おっさん、調査依頼を受ける
クレストンが住むソリステア公爵家の別邸。
手入れされた庭園を、ユイは散歩をしていた。
出産間近であろう大きな腹部を愛おしそうに手で触れ、『元気に生まれてきてね、私の可愛い赤ちゃん』と嬉しそうに呟いている。
だが、そんな彼女を不安そうに見ている物が一人。
「ユイ……頼むから部屋にいてくれ。万が一のことがあったら俺は……」
そう、地球では彼女の婚約者であり、異世界ではもはや事実上の夫でもあるアドだ。
彼女のお腹が大きくなるにつれて、彼は異常なまでに過保護になっていた。
まぁ、初めて出産に立ち会うことになるのだから、不安に駆られるのも無理もあるまい。
「あら、妊婦でも少しの運動は体に良いんだよ? 俊君は心配性だね」
「いや、普通は心配するだろ」
「庭園を散歩するくらいなら平気だよ。むしろ俊君の方が心労で禿げちゃうんじゃないか、凄く心配なんだけど……」
クレストンの元で世話になっているアドは、生活費を稼ぐために魔法スクロールの制作や、魔道具に使用する魔石や魔晶石に魔法式を刻む仕事を行っている。
最近は魔導式モートルキャリッジの部品でもある、魔力モーター内の磁力発生部品の制作に携わっており、魔導士派閥であるソリステア派の魔導士達に手ほどきするなど、とにかく必死に働いていた。
だが、帰宅すれば彼も一人の夫であり、もうじき父親。
とにかくユイを心配しすぎて、何かと彼女につきまとっていた。見ている方は鬱陶しいが、ユイは実に幸せそうである。
「なんじゃ、またユイ殿のそばに来ておるのか? 父親になるのじゃから、もう少しどっしりと構えておらぬか」
「クレストンさん……しかしなぁ~」
「体調のことなら、ユイ殿が一番分かっておるじゃろ。医者も我が屋敷おるのじゃし、なにかああっても充分に対応できる。少しは信用せぬか」
クレストンも同じ思いをかつて体験したゆえに、アドの行動に思わず苦笑いが浮かぶ。
しかし、出産するのはあくまでもユイなので、アドが彼女につきまとったところで何も変わりはない。
無駄とは言わないが、毎日このようなアドの姿を見ていると、『いい加減に落ち着け』と言いたくなる。
「アドさん、思っていたよりも愛妻家なんだね……」
「違うわよ、リサ。アドさんは、たんにテッパッているだけだと思うわ。毎日飽きないわよね。女としては少し羨ましいけど……」
「あの、ルーダ・イルルゥ平原でのダークな感じは、いったいどこへ消えちゃったのかな?」
「こんな姿を見る限りだと、女の子が生まれたら親馬鹿になる可能性が高いわね。私には見えるわ、虐められた子供の報復に危険な魔法をぶち込むアドさんの姿が……」
「やるか!」
リサとシャクティに散々なことを言われているアドだが、否定しようとも今の彼の姿を見る限りでは説得力がない。第二のクレストンになる確率は高いように思われる。
そんなアドを見ながら、『儂、娘も欲しかったんじゃよなぁ~。息子がアレじゃし……』と呟くクレストンの姿があった。
そんなほのぼのと過ごしている(一人ハラハラとするが)者達の元へ、この屋敷で執事を務めるダンティスが、足早に屋敷から外へと出てきた。
「アド殿、こちらにおいででしたか」
「あっ、ダンティスさん。どうかしましたか?」
「先ほど使いの者が来まして、旦那様がアド殿とゼロス殿に来てほしいとのことです。火急の知らせでしたので探していたのですよ」
「デルサシス公爵が? 何の用だろ?」
「私には分かりませんが……」
「アド殿……あやつのことじゃから、おそらく碌でもないことが起きた可能性があるぞ? その対応にお主等を使おうという魂胆じゃろ」
クレストンは実の息子の性格を熟知していた。
残念ながら彼の行動までは読み切れないが、アドとゼロスという人選でおそらく厄介事が発生した可能性が高いと予想をつける。そういう時ほど適切な人材を選ぶからだ。
