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おっさんは、偶に人助けをする



 昼も過ぎ、遅い昼食を終えたアドはゼロスを探していた。

直ぐに商品が売り切れ、早々に店じまいになり暇になったのである。

魔法薬の需要は予想よりも高く、多少高くても購入する者が後を絶たなかったのだ。


「しかし……なぜに一般家庭でもポーションを購入するかな? 常備薬でも充分だと思うが……」


 アドは少し勘違いをしていた。

【ソード・アンド・ソーサリス】では、回復系のポーションは戦闘時しか使われることがないが、異世界においては病気やケガなどの常備薬として認識されている。

 無論、多少の値段が張ることになるが、普通に一般家庭に置かれていることが多い。

 この世界では火を扱うにも薪や炭火を利用する。薪割りでケガをすることもあれば、火の扱いを誤り火傷することもある。

 アパートの上階から植木鉢が落ちてくることも普通に起こる。事故が起こらない日などないと言って良いほどだ。

 だが、転生者であるアドには、そうした異文化の知識が少し不足していた。


「さて、ゼロスさんはどこかな……」


 普段は馬車も行き交う大通りは人で溢れ、特定の人物を探し出すのは難しい。

 だが、【あやしい行商人】に身をやつしているゼロスの行動は、アドにとって最も熟知していることである。探すのは細い路地裏に面した街角である。

 今回は危険な商品を売ることはないと判断したが、何しろ【殲滅者】のゼロスだ。予想外のことも平然とやらかすので注意しなくてはならない。

 うっかり【性別変換薬】を売ることもやらかしかねない。


「あの細い路地付近があやしい……あっ、いた……」


 しゃれた衣服店の前には、数人の商人が店を広げている。

 その隅に木の箱を置いて看板だけを出しただけの、アドにとってはお馴染みの店だ。

 ゼロスは一人の男を相手に商品を見せていた。


「……こいつは効きやすぜぇ。今夜はファイト一発もんさぁ~」

「そ、そんなに凄いのか?」

「マンネリな夜も、コイツ二錠ほど飲めば、瞬く間に激しくバーニング! 奥さんも満足しやすぜぇ~、へへへ……」

「……か、買っちゃおうかな? 最近、アイツが冷てぇんだよ」

「効果は速効さぁ~、飲んだ瞬間は獣のように……」

『ゼロスさん……何を売ってんだよぉ!』


 ――別の意味であやしい薬を売っていた。

 アドの記憶では、性欲強壮薬を作っていたところは見ていない。


「服用のしすぎには注意してくだせぇ。あと、酒を飲んだらいけねぇよ? 心臓に悪いからねぇ」

「お、おう……酒を飲んだら駄目なんだな? 飲み過ぎには注意と……」

「この薬は、あくまでもきっかけでさぁ。夫婦間の仲は最終的に愛だと思いますぜぇ? 男の魅せどきは優しさっすよ」

『独身のくせに、なに愛を語ってんだよぉ! それに、やけにゲスいセールスが手慣れてるじゃねぇか!!』

 

 【あやしい行商人】は【夜のファイト一発】な薬を売ると、小銭を皮の袋に収め、「まいどぉ~」と言いながら客を見送った。

 別の意味であやしい。

 

