学院生、古代都市へ向かう
薄らと灯る魔導ランプの明かりの中を、数台の馬車がゆっくりと進んでいた。
旧ドワーフの街道、最近では【北方地下交易路】と呼ばれ、イサラス王国とアトルム皇国の商人が行き交い始めた。
その交易中心点の一つが、地下遺跡都市【イーサ・ランテ】である。
地下街道が開通して以降、この街道を多くの商人が行き交い始めた。その目的は鉱物資源である。
ソリステア魔法王国は鉱物資源に乏しく、他国から交易で仕入れるしかない。
だが、他国から輸入するとなると検問で多額の出費がかさむことになる。これは商人にしても国にとっても大きなマイナスでしかない。
しかも、鉱物資源のほとんどはメーティス聖法神国が産出国なのだ。これは宗教戦争を仕掛け小国を支配したからである。
大国にまで成長したメーティス聖法神国は、鉱物資源の販売を制限することにより周囲の小国に経済圧力を仕掛けていた。
無論、鉱物資源を産出している国は他にもあるが、その国も大国でソリステア魔法王国が鉱物を輸入するにはかなりの遠回りになる。
起死回生の手段として旧ドワーフ地下街道を広げていたソリステア魔法王国とアトルム皇国は、ついに地下街道を開通させ交易を始めたのだ。それにより滅亡間近であったイサラス王国も経済的に助かることになる。
少しでも開通時期が異なれば、イサラス王国はメーティス聖法神国に組み込まれていたかも知れない。実に危ういタイミングであった。
その三国を繋ぐ交易街道を数台の馬車が進んでいた。
「長いな……。この道はどこまで続くのか」
「地図によると、あと少しでイーサ・ランテに着くはずなんですがね」
「この街道……崩れてきたりしないよね? 何で二人ともそんなに落ち着けるのさ。不安にならないのかい?」
「ツヴェイトは慣れたんだろ。クロイサスは……生きた古代都市が楽しみで浮かれてんだ。察しろよ、ディーオ……」
ご存じツヴェイトらを含む、イストール魔法学院の成績上位者一行であった。
正直、彼等は優秀すぎるのが問題であった。夏期休暇以降めざましい躍進を続け、講師陣営を悩ませるほどに成績を上げてきたのだ。
各派閥の息の掛かった講師達は頭を悩め、ついには古代遺跡の調査という名目の放逐を計った。それほどまでに彼等は優秀で本来なら喜ぶべきことのはずなのだが、厄介なことに現在の上位成績者は国の内政に異を唱え派閥の改革案に着手したり、実験という名の人的災害を頻繁に引き起こす問題児であった。
このままでは管理責任を問われ自分達の首が危ういと、もっともらしい理由をつけて学院から追い出した。要するに手に負えなくなったのだ。
優秀であることは派閥にとって利があるが、現状維持を望む者達にとって優秀すぎても困るのである。
「どうでも良いけど、クロイサス……その地図はどこから手に入れたの? 街の全容が細部まで描かれているみたいなんだけど……」
「色々と伝がありましてね。卒業生の知り合いから横――もとい、譲り受けたんですよ。これ以上は聞かないでください。デポコン・珍」
「ディーオだよ! 何でデポコン・珍!? 誰、それぇ! 一文字か合ってないよね!? それと、『横流し』って言いかけただろ!」
「妹は俺達の名前を覚えたのに、こいつは……」
「怒るなよ、マツケンロー。クロイサスだぞ? 興味のないことを覚えるはずがねぇだろ」
「イェ~イ、コイツも俺の名前を覚えていねぇぜぇ! 誰だよ、マツケンローって! ファンキーじゃねぇか、サンバのリズムで踊るぞぉ畜生めぇ!!」
ツヴェイトとクロイサス、この二人は互いの友人の名前を未だに覚えなかった。
ちなみに、マカロフとディーオは共に二人と同級生になったことがある。それでも名前を思い出さないのだから、この二人にとっては本当にどうでも良い存在なのだろう。
