おっさん、一仕事終える ~男の手料理はアヤシイ~
【グレート・ギヴリオン】の脅威が去り、暴走を引き起こしていた魔物達は野性の直感によるものなのか、次第に各地へ分散を始めていた。
スライスト城塞都市からもその行動が確認され、未曾有の大惨事は収束へと向かっている。
街にはさほど被害はなかったが、各集落などには多大な被害を受けている。今後の復興作業にも苦労はまだ続くようだ。
街は喜びに溢れ、多くの避難民達も安堵の色を浮かべているが、まだ予断の許さない状況下である。
そして、人知れず【グレート・ギヴリオン】と対決していた二人の魔導士、アドとゼロスは報告のために傭兵ギルドを訪れていた。
対決した場所は、スライスト城塞都市より北の街道沿いに広がる平原で、ソリステア魔法王国には被害が全く出ていない。
しかし、メーティス聖法神国の領内で、しかも街道が完全に寸断されたことは報告せねばならない。
街道は交易のための重要なものであり、復旧するのはいつになるかなど判明しない。
何しろ街道のど真ん中に巨大なクレータが造られたのだ。復旧はメーティス聖法神国が行わなければならず、ソリステア側にいる商人達は隣国を迂回せねばならなくなったのだ。
現時点でメーティス聖法神国との間に、政治的な理由から交易は行われていないが、それでも出稼ぎに来ている商人達からすれば迷惑なことだろう。
外交で溝が生まれ経済圧力を掛けられた時点で、メーティス聖法神国側は復旧作業にソリステア魔法王国側からの支援はない。期待すらできない状況に陥った。
そんなことは二人の魔導士には関係なく、事務的な意味合いで報告を涼しい顔で行うのであった。
「では、メーティス聖法神国に続く街道は、もはや使い物にならないと言うことですか?」
「えぇ、まさか魔王クラスどころか、邪神に匹敵する存在が現れるとは思っていませんでしたからねぇ。まぁ、四神を目の敵にしていましたし、しばらくは安全でしょう」
「魔物ですよね? 本当に放っておいても大丈夫なのですか?」
「多分だが、大丈夫だろう。四神……三人しかいなかったが、しつこく追いかけていたし俺達のことは無視されていた。人間は眼中にないみたいだったな」
「妙な魔物ですね。しかも言葉を理解しているとは、そんな強力な魔物が存在するなど聞いたことがありませんよ」
報告を受けたアーレフは、謎の進化生物【漆黒流星ギヴリオン】の報告に困惑していた。
そもそも彼等は、人に近い知性を持つ魔物がいるなど考えたこともない。伝承で聞いたことがあったとしても、実際にその目で確かめたことがないのだ。
理解しろと言われても無理な話である。
「まぁ、今はあの街道を利用する商人は少ないですし、向こうから頭を下げてこない限り陛下もなにもしないと思いますね」
「どんだけ仲が悪いんだよ、聖法神国。嫌われすぎだろ」
「聞いた話によると、神の名の下にかなり阿漕なことをしているらしいですねぇ。かすり傷を回復魔法で癒すけど、かわりに法外な金額を要求していたらしい」
「ボッタクリか、そりゃ~恨まれるわな。ケガの具合で適正金額を決めていないのかよ」
今まで神聖魔法(回復魔法)を使えるのは神官だけであった。
だが、魔導士にも回復魔法が使えると判明した今となっては、神官の価値がだいぶ暴落を始めている。それも回復魔法が各国で広まりだしたからだ。
無論これはおっさんの嫌がらせだが、【医療魔導士】という職業が新たに発見され、錬金術師の多くがこの職業にジョブチェンジを始めていた。
神官より回復効果が低い職業だが、魔法薬の生成に補正が加わるので魔導士にはありがたい。ある意味では神官職よりも重宝される。
何しろ、ソリステア魔法王国では無職の魔導士が腐るほどいる。せっかく魔導士となったのに活躍の場がなく、彼等のほとんどが魔法と関係なく暮らしていた。
そのあぶれた者達に、魔導士としての活躍の場が与えられたことは経済的にも大きい。
「最近では、農民も庭先で薬草の栽培を始めたとか。これから医療魔導士も増えるでしょうし、薬草の需要も高まるので、国を挙げて薬草などの素材を栽培することを推奨されています」
「医学も発展するだろうな。神官達は回復魔法を独占していた手前、他国の政策に口を出すことができない。どうでも良いが、誰が回復魔法のスクロールを国に売りつけたんだ?」
「さて? 各国の共同で開発していたという話ですがねぇ」
すっとぼけるおっさん。
嫌がらせをした張本人が、表だって名乗りを上げることはない。
「何にしても、回復系の魔法が使える魔導士がいることは、騎士団にもありがたいことですがね」
「ポーションだけじゃ心許ないですしねぇ。【付与魔導士】も増えてきているらしいという話ですが?」
「支援担当の専門魔導士も、実戦で効果を上げていますね。ウィースラー派の学院生が出した改革案が採用され、試験的に運用を始めたのが結果を出しています」
「あぁ~、ツヴェイト君達かな? 色々と教えたからなぁ~」
ゼロスは家庭教師の時に、魔導士の役割を教え子二人に伝えていた。
魔導師には攻撃魔法を中心の【攻撃魔導士】、防衛特化の付与魔法を中心に行う【支援魔導士】、魔法具や魔法薬を錬金術などで生産する【生産魔導士】の三種類に分けられる。
戦闘時は【攻撃魔導士】と【支援魔導士】が部隊を支える役割となり、【生産魔導士】は完全に戦闘から外れた職業となる。そこにケガなどを治療する【医療魔導士】が新たに加わった。
ゼロスやアドの場合【万能戦闘型魔導士】となるが、そもそも攻撃や支援、生産職まで行う魔導士など滅多にいない。
それ以前に、二人のような魔導士を育てるには恐ろしく時間が掛かる事は明白である。
国の防衛的な面でも、魔導士は【攻撃】【支援】【治療】【生産】の四つの分野に分けた方が育成も効率的だ。レベル差で覚えられる魔法の数も決まっており、軍に属する魔導士は【攻撃】と【支援】に重点をおくことで多角的な視点で戦略を練れるようになる。
【治療】【生産】においては完全に裏方職で、イストール魔法学院卒業後の一般魔導士がほとんどこの分野に入る。国軍に雇える魔導士の数にも限りがあるからだ。
戦闘面に優れた魔導士と支援に直ぐれた魔導士、生産職の魔導士を完全に分けることにより、軍事や経済面で広く貢献できる場を作るこ改革が必要であると、ツヴェイト達はレポートにまとめ上げた。
そのレポートは国王の元へ届けられ、派閥争いでなにかと忙しい魔導師団の活動に対して『ちょっと待ったぁ!』を掛けることになった。
魔導師団上層部にいる各派閥筆頭魔導士達は、突然の組織改革案に対して異議を申し立てたが、『国軍の組織内で互いの足を引っ張り、派閥争いを行うような者達は信用できるのか?』と国王に言われてしまった。更に、軍務組織改革案を提出したのは学院生であり、『学院の若者達ですら国の行く末を憂いておるのに、貴様らはいったい何をやっておるのか!』と恫喝される始末だ。
宮廷魔導士達は改革案を提出した学院生に対して忌々しくも思ったが、逆に優秀な魔導士が下から突き上げてくることに対して、酷く危機感を覚えたのも事実である。
組織改革を行わなければ完全に面目丸つぶれで、今までのように利益や権威に固執すれば排除されかねない。なにしろ国王は改革を行う気満々で、逆らえば反逆罪で処罰されかねないほど酷くご立腹状態。
結果、表向きは国王に従った振りをした魔導師団は、完全に軍部に組み込まれることとなる。だが、魔導士達の思惑は大きく外れ、今までのように騎士団の要請を断ることができなくなった。
それでも旧来の確執は消えることがなく、身勝手で横柄な態度をとる者達は次々と職務から解雇されることとなる。その中でアーレフ達のもとへ配属された魔導士達は、当初は激しく反抗しながらも、数週間後に戻ってきた時にはまるで人が変わったかのように職務に従順となった。
そう、【大深緑地帯の洗礼】を受けたのだ。
これにより【使える魔導士】と【使えない魔導士】がはっきりと分かれ、実力主義の魔導士だけが軍務に残されることとなる。
王命に従った振りをし、隙あらば元の実権を取り戻そうと目論んだ者達は、逆にことごとく振るいに掛けられ落とされていった。