「ゼロスさん……。なに、街角で妙な薬を売りさばいてんだ?」

「おぉ、アド君。店の方はいいのかい?」

「ポーションや魔法薬の類いは直ぐに売れた。んなことより、あやしげな商品を売るなよ。迷惑だろ」

「人聞きの悪い。普通の薬だぞ? 正しく使えば心臓の疾患に効果がある」

「どっから見ても間違った使い方じゃねぇかぁ! バイ○グラを売っているとしか思えん」

「使い方次第だよ。そっちの効果もあるってだけさ」

「いや、明らかにそっち目的で販売してたじゃねぇか……。見てたんだぞ」

「いやぁ~、照れますなぁ~」


 可愛げのない照れだった。

 見た目もあやしいが、グラサン姿でなおさら際立つ。


「まさかとは思うけど、性別変換薬は売ってないよな? あと、回春の秘薬とか……」

「回春の秘薬なんて、僕が売るわけないじゃないか。だいいち、アレは人の人生を狂わせる」

「あっ、一応良識はあったんだ」

「カノンと一緒にしないでくれ。僕は彼女よりは良識がある」

「俺としては区別がつかねぇんだけどな」


 白の殲滅者ことカノン。

 ゼロスの仲間の一人であり、魔法薬の効能を追求する探求者である。

 1%の効能を上げるために全力を注ぎ、そのためなら素材を求めて大型モンスターを駆逐することすら厭わない。ゼロスとしては何が彼女をそこまで駆り立てるのか謎であった。

『薬学は芸術よ!』とコブシを高らかに掲げ叫び、嬉々として仲間を人体実験に使う。

 厄介なのは、失敗作を秘密裏に売りさばいて処分するところだろう。

 まぁ、そこはゼロスも同類だが……。


「回春の秘薬を作ったとき、【トンカチ工房】のナボさんに飲ませたのを覚えているかい?」

「あぁ……あの悲劇か。ガチムチがベイビーに変身したっけ……」

「僕は止めたんですよ。お世話になってますし、彼女に何度も釘を刺しました」

「お茶に仕込んだよな……」

「一週間後には、ガチムチがガリガリに痩せ細ってましたねぇ。だいたい、鑑定で効能がわかりきっているのに、普通は飲ませますか? 最終的にアバターが消滅するなんて思いませんでしたよ」

「初めてロストが確認された出来事だったよな……。その後だっけ? 【ゾンビドリンク】なんて物を作りやがったのは……」

「正確には、【リフレッシュ・エナジードリンク 試作93号】ですけどね……。まさか、アンデッドモンスターになるとは……」


 回春の秘薬を生み出したカノン。

 しかし、在庫処分で出回ったその秘薬で、多くの犠牲者が出ることになる。

 仕方なしに回春の秘薬の効果を無効化する魔法薬制作に着手したが、結果はゾンビを量産する魔の秘薬となった。被害者であるプレイヤーが倒されるとアバターは消滅し、新たに別のアバターを作成しなくてはならない。

