おっさん、再び護衛依頼を請け負う ~その頃の勇者達~
おっさんが拉致られ一ヶ月が過ぎた。
リサグルの町には公衆浴場や温水の洗い場が作られ、調子に乗った土木作業員の手で温泉旅館まで建てられる。彼等は町を水浸しにした謝罪のつもりで無償で工事を行った。
いや、半分以上は趣味なのかもしれない。工事をしていた彼等の姿は無駄に輝いていたのだから。
その結果、リサグルの町は温泉の町へと生まれ変わったのである。
土木作業員達は大仕事を終えた疲れを癒すべく、公衆浴場で温泉に浸かって酒を飲んでいた。
健康の面から言えば、これは心臓に負担が掛かる。
「いやぁ~、風呂がこんなに良いもんだったとは思わなかったぜ」
「確かに贅沢だな。サウナじゃ分からん心地良さがある。堪らんねぇ~」
「仕事終わりの風呂は格別だぁ~。これを女房に伝えてやりたい。これは良いものだぁ~」
職人達の間で風呂がブームになっていた。しかも露天風呂である。
解放感とお湯の心地よさに浸り、彼等は酒を飲みながらも湯船に身を預けていた。
「帰れない……。なぜ、こうなった……。ルーセリスさん、心配していませんかねぇ?」
だが、洗濯機で温泉を掘り当てたゼロスは、温泉を楽しむことができない。
見渡す限り体格の良いガテン系ばかり。花も色もないむさ苦しい光景に正直うんざりする。
雪景色だけが自然の美しさを魅せてくれるが、その前には筋肉マッチョが豪快に酒を飲んでいる。詫び寂の情緒も全く感じられない酷い光景であった。
「風呂は良いなぁ~、筋肉野郎ばかりだけど……」
「タカさん、何でくつろげるんですか? 温泉は、一人で大きな風呂を独占してこそでしょ」
「いや、出来ればかみさんと入りてぇよ? けどよぉ、男の付き合いってやつもあるだろうよ」
「死ねばいいのに……。なんか、薄い本にされそうで嫌なんですよね……。どこかの宗教国家では、腐教をしているようですよ?」
「あぁ~……心当たりがある。知り合いが、そんな仕事をしていた話を聞いたなぁ~」
「なぜ始末しないんですか? あの腐った文化は、今じゃ病原体のように蔓延していますよ」
「マジかよぉ!? あの国……どこに向かってんだ? どう考えても清い教えとは真逆だろ」
メーティス聖法神国の腐教は、もはや国際問題になりそうな勢いである。
年齢制限を問わない薄い本の蔓延は、健全な青少年の心を侵食し、ユリやバラの世界に傾倒する者が増えてきていた。
これが神の教えだというのなら、そんな宗教など消えてしまえばいいと思うほどである。
「けど、たかが本だろ? そこまで嫌う必要はねぇと思うんだが?」
「タカさん……あなたには娘や息子がいますよね?」
「あ? まぁ、両方いるけどよ。上の二人と年が離れているが、下に三人。年頃の……」
「では、その子供達が『この方が私の恋人です』と言って、同性の恋人を紹介してきたらどうするんです? 腐教の経典は既に収集不可能なほど広がってまっせ?」
タカの顔が石のように硬直した。
どうやらその場面を想像し、あまりにもカオスな展開に理性が飛んだようである。
「ま……まさか、うちの子に限って……そんな事は……」
「ないと言い切れるので? 年齢制限もなしに、きわどいどころか露骨な描写の同性愛誌が売り出されているんですよ? 自分の子供が読まないと、なぜ言い切れるんですかねぇ?」
「……よし、あの国を滅ぼそう。今直ぐにでも、完膚なきまでに、再興できないほど徹底的に潰し、跡形もなくこの世から消滅させる!!」
「その意見には同意しますが、今直ぐは無理でしょう。まだ、時期ではありませんし」
「なんでだぁ!! こうしている間にも、腐った本がばらまかれているんだぞ! おとなしくしていられるかぁ!!」
「その腐った本をばらまく切っ掛けが、自分達であることを忘れてませんか? 昔の勇者は何をしていたんだか……」
タカは親バカだった。
いや、世の親から見れば、この腐敗した書籍の蔓延は教育に決してよろしくない状況である。
