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聖法神国の災難

 ここで少し、この世界の事を説明しておこう。

 多くの人種が生活する領域、その領域は世界から見れば小さな大陸程度の広さでしかない。

 面積で言うのであれば、オーストラリア大陸くらいであろう。東から北にかけて山脈が聳え立ち、そこから先にある広大な未開領域、ファーフラン大深緑地帯が広がっている。

 山脈はソリステア魔法王国の辺りから始まり、アトルム皇国は完全に山脈内にある盆地だ。隣国であるイサラス王国はメーティス聖法神国がある平野部からは安全に行けるが、その山間を横切るかのようにオーラス大河が流れていた。

 普通に見て比較的になだらかな山並のソリステア魔法王国が危険地帯に面している国と言えるのだが、実は魔物の襲撃に関して最も危険な国がメーティス聖法神国なのである。

 その大きな理由が【邪神の爪痕】と呼ばれる渓谷で、アトルム皇国の直ぐ傍をえぐり取る形でメーティス聖法神国のまで延び、凶悪な魔物がファーフラン大深緑地帯から現れるのである。

 オーラス大河も上流になると川幅が狭まり、防衛の意味をなさない。飛行できる魔物相手では尚更であろう。


 アトルム皇国は周囲が山に囲まれた盆地で、いわば天然の要塞国家。イサラス王国側も三方向が険しい山間に囲まれ、メーティス聖法神国側のみが唯一の交易ルートとなっていた。

ソリステア魔法王国側は強力な魔物が現れるが、その大半は力がなく大深緑地帯から追われた魔物が殆どなのだ。災害級の魔物が現れる事など1000年に一度の割合である。

つまり災害規模の被害をもたらす魔物が我が物顔で現れるルートは【邪神の爪痕】以外にはなく、先のアトルム皇国侵攻の際に現れた魔物が邪神の爪痕を進群し、メーティス聖法神国を蹂躙し始めていた。

 魔物の名は【グレート・ギヴリオン】。名の通り巨大なゴキブリである。

 その巨大な魔物は大規模な眷属を引き連れ、今一つの都市に迫っていた。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 この日、傭兵ギルドに一人の傭兵が姿を現した。

