事態はゆっくりと確実に動いている
キコキコと音を立てて、レンチでボルトを回すゼロス。
力の限り締め切ったボルトを確認すると、長細い棒状の鉄板を取り出して上部に固定し、バチバチと火花を散らし溶接を行う。
板には複数の穴が開いており、これが何かを固定するための金具であることは容易に分るだろう。そんなゼロスの横ではアドが必死に革張りの長イスを組み立てていた。
水平器を取り出してはバランスを確認し、場所を頻繁に変えながら歪みがないかをチェックする。
「ふむ……ブレーキはちゃんと利くのだろうか? 一応、レバー操作で動くのは確認できるが、実際に走り出して『止まれません』では洒落にならんし」
「嫌なことは言わないでくれよ。これに俺のすべてが掛かっているんだからさ」
「そう思うなら、荷台の方を完成させてくれないかな? 僕としてはサイズの調整をしたいんだけど?」
「こんな大掛かりなものは初めてなんだよ。無茶を言わないでくれ。歪んでないか? ミリ単位なんてさっぱり分らん」
観測者、ソウラスが現れて一週間。
その間、ゼロス達はのんびりと【魔導式モートルキャリッジ】の製作に没頭する。
やるべきことがある程度定まり、これから本格的に活動を始める。そのためにはアドの柵をなくす必要があった。国賓としての立場である。
邪神ちゃんこと【アルフィア・メーガス】の成長のために、多くの魔物を狩り続け急速成長を行わねばならない。存在力――所謂経験値だが、契約によりゼロス達が倒した魔物の経験値はそのまま【アルフィア・メーガス】に譲渡される。
元より高レベル進化した魔物はすべて異常種であり、間引きを名目に徹底的に刈り尽くす必要があった。しかし、人は狩りだけでは生きてはいけない。
「これ、シフトレバーがないんだな。走らせてみないとなんとも言えんけど、本当にスピードがでなさそうだ」
「でないだろうねぇ。時速三〇キロが限界じゃないかな? まぁ、歩くよりは速いけどね」
「いや、街中なら足で走った方が早くね? 人間もレベル効果で異常に成長するんだろ?」
「ステータスの基準が曖昧だと、それもあやしいかな。あんな話を聞くと、技術で何かを造るのが馬鹿らしくなるねぇ~。魔物を倒せば勝手にスキルレベルも上がるから」
「強い魔物を狙ってボーナス効果により、技術スキルの強化……言われてみると普通じゃないよな。これが認識を書き換えられると言うことか……。怖いな」
アドの場合は認識の書き換えではない。【ソード・アンド・ソーサリス】の環境に慣れてしまっていただけである。
異常な物でも、当たり前と思った瞬間からそれが日常の常識となる。特にゲーム画面がそうだろう。体力や知力、耐性。更には運に至るまで数値化されているのだ。
しかも、そのバランスが崩れ、ついでに複数のゲームシステムが侵食している状態。混沌としたシステムにより各地で事象の書き換えが行われている。それが、この異世界の現実だ。
【ソード・アンド・ソーサリス】の常識がゼロスやアドを異世界の環境に慣れさせたが、その常識がそもそも異常な事態。技術を得るには幾度となく試行錯誤を繰り返し、知識を得るには様々な本を読みあさり、それが本当に正しいかを検証する。
技能や職業スキルはその工程を無視し、結果だけを体に覚えさせてしまう。無論失敗することもあるが、鍛冶師スキルを手に入れ、いきなり剣を鍛えることができるだけでも充分に異常だ。
これが地球上で引き起こされでもすれば、間違いなくおかしいと思ったはずだろう。
まぁ、認識の書き換えによって、あっさりと常識内に受け入れてしまうかも知れないが……。
「そんなわけで、これから『ヒャッハーッ!!』するには、アド君の問題を片付けないといけないんだよね」