「自分の配下では駄目なのか?」
「我が領内でも、先の構造改革で騎士や魔導士がだいぶ王都に引き抜かれたしのぅ。そこから再編が今も続いておるので、適当な者がおらぬのじゃよ」
「いや、あの人ならたぶん裏に配下が……」
「そこから先は言わぬ方が良いぞ? どこで聞き耳を立てておるか分からぬからな。何かと危険に首を突っ込むヤツじゃし、知らせに来た時点で既に退路は塞がれているとみて良いじゃろぅ。断ることすら許されぬじゃろぅて」
「……選択肢はないのか。仕方がない、行ってくる……雇われている身だし」
「背中が煤けておるのぅ」
アドとしてはユイの傍にいたいところだが、立場的には雇われ派遣社員の身の上。
どこかのおっさんのように臨時の稼ぎがないアドは、別の意味でブラックな商会の会長の要請に応えないわけにはいかず、とぼとぼと足取り重く裏門の方へと向かっていった。
「俊君、ファイトォ~!」
「アドさん、がんばれぇ~!」
「生きて帰ってくるのよ」
熱い声援を背に受け、アドは裏門からゼロスの住む家に向かって、裏門から林の中へと消えていった。
「……ところで、セレスティーナが帰ってこないのじゃが、ダンティスは何か知らぬか? 忙しくて忘れておったが、学院はもう冬期休暇に入っていてもおかしくはないはずなのじゃが……。暦の上では季節は春に変わっておるぞ?」
「イストール魔法学院でも大規模な人事異動がありましたからね。そのしわ寄せが学院生の学業にも出ておるのでしょう。冬期休暇がズレることは珍しくありませんが、今回の組織改革による人事異動は、国全体規模ですから……」
「なんてことじゃ……」
おっさんの行ったブートキャンプと、実践重視のツヴェイトを含むウィースラー派学院生魔導士達が提出した戦術的組織改革案の影響は、一人の老人の楽しみを奪っていた。
魔導士達は配属されては訓練を受け、適切な場所へとまた移動することになるわけで、学院の講師達も入れ替わりが激しく講義がだいぶ遅れることを余儀なくされた。
そのしわ寄せが学院生の教育の進行状況にも現れているのだが、実のところ学院は二週間ほど前に冬期休暇に入っていたりする。
成績上位者であるツヴェイト達はイーサ・ランテにいるわけで、今だにゴタゴタしている人事異動のせいでその連絡が伝わるのが遅かった。孫が可愛いクレストンはその事実に気付き落ち込む。
背中が煤けているのは、クレストンも同じのようである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
別邸の裏門から森を歩き抜けて10分。
アドはゼロスの家に到着した。
相変わらず変な進化を遂げたコッコが武術の鍛錬に勤しみ、それ以外のコッコ達は畑の雑草を刈り取り作業、飼い主は何やら庭先でバイクらしきものを組み立ての最中だった。
「ゼロスさん、チ~ッス」
「おろ? アド君じゃないか……って、何か元気がないねぇ? どったの?」
「いやさぁ~、公爵様が呼んでいるらしいんだよ。俺とゼロスさんをさ」
「デルサシス公爵が? なんだろね」
「しらね。取り敢えず領主の屋敷に来いとさ」
デルサシス公爵は滅多なことで人を呼ぶような人物ではない。
大抵のことは自分で解決してしまうので、ゼロスという駒を使うときは余程の事態が起きたと判断しても良いだろう。
暇なので別にかまわないのだが、厄介事に発展するのだけは勘弁願いたいところだ。
「今直ぐにかい?」
「あぁ……使いの者が来たらしいから、至急の要件なんだろ。ところで、これはエアライダーだよな? あと、ハーレー?」
ゼロスが組み立てていたのは少々歪な二等辺三角形型で、期待の外装が無塗装のエアライダーと、ハーレーダビッドソンを彷彿させる二台のバイクだった。