 彼は今にも倒れそうなほど憔悴し、多くの傭兵が見守る中で息を乱しながらも、必死にその言葉を絞り出した。

 それが悪夢の始まりであると、この時は誰も知らなかった。


「へ、ヘルズ……レギオン……。今……奴等は、この……街に………」


 その一言で、騒がしかった傭兵ギルド支部は静まり返る。

【ヘルズ・レギュオン】。それは破滅をもたらす最悪の言葉であり、悪夢の始まりを告げる鐘であった。

 凶悪な上位の魔物を筆頭に、下位の魔物が群れを成し蹂躙する。魔物の暴走以上に凶悪で、天災規模で被害を及ぼす最悪の事態である。

 その名の通り地獄の軍団となる。


「へ、へルズ・レギオンだとぉ!? それで、レギオンを引き起こした魔物はいったい……」

「グレ……グレート………ギヴリオン……。既に……複数の村が……」

「な、なん……だと………?」


 グレート・ギヴリオン。

 最大で百メートルを超す個体がいると言われる昆虫型の魔物である。

 厄介なのはギヴリオンが産み落とした卵であり、一つの卵から数千匹の同系統モンスターが発生する事だ。生まれて直ぐに餌を求め、他の動植物を喰らいつくす。

 主にダイ・コックローチとか、キングチャバネと呼ばれる種が多く、これが群れを成して集落に押し寄せる事になる。人間など骨も残らず捕食されるだろう。

 ゴキブリ型の魔物でゃあるが、この種は恐ろしく暴食であり、成長するまで捕食を止めることなく群体と化して狩りを始める。

 しかも、最大級のギヴリオンにより身を守れるためか、他の下位種は群れから離れようとはしない。

 それが群れで城塞都市を襲う。人間は成す術もなく餌にされ、生きながらに食われる事になる。


「ひ、避難勧告をせよ! 大至急だぁ――――――――っ!!」


 傭兵ギルドは慌ただしく動き出す。

 ギルドマスターの命により領主の元へ緊急事態の報告がなされ、直に街門が閉められ騎士団共々防衛態勢に入ったが、これは悪手と言わざるを得ない。

 ギヴリオンの最大の脅威は、巨体に見合わず飛行能力があることだろう。

 いくら外壁や門を閉じて侵入経路を遮断したところで、壁を上り切るような昆虫にはまるで意味をなさない。更には空から侵入されてはお手上げである。

 厄介なのは、この群体はいずれ複数に分かれ各地に広がり、被害は拡大の一途をたどることになる。

 例え一匹の強さが大したことがなくとも、その数が数千から数万に膨れ上がれば未曽有の大災害と化す。何しろ移動しながらも産卵を行う。街を襲いながらも産卵し、数時間で孵化し群体に合流する。更に数を増して前進を続けるのだ。

 これが人間同士の戦争ならやりようはあるのだが、生物がもたらす自然災害なだけに止める手立てがなかった。そしてまた、一つの街が地図の上から消えることとなる。

 この一報が国都マハ・ルタートにいるミハイルロフ法皇の下に届く間、五つの城塞都市が滅びることとなる。

 メーティス聖法神国の災厄は終わらない。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 ゼロスが勇者達を撃破し、護衛をしながら国都アースラーに向かって街道を進んでいるいる頃、メーティス聖法神国は再び混乱の陥っていた。

 先の地震で国内の復興が遅々として進まず、さらに追い打ちをかけてのへルズ・レギオン。

 この報告が来るまでの間、すでに五つの街が壊滅した。そのいずれも堅牢な外壁に守られた城塞都市であり、他に小さな町や村を合わせるとその被害はどれほどの規模か計り知れない。

 唯一分かる事は、このグレート・ギヴリオンが先のアトルム皇国信仰の折に現れ、神聖騎士団を壊滅に追いやった魔物であるということだ。

 厄介な事に勇者を総動員しても勝てるかどうかわからないほど強く、単体で砦を壊滅させるほどの化け物だ。そんな魔物が群れを引き連れて神の国を脅かしている。


「【トールス】【イクハマト】【ミーツタッタ】【アルハンメル】……そして、【クルフハンベル】。おそらくは既に壊滅しているかと……」

「早すぎる! なんなんだ、この進群の早さは……」

「G……だからな。早いであろう」

「クッ……これでは救援が間に合わん。よしんば間に合ったとしても、勝てる保証はどこにもない」


 最大戦力の勇者達すら蹴散らす魔物だ。神聖騎士団の聖騎士達では勝ち目などない。

 まして国内の復興と治安維持に総動員され、迎撃するにも戦力を集める時間すらないのだ。

 ましてミハイルロフ法皇は宗教かであり、戦術に関しては素人も同然。今まで勇者や他の将軍達がいたからこそ何とか戦争ができていたが、アトルム皇国への侵攻と【ルーダ・イルルゥ戦役】で獣人族に神聖騎士団は壊滅させられ、今は人手が欲しい状態だ。

 その敗戦は現在まで祟り、今や滅亡の危機である。

 

『なぜだ……。なぜ儂の代になって、こんな事に……』


 二十代で法皇の座に就いたミハイルロフは、このわずか数か月の間で引き起こされた災厄に、苦しい立場へと追いやられていた。

 勇者召喚により最大の戦力を得て侵攻したアトルム皇国への神威戦争。

 だが、その戦いで多くの戦力が失われ、立て直しを図るにも時間が足りなかった。

 この戦いで最大の誤算は、アトルム皇国の国民すべてが勇者達に匹敵するレベルであった事だろう。邪神の爪痕を通り現れる魔物と戦っているのだから、嫌でもレベルが高くなる。

 邪教とという名目で碌に仮想敵国の情報を得ず、勇者を当てにして進軍した結果が壊滅的な被害を被ることとなった。そこからがケチのつき始めである。


 なけなしの戦力を投入したルーダ・イルルゥ戦役。だが、ここでも完膚なきまでに敗北し、転生者という強大な敵の存在を知る。

 魔法が苦手な獣人族に要塞規模の魔道具を与える存在は、まさに脅威と言わざるを得ない。すべての責任を勇者岩田に押し付けたが、実際に失った戦力が戻ってくるわけではない。


