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アド、修羅場に

 ハサム村の朝は早い。

 鳥が鳴く前の、日がまだ昇りきらないうちに起き出し、放牧している家畜の世話から始まる。

 餌を与え、それが終われば共同牧場に放す。

 勿論、牛や豚だけではなく、羊や山羊なども飼っていた。

 その家畜の首につけられたカウベルが、薄暗い早朝に村中響くことで、今日という日が始まるのだ。

 村長宅の前にある広場に集まり集団で体操をし、それから各畑に向かう。

 朝食の準備は畑仕事を終わらせた後で、昼間は割とのんびりしているのが一般的な村のサイクルである。実に平和的な光景が窓の外に広がっていた。


「あぁ~……ウチの畑はどうなってるかなぁ? 早朝はコッコ達がやってくれているし、昼は孤児の子供達が世話をしているらしいが、見たことがないなぁ……」


 サントールの街で始められた孤児達の教育兼、小遣い稼ぎ。これを推奨したのがおっさんである。

 無駄に増えるお金の使い道がなく、ボランティアに回すようにデルサシス公爵に任せたことが始まりだが、多くの孤児達や働けなくなった老人達には概ね好評だった。

 年老いた者達は大抵が家にこもりがちであり、孤児達もまた街中に溢れ犯罪の温床になっている。

街にはこうした問題がいくらでも転がっており、ゼロスはそれを解決する糸口のきっかけを作ったにすぎない。本人は軽い気持ちであっても、その政策は多くの働けない者達にはありがたかった。

 最近では、仕事を割り振る大店の店や街周辺の農家の元へ向かう者達も増え、治安はかなり良くなってきていた。

 これに気を良くしたデルサシス公爵は、老人達がなんの仕事をしていたのかを申請することで、その技術に応じた仕事を割り振るようになった。

 何しろ老人達はソリステア公爵領を支えた技術を持つ者達であり、中には匠と言っても良い凄腕の技術者も存在した。隠居させるには惜しいと思ったのだ。

 勿論、そんな技術を持つ者が大勢いるわけではないが、農作業で小遣いを稼げることだけでも充分発展に役立つ。

 今も小さな村が少しずつ増え、人の手が多いほど領地の発展は進む。これにより犯罪者に身を落とす者も減るが、それでも周囲とは相容れない者達がいることも確かだ。

 中には孤児達を力で束ね、脅迫して働かせることで上前を奪う者もいるが、こうした連中は重罪を犯した犯罪者と同じ扱いを受け、奴隷にされ強制労働に身を落とすことになる。

 そうした政策は他の貴族領でも行い始めていた。


『まぁ、ハサム村に廻せる人員が集まるとは思えないが……』


 浮浪者や孤児達の雇用は、犯罪者の撲滅や治安維持の面でも有効だが、それを行うには多額の資金が掛かる。

 街に納められる税も、その収益の何パーセントかが国に納められ、残りの税でインフラ整備などの事業や職員の給料を払わねばならない。

 しかし、街の規模や繁栄具合によっては、納められる税の額は極端に変わる。

 いくらデルサシス公爵が慈善事業に成功していたとしても、他の者達が同じことをできるかと問われれば無理だろう。何しろ資本の規模が違う。

 計画性を持たずに真似をしたところで、結局は資金面での壁にぶち当たり、慈善事業から手を引くことになるだろう。

 孤児の保護や年配者の再雇用など、それを行う資金はデルサシス公爵の懐から出ているからだ。自ら商いを行わない貴族達に同じ真似をすることなど不可能なのである。

 言うなれば、デルサシス公爵の実家であるソリステア公爵家は財閥企業なのだ。


「まぁ、僕には関係ないか。それにしても……」


 視線をそらすと、広い屋の中にリサとシャクティが転がっていた。

 いや、疲れ果てて倒れているといった方が正しい。

 昨夜暴走したユイを止めるため、七時間近くも全力で動き続けた。彼女が倒れるまでの間いつ殺されるか分らない恐怖に曝されていたのだ。

 部屋は台風がすぎたかのような荒れ具合で、壺などの破片が散乱し、棚は倒れ壁や床など所々に刃物が突き刺さっている。

 さすがのおっさんも、『あっ、こりゃヤベぇわ……逃げないと』と、保身を考えるほどに暴走していた。思い出すだけでも震えが来る。

 そんな荒れ果てた部屋に、アドの姿がないことに気づく。


『……異様に嫉妬深かったからなぁ~、気絶したアド君を連行したのだろうか? 煽ってしまったとはいえ結局は夫婦間の問題だし、これ以上は踏み込まないようにした方が良いな』


