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おっさん、ルーセリスに生い立ちを説明す

 なんだかんだありながらも、夕食を済ませたゼロスとルセイ。

 しかしながら、お目付け役とばかりに二人を監視しているルーセリスの目が怖い。

 いつものように聖女な笑みを浮かべているが、背後にはなぜか黒い瘴気が立ち込めていた。さすがのおっさんもこれにはビビる。

 

『怖い……。あの聖女な笑みが逆に怖い。僕は、何か悪い事でもしましたかねぇ!?』

『な、何なのだ……この異様なプレッシャーは……。戦場でもこんな恐怖は感じたことがないぞ』


 人知を超えた手練れ二人が、ルーセリスの放つ気配に呑まれていた。

 こんな恐怖を二人は今まで感じたことはない。

 ルーセリスす自身も気づいていないようだが、この気配は所謂嫉妬と呼ばれるものであった。

 結婚どころか恋人関係にすらなっていないのに、今のおっさんとルセイはさながら浮気がバレた亭主と愛人状態。蛇に睨まれた蛙である。


「ところで、ルセイさんはこの国にお仕事で来たのですか? ゼロスさんは領主様に頼まれて街道工事に行ったはずですが、どこでルセイさんと知り合ったのでしょうか?」

『『こ、こえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!』』


 さながら愛人に亭主のことを詰問する若奥様。

 なまじ普段通りの態度であることが、この最強クラス二人を恐怖のどん底に突き落としていた。

 下手なことを言えば殺されかねない雰囲気だ。無意識なのが逆に怖い。


「い、いやぁ~、実は街道工事の後、要人警護の仕事を請け負ってアトルム皇国に行きましてね。そちらでも別のことを頼まれまして……」

「う、うむ……これは我が一族がどうしても調べなくてはならないことでな。ソリステアまでゼロス殿と共に来訪したのだ」

「国同士の問題であれば、領主様の御屋敷に行くものではないのですか? なぜ、ゼロスさんの家に泊まることになったのかが分かりません」

「ルーセリスさん……サントールの街は交易都市ですよ? この時間帯の宿は、どこも商人や護衛の傭兵達で溢れ返っていますよ」

「それに、この問題は……国は関係ないのだ。そう、我が一族の大事だと思って欲しい」


 有無を言わさぬのほどの迫力で、少しの嘘すら見過ごすまいとプレッシャーが絡みついてくる。

 ここで下手に誤魔化せば、こちらの身が危うい気配が立ち込めていた。もはや逃げられない。

 ゼロスは静かに息を吐くと、恐怖に慄く自分の心を鎮める。

 リーマン時代のプレゼンテーションで、この手の重圧から逃れるすべを身に着けていた。しかしここからが問題である。

 言葉を濁すか、或いは誠実で行くか決めなくてはならない。なぜならこの問題にはルーセリスもかかわるからだ。

ゼロスは覚悟を決める。


「フゥ……。ルーセリスさん、実はあなたに聞きたいことがあります」

「私に……ですか? なんでしょう」

「事は、ルーセリスさんにも係わりがあるかもしれない問題です。真剣に聞いてほしい」

「は、はぁ~……?」


 マジモード全開となったおっさんの気配に、ルーセリスは困惑する。

 この時点で自分に係わることなど理解できないからだ。


「単刀直入に言います。ルーセリスさんを幼い頃から知っている人物――以前に聞いた司祭殿と合わせてほしいんですよ」

「メルラーサ司祭長様と、ですか? それは、どうして……」

「ここにいるルセイさんが、ルーセリスさんの実の姉かも知れないと言えば、理解できると思います」

「!?」

「ゼ、ゼロス殿!? それは……」


 ルーセリスはゼロスが何を言いたいのか理解できた。

 ルセイもできれば知られないように隠密行動で行きたかったが、プレッシャーを掛けられ事情聴取されては内密にしておくわけにもいかない。

 しかし、まだ迷いがあった。

 ルーセリスの過去を知ることで血縁関係をはっきりする。しかし血縁関係が判明したとして、ルーセリスが妹だと分かればこのまま神官として孤児達の世話をさせておく訳にもいかない。