 ついでに、そのアバターが保有していたアイテムも消滅するので、上位プレイヤーは泣く羽目になったという。

 中にはモンスタープレイをする剛の者もいたが、レベル1からのゾンビなので育つことなく、結局は最初からやり直しとなる。


「カノンのせいで、多くの上位プレイヤーが最初からやり直しをするハメに……」

「人の話を聞かないところは、ゼロスさんと同類だろ。少しマシというだけで……」

「ケモさんやテッドと同類扱いは心外だなぁ~。僕はあそこまで酷くはない」

「被害者のケアは大変だったらしいな……」


 被害者となった知り合いには、破格の装備やスキル獲得とレベル上げを手伝い、なんとか許して貰えるよう努力した。

 それ以降、回春の秘薬に関する話はタブーとなった。

 ただ、【あやしい行商人】として売りさばいたために、正体がばれることなくゲームを続けられた。ゾンビを見かける度に罪悪感に苛まれたが……。


「僕は周囲に迷惑は掛けてないぞ? レイドやPK職相手にしたときは、遠慮しなかったけどねぇ」

「チームで行動してんだから、そんな内情なんて誰も知らないだろ。それに、ヤバイ物の制作に手を貸してたじゃねぇか」

「手は貸したけど、売りさばいたのは他の四人だ。僕は少々厄介な玩具だけだよ。まぁ、ムカつく連中に裏から横流ししたことはあったかな?」

「……やらかしてんじゃん。その玩具も、酷い呪い付きだったじゃねぇか」


 愉快犯、目くそ鼻くそを笑う。

 どれだけ否定しようとも、殲滅者達は所詮、同じ穴の狢であった。

 表でも堂々と行動するか、裏からこっそり手を回すかの違いで、本人には自覚がないのである。


「まぁ、今さらだがな……。それより、ちゃんと売れてるのか?」

「ボチボチでんなぁ~。それなりに客はいるよ? 先ほどのような客だけではないけど」

「『相談に応じて』って看板に書いてあるが、こんなんで客が来るのか?」

「あのぉ~……」

「……来たよ」


 アドの後ろに、爽やかイケメン風の青年が立っていた。

 こんなあやしい店に客が来ることが信じられない。


「Hay! ラッシャイ!!」

「寿司屋か!」


 おっさん、営業モードにチェンジ。


「あの……看板に、相談に応じて商品を売るようなことが書いてありますけど?」

「あいよ! こっちも商売だからな。客に合わせた商品を用意するぜぇ~? それで、どんな商品を求めてやがんでぇ」

「……性別を…性別を変える薬なんて………ありませんよね」

「……………あるよ」

「あるんですか!?」


 営業モードのおっさんにツッコミ入れたいアドであったが、性別変換薬を求める客がいたことの驚きが勝った。

 だが、青年の驚きと喜びように何も言わず見ていることにする。なにやら深刻な事情がありそうであったからだ。


「……取り敢えず、悩みを聞こうか。色々と危険な薬でねぇ、簡単に売るのを躊躇うシロモンなんだよ」

「わかりました……お話しします」


 青年は十歳まで普通の子供と同じように育った。

 だが、思春期に入る頃に自分がおかしいことに気付く。

 同性に恋をし、女性物の衣服や小物に興味を示すようになり、親の留守の時に女装をするなど奇行に走るようになる。ファンシーな物に興味を持つ男性はいるが、彼の場合は自分が男という認識が持てないでいた。

