姫島佳乃の追憶
二年前、メーティス聖法神国はアトルム皇国に侵攻を開始した。
戦況は至って順調、多少の抵抗はあっても圧倒的な物量にて戦線を押し返していた。
その侵攻速度は思っていたよりも早く、アトルム皇国のほぼ中央領域内まで支配領域を広げ、あと少し押し返せば勝利は確実のものとなるはずであった。
だが、その状況に異を唱えるものが一人いたのである。
彼の名は【風間 卓実】。勇者の中で唯一の魔導師であり、最弱の存在でもあった。
そのためか、彼の発言力は他の勇者達よりも極めて低く、魔導師であることから神官達には毛嫌いされる中、卓実の表情が日を追うごとに真剣なものに変わってゆくのを【姫島 佳乃】は見続けていた。
そんな卓実は、侵攻作戦の指揮官である【岩田 定満】に会い直談判をするために本陣を訪れる。
彼は戦況があまりに好調に進みすぎ、罠の可能性が高いと判断したからである。だが……。
「あぁ? 罠かもしれねぇだと? 関係ねぇよ、罠なら食い破れば良いだろ。馬鹿かてめぇ」
「岩田はおかしいとは思わないのか? 街や村には人一人いない、それどころか食料なども回収して、こちらが得られるものが何もないじゃないか!」
「びびって逃げただけだろ。んなくだらねぇことを言ってんじゃねぇよ。今は最高の好機じゃねぇか」
「それが罠でないと何で言い切れるんだ。『常に最悪を想定する』戦略の基本だよ!」
「てめぇ、誰に向かって偉そうな口叩いてんだよ。勇者は最強なんだろぉ? その勇者の中で俺は最強だ。だったら、魔族なんて連中は雑魚じゃねぇか」
卓実の忠告を定満が聞くことはなかった。
最後まで食い下がった卓実を定満は殴り飛ばし、神聖騎士団は侵攻を続けることに決まる。
そんな現場を見ていた佳乃は、卓実の手当てをしているときに彼の行動がらしくないので、尋ねててみることにする。
卓実は普段から突然いなくなり、たまに書庫で何かを調べていたのを知っていたからだ。
「大丈夫、たく……風間君?」
「うん、俺は大丈夫……岩田の奴、馬鹿の癖して思いっきり殴りやがって」
「でも、何で岩田君のところに行ったりしたの? 普段は近づいたりしないのに……」
「敵の動きがおかしいんだ。空からの奇襲、誰もいない村や街……一見すると勝っているように思えるけど、大きな見落としがある」
「見落とし? でも、この戦いが終われば帰れるんだよね? なら、少しでも有利なうちに侵攻するべきじゃないの?」
卓実の表情はいつも以上に真剣なものに変わる。
そして彼は、重い口を開いた。
「……それは、どうだろうね。俺には神官の連中が信用できない。あいつらは……俺達を利用しているだけだと思う」
「どうして……そう思うの? 何か根拠があるとか」
「まず召喚のことだけど、なんで全員が未成年なんだと思う? 調べてみると、召喚された勇者は俺達と同じ年代か、あるいは少し上の年頃なんだよ」
「えっ? でも、召喚するなら若い年代が適応力が高いという話だったけど?」
「環境適応能力? そんなの、スキルさえ覚えればどうにでもなる。別に俺達みたいなガキでなくても良いはずだ」
「じゃぁ、どういうことなの? 風間君の言い方だと、意図的に年齢で選んでいると言うことになるよ?」
「きっと、洗脳するにはちょうど良い年頃だからだよ。好待遇で甘やかせば、皆その状況に順応して考えなくなる。ましてや剣と魔法の世界だよ? 夢見がちなガキは都合の良い夢に溺れる。【勇者】って夢にね」
その言葉に、佳乃の背中は凍り付いた。つまりは異世界の子供を召喚して、贅沢をさせて甘やかせる。
神官達の目的は、贅沢の中でしか生きることができないように環境に依存させることで、都合の良い戦力の駒として勇者を使うということになる。卓実が言っていることには説得力があった。
それほどまでに好待遇で、それ故に胡散臭いと判断していたのだ。
「岩田や佐々木を見てみなよ。アイツらはすっかり今の状況に溺れている。帰りたくないとか言ってたしさ」
「じゃぁ、私達は帰れないの? あの人達が言っていることは全部嘘なの?」