「どんなわけだよ。まぁ、お手数をお掛けしますが……」
組み立て作業を進めながら、今後の予定を立てるアドとゼロス。
だが、急にアドの手が止まり考え事を始める。
「なぁ、ゼロスさん……数値化されている云々は置いておいて、レベル300が本来の常識の範疇なんだよな? この世界に、レベル500を超えているヤツは本当にいないのか? 考えてみれば、凄くレベルを上げやすい世界なんじゃね?」
「500近くなれば天才レベルを超えていることになるね……。勘だけど、デルサシス公爵がアヤシイかな? クレストンさんは300だし……」
「素朴な疑問だが、ゼロスさんが伝えたサバイバル訓練法……ヤバくないか?」
今もなお、ファーフラン大深緑地帯に赴き命懸けでレベル上げを繰り返す騎士団と魔導士達。【限界突破】はセーフだが、レベル500は最後の限界値ボーダーラインだ。
もし【臨界突破】を引き起こせば、魂もろとも肉体が消滅するカウントダウンが始まる。
レベルが上がるごとに肉体と魂が限界に近づき、最後には『ドカン』と行く。その被害は周囲にも及び、どれほどの被害が出るか分ったものではない。
まさに臨界突破。メルトダウン並みの危険な事実がそこに含まれていた。
おっさんは知らず知らずのうちにヤバイことを伝えしまったがゆえに、大量の嫌な汗を流す。日が差し込み暖かいリビングが極寒の氷点下世界に思えた。
「や、やっべぇ―――――――――っ!!」
「知らなかったじゃ済まされないな……。各地で限界を超え、人間が爆発でもしたら最悪だ。まさに人間爆弾。連鎖爆発するのか気になるところだ」
「待て、【臨界突破】の条件は個人によって違う! 簡単にクリアできるとは……」
「ゼロスさんよぉ~、逆に言えば、個人の条件次第では簡単に『ドカン』といくわけだろ? その条件が例えば『道の石ころを拾う』だった場合はどうするんだ? 俺達も【ソード・アンド・ソーサリス】でいつの間にか条件をクリアしていただろ? 技能や技術スキルの数か? レベルか? 何にしても街中を人間爆弾が歩き回るようなもんだぞ」
「なんてこった……回天や桜花が街中にうじゃうじゃ。しかも中身は核弾頭、最悪だ。悪夢だ」
知らない内にやらかしていたおっさん。
彼の脳裏に、一昔前の核戦争の光景が思い浮かぶ。そして始まる世紀末伝説。
「み、皆には……言えないねぇ…………。おいちゃん、ショック!」
「転生者は大丈夫でも、この世界の連中は……」
「ならば、さっさと組み立てよう! 余計なことは終わらせ、神様降臨を早めよう!!」
「生きた時限爆弾が、そこかしこでうろついているようなもんだからな……。最悪の事態にならないうちに事を進める必要があるか。マジモンで最悪だけど」
「僕達ならきっと、指先一つでダウンできるねぇ~……ハハハハハ」
「現実逃避をするなぁ―――――っ!!」
おっさん、手は動かせども目は虚ろ。彼の意識は世紀末世界に飛んでいた。
組み立て作業を無意識で行いながらも、彼の思考は脳裏に浮かぶ世紀末世界の中にいた。
救世主よりも覇王になる気がしないでもない。いや、魔王だろうか。
良く最悪の事態を想定しろという言葉があるが、想定――想像した結果がこれである。考えすぎは心的ストレスへと変わり、嫌な現実から逃げるのであった。
「おっちゃん、虚ろに笑ってんぞ? キモい……」
「きっと、将来が不安になっているんだよ。もう、歳だし」
「おっちゃんも、人の子だったんだね。アタイ、悩みなんて存在しないかと思ってた」
「肉、今日は貰えないかな? にくぅ~~~っ」
「今なら斬れそうな気がする。殺るか……?」
虚ろに笑うおっさんの姿を、子供達は理解ある生暖かい目で見ていた。
一人、危険思考な子もいるが―――。
作業は鬼気迫るものであったと、後にその光景を目撃したイリスは語る。
