おっさん、アドを巻き込む
傭兵ギルドの奥にある応接室。
そこにゼロスとアーレフ、そして傭兵ギルドのギルドマスター【ドンサーク】老人が顔を合わせていた。
三人は一様に深刻な表情を浮かべ、襲来する【グレート・ギヴリオン】の対策を話し合うが、どう考えても太刀打ちできそうになかった。
その大きな理由が、ギヴリオンが【魔王】クラスに進化する寸前である事だ。
通常のグレート・ギヴリオンでも手に負えない存在であるのに、【魔王】にまで進化されたら敵わないどころか全滅は確実である。
進化前で動きが緩慢になっている今が逃げ出す好機なのだが、魔物の暴走のために避難ができない状況である。まさに進退窮まった状況だ。
リバルト辺境伯領、スライスト城塞都市はまさに風前の灯火だった。
「【魔王】……いったいどれほどの強さかが分からん。だが、災害級並の被害が出ることは予想できる」
「そうですね……。ただでさえ【暴走】が起きて厄介なのに、ここにきて魔王級……しかも逃げ場がない」
「住民を一度に逃がしたとしても、犠牲が大きそうですねぇ。防衛したとして、巨体のまま来られても困りますし、【魔王】になられては厄介さに磨きがかかる」
進化次第では魔物は手に負えない存在に変わる。
例えば生まれながらに災害級の魔物は進化することはないが、かわりに力は成長に合わせて倍加する。ベヒモスやリヴァイアサンといった魔物がそうである。
対して進化の過程で災害級に変化する魔物は、最終的に【魔王級】にまで到達するのだ。力で言えば元から災害級の魔物の方が強いが、進化によって弱点らしきものがなくなるのだ。
【グレート・ギヴリオン】で言えば食糧だろう。巨体になるほどに必要となる食糧が増え、常に狩りを続けるため移動を繰り返す。
だが、その巨大さ故に小型や中型の魔物は逃げだし、次第に餓死していくのが通例だ。
その弱点を稀に進化で克服し、面倒な魔物に変貌する。
「奴が進化をしたら、人間サイズになるんですよねぇ~。しかも保有魔力は元のまま、ついでに知能も格段に上がる。本能ではなく理知的に学習するようになるんですよ」
「最悪ですね。人型サイズの化け物ですか……まさに御伽噺に出てくる魔王」
「魔力量はどうでも良い。問題は生身でどれだけの強さかということじゃ……」
かなり精神的に追い詰められているのだろう。ドンサークは苛立たし気に言葉を吐き出す。
災害級の出現でも前代未聞だというのに、それが魔王に進化の途中とくるのだ。驚天動地を超えていた。
「そうですね……レベル900の勇者が十人いれば倒せるかもしれませんね。武器も希少素材をふんだんに使った最強装備で、ですが……。まぁ、メーティス聖法神国の勇者じゃ勝てませんよ。最大レベルが500で、これ以上強くならないように監視していたみたいですからねぇ」
「「……無理だ」」
アーレフのレベルも現在303、レベル500の騎士もいるのだがとても勝ち目がない。
ちなみに、ゼロス一人なら勝てるかもしれないが、問題はグレート・ギヴリオンのレベルが分からないことだ。
最近は鑑定を使っておらず、更に勝手に発動する事もなかったので存在自体を忘れていた。
魔導練成でも使ってはいたが趣味としての認識が強く、またヘッドマウントディスプレイを使っているような感覚なので、どうも印象が弱い。
日常的な印象が強くなりすぎて、戦闘で使うということが頭から消えていたのである。
おっさんは、『失敗した』と思った。
「まぁ、ここに到達する前に進路を変えればいいだけですよ。たとえば、メーティス聖法神国に押し付けるとか。多分ですが奴らも同じことを考えたんでしょうねぇ」
「まさか!?」
「馬鹿な……いや、あの国ならあり得るか? 我が国を目の敵にしていたという話ですし……」