これに味を占めた国王や騎士団は、【大深緑地帯の洗礼】を恒例の訓練として取り入れることを推奨。旧魔導師団の組織維持派は恐ろしい勢いで勢力が衰えてゆくこととなる。
「ゼロス殿のおかげで、口うるさい魔導師団の老人達を黙らせることができましたよ。国を防衛する面で使えない魔導士など必要ありませんからね」
「……ゼロスさん。アンタ……なに国の組織体制にメスを入れてんの!?」
「僕は何もしてませんよ。つーか、魔導師団のお歴々もどんだけ嫌われてたんですか……」
実は宮廷魔導士の老人達も大深緑地帯へと赴いたが、過酷な環境下での戦闘に耐えられなかった。
それどころか、騎士団の中にも魔法を使う者達もおり、逆に今までの体勢を維持することは困難であると認めるしかなかったのだ。
騎士団が過酷な訓練で実力を上げる中、魔導士が安全な場所で権威をむさぼることなどできるはずもない。圧倒的な実力差が付きつつあり、時代の変革をその身で知ることとなる。
戦闘経験の少ない魔導士はその場で脱落し、生き残るために必死になった魔導士だけが実力をつけ、騎士団の中に組み込まれてゆく。まさに弱肉強食。
貴族出身の甘ったれた魔導士達は、騎士団の鬼気迫る訓練に対して戦慄を覚えたほどだ。
「実戦に勝る訓練などありませんからね。ゼロス殿が行った訓練は、我々に対しても良い経験となりましたよ。いずれはワイヴァーンと互角に戦える実力が欲しいところですが」
「何気に、とんでもない事態になっているみたいだぞ?」
「僕は、教え子に実戦の怖さを知って欲しかっただけなんですがねぇ。それが騎士団に採用されるとは予想外ですよ。死者がでたらどうするつもりだったんですか……」
「怪我による脱落者が続出しましたね。全員が魔導士でしたが、鍛え方が足りないとしか言いようがありませんよ。直ぐに魔力枯渇で使い物にならなくなりましたし、近接戦闘が全くできない。役立たずは騎士団にも宮廷魔導士にも必要ありません」
「ハードだ!? 実力主義にしてはハードすぎる!」
魔導師団の多くが、成績で引き抜かれた実戦を知らない魔導士である。
多少の戦闘はできても、危機的状況下での対処はまったく心得ていなかった。当然だが乱戦に陥ったときに勝手な行動をとり、自ら進んで救護班の元へ直行となった。
今まで騎士団を馬鹿にしていた魔導士達は、その傲りから実力不足を痛感することとなる。中には戦闘での恐怖心から再起不能となる者もでる始末。
そして魔導師団に残された者達は、地獄を生き延びた精鋭のみが残された。貴族出身の坊や達は尽く排除され、或いは更なる過酷な訓練に送られた。
これにはゼロスも開いた口が塞がらない。自分が行った訓練とはいえ、それが精鋭を育てるため採用されるとは予想外。
しかも、その訓練を推奨したのが教え子でもあるツヴェイトなのだ。おっさんのノリと勢いで行った訓練は、本人の知らないところで完全に一人歩きしていた。
二つの意味合いで騎士や魔導士のレベルが上がることだろう。
「では、報告も済ませましたので、サントールに帰ろうかと思います」
「クレストン元公爵閣下によろしくお伝えください。今回は助かりました」
「いえいえ、こちらも仕事ですので」
アーレフ達騎士師団は、これからしばらく警戒任務や後始末に従事する。
そんな彼等に見送られながら、ゼロス達は傭兵ギルドを後にし、スライスト城塞都市の東門に向かった。
「なぁ、ゼロスさん。この後サントールに向かうのか?」
「そうだねぇ、ハサムの村に先に向かいましょうか。アド君もなにかと心配だろうし」
「そうだな。ユイのことも気になるが……もし刺されたら治療のほうを頼みます」
「刺されるのが前提!? なんで悲壮な覚悟を決めてんのぉ!?」
「へへへ……ユイの奴はさぁ~、本当に嫉妬深いんだよ。俺のことより、リサやシャクティを守って欲しい。お願いします。いや、マジで……」
アドの婚約者でもあるユイと会ったことがあるが、そこまで恐れるような人物には思えなかった。
しかし、彼女のことをよく知るアドの様子から、あながち嘘とも思えない。
どうやらおっさんは、なにかと面倒事に巻き込まれる運命にあるようだ。
「あっ、やっときた。遅いよ、アドさん」
「少し待たされたわよ。報告ってそんなに時間が掛かるような話だったの?」
「悪い。少し話が長びぃちまってな」
「やっぱり……リア充か。マジで刺されないと良いですよねぇ、ケッ!」
「ちょっとぉ、俺が刺されることを期待してませんかねぇ!?」
おっさんは心が狭かった。
東門でリサ達と合流した後、ゼロス達一行はスライストの街を後にした。
街から街道を少し歩き、街の城壁が完全に見えなくなる距離をとると、ゼロスとアドはインベントリーから【アジ・ダカーハ】と【軽ワゴン】だす。
「【軽ワゴン】ですか、どこかのメーカーを思い出すなぁ……」
「まぁ、俺が地球で乗っていたやつだしな。思わず造っちまった」
「これなら、我が家のコッコ達も乗せられるか……。【アジ・ダカーハ】は、飛行形態にパーツ展開しないと乗せられるスペースがないからなぁ……」
「コッコって……ザコの魔物だよな? あんなの飼育してんのか?」
「舐めてかかると死にますよ? ウチのコッコは凶暴です。変異種で、今の彼等ならワイヴァーンも狩れますぜ?」
「それ、コッコじゃねぇだろ!?」
途中でウーケイ達と合流せねばならず、とりあえず彼等を下ろした村を目指して街道を進むこととなる。
幸い街道は魔物の暴走による影響により、道を行き交う商人達の姿がない。
スピード違反し放題。地図で現在位置を確かめながらも、ゼロス達はウーケイ達を空中投下した村へと辿り着いた。そこで彼等が見たものは――。
「こ、これは……」
「オイオイ……神官共が簀巻きにされてんぞ? 逆さ吊りにされて集団暴行されている奴等もいるし」
「これ……良い子には見せられないわね。人間の醜さがトラウマになりそうな光景だわ」
「あの人達、何をしたらあんな目に遭わされることになったの? 聖職者だよね? 一応……」
現役犯罪者でもある異端審問官達は、村人達に徹底的なまで痛めつけられた後、逆さ吊りや生き埋め、映像には出せないような悲惨な集団暴行によって死にかけていた。
これは彼等異端審問官達の自業自得であるのだが、初めて村を訪れた者達から見れば、善良な神官を集団で襲う悪魔崇拝者の村に見えてしまうだろう。
事情を知らないアド達はただ絶句し、その苛烈な暴行現場を呆然と見ているしかできなかった。
ただ一人、ゼロスだけが村人の一人に声を掛ける。
「すみません、この辺りでウチのコッコを見かけませんでしたか? 一羽が白と赤のツートンカラーで、残り二羽が白銀と黒なんですが」
『『『ちょっとぉ―――っ、スルーなの!? この光景を見てスルーするのぉ!?』』』
無残に腫れ上がった神官の一人を角材で暴行していた村人に声を掛けると、その村人は一瞬凶悪な目をゼロスに向けた。明らかに殺意がこもっている。
だが、ゼロス言葉の意味を確かめるよと、まるで何事もないような爽やかな笑みを浮かべ「あっ?あのコッコ様の飼い主ですか?」と答えを返した。
つい今し方までバイオレンスの風を巻き起こしていたはずなのに、凄い変わりようだ。
「コッコ様って……彼等は何をしたんですか? そして、この神官達は?」
「コッコ様は、我等の村をお救いになられました。そして、今も村を守ってくださっております」
「へぇ~……」
妙に崇拝されているウーケイ達に呆然とし、たまたま森の方角に目を向けた次の瞬間、森から巨大な熊が宙を舞った。
おそらくは、ウーケイが得意の攻撃を叩き込んだのだろう。コッコ達は元気に狩りをしているようで、魔物を相手に技の威力を確かめているようだ。
「それで、この神官達は?」
「こいつらは……村を襲った賊共です! 犠牲者の中には年寄りや幼い子供もいた……。コッコ様がおられなければ、我々も全員殺されていたでしょう」
殺意を込めて、転がっている神官の頭部を蹴り上げる村人の男。
村の事情が判明し、ゼロスも安堵の息をついた。
さすがのゼロスも、この光景を見て『アヤシイ風習のあるヤバい村だったらどうしよう』と思っていたのだが、原因が神官側にあると知り安心した。
おっさんの常識はどこへ消えたのだろうか?