諦めた方が無難なのかも知れない。
「ところで、兄上……」
「ん?」
「彼は兄上の護衛ですよね?」
「彼? あぁ……エロムラか」
クロイサスが視線を向ける先には、【転生者】である【エロフスキー・ムラムラス】。
本名【榎村 樹】(十八歳)。通称エロムラ、現在彼女募集中な彼の姿があった。
「へぇ~、彼氏はいないんだぁ~。俺なんてどう? 結構、尽すタイプだぜ?」
「えぇ~? でもぉ~、なんか軽薄そう」
「いやいや、俺、こう見えても真面目よ? こうして声を掛けてるけどさぁ~、結構勇気を出しているんだよねぇ」
「うっそぉ~、そうは見えなぁ~い。ほんとにぃ~?」
「ホントホント、マジだから。愛する女性を探す孤独なバガボンドなんだよ」
ナンパの真っ最中だった。
そして、周囲にはイラッとしている護衛の傭兵達の姿もある。
「どうせ、また傭兵達にボコられるだろ。ほっとけ」
「何気に酷いですね。助けないんですか? まぁ、他人事なのでどうでも良いですが」
クロイサスも酷かった。
実際、ここまで来るのにも喧嘩騒ぎは幾度かあったが、クロイサスは知らん顔して済ませている。
仲裁する気は最初からない。
「ハァ~……早く着かねぇかな」
「その台詞、ここまで来るのに何度も聞きましたよ。しばらく我慢してください」
「その台詞も、な」
イーサ・ランテへの道程は、凄く暇だった。
その退屈な時間はまだ続きそうである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
上位成績者の中には、当然だがセレスティーナ達の姿もあった。
最近では【魔法天使】だの【天才魔導少女】だの、【お姉様】だのと呼ばれてはいるが、講師達からは【教室の異端者】や【反逆のセレスティーナ】と呼ばれ恐れられていたりする。
優秀すぎて手のつけられないのはクロイサスと同じだが、彼女は少し前まで【無能】と呼ばれていた。しかし地力で魔法を使えるようになり【才女】となってしまったことが問題である。
講師達も魔法が不得意な体質の者達がいることは知っていたが、まさか独自に魔導士としてのし上がってきた者はいない。
こうなると、『無能学生が地力で魔導士になったのに、あんたらは何を指導してんの? たった一人で、だよ? 学生ができたことをなんで君達が教えられないの? ねぇ、聞いてる?』などと言われてしまう。いや、実際は既に言われていた。
更に問題なのが、その魔法が不得意な者達をセレスティーナが指導し始めた。これにより、講師達の無能さが逆に際立つようになってしまったのだ。
別に講師達も手を抜いていたわけではない。セレスティーナも、自分と同じ境遇や近い立場の者達に親切心で教えていただけにすぎない。
この親切心によるボランティア行為が、結果的にだが講師達の首を絞めることとなってしまった。何かにつけて比較されるようになり、耐えきれなくなって成績優秀者のほとんどを【イーサ・ランテ】に島流しにしたのだ。それ以前に、彼女に何かを教えられる者がいなかった。
そして、成績優秀者の中にはキャロスティーの姿もある……のだが―――。
「「………」」
「ハァ~……こうも暇だと、イー・リンのクッキーばかり食べ過ぎて太るかも」
「えぇ~? 私のせい? セリナが食べ過ぎているだけだよねぇ?」
「うっさい、アンタがこんなに美味しいものを作るのが悪い! うぅ……ダイエットに成功したばかりなのに……」
「セリナは誘惑に弱いからねぇ~」
おやつタイムのセリナとイー・リンを、セレスティーナとキャロスティーは凝視していた。
そして、ゆっくりと自分達の胸元を見てから、再び二人に目を移す。主に胸だが――。
