おっさん、ゆっくりサントールを目指す
ハサムの村を出たゼロス達一行は、【アジ・ダカーハ】や【軽ワゴン】の速度なら二日で辿り着く距離を、三日の時間を掛けて進んでいた。
それというのも、アドの婚約者(事実上は妻)であるユイが妊婦であり、体調を鑑みるに辺り安全策をとり、ゆっくり走行することを選んだからである。
何よりもアドの製作した【軽ワゴン】は、胆略化した設計からあまり乗り心地の良いものではなかった。座席のシートはかなりふかふかだが、サスペンションが硬く振動がダイレクトに伝わってくる。整備されているとはいえど路面の凹凸はいかんともしがたく、ユイに負担が掛かることを避けるためにこうなった。
そんな事情から、サントール手前の野営地で彼等は二度目の休息を取ることにした。
「カレー……久しぶりに食べたよ、俊君」
「俺もだ……うめぇ」
「ゼロスさんがいると助かるわね。なんのお肉だか気になるけど……」
「言わないでよ、シャクティさん……。でも、美味しい」
ゲテモノ天丼を食べさせられた三人にとって、カレーに使われている具材は大いに気になる。しかし背に腹は変えられない。
街に辿り着くまで何も食べないわけにもいかず、空腹は精神的に集中力を奪うからだ。車やバイクで移動する以上、事故は避けねばならない。
「うぅ~む……まだ味が安定しない。前よりも少しマシになった程度か、カレー粉の配合は奥が深い」
ゼロスは使用したカレー粉の出来具合に不満であった。
無論、販売すればそれなりに儲けを出せるだろう。しかし今食べているカレーに使われたカレー粉は趣味で配合したものだ。薬草なども数種類使用しているためにコストも高く、大量に作り置きするには向かない。特にカレーリーフの代わりに使用している素材は【アヴェーラーフ】と呼ばれる薬草で、採取するにはファーフラン大深緑地帯に足を踏み入れなければならない。自然界の特に魔力濃度の高い場所でしか繁殖しない稀少な薬草である。
この薬草、【グレートポーション】の素材であり、その値段はたった一本でも一般家庭なら三ヶ月は豪遊して暮らせる。料理に使用するなど考えられない代物だった。
また、【クミン】や【ターメリック】、【シナモン】などの代わりも、別の薬効がある根菜や種子を使用している。王族でなければ手に入れることなどできない稀少素材ばかりで、それを惜しげもなく調味料として使用するのだから、この世界の住民からしたら信じられない行為だ。
絶対に頭の中を疑われる非常識な真似をしていた。
「ゼロスさん……この味でもまだ不満なのか? 充分にカレーだろ」
「ヨーグルトも混ぜてみたんですがね、逆にカレーの味が薄まった気が……。辛みが足りない気がしますし、【デッドペーニョ】でも使ってみようか…」
「いや、あの唐辛子擬きは一舐めで死ぬだろ。少量使ったとしても、かなりヤバイと思うぞ?」
「目つぶしに使用したら、龍王が墜落しましたからねぇ~。小指の先ほどの一欠片で間に合うと思うんですが、残ったやつを処分するのに困るなぁ。けど【デモンペッパー】よりはマシでしょ」
【デッドペーニョ】と【デモンペッパー】はどちらも違う薬草の実だが、恐ろしく辛味成分が強い。いや、強いという言葉が生やさしいほど強烈なまでに酷い。
どちらの実も普通に触れる分なら問題はない。乾燥させ粉末に加工するか、実を擂り潰すことで凶悪な刺激成分が発生するのだ。一応血行促進効果と血液をさらさらにする効果があるのも確かだが、あまりに辛い――むしろ超痛いため使い道がない。
薬師や錬金術師の間では劇物として扱われ、その激烈な刺激による効果はたった一つで周囲を地獄に変える。国でも厳重に管理することを法律で決定したほど危険物だった。
汚染効果もなく、刺激成分も自然に分解され消えることから、ある意味ではもっとも世界に優しい最終兵器と言えるだろう。