「こいつらは、神官の姿をした人殺しだ! まさか、助けようとは思わないよな?」
「中には子供や家族が殺された者もいるんだ! 余計なことを考えるなよ?」
「邪魔しやがったら、いくらコッコ様の飼い主でも……」
「自業自得でリンチに遭っているなら、僕は止めるようなことはしませんよ。ですが、死なない程度にいたぶってから、衛兵に突き出すことをお勧めします。彼等には生まれてきたことを後悔してから死んでいってもらいましょう」
『『『なんで受け入れちゃってんの!? いくら犯罪者でも人権というものが……』』』
殺気立つ村人の意思を、おっさんは迷うことなく受け入れていた。
いくら犯罪者でも、さすがに村人総掛かりで集団暴行は目に余る。
しかし、その常識的な意見が通らないほどに、村人達の殺意は凄まじく渦を巻いていた。
下手に仲裁に入れば、今度は自分達が標的になりかねない。おっさんは空気を読んだのである。
アド達からすれば、犯罪者でも集団でなぶり殺すのは罪と思えるのだが、とてもではないが仲裁に入れるような雰囲気ではない。
家族を殺された者達からすれば、暴行を受けている神官達は敵なのである。そこに常識的な言葉を掛けられるほどアド達は勇気があるわけではなかった。
「た、助け……」
「なぜ神官が大勢でこの国の、しかも一農村ににいるんです? メーティス聖法神国はこの国を敵視していましたよね? もしかして、【グレート・ギヴリオン】をこの地に招き入れようとしていたのでは?」
「っ!?」
「自国を襲った魔物を他国に押しつけ、あまつさえ他国の国民を殺した……。もしかして、噂の異端審問官とかいう方々ですかねぇ? 人殺しや拷問を生業にしていると人格も歪むそうですから」
藁にも縋る思いで助けを求めたが、自分達の行いがバレていたことに言葉を失う神官。
無論ゼロスも完全に確信しているわけではない。実際は知り得た情報から推測しただけなのだが、今の態度で確信した。
「村を孤立状態にしたのも、あなた方ですよね? 神の裁きを名目に、人殺しを思う存分楽しもうとしたのでは? 状況から推測しただけですが、間違いありあせんかねぇ?」
「……」
「言葉も出ませんか……。まぁ、神官だろうが犯罪者だろうが、民間人を殺そうとしたんですから罪は償ってもらいますぜ? 裁きを下すのは僕じゃぁ~ないですが」
快楽殺人に溺れた犯罪者に救いはない。異端審問官達に神の救済などありはしないのだ。
彼等は、聖法神国から与えられた【免罪符】がなんの役にも立たないことを、我が身を以て知るのだった。そして再び始まる集団暴行。
「ゼロスさん……アレ、マジで止めなくて良いのか? 犯罪者にも人権が……」
「そうよね。いくら人を殺したとしても、犯罪者に対して相応の手続きが必要なんじゃないかしら?」
「酷い……。いくらなんでも、あそこまで暴行するのって、人として……」
「君達、何を言っているんです?」
「「「はっ?」」」
ゼロスの呆れたような口調に、アド達は虚を突かれた。
三人の言っていることは間違いではない。犯罪者にも法の裁きは確かにあるが、それはあくまでも衛兵や賞金稼ぎに捕らえられたことが前提である。
実際のところ、手配をされていない罪人や他国からの流れ者の犯罪は横行している。
この場合、現行犯で捕らえるか、その場で倒すしか方法がなかった。
「この世界は日本とは異なり、法の整備が追いついていないんですよ。彼等はこの村の住民を殺し、現行犯で捕らえられたわけですが、それで遺族の心が救われると思いますか?」
「でも、死んだ人は帰ってこないんですよ? それに捕まえたのなら衛兵に突き出すのが常識なんじゃ……」
「衛兵を呼ぶには、街まで往復しなくてはならない。徒歩で歩いて三日くらいですか? その間に逃げられる可能性もありますし、遺族にとっては殺したいほどに憎い存在のはずです」
「それでも、法を遵守する必要があると思うわ。村人の判断で処刑なんかすれば、国としての法律の意味を失うわけだし、許されない行為よ」
「それを遺族の前で言えるかい? 彼等の目の前で家族が殺されたんですよ? 確かに殺された家族が戻ってくることはない。ですが、その恨みを晴らさないと彼等は前を向いて生きてはいけない。
この世界はねぇ、僕達が思っている以上に法律の力が弱いんですよ。辺境になればそれだけ国の目も追いつかない。結局は現地住民達の判断に委ねられる」
常識とは、その地に住んでいる者の価値観で変わるものだ。
例えば宗教の力が強い国や、或いは民主主義の法律国家も、その土地によって常識の内容は極端に異なる。
その土地で当たり前だと思っていることが、国が異なると全く別の価値観として捉えられている。
ましてや、ここは異世界。文明水準も地球に比べて限りなく低く、価値観も異なるのは当たり前であろう。
先進国の常識も辺境小国では全く違うもので、敵討ちなどは合法的に認められていた。
異端審問官達は他国からの工作員であり、事実ソリステア魔法王国に被害をもたらした。しかも民間人を快楽で殺すという真似をしでかしている。
ウーケイ達がいなければ村人全員が殺されていただろう。そんな人殺しを楽しむ連中に対し、法律だの人権だのと言葉を並べ養護するのは甘いと言わざるを得ない。
「君達は、盗賊を殺したことがありますか?」
「俺は……あるな。罪悪感がハンパじゃなかったけど……」
「私達は……」
「アドさんが倒していたわね。まだ一人も殺したことがないわ」
「甘いですねぇ。身を守るために殺すことができなければ、いざという時に死にますよ? この世界は純粋な暴力がまかり通る世界ですし、その世界で生きる覚悟を持ってください」
転生者も勇者達にしても、どこかで元の世界の常識が根付いていた。
その常識は間違いではないだろうが、文明水準の低い世界においては先進的すぎるものだ。
法改正の面で参考にはなっても、民を守るための防衛に反映させるには手間と時間が必要。地球のように警察機関が各地に存在するわけでもなく、維持するだけでも金が掛かる。
科学による捜査や、弁護士を立てて減刑を上申できるような法廷も存在しないのだ。
「聞いた話によると召喚された勇者の中に、自分が主人公だと勘違いをして散々各地で殺戮を行い、捕らえられ処刑された人がいたらしいですよ? その時の言い分が『俺は勇者だ! お前らを守ってやってんだろ、なんで処刑されなくちゃならないんだ!』と散々喚いていたらしい」
「馬鹿がいたんだな……」
「なまじ自分のステータスが見られるから、ゲームと勘違いしていたみたいですねぇ。『死んでも生き返る』とか、『次はお前らを滅ぼしてやる』とか、死に際まで遊び感覚だったという話だ」
「酷い話ね……。痛みを感じるのだから、現実だと分らなかったのかしら?」
「ヴァーチャルだと思っていたんじゃないかな? どこの世界から召喚されたのか分らないけど……」
「勇者の中の何割かが『俺、TUEEEE!!』と思っている馬鹿が多い。知り合った勇者の中にも似たようなのがいたけど、【勇者】って言葉に踊らされている印象が強かったなぁ」
リサ達と勇者の共通点。それは現実を見ていない。もしくは甘く見ていると言うことだ。
現実は見ていても、常識が地球のもので固定されている。戦国時代のような油断すれば殺されるという認識が欠如していた。
暴力が容認される世界で生きている認識と自覚が低いのである。