 末席とはいえ、皇族になるからだ。

 人生を狂わせておきながら、またも人生を狂わせることになりかねないのである。


「あの……ルセイさんが私の姉というのは、どういう……。私はルーフェイル族ではありませんよ?」

「そこが大本なんですよ。そして、ルーセリスさんは嫌な事を知ることになります。もちろん今の時点で血縁関係は判明していない。ですが、ここから先を聞くのはルーセリスさん自身が決めなくてはいけません」

「あっ、だから司祭長様とお会いしたいと……」

「そういう事です」


 ゼロスはルーセリスに、二つの選択肢を示した。

 傷つくかもしれないが自分のルーツを知るための道と、過去を知らないまま今までのように何事もなく生きる道だ。事がルーセリス自身にまつわる話であるなら、それを知る権利は彼女にもある。

 しかし、ゼロスがこういう切り出し方をした以上、自分の過去には辛い現実が秘められているという事だ。だからこそ選択肢なのである。

 過去を知りたければこのままゼロス達から話を聞き、知りたくなければ司祭長にルセイを紹介する。自分の過去の問題なだけに、どちらを選ぶかはルーセリス自身で決めねばならない。

 そして、選択肢という形はゼロスなりの配慮と優しさからであった。


「聞かせてください」と、ルーセリスは静かに言った。


「いいんですか? それが凄く腹立たしい嫌な話になりますが……」

「それでも聞かせてください。これが私自身の話なら、逃げる訳には行きません」

「……わかりました。僕が知る限りのことを伝えましょう」

「ゼロス殿っ!?」


 ルセイとしては血を分けた妹を抱きしめたい。しかし、事の問題から傷つくのは分かり切っている。

 今が幸せであるなら、過去を切り捨てても責められはしない。

 何しろ、イマーラ家はルーセリスにそれだけの事をしたのだ。疑念から謂れなき罪を被せられ放逐するような、会った事のない家族の話など切り捨てても文句は言われまい。

 だが、ルーセリスはその選択を選ばなかった。


「本当に良いんですね? 正直、胸糞が悪くなりますよ? くだらない風習が齎した悲劇ですから」

「それでも、私は逃げたくありません。過去があるからこそ今の私がありますから」

「だそうですよ? ルセイさんよりもよほど覚悟が決まってますねぇ。即決です」

「……強いな。私は、正直怖い。十九年という歳月が立ち、いまさら真相を告げられてもルーセリス殿もつらかろう。この罪は我らが背負うべきもののはずだ」

「私は、なぜ孤児となったのか……ずっと知りたいと思っていました。だから、この日が来るのは以前から覚悟していましたし、逃げる気もありません」


 親のいない孤児であるなら、一度は自分の親の事を知りたいと思うだろう。

 ルーセリスもまた、そんな孤児だった一人だった。元より逃げる選択肢はなかったのである。


「分かりました……。では、ここからは冗談抜きで本気で話します。ですが、まだ血縁関係がはっきりしていないという事だけは頭に入れておいてください」

「はい、お願いします。私の……過去に起きた事を教えてください」


 覚悟はしていたのであろうが、いざその時が来ると怖いのであろう。

 ルーセリスは胸元で両手を握り合わせ、ゼロス語られる真実を必死になって聞き入れる。

 自分が生まれた事により母親共々追放され、その母親は真実を求めてこの地にまで決死の思いできたが行方不明。ゼロスの知る知識で冤罪だと分かったが、追放された母子はどこにいるかすら分からない。

 その子供が自分であり、母親は依然として消息不明のまま。そして真実の鍵を握るのがメルラーサ司祭長という事であった。

 長い話が終わると、ルーセリスはどこか疲れた表情でゼロスを見つめてくる。

 