「以前のヤツは廃棄物を流用したものだったけど、マジに設計を見直してね。一から部品を作り直して組み立てていたところさ。バイクの方は直ぐに乗れるぞ?」
「エアライダーの方は?」
「フレームを軽量化して、ついでに魔力の伝導率を高めてみた。あいにく、ブラックボックスは手をつけられなかったけどね」
「手がつけられたら改造する気だったのか?」
「当然でしょ。できるのにやらない方がおかしい」
『その考え方の方がおかしい』とアドは思ったが、ゼロスが既存の物を徹底的に改良する傾向があった事を思い出し、口に出すことを諦めた。
どこまで安全性を考慮しているかは分からないが、必要以上に魔改造されていないことに少し安堵する。
「ちなみに、バイクの名称は【バイクサンダース13世】さ」
「なんか、システムチェンジした後に『俺の歌を聴け!』と叫びながら、勝手に戦場へ出て派手なシャウトをキメそうな名称だな……」
「アド君……混ざってる、混ざってる」
「それ以前に十三台も制作したのかよ。つーか、英語でバイクは自転車のことじゃなかったか? んで、エアライダーの方は?」
「う~ん……【赤い稲妻号】? いや、【赤い彗星号】の方が良いか?」
「赤くねぇし、三倍速いのか?」
「少なくとも、音速は出ると思うよ? エアノズルを改良して、空気圧縮率を最大限に高めているし、可燃性液体燃料も……ゲフン! フレームや装甲もオリハルコンやミスリルを流用した軽量合金さ!」
「ジェットエンジンだろぉ、危ねぇな! 搭乗者が吹き飛ぶだろ!!」
エアライダーには戦闘機のようなキャノピーは存在していない。
しかも搭乗者数が二人ギリギリで座れるくらいのシートで、本体も以前よりだいぶコンパクト化されており、仮に音速で飛行すれば搭乗者はシートから間違いなく振り落とされることだろう。
「前から言ってるけど、安全面を考慮しろよ!」
「既存の部品が改造できないのなら、それ以外を強化するしか無いじゃないか。君はなにを言っているんだい?」
「アンタがなに言ってんだぁ!?」
「そんなことより、さっさとデルサシス殿のところに行こうか。何かと忙しい人だからねぇ」
「安全性を無視することが、そんなことの一言で済むものなのか?」
アドは、異世界に来ておっさんの頭のネジが緩んでいるどころか、むしろ盛大に外れまくっていると確信した瞬間だった。
安全性の基準が著しく低いこの異世界。アドは本気で製品に対する安全法案をデルサシスに提案するべきか、大いに悩むのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
安全基準法の重要性を説くアドと、『異世界なんだから、そんな法律関係ないんじゃね?』と屁理屈を捏ねるおっさんは、何だかんだと言い合いながらも領主の館へと辿り着いた。
ゼロスとしてもアドの言っていることは分かる。
しかし、趣味で制作していることと何よりも使用するのはおっさん自身であり、チートゆえに制作した物が多少無茶な性能でも使いこなす自身があったりする。
アドとしても自身の体のチートさは理解しており、多少の事なら傷一つ追うことなく生還できると思っているのだが、こと【殲滅者】の制作する物は信用しておらず『絶対、何かしらのヤバイおまけがついているはずだ』と疑っていた。
何しろ彼は経験者であるわけで、【ソード・アンド・ソーサリス】では何度も酷い目に遭った記憶が、彼を意固地なまでに疑い深くさせていた。
この口論は、デルサシスのいる執務室の前に来るまで続いた。
「旦那様、ゼロス殿とアド様がお見えになりました」
『ふむ、想定した時間よりも早かったな。まぁ、予想範囲内ではあるが……入り賜え』
「お二人方、どうぞお入りください」
「「どうも……(想定内? もしかして、来る時間帯を計っていたのか?)」」
気になる言動があったが、仮のも現公爵なので突っ込むことはやめた二人。