だが、どの国も戦争で使用した記録はない。おそらく効果が高すぎて国同士の条約で秘匿したと思われる。とても薬草――香辛料とは思えない代物であった。
「どっちも地獄を生み出す危険物だけどな。ところで……そこの写生板はなんスか?」
「これかい? 車の設計図さ。ベースはダイムラー・モトキャリッジで、構造はかなり雑―簡単な作りにしてみた。いきなりアド君の軽ワゴンみたいな代物を造るわけにはいかんでしょ」
「今、雑と言わなかったか? 本気で公爵と取引するのことになるのか……。俺、胃が痛くなってきたんだけど」
「君、ユイさんをイサラス王国に連れて行くのは無理でしょ? 未だ環境が悪い国で生活したら、子供も生まれて直ぐに死ぬかも知れないよ? あの国は高地にあるらしいじゃないか。空気も薄いだろうし、高山病になったらどうすんの? 信用ある人物と取引して、国家規模で経済活性化を狙った方が良い。イサラス王国にも心象は良くなるだろう」
「ソリステア公爵の噂は知っているが、正直に言うと会うのが怖いんだけど……。めっちゃ遣り手らしいじゃん。俺、交渉事は苦手なんだけど?」
ユイの心配がなくなり、次なる問題に挑まねばならなくなったアドは、デルサシス公爵と取引することに弱腰になっていた。
ゼロスの提案を聞いたときには良い手だと思ったのだが、数日立つ内に公爵様の噂を思い出し、とても対等な商談ができるとは思えなかった。
一代で領地管理をしながらも片手間で商売を始め、数年で国中に知らぬ人がいないほどの大商人の一人に名を連ね、悪辣な手段で商売を妨害してきた商人を表と裏からねじ伏せ、裏社会の組織を単独で幾度も叩き潰す武闘派。妻が二人いるのに愛人は数えるのが馬鹿らしいほど存在し、どの女性にも公平に愛するハーレムキング。魅力的な危険な男として雑誌の一面で大々的に取りざたされるほどダンディ。本当に貴族か疑いたくなるほど訳が分らない経歴の持ち主だ。
分るのは、一筋縄ではいかないほどの切れ者であるという事実だけである。そんな相手と対等な交渉ができるとは到底思えない。
「まぁ、何とかなるでしょ。僕も同席しますので、そこは泥船で沈む気分で任せて欲しい」
「不安を煽ってんじゃん! 泥船で沈んだら人生の破滅だろぉ、せめてゴールデン・○リー号に乗せてくれよぉ!!」
「できることならヤマトに乗せてあげたいが、集中攻撃を受けた挙げ句に横腹へ魚雷の直撃を受けて弾薬庫が誘爆し、浸水してひっくり返った後、まっぷたつに折れながら壮絶に沈みそうだから……」
「ヤマトって、リアルの方!? 海の藻屑決定!?」
「覚悟があるなら俺の船に乗れ、アド君」
「勝算のない戦艦になんか乗りたくねぇ~!! それと、艦長が違うよねぇ!?」
普通の一般人だったアドに、貴族の――しかも王族である公爵と交渉するのは荷が重すぎた。不安しかない。
イサラス王国の王族はかなり弱腰で、アドも呆れるほどに卑屈でネガティブな人物だった。デルサシスのような怖さがあるわけでもなく楽に話すことができた。
だが、デルサシス公爵はかなりの危険な男である。対等に交渉できるほどの手札がないと、逆に食われるのは確実なのである。
「アド君が消えて喜ぶ人がいるのに、僕に船頭を任せてどうすんの? 勝負は他人に任せちゃぁ~いけねぇよ? できるのはお膳立てだけさ」
「できれば型は古いけど荒波には強い船であることを祈りたい。胃に穴が開いて今にも沈みそうなんですよ。交渉の場に行く前に沈没しそう……」
「食事が終わったら部品を作るよ? 家に着いたら組み立てて、数日後には交渉に持ち込みたいからねぇ。善は急げさ」
イサラス王国の食客魔導士であるアドは、ユイを人質にされたらマズイ立場である。
ただでさえ【賢者】という魔導職にいる彼は、軍事的な意味合いでも最強の切り札になりかねない。言うことを利かせるには人質を取るのが効果的である。
リサやシャクティもその対象になり得るが、二人は魔導士としてそれなりに強く、簡単に人質にはなり得ない。この世界の住民レベルで考えるならば、少なからず犠牲者が出るほどには驚異なのだ。リスクは低いに越したことはない。