「つまり、私が生まれたせいで母が謂れなき罪を背負わされ、アトルム皇国から追放されたという事ですか……。予想以上に酷い話ですね」

「しかも、それが冤罪であると判明したのがゼロス殿のおかげだが、同時に我々が取り返しの過ちを犯したという現実を突きつけられた。自業自得だな……」

「それで、母親の行方を知る手掛かりを知りたくて、ルセイさんはこの国に派遣されたんですよ。過去と向き合うためにですがね」


 ルーセリスも、ルセイの気持ちはなんとなくわかる。

 おそらくは、周りの人達から不義を働いた罪人の娘として見られていたのだろう。だからこそ母親の行方が知りたくてここまで来たのだ。

 その罪が冤罪だとしたら、迎えに行かなくてはならないと決心したと思われる。


「父上は立場上、国を出ることができない。本当は自分の手で母上を探したいのだ」

「そう……ですか」

「落ち込むのは後ですよ。今は現状証拠しかない。決定的な確証がない状態です」


 セロスは冷静だった。

 これはあくまでも現時点で判明している事の報告であり、確たる証拠はないに等しい。

 DNA鑑定でもすれば一発で分かるのだろうが、この世界にそんな技術は存在しないのだ。

 結局、証拠は自分達で探すことになる。


「捜査の基本は足だぜぇ、ヤス!」

「「・・・・・・・・・」」


 おっさんはどこかの刑事ギャグをかますが、そんな雰囲気ではない。

 できれば『ヤスって、誰?』とツッコミを入れてほしかったが、重い雰囲気の中でそれを求めるのは間違いだろう。

 せめて空気を読むべきであったが、今はただギャグが滑ったことに哀愁が漂う。

 スルーされて寂しいおっさんであった。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 ルセイを寝室に案内した後、ゼロスはルーセリスを送るべく玄関先に出た。

 後ろ姿で表情は見えないが、かなりショックを受けているのが分かる。握られた手が微かに震えているのが見えた。


『まぁ、仕方がないか……。僕なら逃げてるな。面倒でややこしい話だし……』


 過去と向き合う覚悟を決めたルーセリスは立派だと言える。

 だが、その話の内容から彼女の受けた痛みは相当なものであろう。何しろ翼を持たない種族として生まれたがゆえに母親が窮地に立たされ、更に国外追放だ。

 ルーセリス自身が悪いわけではないが、ルーンフェイル族として生まれていればこんな悲劇にはならなかっただろう。しかも母親の行方は不明のまま。

 ついでに血縁関係が判明すれば、面倒な家督相続争いにも巻き込まれる事になる。


「『大丈夫ですか?』というのは、些か不謹慎ですね。あんなふざけた話を聞かされた後で、動揺しないわけがない」

「そう……ですね。確かに動揺しています。私が生まれたせいで母が追放されたなんて……」

「それは違いますよ。要は彼等の知識や技術が衰退したことと、他者を疑り真実を知ろうともしなかった短慮な行動が原因です。そもそも、生まれてくる子供は場所や姿形など選べませんしね」

「生まれてきたことは、罪ではないというんですか?」

「そもそも、罪などどこにあるんですかねぇ? 僕にはそこが分かりませんよ」


 ゼロスとしてみれば隔世遺伝は予測できないものであり、生まれてくる子供だけでなく、親もどうする事も出来ない自然現象だ。

 愛し合うことで生まれる命に罪などありはしない。裁くなどナンセンスだ。

 あえて言うのであれば、祝福されるべき命に対して悪意を向ける環境こそが裁かれるべきものであろう。

 翼の有無もなどは表面的な話でしかなく、下卑た疑念や侮蔑の嘲笑を向ける要因こそが問題であった。


「まぁ、後は司祭殿に聞いてみなくては分かりませんし、血縁関係がはっきりするのはその後ですからね。思い詰めても損するだけですって。過ぎた過去はともかく、今を見ましょう」