エログロナンセンスのような文学的な文章に込められる性ではなく、ただひたすら欲望のままに描かれた、戦慄を覚えるほどの凶悪なエロであった。
官能小説が普通のラノベに思えるほど、排他的という言葉を腐敗発酵熟成させた悪しき文化の更に深淵底のごとき内容なのである。
本を開いたその瞬間、いきなり脳裏に強烈なエロが視覚にクリティカルするのだ。
内容など二の次で、そこに作者の欲望がこれでもかと描かれ、自重や倫理観の文字は一切存在していない。
まともな出版社ならボツ確定間違いなしな内容の書籍が、一般の書店に我が物顔で普通に売られているのだから恐ろしい。アウト・ブレイク寸前の高い感染力を秘めていた。
『しかし、何で勇者を頻繁に召喚していたんだ? 権威を高めるなんていうのは人間の欲望だし、あの無責任さが際立つ四神が興味を持つとは思えん。まさかとは思うが、異世界の文化を取り入れるのが目的じゃないのか?』
宗教に傾倒する人間と四神では、行動目的が別にあるとゼロスは思っていた。
メーティス聖法神国は権威拡大のために勇者達を利用し、周辺諸国に軍事圧力をかけている。だが四神の享楽的な性質を考えると、どうしても人間と四神との間に思惑のズレがある気がしていた。
人間は神という存在を恐れ敬い、強力な力を持つ存在に対して盲目的に信仰を見いだしてしまう。四神を神と認めるのも人が弱い存在であるからだ。
しかし、四神からしてみればこの世界や人間はどう映るのであろうか。
『娯楽のない退屈でつまらない世界だろうなぁ~。だから勇者を召喚させ続けた……が、文明が発展したかと言われれば微妙だろう。召喚されるのは十代の青少年、そんな子供達に文明を飛躍的に高めろと言われても無理だろうねぇ。火薬くらいは作れたとしても、結局は戦争の道具にされて終わり。四神も信者は都合の良い道具扱いなんだろうなぁ~、だから管理しない。元から管理する気はないのだろうが……』
これまでの情報を整理すると、武力や国力で経済圧力を掛けているのが人間側の思惑で、四神は自分達が遊べる環境を作るために勇者を召喚し続けていたと思われる。
互いに意見を交わす事をしないため、人間側は神託と言う断片的な情報で物事を判断しなくてはならない。四神は人間の事などどうでも良く、自分達の求める世界を構築しようとしたが、事象に干渉する力はないために別のファクターが必要だった。
邪神の呪詛によって、被害者の蘇生を他の神々が行なったのことが良い証拠だろう。
召喚された勇者達にとってはいい迷惑だが、わずかな知識でも文明に影響を与える事はできる。技術となると簡単にはいかないだろうが、それでも試行錯誤をする切っ掛けぐらいは作れるだろう。
だが人間側は勇者達を戦力としてみなし、文化水準を上げる事に成功していない。勇者を戦力としての価値しか見ていなかったからこそ、四神の思惑から大きく外れていく。
その結果、メーティス聖法神国は周辺諸国から敵視され、今では完全包囲網が構築されつつあった。
今まで戦争が起きなかったのは、周辺の国が小国で軍事力に差があり過ぎたからだ。
「優位性は失われた。栄枯盛衰は世の常とはいえ、無常だねぇ~」
「滅ぼさねば……。あの国を根元から焼き尽くして……そうだ、あいつ等にも協力してもらおう。他の勇者達も取り込んで……フフフフフ」
「も、もしもし、タカさん? 何か、怖いんですが……」
元勇者は腐教国家の破壊に駆られていた。
まぁ、子供の教育を考える親からしてみれば、薄い本の蔓延は許す事はできないだろう。
年齢制限を無視した腐のバイブルが、今後の青少年にどんな悪影響を及ぼすか分からない。
いや、既に影響が出ているのかもしれない。教育問題を抱える親としては正しい怒りである。
「そろそろ上がりますか。やっと仕事が終わりましたからねぇ、のんびり休ませてもらいますよ」
「そうだな。なんか、のぼせてきたみたいだ。俺、この仕事が終わったら、一度家に帰るわ。薄い本がないか探す必要がある」
男親なら息子が成人誌やユリ本を持っていたとしても、『まぁ、年頃の男だし、気持ちは良くわかるぞ』の一言ですむ問題である。