魔導士と神官は犬猿の仲だ。
特にソリステア魔法王国は魔導士の力が大きい。まぁ、最近は落ち目のようだが――。
それは兎も角として、グレート・ギヴリオンがソリステアに進路を変えたこと自体がおかしい。巨大な魔物が餌の少ないこの国に来ることなどありえないのだ。
魔物は本能的に餌の多い場所に移動する傾向が強く、人口の多いメーティス聖法神国から進路を変えるなど、先ずありえなかった。
「【邪香水】でも使ったんじゃないですか? でなければこの国に来るなんてことはありませんよ。向こうの方が餌が多いんですから」
『『餌って……人間のことだよな? エグイことを平然と言う……』』
アーレフもドンサークも絶句する。
だが、魔物の生態を調べている傭兵ギルドとしては、ゼロスの言っている事にも頷けるところがある。グレート・ギヴリオンも狩りをして生きる魔物だからだ。
ギヴリオンも他のGも、捕食しやすいという点では人間は良い餌なのだ。腹の足しにはならないだろうが、いないよりはマシである。生きることは戦いの連続なのだ。
「そう言えば、魔物の数がやけに多いような気がすると報告にありましたね。まさかとは思いますが、メーティス聖法神国に生息していた魔物もこちらに流れているのでしょうか?」
「おそらくは……。でなければ軍団規模でこの国まで来ませんよ。普通なら小さいGも拡散していきますからねぇ。暴走も収まったはずです」
「あの、似非神国がぁ!!」
ドンサークは、病気がちな母親のために神官に治療を願い出た事があったが、治療費として法外な値段をふっ掛けられ、母親が病死した経緯がある。
そのためか、メーティス聖法神国を激しく恨んでいた。数年後に同じ病に罹った父親は、魔導士が作った魔法薬により命が助かった。
それゆえに神官を目の敵になったが、中にはまともな神官もいるので決して表に感情を出すことはない。分別のある大人なのである。
だが、今回のことで完全に怒りを隠すことはできなかった。
「僕としては、ギヴリオンの相手を少数精鋭に任せ、暴走した魔物の相手に重点を置いたほうが良いと思いますね。生き残ることが戦いですよ」
「すまない……少し感情的になってしまった」
「しかし、誰がギヴリオンの相手をするんですか? 我々の中に倒せるような人材はいませんが……」
「それは、僕ともう一人が請け負いましょう。正直、相手にしたくはないんですがね、背に腹は代えられない……。運がなかったと諦めます。そして、諦めさせますよ」
「「……誰を?」」
おっさんは、手ごろな戦力と偶然出会ったことを思い出し、『ニヤリ』と笑みを浮かべた。
それはもう、実に悪辣な良い笑みであった。
そこには『Gの相手を僕一人でするのは不公平だ。君も巻き込ませてもらうよ』と、かなり個人的な思惑が含まれている。この辺りが【殲滅者】らしいと言える。
おっさんは、一人でギヴリオンを相手にする気が全くない。
ここにアド君の運命は勝手に確定されたのであった。酷い話である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「という訳で、アド君。一緒にGの相手をしてほしい。この世界の人間じゃ勝てないからさ。頼むよ」
「いや、いきなりだな……ゼロスさん。俺の意思は無視か?」
「ふっふっふっ、当然じゃないか。なぜ僕一人で奴と戦わなくちゃならないんだい? 君にもつきあってもらうぞぉ~」
「なでそんな、嬉しそうに……」
「それは……フッ、道連れさ。僕一人で奴と戦うのは寂しいじゃないか」
「道連れかよぉ! 相変わらずだな、【ソード・アンド・ソーサリス】の時と変わらねぇーじゃないかよぉ!!」
アドからしてみれば強制連行と同じだ。難色を示すのも当然のことである。
だが、ここでゼロスは切り札を出した。