その点ユイは低レベルで人質にとりやすい。イサラス王国に戦争推進派が存在する以上、ユイの存在は隠し通さねば危険なのである。ならば信用がおける人物に預ければ良い。
それがゼロスであり、協力者として候補となるデルサシス公爵である。彼ならば人質をとるなどと言う暴挙は行わない。利用する気であれば相応の報酬を用意し、相手によっては弱みを握り脅迫という手段を使うだろう。敵対しない限りは誰に対してもフェアだ。
危険な男ではあるが、それ以上に紳士でもある。そういった意味合いで信用できる人物だった。
「生き方に美学を持つ人物だからねぇ、馬鹿な考えに簡単に突き動かされる連中とは格が違う。ですが、話の分る人でもある。何にしても交渉次第かなぁ~」
「その交渉が怖いんだよ。ゼロスさんはなんで平気なんだ? 俺は考えただけでも胃潰瘍になりそうなんだけど……」
「ハッハッハッ、『ちょっと車を生産しませんか?』って言うだけじゃないか、緊張する必要があるのかい?」
「いや、普通は緊張するだろ……」
アドの感覚としては普通の一般人がいきなり国会議事堂に向かい、政治家と対面して国政を議論するようなものだ。緊張するのも当然である。
言うなれば、デルサシス公爵は一代で財閥企業を立ち上げ、そこから国の要人にのし上がった遣り手議員。社会に出る間際の大学生が交渉するにはハードルの難易度が恐ろしく高い。
社会人として交渉事や現場を経験して慣れているのか、あるいは単に肝が据わっているだけなのか、全く動じていないゼロスが羨ましいアドであった。
「さっさと食事を済ませないと片付かないんだが? カレーも三人に全部食われそうな勢いなんだけど……」
「……あっ」
ゼロスと会話をしている横では、ユイ、リサ、シャクティが恐ろしい勢いでカレーを平らげている。多めに作っておいたのに既に半分以上が食われていた。
彼女達は地球の食事に飢えていた。その暴食振りは屍に群がるハイエナの如く、会話すら行わず無言で歓喜の涙を流しながらカレーを口に運んでいる。
そこに行儀や品性、遠慮という言葉は存在しない。
「イサラス王国……飯が不味いから。この国の料理は美味いけど、毎日だと飽きるんだよ。日本人には味が合わないからなぁ~、毎日食べたいと思えない」
「そこまで日本の食に飢えていたか。精神的にかなりキテるねぇ~……」
彼女達の胃はブラックホール。無心でカレーをかき込む彼女達の姿に、おっさんは思わず涙した。見た目的には美人揃いなのに、飯をかっ食らうその姿は残念すぎる。
誰もが日本の食文化が懐かしく、郷愁の想いが彼女達をフードファイターに変貌させたのだ。暴食だとしても何も言葉にすることはできない。
その気持ちは、若い頃に海外出張を何度もしたことのあるおっさんに痛いほど伝わってきた。国によっては日本食の店は全く存在せず、仮にあったとしても日本料理とは名ばかりの創作料理店ばかりであった。日本料理と看板を出していても、その中身はかなりデンジャーで、現地の料理人にバラエティー溢れる個性的な物となっている。
料亭で修行をした本格的なシェフの店でしか和食は味わえず、本格的な和食の店はかなり少ない。ましてここは異世界、日本食に近い料理はゼロスでも海の先にある島国に存在するとしか知らず、その国に行ったことなどない。本当に日本食と同じ物か確かめていないのだ。幸いにも【味噌】【醤油】【味醂】はソリステア商会で購入できるが、ゼロス達が求める日本食は自分達で再現するしかない。家庭の味などその家によって味が異なるので、どうしても味に格差が出てしまう。例えば関東と関西の味覚の違いだ。
また、カレーそのものは和食ではないが、ゼロスが作ったカレーは日本人好みに合わせたものである。長い研究を続け、多くの食品売り場で販売された食品メーカーのカレー粉に近い味だったのだ。まさに一般家庭の懐かしい味である。