『ルーダ・イルルゥ平原に侵攻しなければ……。戦力にまだ余裕があった……』


 戦力で言えば獣人に対して余裕で勝てる存在だった。

 神聖魔法は治療と防衛に特化し、聖騎士達の戦力を底上げすることが可能のはずであった。獣人族相手なら今までのようにさほど脅威にならないと判断したからである。

 だが、転生者という存在がその盤上をひっくり返し、壊滅的で痛烈な敗北カウンターを叩き込んだのだ。要塞規模の魔道具が存在するなど誰が予想できただろうか。

 転生者は常識の埒外であり、その時はまだ脅威を知ることなどなかった。いや、そんな馬鹿げた存在がいるなど思いすらしていなかったのだ。

 だが、次に来たのは国内の政治経済を壊滅させるような震災であり、勇者を召喚するための魔法陣を破壊された。これが転生者の仕業と分かり始めてその脅威を知る。

 明らかに自分達を敵視しているという悪意を感じたのだ。


『何とか経済を安定させていた矢先に、コレか……。どこまでも祟りおる……』


 そしてトドメのヘルズ・レギオン。

 既にメーティス聖法神国には、民を守るだけの戦力に余裕はない。

 今も復興作業に騎士達を派遣している最中なのだ。今から戦力を集めるにも、今度は国内の立て直しがおろそかになってしまう。

 しかし、民を見捨てる訳にもいかない。ミハイルロフは何よりも歴史に名を残す事に執着しているからだ。


「なぜだ……。なぜ、こんな化け物が今になって」

「アトルム皇国に進撃した折、この魔物が現れたと報告があるが、まさかその時の奴か?」

「だが、他の魔物も存在が確認されていたはずだ。なぜギヴリオンだけがこちらに攻めてくる」

「まて、確かにアトルム皇国に攻め入ったとき、魔物が群れで現れたのはタイミング的におかしくはないか? まるで、こちらの進行に合わせてたみたいでは……まさか!」

「我々が攻めるのを想定し、あらかじめ魔物を誘導したのか!? 下手をすれば巻き込まれるぞ!」


 この時になって彼等はようやく当時の状況に気づいた。

 アトルム皇国の侵攻は、空を飛べるルーフェイル族に直ぐに発見されるだろう。

 そうなると圧倒的な物量を覆す策が必要となる。その戦力差を埋めるために魔物を誘導し、その生き残りが現在ヘルズ・レギオンとして侵攻し始めた。

 アトルム皇国側は、倒すことが困難な巨体であるギヴリオンを意図的に放置した可能性が高い。

 それだけでなく、壊滅的な打撃を与えた後に痛烈な反撃としての意図があった可能性も考慮できる。仮にそうであった場合、アトルム皇国は魔物の生態にかなり詳しく知っていることになる。


「あの魔族共の強さは勇者に匹敵する。桁外れの魔物と戦っておれば、嫌でも強くなる事だろう」

「待て、仮にそれが事実だとすると、今まで邪神の爪痕から魔物が現れなかったのは奴等に防いでもらっていた事になるのではないか? そんな馬鹿な話が……」

「いや、もしかしたら、我等は大きな間違いを犯したのかもしれん。今までアトルム皇国が魔物を防いでいたとすると、奴等は我等に愛想をつかし魔物を誘導した可能性が出てくる」

「まるで、自分達が居なければ既に滅びていると言っているようだな。魔族共が……」

「だが、状況的に考えるとその可能性が高い。現に我等にはヘルズ・レギオンを止める手立てがない。仮に戦力が無事であったとしても、防ぎきれるかは怪しいものだ」


 何やら不穏な展開になってきた。

 もし司祭達の話の通り【邪神の爪痕】から現れる魔物をアトルム皇国が食い止めていたとすれば、そのアトルム皇国に戦争を仕掛ける許可を出したミハイルロフの立場は危うくなる。教義では『善意には恩で返すことが見徳である』とされているからだ。