「多分ね。そもそも勇者を召喚するにしても、この世界の外側にはどれだけの世界があると思う? ほぼ無限に近いと思うんだ。そんな中から特定の人物を複数召喚するなんて無理だよ。一定の年齢範囲と人数設定だけで、召喚する世界を選ぶなんて事はできないと思う」
「でも、それだけで帰れないってことはないと思うよ? 確信も持てないし」
「問題は時空に穴を開けるのに、いったいどれだけのエネルギーが必要かって事だよ。勇者が召喚されたのは三十年前。そして……彼等が帰ったという記録はどこにもない」
「うそ……」
卓実の言葉は佳乃にとって衝撃だった。
どうやって調べたのかは分からないが、卓実は勇者召喚に関する情報を探しだし、密かに状況を分析していたのである。
「本当さ。おそらく……全員が死んだと思う。あるいは……」
「あるいは……なに?」
「全員が奴等に始末された。真実を知られたら反乱を起こされるかもしれない。そうならない内に息の根を止めて、次の勇者を召喚するんだよ。勇者は三十年に一度しか召喚できないとみて間違いない」
「酷い……そんなの、酷すぎる。勝手だよ!」
「あくまでも推測だけどさ、でも万が一のことがあるから、佳乃に頼みたい事があるんだ……」
「お願い? 私は……何をするの?」
卓実の表情は、どこか思い詰めた様子であった。
そして静かに言葉を続ける。
「もし、この戦いが最悪の方向に向かったら、皆を連れて逃げてほしい」
「えっ? そ、それって……」
「岩田の馬鹿が俺を最前線に送るとか言い出しやがった。そして、この戦いは確実に負けると思う。アトルム皇国側は今のところ戦力に被害が出ていない。彼等は勇者並に強いよ。レベルが400~500の戦士が大勢いる」
魔族と呼ばれた翼をもつ山岳民族。
卓実は彼等の強さなら、神聖騎士団に大規模な被害を与える事ができると予想していたが、彼等は馬鹿みたいに突撃を敢行せず、奇襲と夜襲を常に繰り返していた。
それも空の利を生かしてだ。飛べない人間では攻撃することができない。
「これは罠だ。ラノベ展開で馬鹿みたいだけど、あちらには僕達に大打撃を与える手段があるんだよ。だから、敵を懐に引き込んだんだ。まるで桶狭間みたいだね」
「桶狭間の戦い? じゃぁ、アトルム皇国が抵抗していないって……」
「そうさ。彼等は決して馬鹿じゃない。戦力差をどうやって埋めるか考え、敢えて敵を内側に招き入れているんだと思う」
勇者は強くとも所詮は子供だった。何度もメーティス聖法神国と戦っているアトルム皇国は、防衛手段を幾重にも考えていると予想できる。
だが、指揮官がそのことを理解せず調子に乗っているのが問題であった。
ダンジョンでレベルは上げたが、勇者は戦争に関しての知識がない。作戦の立案や状況に応じての対応、どれをとっても足りないものが多すぎる。
卓実は最悪の状況を考え、できるだけ生き残る手段を執ろうと考えていたのである。
「佳乃……頼む。皆をできるだけ多く逃がすんだ。協力してくれ」
「でも、私なんかじゃ……足手まといだし」
「岩田や佐々木の取り巻き連中が、俺の言葉を聞くとは思えない。戦力外でサポートについている一条さん達と協力するんだ。俺は明日から最前線送りだし、佳乃にしか頼めない」
「う……うん。分かったよ。でも、卓君は……」
「俺だって、こんな世界で死にたくはないよ。だから生き残るために神官や騎士達を出し抜くしかない。アイツらを救おうなんて思わなくて良い。見捨てても全力で逃げてほしいんだ」
「私に……できるかな?」
「できるさ。最悪、半数でも生き残れれば俺達の勝ちだ。生き延びたら他国へ逃げると良い」
それが、幼馴染みの同士が久しぶりに長く話した最後の対話となった。
翌日早朝、神聖騎士団は侵攻を開始し、卓実の予想が的中することとなる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
山々が強大な力によって抉られた地形の大渓谷。
【邪神の爪痕】と呼ばれるアトルム皇国最終防衛ラインまで、メーティス聖法神国神聖騎士団は侵攻した。