「大きくもなく、小さくもない……セリナさんはおそらく美乳ですね」
「イー・リンさんも、相変わらず見事なお胸ですわ……。その上、童顔。家事万能……殿方に尽すデキた若奥様ですわ。多くの殿方に人気がありますのよ?」
「そして、意外にも口の軽い人です。以前、お兄様との妙な関係を噂されましたが、犯人が彼女でした」
「優秀な方ですのよ? ただ、少々ずれた感性のお持ちのようで……」
普段はおっとりぽやぽやしているイー・リン。
だが、彼女は以外にも優秀で、成績だけを見るなら女子のトップ四位に入る。
実戦訓練のためにラーマフの森へも行ったが、彼女のパーティーは下級生を含めたメンバーだったので、無理をせず採取などを行っていた。
戦闘もゴブリンくらいしか相手にしていない。
「付いた通り名は、【学院の保母さん】。クロイサス様の恋人と言われているとのこと」
「確かに、クロイサス兄様にはかなり面倒見の良い女性が必要だとは思いますが……」
なぜか敗北感に苛まれる二人。
同じ女性のはずなのに容姿だけでなく、女子力でも圧倒的な差を感じずにはいられない。
「み、未来がありますわ。わたくし達も、まだまだこれから先がありますわよ!」
「先……ですか。今のサイズを考えますと、高望みができないような気が……」
「諦めては駄目ですわ! 諦めたら、そこでわたくし達の試合が終了してしまいます!」
何の試合に挑んでいるのやら。
二人ともに家事などやったこともなく、魔法関連の知識をむさぼる研究者。
女性としての魅力が足りないと思っていたが、目の前にお母さん的包容力と母性溢れるスタイルのイー・リンを見ると、どうしても自身の女子力が足りないと嫌でも自覚させられる。
「そう言えば、イーサ・ランテの先にある街に温泉があるらしいわ。行ってみたいわね」
「えぇ~? でも、アトルム皇国の領地だよ? 勝手に行ったら怒られないかな?」
「なんでも、肌がスベスベになるらしいわ。美容に良さそうよね」
「へぇ~」
『『なんですとぉ!?』』
二人にとって、魅惑の言葉であった。
だが、学業の一環としてイーサ・ランテに行くのに、個人の欲望を優先させるわけにはいかず、実に悩ましい問題である。
たとえ学業自体が立前であったとしても、事実を知らない学院生が勝手に他国に行くわけにはいかない。下手をすると引率の講師が罷免される。
欲望のために他人を犠牲にするのは、二人にとってさすがに気の引けることだった。
「うぅ……近くに女子力を上げる温泉があるというのに」
「美容のためだけに、他の方々に迷惑を掛けるわけには参りませんわ。ここは涙を呑んで諦めるしか……ところで」
キャロスティーが馬車の横に視線を移すと、真横をウルナが必死に走っていた。
おそらくは特訓なのだろうが、なぜか彼女を指導しているのは、神出鬼没のロリッ子ピンク忍者であった。
「杏ちゃん、【瞬動】が上手くいかないんだけどぉ~」
「ん……魔力の練りが甘い。足の裏に集めた魔力を、体全体をバネにして加速した瞬間に爆発させる……。【身体強化】と併用するから簡単なようでムズイ」
「ウルナさん、こうやるのですよ」
青い髪の眼鏡メイドがウルナの前から忽然と消え、数メートル離れた場所にいつの間にか移動していた。まるで瞬間移動である。
突然現れたメイドさんに護衛に着いていた傭兵達は驚き、その様子を見て悪い笑みを浮かべるミスカさん。凄く楽しそうな言い笑みを浮かべていた。
人を驚ろかしたり、からかうことが大好きなのだ。
『杏さんはともかく、なぜウルナとミスカがここにいるの!?』
『ウルナさんは、この遺跡調査に参加できる成績ではないはず……。ミスカさんは完全に部外者ですわ』