 暴走したユイは止まらなかった。

 特に問題であったのが、同じ【殲滅者】が製作した包丁【利亜獣滅術死りあじゅうめっすべし七点セット】だろう。

 厄介なことに包丁一つ一つに物騒な魔法効果が付与されており、さらに精神を汚染させるような呪い付きだ。包丁自体を何とかしない限り呪いは解けず、七本の包丁が連立同調することで効果を倍増させる。魔法攻撃を無効化し、身体能力を限界まで引き上げ、その上【精神汚染】と【狂戦士化】のおまけ付き。

 レベルの低いはずのユイが、手に負えない獣化したことからも、かなり邪悪な装備であった。

 しかも武器を手にしていなくても効果があるのだから最悪だ。


『テッド……君は、そこまでカップルが憎いのか……』


 自分のことは棚に上げ、元の世界にいる仲間を思い遠い目で空を見上げるおっさん。

 中々に良い性格をしていた。

 

「さて、そろそろウーケイ達も起き出す頃かな」


 一人呟くと、おっさんは外へと出て行った。

 これからウーケイ達と日課である組み手を行い、同時に体を鍛えるのである。

 おっさんは、常に健康に気を使っているのだ。

 程なくして、『セイッ! セイヤッ!!』とかけ声が響いてくるのであった。


◇ ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「ん……」


 早朝、窓から朝日が差し込む中、リサは静かに目を開けた。

 外を飛び交う小鳥達が『チュン、チュン』と泣きながら飛び交い、農民達が挨拶し合う声が聞こえてくる。

 その中に、『ドカッ! バキィ!! キィンッ!!』と、やけに物騒な音も聞こえてくるのだが、半ばまどろみの中にいる彼女は気にしない。

 眼をこすりながら、『ぼぉ~』とした表情で窓を見る。


『ツエェイヤァッ!!』

『コケッ!? (しまったっ!?)』


 ――ギャリィィィンッ!!