そして、【魔導式モートルキャリッジ】取り敢えず完成した。
その日のうちに走行テストを行ったのは言うまでもない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんなこんなで、ついに【魔導式モートルキャリッジ】のお披露目の時がやってきた。
本来ならソリステア商会に向かうところだが、幸いなことにクレストンに用があるとのことから、デルサシス公爵は時間を空けてゼロスの家に来ていた。
家の前には濃い緑色のメタリックカラー色の、ノスタルジックな車の前身である車体が置かれ、デルサシスの部下達を含め興味深そうに眺めている。
【魔導式モートルキャリッジ】を一言で言えば、馬のない馬車という感想が浮かぶだろう。
馬の泥よけであるダッシュボードから突き出したハンドルとブレーキレバー。盗難避けを目的にシートの横に始動キーを取り付け、申し訳程度に【魔導式ランプ】がライト代わりに固定されている。一つ分ることは、オープンカーなので雨の日は走れないことだ。
一応、後部座席には日よけ目的でフードを展開できるようになっているが、運転席までは届かない。運転手は完全に雨ざらし確定である。
「ほう、これが動く魔導具か……面白い」
ダンディな物腰で素直に感想を呟くデルサシス公爵。
新しい商売の臭いを嗅ぎつけ、不敵な笑みを浮かべる。女であればときめくだろうが、男の場合は怖い。この公爵は色々な意味合いで危険な男なのである。
「始動させるときは、運転席の座席横に鍵を差し込んで捻ってください。馬車よりは速く走りますが、走行時間は魔石の量で変わりますね。ゴブリンの魔石十個で三十分は走ります」
「ふむ……では、魔石の属性はどうなのだ? この魔導具、どの属性に対応している?」
「魔石は魔力の結晶。魔力さえあれば属性は関係ないですね。全属性に対応できると思ってください」
「なるほど、では……走行速度はどうなのだ? 馬車とどの程度の差がある?」
「速度は馬車より速いですよ。まぁ、速度が上がる分だけ魔力が消費します。燃費は悪いですがね」
「これを我々に譲ると? ソリステア、イサラス王国、アトルム皇国の三国で作業工程を分割すると? 我が国で生産した方が良いのではないか?」
実に痛いところを突いてくる。
だが、ここで怯むわけにも行かない。おそらくはデルサシス公爵にとって想定内の質問なのだ。
「イサラス王国は鉱物資源の多い国。部品の製造にはうってつけですし、今なら人件費も安く済みます。ソリステア魔法王国で心臓部を作り、アトルム皇国で組み立てる。そして、メーティス聖法神国の俗物に高値で販売します。どうせ彼等では生産できませんし、魔導士の数は少ない。ついでに分解されても情報漏洩できないように、動力部や魔石庫に魔法式消滅魔法陣を設置します」
「当然、各国にも販売をするのだろう? 輸送はどうするのだ?」
「その時は互いの国に部品を送り、その国で組み立てて貰いましょう。魔力モーターと魔石庫を握っているだけでこちらが優位に立てます。技術を学ぶにはこの国に来なくてはならない」
「なるほど、目的は民の往来を活性化させることか。民が行き来することで経済が活性化する。多くの商品が売れ、或いは流れ込むことで三国の経済が潤うわけだな」
「そこまでは既に読んでいるはず。技術情報など、いずれは漏洩するもの。いつまでも秘匿などできず、誰かが勝手に作り出すでしょう。要は技術を持つ者達に刺激を与え、更なる発展のために創意工夫を凝らして貰うためですよ。長い目で見れば、一時的な商品にすぎない【魔導式モートルキャリッジ】がいつまでも席巻できるとは思えない。技術者を育てることに意味があると思います」