杏はソリステア公爵家で雇われた護衛だから別として、ウルナは成績が中の下であり調査団には参加できない。ミスカはあくまでも個人の世話をする侍女であり、学業である遺跡調査に参加する資格などない。
そのはずなのだが、なぜか彼女達はこの場にいた。
得意げな顔で戻ってくるミスカと、尊敬のまなざしで彼女を見るウルナ。杏に到ってはクールだった。
「あの……なぜ、ミスカとウルナがここにいるのですか? どう考えても二人がこの場にいるのはおかしいのですけど……」
「なぜと問いますか、愚問ですね。それは、メイドだからです」
「ミスカの言うメイドの定義がおかしいです! その一言でなんでも済まそうと思わないでください。これは学業行事の一環なのですよ?」
「もう騙されませんか……チッ! 簡単に言えば休暇ですね。旦那様から休暇を頂いたので、温泉にでも行こうかと思いまして。そして暇なウルナさんを拉致――いえ、誘って調査団の列に便乗しただけです。それがなにか?」
「拉致? 今、拉致してきたと言いかけませんでしたか!? しかも温泉!? 狡いです!」
しれっとのたまうミスカさん。
明らかに部外者が便乗しているのだが、ミスカのあまりに堂々とした態度が逆に不信感を人に感じさせなかった。しかも列に便乗して護衛を雇う費用を節約している。
問題はウルナだ。
「ミスカ……一応、ウルナは学院生なのですよ? 単位が足りないと、来年には留年してしまうかも知れないのですが……」
「その辺りは抜かりありません。学院長や講師達を脅迫――もとい、説得しましたので、ウルナさんの成績は今のままキープ。問題ありません」
「脅迫? 学院長を脅迫したのですか!? ミスカは私の知らないところで何をしているんですかぁ!」
ミスカの眼鏡が不気味に輝く。
表情は見えないが、口元がこれ以上にないくらい吊り上がり、今まで見たことがないほど悪辣な笑みを浮かべた。
そこに迷いは一切ない。
「お嬢様、人には知られたくない秘密が千や二千はあるものですよ? その一つをだしてお願いしただけです。実に快く許可をだしてくれましたが?」
「普通はそんなにありません! それより、結局脅しているのではないですかぁ!」
「もぉ~我が儘ですね、お嬢様は……。そんなお嬢様に素敵なプレゼントです」
「なんですか……本? って、なぁっ!?」
ミスカから手渡された黒革の重圧感溢れる一冊の本。
表紙に書かれたタイトルを見て、セレスティーナは硬直した。そして戦慄した。
「ミ、ミミミ、ミスカぁ……なぜ、これが書籍となっているのですか……!?」
「そんなに喜ばれるとは、私も苦労して編集した甲斐があります。最近売り上げが好調らしいですよ? 印税も凄いことに。やりましたね、お嬢様!」
実に素敵な笑みでサムズアップ。
ミスカはやり遂げた満足感に包まれていた。
「そんなことは聞いていません! どうしてこの物語が本になって販売されているんですかぁ!」
「私が、世間に出さず埋もれたままにしておくには惜しいと思ったからです。出版社の方々も、予想以上の売れ行きに驚愕していましたね」
それは、セレスティーナの黒歴史。
ミスカの悪戯で興味を持った薄い本に触発され、欲望の限りを叩き込んだ渾身の力作であり、封印されていた負の遺産である。
その時点ではただの妄想にしかすぎなかったのだが、知らないところでミスカの手により書籍化されていた。しかも売れているらしい。
ちなみにだが、タイトルは【人獣達の哀歌 ~愚者は薔薇の園で踊り狂う~】だった。
「あら、その本はわたくしも読みましたわ。孤児の少年達が裏社会でのし上がる話ですわよね? その……時に傷つけ合い、時に狂おしいまでに愛し合う殿方の愛憎物語。最後はとても泣けましたわ」
「えっ!? な、なぜにキャロスティーさんが知っているんですか?」