執事が開けたドアを会釈しながら部屋に入ると、そこにはどこかの司令官のようにテーブルの上で両手を組むデルサシス公爵の姿があった。
「さて、今回の二人の任務だが……」
「いやいや、いきなりすぎるでしょぉ!?」
「唐突だなぁ、公爵様……」
何の前触れもなく用件だけ言おうとするデルサシス公爵に、思わず二人はツッコんでしまった。
「ふむ……君達はこうした言い方をすると、やる気が沸き立つのではなかったか?」
「逆に面食らいますよ」
「何故にそんなシチュエーションを思い至ったかは知りませんが、言葉のキャッチボールはしましょうよ。いきなり過ぎてかえって当惑しますねぇ」
「そうか……。私としては少し憧れたシーンなのだが、不自然だったようだな。この本のようにはいかないようだ」
少し残念そうなデルサシス。
何故か、どこぞの汎用人型兵器の描かれた漫画が彼の手の中にあった。
「な、何故にそんな漫画が……いったいどこで手に入れたんだ?」
「たぶん僕らと同類か、勇者の誰かが描いて販売したんじゃないかなぁ~。しかも無駄に絵が上手い」
「これは、我が領内で面倒を起こした者が獄中で描いたものだ。なかなか興味深い内容であったのでな、試しに製本して売ってみたら意外に好調の売れ行きとなった。良い拾いものをしたものだよ、フフフ」
「「パクリじゃねぇか!!」」
獄中ということは、勇者ではあり得ない。少なくともゼロスの知る勇者二人は生活苦で、今もどこかで必死にアルバイトをしているはずだからだ。
いや、片方は問題を起こしそうだが、獄中で漫画を描けるほど手先が器用だとは思えない。
他の勇者達はアトルム皇国にいるわけで、そうなると同じ転生者としか考えられない。
そして、デルサシス公爵はゼロス達の正体に気付いている節がある。何しろ『君達は、こうした言い方をすると~』と言ったのだ。
「デルサシス殿、ここは暗黙の了解と思ってくれませんかねぇ~。僕達としては、面倒事は避けたいわけでして」
「やはり二人は転生者か。最近、他の領地でも馬鹿な真似をする者が増えてな、特に『奴隷ハーレム』やら『ケモミミハーレム』、『クッ殺さん』がどうとか……」
「「恥ずかしぃ~っ!! 同類の存在がここまで恥ずかしいものだとは思わなかったぁ~っ!! 現実を見ろよ、馬鹿なのか!?」」
同郷の者が各地で色々とやらかしているようだった。
チート転生で有頂天に舞い上がり、エロムラと同じように馬鹿な真似をやらかした者がいるようだ。性の欲望に忠実すぎる。
「まぁ、私としては有能なら性格や性癖をとやかく言う気はない。使えないのであれば養護する必要はないからな、遠慮なく法で罰すればいいだけだ」
「こわっ!?」
「まぁ、僕も他人がヘマした尻ぬぐいをする気はないですしねぇ、自業自得なら仕方がない。堅実に物事を考えなかったヤツが悪い」
「こっちは冷たい!?」
おっさんはおっさんで、馬鹿をしでかしたヤツを助ける気がなかった。
所詮は他人の自業自得であり、行動には責任が伴うことを考えず好き勝手をした結果に過ぎず、同郷だからという理由だけで助けようとは思わない。
ここで甘やかすと再犯する確率も高く、なによりも学ばず異世界を生き抜くことなどできるわけがない。何よりも馬鹿な真似をしでかすような転生者とは知り合いになりたくなかった。
「僕ら以外の転生者がどこで何をしようが知ったことではありませんが、下手に知り合いになったらつけ込まれそうだからねぇ。ここはきちんと刑期を終えて真人間になって貰いましょう」
「ゼロスさんがまともなのかはともかく、その辺は同感かな。ところでデルサシス公爵、話はズレたが俺達に何の用があるんですか? 厄介事ですか?」
「それなのだが、調査依頼を二人に出したい。最近、国境付近で不審な遺体が見つかり、その調査が難航している」