そのような事情から、乙女達による鬼気迫ったかのような暴食を止めることはできなかった。三人の匙の動きは止められない――。
「それより、片付けが終わったら部品作りを手伝ってね。アド君の今後が掛かっているんだからさぁ~」
「……わかりましたよ。相変わらず人使いが荒いなぁ~、俺は生産職じゃないんだけど?」
「軽ワゴンを製作しておいて何言ってんの? 【魔導錬金】が使えるなら、部品製作の方を頼むよ。ネジくらいは量産できるでしょ」
「魔導モーターは誰が生産するんだ? 構造は単純だけど、素材の確保とか問題があるぞ?」
「それはこの国の人達に任せますよ。錬金術師が多いんだから、それくらいは地力でやって貰わないとねぇ~」
ゼロス達が製作しようとしている車(便宜上【魔導式モートルキャリッジ】としておく)は、心臓部である魔導モーターを製作するのも手作業で行わなくてはならない。磁力を生み出す魔法式はスクロールから転写すればいくらでも作れるが、他にも色々と細かいパーツを製作するのに高度な技術が要求される。
地球の生産工場のように工作機械は存在せず、部品のほとんどが鍛冶師の手で作られることになるだろう。他にも人が乗るためシートや、夜間走行のためのライトなど多くの部品が必要となる。モーターやライト、魔力タンクは魔導具であり、錬金術師の分野になる。
多くの魔導具は錬金術師の手で製作されるため、これから錬金術師は自らの技術を磨かねばならなくなる。職を持たない多くの錬金術師が就職できるようになるだろう。
経済の活性化は微々たるものだが、規定値の技術を鍛えねばならないために、錬金術師の雇用は増えることになる。
「小さなことからコツコツと。いきなり僕達のような真似はできないからねぇ、どうしても腕を磨く時間が必要になるんだ」
「イサラス王国は魔導士の数が少ないから、魔導部品の生産は追いつかない、か。完全に生産できるようになるまで、少なくとも二十年くらい時間が必要になるんじゃないか?」
「どうだろうねぇ、この世界の魔導士は色んな意味でレベルが低いよ? 魔導部品に付与する魔法式はスクロールを使用すれば良いけど、それじゃ発展は望めない。結局は技術レベルを上げるしかないんだよ。努力の繰り返しだ」
「文明開化にはほど遠いか……。ますます俺達の存在が重要になる気がするんだけど?」
「だからこそ交渉するんだ。ソリステアは魔法に関して世界トップだ。僕達がいくら高度な技術を持っていようと、所詮は個人でしかない。主要部品を生産できる錬金術師の数を増やす必要があるのさ。お手本を用意して、後は独自で頑張って貰う」
「それ、ほとんど丸投げじゃん。良いのかなぁ~」
「なら、君は弟子を育ててみるかい? きっと碌でもないことになるぞ?」
賢者や大賢者は魔導士の頂点。多くの魔導士が憧れ、目指し、至れずに挫折する伝説の存在だ。
そんな上位者の教えを受けられるのであれば、弟子入り志願者はかなりの数に上るだろう。そうなれば他国からも注目される。
いたる所から脚光を浴び、自由に生きることが難しくなる。最悪、自国に取り込むため汚い手段を講じる国も出てくるだろう。
「技術なんていうものはねぇ、ゆっくりと発展していけば良いのさ。僕達のような存在は日陰者で良いんだよ」
「確かに……俺も無駄に期待されてるしなぁ~。イサラス王国も、もっと技術を発展させる必要があるのは確かだ。けど、文明レベルは急激に上げられない。生産ラインを作るにも技術者が足りないか」
「そういうこと。多くの技術者が欲しければ、他国との繋がりも重要さ。特にこの国は魔導士が溢れている。技術者確保のためにも留学や魔導士の派遣も考慮する上で、どうしても同盟国との繋がりを強くする必要が――」
「あのぉ~……」
男同士の会話は、リサのどこか申し訳なさそうな声で中断された。