 魔族が自分達の生活を守っていたともなれば、異種族を差別してきたことが間違いとなる。そして、自分達の生活を守っていた最大の盾から見放されたことを意味する。

 ちなみにアトルム皇国側は、ただ自分達を脅かす可能性のある魔物を倒していただけであり、メーティス聖法神国を守っているつもりはない。

 しかし、結果的に見れば平原に住む彼等を守っていた事実は間違いではない。

 何しろ災厄をもたらす強力な魔物と常に戦っているのだ。そして、いつでも魔物を誘導して嗾けることができる。

 司祭達がアトルム皇国と敵対するべきではなかったという結論に到達するのは、時間の問題であった。


「確かに……今の状況下を考えればその意見も間違いではなかろう。だが、かの者達は邪教徒である。正しき教えに導かねばならぬのは我等の義務ではないか?」

「ですが、猊下。それで我が国が壊滅しては本末転倒でしょう。我等はもう少し友好的であるべきではなかったのですか? 結果的に今窮地に立たされています」

「ぬぅ……」

「まるで奴等が『身の程を知れ』と言っているようですな。忌々しい……」


 アトルム皇国に対して悪態をついたところで、既に敵対した後なために意味がない。

 彼等はメーティス聖法神国側にいる魔物を倒す気がなく、むしろ滅びるのを喜ぶだろう。それほどのことをしてきたのだから、司祭達に文句をつけられる謂れはない。


「今となってはどうしようもないであろう。問題はこの国難をどう乗り切るべきか……」

「他国に救援要請をしては? 神の恩恵が授かれると知れば喜んで手を貸してくれるでしょう」

「無理でしょう。周辺国では既に我が国の不信感を持たれ、更に回復魔法の販売が始まっています。このままでは神聖魔法の価値まで下がりましょう。由々しき事態ですわ」

「おそらくは援軍を派遣する事はないであろう。貴重な戦力を無駄に消耗させる訳がない」


 神官による魔法治療はかなり高い。神官と司祭の間には使える魔法に大きな開きがある。そのために緊急事態が起これば司祭が優遇され、回復魔法を多く使えるために他国が重宝するほどであった。

 神聖魔法で治療する者達は貴族や裕福層の商人、或いは王族に限られている。一般の民に治療を施すような神官は少なく、一般市民は神官が調合した薬や下位の回復魔法の世話になることが多い。

 だが、それでも治療費が払えない民が多かった。そこには財政を潤すためという打算があり、他国の民に対してボッタクリを行っていたのである。

 貧しい者達に施しを行う神官の殆どは、ミハイルロフが表向き布教を名目にし不穏分子を他国に放逐した者達であり、メーティス聖法神国に対して少なからず不満を持つ。

 とても救援に尽力してくれるとは思えず、下手に救援要請をしたらこの機に乗じて政治介入してくる可能性が高い。百歩譲って急を要する状況下で救援の知らせたとしても時間が足りない。

 事実上、内にも外にも敵を作り続けるような政策を行っていたので、他国に送り出された神官達は殆どが永住を決め込んでいるのが現状だ。手を貸してくれたとしてもその前に国が滅びかねない。

 国土の広さが仇となっていた。


『仕方があるまい……迂闊に動く訳にもいかない立場であったが、ここは血連同盟の連中に頼るしかあるまい。これ以上の被害だけは抑えねばならん』


 ミハイルロフは、狂信者を動かすことを決めた。

 表向きは異端審問官だが、その実は神の名の下に殺戮を行う危険な者達である。


「異端審問神官長のジョスフォークを呼べ……。今は人手が欲しい」

「奴をですかっ!?」

「どんな手を使ってでも民を守らねばならぬ。そのためなら多少のことは目を瞑ろう」


 異端審問官の筆頭であるジョスフォークは信仰心を持たない殺人者で、その異常性は司祭達ですら危険視される人物である。

 表向きは敬虔な信者とみられているが、実際は人を殺すことに喜びを得る精神異常者だ。

 苦しみを与え、死という慈悲で救いを求める姿を見るたびに愉悦と性的興奮を覚え、命を奪うことで全能感と支配欲に酔い痴れる。

 なぜこのような人物を優遇するのかと言えば、不穏分子を一掃するためだ。

 猛毒を持って毒を制す。だがそれは、信仰心とはかけ離れた場所にあることは間違いない。だが、政治の汚い部分を任せるのはそうした異常者がちょうど良かった。


 そして、しばらくした後に異端審問官であるジョスフォーク司祭長が呼ばれる事となる。

 所詮は使い捨ての駒であることを自覚し、その上で権力者から自分の欲を満たすことを忘れない異常快楽者が、国難を理由に解き放たれたる。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「多少の犠牲は目を瞑るか……。人間相手なら楽しめるのだがな、面倒な事だ」


