さぁ、温泉へ行こう
ディーオがツヴェイト達の元へ戻ってきたとき、丁度学院生達全員に冬期休暇の連絡が届き、全員が慌ただしく帰り支度の準備を一斉に始めていた。
いや、季節が変わっているのでもはや春期休暇である。
当然だが、クロイサスやセレスティーナ達のいる魔道具調査部研究者や守備隊の騎士団も混乱し、組んでいた予定が大幅に変更を余儀なくされ罵声が飛んでいたりする。
だが、学院生達にとっては関係のない話だ。
何しろ休暇は学院生にとって家族のもとへ帰れる時期であり、この日を楽しみに友人同士で色々と予定を立てていたりもする。なかなか来ない連絡に対して不満が蓄積されていたのだから余計に帰宅準備が慌ただしくなった。
「温泉に行こう!」
「「はぁ!?」」
そんな最中、ツヴェイトと彼の護衛役であるエロムラは、唐突に何の前触れも脈絡もなく言い出したディーオ言葉に間抜けな声を上げた。
まぁ、街から戻ってきていきなり、『温泉に行こう』と言われても答えに詰まるだけである。
「ディーオ……それ、男同士で…か?」
「なんか、ヤバイ気がするんだが……お前、そっちの気があるのか?」
「なんでだよ! どうして皆そっちに話を持っていくわけ? 俺はノーマルだよ!!」
『『誰かに言われてんのか?』』
ツヴェイトとエロムラの疑問に対し、デイ―オは凄い剣幕で完全否定。
さすがに、少し前まで男色疑惑をかけられていたなどとは、二人も思わないだろう。
ただ聞いたタイミングが悪かった。
「ミスカさんにリザグルの温泉宿泊券を貰ったんだ……。俺一人で行くのも何だし、ツヴェイト達を誘っただけだよ! 決してそっちの趣味じゃないからね!! 本当だぞ!!」
「わかった、わかった。それにしてもミスカからかよ……裏がありそうで怖いな」
「けどよぉ、同志。もうじき冬期休暇に入るんだろ? 実家に戻る前に旅行も良いんじゃねぇか? 俺も温泉には行ってみてぇしさ」
「そうだな……。ただし、リザグルは隣国の町だから馬鹿な真似はできねぇぞ?」
ツヴェイトは温泉の宿泊券をミスカがくれたことが引っ掛かっていた。
彼の知る限りミスカはそんな施しをするような女ではない。むしろ何か裏があると疑った方がしっくりくるほどに善意を期待できない。
と言うより、善意とはほど遠い性格なのだ。
そして、その裏には絶対に祖父クレストンの指示があると睨んでいる。
何しろ彼女を雇っているのは父親のデルサシスではなく、クレストンだからである。それだけでもあやしさ大爆発だった。
『お爺様……これを機にディーオを抹殺しようとは思っていないよな?』
充分に考えられる話であるが、今回に至ってはミスカの独断であることなど知るわけもなく、ツヴェイトは確証もない疑念に頭を悩ませていた。
「ディーオ、ミスカのヤツは他になにを言っていた?」
「ん? 福引きで宿泊券が当たったけど、ダブったから使いませんかって俺にくれたんだ」
「なるほど……お前の目的はセレスティーナか。俺をダシに使う気だな?」
「いいじゃないかぁ! 確かにツヴェイトは会話をするきっかけは作ってくれるよ。けど、彼女との仲を取り持つようなことはしてくれないじゃないかぁ!」
「俺だって辛い立場なんだよぉ!! 実の祖父の手でお前が殺されるところなんて見たくねぇ!」
主に親友の命が掛っている。
だが、その親友は無謀にもセレスティーナを諦めることはなく、今も想いを募らせていた。
むしろ、ツヴェイトが積極的に荷担してくれないため、ディーオがいささか暴走している傾向がある。
このままではクレストンの手によって、ディーオは人知れずDEATHされてしまうだろう。友の心、親友知らずである。
「なぁ、同志……お前の爺さん、そんなに恐ろしい人なのか?」