だがそこは地形のために攻めることができず、神聖騎士団は一方的な損害を受けることとなる。
何しろ断崖そのものが天然の防壁で、その断崖を利用して弓や魔法で攻撃する一種の要塞と化していた。攻撃魔法をもたない聖法神国では、彼等に損害を与えることなどできなかった。
地の利でもそうだが、【魔族】達は空から一方的に攻撃を叩き込み、神聖騎士団側は人的被害はかなり数に上る。日を追うごとに重傷者の数が増えていく。
この天然の要塞を攻めるにも、人間は空を飛ぶことができない。また、決定打になる武器もないために神聖騎士団は前線で膠着状態になった。
物量では神聖騎士団が上だが、回復や物資の補給が間に合わない。戦線が伸びた上に山岳地帯の地形が災いし、補給物資の輸送が困難なためだ。その間にもケガ人の数が増え続け、戦力的は大幅に落とされることになった。
一方でアトルム皇国側も物資の不足で魔法を頼るしかなく、迂闊な真似をすることはできないために、夜襲や奇襲を繰り返す嫌がらせのような戦法を執るしかない。
攻略不可能な要塞があるおかげで持ちこたえているようなもので、これが平野であったなら物量で押し切られていただろう。
そして――戦いは七日ほど続いた。戦況が一変したのは、その日の昼頃である。
「おい……あれは、何だ?」
騎士の一人が、渓谷の遠方から砂塵を巻き上げこちらに近づいてくる、何かの大群に気づいた。
それはすべて魔物であり、その数は神聖騎士団よりも圧倒的に多い。
更に驚愕すべきは、その魔物の中に全長三十メートルを超す巨大な生物の姿があった。
その魔物の大群は神聖騎士団に襲いかかり、戦況の膠着状態が一気に崩れ去る。地獄の始まりであった。
「ま、魔物だとぉ!? なんだよ、こいつら……俺達よりつえぇ!」
「勇者は最強じゃなかったのかよ! 何で、こんな強力な魔物が……」
魔物は一匹の強さが尋常ではなかった。
トロールの一撃は騎士達を一瞬にしてなぎ払い、オークの中には【オーク・ロード】と呼ばれる上位腫まで混じっていた。
【鑑定】するとそのレベルは700。勇者でも勝てない凶悪な存在が、騎士団を蹂躙し始める。
前線は簡単に壊滅し、逃げ出す騎士達も高速で移動できる魔物に襲われ、捕食されてゆく。
「た、たすけ……」
「百合ちゃん!? いやぁああああああああああああああああっ!!」
佳乃は初めて友人が死ぬところを目の当たりにした。
巨大な魔物に踏みつぶされ、小柄で愛くるしかった少女は無残な肉塊に変わり果てた。これは既に戦場ではない。魔物が獲物を一方的に捕食する狩り場と化したのだ。
アトルム皇国側は、この騒ぎに乗じて騎士団い攻撃を仕掛ける。敵を自分達に惹きつけ戦線で膠着状態にし、第三勢力を横から介入させることによる戦況の攪乱と、敵戦力の一方的な損耗を狙ったのである。
最終防衛ラインによる籠城戦は、ファーフラン大深緑地帯の魔物がここまで到達するまでの時間稼ぎのためであった。同時にそれは【勇者】が最強という幻想を打ち砕く。
佳乃もこの混沌と化した戦場に身を晒され、恐怖で立ち竦んでしまう。
「佳乃、逃げるわよ!!」
「い、いや……いやぁ……」
「正気に戻って、このままじゃ私達も殺される!! 今は全力で逃げるのよ、風間君が言っていたんでしょ!!」
地獄のような酷い光景であった。
騎士がサイクロプスに食われ、同級生がマッド・ウルフの群れに引き千切られ、オーガは嬉々として無差別に殺戮し血に酔いしれている。
中には魔物にもてあそばれ、生きながらにしてバラバラにされる者達の姿もある。勇者達の心は完全に折れた。
敵を甘く見すぎ、戦争がどういうものであるかを考えなかった事が大きな敗因であった。
普段から調子に乗っていた岩田は直ぐに逃げ出し、取り巻き連中はアトルム皇国の戦士達によって討ち取られる。この混乱した状況にアトルム皇国の戦士達は慣れており、聖法神国の戦力を確実に奪っていった。