 甲高く響き渡る金属音と、窓の前を吹き飛んでいく白銀のコッコ、ザンケイ。

 飛び上がるおっさんとウーケイが、空中で蹴りを叩き込みながら交差する。


「……えっ? えぇえぇぇぇぇっ!?」


 思わず窓の傍に駆け寄ると、外では猛然と分身をしながらゼロスに迫る漆黒のコッコ。

 暗殺者の戦闘スキル【幻影連斬】だ。

 多重分身による連続攻撃なのだが、その攻撃をおっさんは同じ分身で避けきる。


『コケェ!? (なにぃ!?)』

『まだまだですねぇ』


 いつの間にかセンケイの背後を取っていたゼロスは、掌に魔力を集めた発気を打ち込む。

 その隙を逃さず、ウーケイとザンケイが猛然と迫り攻撃を繰り出すが、ウーケイの拳を左腕で、ザンケイの斬撃を右手のコンバットナイフで受け止めていた。


『コケケ……(止められたか……)』

『コケ……コケケコ(さすが師父……一本すら取らせてくれぬか)』


 のどかな農村で繰り広げられるバイオレンス。

 その光景をリサは呆然と見つめていた。


「あれはもう、コッコじゃないわね……」

「うひゃぁ!? シャクティさん、起きていたんですか?」

「これだけ騒がしいと、寝てもいられないわよ。朝から何をやっているんだか……」

「朝の準備運動じゃないかな? かなりハードだけど……」

「これが準備運動なら、イサラス王国の騎士達が行っている訓練はストレッチにもならないわね。どう見てもガチで殴り合ってるし……」


 しかも本気の攻撃を平気で打ち込んでいるのだ。

 手加減もしているのだろうが、そのレベルは訓練の一言では済まされない。

 完全に実戦である。


「コッコって、もっと可愛げのある魔物じゃなかったかしら?」

「もう、魔物じゃないよ……生物兵器に見えてきた」


 斬撃が飛び交い、火花が散り、あり得ない打撃音が響き渡る。

 低位の魔物であるはずだったコッコが、化け物レベルで強かった。

 常識は常に覆されるものだが、これはその先をはるかに突き進んでいた。漫画の世界が現実に可能なのだから、ファンタジー世界とは恐ろしいものである。

 今も目に見えないほどの連続ラッシュを空中で叩き合い、爽やかな朝の農村に場違いな打撃音が轟いていた。


「……もう、考えるのを、やめた方が良いね」

「そうね……。私達は、この部屋を片付けましょう。夕べは色々と派手にやっちゃったから」


 人様の家で引き起こされた暴走劇。

 その惨状を見て、溜息しか出ない二人であった。


「ユイさん……めちゃくちゃ独占欲が強いみたいだね」

「ああいうタイプは危険ね。旦那の性格次第では、復讐という形で自殺しかねないわ。アドさんは恋人を大事にするタイプだけど、誠実性もなく自分の我を押し通すような人だったら最悪な事態を招くわ」

「詳しいね。それもネットか何かで調べたの?」

「弁護士はね、いろいろな裁判や仲裁の仕事を回されてくるのよ。仕事を理由に妻子を無視するような人は、ユイさんには合わないタイプね。そんな人だと、見栄ばかり張って計画性なんてものは皆無だから。ゴシップ記事なんて調べようと思えばいくらでも探せる世界だったから、簡単に情報が調べられたわ」

「この世界だと無理だね」

「でも、人間性はとても純粋よ? 現代人みたいに文明に染まっていないから、家庭や家族をとても大事にするのよねぇ~。まぁ、すべての人間が純粋というわけじゃないけど」


 文明水準が低いことは何も悪いことではない。

 余計な情報が少ないだけに、人間の人格形成はとても純朴になりやすい。

それでも犯罪が起こるのは、大抵が粗暴な性格だったり、職に就けず道を踏み外した場合である。

 ほとんどが家を継げない次男坊が社会に出ても認められず、犯罪に手を染めるパターンが多かった。後は傭兵生活から身を堕とした者が盗賊になるなど、大抵は生活環境の落差から来る。

 多少なりとも学歴や技術を持っていれば、犯罪者になることは少ない。

しかし、この世界には専門学校みたいな公共施設は存在しないため、技術や学問を学ぶためには金や職人への弟子入りなどが必要となる。

技術者の育成にも時間が掛かり、一人前としてみられるようには少なくとも十年は必要だ。職業によってはその倍の時間が掛かることもある。鍛冶師などがそうだろう。


「統計的に見て、一番多い職業が傭兵ね。その次が土木関係。大半が男性中心の職業が多いから、女性の立場はかなり低いのよ。もっとも薬剤師や魔導師、錬金術師なんかは女性の数が多いわ」

「神官は? 女性の神官や司祭も結構見たことがあるけど?」

「彼女達は収入は少ないわよ? 神に仕える立場になってるから、宗教上の理由で結婚も諦めているわね。女性は家にいることが多いし、働ける職場が少ないのよ。だから目指す人も多いわ」


 神官――主に四神教だが、神官の婚姻は認められてはいない。

見習い神官や神父はギリギリでセーフ扱いだった。

 神父は一般の民が聖書を持ち、信仰を広める信者の意味合いが強く、見習い神官は世俗に戻れるボーダラインである。

 さすがに一生婚姻もせず世俗から離れるのは辛いだろうという配慮から、こうしたシステムが自然とできあがった。だが、四神教はすっかり欲に溺れた宗教と化してしまった。

 それが原因かは知らないが、見習い神官の多くが世俗に戻り、細々と信仰を広めながらも家庭を築く者が多い。ルーセリスの立場は修道女扱いだが、正式な神官になるには儀式時の最終審問が行われるが、彼女は正式な神官になることを断っている。

 元より神聖魔法を目当てに神官になろうとしたのだ。彼女は孤児達のために力をつけたかっただけなので、正式な神官職にはこだわる必要がなかった。

また、四神教以外の宗教――創世神教だが、神官でも婚姻が認められている。

彼等の教義では欲望も人の本質とされ、大事なのはその欲に溺れない心の強さだと伝え広めていた。アトルム皇国やその他の周辺小国に多く信者を持ち、ソリステア魔法王国では宗教は人の自由意志に任されていた。