「まぁ……セレスティーナに関してだけは異常だな。下手をするとディーオの家族にまで被害が及びかねん」
「わぉ……そいつは病気だ。孫娘なんて、いずれは嫁に行くもんだろ。ディーオはそんなに悪い奴じゃないと思うぜ? むしろ善人だろ。くっついても安心なんじゃね?」
「善人だろうが悪党だろうが、お爺様にとってセレスティーナに近づく男は全てが敵だ。むしろ今も生かされていることの方が不思議でならねぇ……」
「……お前の爺さん、頭は大丈夫なのか?」
「少し前まで俺も尊敬していたんだ……。だが最近、家族の関係を考えることがあるとだけ言っておく……」
【煉獄の魔導士】という異名持ちの偉大な祖父だが、今のクレストンはただの馬鹿としか思えなくなっていた。
無論貴族として現役だった頃の領地運営や、統治における法遵守の厳格さは尊敬に値するが、今では見る影もなく孫娘を溺愛しすぎで引くほどだ。
今までツヴェイトはクレストンの貴族としての顔しか知らず、セレスティーナに対する彼の溺愛振りを最近まで目にしたことがなかった。
その偏執的な溺愛振りの光景を、ゼロスの講義を受けているときに目の当たりにしてしまい、以降理想と現実の差に愕然とした。
「最近さ……知りたくもなかった現実ばかりを目にするんだ。改めて考えると俺の家族って変な気がしてよ……」
「あぁ~気をしっかり持て、同志よ。例え性格的に問題があっても、優秀なところは確かにあるんだろ? なら、優秀だと思えるとこだけを学べばいいじゃねぇか」
「すまん……。このところ俺の周辺が暴走しているような気がしてな、家族関係に疑問が浮かんでしょうがねぇ……」
「家族の本性を知っちまって悩んでんだな……。俺には慰める言葉が上手く浮かばん。強く生きろ」
「その気遣いはありがたく受け取っておく……」
「同志の家族、噂で結構話を聞くけど……。事実を知ると確かにおかしいよなぁ~。まとめてみると……」
エロムラは自分が知る情報を簡潔にまとめ、並べ立てていく。
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父親デルサシス。
貴族としても商人としても常識の埒外で、女性関係が謎のやり手。
裏で何をしているのか分らない無法者。
弟のクロイサス。
魔導の知識を探求するマッド。周囲を巻き込むほどのトラブルメイカー。
妹のセレスティーナ。
才能を開花させた才女だが、プチ腐女子。
ミスカの暗躍でそっち系の書籍を出し、見事に作家デビュー。
しかもベストセラーとなって儲けを出している。
兄妹の中で一番金持ち。
祖父クレストン。
他国に知れ渡るほどの高名な魔導士だが、異常なまでに孫を溺愛する。
セレスティーナのためと称して裏で暗躍する変質者。
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母親に関しては浪費癖があるだけだが、貴族の女性であれば許容範囲内。
元より貴族の年間収入は一定に均一化しており、その予算内での暮らしをしていく決まりとなっている。税金の無駄遣いはできない。
こうなると、クレストンの血を引く者が異常な才能を秘めていることになるのだが、ツヴェイトだけがその枠組みから外れていることは確かである。
「こうして見ると、同志の血筋って凄ぇな……」
「待て、エロムラ! セレスティーナが作家デビューって、俺は初耳だぞ!?」
「いや、俺も偶然知ったんだよ。ミスカさんがお前の妹に『原稿はまだですか? 締め切りまであと三日しかありませんよ? 前作の主人公とサブキャラの男性との絡みが気になってしょうがないと、読者の意見がファンレターで殺到しているんですよ』、って言っていたところを偶然見かけてさ」