「それより、ウチのコッコ達はどこにいるのか……」
「ゼロスさんが一番この世界に適応してるよな? バイオレンスに慣れすぎだろ」
「……逞しいわね。けど、この環境に慣れたくはないわ」
「私も……。でも、いざという時に人を殺せないと駄目なのも分る。その時が来て欲しくないけど」
日本とは異なり、この世界は力を行使することを容認された世界だ。
身を守るための防衛力は必要であり、場合や結果的にだが人を殺すことが日常で起こる。生きるためには覚悟が必要であった。
良識を持つだけに、元の世界とこの世界の齟齬をいち早く認識できる。
しかし、召喚された勇者や頭の中が愉快な転生者はゲーム感覚なのだろう。実際、ツヴェイトの護衛をしているエロムラ君は、奴隷の扱いを勘違いして犯罪奴隷になった経緯がある。
世界にも国家の政治方針にしても、適応できなければ堕ちる羽目になるのだ。
イリスもそうだが、リサとシャクティも異世界の環境にはまだ慣れたとは言いがたい。
「人を殺せることに慣れろとは言いませんよ。ただ、いざという時に覚悟を決めておかないと、自分が死ぬことになりますからねぇ。ファンタジー世界なんて、戦国時代の日本だと思えば良いでしょう。油断したら死ぬ危険な世界だと心がけることを薦めるねぇ」
「タチの悪い人間に魔物か、危険が多い世界だよなぁ。環境に適応できるのは、ハードプレイヤーだけじゃねぇの?」
「それはあり得るかも知れないなぁ~。中途半端にファンタジー世界と認識していると、絶対に馬鹿な真似をしでかす人が多いから」
世界をどれだけ認識し現実を受け入れられるか、その個人差によって命運が分かれる。
ゼロスは真っ先に情報を集めることを優先した。アドもまた国賓として免れたおり、書庫を利用して情報を集めたほどだ。
『異世界だぁ~、ヒャッハァ~ッ!!』なんて言うような者達は、大半が世界を甘く見ているのだろう。それで異世界を生き残れるとは思えない。
「紛争地帯の会社に派遣されたと思えば良いのかしらね?」
「あぁ~……シャクティさんの言ってることが分りやすい。どこに不穏分子が潜んでいるか分らず、油断すればテロリストに誘拐されたり、射殺されたりする感じかなぁ~? 怖いね」
「危険な場所に近づかなければ良いけど、それがどこかが分らない。平和ボケした日本人という意味では勇者も転生者も同じだからねぇ」
勇者は与えられた情報を鵜呑みにし、転生者は異世界に適応するには時間が掛かる。
既に五ヶ月以上たつので、そろそろ転生者の中にも、この世界で生きる者とゲーム感覚の馬鹿とが別れる頃合いである。
アドやゼロスは四神やその信奉者に対して嫌がらせを始め、イリスやエロムラ達は生活に慣れることに精一杯。シャランラは完全に裏社会の人間だ。
他の転生者がどう動くか、そこが怖いところである。
「同じ転生者でも、知り合い以外は信用できそうにねぇな。見ず知らずの奴等は何を企んでいるか分らない怖さがある」
「僕は、日々平穏がモットーですぜ? 公爵家から依頼を受けただけのパンピーさ」
「「「どこがだよ!」」」
何だかんだ言いながらも、ゼロスは面倒事に自ら首を突っ込んでいる。
心のどこかで異世界生活を喜んでいる可能性があった。
「コケ……(師父、撤収ですか?)」
「センケイですか。ウーケイ達は?」
「コケケ(そろそろ戻ってくる頃合いかと)」
「少し遠回りしてから帰ります。ところで、この辺りの魔物は駆逐したんですかねぇ?」
「コケコケ、ココ(大物はあらかた蹴散らしました。後は弱い者しかおりません)」
「それはなにより。う~ん……この辺りの魔物じゃ相手にならないか……」
『『『言葉を理解してる……ム○ゴロウさんか?』』』
なぜか会話が成立しているゼロスとセンケイ。
アド達から見れば、おっさんがコッコを相手に独り言をしているようにしか見えない。
他人から見たら凄く寂しい光景だった。
その後、戻ってきたウーケイ達を回収しアド達の【軽ワゴン】に乗せると、おっさん一行はハサムの村を目指して移動を開始するのであった。
ちなみに、異端審問官達に占拠されていた村は聖獣信仰に傾倒し、ウーケイ達は正式に聖獣と認識されてゆくのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街道とは、街を繋ぐ流通の大動脈である。
しかしながら都市開発などまともに計画しないこの世界で、その街道は考えなしに張り巡らされ整地された道が多い。ゼロス達が進む街道もその一つである。
大抵は領主が治める街を中心に他の街を繋いでいくため、街道工事の計画性はないに等しく、地形に合わせて無駄に遠回りするような道なりとなっていた。
地球での常識と照らし合わせるのなら、最短ルートを敷くべく山を崩し、トンネルを造るようなことは一切行わない。
山間を縫うように細い街道を整備することはあるが、大概が商人にとって危険な難所となる。特に盗賊や強盗などが潜伏しやすく、治安の面でも常に目を光らせねばならないような場所が無数に存在した。
そのため防衛目的の砦や城塞都市が築かれるが、増える犯罪者とのいたちごっこが常に続けられている有様だ。無論、平野部の街道も安全というわけでもない。
盗賊などの犯罪者は、一度仲間の組織が壊滅しても生き残りが再び同じことを繰り返す。すべての盗賊を壊滅させるのは難しく、騎士や衛兵の数にも限りがある。
国家予算も限りがあり、不用意に人員を増やすわけにはいかない。砦などの維持費も馬鹿にはならず、兵力には食料や給料などの支払いでも莫大に金が消費された。
他にも装備や砦の破損箇所の修復費など、防衛のための資金は国家予算の三分の一ほど消費される。小国でこの出費は痛いのだ。
長くなりそうなので要約すると、『流通目的で街道を増やしても、防衛の面で人員を割くことができない。何しろ金が掛かるから』ということだ。
「そんなわけで、僕達がいるこの山間の街道はすこぶる治安が悪い。山賊がどこに潜んでいるか分らないからねぇ、魔物もだけど……」
「「「ちょっとぉ――――――――――――――っ!?」」」
アド達は思わずツッコミを入れたが、そもそもゼロスが地図からこの街道を選んだ理由が、『ハサムの村まで最短ルートだから』という理由が挙げられる。
更に【軽ワゴン】運転するアドは、どこに出しても恥ずかしい重度の方向音痴である。
道案内としてゼロスの乗る【アジ・ダカーハ】の後を追う形で着いてきたが、まさか山間部の街道に造られた休憩所で、野宿をすることになるとは思わなかった。
ゼロス達は結界を張る魔法具や、生身でも盗賊くらい簡単に壊滅させる力を保有している。
しかし、それでも絶対というわけではない。麻痺性の毒などを流されたり、レベルが低い女性陣が狙われることも充分に考えられるのだ。
能力面で盗賊くらい簡単に一蹴できるが、彼女達は人を殺す覚悟が足りない。
安全策をとる必要があるのだが、ゼロスに付いてきただけの彼等は、いきなり危険エリアでキャンプすることになった。
「盗賊が出てきたらどうすんだぁ!?」
「始末すれば? 相手によっては賞金が出ますよ」
「もし魔物だったら……」
「食べられる魔物だと良いですねぇ」
「駄目ね……ゼロスさんは、完全にこの世界に適応しているわ。地球でどんな生活をしていたのかしら?」