「宗教によっては神官の婚姻も認められているわ。四神教だけが宗教ではないのよ、他にもマイナーな宗教がいくつか存在するけど、どれが正しいというわけではないわね」

「地球でも、宗教同士の争いは激しいもんね。場合によっては同じ宗教なのに民族が違うという理由で戦争をしていたし、武力による価値観の押しつけ合いというイメージが強いかなぁ~」

「普通なら、同じ宗教同士仲良くした方が良いわよね。けど、そこに土地や民族間の対立が加わるからややこしくなるのよ。

宗教は宗教、政治は政治と分けられないから、いつまでも前に進めない。生まれた土地によっても価値観が違うし、中には信仰を利用する者もいるわ」

「ゲリラ戦やテロを行っている人達のこと?」

「そう、せっかく国が一つに纏まろうとしているのに、何も考えない馬鹿が踊らされて暗殺の駒にされる。自爆テロも似たようなものよ。神が本当に存在するのだとしたら、あまりの愚かさに嘲笑するでしょうね。命の冒涜よ」

「時代錯誤的に、女性の社会進出を認めない人達もいるらしいね?」

「旧時代のしがらみに取憑かれているとしか思えないわね。女性が子供を産むだけの道具としか見ていないし、社会的な地位を築かれると困るのよね」


 宗教上の理由から、女性の立場が弱い国も多く存在する。

 ソリステア魔法王国やアトルム皇国はそうでもないが、男性優位の社会がほとんどだ。

 メーティス聖法神国も女性は司祭までしか上がることはできず、枢機卿や教皇などは男性が選ばれることが通例であった。例外は聖女だが、彼女達は政治に強い権限を持っているわけではない。

 聖女とは言わば四神とを繋ぐ巫女のことで、政治的に権限を持とうとする者は即座に追い出される。名目上は信仰を広めるためと言う理由がつくが――。

 メルラーサ司祭がこれに当たる。


「地球でも異世界も、やっていることは変わらないんだね」

「宗教なんて、そんなものよ? 要は日々をいかに健やかに生きることが大事なのよ。聖書なんていうものはその時代に合わせて書き換えられてきたものだし、道徳を説く項目以外はさほど役に立たないわね。戦争すら認めるようなものは、時の権力者の命で書き足されたものだと思うわ」

「シャクティさん、辛辣……」

「博愛思想の教えである墨家も、時の権力者にはうざいものだったはずよ? だから潰された。そして隆盛を誇ったのが儒家。権力者にとって儒教は都合が良いものであったことも確かね」