「それだけでそっち系の本とは限らないだろ。主人公が女かも知れんし……」
「気になってそのまま聞いていたんだが、どうも主人公の名前がフレッドらしい。どう考えても男だろ……。んで、男性サブキャラとの絡みと言ってるんだぞ? 明らかにそっち系だろ」
「マジか……。いつから腐ったんだぁ、アイツはぁ!!」
「俺が知るわけないだろ」
ツヴェイトはセレスティーナだけはまともだと思っていたが、現実は残酷だった。
予想の斜めを行くのがソリステア公爵家の血筋の傾向にあるようである。
その事実にツヴェイトは愕然とする。
「……ディーオ、お前はこの事実を受け入れ……ん?」
こうなると、セレスティーナに想いを寄せるディーオの心境が気になり、彼に話を振ったツヴェイトであったが、彼は膝を組むようにして座り部屋の角で何かを呟いていた。
ディーオの背後から覗きこんでみれば彼は感情を無くし、ただ都合の良い現実を信じようと必死に自己暗示をかけているようである。これはさすがにヤバイ。
「嘘だ……俺は信じない。これは何かの陰謀だ………そうだ、俺を彼女から引き裂くクレストン元公爵の罠に違いない。そうだ、そうに決まっている…………」
「どうやら、ディーオのヤツは既に事実を知っていたようだぞ。どうすんだ? 同志……」
「どうするも、俺に恋愛の相談とかされてもなぁ~。そもそも俺も相手がいねぇ立場だぞ? 女心の機微なんてわかるわけがないだろ」
「まぁ、趣味の話だしな。ヘタに突けば自滅する可能性もある」
ディーオからしてみれば、セレスティーナのボーイズラブに対する趣味は看過できるものではない。だが否定したところで意味はない。
仮のそのことを詰問し『やめろ』などと言えば、彼の立場や印象は最悪になりかねない。
元より知り合い程度の関係なので、ここで余計なお世話をすれば嫌われる可能性が高いのだ。しかしそれはツヴェイトにとってありがたいことでもある。
何しろ親友が祖父の手で抹殺される危険があるのだ。ここですっぱりと諦めてくれるのであれば、今後何の心労も抱えないで済むメリットがある。
「あぁ……俺はどうしたらいいんだ………」
「友情と家族の間で苦労してんな。しかたがない……俺が何とかしてみる」
「エロムラ!? そ、そんなことができるのか?」
「まぁ、あんな理想と現実の狭間で都合のいいことだけを信じ込もうとするのは、どう考えても危険だしさ。ストーカーになられても困るだろ? ディーオの奴は何気に粘着質な傾向があるからな」
「クッ……エロムラ。もつべきものは同志だな」
「フッ……任せろ」
ニヒルな笑みを浮かべツヴェイトに背を向けるエロムラ。
そして部屋の隅でブツブツと呟いているディーオの後ろに立つと、おもむろに足を上げていきなり蹴り飛ばした。勿論手加減をしている。
「へブシャァ!?」
ゴンという音と共に、ディーオは当然だが顔面を壁に強打することになる。
痛みで顔に手を当て蹲る彼をエロムラは襟首を掴み、強引に自分を直視するよう顔を向けさせた。かなり荒っぽい。
「認めろ、ディーオ……。ティーナちゃんは腐の世界の住人だ」
「ち、違う! これは夢だぁ、あんな天使が腐った世界に興味を持つわけが……」
「幻想を抱くなぁ、現実を直視しろ! あの子は男同士がくんずほぐれつ『アァ――』の世界を妄想し、時間があるときにその妄想を白い紙に書きしたため、あまつさえその妄想の産物を書籍で転売して印税でウハウハのブルジョワだ!」
「やめろぉ―――っ!! 違う! これは何かの罠だぁ―――――――っ!!」
「逃げるんじゃねぇ!!」
「ギャプッ!?」
ディーオの頬にビンタを食らわしたエロムラ。