一心不乱に逃げ続けた佳乃達は、その先のことを覚えていない。自分達がどこに向かっているのかすら分からない状況の中で、ただ必死に走り続けた。
唯一分ることは、アトルム皇国に完全敗北したということだけである。
恐怖に怯え、ひたすら逃げ続け、気づいたときには深夜になっていた。騎士団も瓦解し分散し、かつての大軍団は見る影もなく徹底的に叩き潰されたのである。
「もぅ……走れねぇ……」
「何が『勇者は最強の戦士』だよ……。魔物の方が圧倒的に強いじゃねぇか!」
「法皇のジジィ……嘘を吐きやがって」
危険から遠のき安堵したのか、仲間達は悪態を吐き始める。
それは命を長らえた安心感から出たものであったが、彼等はこの時忘れていた。この地が敵地であることを。
「ひゃ……」
「吉本ぉ!?」
突然に飛来した矢が、少年の頭部を射貫く。
上空から黒い影が舞い降り、傍にいた騎士達を無残に解体した。鮮血が風に舞い散る。
その影は再び上昇すると上空から魔法を放ち、疲れて動けない者達を優先的に始末していく。
そこに一切の慈悲はない。
「なっ……」
「逃がすと思うか? 侵略者共……。我等が領内に侵攻してきたのだ。死ぬ覚悟くらいはできているのであろう?」
声の主は女性だった。
どこか中華風の印象がある漆黒の鎧を身にまとい、黒い翼が闇夜に広がる。
顔を仮面で覆い隠し素顔は見えないが、勇者達には相手が最悪の存在であることが理解できてしまった。
なぜなら……。
「れ、レベルが見えない……」
「嘘だろ……最大レベルは500じゃなかったのかよ……」
【鑑定】のスキル能力が働かなかった。魔物を鑑定した勇者は既に死んでおり、佳乃達は500以上のレベルを持つ存在を知らなかった。
これは、圧倒的に実力差があるもの同士で起こる現象で、目の前の女戦士が勇者達よりも遥かに強いことを意味することになる。
「ふん、勇者とか言われて調子に乗った愚か者共か……。まぁ、良い。ここで始末をつけておけば今後は我等が有利になる。戦を仕掛けてきたのはお前達だ。悪いが、ここで死んでもらう」
一方的な虐殺が始まった。
勇者達は弱いわけではない。この女戦士が強すぎた。
老若男女関係なく剣を向け、常軌を逸した太刀筋で騎士や仲間達を斬り殺す。
一撃で、一瞬で多くの命を散らしていった。大量の血液がまき散らされ、森の中に鉄錆のような血臭が漂う。
「やだ……死に………たく…ない………」
「宏美! しっかりして、今助けるから!!」
ポーションを急いで取り出すが、彼女は既にこと切れていた。
佳乃は友人が死ぬ光景を再び見てしまう。
「無理だ。お前達は戦いを舐めすぎた。戦えば誰かが死ぬ。こんな当たり前のことに気づかず、言われるがままに戦場に出たのが大きな間違いと知れ」
「わ、私達は、好きで戦っているわけじゃない!」
「ならば、なぜ戦場にいる? 『仕方がなかった』で済まされるものではない。お前達は我等の同胞を殺そうとし、我等から土地を奪う侵略に荷担したのだ。お前達の世界では戦争がなかったのか?」
「そ……それは……」
佳乃は返す言葉がない。彼女達の世界でも戦争はあり、多くの人間が死んだ歴史が確かに存在していた。
戦争が悲惨なものであることを知っていたのに、言われるがままに戦争に参加し、友人や仲間が死んでいった。
戦争とは人間同士の殺し合いである。そこに個人的な意思は関係なく、国の政治を行なう人間の政治的な意思によって行なわれる。あるのは利益を求めることだけだ。
戦いたくなかろうが、一度でも戦場に出てしまったのなら互いに殺し合い、自分が死ぬ覚悟も必要となる。相手と殺し合いをする以上、自分は死にたくないという我が儘は通らない。
殺される前に相手を殺す。損害が広がる前に相手に損害を与える。
勝つためには手段は選ばない。戦争とはそういうものだ。戦いの正当性など勝者が決めるものであり、理屈や道徳観など何の意味も持たない。
強い者が勝利する。ただそれだけの軍事力によるパワーゲームだ。
「理解したか? お前達は遊びのつもりで戦場に出て、結果はこのざまだ。所詮は四神の操り人形か、誇りも信念もない。つまらぬ連中だな」