しかし、娘がボーイズラブな薄い本を持っていたらリアクションに困る事だろう。
更に、ガールズラブであった場合、タカの精神が耐えられるのか分からない。あげくに娘が『私、男よりも女の子が好きなの』などと言い出したら、おそらく号泣する。
もし自分が同じ立場であったら、メンタルが死ぬ自信があるとゼロスは断言できる。
「死亡フラグにならないと良いですねぇ。精神的な……」
「嫌な事を言うなぁ、こっちにしてみれば深刻な問題なんだよぉ!!」
タカが精神的に死なない事を祈りつつ、おっさんは公衆浴場を出ていく。
その後ろでは、ドワーフ達が未だに酒盛りをやっていた。彼等は温泉の中で酒を飲んでも、アルコールの影響が出ない。この体質はゼロスには少しばかり羨ましく思えた。
公衆浴場は、これからカオスになってゆくだろう。そうなる前にゼロスはさっさと逃げるのであった。
余談だが、ゼロスは自分の推測が『四神が科学文明を知っていなければならない』という前提に成り立つことに最後まで気づくことがなかった。同時にそれは『四神が勇者達のいた世界を知っている』という事になるのだが、その事実を知るのはまだ先の話である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
リセルグの町は、今や数千人規模の土木作業員達に占拠されている状態だ。
だが、この街にとっては今までにない経済効果をもたらした。食料や衣類などの販売で数年分の利益を出し、更に温泉が出たおかげで癒しを求める客も訪れる事になるだろう。
街道が開通したおかげで、これからは多くの人で賑わい、更なる発展が約束された。
だが、ゼロスにはそんな事は関係ない。なぜなら新たな仕事が残されているからである。
その仕事は、翌朝に舞い込んできた。
「こちらに、ゼロス殿という名の魔導士はいるか! ソリステア公爵の命により、護衛の任を依頼されているはずであるが?」
「ゼロスさんかい? あぁ~、いるぜ。お~い、あんちゃん! 騎士が迎えにきてんぜ、なんか依頼を受けてんのか?」
「あぁ~、クレストンさんから外交官の護衛依頼を受けてましたねぇ。アトルム皇国の国都までの護衛ですけど……」
「迎えがきてんぜ?」
騎士はゼロスの言動に、些か憤りを覚えたようだ。
わずかな悪意の込められた魔力波が、ゼロスの【魔力察知】に引っかかる。
公爵家とはいえ王族の分家筋の血統である。そんな人物を『さん』付けで呼んでいるのだから、無礼と捉えられも仕方がないのかもしれない。
「僕がゼロスですが、もう外交官を派遣するんですか? 行動が早いですね……それだけあの国が邪魔だというわけですか?」
「魔導士風情が余計なことを言わんでも良い! 貴様は依頼の通り護衛だけに専念すれば良い」
「魔導士と騎士の仲が悪いと聞いていましたが、ここまで毛嫌いされてるんですか? 本当に大丈夫なのか? ソリステア……」
「余計なことは言わんでも良いと言ったはずだ。貴様は護衛の任に専念するだけで良い!」
かなり横柄な態度である。
それだけ軍事面で魔導師団との対立が酷いのであろう。
「それで、デルサシス公爵からは何も預かってないので? 依頼を正式に受けた以上、依頼書を持たされたのではありませんかね?」
「うっ……これがそうだ」
依頼書を受け取り確認すると、それをインベントリー内に収納する。
「確かに受け取りました。ときに魔導士を嫌うのは分かりますが、自国の魔導士達と僕を一緒にされては困りますよ。護衛任務は連携が重要、傭兵だと思って気軽に接した方が余計な軋轢は生じませんよ」
「むっ……すまん。つい王宮の魔導士達と混同してしまう。謝罪しよう」
【連携】の一言で騎士は、目の前の魔導士が魔導師団とは異なることを理解しする。
魔導師団は騎士のことなど考えない。連携しようとする気概が皆無だからだ。
そこに気づき騎士は素直に頭を下げた。