「基本は自給自足ですかねぇ。猟友会の人と狩りに行ったり畑仕事をしたりと、ありふれたつまらない生活ですよ」
ありふれた生活の根底から違った。
アド達は地球では大学生だ。小遣い稼ぎにバイトを始め、将来のことに頭を悩ませながらも日々平穏に生きていたのに対し、おっさんは完全に自然の中で生活をしていたサバイバーだ。
ユイの妊娠が発覚してから、アドは就職活動に明け暮れ内定も決まっていた。どこにでもあるありふれた普通の生活を送っていた。
しかし、ゼロスのリーマン時代は国外でゲテモノ料理を食べるなど、実にハードな暮らし振りであった。食生活に対して極端なもの以外に偏見を持っていない。
さすがのおっさんも、『これは人間の食い物じゃねぇ―――――っ!!』と叫ぶようなものには手を出さないが、大型の蜘蛛やムカデは食べていたりする。
意外でもないが、この異世界でも昆虫も貴重なタンパク源として食用に使われ、味さえ良ければ形で惑わされるようなこともない。
おっさんは、野性的な環境に適応できる下地が既に地球で育まれ慣れていたと言える。
アド達と比べたら年期が違う。
「地球でも……ジビエで生活していたのかよ」
「どれだけの山奥で生活捨てたの? 私達ではとても真似ができないわね」
「鹿や猪は旅行地で食べたことがあるけど、ハクビシンはないかな」
「ハクビシンは僕もないですよ。まぁ、夏場に物置で死んでいたのを発見したことはありますが。腐敗が始まって臭かったなぁ~……」
しかもお盆の最中で、保健所は休業中。
死骸を山に捨ててくるしかなかったのだが、穴を掘り埋めるまで臭いが酷かった。
更に物置もしばらくは腐敗臭が漂い、畑仕事の度に吐き気を押さえるのが辛かったのだ。
しみじみと語るおっさんの背に、なぜか哀愁のようなものが感じられる。
「庭先を熊の親子が歩いていたときは驚きましたよ。ハハハハハ」
「危険なんてものじゃねぇ、下手をしたら襲われていたぞ!?」
「大丈夫、手元にはボウガンとグルガナイフを用意していましたし、実際に鹿を仕留めましたね」
「私達と根本的に違う!? 環境適応力があるんじゃなくて、元からこの世界と似たような生活を送っていたから、あっさりと現実を受け入れたのね!?」
「石窯でナンを焼いたり、キムチも自家製で作ってましたよ? 生ハムやソーセージもドンとこいだぜ!」
「アドさん……ゼロスさんを裏切るようなことはよした方がいいわ。頼りがいがありすぎるから」
更に最高レベルの魔導士であり、各生産職の技術を保有している。
【大賢者】の職業はハッタリではなく、実際にその資格があるほど個人能力が高かった。
「無敵じゃねぇか……」
「そんなことより、夕食の準備をしなくてもいいんですか? 暗くなったら薪集めも大変ですよ?」
「そうね……。それより、盗賊は大丈夫かしら?」
「使い魔からの情報では、この辺りに人はいませんよ。腕が四本の熊ならいましたが」
「それ、【ヨツウデグリズリ―】じゃねぇのか?」
「私のレベルでは苦戦しそう。倒しても解体ができないし……」
【解体】スキルは異世界で重宝する。
毛皮や肉は魔物によっては高値で売れ、魔石などの魔道具媒体素材も確保できる。
魔物のレベルが高いほど品質も良く、一攫千金を求める傭兵も後を絶たない。同時に命懸けの狩りになるのだが、生きることは戦いだ。
異世界を生きる上で、手札が多い方が圧倒的に有利なのである。
「それじゃ、夕食の準備もしますかねぇ」
のんきに言いながらも、ゼロスは飯盒と炭をインベントリーから取り出していた。
用意周到というか、備えあれば憂いなしと言うべきか、アド達から見たおっさんは凄く逞しく見えるのであった。
ちなみに、コッコ達は夕食の獲物を狩りに山へ突入していった。
枷から外れたかのように、彼等は実に元気良い。
ほどなくして、大量の収穫を持って帰還するのである。そして一時間後――。
「ワイヴァーンの生ハム、美味しいわね。でも、パンだとお腹の足しにはならないわ」
「そうですね、シャクティさん……。でも、お米が懐かしいですよぉ~」
「ガッツリ丼物を食いてぇよなぁ~……って、あれ?」
良く見ると、ゼロスとコッコ達は丼物を食べていた。
おっさんは箸でかき込み、コッコ達はくちばしで突きながら恐ろしい勢いで胃袋に収めている。ニワトリの分際でグルメのようだ。
まぁ、雑食性の魔物だから当然ではあるが……。
「ちょ、ゼロスさん!? この世界、米があるのか!?」
「嘘っ、食べたい! ホカホカご飯が食べたぁ~~い!!」
「さすがね。まさか、こんな短期間でお米を探し当てるなんて……。おそるべし、トッププレイヤー」
「えっ、食べたいの? 天丼だけど」
「「「天丼!? マジでぇ!?」」」
文化的に言えば中世ヨーロッパ。
食文化はかなり低い。パンが主食であり、フランスパンのような固めのものが主流である。日本のパンを食べ慣れていたアド達にはアゴが辛い。
米はなくともオートミールのような麦粥的な食べ物も存在するが、栄養価はともかく味が微妙だ。
飽食文化の日本にいた三人には、とても食べた気にはならなかった。
「まぁ、いいですけどね……」
一足早く食べ終えたおっさんは、小さな鍋で天ぷらを揚げ始めた。
ピチピチと油の音と共に、食材の香ばしい香りが漂う。
意外に大食なのか、大きめの飯盒に白飯を余分に炊き込んでいたようで、三人分の天丼を作ることは可能だった。
特製のタレを暖かい白飯と天ぷらの上に掛け、大賢者特製天丼が完成した。
「「「おっ、おぉぉ……」」」
久しぶりに見た日本食。
エビ天とかき揚げ、少し大きめのカニのようなものを丸ごと揚げた天ぷらが、丼からはみ出していた。
「天丼だ……紛れもなく天丼だ……」
「お、美味しそう……」
「い、いただきます」
適当に作られた箸で白飯を、或いは天ぷらをつまむと、震える手で口へと運ぶ。
口の中に広がる米の甘みとタレ、更に具材である天ぷらの甘美なる味の共演は、アド達に感動と郷愁の思いを一気に呼び覚ます。
「「「う、美味い!!」」」
久しぶりに食べる天丼は、極上の味がした。
三人は涙を流しながら白飯と天ぷらをかき込み、久しぶりの日本食の味に酔いしれる。
「エビ天の甘みが最高!」
「久しぶりにガッツリ食えるぅ~……生きていてよかった」
「それにしても、ソフトシェルクラブなんてよく見つけたわよね? インベントリーの中に入れていたとしても、痛まなかったの?」
「……えっ、カニ?」
天丼のおかわりを食っていたおっさんは、シャクティの質問に疑問系で答えを返した。
その瞬間、勘が鋭いシャクティの箸の動きが止まる。不穏な気配を感じ取ったのだ。
「ゼロスさん? これ、カニじゃないの?」
「……カニ、のようなものかな? 気にしないで食べたまえ。フッ……丼物は何も考えずに食うから美味いのさ」
「なに老舗の頑固店主のような口調で誤魔化しているんですか! このカニは一体何なの!? それに、良く見るとエビ天に尻尾がないわよね?」
「下処理は万全さ、でなきゃ客には出せねぇぜ……」
「その客から目を反らしていて何を言っているのよ! いいから、なんの食材かを言って!」
おっさんは、目を合わせようとしない。
その態度にアドとリサの箸が止まる。
「……美味ければ良いじゃないか」
「なんで食材の名を言うのを躊躇うのよ! 不都合がなければ教えてくれても良いわよね!?」