「なっ……」
「下手に生かしておいて、復讐心に駆られても面倒だ。楽にしてやろう……」
女戦士は剣を掲げ、その刃を佳乃に振り下ろした。
「させるかぁ――――――っ、【フレイム・ランス】!!」
「ぬっ!?」
だが、間一髪のところで女戦士に魔法が撃ち込まれ、佳乃は命を長らえる。
彼女を助けたのは、卓実であった。
だが、その姿はあまりにも傷つき、満身創痍の言葉が当てはまるほど、動けるのがやっとの重傷であった。傷口が開き、血が滴り落ちている。
「た、卓君!?」
「佳乃、逃げるんだ! ここは俺がなんとかして食い止める。早く、できるだけ遠くに!!」
「ほぅ……少しはまともな者もいたか。同胞のために命を投げ出す覚悟とはな……。貴殿の気高さに私も応えよう」
女剣士は剣を水平に構え、卓実の出方を窺う。
卓実はナイフを構え、魔法を放ちながら肉薄したが、魔法は全て躱されナイフは剣で受け止められた。
「ふむ……自分の弱点を理解しているようだな。それを補うために色々と工夫しているようだ。惜しいな、敵でなければ我が国に欲しい人材だ」
「それは光栄だね。けどな、俺は死ぬつもりはないんだよ! あの国がどうなろうとも知ったことじゃないが、幼馴染みが殺されそうになるところを見捨てるほどクソでもない」
「あの邪教徒共のことを、良く理解しているようだな。ならば、なぜこの戦いに参加した?」
「隙を突いて仲間と逃げる気だったんだよっ、亡命も考えた。そんな暇がなかったけどなっ!」
「なるほど……」
卓実はナイフで果敢に攻め、至近距離で魔法を放つが、剣の一振りであっさりと霧散させられる。
魔導師は体力的に難のある職業だが、そこはスキルで補える。
彼は実力を隠し、情報収集と鍛錬に明け暮れていたのだ。生き延びるために。
だが、卓実の体力も限界に近い。無理をして戦っているので、一撃を相手に入れるたびに体力が失われてゆく。
「ゴフッ……たく、魔導師が嫌われ職とはね……。こんなときに祟りやがる……」
吐血をした卓実。折れた肋骨が肺を傷つけていた。
長く戦うことはできないと彼は判断するが、逃げ出す隙が見つからない。
「どうやら、限界のようだな」
「みたい、だな……。畜生、予定通りにとはいかないもんだ。詰んだな、くそぉ……」
魔導師である卓実は神官や騎士、更に岩田達の嫌がらせで、回復薬などの物資をあまり与えられていなかった。
そのため、何とか少ないアイテムをやりくりし、ここまで生き延びてきた。
しかし、それにも限界がある。回復薬は消費し、傷を癒やす手段がない。既に詰んでいる状況だ。
「今、楽にしてやろう」
「死にたくはないんだけどな……。まぁ、ここまでのようだ。佳乃、早く逃げろぉ! このままじゃ俺がもたねぇぞ!!」
卓実が戦っている間、佳乃は一歩も動けなかった。
そんな彼女の手を、【一条 渚】が引っ張り走り出す。
「早く走って、あのままじゃ風間君の足を引っ張るだけよ!!」
「いや……いやぁああああああああああああああああっ!!」
他の仲間達に引きずられ、佳乃は卓実から次第に離れていく。
血塗れで戦う幼馴染みの姿が、彼女の脳裏に焼き付いた瞬間であった。
「何だよ……追わないのか?」
「誇りを持って戦う者を蔑ろにするほど、私は恥知らずではない。あの者達を見逃すのは、貴殿の誇りに応えたまでのこと」
「へへ……嬉しいね。んじゃ、もう少し……つきあってもらうぜ?」
「良かろう」
卓実が走り出す。
それは限界を振り絞った最後の力であったのだろう。
何度も効果のない一撃を振るい、卓実は最後の魔力を掌に集めていた。
繰り出されるナイフはことごとく弾かれ、その刃は届くことがない。だが、それも計算の内であった。
繰り出す斬撃に卓実の安物ナイフは限界を迎え、粉々に砕け散る。
女戦士の剣が斬り返しで巧みに迫った。
「覚悟!」
「お互いになっ、【エクスプロード】!!」
「なっ!?」
――ドォゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!