その時の彼の顔は無駄に男前であった。
「いつまで喚いていれば気が済むんだ! ティーナちゃんは腐女子だ、いい加減に現実から目を背けるのはやめろ!」
「やめてくれぇ―――――っ!! 聞きたくない!!」
「いや、聞け! 確かに褒められるような趣味ではないだろう。しかぁ~しっ、彼女の出した書籍は一定の評価を受け今やベストセラーだ。それは万人が認めるものであり、そこに一つの文学性がある事に他ならない。ディーオ……お前は、ティーナちゃんの綺麗なところしか認めず、細やかな欠点すら否定する気か? それであの娘に惚れていると言えるのか? 一生自分を律して生きろと言うつもりか? それはお前の理想の押しつけで、彼女の個性全てを否定しているのと同義ではないのか? 傲慢だろ!」
「!?」
ディーオの背中に稲妻が走った。
そう、確かにセレスティーナの趣味はあまり褒められたものではない。
されど欠点や人からは拒絶されるような趣味を持っていたとしても、それは彼女の一面の一つにしか過ぎない。どんな優れた人間にも欠点は必ず存在する。
人はそれぞれ個性があり、その個性や感性によって好みや趣味は多様にわかれ、千差万別の人間が溢れている。それが社会だ。
他者が個人の趣味を否定する権利などなく、差別化しようものならそれは傲慢以外の何ものでもない。エロムラの熱い言葉はディーオに衝撃を与えた
「俺が……彼女を否定した?」
「あぁ……どんな趣味を持とうと人の自由だ。だが、ティーナちゃんが楽しんでいるものをディーオが侵害する権利など何処にもない」
「……確かに、俺は彼女の綺麗な面しか見ていなかったかも知れない。むしろ彼女に対しての理想像が高すぎたのかも……」
「いや、男が女性に求める理想のほとんどは妄想で、現実はその半分も満たないと思うぞ? 俺も男だからその気持ちは痛いほど分る。だが、本当に好きならその人の良い面も悪い面も受け入れるべきだろ」
「俺が間違っていたよ、エロムラ……。そうだね、彼女の全てを受け入れ愛してこそ未来は幸福に満ちるはずだ……。それなのに俺は……」
セレスティーナの趣味の是非はともかく、それ以前にディーオと彼女の関係は未だに平行線のままだということを忘れている。まだイチャラブな関係ではない。
しかし二人は勝手に話を進めているので、その現実に気付いていなかった。
「そうだ! 俺は……否定し続けるのではなく受けとめ、この障害を乗り越えて彼女と輝かしい幸福な世界を目指すべきなんだぁ!! ありがとう、エロムラ。俺は目が覚めたよ」
「うむ、恋愛は戦いだ。それ以上に意中の相手には寛容でなくちゃな」
彼女のいないエロムラが、偉そうに腕を組んで満足そうに頷いている。
「いや、それ以前にセレスティーナとの仲は未だに進展してないだろ。つぅか、その方が幸せだと思うんだが……」
ツヴェイトの呟きの通り、これでディーオはますますクレストンの魔の手に曝されることになる。本気で誰かを好きになることは素晴らしいが、現時点でディーオとセレスティーナの関係は変わらない。一言で言うのであれば他人だ。
そして再び余計なリスクを背負うことになったわけだ。逆に言うとエロムラは余計な真似をしたことになる。
「……エロムラ。お前、なに焚き付けてんだよ。諦めてくれた方が楽だったのに」
「いや、人の恋路ってさ、応援したくなるじゃん」
「その心意気は分るが、ディーオの命が危険だということを忘れてないか? 暗部が直接動いたら、三日後にディーオはオーラス大河に浮かぶことになるぞ」
「落ち込んで鬱陶しいよりは良いだろ? まぁ、公爵家令嬢なんだから、一般人のディーオと結婚できるわけがないだろうさ」
セレスティーナに関することにかけて、二人が辟易するほどディーオはウザかった。