 見た目は善人そうな細目の中年男性。顔だちも平凡な普通の司祭に見えるが、彼こそが異端審問官を束ねる長であり、血連同盟を監視する役職の司祭であった。

 その見た目からは異なる乱暴な口調が吐き出された。

 血連同盟は過激な狂信者の集まりであった。そこに裏組織でもある異端審問官を加える事により、統率の取れた組織に作り替えたのだ。

 更に免罪符を与える事により、都合の悪い者達を排除する正式な騎士の位を得ていた。

 大本は犯罪者を利用した暗殺組織だが、四神という保証を得た事により非道な行いを正当化され、彼等は嬉々として神罰執行という名の快楽殺人に溺れていた。

 だが、今回の仕事は気乗りしなかった。

 何しろ相手は膨大な数の昆虫型魔生物。いくら犠牲を払ったところで処理できるとは思えない。

 快楽殺人者は苦しみ悶え慈悲を乞う者達を見ることで快楽を得る。何の感情も見せない昆虫を相手にする気はなく、何よりもつまらない仕事であった。

 だが表立って殺人を容認されている立場なだけに、この仕事を降りる訳には行かない。拒否すれば処刑される立場だからだ。


「人を殺せるからこの仕事を引き受けたんだぞ。なんで虫なんかを相手にしなくてはならない……」


 殺人者の矜持というか、彼は人を苦しませることに異常な快楽を感じる人間だ。

 ヘルズ・レギオンを相手にする契約など結んだ覚えはない。こんなことなら街の中に紛れて細々と誘拐殺人をしていた方がマシだと思う。

 逃げる事も考えたが、他国の渡れば真っ先に捕縛され処刑される。

 彼が大義名分の下に殺戮ができるのは、この国だけなのだ。現にある国では指名手配されている身の上なのである。だが、魔物の相手は専門外であった。


 憂鬱になりながらもジョスフォークは地下への階段を下り、地下道の突き当たりにある部屋の扉を開いた。

 そこは所謂拷問部屋であり、同じ異端審問官である司祭達がテーブルの前に集っていた。

 幸いにも今は彼等の拷問を受けているものはいなかったが、血液特有の鉄錆秋雨が漂うよこしまな部屋だ。怪しげな道具が所狭しと飾られており、実に猟奇的で狂気に満ちている。


「ヒィヒヒ、どうしたんだよぉ~、頭ぁ~。やけに浮かない顔だぜぇ?」

「浮かなくもなる……ヘルズ・レギオンをどうにかしろと言われた。俺等にどうしろと言うんだ……」

「うわぁ~、最悪じゃないですかい。俺なら逃げますぜ?」

「俺も逃げたい。楽しく殺せるからこの仕事を引き受けたんだぞ。だが、結果は最悪だ。ギヴリオンなんかどうしようもないだろ。無茶にも程がある……」

「伝説級の最大モンスターじゃねぇですかい。犯罪者予備軍の俺達にゃぁ~荷が重いですぜ」


 群れを成す魔物を相手にするなど、ただの人殺しには荷が重すぎた。

 元より異端者の断罪を名目に拷問を楽しむ連中なのだ。魔物相手では食指も湧かずやる気も起きない。

 逃げるのが一番楽なのだが、【免罪符】の契約の下、彼等はどこに逃げても居場所が特定されてしまう。

【免罪符】とは教義の下に犯罪を行っても罪には問わないというもので、それが通用するのは国内のみである。契約魔法の一種なので定められた条件を逸脱すると体に激痛が走るのだ。

