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雪音(ゆきね)

作者: 中村 遼生

降り積もる雪は、全てを覆い尽くす。楽しかったことも、悲しかったことも、何もかも。それでも春が来れば草が芽吹き、新たな命があちらこちらから顔を出す。そしてまた、全てが閉ざされる。純白の、儚さの中に。この繰り返しの中、時間が過ぎていく。

 雪国に生まれると冬に特別な感傷を抱く暇もなく、毎日が戦いになる。人によっては「白い悪魔」なんてご大層な名前をつけたりもするけれど、私にとっては、スキー場でペンションを営む両親の元に生まれたせいか、雪は友達、お客様を招いてくれる福の神だ。

「スキー場で働く人は春夏何をしているんですか?」と良く聞かれる。大体は、スキー場のあるところは避暑地を兼ねている場合が多いから、私の家みたいに通年ペンションをしていたり、テニスのコーチをしていたり、まあ避暑地ならではの仕事をしている。

中には私の右斜め後ろに立っているおじさんのように、奇術師をしながら、シーズンになるとやってきて、スノーボードのインストラクターをやってるなんて変わった人も居る。

「なあ、亜子(あこ)ちゃん」

「なんですか?」

「今年は、ええ雪に恵まれたなあ」

「そうですね。このシーズンは期待できそうです。去年みたいに、雪が降らなかったりすると、家計が途端に苦しくなりますから」

「そやな。ところで、今年の予約は何組入っとぉの?」

「今のところ、十五組。まあまあです。でも残念ながらみなさんスキーヤーですから、私の生徒さんになりますね」

「そん中に女の子だけの組ってないの?」

「あったら、どうするんですか?」

「いや、俺スキーも出来るから」

「残念ながら居ません。女性は居ても、男性との組み合わせです」

「たまにはおっちゃんにも若い子の相手させてぇな」

「若い人の相手は若い人に任せた方がいいですよ」

軽く冗談めかして答えると、彼は、微笑むようなお茶目な表情をして見せた。

「亜子ちゃん。あれ、自分の所のお客さんちゃうの?あの、今着いたバス」

私は彼が指差したバス溜まりをゲレンデの上から、目を凝らして見つめる。ああ、確かにうちのペンションの旗に集まってきている。

「そうみたいですね。じゃあ、お先に」

 彼が私の挨拶に、片手を挙げて答えるのを確認してから、私はゴーグルを下ろして上級者用ゲレンデの頂上から一気に直下降の姿勢でバス溜まりまで飛んで降りる。私はこのスピード感がとても好きだ。頬を切り裂く冷たい風、全身に当たる雪の粒。風を貫いて新雪で覆いつくされた真っ白いゲレンデに真紅のスキーウエアが(ただ)一筋(ひとすじ)の道を描き出すこの瞬間(とき)が。

私は、バス溜まりの前でエッジを利かせてブレーキをかけ、スキー板の幅の範囲で止める。生まれた時からスキーをやってる私からすれば、もう慣れっこの技術だけど、ほとんどがスキー初心者のツアー客の前では結構な「はったり」になる。中には、もう2度、3度これを見ている人もいたりするけど、そこはご愛嬌。

「こんにちは」

自分で言うのもなんだけど、華麗なブレーキングを見せた後に、ゴーグルをあげて、笑顔で皆さんに挨拶する。

「今日から皆さんのお世話をさせて頂くペンション『空の形』の加福(かふく)亜子(あこ)です」

今日のお客さんは3組。常連の家族連れが一組と、彼氏がスキー好きで彼女に教えに来てるカップルが一組。そして来年の修学旅行に備えて、あらかじめ練習に来た高専生の団体さんが一組。

皆さん思い思いに挨拶を返してくれる。やっぱり学生さんは元気がいい。私にもこんな頃があったなあ。

「じゃあ、みなさん。ペンションまでまずは歩きましょうか。ちょっと距離があるので大変ですけど、頑張ってください」

 私の家は、バス溜まりからは少し距離がある。といっても、高だか二百メートル程のものだけれど、長い距離をバスに揺られてきたお客様たちには結構辛い。しかも勾配がかなりあるので余計だ。ご家族連れは、いつものように部屋に荷物を置いてから一休みして出かけるみたいだけど、カップルと私の生徒になる学生さんご一向は早速ゲレンデへと出るそうだ。生徒の皆さん十代らしいから、四捨五入すると三十路のお姉さんは頑張ってお相手させていただくことになる。

学生さんたちはホントに初心者だから、まずはこけて起き上がる練習をしてもらって、パラレル、そしてブレーキング。それからリフトに乗って、初心者コースに行きましょうか。今日中に初心者コースをパラレルでも降りれるようになれるといいね。いや、そうしないといけないんだ。楽しんで、思い出を作って帰ってもらうためにはやっぱり滑れるようになるのが、一番だから。