立ち直り新たな決意に燃える彼は、『やるぞ! うぉ―――――っ!!』と叫んでいる。そして恋は彼の目を盲目にし、公爵家の令嬢である現実を完全に忘れていた。
例え公爵家の人間として認められていなくとも、その血統は間違いなく王家直系の血が流れているわけであり、将来の相手は相応の地位にいる人物が選ばれるだろう。
どちらにしてもディーオと結ばれることはないのだ。エロムラも考えなしに焚き付けたわけではない。
「それは、そうなんだが……。ディーオを見ていると、あの根性で地位をもぎ取りそうな勢いがある気がして……」
「それ以前に、現在相手にもされてないだろ。ティーナちゃんは男を作るよりも今が楽しそうだからな」
「まぁ、それもあるな。ところで、お前はいつからセレスティーナのことを『ティーナちゃん』などと馴れ馴れしく呼んでいるんだ?」
「ん? 結構前からだが、二人の前で言ったことなかったっけ? まぁ、俺の名前はエロムラで定着してるけど………」
「なん……だってぇ……?」
やる気を出して立ち直ったディーオが、突然ホラー映画の悪霊に取憑かれた被害者の如く、骨格的にあり得ない角度で首を回しこちらへ振り返った。
「な、何か……怖いぞ、ディーオ………」
「なんで……なんで、エロムラの名前をセレスティーナさんが覚えているのさ……」
「いや、俺は二人が講義中で護衛ができないときに図書館で良く会うし、偶にミスカさんに頼まれて代わりに護衛もしてるわけで……自然と覚えられる機会があるわけだ」
「あなた……狙ってますか?」
「その、ドアップで迫りながら俺の前で首を傾げるの、やめてくんね? どこかの司教を思い出すんだけど………」
凄まじい迫力でエロムラに詰問するディーオ。
今にも背後から黒い手を無数に伸ばしそうな雰囲気である。
ドス黒いフォースは放出しているが……。
「ディーオ、エロムラはエルフと少女にしか興味はないぞ? 堂々とアンズに手を出したいと言うほどだ。ツルペタドンとこいと言うほどの変態だぞ?」
「それ、セレスティーナさんも守備範囲内という事じゃないかぁ!」
「何気に失礼だなぁ、同志!? それ、逆効果だからぁ!! 火に火薬を放り込んでるからねぇ!?」
ディーオから危険な気配が発散されていた。
そして、フラフラと自分のテーブルのもとへ向かうと、ペーパーナイフを取りエロムラに振り向く。
「へへへ……セレスティーナさんに近づく男は、皆死んじゃえば良いんだぁ~~~」
「「それはストーカーの思考と同じだぞ!? つぅか、はやまるなぁ!!」」
「ツヴェイトもさぁ~、協力的じゃないよねぇ……? 諦めさせようとしたりして、酷いと思わないかい? 俺がどれだけ彼女を真剣に想っているか、ここであらためて知って貰うのも良い機会だと思うんだぁ~~……」
なぜかディーオの矛先はツヴェイトにも向けられていた。
おどろおどろしい気配を醸し出しながら、彼はゆっくりと足を進める。対してツヴェイト達はあまりの迫力に後ずさった。
「なぁ、ディーオ……落ち着け……」
「俺は落ち着いているよぉ~、ツヴェイト……。けどさぁ~、君も悪いんだ……俺から彼女を引き離そうしているのは分ったしさぁ~……」
「引き離すも何も、お前はまだ友達以上恋人未満にすらなってねぇじゃん……」
「エロムラ、君は危険すぎる。彼女に近づくための障害は少ない方が良いんだ………」
「「は、話せば分る………」」
「問答無用……ディーオ、目標を駆逐する」
彼は暴走した。
溢れんばかりの恋慕の情を殺意に変えて……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――カラン! カラン! カラン!