「いえいえ、気にしてはいませんよ。では、行きましょうか。ナグリさん、ここからは別の依頼になりますから、後は僕がいなくても大丈夫ですよね?」
「おぅ、山場を超えたんだ。後は俺達だけで何とかならぁ、気をつけていけよ。街道の先は少々危険なところもあるらしいからな」
「分かりました。気を引き締めて護衛をしてきます」
見送るナグリに軽く手を振り、ゼロスと騎士は町にある小さな広場に向かって歩いて行った。
底には八頭引きの馬車と、馬の世話をする騎士達の姿がある。全員が騎士で魔導師の姿がない。
「……魔導士がいませんね」
「今回はデルサシス公爵の要請で外交任務に当たる。魔導師団はそれが気に入らぬらしくてな、嫌がらせで魔導士の派遣を拒絶したのだろう」
「これ、国家の重要な仕事ですよね? 国都の方では、魔導士と騎士の対立がそこまで深刻なんですか?」
「陛下も頭を痛めておられる。効率化した魔法の販売を始めたソリステア派に逆恨みしておってな、それを自分達に優先して回さぬのが気に入らぬらしい」
「あ~、売り上げがかなり落ち込んだんじゃないですか? デルサシス殿はやり手ですから、かなりの損害を被ったんじゃないですかね?」
「我等としてはありがたいな。奴等は戦場というものを知らん。そんな連中に軍事的な作戦など立てられるはずもない」
「分かります。魔法だけで近接戦闘ができないらしいじゃないですか、それでどうやって自分の身を守れるんですかね?」
ソリステア公爵領は騎士と魔導士の連携を密にしている。
軍事的な協力体制ができているのでゼロスもそれが当たり前に思っていたのだが、国自体を見るとそれは違う。魔導師団は軍事権限の拡大を狙い、騎士団のことなど無視していた。
魔法が絶対だという妄執じみた考えに固執しており、騎士団の意見など取り合わない。
どうやら、ソリステア公爵領が特別なのだと改めて理解するのである。
「ふむ……貴殿はどうやら他の魔導士と違うようですな」
「流れの魔導士ですからね、近接戦闘ができなければ魔物に食われます。生きるために必死だっただけですよ」
「宮廷魔導士共にも見習ってほしいものだ。おっと、では護衛の件をよろしく頼む。イルハンス伯、ゼロス殿をお連れいたしました」
馬車の扉の前で、騎士は馬車の中にいる貴族に報告をした。
だが、声が返ってくることがなかった。
「「……おや?」」
おっさんと騎士が顔を見合わせる。
「すまないが、直ぐ馬車に乗ってほしい。今、手が離せん。それと、できるだけ早く国都に着きたいのだ」
「「はぁ……」」
素っ気ない言葉が返ってきた。
「良いんですかね?」
「伯爵が、そう仰られるのだ。直ぐに馬車に乗ると良い」
「では、失礼いたします」
馬車の扉を開くと、そこには二十代の神経質そうな青年が書類と格闘していた。
何度も他のページを開いては前のページと照らし合わせ、矛盾点や交易による利益の予想を睨みつけるように見直し、溜息を吐いては同じ事を繰り返している。
「どうも、初めてお目にかかります。僕は……」
「挨拶などはどうでも良い。今は時間が惜しいのだ……。この外交は、国の命運を左右する重要な任務であるからな。早く乗りたまえ、今直ぐにでもアスーラーの街に出発したいのだ」
「はぁ……」
とりつく島を与えない。
イルハンス伯爵は、仕事一筋の人間だった。
「では、失礼します」
ゼロスが馬車に乗り込むと同時に、馬は嘶きをあげて走り出した。
当然だが馬車も動き出すのだが、イルハンス伯爵は何も言わずに黙々と仕事を続けている。
こうしてゼロスは、忙しい仕事から一転して暇な仕事にシフトしたのである。
馬車の中でおっさんは退屈だった……。
馬車は目指す、アトルム皇国の国都【アスーラー】へと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
時間を少し遡る。
アトルム皇国との国境沿いに、メーティス聖法神国の城塞があった。
元はファーフラン大深緑地帯から現れる魔物を迎撃するための城塞であり、その先にある国【アトルム皇国】に睨みを利かせる侵攻の拠点でもある。