「なぜって、大図書館の新作ブースに陳列されていましたわよ? 間違って手にしてしまいましたが、予想以上に素敵なお話でしたわ。殿方同士で……その、あのように激しく求め合うなんて」
「いやぁああああああああああああああああっ!!」
黒歴史は世間に広く出回った。
しかも、想像以上に高評価なのが逆に辛い。そして痛い。
「親友同士が、互いの立場の違いから殺し合わなくてはならなくなったとき、わたくしは胸が切なくなりましたわ。無言でベッドから去りゆく場面は、悲しくてそれでいて愛おしかったですわ。あぁ……ジョバーニ様♡」
「そこは特に編集に力を入れました。愛と責務の狭間で揺れ動く、殿方達の最大の見せ場ですからね」
「やめてぇえぇええええええええええええええっ!!」
しかも、キャロスティーも少なからずあちら側の世界に堕ちていた。
その原因が、自分の書いた妄想物語のせいだと思うと、セレスティーナは死にたい気分になってくる。褒め殺しとは時に拷問器具より凶悪な責め苦を与えるのだ。
たとえ高評価を得ようとも、その称える好意的な意見は鋭いナイフとなり、セレスティーナのハートを容赦なく抉る。
彼女のHPは既に0である。
「良かったたですね、お嬢様……。ご友人方からも支持を得られましたよ?」
「クッ……殺して! いっそ、ひと思いにとどめを刺してぇえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
喜ばしいとばかりにわざとらしく目元をハンカチで拭うミスカと、羞恥のあまりに魂の叫びを上げ死を覚悟するセレスティーナ。酷い主従関係である。
「ところで、続編はいつ頃の予定なんですの? 楽しみにしているのですが」
「現在、総力を挙げて編集中です。来年までにはなんとか……」
「カハッ!」
現実に耐えきれなくなり、ついにセレスティーナは倒れた。
「あっ、【瞬動】できたぁ!」
「む……筋が良い。この調子なら【縮地】を覚えるのも早いかも知れない……」
「ほんとう!? やったぁ~っ!!」
その横で、マイペースなウルナと杏が楽しそうに修行をしていた。
この二人は、周囲の騒ぎは聞こえないようである。実に楽しそうだ。
遠ざかる意識の中、セレスティーナはマイペースな二人の声を聞きつつ、羨ましく思いながら闇に落ちていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
長い移動をしてきた学院生のキャラバンは、現在イーサ・ランテの正門で検問を受けていた。
多くの商人達が列をなし、新たに開けた商売の好機を我先にと争っているのが分る。
今までメーティス聖法神国を通るルートしかなかった交易路が、アトルム皇国とイサラス王国にまで続き、余計な出費を出さずに他国へ行き来ができるようになったことは大きい。
イサラス王国では鉱石や宝石の原石が産出し、アトルも皇国では上質な魔物の素材を仕入れることができる。商人として誰よりも早く取引相手を見つけ、他の商人を出し抜こうと必死なのである。
だが、商人の数が多すぎて、検問もなかなか進まず渋滞を起こしているのが現状だった。
「マジか……イーサ・ランテだ。嘘だろ……」
「ん……これは現実。夢だと思うなら殴ってみる?」
「死ぬからやめて……」
どこか嬉しそうに小さな拳を突き出す杏と、その一撃は致命的になりかねないので必死に断るエロムラ。杏は無表情だが少し残念そうに見えた。
転生者であり【ソード・アンド・ソーサリス】プレイヤーであった杏とエロムラ。杏は受け入れていたが、エロムラは目の前にある正門を見ても信じられなかった。
異世界転生したことに色々と思うところはあるが、まさかゲーム世界の初期拠点の一つである地下都市が存在し、実際に自分達がその場に立っている。