「おめでとうございます! 一等、二泊三日二名限りのリザグル温泉宿泊券、大当たりぃ~~!!」
「………」
サントールの街の商店街で福引きを当てたジャーネは、いきなり大当たりを引いてしまい当惑していた。
たまたま食料の買い出しで貰った福引き券、なんとなく試した一度きりのくじ引きは、自分でも予想外の結果が出てしまったのである。
別に期待していたわけではないが、できれば二等の剣【ツヴァイハンダー】か、三等の【上級ポーション詰め合わせセット】の方が良かった。
「………一等はいいから、二等か三等のどちらかに変えてくれないか? アタシとしてはそっちの方が欲しいんだけど」
「残念だけどぉ、そのどちらも既に当てられてるネ。今から変更は不可能デース」
「あっそ……」
宿泊券が当たったこと自体は嬉しいが、問題は『二名限り』というところだ。
ジャーネ達は三人一組のパーティーなので、どうしても一人があぶれてしまう。
また、使用期限があるので使わないともったいないが、誰が行くかで揉めるのだけは避けたいところであった。
「どうする?」
「私は行かないわよ? 温泉に行くなら、可愛いダーリン達と行くから」
「まぁ、レナはそうだろうな……」
「レナさん……。あたしも無理かな。ジョニー君達に引率を頼まれて、街の外で狩りの訓練につきあうことになってるし」
「イリスもかぁ~……これ、有効期限が今月で切れるみたいなんだけど……」
イリスとレナ共に予定で埋まっていた。
こうなると温泉には一人で行かねばならないが、それはそれで寂しい気がする。
傷心旅行みたいで何か嫌だった。
「ん~、だったらおじさんと一緒に行けば?」
「イリス!?」
「あら、それは良いアイデアね。どうせゼロスさんに気があるんだし、ここは婚前旅行気分で行ってくれば?」
「こ、ここここ、婚前旅行!?」
ジャーネも一応自分が恋愛症候群を発症していることは自覚している。
元より本能が相性の良い異性を求めている現象なので、直す薬など存在するわけでもなく、いずれはゼロスの元へ嫁入りすることになるだろうとは思っている。
しかし、ジャーネはこう見えて内面が純粋な乙女であり、デートなどの段階を踏まずにいきなり婚前旅行するなど気が引ける。
「そんなこと、できるわけがないだろ!」
「なんで? ジャーネさんは発情中なんでしょ? おじさんと相性が良いんだし、このままゴールインしちゃいなよ」
「発情いうなぁ!!」
「ねぇ、前々から思っていたんだけど……。ジャーネって、ゼロスさんくらいの年配の男性に対して距離を置こうとするわよね? もしかして何かトラウマでもあるの?」
「………うっ」
レナの一言にジャーネは言葉が詰まった。
彼女の言ったことは確信を得ており、事情を知っているのはルーセリスを除けば育ての親でもあるメルラーサ司祭長だけである。そして触れられて欲しくない過去の話でもあった。
「そう……なんとなく想像はつくけど、言わない方が良いわね」
「アタシはレナのその察しの良さが嫌いだ……」
「えっ? えっ?」
「イリスは知らない方が良いわ。人のプライバシーには触れるものではないし、許しもなく不用意に踏み込んで良い話ではないから」
「それ、レナさんは知っているってことだよね? 私、そんなにニブチン?」
「ジャーネ自身の問題ということだけよ。だからこそ温かく見守っていましょう。ゼロスさんとの仲がどこまで深まるかをね」
「結局そこに話が行くのか……。それよりこの宿泊券、どうしよう。司祭長にでもあげるべきか……」
行き場のない温泉宿泊券。
幼い頃から世話になったメルラーサ司祭長にプレゼントしようかとも思ったが、なんとなく『そんなもんはいらないよ。気のある男と一緒に行けばいいさね。そんで女になってきな。アッハッハッハ!』と言われる気がした。
神への信仰を侮辱するような生き方をしている司祭長だが、妙に育てた子供達には気を回す人なのである。そして未だに結婚していないジャーネやルーセリスに対して何かとそちらの話を進めてくる。
孤児であった者達に幸せを掴んで貰いたいという優しさはありがたいが、段階を踏まずにいきなり関係を結んでこいという豪快さには辟易していた。
見合いを斡旋してくる世話好きおばちゃんよりはマシではあるが……。
「マジでどうしよう……」