ファーフラン大深緑地帯はアトルム皇国のある山岳地帯の先に広がっているのだが、魔物は【邪神の爪痕】と呼ばれる渓谷を通ることで、安全であるはずの平原にまで押し寄せてくることがあった。
問題なのは魔物の強さであり、多くの種族が生活するこの平原に生息する魔物よりも、遙かにレベルが高い事であろう。召喚した勇者ですら倒されるほど強力な魔物が多いのだ。
何らかの理由によりその強力な魔物が現れれば、神聖騎士団は総力を挙げて戦いに挑まねばならない。
その最大の防衛拠点がこの城塞、【シュトーマル要塞】であった。
その要塞の一室で、神聖騎士団の面々と数人の青少年が協議していた。
「街道……ですか?」
「はい。険しい山間を縫うように敷かれた街道で、どうやら隣国に繋がっているようです」
「それのどこが重要なのか分からないんだが、俺達が出る必要があるのか?」
青少年の立場は彼等騎士よりも上である。
それもそのはず、彼等は異世界から召還された【勇者】だ。彼等の実力は一騎当千とまで言われている。
並の相手では勝てないほどの実力を持ち、その重要性から度が過ぎるほど優遇された立場にあった。
「その街道を破壊するのが目的ですか? 何のために……」
「【魔族】共はこの街道を使うことにより、隣国との交易が可能となります。無論、今政治的圧力を掛けている【イサラス王国】とも……。これでは邪教の国を攻め滅ぼす事などかないますまい」
「だが、奴等は強いぞ? 今の俺達の戦力で勝てるのかよ。前の侵攻作戦では岩田の馬鹿のせいで大打撃を受けたんだぜ? 戦力に余裕なんてないぞ」
「それに……また魔物を呼び寄せられたら、今度こそ私達は全滅します。今もあの魔物達はこの辺りに潜伏していますし、部隊を割く余裕なんてありません」
「ですが、この街道を何とかしなくては、今度は我等が他国に包囲されることになります。周辺諸国は我が国の正当性に否定的ですから」
神聖騎士団にも斥候を行なう者達は存在する。
彼等が発見したものは、オーラス大河の周辺に位置する山間を迂回するかたちで敷かれた真新しい街道で、その街道は山間の奥へと続いていたと報告を受けた。
自然の地形を利用して敷かれた街道は、攻め込むには困難な場所に存在していたのである。
「周囲は険しい断崖……。どうやってここまで行くんですか? それに、破壊すればこの国が更に反感を持たれるのではないでしょうか?」
「それは後からどうとでもなります。問題は、今辺境の周辺諸国と奴等に手を組まれれば、我が国は戦力的に拮抗してしまうことになる。これは包囲網なのですよ」
メーティス聖法神国は他国からの評判が良くない。
そこには神聖魔法の独占と、【勇者】の戦力による軍事圧力を仕掛け続けたからだ。
そんなことを続ければ余計な火種をまき散らすことになるのだが、なまじ軍事力が強かったために外交も脅迫まがいのものに近かったのだ。
そこに一切の妥協を許さず、辺境諸国は苦渋を味わい続けていた。
「更に、これはあくまでも噂なのですが、奴等は共同で【回復魔法】を開発したとか。これでは我等の神聖さが失われてしまいます」
「回復魔法か……。別に問題はないんじゃないのか? 多くの人に回復魔法が出回れば、それだけ多くの人達が助かる。何が問題なのか分かりませんね」
「何を言います! 回復魔法の存在は、我等の神聖魔法を否定するのと同じなのですよ? これでは信仰が失われてしまいます」
「信仰……ふふふ……それって、神聖魔法が魔導師の魔法と同じだと認めるものですよね? 逆に言えば神など存在しないことになります。慌てているのはその辺りのことがあるからではないですか?」
「姫島殿! それは、言ってはならないことですぞ!」
神聖魔法である回復魔法は、魔導師では使えないとい建前を掲げていた。
しかし、魔導師が回復魔法を開発したとなれば話が変わってくる。信者に『神聖魔法って、ただの魔法なんじゃないのか?』と疑問を持たられでもすれば、それだけで信仰が揺らいでしまう。