デルサシスは、ゼロス達が公爵家の力を借りたいと思っていることを知っている。逆にゼロス達は、デルサシスは経済が長期的に国内全域で活性化することを狙っていると思っていた。
技術の発展は多くの技術者の創意工夫から生まれ、小さな物から大きな変化する。今という時間に甘んじていれば、いずれは他国の技術者に追い抜かれていくのだ。
戦時中の日本を見れば分るだろう。大国の経済力と分析力に敗れ、高度な技術により戦況は逆転された。戦艦にしろ、戦闘機にしろ、わずかな期間で技術の逆転が引き起こされた。
最後にものを言うのは資本である。
商業も工業も、競争こそが更なる発展に拍車をかけるのだ。【魔導式モートルキャリッジ】はその布石であり、最初の強烈な刺激となる。
「メーティス聖法神国にも魔導士はおるぞ? 彼等が徴用される可能性もあるが?」
「堂々と『魔導士は自然の理に反する邪教徒だ』なんて言い切っている連中ですよ? 今更その言葉を取り消すことなんてできないでしょ。そんな真似をすれば、今までの教えが間違っていると言っているようなものです。なおさら意固地に魔導士を迫害し、それでも魔導具は購入する」
「奴等は厚顔無恥であるからな、充分に考えられる。立場上、技術供与や提携もできん」
にやりと笑みを浮かべるデルサシスの迫力に、アドは思わず腰が退けてしまう。
交渉をまともに行ったことのない彼にとって、本物の遣り手は迫力が違って見えた。レベル差から生じた肌で感じる怖さではなく、人間性から滲み出る怖さだ。
得体の知れない不気味な気配と言えば良いのか、油断すれば呑み込まれる底なしの沼に近い。
歴戦の猛者の迫力に、アドは冷や汗が背中に流れるのを感じた。
「ふむ……で? ゼロス殿達は何を望む?」
「まぁ、端的に言えばアド君の身の安全でしょうかね。イサラス王国に国賓扱いされている彼は、奥さんという弱点があります。彼女の保護と、イサラス王国との経済的交渉。メーティス聖法神国に対する圧力の強化ですかね。本格的に動くにしても、この二国にうろつかれるのは困るんですよ」
「ゼロス殿、腹を割って話そう。君達は……君達転生者は何を狙っている」
「やはり知っていましたか。まぁ、驚くに値しませんがねぇ。簡単に言えば、僕達の狙いは四神からこの世界を正当な管理者に返すことですよ。つまり……【神】の復活です」
既に復活していることは口に出さない。ビジネスマンのセオリーだが、それ以外の真実を語ることで信頼と協力を得るのが目的であった。
邪神戦争以降の勇者召喚による悪影響、四神の杜撰な世界管理と壊れた世界システム。邪神ポイ捨てによって自分達が死んだことと、それに対する無責任な対応で同胞がこの世界で死んでいること。更には創造神に匹敵する神々の怒りや、この世界に住む生命体にでた悪影響。
すべての次元世界を救う聖戦であることを強調し、その上で四神の排除を狙う。もはやこの世界に時間が残されていないことも付け加えた。
まぁ、滅亡がいつになるかは分らないが、そこを強調することで危機感を煽る。
「なんじゃと!? そこまで酷い事態になっておったのか……」
「僕達は、奴等に退場して貰うため送り込まれた刺客。事実、邪神戦争期に大規模勇者召喚を容認したため、一つの大陸が砂漠化したらしく、魔力枯渇を引き起こす事態が最近まで続いていた。それでも止めようとはしなかった」
「杜撰な世界の管理者か、それが原因で世界の理が崩れていると? 【臨界突破】、【極限突破】……信じられぬスキルだな。それが発動すれば人間は耐えられず消滅するか」
「いきなりドカンはないでしょうが、世界の摂理が邪神戦争以降、かなり変わっているそうですよ? 更に、この世界にいるかぎり異常を常識と認識してしまうことが問題なんですよ。