「そういうのは、各領地の警務を預かる方々の仕事では? 僕達を呼ぶ理由としては少し弱いと思いますがねぇ」
「取り敢えず、この報告書を読んでみてくれないかね。その上で意見が欲しい」
手渡された紙には、現時点の調査内容が書かれていた。
それによると第一の被害者は盗賊のようで、その姿はミイラのように干からびていたらしい。外傷はなく、遺体の具合から死後さほど時間が立っていないとのことだった。
また、傍らには武器が落ちており抗戦した形跡が見られるのだが、仮に魔物に襲われたのであれば何らかの痕跡が見られるはずである。例えば血痕などだ。
その痕跡が何一つ見つからない。
「……不審死か? しかしミイラのように干からびるって……これ」
「う~ん……ドレインタッチかな? けど、ここまで干からびさせることができる魔物って、いたっけかなぁ~? ハイ・ウィザードのリッチなら強力なドレイン効果の特殊能力を持っているから分かるけど、アレはダンジョン特有の魔物だしねぇ」
「遺跡にも出たよな? ただ、ドレインだけでここに書かれているほどの効果があるのか俺も疑問だ」
「ミイラ化……ねぇ」
ゼロス達のモンスター知識は【ソード・アンド・ソーサリス】のもので、現実にエナジードレインを行う魔物に襲われた被害者がどのような死に方をするのか、そこまでは分からなかった。
何しろ、死ねばマイナスペナルティを受けセーブ地点で復活するのだから、実際の被害者がどのような姿になるかなどわかるはずもない。それこそミイラ化などは定番であるのだが、ゲームと異世界の現実は確かめてみなければ分からないのだ。
「ヴァンパイアはどうだ?」
「外傷がないらしいからどうだろねぇ~? というか、吸血鬼なんて魔物はこの世界に来てから聞いたこともないなぁ。傭兵ギルドの討伐依頼にもなかった気がする」
「ふむ……魔物に関して多少なりとも心当たりがあるようであるな。やはり君達を呼んで正解だった」
「「あっ……」」
ここに来て大きな過ちを犯したことに気付く二人。
デルサシスはあくまでも被害者の死に方から意見を求めただけであり、特定の魔物名までは求めていない。エナジードレインという特殊能力だけを判明できればそれで良かったのだ。
だが、ゼロス達は未確定とはいえ悪戯にモンスターの名前を挙げてしまった。
つまり、その手の魔物と戦ったことがあると証言したも同然である。
これでますます厄介事から引きづらくなった。
「被害者をこのような姿にする魔物は初めてのことでな、特定できずに頭を悩ませておったのだよ。いやいや、ここはぜひとも二人の力を借りたいところであるな」
『『は、嵌められた……。元から断りづらかったけど、これで逃げられない』』
デルサシス公爵は転生者や異世界人といった目で二人を見ているわけではなく、使える人材か否かで物事を判断し、その上で上手く誘導し手駒として利用する。
断りづらいために、ゼロスとしては正直手強い相手であった。
「まぁ、いいですけどね。これは原因を特定した上で、討伐も含めた調査依頼ですか?」
「うむ。原因が判明し、排除できるのであればやって貰いたいな。それなりの報酬は約束しよう」
「俺、世話になってる手前、選択肢がないよな? まぁ、給料が出るならやるけどさ」
「なんなら、夫婦二人で暮らせる物件も用意しようではないか。格安で私の手元にある物件から相応しい家を進呈しよう」
「やりますぜ、ボス! 必ずこの依頼を成功させてみせる」
調査依頼を速攻で安易に受けてしまったアド。
ゼロスとしては交渉を交えながら慎重に判断したかったところだが、目算が崩れてしまった。
また、不測の事態も考えられ、さすがにアド一人にだけ依頼を受けさせるわけにもいかない。下手をすれば女性陣に睨まれる。
『こりゃぁ~デルサシス公爵の作戦勝ちだな。アド君の要望を知った上で話を持ってきたんだろうねぇ。隙すら見せないとは、マジで手強いわ』