「博愛思想だと、駄目なの?」

「博愛精神とは、言わばすべての人を対等と見なす考えになるわ。権力を持つ皇帝が絶対と思われていた時代に、そんな思想は危険以外の何物でもないわよ」


 例えば、教義の中に復讐や征服を認める記述があったとする。

 権力者はそれを大義名分とし、各地に領土侵攻を計るべく兵を起こす。そんな中に博愛思想の教えがあればどうなるか。

 権力思想に囚われた者にとっては邪魔以外の何物でもない。自分達の行いを肯定する存在こそが望まれ、否定するものは世界に残しておく訳にはいかない。

 創世神教は平等とまでは行かないものの、人との争いは否定し言葉での対話を是としていた。

 しかし、四神教は四神を絶対とし、その下に信徒である教皇達を崇めるべしとされている。

 権力者は神官達よりも下に扱われ、教皇はその気になれば各国家に対して武力行使すら容認されている。神聖魔法や四神の存在があるだけに絶対的な優位性があった。


「アドさん達が四神と戦ったらしいけど、たいした実力ではなかったらしいわね」

「ゼロスさん一人でも勝てるかも知れないと言っていたから、代行神というのは間違いなさそうだね。本当の神様はどこへ行っちゃったんだろ?」

「さぁ? でも、そんな連中を代行させたのよ? きっと碌でもない神に違いないわね」

「……同感。四神って、ただの愉快犯にしか思えないし」


 四神は、どう考えてもまともな神ではない。

 いい加減で無責任。自分達の目的のために、世界を滅ぼしかねない真似をしでかす。


「まぁ、私達のやるべきことは変わらないわ」

「そう言えば、アドさんの姿が見えないね? どうしたんだろ……」

「ユイさんに連行されたに決まっているでしょ? 彼女が私達の傍にアドさんを残しておくわけがないもの」

「うわぁ~……納得できちゃう」


 とても苛烈な感情を持ち合わせていないようなユイだが、アドのことになると豹変する。

 浮気も許さず、傍らに女性がいただけでも包丁を抜き出すほどだ。

この数ヶ月の間、アドのことを思いながら生きてきたのであろう。その箍が外れた瞬間、感情が一気に暴走した。

 そして広がる目の前の惨状。他人の家で大暴れし、集会場としても使われていた村長宅の広間が、今ではすっかり荒れ果てていた。


「片付けましょうか……。これは、さすがに気まずいから」

「ユイさん一人の暴走だけど、私達がいなければここまで酷くならなかったもんね」


 溜息を吐きながらも、二人は部屋の片付けを始めた。

 窓の外では、おっさんとコッコ達による過激な音が未だ響き渡っていた。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 一通り実戦を想定した組み手を終えた後、ゼロスとコッコ三羽は揃って太極拳もどきの軽い体操を行っている。

 これはいつもの日課であり、実戦組み手を終えた後に必ず行う。

 格闘主体のウーケイはともかく、ザンケイとセンケイも行うのは、剣技や暗殺技だけでは倒せない相手もいるからだ。ゆえに様々な戦闘を想定して自らを鍛え上げている。

 コッコ達はどこまでも武闘派だった。


「君達は、いったいどこへ行く気なんですかねぇ?」

「コケッ(我等の本能が告げております)」

「コケッケ、コケコケ(いずれ、我等は彼の地に行かねばならない)」

「コケケ…(人族が大深緑地帯と呼ぶ彼の地へ……)」

 

 獣の本能が、強者を求めていた。

 強者を戦い、強者を食らい、更なる強者を目指す。

 魔物の本能とは、より強くなろうとする純粋な生存本能から来るものであった。


「コケケケッコ!(いずれはドラゴンを倒してみせるつもりですぞ、師父!)」

「ドラゴン……魔王クラスにならないと、龍王の相手はできませんよ? 奴等は馬鹿げた強さを誇る最強種族だから」

「コケッ、コケケ(フッ、翼(腕)が鳴る)」

「コケケケ、コケッコ!(最強に挑んでこそ男子おのこよ、その高みへ至って見せましょうぞ!)」


 やる気の炎に油を注いでしまった。

 彼等なら本当に至れるのではないかと、おっさんは少し怖くなる。

 気のせいか、ゼロスの目には三羽から灼熱の炎が吹き出しているように見えた。


「さて、朝食の準備でもしよっかな……」

「コケケ(我等は畑で虫でもつまんできます)」

「ケッコココ(美味いミミズでもいれば良いが)」

「クケェココ(別に蛇やトカゲでも良い)」


 腹を満たすために、畑へと突撃してゆくコッコ達。

 おっさんは『最近、畑で虫を見かけなくなったが、アイツらが食っていたのか……』と、妙に納得した。

 ゼロスは知らない。ワイルド・コッコはスライムと同じ森の掃除屋である。

 他の生物の屍を食らい、昆虫などの小動物を補食する益獣なのである。

 おっさんは彼等の背中を見送ると、「キッチン、借りられるかなぁ~」と呟きながら、村長宅のドアを開いた。

 ドアの先は昨夜の騒ぎで散らかっていたはずだが、リサとシャクティ二人によって、多少の散らかりはあるものの綺麗に掃除されていた。


「お二人とも、おはようございます」

「あっ、おはようございますゼロスさん」

「朝も早くからバイオレンスね。まさか、毎朝あのような訓練をしているのかしら?」

「まぁ、最近では手強くなってきていますからねぇ。油断もできませんよ。ハハハハハ」

『『この人、何気に人間の天敵を飼育していない?』』


 二人が思ったことは正しい。

 ゼロスはおそらく、この世界の住人よりもはるかに強い。

 そんな馬鹿げた高レベル者によって育てられた生物が、普通の人間に勝てるとは思えない。むしろ確実に負けるだろう。

 半ば妙な進化を遂げており、もし仮に数を増やされでもしたら、魔物の暴走以上に危険な存在に変わりかねない。

 【斬る】【撃つ】【殴る】の三大攻撃を可能とし、更に戦闘スキルを自在に使いこなす。しかも強者にしか従わない武闘派。

 考えてみれば、実に厄介な生物である。


「皆さん、お早うございます。おや? 随分と綺麗になりましたね?」

「これはウルさんでしたか、お早うございます。今畑からの帰りですか?」

「えぇ、麦を植えてきたところなんですよ。ついでに【タロタイモ】もですが」


 タロタイモは、ジャガイモとサツマイモを足したような植物である。

 冬に植えると初夏になる頃には収穫できる、平野部ではよく育てられる作物だ。

 ただし、この芋を狙って【ドンモス(象)】や【ビッグ・ドドド(巨大ネズミ)】、【ファングボア(猪)】といった魔物が良く現れる。傭兵にとっては嬉しい収入源でもあった。