食い止めようとしている神々も、予想以上に酷い事態に対して難儀しているようですね」
「俺達はこの事態を打開するためにも、自由に動ける状況でなくてはならないんだ。お願いします! 俺達に力を貸してください!!」
アドが本気で頭を下げた。
内心では、ことの重さに不安を感じていたのだろう。相応の権威をも持つ人物が力を貸してくれるのであれば、これほど心強いものはない。
だが、ゼロスだけは決して油断はしていない。デルサシスはこんな状況下でも利益をかっ攫う、実に油断のならない人物なのである。
「しかし、どこから手を付けるものか。イサラス王国はどうとでもなるとして、メーティス聖法神国は追い詰めると何をするか分らない。慎重に事を運ぶしかないだろう」
「取り敢えず、【神】に力を取り戻させることが先決ですね。凶悪な強さを誇る魔物を殲滅してきます。得た力を【神】そのまま与える。一部の者達にはそうしたことが可能ですからね」
「……良く衛兵に捕らえられる転生者は、君達の目くらましか。ゼロス殿達が最大の刺客というわけだな」
「いえ、それはただの愚か者かと……。僕達も普通に戻りたいんですよねぇ~。そのために四神は凄く邪魔なんですよ。個人的な欲のために、神の座から退場して貰います」
「お主、世界の平穏はどうでも良いのか? 世界崩壊の危機じゃぞ!?」
「僕の穏やかな生活のために、四神は排除します。それで世界が平穏になれば万々歳じゃないですかねぇ。神々の要請は受け入れますが、やり方に指図は受けません」
「待てや、ゼロスさん……。アンタは自分ために戦うのか?」
「当然だよ、アド君! 結果が良ければそれでよし、僕の平穏な生活のために四神には消えて貰う。アイツら、なんかムカつくし……ヤツを思い出させるので」
凄く個人的な理由で行動することを宣言するおっさん。
『世界平和? 何それ、美味しいの?』と言わんばかりの態度である。先ほどの深刻さはどこへやら、現状とおっさんの気構えは別問題だった
そう、【殲滅者】はどこまでも自由な愉快犯なのである。
「つまり、そこのアド殿の身の安全だけを考えれば良いのだな? 正確には奥方の方だが、それ以外はこれまでで通り自由に行動すると?」
「僕の方はそれでいいですよ。アド君はどうですかねぇ?」
「俺も、自由に動けた方が楽で良い。知らない部下や、お目付役を付けられても邪魔なだけだしな。危険な場所にも行くことが多くなるだろうし、犠牲は少ない方が良い」
「ふむ……よく分った。ならば、イサラス王国の方には良きように取り計らおう。少し待遇を良くすれば心証も良くなるだろう。相応の見返りも頂くが、な」
「「怖っ!?」」
デルサシスには逆らえない、おっさん達はこの時そう思った。
蛇に睨まれた蛙の気持ちが、今分った気がした。
翌日から、ユイとリサ達はゼロスの家からクレストンが住まうソリステア家の別邸に移り、アドもゼロスの家との間を往復することになる。
数日後、イサラス王国に向けて使節団が送られた。
相応の土産と、今後の経済活性化の計画を携えて――。
アドはイサラス王国側の魔導士としてソリステア魔法王国に残り、外側から国のために力を振るうという嘘を国王に伝えると、涙ながらに感激したらしい。
現に経済が活性化する案を持ち込まれたのだ。その話を素直に受け入れてしまった。
その報告を受けたとき、アドは心がもの凄く痛んだというのは余談である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
デルサシス公爵との交渉から数日後、アドは大きな問題に気がついた。
それは――。
「金がない!」
その一言が全てであった。