なんて事を考えてたんだけど、やっぱり、若さってすごい。大人になら、一日はかかる講習を、彼らは半日足らずで終わらせて、中級者コースを滑れるようになると、夜にはナイトスキーに出かけて行った。明日、多分筋肉痛で酷いことになると思うんだけど、それも勉強かな。彼らは明日の午後には帰らないといけないらしいし。

私は、彼らの食事の後を片付けながら、所々雪の張り付いた窓を透かして、夜のゲレンデを眺めた。彼らは今頃、どこを滑っているだろう。あんまり危ないコースに行かないと良いんだけど。

テーブルの上に置かれたランプの灯りに、大きな影が揺らめきつつ窓に古いビデオのように写し出されている。私は、その影の主をテーブルの一番端に見つけた。静かに読書している、彼を。彼の名前は確か。

「えっと、高瀬君、だっけ?」私は恐る恐る尋ねた。

「はい。覚えていてくれたんですね。ありがとうございます」微笑みながら彼は応えてくれた。なんて礼儀正しい子だろう。

「高瀬君は、ナイトスキーに出ないの?」

彼は、少し恥ずかしそうに左の膝を叩いて

「昔、やっちゃってまして。スキーって、噂には聞いてましたけど、すっごい足腰に負担かかるんですね」

そうかあ、少し線の細い感じだけど何かスポーツしてたんだね。細面に丸い眼鏡、なんか古い写真で見る昔の文人さんみたい。

「そうね。私の足腰なんて、とてもお見せできないわ。このままじゃお嫁にもいけないかも」

「そんなに綺麗なのに?」

「やだ」私は少し頬が赤くなるのを自覚した。

「僕は嘘はつきませんよ」彼は、本から視線を外して、私の方をじっと見つめた。心臓の動きが急速に高まり、全身に血液を運ぶ。もし今私が裸だったら、きっと全身真っ赤だろう。こんな年下の子の言うことを真に受けてこんな風になっちゃうなんて私はなんだか恥ずかしくて、指一本たりとも動かせなくなった。

「僕は、温室栽培の豪華な薔薇よりも、自然に咲いてる(はかな)げな霞草の方がはるかに美しいと思います」

「高瀬君は、普段からそんな感じなの?」

照れ隠しにようやく喉の奥から絞り出した私の言葉を彼は一部繰り返した。

「そんな感じ?」

彼は首を傾げると、小さく笑い

「ああ。こうして一歩引いたような、変に大人びたようなと言うことですね。ええ。僕はあいつらより事情があって、二つばかり年上で唯一成人なので。今回も保護者代わりの同伴です」

「そうなんだ。それで、ね」

道理で彼だけ、他の子とは違う雰囲気を感じていたんだ。

「ごめん。失礼なこと聞いちゃったかな」

「いいえ。お気になさらず」

彼は軽く手を上げて、笑顔で答えた。

「よろしかったら、ビールをいただけますか。出来れば亜子さんもご一緒に」

「えっと、私はまだ仕事中なんで」

「でも、僕以外にお客さんはいらっしゃいませんよ。それでも駄目ですか?」

私は少し迷ったけど、まあ、たまにはいいかなとお気楽に考えて、うなずいた。

「じゃあ、少しだけ。テーブル片付けるの待っててくれるかな」

「いつまでも」笑顔の後、彼はまた視線を本に落とした。

 十数分後。私はトレイに1本のビール瓶と取って置きの切子のグラスを二つ載せて、彼の前に立った。彼は、私に自分の前の席を勧めると、本を傍らに置いた。私達は、お互いのグラスに注ぎ合い、軽く重ねた。思ったより高く澄んだ音が食堂に響いた。

 雪の降る音さえ聞こえてきそうな静寂の中。私達は、静かに最初の一口を飲み下した。彼は喉を鳴らしてから、不意に言った。

「雪は、いいですね。何もかもを白く染め上げてくれる。空から舞い落ちてくる白い欠片(かけら)が、心まで染みとおるような気がします。雪国に住んでいる人にはもっと複雑な感情がおありだと思いますが」

「そう、だね。でも私も雪は好き。冷たくて、暖かくて、まるで女を待たせてばかりの男の人みたい」

彼は、私の言葉にうなずくと、夜空から舞い降りてくる雪を見上げた。

「余程もてる男の人なんでしょうね」

彼は苦笑気味に言った。

「そうだね、忘れたくて、それでも忘れられなくて、来るのをいつまでも待っちゃうみたいな感じかな」

私は頬杖付いて、少し笑って答えた。

「きっと、帰ってきますよ」

彼の優しい響きの言葉が、窓の外を見る私に届く。

「えっ?」

私は驚きを隠せずに彼の顔を見つめた。微笑を浮かべた彼の顔は、ゆっくりとまた夜空へと向かう。

「来年の雪が奏でるのはどんな音色でしょうか。それを今から楽しみにしています」

私は小さくうなずき、彼と同じ空を見上げた。また来年も、今年と同じ雪が降ることを祈って。


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