「……この世にはねぇ、知らなければ良かったとか、幸せなことがあるんですよ。真実なんて碌でもない事例は多々あるものなんです。それでも、知りたいですか?」
「ちょっと待て! 今の台詞を聞く限りでは、この食材が碌でもない物って事になるんじゃないのか!?」
「おぉ~っと、口が滑っちまったぜ。まぁ、気にすんな」
「「「気にするわぁ!!」」」
ゼロスは食材の名を口にしない。
つまり、それは碌でもない素材なのは明白である。
不審な目を向ける三人を無視し、おっさんはひたすらコッコと共に食べ続ける。
得体の知れない天丼を――。
「良いから、教えてくれぇ!! アンタ、俺達に何を食わせた!?」
「毒はないから大丈夫ですよ。気にするほどのことかねぇ?」
「じゃぁ、なんで食材の名を言わないのよ! おかしいじゃない!!」
「吐き出されたら、せっかく糧になってくれた者達が浮かばれないじゃないですか。この世界はねぇ、食うか食われるかなんですよ」
「つまり、吐き出したくなるほどのゲテモノってことよね?」
「……本当に、知りたいのかい? 後悔することになりますよ? ククク……」
おっさんの目が髪で隠れ、なぜかオドロオドロしい気配が漂っていた。
何を食べたのかは確かに気になるが、同時に聞いてしまえば後戻りができないような雰囲気だ。
究極の選択を迫られるとはこのことだろう。聞いたら間違いなく後悔し、聞かなくとも心に凝りが残り続ける。
要は、どちらに進むかによって、心の負担が大きいか小さいかの違いである。
選択を選ぶにしても、天丼を食べた時点で結果は既に決まっており、既に幸せな時間は終わりを迎えていた。
余計なことに気づかなければ良かったのだ。だが、もう遅い。
三人は選択を迫られている。
「もう一度聞く、本当に知りたいか?」
まるで、これから危険な作戦に部下を参加させる選択を迫る指揮官のように、ゼロスの異様な気配は濃度を増す。
三人には『聞いてはならない。絶対に不幸になる!』という確かな予感があった。
それでも、真実を求める正しい心が少しだけ勝ってしまった。
それが不幸の始まりだとも知らずに。
「お、教えてくれ……あの天ぷらは、なんの食材だったんだ?」
「フッ……良かろう。教えてやろうではないか! だが、その選択を選んだことを君達は激しく後悔するだろう。真実などというものは残酷なものだ。余計なことを知ったがために、君達はこれから最大の不幸が訪れるだろうことは確実だ。それでも選択したのは君達だ! その愚かさと後悔を胸に深く刻むと良い……」
その台詞はまるで、危険な組織の黒幕に操られた不幸な上司のようであった。
ゼロスはどこかの司令官のように腕を前に組むと、深い溜息を吐く。
その姿は懺悔か、或いは三人がこれから知るであろう後悔に対する哀れみからか。どちらにしても賽は既に投げられている。
ゼロスにはもう、真実を語るしか選択肢が残されていなかった。
「先ずはかき揚げだが、食材は【猛毒ゴボウ】と【即死ニンジン】、【バッドオニオン】と【天国山芋】……。すべて猛毒が含まれた食材だ」
「おい、それ……既に食材じゃねぇよな!?」
「安心したまえ、毒は【キュア・ポーション】で無効化してある。そして、エビ天は【三日ムカデ】……。その毒は三日間もの間苦しみ抜き、体が腐敗しながら死んでゆく」
「む……ムカデ……? 私、ムカデを食べたの!? はぅ……」
「リサ!?」
リサ、ムカデを食べたことによるショックで気絶。
完全なゲテモノだった。
「そして、ソフトシェルクラブに見えた食材だが……【マーダー・タランチュラ】だ。形はカニに見えるが立派な蜘蛛さ。奴等は群れで獲物に襲いかかり、その毒で肉を溶かし捕食する」
「カニじゃなかった!? 確かに、『カニのようなもの』とは言っていたけど、本当にカニじゃないわよ!?」
「安心してくれ、毒は完全に無効化している。下処理は万全だ」
「下処理が万全って、そっちの意味かよ!? ゼロスはん、なんつーものを食わせはるやぁ!!」
「だから聞いたじゃないか、『本当に知りたいのか?』って……」
そう、ゼロスにはなんの落ち度もない。
天丼を食べていたことは確かだが、それを見て『食べたい』と頼んできたのはアド達である。
その時点で食材を確かめるべきであったのだ。
山の中の休憩所で、そもそもカニやエビが用意できるわけがない。そんな環境で不審に思わず食べたことも彼等の責任である。
更に言うのであれば、アドはおっさんが【ファーフラン大深緑地帯】でサバイバルしていたことを知っていた。生きるためにゲテモノを食べることもある。
そして、そうしたものを食べることに対し、耐性を持っていたと見るべきだったのだ。
「所詮この世は弱肉強食、弱ければ食われ、強くなければ生きていけない。美味い物が食べられるなら、それで幸せじゃないんですかねぇ?」
「逞しすぎるだろ……。くそ、聞かなければ良かった……」
「確かに……真実を知るベきではなかったわね。まぁ、美味しいし、抵抗はあるけど食べられないほどのものでもないわ」
「食うのか、シャクティ!?」
「だって、イサラス王国でもミミズを食べていたのよ? 今更ゲテモノだと言ったところで説得力がないわよ。なら、気にせず食べた方が得じゃない?」
「マジか……」
「ミミズは貴重なタンパク源だけど、土を吐かせるのが面倒だよなぁ~」
「食ったのぉ!?」
おっさんはともかく、シャクティも逞しかった。
結局のところ、繊細だったのはアドとリサだけのようだ。
生きるためなら昆虫すら食べるゼロス、その姿勢はある意味で尊敬に値するだろう。
しかし、現代日本人としての常識がそれを否定する。それが異世界で生きる上での決定的な差になると分っていても、心がそれを受け入れることができない。
結局、彼は寝るまでそのことを悩み続けることになる。
アドは、生きることが戦いであるという本当の意味を知った。
それは同時に、必要ならゲテモノすら食料にしなくてはならないという意味であり、日本での常識を捨てなければならないほどに、この世界が過酷であることだ。
どこかの原住民のようにたくましく生きるか、或いは日本人としての良識を持ったまま生きるか、どちらを選択するのかは彼次第なのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ハサムの村に行くには、オーラス大河を越えねばならない。
だが、ゼロスの【アジ・ダカーハ】やアドの【軽ワゴン】は、行商人の行き交う数が増すごとに乗る場所が限られてくる。
辺境の街道を使う商人は極端に少なく、アドやゼロスは思う存分走らせることができたが、交易の中心となるいくつかの街道は目立ってしまう。
今更のような気もしないでもないが、なるべく自分達の存在は秘匿にしたい。
ゼロスにおいては公爵家の後ろ盾があるようなもので、実力的にも利用価値は充分にある。表だって権力を押しつけてくるような真似はしないだろう。
しかし、アドは他国に一時的にだが所属する魔導士だ。目立った分だけ動きが制限されてしまう。
まして婚約者がこの国にいる以上、人質にされたら目も当てられない。おっさんも一応予防策はとろうと思ってはいるが、権力者はデルサシス公爵のような切れ者ばかりではない。
中には平然と馬鹿な真似をしでかす者達もいる。