「前向きですね。ですが、当事者としては結構辛いですよ。もし、ルセイさんとの間に血縁が判明すれば……」

「判明したところで、今の生き方を捨てられるんですか? 武家の血統だからと言って、すべてを受け入れる必要はないんですよ」

「自由にしても良いと言うんですか?」

「当然でしょう? ルーセリスさんの今を否定するだけの権利などありませんよ。いざとなれば、僕でもルーセリスさんを守るくらいはできますし、寧ろオーバーキ……ル?(おや?)」 


 万が一の事態を想定し、ルーセリスを守るためにアトルム皇国の将軍クラスを相手にする。そう考えた時、ゼロスは自分の力がどれほど規格外かを思い出した。

 ルセイのような高レベル数人が相手だと手古摺りそうだが、一般の兵力程度なら余裕で勝てそうな気がした。単騎で国を落とす事も可能かもしれない。


『あれ? もしかして、僕はこの世界で最も危険な存在じゃないんですかね? 世界を相手に戦争……考えたくないな』


 ルセイのレベルは大体900程度、勇者相手なら楽勝だろう。一騎当千。

 だが、これがゼロスに当て嵌めると魔王と言っても過言ではない。一方的な蹂躙になる。

 めんどくさいから適当にのんびりダラダラしているだけで、その気になれば世界を変える事など簡単にできてしまう。その時点で邪神と大して変わりがなかった。

 おっさんの背中に冷や汗が流れる。戦いになれば上手く手加減できるか、そこが問題だった。


『【ソード・アンド・ソーサリス】の戦争イベントで十万の騎士団を蹴散らしたけど、もしかして無双できんじゃね? オーバーキルどころじゃねぇ―ぞぉ!? 【闇の裁き】を使ったら国なんて亡ぼせるじゃん!! やべぇ……燃える――いやいや、大量虐殺だよ! 人としてマズイ』


 ちょぴり燃える展開に期待したが、規格外な強さは核レベルだ。

 ゲームやらラノベなら話の展開的に一方的な蹂躙などもアリだが、そんなことをしたら逆にルーセリスが追いつめられる。他人を思いやれるルーセリスには犠牲となる命の重さに耐えられるわけがない。

 ゼロスとアトルム皇国の戦士団がぶつかれば、傷つくのはルーセリスだ。


『これは、相当デリケートな問題だ。守るつもりで戦ってもほとんど楽勝だが、犠牲者が出るのは望まないはずだ。返って追い詰める結果になる気がするしなぁ……』


 守るにしても実家に連れていかれるにしても、結果は同じだと気づいてしまった。それほどおっさんは過剰戦力なのだ。

 下手をするとゼロスが強すぎるせいで、ルーセリスがアトルム皇国に向かう可能性の方が高い。

 そんなことを考えていると、いつの間にかルーセリスがゼロスに視線を向けている事に気づいた。そこはかとなくか頬が朱く染まっている。


「ど、どうしました?」

「い、いえ! そ、その……今、守ってくれるって……」

「言いましたよ? ルーセリスさんが望まないなら、アトルム皇国の連中くらい阻止して見せますよ」


 そう言った瞬間、ルーセリスはそのまま顔を俯かせ、突然ゼロスに抱きついた。


「とっ、ど、どど……どうしたんですか!? いきなり……」

「すみません……少し、少しの間で良いんです。このままでいさせてください……」


 肩に手を触れると、ルーセリスが震えていた。おそらくは不安だったのであろう。

 イマーラ家はアトルム皇国から代々続く武人の家系であり、しかも母方が皇族。その血族が異国の地で、敵国である国教宗派の神官として生活していることを快く思わないだろう。