手で拡げた宿泊券を見つめながら、ジャーネは深い溜息を吐くのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ソリステア公爵家には多く支持を得ている貴族家が存在する。
エルウェル子爵家もその支持する派の一つだ。
だが、子爵家の当主でもあったエドワルドは盗賊討伐で既に故人となっており、現在は妻であるマルグリット・ド・エルウェルが当主代行として領地の運営を切り盛りしていた。
元よりエルウェル子爵家の血族で、今は亡き夫であるエドワルドが婿養子として家督を継いだが、彼女が直系の血族である。
領地の運営は父親から学び、夫と死に別れるまで陰から支えてきたためにさほど問題はないが、現在気になるのは娘であるクリスティンである。
クリスティンはエルウェル家の三女として生を受けたが、上の二人は既に他家へと嫁に行ってしまい、エルウェル家は彼女が継ぐことになる。
それを自覚しているのかクリスティンは勉学に励み、また騎士として剣の修練にも明け暮れていた。だが母親として年頃の娘が責務に追われている姿は正直見ていて辛い。
どこかで息抜きをさせてあげたいとも思っているのだが、クリスティンの真面目すぎる性格がそれを頑なに拒んでいたりする。
そんな娘は現在、窓のから見える庭園で騎士達を相手に剣の修練に明け暮れていた。
「ハァ……どうしたものでしょうか」
「ふむ……無理にでも休ませる必要があるな。真面目なのは良いことじゃが、このままでは気負いすぎて潰れるぞ」
「やはり、そう思いますか? サーガス殿」
「うむ。年頃の娘じゃ、少しくらい遊んでも良いだろうが……少々無理をしているように見える。ここは強制的に休暇を与えるべきじゃな」
【サーガス・セフォン】。
【煉獄の魔導士】と異名を持つクレストン前公爵と双肩をなすと言われており、それなりに名の知れた魔導士である。そしてウルナ・ラハの養父でもあった。
歳に見合わぬほど筋肉質で長身のご老体で、その背丈は二メートル近い。
このご老体は元より奔放な性格で、誰かに仕えようなどとは思わない人物ではあるが、現在はエルウェル家でクリスティンの家庭教師を務めている。
なぜ貴族家の家庭教師をしているのかと言えば、ただ単に『生活費を稼ぐため』だった。
魔法適性がないと思われたクリスティンが、アーハンの村から戻った時にはなぜか魔法が使えるようになっており、急遽として魔法を教える教師が必要となった。
そして、クリティンは魔法を扱う術を覚えるのも早く、並みの魔導士では直ぐに教えることがなくなってしまう。ゆえにある程度の実績を持つ人物が必要となった。
生活費がない高名な魔導士と、後継者の教育に魔導士が必要とする子爵家で利害関係が一致し、現在に至っている。
「こんなことなら、イストール魔法学院にでも入学させるべきでした」
「いや、その時点では魔法が使えなかったのじゃろ? あそこは才能のない者には冷たい場所じゃ。行かなくて正解だと思うぞ?」
「ですが、同年代の友人すらいないのですよ? それはそれで悲しすぎます」
「ボッチか……それは辛いのぅ」
サーガスも養女でもあるウルナに友人を作らせるため、イストール魔法学院に入学させた経緯がある。
しかし、半年前までは虐めを受けていたようで、退学させることも考えていた。そのウルナも、かつてのライバルであり友人でもあるクレストン前公爵の孫と懇意になり、今は楽しく学院生活を送っていると手紙で読んだ。
友人は生きていくうえで欠かせない人同士の繋がりであり、ウルナに友人ができたことは大変喜ばしいが、クリスティンはそうではない。
「友人を作るのは無理じゃが、息抜きはできると思うぞ?」
「どうなさるのですか?」
「ほれ、最近何かと噂に聞くじゃろ。隣国の温泉の話をのぅ」
「なるほど、疲れを癒すという名目で鍛錬を休ませるのですね?」
「さよう。それに、あの娘がアーハンから持ち帰ったオリハルコン。鍛えられる職人がおらぬゆえに、未だに剣の制作できておらん。リザグルの町にはドワーフもおるらしいし、職人捜しの名目も立つわけじゃ。儂も骨休めに行くと言えば、あの娘も嫌とは言うまい」
「素晴らしい案です。サーガス殿! では、さっそく手配しましょう」
机に置かれた鈴を鳴らし執事を呼ぶと、意気揚々と温泉へと行く手配を指示するマルグリット。
そんな母親の気遣いを知らず、窓の外ではクリスティンは剣の修練を続けていた。