今まで神聖魔法の正当性を前面に出してきただけに、少しの疑問で築き上げてきたものがあっさり瓦解しかねない。何しろか神聖魔法による治療活動は、多くの神官達が行なう国家予算の稼ぎ場なのだ。
それが回復魔法の販売によって、神官達は治療費を大幅に下げなくてはならなくなる。メーティス聖法神国は経済的な大打撃を受けてしまう。
「別にあなた方の国がどうなろうと、私達にはどうでも良いことですので」
「姫島、言い過ぎだぞ! すみません、最近の彼女は気が立っているみたいで……」
「いえ……あの敗戦から、彼女の様子が変わってきているのは知っていますから……」
「そうだぜ? それに、国がなくなったら、どうやって俺達は元の世界に戻るんだよ」
「本当に戻れると思うの? この世界で死んだ皆が元の世界で普通の生活を送っているって、どうして断言できるの? 私には何もかもが信じられないわ」
「姫島、お前……」
勇者の中で最強と言われていた五人の一人、【姫島 佳乃】は人格に変調をきたしていた。
アトルム皇国に侵攻した際、幼馴染みの死が彼女を好戦的な復讐者に変えてしまった。
中学生時代の清楚で物静かであった雰囲気は、今では殺意と狂気を露わにし、敵を捜し求めるようになってしまったのである。
あまりの変貌ぶりに、仲間達もどう接して良いのか分からないでいた。
「一条がいればなぁ~。あいつは邪神の情報集めに廻ったんだろ? 俺達じゃ手に負えねぇぜ」
「仕方がないだろう。能力的に戦いに向かない者もいる……。一条さんは戦闘向きじゃないし、どちらかと言えば支援型だ」
「私は、彼女を殺せるなら後はどうでも良いのよ。この国が滅亡してもね」
「おい!?」
「重傷だな……。仕方がない、姫島さんには今回の作戦に参加してもらおう。もしかしたら敵に会えるかもしれないしな」
「アレはどうする? 一応、持って行くか?」
「持っていこう。何が起きるか分からないし、いざとなれば切り札になる」
勇者達は話を直ぐに切り上げ、アトルム皇国の【街道破壊工作】任務を受け入れた。
彼等はこの国の待遇がなければ生きてはいけない。もしメーティス聖法神国が崩壊すれば、彼等は自信の力で生きていかねばならなくなる。
狭い世界でしか情報を得られず、余計な情報は一切与えられていないがために、彼等は物事の判断をする材料が乏しい。広い世界に出ることに恐怖すら感じていた。
「俺達は勇者だ。神に選ばれた存在のはずだ……」
「それはどうかしら。そんな考え方じゃ、最後まで都合良く操られて終わりじゃない?」
「姫島さん……どうして、そんなに人を信じられなくなったんだ。なんで……」
「邪神が本当に存在するなら、こんな世界なんか滅ぼしてしまえば良い。消えてしまえば良いのよ……全部」
佳乃には既に生きる気力がない。
あるのは身を滅ぼすほどの殺意と復讐心だけである。彼女にもはや仲間の声は届かず、彼等勇者達を仲間とすら思っていなかった。
「ともかく……この任務を引き受けてくださるならありがたいことです。不信者達の悪辣な企みを潰してきてください。神意をを知らしめるのです!」
「任せてください! 俺達が正義を示して見せます」
「おぉ……神薙殿、お願いします。あなた方に神の祝福があらんことを」
こうして破壊工作の任務を勇者達は請け負うこととなった。
彼等は各々で戦う準備をするため、それぞれの意思で部屋を後にする。
勇者達は自分達の行いが【正義】だと信じて疑わなかった。
いや、正義であると信じたいだけなのかもしれない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「姫島さん!」
部屋を出ると、【神薙 悟】は佳乃に声を掛けた。
「なに、神薙君……」
「さっきのアレはマズいよ。いくら思うことがあっても、あんなに敵意をむき出しで不都合なことを言ったら、神官達の気分も悪くなる」
「別にどうでも良いわ。彼等が胡散臭いことは知っていたでしょ? 今更言い繕ったところで意味はないと思うわよ。彼等の言っていることは政治的な問題で、そこに神なんてものは存在していないのだから」
