだ。
『身体強化をすれば瞬間的にあのスピードを出せるはずなのに、おかしいよね?』
魔法による身体強化をして魔物を狩っているとき、速度は瞬間的に魔導式モートルキャリッジと同等の速さが出ているのだが、車酔いしたジャーネを不思議そうに眺めるイリスであった。
とはいえ、考えても仕方がないので、取り敢えず近場の宿に入ることにする。
車酔いのせいで残念美人と化したジャーネを支えながら……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふぅ~……。本当に、良いお湯ですね」
「そうですわねぇ~………」
「あはははははは!」
「ウルナ様、湯船で泳ぐのはマナー違反ですよ?」
「ん……他のお客に迷惑」
イーサ・ランテの街からリザグルの町へ到着していたセレスティーナ達は、予約していた一番大きい宿に荷物を置いて、直ぐに浴場へと向かった。
今は露天風呂に浸かりまったりと日頃の疲れを癒していた。
露天風呂から見る雪景色は、一見の価値がある美しさがある。
「こうしてお湯に浸かると、旅の疲れが癒されますね……」(チラ)
「雪景色を眺めながらお風呂に入る。なんて贅沢なのかしら。わたくし、このまま泊まり続けたいですわ。」(チラチラ)
「お嬢様、キャロスティ様、他人のスタイルを眺めていても無意味ですよ? さて、温泉の効能ですが、神経痛、冷え性、皮膚病、その他諸々……そして美肌。この美肌効果が一番女性には嬉しいですが、お嬢様……。胸を大きくする効果がなくて残念でしたね」
「えぇ~? 胸なんてあっても邪魔じゃん。皆なんでうらやましがるかな? 武器を振るうのに体が重いのは問題だよ?」
「……人は、自分にないものを求める。心から求めるものを他人が否定する権利はない」
温かいお湯に肩まで浸かっていたアンズだが、目は冷めていた。
セレスティーナとキャロスティは露天風呂から広がる大自然ではなく、スタイルの良い女性客達の胸を目で追いかけてしまうようで、コンプレックスを刺激されてやまない。
目を反らすだけで嫌でも他人の裸が目に入ってしまうのだ。そして自然の残酷さを嫌でも理解させられる。
そう、世界は平等ではないのだ。
「……なんか、胸の大きい女性が多くありませんこと?」
「多いですね……。これは、私達への嫌がらせでしょうか?」
「なんか、二人の目が怖いよ」
野生の勘からか、ウルナが二人の放つ気配に怯えた。
「無い物を持つ存在は、求める者にとっては羨望の象徴。それは得てして嫉妬に変わり、やがて殺意へと発展する。この温泉宿は殺人事件の舞台になるかも?」
「な、なりません! いくら私達でも、胸の大きさで殺人事件は起こしませんよ。アンズさん……」
「わたくしたちを何だと思っていますの? 嫉妬で無差別殺人を犯すほど、嫉妬深くありませんわ。それくらいの分別はあります!」
だがアンズは、二人から淀んだ気が放出されていたのを見ていた。
殺意はなくとも二人に激しいまでの羨望の念があるのはモロバレである。
「そんなに焦らなくとも、お二方には未来がありますよ? 焦らず毎日マッサージをすれば良いのではないでしょうか? まぁ、私には必要ありませんが」
「ぐぬぬ……持つ者の余裕ですわね。でもミスカさんの言うことにも一理ありますわ……。わたくしの母は胸も大きいですし、いずれは魅力的なバストに育つ可能性も」
「我ながら、つい恥ずかしい真似を……。まだ十四歳ですし、将来的には私も大きくなる可能性がありますね……」
「(お嬢様はどうですかね……)」
「……………………えっ?」
凄く気になることをボソリと呟いたミスカ。
聞こえるかどうか分らないその細やかな一言を、美への執念からか、あるいはただの偶然なのか分らないが、セレスティーナは聞き逃さなかった。
「ミ、ミスカ……? 先ほどの言葉はどういう……」