こうなるとおっさんも腹を括るしかなかった。
「この依頼書に署名をしてくれたまえ。あと、被害者の遺体を調べることも考えられるので、砦への入場許可証も用意した。では二人とも健闘を祈る」
「そのノリ、まだ続けるんスね……」
「意外とお茶目な人だったか。上司に欲しかったなぁ~、こんな人……。あっ、来たついでにバイクを置いていきますね。何か異常があれば持ってきてください」
「ほぅ、これで休暇を少しは楽しめそうだな。明日にでもさっそく試乗してみることにしよう」
こうして二人は調査依頼を受けた。
敵がいるかも分からない不明瞭な状態であり、しかも手掛かりは盗賊の遺体しかない。
ゲームのようなヒントもあるはずもなく、この捜査の難易度はかなり高い物となるだろう。
ゼロス達は帰宅するなり旅支度を始めるのであった。
余談だが、この日を境にデルサシスが街道で風になることが楽しみになったらしい。そして、別の意味で彼の行動範囲が広がったことになる。
裏社会の大物が消え、デルサシスの勢力が拡大していったらしいが、その勢力範囲はいかほどのものか謎である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「えっ? 温泉……ですか?」
母親に呼び出され執務室を訪れたクリスティン・ド・エクウェルは、あまりに唐突な話に戸惑いの声を上げた。
「そう。最近、あなたは無理をしているようなので、しばらくは鍛錬や勉強から離れて貰います。要は息抜きですね」
「ですが、お母様……僕――私は領主として、一刻も早く相応しい実力を……」
「それで体を壊されては元もこうもありません! イザート達も気を遣ってくれていますが、仮にも跡継ぎという立場のあなたが体調管理を怠ってどうするのです」
「うっ……」
「それにね、クリスティン……。目標に向かって努力をするのは間違いではありませんが、あなたが近いうちに倒れるのでは皆が不安になっています」
「お母様……」
確かにクリスティンは領主になるべく努力を続けていた。
思い返しただけでも夜遅くまで本を読み続け、昼は剣の腕を磨くべく鍛錬に明け暮れ、他にも礼儀作法や魔法の修練など休む暇がないほどだ。
魔法が使えるようになり、彼女のやる気が異様なまでに高まったのも原因でもある。
それも領民のために命を懸ける父親の姿に一歩でも近づくためだ。
だが、確かに最近まともに休んだ覚えがない。確かな手応えを感じてしまったがため、歯止めが利かずに暴走状態だったと思えた。
「あなたは確かに領主になることになってしまいましたが、婿を取れば夫を支える立場になるのですよ? 今から無駄にガチムチになられても困ります」
「ガチムチ……お母様はどこからそんな言葉を? いえ、僕はそんなに筋肉質ではありません!」
「でも、このままではそうなる可能性もあるわよね? 母は心配です……最近では浴場で下着を無造作に放り投げて、湯船に飛び込むようになってしまって……。女性としての嗜みは何処へ消えたの……。母は悲スィ……」
「そ、それは……。と言うか、それと温泉旅行に行くのは関係がないのでは……」
たまに礼儀などを捨て去り、品のない真似をするのが最近のクリスティンの密かな楽しみだった。だが貴族としては些かどうかと思う。
それでも普段は貴族らしく振る舞うようにしているので、少しのことくらいは目を瞑ってくれても良さそうなのにと心の中で呟いた。
しかし母親に目の前で言われると、さすがに羞恥心で顔が赤く染まる。
「これも……あの人に先立たれて重荷を背負わせてしまった所為なのね。ヨヨヨヨォ~」
「お母様、ワザとらしいです。分りましたぁ、行きますよ! 休息を入れれば良いんですね!」