轟音と共に、女戦士と卓実は爆炎の中に消えた。
「いやぁ……いやだぁ、いやぁああああああああああああああああっ!!」
業炎は広がり、そこには既に幼馴染みの姿は見えない。
だが、佳乃は見てしまった。燃えさかる劫火の中から羽ばたく、黒い翼を……。
「自爆……風間君、私達を逃がすために……」
「あいつ、あんなに強かったのかよ。なんで弱い振りなんかしてたんだよ……ちくしょう」
卓実と親しい者達は、彼のおかげで何とか生き延びることができた。だが、その代償はあまりにも大きい。
この日から佳乃は笑わなくなり、次第に精神が病んでいくことになる。
やがて彼女は復讐心に囚われてゆく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気がつけば、佳乃はテントの中で軽く眠っていた。
彼女は現在、アトルム皇国の山間に敷かれた街道を破壊する任務に就いている。
テントの周囲から聞こえてくる声は、騎士と自分の仲間である勇者達であろう。
微かにしか聞こえていないが、どうやらオーラス大河を渡る目星がついたらしい。
佳乃は悪夢でうなされていたようで、鎧の中は着衣が汗で張り付いていた。雪が積もる山岳地帯の中では、下手をすれば風邪をひくだけでは済まないだろう。
体温が奪われ、凍死しかねない。
「夢……? あの時の……」
何度も見る悪夢に、佳乃は既に慣れてしまっていた。
そして、この悪夢を見るたびに、彼女は自分の復讐心が消えていないことを喜ぶ。
彼女は、暗い笑みを浮かべていた。
「姫島、起きているか?」
「えぇ……それで、街道の場所は分っているの?」
「まぁ、ただ……向こう側に行くのが面倒だけどな。情けねぇよな……風間に助けられたのに、いつまでもあの国から出て行けねぇし」
「仕方がないと思うわ。お目付がいるから迂闊なことはできない。下手に動けば毒殺されるかもしれないし」
勇者達の一部は、既にメーティス聖法神国が信用できない。
だが、国を出て行くにしても行動は慎重にならなくてはいけなかった。その理由が彼等の傍にいるお目付役である。
名目上は補佐役らしいのだが、何かにつけて行動を共にしようとする。街に出るにしても必ず監視している者達の姿が確認できた。
「奴等、ふざけやがって……。だが、今回はチャンスなんじゃないのか?」
「そうね。でも、ギリギリまでこちらは動かない方が良いわよ? それで、オーラス大河はどうやって渡るの?」
「斥候の話によると、一応だが橋がある。凄く古くて崩れそうな……」
「ないよりはマシね。多少の犠牲は覚悟しましょう……。できるだけ監視役が減ってくれると良いのだけれど」
「それは期待しすぎだろ。それに【火縄銃】が俺達に向けられるかもしれんしな」
「佐々木君も余計な物を造らせたわね。いざとなれば……」
「奴等を殺すか。だが、神薙の奴はどうなんだ? あいつは俺達と行く気があると思うか?」
佳乃達数名は、メーティス聖法神国を見限る計画を立てていた。
だが、復讐のことも忘れてはいない。これは復讐と逃走の両方チャンスがあり、タイミングが重要である。だが、勇者の一人である【神薙 悟】は信用できるようには思えなかった。
「無理ね……。神薙君は風間君に助けられたことを屈辱に思っているし、私達の行動を阻止すると思う」
「だから、【火縄銃】かよ。やってくれるぜ」
「それより、休憩は終わりだ。そろそろ向こう岸に行かねぇと、騎士達に不審がられる」
「そうね。では、行きましょうか」
佳乃は立ち上がるとテントから出て、仲間達のもとに向かう。
昼夜問わずの強行部隊で、移動だけでかなりの体力を消耗していた。