「何のことでしょうか?」
「誤魔化さないでください。いま、私の胸は絶望的だというような言葉を……」
「聞こえてしまいましたか。それは、お嬢様の母上は、その……胸が少々慎ましい方でしたので、その血を引いているお嬢様がナイスバディになるとはとても……」
「凄く可哀想な人を見る目で、私を見ないでください!」
「では、やめます。お嬢様は将来的に無理ですね」
「だからって、断言しないで!? 凄くドヤ顔で絶望的な宣告をしないでください!」
凄く良い笑顔のミスカさん。
「申し訳ありません。根が正直なので、思わず真実を告げてしまいました。お嬢様の母上は貧乳ではありませんでしたが、さほど大きいわけでもありません。えぇ……あえて言うなら人並みでしたね」
「人並み………」
「そして、クールで真面目な文学少女であった私を、今のように変貌させた張本人です」
「とんでもないことをカミングアウト!? じょ、冗談ですよね? いつもの茶目っ気ですよね?」
「いえ、真実ですが?」
セレスティーナの視界が真っ白に染まった。
のんびりと疲れを癒す場が、極寒の氷原に変わった瞬間だった。
「あれ? ミスカさんって、セレスティーナ様のお母さんと知り合いだったの?」
「同級生で友人ですよ。まぁ、出会った当初にいきなり懐かれて、しばらく追いかけ回されましたが……。トイレの仕切りを乗り越えてくるほどの懐かれようには、私も音を上げましたよ。しつこく追い回され、暗闇の中『オ・ト・モ・ダ・チ・ニ・ナ・リ・マ・ショ・ウ』と背後に回り込まれて囁かれたときは、さすがに怖かったですね」
「セレスティーナさんのお母様って……そんな人だったんですの?」
「今の私を作りだした元凶ですね。そして私は亡き友人の忘れ形見に、母君がどんな人であったかを直接教えているのです。あぁ、なんて美しい友情でしょうか」
「随分と個性的な方でしたのね……」
衝撃的な真実を更に伝えられ、セレスティーナの思考は停止した。
ミスカの突飛な行動がセレスティーナの母親の生前の姿だとするならば、かなり人格的に問題があるということになる。幼き頃にクレストンから聞いた母親の印象は、『物静かで例えるなら【ホワイトリリスの花(百合に似た植物)】のような女性だった』と言っていたが、ミスカの話が本当なら真逆のぶっ飛んだ人物ということだ。
クレストンの話を信じたいところだが、困ったことにミスカはこんな時ほど嘘は吐かない。つまり真実を言っているのだ。
「………うそ、ですよね?」
「いえ、極めて限りなく、まごうことなきマジな話です」
「嘘だと言ってください、ミスカ!」
「あの旦那様ですら振り回した人ですよ? まともな性格なわけがないじゃないですか。お二人とも肉食系でしたので夜は激しかったという話を、それはもう聞きたくもないのに何度も聞かされましたね。うんざりするほど嬉しそうに………」
「…………」
ぷしゅぅ~と煙を立てながら、セレスティーナの意識は完全にショートした。
もはや誰の声も届かない。
「ミスカさん、その話はどこまでが真実ですの? いつもの冗談はどれだけ混ぜているのですか?」
「全部真実ですが? まぁ、ミレーナは見た目が儚げであったことも確かですが。明るい表情の裏側で、酷い境遇に苦しんでいましたしね……」
遠い日の記憶を思い出すミスカの目は、どこか悲しげな愁いを秘めていた。
「そっか、ミスカさんはセレスティーナ様のお母さん代わりなんだね」
「お嬢様には内緒ですよ? 多くの者達がお嬢様に幸せになってくれることを願っています。ですが、その事情を知られるわけにはいきませんから」
「どうしてですの? セレスティーナさんの立場なら、死に別れた母親の話を知りたいはずですわ」
「詳しい事情など知らない方が良いのですよ、キャロスティ様……。それが実の母であるミレーナの願いでしたから」