「アド君……君の奥さん、中々に可愛い女性じゃないか。今、女性二人を連れて行動していると知ったら、彼女はどう思うかねぇ?」
「な、何でユイのことを……まさか!?」
「ある場所で偶然出会いましてねぇ~、Gの相手をつきあってくれたら、居場所を教えてあげますよ? これは正当な取引だ。うん」
「卑怯だぞぉ、それがいい大人のする事かぁ!!」
「いやぁ~、僕は普段から大人気ないと言われてますからねぇ、今更でしょ」
『『うわぁ~、ドブみたいな性格……きたなぁ~~~いっ!』』
リサとシャクティはあまりの汚さにドン引きしていた。
アドの妻――正確には婚約者なのだが、ハサムの村で偶然に出会っていた。無事であることを伝えてほしいと約束はしたが、交渉に使ってはいけないと言われていない。
「クックックッ……で? 引き受けてくれるのかな? なにも君一人で戦わせる訳ではないのだよ。僕も戦うからねぇ」
「アンタ……やっぱり【殲滅者】だよ。やってることが、あの人達と同じじゃねぇか!」
「いいじゃないか、僕はまだ親切な方だよ? 奥さんだけでなく、もうひとつ面白い情報もつけようというんだからさぁ~。君も気になるだろ? 子供のこととか」
「なっ!?」
「そう、彼女は子供を身ごもったまま、この世界に来た。その意味……アド君はどう思う?」
急に本気の会話になり、アドも戸惑いが隠せない。
確かにアドもユイのことを探していた。ゼロスと先に接触していたとは予想外だが、まさかユイが妊娠したままこの世界に来ているとは思わなかった。
それの意味するところは――。
「まさか、転生じゃなくて……転移!?」
「良かったねぇ。アバターベースの転生だったら、子供は死んでいたことになる。だが……」
「あぁ……四神が嘘を吐いたのか、それとも……」
「転生をさせたのが地球の神々らしい。なら、四神に対しての嫌がらせか? もしかしたら、ただの親切かもしれない。が……何にしても、もう直ぐ君は父親だよ。アド君」
「ハハハ……って、ゼロスさん、アンタは居場所を教える気はないんだよな?」
「手伝ってくれたら教えるよ? 何だったら案内しても良い。君、方向音痴だし」
アドの頭の中では天秤がもの凄い勢いで上下していた。
これを不運ととるか、あるいは神の采配ととるか、アドの心は激しく揺さぶられる。
「このままだと街は呑み込まれる。逃げ出すことは簡単だが、厄介なのが後方から迫ってきていてなぁ~、僕一人じゃつらいんだよねぇ」
「……【グレート・ギヴリオン】。良い思い出がないんだけどさ……魔王化した奴に殺されたし」
「その【グレート・ギヴリオン】が、もう少しで【魔王】になりそうだけどねぇ……」
「奴の魔王進化って、アレだろぉ~……」
「そう……アレだねぇ」
「マジかよぉ~~~~~~~~っ!!」
三年ほど前、【ソード・アンド・ソーサリスⅣ】で、【グレート・ギヴリオンの進撃】と呼ばれるレイドイベントが発生した。
主な内容は城塞都市に迫るGの大軍を殲滅する防衛イベントであったが、プレイヤーの参加人数が著しく少なかった。その大きな理由が『気持ち悪いから』であった。
押し寄せるGにより都市は陥落、参加したプレイヤーも全滅し、それでイベントは終了に思われた。そう、このイベントは『終わらなかった』のだ。
都市を陥落させたギヴリオンはそこを拠点に軍団の数を増やし、組織的な侵略へと変わったのだ。プレイヤーの抗議が運営に殺到したらしいが、返事はなかった。
そして、多くのプレイヤーは知ることとなる。【グレート・ギヴリオン】が【魔王】に進化したことを――。
恐ろしく自由度の高い【ソード・アンド・ソーサリス】では、災害指定級のモンスターを蔑ろにすると、自分達の首が締まるということを知らしめる。