「たとえそうだとしても、危険な発言をしているのは分かるだろ? 下手をしたら狂信的な信者に殺されることだって……」
「かまわないわ。どうせ、元の世界には帰れないわよ。彼等に召喚の話をしていたときに目を反らしていたし、絶対に何かを隠している」
佳乃は最近、神官達の対応がやけに仰々しくなっていたことを見逃していなかった。
それも、地震が起きて以降からから彼等の勇者達に対して対応が、必要以上に優遇する方向に変わったのだ。
佳乃は神官達の態度から、国都である【マハ・ルタート】で何かが起きたと推測する。それも、勇者に知られてはならない重大な何かである。
「彼等は何かを隠している。この間まで国の意向を私達に押しつけようとしていたけど、ここ数週間は何も言ってこなくなった。それどころか必要以上に気を遣うようになったわ。きっと、かなり重大なことが起きたのね」
「そうだとしても、もしかしたら俺達に心配を掛けないためかもしれないじゃないか。なぜそこまで敵対意思を向けるんだ。風間のことは関係ないじゃないか」
「関係あるわ! 彼等が私達を召喚しなければ、風間君は死なずに済んだのよ! それだけじゃない、百合ちゃんや宏美……。皆死んだのは彼等のせいじゃない!」
「それは岩田のせいだろ! あいつが指揮をしなければ……」
「そんな表面的なことで考えることを放棄しているから、あなたは騙されていると気づかないのよ。いえ、『騙されていると分かっていても、現状に甘えている』が正解なのかしら?」
「!?」
悟は佳乃の目を見ることができなかった。
なぜなら、彼は佳乃の幼馴染みである【風間 卓実】が死んでくれて、一番喜んだ人物なのである。
その理由は佳乃に対しての淡い思いからだが、結果的に見れば佳乃は卓実の死で逆に死に準ずるようになってしまう。
思いを通じ合わせるどころか、佳乃の心はむしろ遠ざかるってゆくことに、悟は苦しい思いに駆られていた。
「あいつは、もういない! 死んだ奴のことを思ってもなんにもならないだろ」
「それは神薙君の価値観よね? あなたの考えを私に押しつけないでくれる」
「なっ!?」
冷たい一言が投げかけられた。
いや、言葉だけではない。佳乃自身も悟に冷たい視線を向けている。
まるで、ゴミでも見るかのような蔑んだ瞳であった。
「風間君が……『この国は怪しい』と言ったとき、真っ先に否定したのはあなたよね? そんなに勇者になりたかったの? そんなに殺し合いを楽しみたかったの?」
「ち、違う! 俺は……俺はぁ……」
「今ではあなたがリーダーよ? 良かったわね、勇者になれて。でも、それを私に押しつけられるのは迷惑よ。やめてくれない」
「違う! 俺は、君のことが……」
「そう。でも、私の思いは最初から決まっているの。ごめんなさい、あなたとはそういう関係にはなれれないわ。絶対……」
分かっていたとしても、この振られ方はあまりにも酷かった。
悟は純粋に佳乃のことを思っていたが、幼馴染みの卓実には冷たく接していた。オタク気質であったからなおさらである。
だが、佳乃にはそんなことは関係なかった。彼の卓実に対する態度をすべてを見ており、その結果が拒絶に繋がる大きな要因になる。
事実、卓実が死んだと分かったとき、彼は内心で喜んだ。自分が『運が良い』とすら思ったほどである。
しかし、佳乃は変わってしまった。
一人の人物を殺すだけの復讐鬼になったしまったのである。これでは卓実が生きていた方が百倍マシであっただろう。だが、過ぎ去った時間は戻ってくることはない。
「今の姫島を風間の奴が見たらなんて言うんだろうな」
「陳腐な説得方法ね。そうね、『佳乃らしくないよ。普段の方がずっと良い』て言うと思うわ。でも、彼はもういない」
「分かっているなら、なんでそんなになったんだよ! 風間のことを思うなら……」
「あなたが卓君のことを言わないで。あなたに何が分かるの? あなたは卓君じゃない。代わりにはなれないわ」