『ままならないものだねぇ。自由を求めれば、そこに馬鹿な権力者達が集まりそうだ』
画期的な移動手段を保有し、好き放題に乗り回しているおっさんが言っても説得力に欠けるだろうが、これでも急速な時代の技術進歩を防いでいるつもりなのだ。
公爵家との繋がりがある以上、下手に技術供与をするわけにも行かない。急速な技術の発展は戦争を呼び込みかねないのだ。
例えば【アジ・ダカーハ】だが、制作には希少金属を大量に使用し、更に装甲には並みの魔物などをはるかに凌駕する流種の素材が用いられている。
中途半端な【バイク】なら製造できるかも知れないが、耐久性や汎用性で言えば【アジ・ダカーハ】を越える存在は簡単に作ることはできない。
何しろ旧時代の部品も組み込まれており、下手に分解すれば同じ物を制作するのに千年はかかるだろう。それだけ【ブラックボックス】の構造が精密なのだ。
『まぁ、敵対するなら容赦はしないけどねぇ。けど、危険人物扱いにされて指名手配も嫌だなぁ~』
人は異端を嫌う傾向がある。
権力者なら意に沿わない者や反抗的な者を排除し、或いは搦め手で自由を奪う。有効的な手ではあるが、犠牲を厭わない考え方は基本的に嫌いだった。
仮にこの手段を用いてきたのなら、ゼロスは容赦なく消し飛ばす決断をする。権力を持つ者なら真っ先に楽な手段を選ぶ可能性が高い。
だが、ゼロス自身の力は本人の予想以上の戦力だ。なまじレベルというわかりやすい物差しが存在するこの世界において、その力は圧倒的すぎる。
やろうと思えば国など簡単に滅ぼせるだろう。
要人暗殺から首都殲滅まで、執れる手段はかなり広い。そして、野心のある者達は自分自身を高く見ている傾向が強い。
それが幻想であったとしても、盲信している者達にとっては真実なのだ。そして権力にものをいわせて束縛する方法を狙う。似たような事例はメーティス聖法神国を見ても明らかであろう。
その愚かさは、最悪な事態に発展するまで自覚がないことが問題だ。つきまとわれる側にとっては鬱陶しい。
『しばらくは、つかず離れずの関係が有効かなぁ~。互いに協力関係の間柄の方が気楽でいいだろう。後はデルサシス公爵の対応次第か』
利益関係を維持しておけば、ゼロスは自由に動ける。
ソリステア公爵家を敵に回すような者など、数が限られているからだ。
そんなことをおぼろげに考えながらも、ゼロス達はオーラス大河を渡る船に乗るべく、大河沿いの港町を目指していた。
「交易中心の街だと、軽ワゴンは目立つからなぁ~……。近場から歩いて行かなけりゃならんとは、めんどくさい」
「明らかに技術が違うからねぇ。馬車より有効な移動手段は、戦局と産業に革命をもたらすことになる。迂闊に広めることはできんよ」
「ところで、ゼロスさんのバイク……【アジ・ダカーハ】だっけ? これ、【ダカーハ】でなく【ダハーカ】が正しいんじゃなかったっけ?」
「アド君、ココは異世界だよ? 地球で有名な名称をそのまま使って何が楽しいのかね。どうせバッタモンなんだし、名称をもじるのは当然じゃないか」
「それ、某有名メーカーのロゴを似たようなデザインで利用する、海外パチモンチェ-ン店みたいだな。どんだけひねた性格なんだよ」
「何を今更、【ソード・アンド・ソーサリス】の中には、【ヘイ! ボルグ】とか【胸騒ぎ(草薙)の剣】とか、いかにもパチモン臭い武器が存在していたじゃないですか」
「確かチャットで、R18モードの方に【○ッ○スカリバー】なんてベタな物もあると聞いたな。攻撃力が全くないのに、効果が【絶倫】なんてふざけたやつだった気が……」
ゲームの中にはいかにもパチモンな装備が幾つも存在していた。
元から存在していた物や、後から調子に乗った生産職プレイヤーが制作した装備で、ある意味、生産職プレイヤーの自己顕示サインのような役割であった。
無論ゼロス達も18禁ではないが似たような装備を制作しており、半ば『ヒャッハァ~ッ!!』状態で面白半分に転売した過去がある。所謂恥ずかしい黒歴史だ。
通常プレイでも妙な装備があふれかえり、R18指定では口では言えないような効果付きの物が大量に出回っていた。普通だとあり得ない許容量で、プレイヤーは表裏自重すら忘れやりたい放題。
余談だが、R18モードでは特殊なプレイの最中は周囲のプレイヤーから視覚できないようになっていた。それが『うへへ』目的のプレイヤーを増長させ、様々な18禁アイテムが製造販売されたらしい。
ただし、互いの合意がないHプレイは、通常モードや18禁モード区別なく指名手配される。
賞金稼ぎには良いカモとして狙われ続けることになる。もっとも、そのスリルを味わうためにあえて性犯罪プレイをする者も少なからず存在した。
彼等悪質プレイヤーを狩り、資金稼ぎをしていたのもゼロス達ハードプレイヤー達であった。
ちなみに、モード切り替えはプレイヤーの任意で変えることができたが、未成年者の18禁モード切り替えは不可能。良識的な当然の措置だが、現在非常識な事態に巻き込まれたゼロス達にとって、【ソード・アンド・ソーサリス】のゲーム世界もかなりあやしいものである。
さらに余談だが、ゼロス達はR18モードでプレイしていたわけではない。正しい意味で健全なプレイヤーだった。
「よくよく考えると、かなり怪しいゲームだよな。犯罪プレイが普通に容認されているんだぞ?」
「規制はあったが性犯罪から猟奇殺人、中には手の込んだ密室殺人を行うレッドプレイヤーもいましたが、どう考えてもおかしい。自由度が高すぎるなんてものじゃない」
「職業に【名探偵】なんてものもあったな。ヴァーチャルにしても、あそこまで自由度が高いプログラムなんて作れるのか? 【闇の裁き】を制作していたのとは訳が違うぞ」
「専門分野なのではっきり言えば、不可能。どう考えても、衛星規模の量子コンピューターでも存在しない限り、あそこまで自由な完成度の高い世界の構築は無理だね。技術的に考えても非常識だ。今なら君も予想ができているんじゃないのかい?」
今だから感じられるゲーム世界の異常性。
アドも同じことを考えていたのか、ゼロスとの意見が一致していた。
「ゲーム世界そのものが異世界か、それに類似した存在である可能性か? 証拠はないが、それにしても自由すぎるだろ。聞いた話だと、裏街にいかがわしい店もあったとか」
「通常プレイヤーには気にしないような話だけどね。大人の玩具も販売していたらしいねぇ、行ったことはないけど」
「そう言えば俺、子供の頃『大人の玩具ってなに?』って親父に聞いたことがあって、親父には『パチンコだ』と言われたんだよ」
「ま、まさか……君は………」
「そのまさかだ。あの頃の俺は純粋だった……。実際に親父は毎日のようにパチンコに遊びに行っていて、そのことを作文に書いちまったんだ。しかも、それを授業参観の日に堂々と発表しちまった。『お父さんは毎日、大人の玩具で遊んでいます』って……」
「そしてご両親は呼び出しを受けたんですね? さぞ大変だっただろうなぁ~……。実際にある話なんだねぇ」
アドの悲しいトラウマ。おそらく父親にはその時、教育を考えてのファインプレーだったに違いない。
だが、日常でパチンコへ良く出かけ遊んでいたことが仇となった。教育とは、かくも難しきものである。
「今なら分る。親父はあの時、俺の教育のため、あえて嘘をついたのだと。だが、それが正しい結果に繋がらなかった」