 ルーセリスの意思を無視して連れ戻される可能性が高い。外交などを利用して、彼女の決めた道を権力により強制的に奪う権威を持っているのだ。

 国家権力を相手にした場合、ルーセリス個人の力では太刀打ちできるわけがない。

 だが、そんな自分を『守る』と言ったゼロスに、胸の高鳴りが抑えきれず衝動的に抱き着いてしまった。

 ゼロスもそんなルーセリスの気持ちを察してか、無意識にだが優しく抱きしめる。


『不安にもなるだろうな。突然に『貴方は皇族の血を引く武家の一員です』なんて言われても、混乱するだけだろう。今はこのまま落ち着くまで……ん?』


 視線を感じて辺りを見回すと、家の脇に重ねられた稲山の横から、こちらを覗きこむ者達の姿があった。

 パワフルな孤児達が、もの凄く期待のこもった目でデバガメをしていた。

 おそらくは気配を消す【隠形】スキルも使っている。


「おっちゃん、そこだ! チューしろ!!」

「シスターは優良株だぞ。今の内に手籠めにするんだ、男だろぉ!」

「ふむ……来年にはしすたーの子供が見られるか? 某はぜひとも姉上と呼ばれてみたい」

「お姉ちゃんか、アタシも呼ばれてみたい!」

「今夜は肉の宴……。こんがり燃え上がって美味しく食べられちゃうんだ」

『おいおい……。君達はどこの覗き常習犯だ? まさか、毎日同じことをしてないよな?』


 まだ稚拙だが、気配を消す技術に妙に長けている。しかし既に発見されている。

 ゼロスから見れば未熟の域を出ないが、少なくとも子供が使えるレベルではない。

   

「ヤバイ、おっちゃんに見つかった! アタシは逃げる」

「チッ! やっぱりおっちゃんにはバレるか……修行が足りないな」

「見つかったというなら、堂々と斬れば良い。隠れるなど矜持に反する」

「いや、斬ったらだめだよ!? 肉になっちゃうよ? 美味しく食われちゃうよ!?」

「おっちゃんは食人鬼か? 人間は食わんだろ。それよりも離脱ッ!!」


 気づかれていると分かった子供達は、逃げ足が速かった。

 魔力による身体強化も併用し、全速力で走る。実に見事な戦線離脱だ。


「なんて逃げ足の速い……。見事と言っても良いだろうねぇ。おや? ルーセリスさん、どうしました?」


 後に残されたのは呆れるおっさんと、いまだゼロスに抱き着いているルーセリス。

 気のせいか、彼女の震えは先ほどよりも激しくなったいた。そして――。


「ひゃにゃぁ~~~~~~~~~~~~~~っ!!」


 ――羞恥が込められた悲鳴を上げ、夜空に響き渡る。そして全力で走り出した。

 この時、おっさんは確かに血筋というものを確信したのである。

 ヘタレという濃い血筋を……。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「……なんで、なんで私には男ができないのだ? この世は不公平だぁ……うぅ」


 一部始終を二階から見ていたルセイは、妹かも知れないルーセリスが羨ましかった。

 彼氏いない歴、二十一年。婚期を逃している彼女の問題は、いよいよを以て深刻になってゆく。

 こればかりは頑張れとしか言いようがなだろう。

 彼女に春が来るかは定かではない。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 四神教において、神官には複数の派閥が存在する。