そして、魔王化したギヴリオンは一種のバグキャラとなっていた。
「あ、あの悪夢が再び……。ヤツと再び相まみえるのかよ……」
「まぁ、魔王に変化したとしても、僕達だけでなんとかなると思うんだよねぇ。あの頃は【極限突破】の限界解除スキルはなかったし」
「いや、俺も【極限突破】したけど、ムチャじゃないっスかね? 魔王クラスだぞ?」
「邪神ほどじゃないでしょ。先に雑魚を一掃したいんですよ。ギヴリオン以外はすべて雑魚だから」
「あの悲劇の二の舞はごめんだからなぁ~……。なんて嫌なイベントだよ」
「もっと嫌なのが、これが現実ということだね。僕だって奴と戦いたくない」
魔王化したギヴリオンは、巨体を失うと同時に圧倒的な防御力も失う。
代わりに破壊力のあるいくつかの技を覚え、ついでに学習能力も恐ろしく高い。わずかな戦闘で戦略を学ぶほどだ。
「それで、雑魚はどう一掃するんだ? 殲滅魔法を使いまくるのか?」
「それしか手がないんだけど、こればかりは騎士団と相談かなぁ~。下手をすると地形が変わるしなぁ~」
「領主と相談するしかないんじゃないか? 俺、お偉いさんと話すのは遠慮したいんだけど」
「ギヴリオンがいる限り、大規模な群れは残されたままになるからねぇ。雑魚がいくら拡散しても大本は残されたままだと同じことの繰り返し。国境を越えたところで一掃したいねぇ」
「あぁ……お隣のクソ神国がうるさいか。もしかして、ギヴリオンを押し付けられたんじゃないのか?」
「その辺りは同意するねぇ。あまりにもタイミングが良すぎる気がする……。進化前の【グレート・ギヴリオン】は馬鹿だから、ほぼ直進することで有名だし」
自然界でほとんど敵のいない大型の災害指定魔獣は、その圧倒的な力から方向転換をする事はあまりない。せいぜい餌場を感知したときだけ進路変更を行うていどだ。
これは大型化した魔物の習性のようなもので、自然界では巨体というだけでも大きなアドバンテージとなる。代わりに餌を探すうえで難儀するデメリットも存在したが――。
グレート・ギヴリオンが人口の多いメーティス聖法神国を避け、ソリステア魔法王国に進軍したこと自体がおかしく、習性の点からいっても山間を迂回する形で来ること自体ありえない。
普通なら平野部であるメーティス聖法神国を直進するはずなのだ。
「絶対とは言い切れませんが、もしかしたら狂った人達を使い捨てにしたのかもねぇ」
「あぁ~狂信者か。自爆テロをやるような連中なら、喜んで死ぬだろうなぁ。俺からしてみれば命に対しての冒涜に思えるけど」
「自爆テロを行うような連中を量産する者達なんて、決して前線に出てきませんしねぇ。裏で都合の良い事を吹き込んで、安全な場所から扇動する。
それで本気に神の世界が築けると言いながら、結局は泥沼の混乱が続くんですよ。生まれたことに感謝し、命の限り生を謳歌することの方がよっぽど建設的だと思うんですがねぇ」
「ゼロスさん……それ、宗教国家で言わないほうが良いぞ? 真っ先に異端審問官に捕まる」
「日々平穏を求めることが異端扱いなんだから、世も末だねぇ。国が違うというだけで罪を犯さずに毎日精一杯生きることを否定しているし、教義を盾にしたご都合主義の横暴な行いが現状を招いたと、まったく気づかないのだろうか?」
「まぁ、メーティス聖法神国は神官優位の社会だからな。地位が高くなれば周囲にも影響を与えられるし、何より給料が良い。民衆の誰もが教会や神殿に子供を預けるが、それでも神官になれるのは一握りらしいぞ?」
「上にいる司祭や司教の方々も、自分達の地位を脅かすような存在は邪魔だろうしねぇ。老後の貯えを稼いでから、待遇の良いポストに天下りでもしてるんじゃないですか?」
「いや、それ……ありそうだから。結局、偉きゃ白でも黒くなる世の中なのか?」