 それどころか男性そのものの肉体を嫌悪するようになり、やがて自傷行為を行うようになる。それが最近のことらしい。

 精神的な苦痛に耐えられず、親を泣かせる真似をしでかす自分を責め、それでも男であることに耐えられない。

 この無間地獄から抜け出せず、今も苦しんでいるという。


「神官には悪魔に取憑かれていると、高額で悪魔払いをしてもらいましたが、まったく直らないんです。それどころか、抑圧されると更に心が……」

「……なるほど、性同一性障害かな? 知識や理解がなければ宗教に頼るよなぁ~……。悪魔憑きなんて言われたら目も当てられない」

「重い話だな……心と体が合致しない。そりゃ苦痛だ。科学的な知識もないから、狂人扱いされる。文化水準が低いから迷信も簡単に信じてしまう」

「お願いします! 女性になれる薬があるなら、それを売ってください!!」


 かなり深刻な客だった。

 ゼロスは確かに青年の望みを叶える薬を持っている。

 しかし、コレには大きな問題があった。


「確かに、うち向き客だな……。けどねぇ、ことはそう簡単な問題じゃないだろ。親御さんは、君の悩みを理解しているのかい?」

「はい……母には直ぐ理解されましたけど、父には何度も殴られて……」

「だよなぁ~……。この手の問題って、かなりデリケートだからなぁ~……。ゼロスさん、どうすんだ?」

「いくらでもお金を払いますから! お願いします……」


 深刻な話である。

 重い上に人一人の人生が掛かっていた。


「いや、お金の話じゃなくてねぇ。この薬は、一度使えば二度と元には戻れない。後になって戻せと言われても無理なんだよ。こちらの責任も問われる」

「ゼロスさん、確か短時間性別変換薬も持っていたよな? 試しに使わせて、精神が安定したら本格的に女になるというのはどうよ」

「一応、同意書を書いて貰ってから医療行為に及んだ方がいいか。医者じゃないのに勝手にやっていいのだろうか? 訴えられないだろうな……」

「書きます! この苦しみから解放されるなら、僕は……」


 ここで性別変換薬を売ってもいい。

 しかし、それでこの問題が終わるとは到底思えない。

 何しろ、『父親に何度も殴られた』と言っていたのだ。父親は完全に理解しているわけではない。

 しかも、悪魔払いを頼むほどだ。青年の苦しみを理解しようとは思っていないのだろう。


「これって、彼の家に行って両親と話した方がいいだろうなぁ~。僕だけで決めていい話じゃないでしょ。家族の問題だし」

「だよな……。ただ、荒れそうな気がするぞ」


 ゼロスとアドの意見は一致していた。

 問題は女性変換薬を使う上で、彼の両親と対話しなくてはならない。そうなると間違いなく殴りつけられそうな気がする。


「そんなことをしなくても、僕が女性になればいいだけの話じゃ……」

「いや、事はそう単純じゃない。君の父親は、少なくとも君が男であって欲しいと願っているんだろう。この問題を単純に考えている節がある」

「ありえるな。女性物の衣服や可愛らしい小物を見ている息子を見て、『軟弱!』と判断しているのかも知れん」

「挙げ句に悪魔憑き扱い。自分の考えが正しいと思い込んでいる頑固者とみるねぇ」

「確かに、父は男手一つで店を構えるほどになった人ですし、その可能性は高いと思います」

「筋を通さないことには、父親も納得しないんじゃないかな? まぁ、口で言っても納得するような人じゃない可能性もあるけど……」

「その時は、僕は家を出ます。もう、限界なんですよ……このまま男の体でいるくらいなら、死んだ方がマシです」


 かなり重傷だった。

 精神的に追い詰められ、ようやく希望が見えても否定されるのは不憫だ。

 しかも、本気で死にかねないほどの覚悟を青年は持っていた。


「仕方がない。僕も説得してみますよ……。係わってしまいましたし」

「俺はパス。行っても役に立たないし、面倒事はお断りする」

「アド君、薄情だねぇ……。一緒に説得してくれてもいいのに」

「断る! ゼロスさんに着いていくと、絶対に騒ぎに巻き込まれかねない。俺は街を散策しながらユイに土産を買うんだ」

「チッ……リア充が! 爆ぜればいいのに……。その台詞が死亡フラグと知れやぁ!」

「そう言うことは、本人の前で言うなや!」


 そこはかとなく幸せを見せつけるアドに、おっさんは醜い嫉妬を隠せない。むしろ堂々と悪意を吐く。どこまでも自分に正直な人である。

 呪うようなおっさんの視線を背に受けながらも、アドは「それじゃ、この辺で俺はおいとまするから、頑張ってくれ」と、手を振りながら人混みの中へと消えていった


「……そんなわけで、僕も君と父親の説得を試みますよ。秘薬を作った一人として、両親に説明する必要があるからねぇ」

「あの……本当にいいんですか? うちの父は、かなり感情的な人なんですが……」

「ハッハッハ、会話でなく暴力で訴えてきたらいいですよねぇ。正当防衛が成り立ちますから、遠慮は要らないし」

「意外に好戦的な人だった!?」


 説得はするが、暴力で訴えてきたら反撃する気だ。

 おっさんは対話でなく暴力できた場合、話で解決する気がないと判断するようである。何も知らない青年の父親は不憫だ。

 勝手に家庭問題に首を突っ込む気でいながら、容赦のないゼロスであった。


「それでは、行こうか……えっと、名前を聞いていなかったなぁ」

「クリスティアンと言います。父の説得、よろしくお願いします」


 こうしてゼロスは、クリスティアンの家に向かった。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 クリスティアンの実家は、大通りから離れた場所にある雑貨店であった。

 各地から様々な小物や食器類、稀に家具なども扱う中小企業である。ソリステア商会と比べると小さな店だが、そもそもこの異世界で店を開くには、相応の商才がなければならない。

 そういった意味では、クリスティアンの父親は才能があったと言うことだろう。

 そんな商人である中年男は、現在ゼロス達の目の前に腕を組んで座っていた。

 傍らには母親とおぼしき女性もいるが、口を挟むことなく黙ってこちらの様子を見ている。どうにも男尊女卑の家柄のようである。


「――で? そのあやしげな男が、お前の問題を解決できるというのか?」

「そうだよ。なんでも、イストール魔法学院で作られた秘薬を持っていて、それを飲めば僕の苦しみも解決できるんだ」

「それは、お前の精神的な病を治せる秘薬と言うことか? どうなんだ? そこの胡散臭い商人よ」

「まぁ、問題は解決するだろうねぇ~。どうも、息子さんは先天的な病のようだし、今のままだと、近いうちに最悪の展開になるだろうねぇ。聞けば、自傷行為にまで及んでいるらしいじゃないですか。これは危険な兆候ですよ」