現実とは思えず夢ではないかという光景と、それでもこれが現実だという常識がせめぎ合っていた。まるで【ソード・アンド・ソーサリス】をプレイしている気分にさせられるのだ。
しかし、その感覚は非常に危険なものであることも意識していた。
もしゲーム感覚に身を委ねれば、死に対しての恐怖感が希薄になる。この世界が現実である以上、ゲームのような【死に戻り】は存在しないからだ。
「やべぇな……ここに来るべきじゃなかった。まるで【ソード・アンド・ソーサリス】の世界にいる気分だ」
「……ここに【復活の神殿】はない。自覚していないと、命が危険」
「分っているんだが、これはどういうことだ? なんでイーサ・ランテが存在してんだよ」
「分らない……。それは多分、【殲滅者】が調べてると思う」
「あのおっさんか、上位プレイヤーらしいからな。何かを調べるのは得意だろうし、情報を掴んでいるかも知れないな」
エロムラの脳裏に、漆黒の装備を纏った年配魔導士の姿が過ぎる。
【殲滅者】は生産職だが、同時にトップクラスの攻略組でもあった。異世界に来ても公爵家と繋がりを持つ手腕から、かなりの切れ者である印象がある。
何らかの情報を手に入れている可能性もあるが、エロムラには聞く勇気がなかった。それ以前に【殲滅者】の居場所を知らない。
「予想は……つく。聞きたい?」
「マジで? いや、今はやめておこう。まだ真実を知る勇気がねぇし」
「……色んな意味でヘタレ」
「杏ちゃん、その一言が地味に傷つくよぉ!?」
エロムラは異世界生活を楽しみたい。対して杏は何を考えているか分らない。
無表情な小学生は、イーサ・ランテの門を見つめたまま表情一つ変えていなかった。
そんな二人とは別に、ツヴェイト達もまた古代都市の門を見つめ固まっていた。
「凄ぇな……まだ生きている古代都市があるとは、な」
「フフフ……この都市の隅から隅まで、余すことなく調べ尽してみたいですね。この地で研究に一生を捧げても良い気がしてきましたよ」
「クロイサス……お前、そこまで研究馬鹿――いや、お前はそういう奴だったよな」
「マカロフ、今更なことだと思うよ? それよりも凄いね。これは難攻不落の地下要塞だよ」
マカロフは研究者で、ディーオは戦術を学ぶ士官候補生だ。
魔法の技術や防衛戦術の観点から見ても、この地下の古代都市は最高の研究対象であった。しかも都市機能が正常に稼働している数少ない遺跡である。
当然だが、この町に着いた時点から二つの研究グループは分かれることになる。戦術研究と魔導技術研究に、だ。
学院生である以上、重要な場所には入ることはできない。しかし、それ以外はある程度の自由な行動を認められている。
「ふむ……我々はおそらく、旧領事館跡地に泊まり込むことになりそうですね。領事館の地下深くに都市の心臓部があるらしいのですが、ここは封印閉鎖されています」
「お前の研究は、魔導具の調査からだろ? 俺達は都市の防衛構造やこの地での防衛戦術の検証だ。現場でどのような指揮を執るのか、どんな不測の事態が考えられるのかを想定する」
「やはり、研究レポートは提出することになるのですか?」
「そうなるだろう。俺達は最近やらかしているし、上から色々と注目されているからな」
クロイサス達サンジェルマン派は、魔法薬や魔法式の改良で注目を浴びていた。特に魔法式解読法を発表したことにより、各研究の進行具合が一時的に停滞した。
しかし、同時に今まで不明であった魔法式の構造が明確にされ、恐ろしい勢いで解析作業が進み出す。研究者は新たな可能性が提示されると限度を忘れ暴走するのだ。