彼女は恥ずかしがりながらも、そっと皿を差し出した。そんなリサに続くかのように、ユイとシャクティも皿を出す。
「「「おかわり、作って貰えませんか?」」」
「「まだ食う気かい!!」」
多めに作ったカレーの入った鍋は、完全に底をついていた。
三杯目では済まない量を食い尽くしたにもかかわらず、彼女達は口元を匙で触れながら羞恥に頬を染め、催促するかのように皿を見つめている。
仕方がなくおっさんは、二度目のカレー作りましたと――。
懐かしきふるさとの味は、彼女達の腹を大いに満たした。
肥満が心配である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、見張りの合間に魔導錬成で部品作りを始めたゼロスとアドは、すっかり寝不足だった。
真夜中からずっと部品生成に明け暮れ、眠りについたのは朝日が顔を見せ始めた頃合いだ。それまでの間、黙々と作業を続けていたのだ。
睡眠時間は約三時間。異世界に来てからというもの熟睡せずに体を休める技術を獲得しており、獣の気配を感じただけで直ぐに臨戦態勢がとれるようになっていた。
――とは言うものの、あまり眠っていないことも事実であり、車やバイクで移動する以上は疲れを残しておく訳にはいかない。事故を起こしては洒落にならないからだ。
念のために大事をとり、出発は昼前と決めて長めの休息をとる。どのみち半日もあればサントールにたどり着けると判断したからだ。
『ふぁ~っ……眠ぅ~』
安全運転とはいえ【アジ・ダカーハ】を運転するゼロスは、眠気と戦いながら街道をひた走る。緑の中を走り抜ける真っ黒なSFタイプのバイクは見事なまでに景観に溶け込まず、ファンタジー世界に不釣り合いであった。
ユイにはなぜかニッコリと微笑まれ、『夕べはお楽しみでしたね?』などと言われてしまった。甚だ不本意な言動で嫉妬の意をダイレクトに伝えてきたのだ。
ようやく再会した恋人同士なので一緒に休みたかったのだろうが、見張りをおろそかにすれば魔物に襲われる危険があった。そこは理解しているのだろうが、言い方にも問題がある。なぜかリサとシャクティが輝く瞳でこちらを見つめ、アドと共々しばらく落ち着かなかった。
どうやら少なからずBLに興味がおありのようだった。いや、この場合はゲイになるのだろうか?
『僕は男色の気はないんだがねぇ~。それほど心が惹かれるものなのだろうか? 現実的に見れば不自然なだけじゃね?』
おっさんは、BLに魅せられる女子の気持ちが分らない。何がそこまで駆り立て彼女達を萌えさせるか理解できない。むしろ理解できたらおしまいのような気もするが――。
理屈では男達が百合に萌えるのと同じことなのだろう。そこに美を感じられるかどうかは個人の価値観と主観の問題であり、万人すべてに理解できるわけではない。
なんだかよく分らない現代アート作品を見るような感覚と同じで、理解できる者達からは多くの関心を惹きつけ、全く理解できない者達にはガラクタ以下の存在になる。
普通に名画でも、一般人の感覚では『良く描けてるねぇ~』で終わるが、美術専門の研究者には描かれている絵画に中から画家の思惑を読み取る。そこには歴史的に重要なメッセージが込められているからだ。
理解する者と、できない者。結局のところ、この二つの間には壁が生じるのは必然であると言うことだ。
しかし、その価値観や期待を大なり小なり押し付けられるのは勘弁して欲しい。その気もないのに熱い目で見られるのは不本意この上ない。
『……後ろではどんなことになっているのやら。知りたいような、そうでないような……。なんだろうねぇ~、この微妙な感じは』
軽ワゴンを運転するアドは、どこか辟易した様子であった。
女三人寄れば姦しいと言う言葉があるが、率先してそこに踏み込んでゆく気にはなれない。絶対に碌でもないことに違いないからだ。
『僕はそこに踏み込まないよ……。頑張れ、アド君』
おっさんは、アドの健闘を祈った。