「僕も若い頃、何気に本屋に入ったら、店の大半がアダルト関係だったときがありましたねぇ。十代の青少年には歌攻撃を受けた巨人並みの衝撃を受けるだろう。当時は仕切りがあるのに、普通に青少年が通過しビデオを購入していた。店員も止めようとはしなかったなぁ~。
一般の書店でもアダルトビデオを普通に販売していたし、アダルトアニメが少年誌や単行本横に並んで売られていたねぇ~。アレは今思うとマズイでしょ。実際、小学生低学年の子がソレを手にして不思議そうな顔をしていたしなぁ~……」
「結構、大雑把な規制だったんスね。せめて、最初から十八歳未満お断りの看板なりを出して欲しい」
「規制か……。さほど意味のないように思えるけどなぁ~、ないよりはマシだけど」
男と女がいる限り、エロが消えることはない。規制をしたところで犯罪に走る者は少なからず出てくる。
衝動的な行動から計画性を出すようにエスカレートしたら、人として終わりだろう。求められるのは一般常識に自制心とモラルなのだろうが、人は堕ちるときにはとことん堕ちるものだ。
「そんな君も父親になる。せめて、教育だけは間違えないようにしないと」
「自信が持てねぇッス……。我が子にあの頃の俺と同じことを聞かれたら、俺はなんて答えればいいのか分らない」
「普通に、『この世には、知らなくても良いことがたくさんあるんだよ。君にはまだ早い。どうしても知りたければ、命を懸けなさい』と、マジ顔で言えば良いのでは?」
「ぜんぜん、普通じゃねぇ!? どんな父親だよぉ!」
子供の頃は善悪の判断基準が酷く曖昧である。
例えばテレビで見られる戦隊ヒーロー、その真似をして怪人役の子を多人数でボコる。遊びのつもりであったとしても、実際は多人数で行う虐めに見える。
幼い子供には悪意が全くないのだが、大人に叱られることでそれが悪いことであると学ぶ。
これは極端な例だが、危険と教えている貯水池や深い側溝が口を開いている場所でも、子供達は危険性をあまり認識してはいない。
その結果、取り返しの付かない事故が発生する。子供の好奇心は強く、何が危険であるかを伝えるのは難しい。
思いつきで行う遊びの中にも時に危険極まりない行為が含まれ、それをどう伝えるのかが重要なのだ。日常環境の中すべてを含め、子供達は学習し成長してゆくのだ。
学校教育だけで人格形成が行われるわけではない。
ぽんぽんと話を脱線させながら教育について語る男達の後ろで、二人の女性が『『最低……』』とつぶやき、前を歩く二人の背中を白い目で睨んでいた。
男二人で語り合う内容の中には、エロ関係も含まれていたからだろう。
だが、この二人が生まれた時代が異なっても、需要があって販売しているところは今も変わりがない。むしろ同性愛などの容認もあり、混迷し始めているのかも知れない。
こんな調子でしばらく歩き続け、四人はオーラス大河を渡る小さな港町へ辿り着く。
アドと婚約者であるユイとの再会は近づいていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
森の中を、神官服を着た一人の女が走り続けていた。
どうしようもなく自分に甘い女、シャランラである。
彼女は、異端審問官達が非常識なニワトリの襲撃に遭っている間、必死に潜伏してやり過ごしていた。何しろ一度は戦ったことがあり、絶対に勝てないと知っていたからだ。
しかも今回は三羽同時である。それは死刑宣告に近い絶望だった。
彼女は潜伏能力に関しては恐ろしく高い技能を持ち、他は毒薬の調合以外、並み以下の舐めプレイヤーだ。型にはまればそれなりに強いが、まともに戦えば完全に負ける。
レベル上げなど面倒なことは行わず、口先だけで他人を騙し希少アイテムを手に入れ、寄生によりある程度のレベル上げを行っていた。
戦わないために戦闘スキルは恐ろしく低く、毒などのアイテムを使用することでPKを行い、他人の装備を奪う強盗目的の暗殺者である。そんな彼女は潜伏中、弟の姿を確認した。
だが、その弟の周りには厄介な生物と仲間らしき者達がおり、不用意に近づけない。
しかも上位プレイヤーである【殲滅者】。勝てる要素など皆無に等しい。
ここで諦めれば良いのだが――。
『アイツのことだから、既に拠点を持っているはず。人が生きる以上、他人と関わらなければならないわ。先ずは拠点を探し当てることが最優先だけど……』
――存外あきらめが悪かった。そして生き汚かった。
シャランラも決して馬鹿というわけではない。自分のために他人を利用することに関しては、恐ろしいほどに頭が回る。ただし詰めが甘い。
なによりも、弟の行動に関してある程度は熟知していた。ある意味でもっとも理解しあっている姉弟だろう。
標的にするのはゼロスの周囲にいる現地の人間だ。巧く利用して【回春の秘薬】による効果を打ち消すアイテムを奪わせる必要がある。
だが、インベントリー内に収納されていては奪うことができない。このままでは確実に自分は死んでしまう。
正に命懸けである。
「にしても、バイクなんて卑怯よ! ファンタジーをなんだと思っているの、アイツは……」
ゼロスの後を追う彼女だったが、生身と機械では移動力が違う。
レベルにもよるが、この世界の住民は体力がある。自然に魔力を利用しているので瞬間的な身体能力が恐ろしく高い。
ただし、魔力による無意識強化は当然だが魔力消費が激しく、所詮は瞬間的や衝動的なので長時間の運用には向いていなかった。ゼロスが短時間的に超人的な身体能力を見せる理由がここにある。
膨大な魔力による無意識のブースト効果。身体能力は飛躍的に高まるが、膨大な量だけに無意識下での魔力使用は細かい操作ができない欠点がある。
日常ではあまり使わない力なので、普段は自然とその能力をセーブされている。それでも身体能力は一般人より優れていた。
そんな相手にちょっかいを掛けるのだから、シャランラはどこまでも図々しい。そして被害妄想も激しい。
今も必死で追いかけているのだが、結局のところ見失った。バイクを追いかけるのだから凄い執念だ。そして現在、平原を放浪中。
「こうなったのも……聡のせいよ! 見てなさい、必ず居場所を突き止めて後悔させてや……」
どこまでも逆恨みするシャランラは、最後まで言葉を言い切ることができなかった。
なぜなら、彼女の目の前には巨大な角を持った大牛の群れが、街道を塞いでいたからである。
牛達はシャランラの姿を確認すると、鼻息を荒く一斉に地面を足で蹴り始めた。
「ちょっ!?」
――ブモォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
そして始まる、牛の群れとの逃走劇。
牛型モンスター【ビッグホーン】。広範囲の縄張を持ち、餌を求め移動する。
特に仲間と縄張り意識が強く、気性の荒い魔物だ。敵を執拗に追いかける習性が特徴的だった。
【ソード・アンド・ソーサリス】ではなじみの魔物であり、普通にプレイをしていた転生者なら狩るのは容易だろう。だが、シャランラに魔物相手は無理。
一頭だけならともかく、群れを相手にできるほどのスキルは持ち合わせていない。
ナメプしていたシャランラは、そのツケを異世界で支払うこととなった。
この壮絶な追いかけっこは、野を越えて山を越え、彼女がオーラス大河に突き落とされるまで続いたのである。