セレスティーナの母親は、血統魔法である【未来予知】を持っていた。
だが、この魔法は代償として自身の命を縮めてしまう。そしてこの魔法を使える者はもう存在しない。
しかし【未来予知】という魔法を血筋で受け継いでいたとなれば、セレスティーナの子供にも受け継がれる可能性もある。例え本人がこの魔法を使えなくても、子孫が発現する可能性はあると欲深い者達は考えるだろう。
セレスティーナが人並みに幸せになるには、この魔法の存在を知られるわけにはいかないのだ。そして完全に闇に葬り去らねばならない。
それを防ぐために関係者は多くを語ることはなく、真実を誰にも伝えようとはしない。例え実の娘であるセレスティーナに対しても……。
「ところで、セレスティーナ様をどうやって運ぶの?」
「「あっ………」」
どんな理由があれ、セレスティーナは現在思考停止で硬直中。誰の声も届かない状態だった。
そうなると脱衣所で着替えさせねばならない。取り敢えずそこまでは可能だが、問題は自分達が宿泊している部屋までの移動だ。
結論。セレスティーナは担架で運ばれた。
幸いと言って良いのかわからないが温泉でのぼせた者が多くいるらしく、誰もおかしいとは思わなかった。
ただ、ショックを受けた彼女の精神が心配である。
「ん……あと一時間はイケる」
騒ぎを他所に、アンズだけは温泉を満喫していた。
彼女は長風呂で熱いお湯が好きなようである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
浴場に来ているのは何もセレスティーナ達だけではない。
ツヴェイト達もまた適当な宿にチェックインし、荷物を老いて直ぐに浴場へと向かった。他の友人達は適当な宿を探していることだろう。
「フン! ムン! オリャ!」
「エロムラ、見苦しいから鏡の前でポーズとるのはやめろよ」
「何を言う! 温泉の洗い場に来て鏡を見たら、先ずこれをやるのがマナーだろ。昨日は疲れて入れなかったからな、気合いを入れて満喫するんだ」
「いや、そんなマナー俺は知らねぇよ」
鏡の前でダブルバイセプスをキメているエロムラに呆れながら、ツヴェイトは粗めのタオルで体を洗っていた。
「知らないなら覚えておくといい。男なら誰しも自分の肉体を鏡の前で曝したくなるものだということを。うん、最近は筋肉がついてきたな」
「それより、鏡に見苦しいものがブラブラと映っているんだが、それを何とかしてくれねぇか? 見たくねぇし夢で魘されそうだ」
「紳士の嗜みだ」
「変態のか?」
エロムラ君は股間の紳士を隠す気はないようだ。
筋肉もついてきたらしいが、変態の度合いも高くなってきていた。
「同志、俺達は温泉に来たんだぞ。なんでそこまで冷めている!」
「俺はゆっくり堪能するタイプだ。それよりも前を隠せ!」
「断る! 温泉だぞ? 全てが開放的になる癒やしの空間だぞ? さらけ出さなければ嘘だろ」
「だから、俺の前でブラブラさせんな!」
「熱くなれよ、お前もさぁ! 魂を解放して大自然の空気を全身に感じようぜぇ!!」
「ゆっくり疲れを癒させろよ! 近い、股間の獰猛な獣が近い! これ以上近づくなぁ!!」
温泉に来て全ての倫理観をキャストオフしたエロムラは、なぜかつヴェイトも巻き込もうと熱く迫る。もっとも迫っているのは股間の凶器だが……。
傍目にはあぶない光景であった。
「ディーオ、お前もこの馬鹿になんとか言ってくれ!」
「ツヴェイト……あの仕切り邪魔だと思わないか? もし、あの先にはセレスティーナさんがいたとしたら……。クッ、エロムラみたいなヤツが覗くかも知れん」
「いやな……向こうは女湯なんだから当然だろ? 混浴にしたらお前がもたんだろ」