軽ワゴンの中でどんな話をしているかは分らないが、アドの様子からしても精神的にきつい話なのは間違いない。この時ばかりはバイクで良かったと安堵する。
女子会に男一人が参加すると、今のアドのような立ち位置になるのだろう。弄られ、からかわれ、聞き逃したい会話の応酬が長く続く。
彼の苦労を見なかったことにし、おっさんは先導に集中する。
気分の乗らない面倒事には踏み込まない。おっさんは自分のスタイルを貫き通すのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「疲れた……。ゼロスさん、何で助けてくれないんだよ。気づいてたんだろ?」
「なにがかな? 僕は事故らないようにするので手一杯だったんだけどねぇ~」
「いや、確かにお互い寝不足だけどよぉ~、途中で俺達の様子見てただろ。俺は気を利かせて休憩を入れてくれるものと期待してたんだぞぉ~……」
「それはすまないことをした。なにぶん、できるだけ早くサントールに辿り着くことを優先したからねぇ~。日が暮れるのだけは避けたかったんだよ」
「うぅ……アイツら、俺達の関係を邪推しただけでなく、勝手にゲイ疑惑をしてきやがった。俺がそっちの趣味だったなら、そもそもユイとの間に子供できないだろぅに……」
「お疲れだねぇ~」
やはり碌でもないことになっていた。
アドも見た目ならイケメンの部類に入るだろうが、さすがにゲイ疑惑を掛けられるとは思わなかっただろう。某女性月刊誌の連載漫画のように、イケメン同士がアヤシイ関係になることに対して、リサ達は妙なトキメキを感じてしまったようである。
深みにはまれば冥府魔道に一直線、腐のルートだ。おっさんは余計な真似をしなくて正解であったと心から安堵する。
「ユイの奴も疑惑の目を向けてくるんだ……手に例の包丁を持ってさぁ~。ゼロスさん、何とかしてくれよぉ~」
「……フッ、あっしには関わりのねぇことでござんす」
「早々に見捨てやがった!? 酷ぇ、酷ぇよゼロスさん! 俺との仲は遊びだったのかぁ!?」
「何を言っているのかね。君との関係はギブ・アンド・テイク、今までもそれほどホットな仲だったとは思えないが? そして、これからもだ」
「クールに躱しやがった……。そこまで関わろうとは思わないってかぁ、俺がユイに刺されたらどうするんだ」
「ハッハッハッ、そんなことを言ってる場合かな? 今も君に熱い視線を向けているお嬢さんがいることを忘れていないかね。僕は勘違いで君と心中などしたくないのだよ」
「……へっ?」
アドが背後を振り返ると、リサとシャクティが「アドさん……やっぱり…」「ゲイはアドさんの方だったのね。しかも、一方通行……」などと、確信の込められた視線が向けられていた。大いに勘違いである。
「俊君……まさか、両刀だったなんて……私、知らなかったよ」
「何で戦慄してんだよぉ!? 俺は男に興味なんてねぇぞ!!」
「だって……『遊びだったのか』とか、『見捨てた』とか……まるで恋人だと思ってた人から実は『何とも思っていません』と言われて、ショックを受けてるようにしか見えないよ?」
「何でそこだけしか見てねぇの!? つぅか、そんなに俺に対して男色疑惑を押し付けたいのか? そんなに俺を同性愛者に仕立てたいのか!?」
「信じているよ……俊君」
「その手に包丁を持ちながら言わないでくれるかなぁ、ぜんぜん信用してねぇじゃん!! そして、後ろの二人! 受けと責めの論議をコソコソ言わないでくれないか!? 全部聞こえているぞ」
ほぼ徹夜に近い状態で部品作りに明け暮れていたのに、こんな扱いは不愉快だった。
だが、女性達に理屈を並べたところで、面白がっているような状況下では意味がない。
男は女に口で勝てる生き物ではないのだ。
「運転しないで座席に乗っているだけのやつらは良いよなぁ~、こっちは事故を起こさないように精神が磨り切れるほど集中しなくちゃならないのによぉ。しかも、今後のことに対して何のプランも立てねぇじゃん。みんな俺任せで、随分と好き勝手に言えるよなぁ~。