「えぇ、ゆっくり休養をとれば良いのです。まったく、手間をかけさせるんだからこの子は……」
「僕が悪いの!? ねぇ、この流れは僕が悪いの!?」
「あと、言葉遣いが私から僕に戻っているわよ? まだまだね」
「だから、どこからそんな言葉遣いを覚えてくるんですか……」
普段は淑女なのに、ときおりクリスティンで遊ぶマルグリット。
女手一つで領主としての仕事を続けている彼女は、クリスティンをからかってはストレス解消と親子のスキンシップを図るのだ。一石二鳥だがからかわれる方は困惑するだけである。
「ちなみにネタはこの本よ? 【野球なプリンス】と【スーパー・ブラザーズ】」
「最初のはともかく、もう一つはなんか怪しくないですか?」
「あの人も見た目は痩せ形だったけど、脱いだら凄かったから……。筋肉、良いわよね? あっ、でも娘がガチでムチになるのはちょっと……」
「だから、私はそんなに筋肉質にはなりません!」
「頭から怪光線は無理でも、目からビームくらいはできないかしら?」
「お母様!?」
時々母が分らなくなるクリスティンだった。
娘に何を求めているのやら……。
「あと、温泉にはあなたを含めて三人で行って貰います。イザートとサーガス様ですが、これは宿泊券で宿泊できる人数が決められているからです。後は期限切れ間近であることと、予算的に他の者をつけるには無理があるからですね。……交通費とか」
「えっ? イザートはともかく、サーガス先生とですか?」
「なにぶんお歳ですからね、たまにはゆっくりと骨休めをしたいそうなのですよ。最近は腰痛が酷いとか」
「さっき、騎士達と一緒に格闘訓練をしていましたが……? うん、それは休養が必要ですね。睨まないでください、お母様……怖いです。それで、いつから温泉旅行に行くんですか?」
「三日後です。たまたま騎士の中に福引きで無料宿泊券を当てた者がいたのですが、所用で行けなくなったそうなので、その宿泊券をイザートに頼んで快く都合して貰いました」
「僕にはその『快く』と言う言葉が信じられないんですけど……。絶対に無茶したでしょ」
エクウェル子爵領は小さいが、森から稀少な薬草や茸などが採取され、更に栽培もしているので財政的には豊かであった。
錬金術士から調合用に注文も多く、国中の魔導士から贔屓にされている家柄だ。そんな領地なのに騎士家系なのは、代々魔力が低い子供ばかり生まれるからであり、物心ついて直ぐに魔導士を目指すのを諦める。
結果として躰が資本の騎士を目指すことになるのだが、言い換えるならば体育会系の一族となってしまい、最近まで熱血路線で剣の修練に明け暮れていた。
つまり気は良いが口が悪い連中が多く、中には些か強引な性格の者達もいるわけで、頼み事をしていても脅迫しているようにしか見えないのである。
しかも体格の良い男達数人に囲まれてしまえば、その迫力で嫌でも『はい』と言ってしまいかねない。例え正当に頼んでいたとしてもその光景は犯罪現場だ。
「ちゃんとお金は支払いましたよ?」
「その代わり、かなり脅したんじゃないですか? 三日後って急すぎるじゃないですか!」
「そ、そんなことはありません。えぇ、ありませんとも」
「なら、ちゃんと顔を向けて話してください。それと、なぜ二回も言うんですか?」
娘の教育には厳しいマルグリッドだが、それ以上に親馬鹿であった。
普段は毅然とした態度を崩すことはないが、母娘の二人きりになればこのように羽目を外すこともある。そんな時ほど行きすぎた行動を取ってしてしまうのだ。
「脅してないから! 本当よ? ママを信じて……」
「ハァ~……どちらにしても、僕は休暇を取らなければならないわけですよね? お母様のせいで尊い犠牲者を出してしまいましたし、誰かは知りませんがその人の犠牲を無駄にするわけにはいきません」
「凄く……人聞きの悪い言い方ね。誰も殺していないのに……」