そもそもアド達は国賓として以外にも、各地を廻ってイサラス王国に手を貸していた。当然だが彼等の宿泊費や食費はイサラス王国が支払っていたことになる。
だが、イサラス王国との繋がりがなくなると、アド達は自分達の手で稼がねばならない。
社会に出れば誰も養護してくれるわけではなく、一人の力で生きていかねばならないのは、どこの世界でも同じことだ。人は、それを自立と言う。
お金は出ていくが、貯めるには労働することが基本である。
「アドさん、どうしよう! 私達、これからの生活費を稼ぐ手段がないよ」
「傭兵にでもなるか? しかし、あの仕事は盗賊退治があるからなぁ~」
「人殺しはしたくないわね。それがたとえ犯罪者でも、命を奪う権利はないはずよ」
「甘い考えだと思うが、割り切ったら人殺しだからな。まぁ、俺は何度も殺しているが……」
傭兵は、登録時に受けられる依頼の金額は安い。
何度も依頼をこなし、信頼や実績を得ることでランクが上がってゆく。
生活ギリギリの仕事など割に合わない。
「魔石でも売れば? ギヴリーズの魔石があるんじゃないかい?」
「それが、チャバネやヤマトの魔石は値が下がっているんだ。大量に出回っているらしくてな」
「なるほど……」
横から口を挟んだおっさんは、一応の納得を見せた後、試験管の液体をフラスコの中にゆっくり流し込んだ。
軽く振り色がどぎつい紫に変わると、薬草を擂り潰してドロドロに煮込んだ液体を、同じフラスコに流し込む。
周囲に病院か保健室のような薬品の臭いが充満する。
「なぁ、ゼロスさん……アンタ、何してんの?」
「魔法薬の生成ですが? 昨日、新鮮な薬草を数種類ほど購入してね、久しぶりに調合しているのさ」
「その手があったか! 魔法薬ならどこへでも売れる。物によっては一攫千金も夢じゃない!」
「あんまり上等な物を売ると、目ざとい連中に追いかけられるけど?」
「アドさん、私達は調合できないんだけど……」
「裁縫ならなんとか。一応、職業スキルも持っているから、小物でも造れば売れるかな?」
アドに比べて、リサとシャクティは生産職として心許ない。
だが、この異世界ではどんな反応を見られるかは未知数だ。傭兵が駄目なら技術で何とかするしかない。
「俺が【調合】で、リサが【裁縫】……」
「私が【彫金】ね。簡単なブローチでも作ろうかしら。幸い、イサラス王国で手に入れた金属がたくさんあるし」
「フッ……道具ならあるぜ。材料が自分持ちなら使いな」
「ゼロスさん……時々職人みたいな口調するの、止めてくんね? 何者だよ、アンタ……」
「ただの無職のおじさんさ!」
「言葉をそのまま受け取ったら、碌でなしじゃねぇか!!」
馬鹿な言葉のコミュニケーションを行う中、リサはレースを編み始め、シャクティは金属の塊を取り出す。魔法陣も広げていることから、簡単な【魔導錬成】が行えるのだろう。
「待て、シャクティ! なんで【魔導錬成】が使えるんだ!? 生産職じゃなかったよな? 【錬金術】の職業スキルを上げないと使えないはずだ。そんなにレベルが高いのか?」
「えっ? 生産職の隠しシナリオで、神殿にミスリルの指輪を二百個奉納したら、使えるようになったわよ? 私は助っ人だったけど【アルケミア神】が降臨して、スキルを獲得した上にレベルも大幅に上がったわ」
「「…………」」
二人の知らないイベントが存在していたようだ。
そして、ゼロスはアドに小声で話しかける。リサ達は【ソード・アンド・ソーサリス】の全容を知らないからだ。
『アド君、【ソード・アンド・ソーサリス】内なら、そうしたイベントが気まぐれで増えたとしてもおかしくはない。元はこの世界のシミュレーションだが、アレは今や神々の遊び場だ』
『そうなんだが、納得いかねぇ。俺達は苦労して【職業スキル】のレベル上げしてきたんだぞ?』