「なぜ、先天的な病だとわかる。行商人がなぜ、そんな知識を持っている?」

「そりゃぁ~、僕が魔導士だからですよ。そうでなくては、秘薬を手に入れることなんてできないでしょ」


 ヘラヘラと緊張感のない態度で話すゼロス。

 そんなゼロスの態度に対し、不信感しか湧いてこない。


「それで、その秘薬の効果とは?」

「ぶっちゃけ、性別が変わります。男の体が女性になるんだよねぇ~」

「ふざけるなぁ、クリスティアンは大事な跡取りだぞ! 儂の息子を女にせよというのかぁ!!」

「仕方ないんじゃないっすかね? そもそも、男の体に女性の精神があるだけで問題が出てるんですよ? 普通なら成長の過程で肉体と精神のバランスが自然と変化していくものですが、彼の場合は逆に違和感が強くなっていく。もう、今の姿に耐えられないんですよ」

「そんな馬鹿な話があるかぁ!! 男として生まれておきながら、心が女だとぉ!? そんな病気の話など聞いたことはないわぁ!!」


 心と体の違和感。それが成長とともに嫌悪感に変わってきていることに、クリスティアンの父親は否定的であった。

 性同一性障害は昔からある先天的な障害だが、これは時代とともに医療技術が発達し、心理学や生理学が確立したからこそ言える。

 だが、この異世界の医療知識は中世のレベルだ。理解がない者からしてみれば、気が触れたと思われてしまう。


「滅多にない病だからねぇ~、知識がないと頭がおかしくなったと思われるだけで、さほど問題にされなかったんですよ。ですが、彼と同じ病の者は意外に多くいるんです」

「ふん! そんなことを言いながら、本当は金が目的なのではないか? あの、エセ悪魔払い師のようにな!」

「いえ、単に使い道のない秘薬なので、これ幸いと有効利用しようとしているだけですが?」

「ふざけるなぁ!!」

「至って真面目ですがねぇ。お宅の息子さんの場合、心が女性なのに肉体が男だから問題なわけで、女性化してしまえば安定すると思いますね。試しに短時間性別が変わるヤツを飲んでみて、様子を見てから本格的に女性になって貰いましょう」


 フレンドリーな口調で話すおっさんだが、父親の方はますますエキサイトしてきてしまった。ゼロスとしても、この父親の気持ちはわからなくもない。

 自分の後を継ぐ唯一の男子だ。無論、親としても可愛い子供だが、息子が娘になると突然に言われれば卒倒しかねない。

 仮に息子がいて、数年家を空けてやっと帰ってきたとき、『親父、俺……明日から女になるよ』と突然に言われたら辛い。怒りもするだろう。

 唯一の救いは性転換手術ではなく、魔法薬による完全な女性化だ。結婚できれば子供も生めるが、世間の目が少し気になるところだ。


「出て行け、話にならん!!」

「話にならないのはあなたでしょ。いるんだよなぁ、死ぬほどの苦しみを抱えている人に対して、訳知り顔で『気の持ちようだよ』とか、『苦しいのは今だけだ』とか言う人。

 当事者でもないのに苦しみを理解できるはずもない。それなのに自分だけの価値観でそれを否定して、意見を押し付けるんですよねぇ。しかも、それが間違いであったときになんの責任も負わない。別に帰ってもいいですよ? ですがねぇ、仮に最悪の事態になったら、おたくはどうする気ですかねぇ?」

「な、何が言いたい……」

「男の体をおぞましく感じ、自らを傷つけて生きている彼に対して、あなたは最悪の事態が起きたときに『責任を取れるのか?』って話ですよ。あなたは否定ばかりするだけで、実際はなんの解決法も示していない。当人の苦しみを無視して安易に『気の迷いだ』の一言で済まそうとしている。それがどれだけ重いことなのか、まったく理解しようともせずにね」