世の中なんてそんなものである。
こと地位や名誉などと言う価値観が席巻している世の中で、ささやかな幸せで満足する人々はカモである。特権階級の者達ほど権威を勘違いする輩が多い。
その勘違いが度を超すと、周囲に多大な不幸をもたらす独裁者となる。それは貴族だろうが神官だろうが変わらない。
その権威を他国に向けると、メーティス聖法神国のようにハブられることとなる。真面目な人達にはいい迷惑であった。
『『何で、Gの話から宗教国家の内政事情分析に変わるの? レイドよね? 魔王が攻めてくるのよね?』』
リサとシャクティは男同士の会話についていけなかった。
そして二人は気づいていない。既にこの防衛戦参加は決まっていた事を――。
暴走する魔物とおっさんにより、アド達の退路は既に断たれていた。理不尽は唐突に降りかかるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ギルドで宿の場所を聞いたアド達は、旅の疲れをいやすべく西地区に向かう。
当然ながら町はずれのさびれた一軒宿で、周りはいかにもガラの悪そうな人達が三人をジロジロと眺めている。隙を見せたら事件に巻き込まれるようなそんな場所であった。
そして、彼等の後をなぜかついてくるおっさん。
ゼロスもまた、宿泊する宿を探していたのだ。
「あの、ゼロスさんでしたっけ? なぜに私達の後をついてくるのかしら」
「いやぁ~、僕も宿を探しているんですよ。アド君達についていけば見つかるかなと」
「意外にしたたかね、このおじさん……。なんか、どこでもしぶとく生きていけそう」
リサの意見は正しい。
ゼロスはサバイバル生活だけでも生きていける。単に原始的な生活をしたくないだけである。
宿があれば当然泊まるし、味が悪くとも食事が出るなら御の字だ。
そもそも町外れの宿に、高級レストランや三ツ星ホテルのような待遇は要求していない。寝る場所があれば充分だった。
「なかなかに雰囲気があるねぇ~、某国の裏路地に迷い込んだことがありますが、ここもギャングが縄張り争いしているような感じだ」
「……言わないで欲しかったわ」
「そうだね。夜中に襲われそうで、なんか怖い……」
「何でそんなに余裕なんだ? 襲われるとしたら、ゼロスさんも条件は同じだろ」
「アド君……君は男を襲いたいのかい? 普通に考えて、狙われるのは彼女達じゃないですかねぇ?」
ゴロツキ達から見て、獲物として美味しそうなのはリサとシャクティであり、ゼロスやアドは金さえ奪えばどうでも良い存在だ。
要は、金銭的な意味と性的な意味で価値が極端に変わるということだ。
男を襲う場合、たとえ見た目が弱そうでも油断はできないが、女性の場合は体格差でどうとでもなる。
まぁ、リサとシャクティは並みの傭兵より強いが、見た目は華奢で荒事には向かない。
たとえ強くとも精神面では脆そうであった。
「ここか……うっわ、お世辞にも良い宿とは言えねぇ~」
「ハッハッハ、これは寝ているときも油断ができないかなぁ~。夜中に襲われる可能性が高いよ。ホント……」
「「ここに泊まるの? マジで?」」
いかにもオンボロ感がハンパない宿、【少風亭】。しかも漢字で書かれている。
もしかしたら元勇者が始めた宿かもしれないが、古さからしてもかなり前の建物だ。
手入れをしてはいるようだが、周囲の新しい建造物から見ても築百年くらいは経っているだろう。良く原形を保っているものである。
「おぉ、下は酒場になってますねぇ。寝る前に一杯やりますか」
「大丈夫なんだろうな? 金を盗まれたら洒落にならんぞ……」
「シャクティさん、お財布はインベントリー内に入れておこうよ。スラれたくないから」
「それが良いわね。夜中に襲われても良いように、枕元にナイフを置いておくことにするわ」