また、ツヴェイト達ウィースラー派もまた新たな戦術構想や組織改革案を提出し、その一部が騎士団と魔導師団の組織改革にテストケースとして採用され、現在急速に効率重視の軍編成へと変わっていった。
魔導師団と騎士団の上層部のみが残され、下の者達は大規模な組織編成に組み込まれることにより組織統合。各地に派遣されることが正式に決定されることとなった。
もはや、今までのように上層部同士の対立ができなくなり、場合によってはお役御免になりかねない事態が引き起こされてしまう。
「甘い汁を啜っていた連中は、蹴落とされているらしいね。良いことだよ、うん」
「ディーオ、それは一面だけだぞ? 実際はかなり混乱している。今まで後方離支援しかやってこなかった魔導士は、騎士団の訓練でだいぶ数が減らされているらしい。近接戦闘訓練を拒否して、クビになる連中が続出したらしい」
「マッシュ・アヘアへの言う通りだな。魔導士も前戦で戦う時代だ。今までのように後方で偉そうにはできない。それに気づかず舐めた反抗をした結果、不採用になったそうだ。一種の見せしめでもあるな」
「マカロフですよ、兄上……。まぁ、私は研究者なので、戦場とは無縁なのですがね」
『……こいつら、実はわざと名前を間違えているんじゃねぇのか? 話す度に本名からかけ離れていってる気がすんぞ』
マカロフが疑惑を覚えた瞬間だった。
だが、残念なことだが二人は意図的に名前を間違えているわけではない。大まじめで間違えているのだからタチが悪いのだ。
ついでに同級生であったとしても、さほど仲が良かったわけではない。
多少話をする程度であり、専門分野が異なることから自然と距離ができていた。その距離感が記憶を曖昧にし、クラス分けで完全に記憶から消えてしまう。
むしろ顔を覚えられている分だけマシな方である。
「クロイサス君、一緒にいこぉ~」
「マカロフもご苦労様。クロイサス君が馬鹿な真似をしでかさなかった?」
サンジェルマン派の主要メンバーが、クロイサス達の元へ合流した。
ここからは各研究室に別れ行動することになる。
「イー・リンにセリナか、大丈夫だ。珍しくクロイサスの奴が大人しかったぞ」
「へぇ~、それは珍しいわね。明日にでもこの遺跡が地中に埋まるんじゃないかしら?」
「セリナ……私が実験しなかったことがそんなにおかしいですか? いくら何でも、毎回騒ぎを起こしているわけではありませんよ」
「「「えっ!?」」」
残念だが、クロイサスの主張は通らない。
言わなくても分るだろうが、騒ぎの中心には必ずクロイサスがいる。学院で起こる馬鹿騒ぎの原因の約二割がクロイサスよるものなのだ。
それだけに、『毎回騒ぎを起こしているわけではない』と言ったところで誰も信じない。目の前で人的災害を引き起こす瞬間を、その場で目撃したこともあるからだ。
「クロイサス君、嘘はいけないよぉ~?」
「お前は、言っている傍から事故を引き起こしているじゃねぇか。説得力がないんだよ!」
「この間、後輩に魔法薬の生成を指導していたとき、変な効力の薬を生成したわよね? 被害に遭った子達が、突然恥ずかしい趣味や性癖を暴露しだしたじゃない!」
「そ、そんなこともありましたか?」
惚けて誤魔化そうとするも、三人の冷たい視線が突き刺さる。
その場の思いつきで余計な物を混入するのだから始末に悪い。クロイサスの辞書に『混ぜるな、危険』の文字はなく、代わりに『魂の赴くまま混ぜるがよい』と書かれているに違いない。
未だに死者や重症患者が出ていないことは救いだが、それが今後も続くとは限らないのだ。
「聞いてもいないのに秘密を暴露する魔法薬……自白剤か。……使えるな」
「ツヴェイトぉ!?」
横で聞いていたツヴェイトは、クロイサスが生成した魔法薬に興味を示していた。これにはディーオも驚く。