『気持ちは分る。だが、役割を終えたあの世界を、神々がどう改変するかなんて未知数だろ。憤るだけ無駄さ。その神々もプレイヤーとして参加しているらしいし……』
【ソード・アンド・ソーサリス】は、現在ゼロス達がいる異世界の状況をシミュレートするために構築された、疑似世界である。
だが、ある程度の結果が出たことにより、暇な神々はせっかく創った疑似世界を面白半分に改造を施したのだ。ゼロス達もこの疑似世界で遊んでいたプレイヤーだが、システムが突然に変化したことに気付かなかった。
いや、認識を書き換えられたがゆえに、忘れてしまったというのが正しいだろう。ゲーム筐体である【ドリーム・ワークス】を媒体に、記憶を操作されていた。
自分の忘れ去った真実を聞かされたとき、ゼロス達は初めて【神】という存在を恐ろしいと感じた。自分自身に書き換えられた歴史があることは、自分の日常が作り替えられたと言うことだ。言いようのない恐れを抱くのに充分だろう。
それが行われていた期間は五年ほどで、それ以降は改造された疑似世界で神々と一緒に遊んでいたことになる。知らないことが幸せなことだというのは真実だった。
その真実を【ソウラス】から地下倉庫で聞かされた。
『記憶にないから、どれだけ差があるか分らないんだよねぇ。今のこの世界みたいな環境だったらしいけど……』
『今はステータスが当てにならないとか言ってたよな。新しく発生したレベルやスキルはアヤシイとか……』
『クソゲーな異世界に来たと思えば良い。後は自分達が規格外と認識していれば、普通に生きる分には問題ないでしょ。たいして大きな問題にはなっていないみたいだしね』
『分らないぞ? 俺達の記憶が書き換えられ、記憶にないだけかも知れないし、今もこの時に認識が書き換えられているかも……』
『疑いだしたら切りがない。それに、僕達には影響がないと思いますよ? ただ、【鑑定】によるモンスターレベルの表記は完全に壊れているらしい。『気をつけてね』と忠告を受けたのを忘れたのかい?』
転生者は、レベルアップに対しても、自爆の危険性を心配する必要はない。
彼等の力は【ソード・アンド・ソーサリス】のアバターがベースとなっており、ついでに使徒の因子をわずかに組み込まれている。能力や環境に応じて身体が最適化するようになってはいるが、あくまでも一部の者達だけが極端に能力差の開きがあった。
それがゼロスやアド、杏達であるである。
例えばエロムラだが、彼はわずかだがこの世界に対して違和感を覚えた。
現に、イーサ・ランテでレベル差がある魔物に焦りを覚え、身体レベルを考えれば簡単に倒せるはずであるのに、彼は強者と認識していた。
この時、彼の知覚に齟齬を起こしていたのだ。所謂『別のゲームキャラと出くわした』状態であったのだ。FFの中盤に、DQの終盤で出現するモンスターと遭遇したと考えれば分りやすいだろう。この時点でのステータス表記は意味をなさない。
あるゲームの中盤戦でモンスターを相手にしていたら、いきなり別ゲームのラスボスモンスターが現れパーティーが全滅。それに似た事態が現実にまかり通っていた。
そして、その改変に誰も気付くことはない。記憶に残らないことが厄介なのだ。
この場合は【鑑定】によるステータスが当てにならなくなる。頼れるのは経験と技術のみ、摂理が壊れた世界というのも頷けるだろう。
今のところはこの程度の問題で済んでいるが、今後どんな変化が現れるかが未知数で怖い。
『僕達は元より規格外だし、なんとかなるでしょ。召喚された勇者達の魂は、レギオン化してシステムの書き換えをしている話だけど、広範囲じゃない。
一部のエリアを書き換えたら、風に流されて別の場所に移動する。しかも微妙な変化だ。ソレが時間をかけて事象を浸食し、残留した異質な事象が、やがてこの世界のシステム化する』