「すみません。なんか私達が来たせいで、部屋がこんなになっちゃって……」

「本当にすみません。壊れた物はどうしようもないですが、できるだけ片付けておきます」

「いえいえ、よほどアドさんが愛されているのでしょう。正直、羨ましいですね。壊れた物も、どうせガラクタですからお構いなく。祖父が趣味で集めた物ですけどね」

『『『で、できた人だ……とても年下には思えない』』』


 壊れた物の中には、なんだか分らない儀式に使いそうな木製の仮面や、妙な模様が刻まれた木の棒など、どこの民族性が判別できない物が多く含まれている。

 民俗学を専攻しているならともかくとして、この村の村長がなにゆえにこんな妙な物を集めているのかが分らなかった。

 趣味は人それぞれだが、お世辞にも買いたいとは思えない代物ばかりである。

 土産物屋で間違いなく売れ残り商品になるだろう。


「あっ、皆さん。お早うございます」

「ユイ、お早うございます。夕べはよく眠れましたか?」

「はい。それはもう、ぐっすりと……」

『『『待て、今、ウルさんは……ユイさんのことを呼び捨てにしなかったか?』』』


 気のせいか、ウルのユイを見る視線は、心なしか熱く思える。

 ゼロス達は互いに顔を合わせ、小声で意見交換をした。


『……まさかとは思うが、彼はユイさんのことを?』

『考えられますね。もしかしたら、ユイさんに一目惚れしたのかも……』

『でも、彼女は人妻だから、もしかしたら私達を利用して、別れさせるつもりなのかも知れないわね』

 

 ユイと話す彼の姿は、どう見ても恋をした男のそれである。

 この時三人は確信した。『『『あぁ……これは血を見るな』』』と――。


「うあぁ~……体がだりぃ。太陽が黄色く見える……」


 そして、空気を読まずに現れたアド。

 だが、彼はまるでやつれたかのようにフラフラであった。

 いや、実際にアドは精も根も搾り取られたかのようにやつれていた。その姿を見て何が起きたかを悟おっさん。

 前日に帰るときは元気そうであったのに、翌日出社したときにはフラフラであった、かつての部下の姿を思い出す。

 そう、アドは昨夜、ユイに搾り取られたのだろう。

 現にユイの肌はこれまでにないほどツヤツヤであった。


「フフフ……アドさんでしたか? 夕べはお楽しみだったみたいですね」

「あぁ? まぁ……」


 口淀むアドだが、問題はそこではない。

 ウルは昨夜、アドとユイが何をしていたのかを知っている。その上でドス黒い気配を放っているのだ。

 明らかに敵意を剥き出しである。

 