戦争ともなれば他国に密偵を送り、逆に送られてくることがある。諜報部がそうした他国の諜報員を捕らえることもあるだろう。
だが、彼等から情報を引き出すには様々な方法が用いられ、一番有効なことが拷問なのである。
クロイサスが生成した魔法薬はそうした手間を省いてくれる。他者の尊厳を踏みにじるような行為を行わず、簡単に情報が引き出せるからだ。
何しろ勝手に情報を勝手にしゃべり出すのだから、拷問によって精神異常をおこし犯罪者に傾く拷問官を減らせ、情報を引き出す時間も短縮できる。
常に情報がめまぐるしく変化する国家間の対立において、実に効果的でコストも低い情報収集ができるのだから、これほど軍事面に適した魔法薬はないというのがツヴェイトの考えだ。
「クロイサス……その魔法薬、レシピは残しているのか?」
「当然ですよ。私が研究結果を記録しない訳がないじゃないですか」
「後でも良いから、そのレシピをまとめて学院議会に提出しろ。お前が作った物は軍事面で有用だ」
「偶然の産物なのですがね。いったい何に使うのですか? それに、私はアレの研究はしませんよ? やることが多いですし、暇がありません。まぁ、興味はありますがね」
「使用法は聞くな。諜報部が使うと言えば分るんじゃねぇのか? 開発なら【魔導研究部】の方でやるだろ」
「なるほど……」
魔法薬の販売において、効果や品質を調べる研究機関は主に二つある。
販売を目的とした商品の開発研究を進める【ソリステア魔導研究室】と、軍事利用目的の魔導具や魔法薬を開発研究する【ソリステア軍魔導研究部】だ。
表向きは一つの組織の一部署として認識され、【魔導研究部】の名は滅多に表に出ることがない。
その理由が、この二つの機関は管理責任を持っている者達が異なるのだ。【研究室】は魔導師団直轄だが、【魔導研究部】は王家直轄なのである。
最近、組織改革で何かと力を削がれてきた魔導師団だが、【魔導研究室】の管理だけは魔導師団トップの宮廷魔導士達が行っており、簡単にリストラすることもできない。
騎士団を取り込むために水面下での権力抗争があったが、組織改革を行う中で職場の引き継ぎ作業を考えると、実に効率が悪く責任者を迂闊に解雇するわけにも行かない。
とりあえず、監視の目を厳しくすることで様子見をしているのが現状だった。
ソリステア魔法王国は旧時代の組織構造を一新し、新たな時代を迎えるための準備期間に入ったと言える。クロイサスの魔法薬は【魔導研究部】で研究生産されることになるだろう。
だが、他人が研究すると知ったクロイサスは、なぜか凄く残念そうな表情を見せていた。
「お前……『研究はやらない』って言ったよな? なんでそんなに残念そうなんだよ」
「いえ、自分が発見した効能を持つ魔法薬を他人が研究すると思うと……」
「我が儘だな!」
研究者としてのクロイサスは、知識を求めることに対してどこまでも強欲だった。
確かに自白剤を作り出したのはクロイサスだが、それを他の研究者が調べるのは許すことのできないものである。
しかし、今研究しているものを含めてやるべきことが多い。自分の体が一つしかないことをこれほど残念に思ったことは――今までに何度もあった。
「オイ! いつまでだべってんだぁ、早く前に進め! 邪魔なんだよ!」
「さっさと街に入りてぇんだぁ、早く詰めろクソがぁ!!」
「「「「「「あっ……」」」」」」
会話をしている間にも検問は進み、前の列はだいぶ離れていた。
早くイーサ・ランテの街に入り宿を取りたい商人達は苛立ち、罵声を挙げている。
このままでは喧嘩になる可能性もあり、ツヴェイト達は慌てて前に進む。
彼等が検問を通り抜け門を潜るのは、それから三十分後のことである。何にしても無事にイーサ・ランテへ辿り着くことができたのである。