食事だけが唯一の安らぎの場となり、体力を回復するための休憩でわずかな時間を使い仮眠をとる。
その後、再び行軍し、遺跡の名残と思われる橋を渡り始めた。
あまりにも劣化が激しく、人が渡るにしても危険きなほどに崩壊し、少しでも足を滑らせれば真下の激流に落ち、命が助かる事はないないだろう。
そんな橋を数人ほど犠牲者を出しながら渡り、破壊目的である街道にようやくたどり着いた。
だが、ここで作戦に大きな穴がある事に気づく。
「……おいおい。こんな街道をどうやって壊すんだ? 魔導士なんて俺達にはいねぇんだぞ?」
「火薬で吹き飛ばす。穴だらけになれば、使いものにならなくなるだろ」
「けど、短期間でこれだけの街道を敷いたのよ? 直ぐに修復されるんじゃない?」
「・・・・・・・・・」
悟の作戦は理解できる。だが、街道を整備した速度が異常なまでに早すぎる。
短期間でこれだけの整備が可能なら、多少穴だらけにしても直ぐに修復されるだろう。
常に潜伏し続け、破壊活動を行なうわけにもいかない。戦闘機でミサイルを撃ち込むわけではないのだ。
現場に着いたことで、この作戦に大きな見落としがある事にようやく気付いた。
「風間が生きていたらなぁ~……。あの魔法で被害を増やせたんだろうに」
「くっ……もういない奴の話をしても仕方がないだろ! それよりも、早く火薬を設置しろ!」
「待て、直ぐに隠れろ!!」
急いで森の中に隠れると、上空を【魔族】の戦士が飛んでいった。
街道を巡回してているようである。
「見回りもいるのかよ……冗談じゃないぞ。たとえ破壊工作が成功しても、戦闘は避けられねぇぞ」
「それだけ重要なんだろう。だからこそ作戦を成功させる必要がある」
「けどよ、包囲されてタコ殴りはごめんだぞ」
予想以上に厳重な警備であった。
三十分おきに巡回が上空を飛び交い、火薬を設置することができない。
発見されれば間違いなく包囲されるだろうし、隠れるにも周りは岩山で場所が限られている。
「この作戦……もう詰んでねぇか?」
「……もう少し先に進もう。どこか有利になる場所があるかもしれない」
「どうでも良いわ。それにしても、やけに警備が厳重ね? 何かあるのかしら」
佳乃は魔族の警備が多いことに疑問を思う。
アトルム皇国は山岳の狭い国だ。戦力も限りがあり、これほどの厳戒態勢を敷くには無理がある。
街道を警備するにしても巡回する戦士達の数が多すぎる気がする。
そして、上空を飛んでゆく戦士達の中に、彼女に知る人物の姿があるのを確認した。
卓実と戦った女戦士である。
「彼女がいたわ。私は、あの戦士を追うことにする」
「待て、今動かれたら俺達まで発見されるぞ! にしても姫島、それは確かなのか?」
「確かに見たわ。間違いなく彼女よ……卓君と戦った」
「あれほどの戦士だ。おそらくは指揮官クラス、だとすればこの先に何かあるのか?」
勇者達に恐怖を植え付けた漆黒の女戦士。
単独で行動できることから、精鋭中の精鋭と見て間違いない。
そんな人物が辺境の街道を巡回するわけがない。
「追うぞ……もしかしたら、この先に何か重要な秘密が隠されているかもしれない」
「神薙ぃ、それって危なくないか? 戻れなくなったらどうするんだよ」
「街道をただ巡回するとは思えない。もしかしたら、どこかの要人を守る護衛かも。だとしたらこの厳戒態勢にも説明がつく。その要人を殺せたらどうなると思う?」
「国同士で軋轢が生まれる。でも、そんなに上手くいくかしら? 逆にこちらに対しての敵対心を煽る結果にならない? だって、要人を殺してもアトルム皇国には何の得もないのよ?」