「熟睡しているときに襲われたら意味がないけどねぇ~」
「「……」」
妥当な判断だったが、何事にも万が一の事もありえる。
「まぁ、いくらなんでも、盗賊と結託している宿なんて……そうそうないだろうねぇ」
「その間はなんだ? 盗賊と繋がった宿がある可能性もあるんだな?」
「気のせいか、私達の不安を煽って楽しんでない?」
「ゼロスさん……もしかして、Sなの?」
「何を言ってるんだ? 【黒の殲滅者】はドSって決まってんだろ。結構有名だぞ?」
「「聞いてないよ(わ)、アドさん!」」
そう、ゼロスの普段の生活からは判別できないが、【ソード・アンド・ソーサリス】ではかなりドSな事をやらかしている。
おっさんは久しぶりのプレイヤーに出会えて、思わず原点回帰を起こしていた。
調子に乗った連中はそれで地獄を見た者も数知れず、被害者の数はさらに多くいるのであった。ゲームと思い込んではっちゃけた結果がこれである。
そんなおっさんは急に真面目そうな顔で考え込むと、突然『ハッ!?』としたかのように顔をあげた。
「アド君……つかぬことを聞くけど、部屋割りはどうするんだい?」
「えっ? ゼロスさんとは別だろ? なら、俺が一部屋で、リサ達も一部屋が妥当じゃないのか?」
「……今まで、一つの部屋で三人寝泊まりしたことは?」
「「「そんなことはないから!」」」
「三人共にハモったか……つまり、あるんですね? これは……ユイさんに報告したほうが……」
「やめてくれぇ―――――――っ!! 俺とアイツの仲を裂くつもりかぁ!?」
そんなアドの様子を見て、ゼロスはスッゲー良い笑みを浮かべた。
「奥さんのいないところで女性二人と同室、若さゆえの過ちがあったとしてもおかしくはない。その辺りのことは夫婦間の話し合いで解決してくださいねぇ。
ユイさんの方には僕からチクっておきますので、釈明の方はご自分達でどうぞ。僕は、アド君がこの世界に来ていることの確認としか頼まれていませんので」
「やめてくれよぉ!? あいつは嫉妬に狂うと怖いんだよぉ、俺が殺されるぅ!!」
『『アドさん……尻に敷かれていたんだぁ~。意外だったなぁ~……』』
年下の奥さんに尻に敷かれているアド君は、額に大量の汗を浮かべていた。
ゼロスがユイを見た限りでは、おっとりした感じが印象的で嫉妬に狂うとは思えない。
「安心してください。この世界ではハーレムOKだぞぉ?」
「全っ然、安心できねぇーわっ!! 下手すれば二人が殺されんだろぉ!!」
『『えぇ~っ、そんなに嫉妬深い奥さんなのぉ!? 私達の命も危ないのぉ!?』』
さすがのゼロスも一瞬『えっ、マジでぇ!?』と思うほど過激な返答が返ってきた。
どうも奥さんはヤンデレの気質があるようだ。
「……もしかして、ヤンデレなのか? 彼女……」
「ヤンデレっス。普段は良いところのお嬢さんに見えるが、髪の毛一本から俺の所在をつきとめるやつなんだよ。追跡能力がパネェ……」
「それは、凄い……。どこかの国家からスカウトが来るほどの逸材だ。二十四時間で事件を解決できるほどの」
「俺を探すためなら、あいつはいつでもバウアーさんになるだろう」
「妊娠していて助かってねぇ。でなければ今頃……」
「俺達は冷たい土の中だな。天使のような笑顔で悪魔に変わる奴なんだよ……怒らせたら駄目だ」
ゼロスはよく手を出す気になったものだと感心したが、アドの言い分では外堀を埋められて付き合い始めるしかなかったらしい。
それでも普段は尽す性格のようで、アドも満更ではなかったようだ。
惚気話を聞いたおっさんは、内心で『もげちまえ、このリア充がぁ!! ケッ!』と毒づいていたりする。
男の嫉妬は見苦しかった。
「宿、入ろうか。奥さんには黙っておくことにしますよ」