 つまり、彼等は奴隷とさほど変わらない立場だ。優遇されているだけましであろう。


「ハァ~、虫が相手じゃ面白くないわ。子供を切り刻むのが好きなのに……」

「俺だって、女を弄りながら殺すのが楽しみなんだぜ? それがデカいゴキかよ……」

「頭ぁ~、何でこんな仕事を引き受けたんだよ。俺達じゃ無理だろうさ」

「俺だってこんな仕事は受けたくない! だが、免罪符の契約効果で放棄する事ができん!」

「お役所仕事はつれぇ~ですな……」


 快楽殺人に溺れるため拷問するのは得意でも、彼等は傭兵ではない。

 魔物を相手に命懸けの戦いはできない一般人レベルの実力しかなく、人を殺すことに執着する以外は普通の民と変わりない。彼等は役職を失えばただの犯罪者だ。

 そして、契約破棄されれば途端に罪人として処刑される立場だった。


「要するに、使い捨てにする気だ。まったく良い手が浮かばん……」


 ヘルズ・レギオンは強力な上位種を中心に進群するが、中には途中で死ぬ個体もいる。

 尋常ではない数の魔物の集団なので当然食料を確保するのは困難だ。弱い個体は飢え死にし、その屍を同種族が喰らいつくすことで強力な魔物へと変化してゆく。

 やがて本能から群れが分散し、複数の軍団となって国中に広がっていくのだ。

 今は未だ群れが分断する前だが、群れが拡散されては手が付けられなくなる。そのため早いうちに殲滅するのが常套手段なのだが、それを行えるものが一人もいなかった。

 戦力が足りないから彼等にお鉢が回ってくる事になった訳で、殺人者に魔物を何とかしろと言ったところでどうしようもない。


「だったら、他国に丸投げしちゃえばいいんじゃない?」

「なに?」


 八方塞がりのジョスフォークに進言したのは、最近になって異端審問官に回されてきた一人の女であった。柔和な顔立ちの黒髪美人だが、自分達と同じ腐った人間であると本能的に分かる。

 ソリステア魔法王国で暗殺業をやっていたらしく、指名手配されたために聖法神国まで逃れてきたらしい。金銭欲に異常なまで執着し、欲しい物があれば殺して奪う事すら厭わない。

 暗殺者としての力量が優れていたため、異端審問官にスカウトされた。


「丸投げとは、どういう意味だ? 魔物の群れを操ることなどできんぞ」

「誘導はできるわよ? 【邪香水】を使えばね」

「しかし、我等にも犠牲が出る。俺はまだ殺したりないからな、死ぬ気はない」

「血連同盟だっけ? あの狂信者達を使えば、喜んで引き受けてくれるわ。『邪教と共に魔物を嗾けろ』と神託が下されたと言えば簡単よ?」

「なるほどな、どのみち信仰に狂った連中だからな。喜んで死んでくれるか」

「あとは、どこかの町を占領して楽しみましょ。何をしても良いんでしょ? 殺し放題じゃない」


 その一言で、殺人者達の目に危険な光が宿る。

【邪香水】は魔物を引き寄せる禁断の秘薬だが、同時に【魔避香】と呼ばれる魔物避けの香水がある。

 これを利用すれば小さな町くらいなら安全圏にすることができるだろう。レギオンが発生している中、安全な場所で猟奇的な殺戮に酔い痴れることができる。

 実に魅力的な提案であった。


「ヒィヒャヒャヒャ! ご機嫌な提案だなぁ~、しばらく殺しはご無沙汰だからちょうどいいぜぇ」

「ククク……そうだな。手段は問わないと言ってんだ。ここは存分に楽しませてもらおう」

「子供が……また、子供が殺せる。ヒヒヒ、思わず勃っちまったぜ。ゲヒヒヒ♪」

「あっ、金目の物は私が貰うわよ? あなた達は殺したいだけなんでしょ?」

「そんな手を思いつくとはな、怖い女だ。金目の物は半分くれてやる。殺戮だ……また殺しができる」


 イカレていた。

 彼等は殺人に異常な快楽を覚える狂人だ。偶に血連同盟の者を拷問にかけることがあるが、基本は無抵抗な者を殺すことで悦楽を覚える。

 今回は国が滅亡するほどの大事であり、その中に拷問で殺された遺体があっても魔物が処分してくれる。

 国が滅亡するような大事の中では、些細な問題として処理されることだろう。


「そうね……。できればソリステア魔法王国に仕向けるのが良いわ。あの国の村や町が滅びても、この国には何の不都合もないでしょ? だって魔物が勝手の攻めてきているだけなんだもの」