「くっ……」
何を言っても無駄だった。
「私が何を求めようと、それは私の意思よ。神薙君には関係ない。話はそれだけ? じゃぁ、私は行くわね」
「まっ……」
引き留めることはできなかった。
自分が卓実の死を望んでいたことは事実であり、その願いは既に成就されている。
だが、その後の結果までは別の問題だ。
「風間……死んでもあいつは俺の邪魔ばかりする。ちくしょう……」
死は最後の別れだと誰が言ったのか。
生きている者は状況によって、いつまでも死者に囚われることになる。
佳乃は卓実に対する思いが強すぎたがために、失ったときの反動が大きかった。それが今の状況である。
彼女には誰の言葉も届かない。復讐という死に場所を求める鬼に堕ちてしまったのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
勇者達が出撃準備を始めた頃、シュトーマル要塞の執務室では神官長と神聖騎士団の団長が顔を合わせていた。その表情は険しく、重要な話であることが窺える。
「召還の間が崩壊……では、もう勇者を召喚できないと?」
「そうだ。あらかじめ『勇者の待遇を更に良くせよ』との意味がそれだ。もはや勇者の召喚は叶わぬ、だからこそ最大の戦力を失うわけにはいかんのだよ」
「それに……勇者を上回る存在、転生者ですか。【賢者】がそうであると?」
「法王様はそうお考えになっておられる。かの者達は強力な武器を作り出す技術と知識を持っており、勇者イワタが敗れたのもその力が原因とのことだ」
「信じられませんな。なにゆえにそんな事態になっているのか……」
騎士団長は神官長の話を聞く限り、転生者は異世界の神々に送り込まれたという話であった。
ならば、四神が転生者を受け入れたことになる。その転生者が自分達に悪意を向ける理由が分からないでいた。
「異界の邪神共が何を考えているのかなど分からぬ。分かっているのは奴等は我等を敵視し、滅ぼそうと動いているという事だけである」
「しかし、勇者達に転生者の存在を教えなくても良かったのですか?」
「万が一にも勇者達と接触され、彼等を引き抜かれたらマズい。我等の最大戦力が奪われたら最悪であろう?」
「ですが、我等には新たな武器があります。【火縄銃】と勇者達は言っていましたな」
「だが、あの武器には弱点がある。それを補うには数が足りん」
勇者の中には歴史に詳しい者達もおり、アウトレンジから敵を一方的に攻撃できる火縄銃は有効性の高い物であったが、次弾装填に時間がかかるのと、雨が降ると使えないという問題があった。
「量産できれば、我等が神国は他国よりも優位になる。今は雌伏の時であろう」
「私は嫌な予感がするのですけどね。特に、転生者が同じ事をしないと言い切れないので」
「・・・・・・・・」
転生者が勇者達と同じ世界から来たのであれば、当然だが銃の仕組みを知っている者がいる可能性がある。その転生者により他国で高性能の銃が出回れば、軍事力は再び拮抗してしまうだろう。
彼等には【賢者】の動きが不気味で仕方がなかった。
「所詮は邪教の者だ。出てくるなら神意を見せれば良い……」
「ですが、【賢者】は銃の弱点を知っているのでは? だとすれば、我等に優位性はないとも言えます」
「忌々しい限りだな。それと、あの小娘の浄化を頼む」
「ヒメジマですか? 確かに彼女は危険ですね。わかりました……血連同盟の者達を勇者達につけましょう」
「頼む……信仰が揺らぐことがあってはならぬのだ。なんとしてもこの難関を乗り越えねば……」
勇者達の知らないところで、信仰心からくる悪意が動き出す。
そこには他者を受け入れず、自分達が正しいと信じて疑わない狂信的な意思が存在している。彼等の信仰は純粋ゆえに邪悪でたちの悪いものであった。
彼等は信仰が純粋ゆえに、自分達の行動が悪意で満ちていることに気づいていない。間違っているとすら思っていない。
そして、絶望に囚われた一人の少女にその悪意を向けられたるのである。