「頼みますよ……。もしバレたら、俺は三十年くらい毎日あいつに人前で『愛してる』って言い続けなくちゃならない。一日でも怠れば刺される」
「いい歳して、それはキツイ。想像以上にカカァ天下だったか……」
アドの新婚家庭事情は壮絶のようだ。
独身のおっさんには分からない夫婦間の問題に、深く追求することをやめた。
迂闊な言動で『あなたを殺して私もしぬぅ!!』的な展開は避けたくなったのだ。
この場合、殺されるのはアド達のようだが――。
「あれ? 私達の身の安全は?」
「誰も守ってくれそうにもないわね。所詮、ファンタジーの世界は弱肉強食なのよ……」
異世界の過酷さを、二人は奥さんの嫉妬によって悟るのであった。
この剣と魔法の世界は、やろうと思えば完全犯罪ができるのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ゼロス達が宿に入ると、そこは体格の良い男だらけの酒場であった。
一言で言うならガチムチのマッチョメンがワイルドに酒を酌み交わし、あるいはテーブルで腕相撲の賭け試合をしていたりと、世紀末後の世界か西部時代の雰囲気が漂っていた。
そして、カウンターでグラスを磨いているのは、エプロン姿のスキンヘッドでガッチムチな、ブーメランパンツ一丁のマスターであった。強烈なインパクトである。
明らかに普通の宿ではないことは確かだ。
「「「「……」」」」
何かが間違っている。だが、それを口に出して言うことは躊躇われる雰囲気だった。
酒場にいる客たちも気にしていないようなので、ここでツッコミを入れたとしても恥を掻くのは自分達だ。長いものに巻かれるのも時には賢い生き方である。
「いらっしゃい。酒か? それとも宿泊か? いや、プロテインだな?」
『『『『なぜにプロテイン!? どんな宿だぁ(よっ)!?』』』』
予想以上に濃い宿のようだ。
マッチョマスターがプロテインを薦めてくる。
「いや、普通に宿泊だ」
「部屋は開いていますか? 最低でも二部屋は確保したいのですがねぇ」
「二階の二部屋が空いているぜ。ベッドも数は足りている。そしてプロテインも」
「いや、プロテインはいらねぇーから」
「そうか、ならサービスにダンベルとエキスパンダー用意しよう。傭兵は体が資本だからな」
『『『『どんなサービス!?』』』』
長旅で疲れている客に、プロテインとトレーニング器具を渡そうとする宿。
予想の斜め上を突き進んだ変な宿であった。
「これが部屋と勝利の鍵だ」
『『『『………』』』』
手渡された部屋の鍵につけられたストラップは、なぜかハンドグリップであった。
部屋に行く合間に握力を鍛えろというのだろうか? とにかく客に肉体改造を勧めてくる。
「私、疲れたから早めに部屋で休むわ……」
「うん、なんか食欲がわかない……。色んな意味で疲れちゃったから」
「そうか、とりあえずゆっくり休んで……休めるのか?」
「精神的な負担が大きかったようだねぇ。初見のインパクトが酷すぎますよ、この宿……」
疲れた足取りで階段を上って行くリサとシャクティを見送ると、ゼロスとアドは深い溜息を吐いた。
「僕達は、少し飲んでから休みましょうか。軽く食事をしたほうが良いでしょうし、少し真面目な話をしたい」
「……そうっすね。ゼロスさん、この宿の食事は大丈夫だと思いますか?」
「まさか、客相手に変なものを出すことはないと思いますが」
「いきなりプロテインを勧めてくる宿だぞ?」
「……大丈夫じゃないかもしれませんねぇ」
一抹の不安を感じながらも、アドとゼロスはカウンター席に座った。
互いの転生から今までの近況や情報交換、今後のことを含めてである。
ポージングする筋肉マッチョマスターを前に酒を酌み交わし、城塞都市スライトスの夜は更けてゆくのであった。