「わ、儂は間違ってなどおらん!」

「それを決めるのは、あなたではなく苦しんでいる息子さんでしょ。おたくはただ、自分の価値観を力尽くでねじ込もうとしているだけにすぎない。

 何度も言いますが、これはおたくの問題ではなく、息子さん自身の問題なんですよ。そこにあなたの意思が入り込む余地はない。ついでに正しいか間違いかなど、やってみなければわからんでしょうに……」

「うぐ……」


 父親からしてみれば、大事な息子である。

 それを得体の知れない薬を飲ませ、あまつさえ女性化するなど普通はあり得ない。親の立場から見れば、否定的になるのも理解はできる。

 だが、実際に苦しんでいるのはクリスティアンであり、彼の苦しみがどれほどのものか知らない。理解できるはずもない。それに対して簡単に言っている事も少しは自覚していた。

 自覚しているだけに、目の前の胡散臭い男に指摘されると何も言えなくなってしまう。

 

「……あなた、試してみましょう」

「お前、何を言って……」

「実際に苦しんでいるのはクリスティアンです。私は、この子がこれ以上苦しみ続ける姿を見るなんて、耐えられません……。救える方法があるなら試してみるべきです」


 今まで黙っていた妻が話に割り込んだことに、父親は驚きの表情を見せた。

 彼にとって妻は、いつも傍で支えてくれた最愛の女性である。しかも今までこのように反抗の意を示すことなどなかった。

 おそらくは、我が子が自らを傷つける姿を見て、なんとか楽にしてやりたいと思っていたのだろう。

 しかし、その方法がわからなかった。


「クリスが自ら救われる方法を探し出してきたのです。ここは黙って見届けるのが親ではないでしょうか? 悪魔払いでも、なんの効果もなかったのですから……」

「クッ……わかった。だが、これでなんの効果もなかったら、貴様を訴えてやるからな!」

「へいへい……。どうやら、試すことができそうですよ?」

「あぁ……ありがとう。父さん、母さん……」


 チャンスを得たクリスティアンは、実に嬉しそうであった。

 その横でおっさんは、インベントリーから短時間女性変換薬を取り出す。いきなり女性変換薬を与えるのも問題があり、やはり時間を掛けて様子を見る必要がある。


「取り敢えず、短時間女性変換薬を飲んでみてください。この薬は効果が現れたときと、効果が切れるときに体に激痛が走るので注意すること」

「げ、激痛……ですか?」

「男性と女性は、内臓や骨格の構造が異なりますからねぇ。体を作り替えるときに激痛が走るんですよ。一応、半日ほど効果が持続するタイプを用意しました」

「効果が数日持つ薬はないのですか?」

「効力が切れる前に、長く持続する方の魔法薬を飲めばいいんですよ。最終的には完全に女性化する原液を飲めばいいわけですし」

「わ、わかりました……」


 クリスティアンは短時間女性変換薬を手にし、母親とともに部屋の奥へ消えていった。

 残されたのはゼロスと頑固親父の二人きりである。

 なんとも気まずい。


『一応、エクソシストに彼を任せたのを考えると、心配はしているんだろうな。問題は、自分の理解の追いつかない展開に対して、意固地になっているってところかな……』


 気を紛らわせるために思考を別方向に向けるが、このなんとも言えない沈黙が重く、会話することを躊躇わせる。

 もっとも、会話が弾むような話題などあるはずもなく、成り行きに身を任せるしかなかった。

 

『うぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』

『ク、クリス!? しっかりしてえっ、大丈夫なの!? あぁ……神様!!』


 ほどなくしてクリスティアンの絶叫と、事態に狼狽する母親の悲鳴じみた声が聞こえてきた。その声を聞き、ゼロスは「始まったな……」と呟く。

 彼を襲う肉体的な痛みは、おっさんも経験したから良く理解していた。


「き、貴様ぁ、アレは本当に大丈夫なのか!? 途轍もなく苦しんでいおるではないかぁ!!」

「あの痛み……十分ほど続くんですよねぇ。正直に言って地獄の苦しみですよ。まぁ、肉体が変化するわけですから、当然だろうね。痛みなくして結果は得られない」

「ふ、ふざけるのも、大概にしろぉ!! クリスティアン!!」

「まぁまぁ、落ち着いて。今、彼の下に行っても、あなたには何もできないでしょ」

「は、離せぇ!! 儂の子だぞぉ、貴様になんの権利があって……」


 喚き暴れる父親を羽交い締めにして押さえながらも、悲鳴が収まるまで待ち続けた。

 時間にして十分ほどなのだが、彼等にはその時間が恐ろしく長く思えた。

 主に、子供が苦しむ時間と、取り押さえている間の時間だが……。


「……収まりましたねぇ」

「クリスティアン!!」


 父親は逸る心に身を任せ走る。

 いつも普通に歩いていた家の廊下が万里の如く続いているように思えるほど、父親の体感時間は酷くゆっくりと流れ、我が子の下へ辿り着くまでの感覚がもどかしい。

 一歩一歩がスローモーションに見えるほどだ。

 その短くも長い時間も終わりを迎え、彼はようやく息子の部屋へと辿り着いた。

 そして、勢いよく部屋の扉を開く。

 

「ぬぉ!?」


 そこで父親が見たものは、鏡で女性化した自分の体を確認し、歓喜で涙を流すクリスティアンの姿であった。

 ようは、鏡の前で全裸姿なのだが、変わり果てた息子の姿は美しかった。


「あぁ……神様……。僕は、僕はやっと……」

「クリス……綺麗よ。あなたは、やっと本当の自分を取り戻したのね」

「母さん……僕…」

「何も、言わなくて良いわ。あなたはこれから、女として堂々と生きればいいの」


 感動的な母と娘の会話。

 その光景を見て、父親は動くことができずに固まっていた。


「ところで…あなた?」

「ぬぅ?」

「いつまで凝視しているのかしら? 我が子とは言え、クリスティアンは今、女性なのですよ?」

「い、いや……儂も心配になって…」

「問答……無用」

「待て、話せばわか……ギャァアアアアアアアアアアアアアアァァァ!!」


 父親は、妻の手によって成敗された。

 的確に急所に向けて拳を打ち込み、情け容赦なくボコボコに殴り続ける。

 その凄惨な光景を目の当たりにし、おっさんは「完璧だ」と呟くのであった。

 どこの世界でも『母は強し』のようである。

 


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「ありがとうございます! これで……これで僕は、本当に女として生きていけそうです!」

「いえいえ、これも商売だからねぇ。礼の必要はありませんよ」


 夕暮れ時、心の隙間を埋めることに成功したおっさんは、家族総出で見送られていた。

 父親は包帯だらけの痛ましい姿だが、正直どうでも良かった。

 ラッキースケベが成敗されるのは、お約束だからである。


「……おい、商人」

「なんでしょう?」

「……娘というのも、これはアリだな。一応だが、世話になったので礼は言っておく。感謝する」

『この親父、我が子が女性化したら、萌えやがりやがった!?』


 父親は、頬を染めている。

 まぁ、好青年が美女へと変身したのだから、気持ちはわからないでもない。

 しかし、いい歳した親父が頬を染めて照れている姿は、なんとも気色悪かった。


「僕は、商売をしただけですのでねぇ。感謝の必要はありませんよ。縁があれば、どこかで会うこともあるでしょう。では、この辺で……まいどありぃ~」


 振り返らず、手だけを振って立ち去るゼロス。

 いい仕事をしたとばかりに、上機嫌で煙草を取り出し、火を灯した。

 今日の煙草は格別にうまかった。

 だが、そんな彼を見ているものの目があることに、この時は気付かなかった。


「……見つけたわよ。聡ィ!」


 そう、彼の実姉でもあるシャランラこと麗美である。

 街角で偶然に弟の姿を確認した彼女は、気付かれないようにゼロスを追いかけた。

 しかし、やはり二人は姉弟なのか、シャランラもまた自分を見つめる目に気付かなかった。


「……見つけたよ。シャーラ」


 すっかり痩せこけ、見た目が変貌したザボンだ。

 シャランラを探し続けた彼は、偶然この街で彼女を発見したが、彼の目にはなんとも危ない光を宿していた。

そして、彼もまたシャランラの後を尾行し始める。

 傍目にはなんとも間抜けな光景であった。

 


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