「確かに最近は詰め込みすぎていたと思いますし、心配をかけたのも事実。ここは皆さんの好意に甘えるとしましょう」
自分は恵まれていると思いながら、家族と言うべき者達の優しさに甘えることを決めた。
それだけ自分が無理をしているように見えていたのだから、心から謝りたいとも思う。しかし、クリスティンの立場では自分から謝ることはできない。
貴族としての立場は何かと面倒であった。
「皆におみやげを用意しないといけませんね」
「あっ、ママはね、【ルーズベリーのワイン】が良いわ。リサグルの村の辺りは名産地なのよ。以前は聖法神国から遠回りで経由して商人が来ていたから、値段が凄いことになっていたのよねぇ~」
「今は町ですよ? じゃぁ、皆にワインを一本ずつ贈りましょう」
ルーズベリーは冬に実るブドウのような植物だ。
秋に花が咲き、花弁が散った後に半円形の房をつける。実の一つはブルーベリーを想像すると良いだろう。
そのまま食べても酸味のある甘さがあって美味しいのだが、ワインにすることで極上品質の酒となるのである。ついでに【リキュールポーション】の素材としても使える優れ物。
低ランクの物なら庶民でも手頃な値段購入ができ、貧乏魔導士や錬金術師も欲しがる一品なのだ。
「結構な値段がするのではないですか?」
「多少品質が落ちる物でも良いのよ。それでもあの美味しさは、ワイン好きには堪らないものですしね」
「僕はお酒に弱いから分らないけど……」
「お酒の味が分らないなんて、クリスティンはまだまだお子ちゃまね。嗜むだけでも味くらいは分るようにならないと、社交界では辛いわよ?」
「……お母様のお土産は別に要らないよね。屋敷にいる皆の分を優先させることにして、どうやってその数を持ってこようかな?」
「えっ、うそぉ!? 冗談よね? 本気じゃないわよね?」
マルグリットは酒好きで、それもワインに関しては目の色を変えるほどの酒豪であった。そんな彼女は娘の機嫌を取ろうと必死である。
この時点で立場が見事に逆転していた。
「おぉ~い、話はついたかのぅ。そろそろ講義の時間なのじゃがな」
「あっ、サーガス先生」
微笑ましい母娘の対話中、ドアをノックして巨漢の老魔導士が部屋を訪れた。
そこでサーガスが見たものは、お世辞にも貴族としての威厳があるようには見えないものだった。
「ふむ、まだ揉めておったのか? じゃが、休暇を取るのは確定事項なので、クリスティンに選択権はないぞ?」
「いえ、その件は既に話は着きました。今は屋敷の皆さんに買ってくるお土産を、どうやって運ぶか迷っているところです。お母様の分は抜きですが……」
「いやぁ~~っ、そんなつれないことは言わないでぇ!! お願いだからワインを買ってきてぇ~~~っ! クリスティンはママのことが嫌いなの? 嫌いになっちゃったのぉ!?」
娘の腰に必死にすがりつき懇願するマルグリットの姿に、普段の当主としての厳格な姿は微塵も感じられなかった。
涙目で娘を何とか説得しようとしている姿が、あまりにも情けない。
これではただの飲兵衛だ。
「……それなら昔ダンジョンで手に入れたアイテムバッグがあるぞ? 見た目よりも量が入るから、荷物の運搬は問題ない」
「あっ、それなら大丈夫ですね。これで安心してお土産を買って来られます。お母様の分以外は……」
「うそぉ、本気なの!? お願いだから嘘だと言ってぇ~~~~~っ!」
マルグリットの懇願は、一切無視され続けた。
この日から二日間で旅行の準備を住ませたクリスティンは、その翌日にサーガス老と護衛騎士のイザートを伴い、馬車でアトルム皇国領のリザグルの町へと出立した。
『本当にワインを買ってきてね? お願いだからぁ~~っ!!』という涙声で叫ぶ母に見送られながら………。
早朝、仕事を始める領民に見られ、クリスティンは本気で恥ずかしかった。