「創世記の時代には男女は裸で暮らしていたんだよ? なんで人は全てを隠そうとするようになったのだろうか? 愛し合う者同士なんだから、純粋に裸同志で風呂に入っても良いじゃないか……」
「どうしていつの間にかアイツと両想いの関係になってんだ? そもそも、お前は名前すら覚えられていないだろ。もしくは一度は覚えられても、しばらくしたら忘れられてるし……。都合の良い幻想を見ていると破滅するぞ?」
「グハッ……」
ディーオは血を吐いて湯船の底へ沈んだ。
真実とは時として鋭利な刃物よりも凶器に変わる。
そして、新しく覚えた言葉を使ってみたかったツヴェイト君だった。
「同志……酷い」
「どこがだ? たわけた幻想に溺れているヤツに、現実を教えてやっただけだぞ?」
「そうかも知れないが、ディーオは真剣なんだしさぁ~。ここはオブラードに包んで優しく……」
「このままだとディーオは立派なストーカーになる。犯罪者として覚醒する前に現実と向き合わさねば、近い将来牢獄行きだ。それに、セレスティーナのヤツの身を守るためでもある」
ストーカーは他人の言葉を聞こうとはしない。
一方的な恋慕の情を相手に押し付け、勝手に盛り上がっては自滅する傍迷惑な存在である。手遅れな気もするが親友が闇堕ちするのだけは防ぎたかった。
「何か、お前……ディーオのお父さんみたいだぞ?」
「やめてくれ、俺が実の父親だったらディーオをとっくに勘当している。友人だから忠告しているだけだ。両想いにすらなっていないのに、なんで舞い上がってんだ? 下手をするとは食事を一緒にしただけで結婚を了承したと思い込むぞ。まさかとは思うが……」
「ゲハッ! グフォォ!!」
ディーオ、再びショックで吐血。
「どうやら、当たりのようだった……マジかよ」
「なんであそこまで思い込みが激しくなってんだ。『愛だ』なんだと戯言を繰り返す前に、さっさと告白でもして玉砕すれば良いのによ。人に頼りきっている時点で説得力がない。妄想を膨らませている暇があるなら、さっさと決断すりゃあいいじゃねぇか」
「ゲボラァ!!」
最近、何かと暴走気味のディーオにうんざり気味のご様子。
忠告する言葉もどこか刺々しい。そして情け容赦なくディーオの心にグサグサと刺さる。
「容赦ねぇな」
「もはやディーオに生ぬるい言葉は無意味。ここは師匠のように、情け容赦なくビシバシ行くべきだと判断した。人の道から外れるよかマシだろ?」
「まぁ、ここで親友の言葉すら無視するようになったら、マジで犯罪者の仲間入りを果しそうだしな。最終的にはディーオ自身の問題だが……」
「どうでも良いが、お前はいい加減に俺の前から股間の凶器をさっさとどかせ。もしくは隠せよ、見苦しい!」
未だにエロムラ君の局部はフリーダムだった。
そんな二人の先では、現実を突きつけられたディーオが浴槽に浮かび、しくしくと泣いている。
冷たい現実を思い出したようである。
「さて、それじゃ俺も温泉を堪能するか。訓練がキツかったからな……」
「騎士と合同の訓練はそんなにキツいのか?」
「まぁな。騎士……特に貴族は民を守るのが責務だ。弱ければ何も守れず奪われ、国土や領地が蹂躙される。それを防ぐためにも訓練をするのは当然。戦いは戦略と戦術が大事だが、何よりも強靱な肉体が重要だしな」
「同志は公爵家だからな、その責務は部隊長よりも遙かに重いだろ。やっぱり仮想敵国はお隣のでかい宗教国か?」
「あぁ……。あの国は何かと圧力をかけてくるから、一番攻めてくる可能性が高い。歴史的に見ても何かといちゃもんをふっかけては、不条理な大義名分を立てて侵略を繰り返してきた。危険視するのは当然だろ」
「将来はやっぱり軍に入るのか?」
「それが義務だからな。一時的に爵位は取り上げられるが、これは軍の階級で上下関係や役割を円滑にするためだ。爵位を傘に無能が威張り散らされたら、国が滅ぶ」
「それ、軍国主義って言わね?」