 権力志向に憑りつかれた【権力派】、民に施しをすることを第一とした【穏健派】、他にも【原理主義派】とか【改革派】など数を挙げればきりがない。

 その中で最も勢力を伸ばしているのは【権力派】であり、派閥としても認められていないのが【狂信派】、つまりは【血連同盟】と呼ばれる者達である。

【狂信派】は【権力派】の勢力が大きくなると同時に肥大化した派閥であり、四神を盲目的なまでに信奉する頭のおかしい連中である。

 なぜ彼等が勢力を伸ばせたかと言えば、要は汚れた仕事を押し付けるにはちょうど良かったからだ。

 盲目的に宗教に傾倒しているという事は、逆に言えばもっともらしい言葉を並べ立て誘導し、駒として扱うには実に最適な連中だったのだ。

【権力派】が彼等を相応に優遇するのも、『神の啓示』と称して動かせばどんな卑劣な事もやってのける。

 例えば孤児達を彼等の集まる神殿に押しけ、都合の良い手駒に教育したり、政治情勢の安定しない他国に布教を名目にした情報収集をさせたりと、面倒事をすべて任せている。

 そんな【血連同盟】を監視させている部署が異端審問官だ。

 表向きは戒律を破った神官を処罰させる部署だが、実際は異教徒を殺戮させるための拷問部隊。快楽殺人者を奴隷契約で縛った神官とは名ばかりの者達である。

 そして、現在彼等は森の中で【血連同盟】の狂信者達を遠目で監視していた。


「ヒィヒィヒッ、馬鹿共が良いように使われてるぜ。どうせ死の事になるとも知らず、健気だねぇ~」

「今回は殉教だからな。奴等は嬉々として神の御許にいくとよ。死んだら終わりだと分からんのかねぇ」


【血連同盟】に所属する神官達は、小瓶に入れられた液体を森の中にまき散らしていた。

 この瓶こそ【邪香水】と呼ばれる魔物を引き寄せる効果を持つアイテムであり、各国から使用を禁止されている魔薬の一つである。

 雨が降らなければその効果は一ヶ月以上も持続し、その間無数の魔物がこの地で殺し合いを始める。

【血連同盟】の神官達は【ヘルズ・レギオン】の脅威から神国を守るため、同時に神敵であるソリステア魔法王国に罰を下すために殉教を命じられた。


 ソリステア魔法王国までの道のりは長く、そこに至るまで邪香水で【グレート・ギヴリオン】を誘導するのが目的である。

 なぜソリステアを狙うのかと言えば、魔導士は神の教えを否定する存在で、その魔導士の国の存在を許しておけないからというのが名目だ。

 だが、本当の理由はソリステア魔法王国に誘導する方が被害が少ないからだ。

 ソリステア魔法王国は東に位置する小国で、後方はなだらかな山岳地帯によって囲まれ、南側にはファーフラン大深緑地帯に続く平原が少しある。

 山沿いにギヴリオンを誘導すればメーティス聖法神国の街が襲われる事もなく被害も最小限に抑えられ、何よりも厄介な政敵国を排除できる。

 多くの狂信者を犠牲にすることで、仮想敵国と国内の問題を一気に片付けようという事だ。


「おっ、先鋒が来たみたいだぜ? んじゃ、逃げますかい」

「だな、虫の相手などする気にもなれんし、さっさと退散するか。お楽しみはまだ先だからな」

「ヒへへへ、違ぇねぇ。これからたっぷり人が殺せるのに、こんなところで死ねるかよぉ」


 異端審問官は馬に乗り、その場から撤退した。

 それから直ぐ、誘導されたギヴリオンを含めたGの魔物は、狂信者達を餌として襲い掛かる。

 生きながらに食われる狂信者達の叫びが、森の各所で響き渡った。

 やがてこの群れは各所で同じように誘導され、ソリステア魔法王国に向かって進んで行く。


 だが、ここで大きな誤算が生じる。そもそも魔物の暴走やヘルズ・レギオンは、強力な魔物の存在に追われたり、過剰繁殖により食糧不足から始まることが多い。

【邪香水】の効果が確かに強力だが、効果範囲は決まっており、範囲外の巨大ゴキブリは前進を続ける。こうした群れは広い土地では食料を求め、徐々に拡散して行くのだ。

 ソリステア魔法王国に迫るヘルズ・レギオンは、メーティス聖法神国を襲った時よりも数が少なくなるのである。この作戦は確かに成功したのだが、完璧とまではいかなかった。

 拡散した眷属であるチャバネコックローチやヤマトギヴゥリが、国内に大量に残され国中に広がっていった。

 悪巧みは必ずしも成功するとは限らないのである。

 

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