「姫島……君はどっちの味方なんだ。だが、やってみる価値がある。こっちには【銃】があるんだ。狙撃できれば逃げることは簡単だろ」
【神薙 悟】は、この任務を果たすことに積極的であった。
街道をいくら破壊したところで修復されたら終わり。破壊活動を毎日行なうわけに行かない以上、他国の連携に傷を入れることは魅力的な作戦に思えた。
幸いにも少数で行動しており、銃の訓練を積んだ銃士が十人ほどいる。
「行こう。状況を確かめて、それから臨機応変に対処すれば良いさ。狙撃が無理なら最初の作戦に戻れば良いし、潜伏していれば見つからないだろ?」
「そう、上手くいくかね?」
「【坂本】……君も反対なのか?」
「別に。俺達はただ、元の世界に帰りたいだけだ」
反対意見はなかった。
敵地である以上、不確定要素が多いのは仕方がない。
だからこそ彼等は慎重に行動し、その先に何があるか確かめることを優先する。
彼等は巡回する空の戦士達を避け、森の中を歩き続けると、山間にある広場のような場所にたどり着いた。おそらくは荷馬車が休憩するために整地されたのであろう。
そこには翼をもつ戦士達が集まり、整列して何かを待っているようであった。
「……確か、この先を進むと、ソリステア魔法王国に行けるのよね?」
「と言うことは、やはり要人の警護任務か……銃士隊に準備をさせよう。いくら飛行能力があっても、銃で狙撃すれば迂闊に手出しはできないさ。何せ、彼等には未知の武器だからね」
「おっ? どうやら来たようだぜ」
勇者達の視線の先には、騎士に護衛された馬車が一両向かってきていた。
その馬車は広場の前で速度を落とし、アトルム皇国の戦士達の前で止まる。その馬車に刻まれた紋章を神官の一人が確認する。
「交差する杖に翼を広げたフクロウの紋章……。薬草である【フーリアの花】、ソリステア魔法王国の馬車ですね」
「やはり要人警護か……護衛は騎士一個小隊と、魔導士が一人……。おい、あの魔導士が持っている杖……いや、もしかして【銃】じゃないのか!? しかも、あの大きさだと対戦車ライフルだ」
「でかい剣もついている。【ガン・ブレード】!? ゲームじゃないのに、なんであんな物を……。何と戦う気なんだ?」
「卓君が見たら喜びそう……。それより、ソリステア魔法王国には【銃】が存在するみたいね。メーティス聖法神国はもう、詰んでいるんじゃない?」
「マジかぁ!? もう勝てねぇよ。あの武器、どう見ても連射可能なタイプだぞ? 魔法で弾を撃ち出すとしたら火薬が必要ないし、最悪じゃねぇか」
馬車から降りた貴族の男性と、その傍にいる胡散臭い灰色ローブの魔導士。
だが、その魔導士は、身の丈ほどの巨大な剣と銃を融合させたような武器を手にしていた。
「なら、要人を狙撃して逃げよう。相手が銃を持っているのなら、こちらが狙撃しても分らないかもしれないし」
「神薙君、気づいてる? 銃を持っているのはソリステアで、アトルム皇国には【銃】の概念がないのよ? 狙撃に成功しても、メーティス聖法神国が疑われる。それに、私達は生きて帰れないわ」
「技術では向こうが上か……。なら、あの魔導師と貴族を先に始末する。後は森を盾に逃げれば良いさ」
「私はあの女戦士と戦えれば良いわ。後のことなんてどうでも良い」
敵地に侵入した以上、彼等は何もせずに撤退はできない。
いや、それが一番の裁量の選択なのだが佳乃は戦うことに固執し、悟は優位性が失われて視野狭窄になっていた。
【鑑定】すればある程度の情報を知り得たのであろうが、勇者達は相手が【銃】を保有していることの衝撃を受け、【鑑定】を怠ってしまう。
灰色ローブの魔導師が、規格外の存在であることを彼等は知らない。