「王制国家は軍国主義だろ」
浴槽に浮かぶディーオを無視し、小難しい話をしながら二人は温泉に身を委ねた。
お湯の熱さに思わず『アァ~……』という声が漏れる。
「温泉か……自然を見ながら風呂に入るのもなかなか良いもんだな」
「爺臭いぞ、同志」
「最近は生傷が増えたからなぁ~。騎士隊長は容赦なく打ち込んでくるし、蹴りや目潰しも平気で使ってきやがった」
「そりゃぁ、戦闘に正々堂々なんてあり得ないわな。乱戦になれば、それこそ形振り構わずエグイ手段を使うだろ」
「綺麗な戦いなんて、ただの幻想だ。大将格の一騎打ちは別として、それ以外では敵を殺すために様々な手段が行使される。厳しい訓練は実力をつけるのと同時に、痛みに対する耐性をつけるためのものだな。少しケガしただけで戦えなくなるのは、戦場で死ぬのと同じことだしよ」
「同志……痛みに対する耐性をつけるなら、いい手があるぞ?」
「……なんだよ」
「SM」
「ざけんな!」
困ったことに、エロムラは巫山戯たわけではなかった。本気で痛覚耐性をつけるためにSMを推奨しているのである。
そして、極わずかではあるが騎士の中に、そっち方面で訓練をする者もいたりするのを、若き公爵家の御曹司は知らない。
確かに効果はあるのだが、Mに目覚めるのは騎士団の中で問題に上がっていた。
知らないということは本当に幸せなことである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
凡そ人が踏み入れることない鬱蒼とした森の奥に、数人の男達が焚き火の前で暖をとっていた。
彼等は脛に傷の在る者達、所謂盗賊の部類に入る犯罪者達である。
「この国まで逃げてくりゃぁ、奴等は手を出せねぇだろうさ」
「勇者って奴等はしつけぇよな。仲間がだいぶ減らされちまった……」
「妙な正義感を振り回しやがって、ムカつく奴等だ!」
彼等はメーティス聖法神国からソリステア魔法王国に流れてきた札付き集団で、商人や村々を襲い金品や女性などを強奪していたのだが、神聖騎士団を率いる勇者によって壊滅状況に追い込まれ逃げてきた。
まぁ、これは勇者の一人である岩田がルーダ・イルルゥ平原で敗北し、治安維持に必要な人材を大勢失った影響でもある。
また、首都であるマハ・ルタートが謎の攻撃により壊滅的な被害を受け、民衆から行政復興させるあいだ目を逸らすため、目立つ勇者達を治安維持に当てたせいでもある。
犯罪者達にとっては運が悪かったと見るべきであろう。
「まぁ、いいさ。今度はソリステアで稼がせて貰うぜ」
「最近はだいぶ金回りがいい話だからな。俺達もたっぷりおこぼれに預かろうぜ」
「違ぇねぇ、金と女は天下の回り物だからな。ウヒャヒャヒャヒャ♪」
命からがら逃げてきて、彼等は余程気が抜けていたのであろう。
安心感が警戒を疎かにし、周囲を見張ることも忘れ酒を飲み、これからまた欲望の赴くまま好き勝手に暴れられるであろうと高をくくっていた。
捕らぬ狸の皮算用とも言えるが、警戒が疎かになるほどの死の恐怖から解放されたのだ。
夜盗達が不抜けるのも無理はない。
彼等は犯罪者で、戦闘を想定しローテーションを組んで警戒を行えるほど鍛えられた戦士ではないのだ。武器は使えても所詮は素人の集まりで、猟師ほど周囲の危険に対して過敏ではない。
だからこそ彼等は見逃していた。自分達の周りに黒い霧が間近まで迫っていたことに……。
そして、異変は直ぐに起こった。
「おい、どうした?」
今まで馬鹿みたいに騒いでいた仲間の一人が、急になにも言わなくなった。
酔いが回った目をこらして良く見ると、その男は首を上向きに向け口を開けたまま白目を剥いて苦しんでいた。
彼の口からは黒い霧が漏れ出し、腹部が内側から何らかの力によって不気味に蠢いている。声が出せないのか、仲間達に助けを求めるべく腕だけが動く。