「クハハハハハハ! その通りだ。そうと決まれが直ぐに行動するぞ。楽しい宴の始まりだぁ!!」


 ジョスフォークが獣のような顔で高らかに指示を下す。

 悪意は動き出した。しかし、ソリステア魔法王国はまだこのことを知らない。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 大迫麗美。プレイヤー名を【シャランラ】。

 この世界に放り出された転生者の一人で、俗にいうビッチだ。

 彼女は弟の聡――ゼロスに借金返済の金を借りに行ったが、自給自足の生活をしていた為に断念せざるを得なかった。

 その後、闇金の取り立て屋に追われながらも各地を転々とし、たまたまコミケ帰りのオタクを誑し込み居候となった。【ソード・アンド・ソーサリス】を始めたのはこの頃だ。

 口八丁で家主をよいしょし、自分は健気な良い女を演じながらも一日中遊んでいた。当然だが彼女のアバターは盗賊で、そこから暗殺者にジョブチェンジを果たす。

 PKを行い装備やアイテム類を一銭もかけずに手に入れるなど、ある意味ではやり手のプレイヤーとなっていく。二つ名を【殺し屋メグちゃん】。

 この世界に飛ばされた時、彼女はある上位プレイヤーを狙っている最中であった。

 そして、この異世界で彼女は最悪の存在と再会する。そう、彼女の弟で最上位プレイヤー。【殲滅者】の二つ名を持つゼロスである。

 出会って早々バイクに轢かれ、問答無用で殺しにかかってきたのだ。しかも実に良い笑顔でだ。

 更に問題は彼女が【回春の秘薬】で若返った事だろう。

 この秘薬は実は欠陥品で、使用者を確かに若返らせるのだが、若返った分だけの年齢の二~三倍老け込むという副作用があったのだ。

 要するに寿命を縮めることとなる。

 秘薬の効果を打ち消すアイテムを持っていると一方的に決めつけ、ゼロスを探すべく各地を彷徨っていたのだが、公爵家の血縁者を暗殺しようとした罪で指名手配された。

 結果、彼女はソリステア魔法王国から逃亡するしかなかった。残りの寿命も限られており、時間の猶予がないありさまである。

 

 そして現在――。


「うふふふ……聡、必ず燻りだしてやるわよぉ~」


 ――彼女はゼロスに逆恨みしていた。


【ソード・アンド・ソーサリス】のプレイ中、彼女は【殲滅者】全員にPKKされたことがある。

 しかも、呪いのアイテムを強制装備させられ、世界樹の上から同じPK職共々逆さ吊りでロック鳥やデミ・ワイヴァ―ンに生きながら捕食された。

 更にその呪いのアイテムは外すことができず、PKする毎にゲージが溜まり、限界値が来ると自爆する仕様であった。【殲滅者】の一人は【イデの呪い】と言っていた。

 死に戻っても呪いの効果でステータスが初期レベルまで引き戻され、ついでに髪型がボンバーするというお笑い効果もついていた。実に芸が細かい。

 一目でPKだと判別できてしまい、他の賞金稼ぎプレイヤーから追われる事となる。

 現実では借金取りに追われ、ゲームでは賞金稼ぎに追われ、異世界では死神に追われる。

 救いようがないが、自業自得なのだから仕方がない。しかし、どこまでも自分に甘い彼女はゼロスを恨むことでしぶとく生き長らえていた。


「弟なんて利用するだけの存在よ。それなのに私に逆らうなんて、今に見てなさい。必ず復讐してやるわ!」


 本当にどうしようもない人物だ。

 だが、彼女は忘れている。弟が【殲滅者】であることを……。

 そして、ある意味で彼女の最大の理解者であることを。

 何よりも、レベル差に圧倒的な開きがあることを彼女は知らない。所詮彼女はゲーム廃人ではないのだ。

 成功率が低い無謀な復讐劇が始まろうとしていた。


 

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