なんなら、公爵様との交渉は二人に任せようか? フェミニストらしいから多少の手心を加えてくれるかも知れないし……うん、そうしよう! リサとシャクティに後を任せ、俺は車作りに専念する。頑張ってくれ……」
「「すみません、調子に乗りましたぁ! 許してください」」
『アド君、やさぐれたねぇ~。ほんと車の中で何があったんだか……まぁ、聞きたたいとは思わないけど』
おそらくリサとシャクティの二人は、暇潰しに昨夜の魔導錬成を曲解させ、アドのことをからかったのだろう。その後にユイが参入し、嫉妬からカオス展開へと発展。
安全運転をしているとはいえ、寝不足と疲労の中で運転するアドにとっては拷問に近い状況となったのだろう。キャアキャアと横で騒がれる中で、アドはかなりのストレスを溜め込んだに違いない。
ある意味でコレは地獄だ。
「はいはい、ここからはユイさん以外歩きでサントールに向かうからね。リヤカーを牽くのは僕とアド君だけど、場合によっては二人にも手伝って貰うよ?」
「ゼロスさん、何でリヤカーを持っているの? ユイさんを運ぶのには便利だけど、普通はこんな道具を持っていないよね?」
「フッフッフッ……リサさんの疑問に答えよう。それは、単に畑仕事で使うからさぁ~。稲藁を運ぶにはリヤカーは必要でしょ? 一束ずつ運ぶのなんて面倒なので」
「……ゼロスさん、米栽培もやっていたのね。でも、畑は誰が見てるのかしら? ゼロスさんって、一人暮らしよね?」
「コッコ達と、教会で世話になっている孤児達ですが? お裾分けもしてますし、必要なら畑の野菜も無料進呈していますねぇ。最近、家を留守にすることが多くて、畑仕事ができないんだよなぁ~。ジャングルになってたらどうしよう」
この世界の植物はなぜか成長が異常に早い。
地球での感覚で数日放置すれば、畑はあっという間に自然に浸食されてしまう。
予断だが、いつの間にかウーケイ達の姿が消えていたが、アド達はそこに気づくことはなかった。
「畑のことも心配ですが、今はサントールの街に辿り着くのが先決。クッションも用意しましたから、ユイさんはリヤカーに乗ってください」
「俺とゼロスさんが前で、リサ達は後ろで押して貰うか。石に躓いたら押し上げて貰うからな?」
「どうでも良いけど、なぜリヤカーにサスペンションが付いているのかしら? まぁ、妊婦さんを運ぶにはちょうど良いけど……」
「なんとなくじゃないかな? ゼロスさんがその場の思いつきで取り付けたと思う。趣味の人みたいだし……」
二つの車輪が独立し、板バネとスプリングサスペンションによって振動による衝撃を吸収する。確かに妊婦を運ぶには安全そうだが、畑仕事に使用するリヤカーにここまでする必要があるかと問われれば疑問だ。
どう考えても、その場の勢いでなんとなく取り付けたようにしか思えない不自然さであった。ゼロスからしてみれば、『なくても良いけど、あった方が便利じゃね?』的な感覚なのかも知れない。
「それじゃ、行くか。バイクや車で爆走してきたのが知れ渡ったら、俺達は完全に権力者に目をつけられかねない。さっさと逃げるに限るからな」
「ファーフラン街道を利用する商人が少ないとはいえ、既に商人の馬車の傍を高速で抜き去ってきたのに、今更だと思うけどねぇ。まぁ、夕暮れ前には付くと思うから、さっさと行きますか。付いたらどこかの食堂で夕食をとろう」
「それ、死亡フラグにならないか? 特に俺の……」
サントールの街数キロ地点で移動手段を変更し、四人はリヤカーを引きながらファーフラン街道を歩き出す。ここから先は北へ続く旧ドワーフ街道に繋がる新たな交易路となったため、行き交う商人達の目を誤魔化す必要があった。
先の分かれ道から東街道に入り、東門から街に入るルートである。
二時間後、一行は無事にサントールの街に辿り着いたのであった。