「ひ、ひぃっ!?」
「アァン? どうしたよ、飲み過ぎで漏らしやがったのか?」
「待て、コイツ……様子がおかしいぞ!?」
苦しいのか男は救いを求め何度も仲間に手を伸ばすが、あまりにも不気味な現象が起きているため誰も彼に近づこうとはしない。そもそも彼等に他者を助けるような仲間意識などないからだ。
そうしている間にも男は苦しみ、まるで体の水分が抜き出されているかのように干からびてゆく。
「な、なんだよ……。何なんだよぉ、これはっ!」
分けがわからかった。
これが酔いから来る悪夢なら、さっさと醒めてほしいと誰もが思う。
しかし、これは現実であった。
男の体から血の匂いが混じった黒い霧が吹き出し、周囲にいる盗賊達に襲いかかる。
「………!?」
「…………!!!」
盗賊達はそのまま叫び声すら上げることもなく、無残なミイラと化した。
『……なんとか、体ができてきたな』
『見たところ悪党のようだし、殺しても問題はないわよね』
『むしろ儂達は良いことをした』
『待ってなさい……聡ィイイイイイイィィィィィィッ!』
『婆さんや、飯はまだかい?』
『爺さんの姿が見えんのぉ~、キャリーさんや、爺さんはどこじゃ?』
『知らねぇよぉ!!』
黒い霧の中に無数の顔が浮かび上がる。
老弱男女問わず様々な人種の顔が霧の中で鮮明に現れ、そのどれもが一つの目的に向かって動き出していた。
いや、一部微妙な者もいるが、その殆どが共通の想いを持っている。
それは四神への復讐。
ある者は召喚されて直ぐに邪神の攻撃で消滅し、あるいは権威の拡大のために利用され最後に殺された者。また余計な事を知ってしまったが為に闇に葬られた者。
全てが異界から召喚された魂達であり、憎悪と復讐から協力して群体と化していた。
彼等は輪廻の輪の中へと返ることができず、今も尚この世界に留まっている被害者なのだ。そして長い刻の中で復讐すべき相手を観察していた。
そして、ついに復讐するための新たな肉体を手に入れた。
いや、肉体は手に入れたが、まだ安定したわけではない。
『まだ不安定だな……。これでは浄化魔法で直ぐに消されるぞ』
『そうね……。中途半端な実体化だし、完全な肉体を得るにはまだまだ足りないわ』
『所詮は灰だし、この体自体が脆弱……』
『そう思うなら出て行きなさいよ! これは私の体なのよぉ!?』
『俺達がいなけりゃ、ただの遺灰だろ。アンタも既に死んでんだよ』
『婆さんよぉ~、飯はまだかい? 腹減っただよぉ~』
『アタシの入れ歯はどこかのぉ~?』
『なんで痴呆症のご老人が混ざっているのかしら?』
彼等の本質は群霊、所謂レギオンと呼ばれるモンスターだ。
だが、彼等一人一人の魂に刻まれた勇者としての力を繋ぎ合わせることで、霊体でありながらも実態を攻撃できる術を手に入れた。
しかし、それでも今の体は不安定だ。
今の体は【大迫麗美】、この世界ではシャランラと呼ばれた女性の遺灰で構築されている。
元が灰なだけに耐久力がなく、中途半端な実体化は必要以上に魔力を消耗する。魂達にとってはこの消耗はかなり痛い弱点だった。
それ故に他の生物から魔力や血肉を補填する必要がある。
『どこかで本格的に肉体を乗っ取る方が良いよな?』
『この世界の生物だと相性が悪いわよね?』
『たぶん、俺達が異物だからじゃないのか? 異常変質した生物なら相性が良いかもしれないが……いや、同類の魂が足りないのかも知れん。力不足か?』
『爺さんよぉ~~~~~~~~っ、うぃ!』
『婆さんよぉ~~~~~~~~っ、うぃ!』
『『『『『五月蠅いよ、爺さん・婆さんズ!!』』』』』
『ひょっとしてこの二人、夫婦なんじゃね?』
この問題ある肉体のままでは、四神に復讐するなど夢のまた夢である。
故に完全な肉体を得るべく、魂達は再び相性の良い肉体を求め動き出した。