『『『ヤッベェ――――――――――――ッ!?』』』


 どうやら、昨晩はきしむベッドの上で、二人は燃えたようである。

 アドの状態から、主導権はユイにあったと思われる。それがウルには気に入らない。

 明らかに嫉妬から来る殺意を放出していた。


「まったく……妻を置き去りにしておきながら、随分と気楽なものですね」

「気楽じゃねぇよ。戦争にも参加したし、食料がなくてひもじい思いもした」

「理由になりませんよ。父親になるのですから、もう少し彼女を労ることは考えなかったのですか?」

「文句なら四神に言ってくれ。奴等のせいで俺達は……あの時、始末できなかったのが辛いな」

「まぁ、正義の味方が強すぎましたからねぇ。僕らが飛び込んでも邪魔になるだけだったろう。敵対するわけにもいかなかったしねぇ」


 おっさんも、熱く滾る思いにほだされ、傍観者となってしまったことを悔いていた。

 対面したとき、真っ先に始末をつけるべきであったと今にして思う。

 自分達のオタク魂が今は憎い。


「四神? 神とあなた方に、何か関係でもあるのですか?」

「俺達だけじゃない。そこにいるリサ達も、そしてユイも全員が被害者だ。奴等のせいで俺達は離され、大勢がどこだか分らない土地に飛ばされた」

「死んでいる人達もいるかも知れないねぇ。奴等は抹殺対象なんですよ、その大勢の中に馬鹿もいますから、どれだけ多くの人達に迷惑を掛けているのか……」

「あなた方は……四神に裁かれるような真似をしたのですか!?」

「逆だ、四神があちこちで多大な迷惑を掛けているんだ。あんたらはそれを知らない」


 四神はこの世界を守護する神であるというのが広く一般的だが、その神がユイを含む大勢の人達に災いを招いていると言われても、この世界の住人であるウルは首を傾げるしかない。

 ただ、ユイだけでなくシャクティやリサ、ゼロスといった者達がアドと同じ共通認識を持っていることに、彼は酷く嫉妬を覚える。

 この場にいる者達の中で、ウルだけが部外者なのだ。そのことに彼は激しい感情を沸き立たせていた。


「四神の命でメーティス聖法神国は勇者を召喚していたようですが、代償としてこの世界が滅びる間際でしたからねぇ。あれは間違いなく悪神ですよ」

「まさか!?」

「まぁ、あんたらは信じられないだろうな。だが、俺達は違う。世界中に分散させられたから、知り合いを探し出すにも容易ではなかった。言っておくが、俺はユイを放り出したわけじゃねぇぞ?」

「ゼロスさんと会えたことが幸運でしたね。おかげで俊君とこんなにも早く再会できましたし」

「いやぁ~、偶然ですよ」


 ウルはゼロスのことを話だけしか知らない。

 ユイと知り合う前に出会っていたのだから当然だが、彼にはおっさんが疫病神に見えた。

 ウルはアドが妊婦のユイを村の前に置き去りにしたと思い込んでいたが、実際は四神の手による犯行で、彼女を捨てたわけではない。

 しかし彼にとっては、ユイと過ごした一月あまりの時間がとても楽しいものであったが、時折彼女が遠い目をして夫のことを話すことだけが不満であった。

 そして、その夫がユイを捜し当てたことになる。


「ユイを保護してくれた村長には、俺からも挨拶しておきたかったんだがなぁ~」

「どこに行ったのか、居場所さえ分れば追いかけることもできるんですけどねぇ」

「温泉に行くと言ってましたよ? 凄くファンキーな馬車で、朝早くに皆さんと出て行きましたね」

「「奴の馬車かぁ!? どうでも良いが、行動範囲が広すぎるだろぉ!!」」


 もの凄く、二人がよく知る場所と人物である。

 そして、今日も元気に、暴走馬車は国中を走り回っているようだ。


「ところで、アドさん。ユイさんのことはどうするの?」

「えっ? どう……とは?」

「私達、一応他国でそれなりの待遇で迎え入れられた国賓よ? あの国に連れて行くのも酷よね?」

「それに、子供がお腹にいるんだよ? 間違っても長旅なんてさせられないし」

「あっ……」


 リサとシャクティが言うように、現在のアド達は微妙な立場だ。

 その能力ゆえに国としては優遇するほどの上位魔導師で、更に食糧事情という国難をいくばくか和らげた英雄でもある。おいそれと自由にするわけがない。

 イサラス王国は手放したくない人材で、ユイの存在は人質として充分に有用だ。

 戦争推進派にとっては、彼女は切り札になり得る。


「ゼロスさん……何とかならねぇか?」

「他力本願は嫌いだなぁ~……」

「そんなことを言わずに、なんとか力を貸してくれよ! いつまでもユイを人の世話にしてはおけねぇし、何でもするから! せめて安心できる人の傍にいて欲しいんだよぉ!!」

「必死だなぁ~……なら、知り合いの公爵閣下を紹介しましょうか? イサラス王国とアトルム皇国はこの国に貸しがありますし、さらに優位に立てる見返りを要求されると思うけど」