『だが、絶対ではないだろ? 俺達でも手に負えない化け物が現れたらどうするんだよ。短時間の書き換えでも、その場に残されて十年単位で変質したら、かなりヤバイぞ?』
ステータスが当てにならない以上、何を基準に判断すれば良いのか分らない。
【鑑定】も脳裏に表記される情報が統一されておらず、戦闘には使えない。だが採取などの素材鑑定には役に立つので意味がないわけではなかった。
システムが地域でコロコロと書き換わるのだから、魔物の鑑定結果は信用できない。
こうなると気配で相手の強さを計るしかないのだが、常に警戒状態でいると精神的に疲れてくるだろう。やがて大きなミスに繋がりかねなかった。
「まぁ、最後にものを言うのは経験だねぇ。いざとなったら周辺ごと消し飛ばせば良い」
「ソレは奥の手だろ。なんで、リアル世界で世界のデバッカーする羽目になるかな」
「フッ……経験者だから言うけど、アレは蟹工船だよ。終わりが見えない……消しても、消しても、次から次へとバグが発生するんだ。正規社員は疲労でぶっ倒れ、アルバイトは途中から出社しなくなる……良く生きてたなぁ~」
「マジか……。そのバグ取りを、世界中を駆け回ってデリートするのか? 無茶だろ」
【アルフィア・メーガス】の完全復活には、魂の力である存在値――経験値を大量に送らねばならない。契約の力によるレベリングだ。
元より異質な力の影響を受けている魔物から、力を取り除きあるべき形に戻す。しかしゼロス達にそんなことができるわけもなく、倒すことで力の回収を図るしかない。
変質した摂理の力は、未熟でも観測者の元へ送り返すしか正常には戻せないのだ。
しかし、世界管理システムにバグを引き起こす異質なレギオンを回収するのは難しい。【アルフィア・メーガス】は元からその能力を持っているが、現時点では外で活動はできず四神より弱い。
この面倒なバグを直せるプログラマーが現時点では療養中なので、このクソゲーなシステム異常状態はしばらく放置ということになる。
こればかりはゼロス達でもどうしようもない。
「それで、いつから狩りに出かけるんだ?」
「う~ん……今の君は貧乏だしねぇ。生活費もある程度稼がないといけないからなぁ~」
狩りに行くにも、ケガなどに備えて薬を購入しておく必要がある。
他にも食料やテント、ロープなども必需品だ。イサラス王国でほとんどの魔法薬を使い尽しているアドは、購入して揃えねばならない状況であった。
どこぞのゲームのように、魔物を倒せばお金がドロップできるわけではないのである。
そして一時間後には、シャクティが【彫金】で簡単なブローチなどを作り始め、リサが細い編み棒でレースを編み、アドがポーション作りに勤しんでいる。
ちなみにおっさんは、なんだかあやしい色合いの魔法薬を瓶の中に入れ、不気味な笑みを浮かべていた。
「ところで、この魔法薬はどこで売るんだ?」
「数を揃えて、街で露店を出すさ。同じようなことをして生活している人が多くてね、昼前から夕方にかけて賑わうんだよ。上手くいけば稼げる」
「……ゼロスさん。アンタ、まさか」
アドは知っている。【殲滅者】達にはもう一つの顔があることを――。
気まぐれで出没し、高い効果のあるアイテムや武器、防具などを販売する商人の顔だ。
見た目の胡散臭さから【あやしい行商人】と呼ばれていた。
異世界で、あやしい行商人が復活する。何を売りさばくのか恐ろしく、ただ怖気に耐えるのであった。
被害者は語る……『また、犠牲者が出るのか…』と――。
アドの呟きは耳には届かず、おっさんは『素材集めをかねて、狩りの方を早めた方が良いかな?』と、のんきに予定を考え始めるのだった。