「うっ……」


 アド、最大の選択肢を突きつけられた。

 イサラス王国は待遇良く迎え入れてくれた手前、ソリステア魔法王国に移籍するのは不義理に思える。しかしユイのことを考えると、こちらの方が安全である。

 何しろ子育てには環境が良く、万が一の時にはゼロスが力になってくれるメリットが高い。


「しかし……いきなりこの国に来るのも、不義理だ……」

「なら、イサラス王国にもメリットを与えればどうでしょうかねぇ?」

「何か、良い案があるのか?」

「まぁ……正直お勧めはしませんが、イサラス王国と共同で車を売り出せば良いんじゃないですか? 動物探偵が乗っていた奴ですが……」

「動物探偵? 着ぐるみから動物に変身する探偵物に、そんなアイテムがあったか?」

「……キ○ミンじゃねぇよ。アド君……君、アレを見てたの?」

「ユイが大好きだった」


 おっさんが言っているのは、某有名監督が手がけたテレビ作品の方だ。

 言いたいのは正確にはダイムラー・モトールキャリッジが近いだろうが、ガソリン機関であるが馬力はさほどではない。馬車にエンジンを取り付けただけの車の原型とも言える物であるが、いきなりフェラーリを造るよりはマシである。


「小型魔力モーターと、魔石で動くと思うんだよねぇ。構造は単純で済むし」

「それ、何気に産業革命を引き起こさねぇか? 大丈夫かよ」

「魔力タンクなんて、ミスリルとオリハルコンの複合だよ? 予算の面で考えると、あまり実用的じゃないねぇ。二十年くらいは大丈夫なんじゃね? 後は魔石を燃料代わりにするとか」

「魔石で走るとなると、魔力の充填は必要がないな。けど、走行時間や距離を考えると、走らせるには相応の数が必要だけど?」

「全力で走っても、速度は馬車と変わりない。むしろ遅いかも知れないねぇ。まぁ、魔石の需要度が高まり、傭兵職が活性化するとは思うけど」

「間違いなく、産業革命になると思うんだが……」

「背に腹は代えられないでしょ。魔法王国と鉱石産出国、手を組むとしたらこの辺が落としどころだ。僕らのバイクや軽ワゴンみたいな物は、技術的に製造するのは困難だし」


 ゼロスの【アジ・ダカーハ】やアドの【軽ワゴン】には、稀少な金属が大量に使用されている。

 こうした金属は鉱山かダンジョンでしか採掘されず、ほとんどがレアメタル扱いだ。産業に利用するには数が足りない。

 生産内政チートをする気はないが、アドのことを思うとこの辺りが落としどころだろう。


「問題は、このままユイさんをサントールにまで連れて行って良いものか……。世話になった手前、なんのお礼もなく連れ出すのも不義理だろ?」

「その辺りは、どう言う話がついてんだ? ユイ……」

「えっ? 俊君やゼロスさんが迎えに来たら、自由にしても良いと村長さんに言われてるね。でも、やっぱり挨拶くらいはしておいた方が良いと思います」

「手紙でも残した方が良いか。挨拶もなしに消えるのはマズイ……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 焦りだすウル。

 彼からしてみれば、突然に現れたユイの夫によって、愛おしい女性が連れて行かれることになる。

 婚約しており既に子供のいる立場なのだから、この時点で口を挟める立場ではない。

 しかし、これで納得できるほどウル青年は大人ではなかった。


「ユイは身重なんですよ!? そんな大事な時期に、この村から連れ出す気ですか!」

「移動手段なら持っている。馬車よりも早く安全に街に着けるぜ?」

「ですが、万が一のこともあるでしょう!」

「まぁ、安定期に入っていれば大丈夫じゃないかな。街が近くなったらリヤカーがありますしねぇ」


 農作業用に製作したおっさんのリヤカーには、サスペンションが取り付けられている。

 軽ワゴンにもクッションなどを乗せてあるため、短距離での移送なら問題はない。

 だが、そんなことで納得できるほど、恋する青年は理性的ではなかった。

 初めて愛した女性が手の届かないところにいってしまう。そんな状況に耐えられるはずもない。


「分りました……それなら、僕と勝負してください。決闘です」

「「はぁっ!?」」


 そして、彼は暴挙にでた。

 あまりの急展開に対し、おっさんとアドも目が点になっている。

 ウルの心の内を分るはずもないから当然だが、若さと愛ゆえの暴走は、時として無謀な挑戦を突きつけてきたのである。

 彼は、アドが【賢者】クラスであることを知らない。

 ある意味でそれは幸せのことなのかも知れない。手傷を負わせるどころか、相手にすらならないほど実力差があることを知らないのだから――。

 


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