戦慄の黒き飛竜 ③
今回はフレイア視点です
『……何言ってんだお前』
私の頭の中に、幼い少年の声が響く。
その声は、間違いなく今日一緒に釣りをした金髪の少年のものだった。
「助けに来てあげたのに、それはないでしょう。見たところ、絶体絶命のピンチだったみたいだけど」
『う……』
バツの悪そうな少年の呻き声が頭に響いた。
私は目の前の存在をまじまじと見つめた。
「しっかし、近くで見ても信じ難いわね……。貴方、アル君なんでしょ?」
『まあな』
今、私の目の前にいるのは、一頭の龍だった。
土と血に塗れた金色の甲殻に、同じく金色の翼。こちらを見つめるのは少年と同じ空色の瞳。
私の記憶では、光龍種と言うとても希少な龍だったはずだ。
その龍と、自分は念話とは言え、会話をしている。
何とも感慨深い気持ちになった。
だが、そんな気持ちに浸っている暇はない。
「グ、ガァァ」
苦痛の呻きが耳に届いた。
私はその呻きが聞こえた方へさっと視線を向けた。
視線の先には、黒い飛竜。
口からは未だ暴発した魔力の黒い煙を吐き出しながら、倒れた身体を起こしていた。
その姿は、はっきり言って異様と言えた。
黒い瘴気を纏い、双眸には赤い光がおどろおどろしく灯っている。
黒色に煌めく粒子を振り撒くその姿は、どこか神秘的にも見えた。
だが、アレの本質がそんなものではない事は、その眼から伝わってくる。
この世の全てを憎むような、恐ろしく、悍ましい殺意の視線。
その双眸に睨まれて、私は正直竦み上がった。
尋常じゃない悪寒。肌が粟立ち、頭の中で本能的な警鐘がこれまでにないくらいがんがんと鳴り響く。
これまでにも修行と称して師匠が連れてくる様々な凶悪な魔物と戦ってきたが、そのどれよりも、この目の前の存在は恐ろしかった。
今まで相見えた魔物達が可愛く見えるくらいだ。
その存在は、異形にして異質。
私は初めて対面する明確な『死』の体現者に戦慄した。
「何なのよ、アレ……」
口からついて出た疑問の声は、掠れ、少し震えていた。
背後にいた龍、アル君も首をもたげて、異形の飛竜を見据えた。
『アレは、『闇の民』と呼ばれる存在だ』
私は思わず首を傾げる。
いゔぃらす?それは何だろう?
最初の『フィア』と言う単語には覚えがある。
私達が息衝くこの世界の名。そして、教会が崇める神の御名。
『フィア・レーゼ』。
それと何か関係があるのだろうか?
『説明している暇はない……が、ひとまず、あいつを飛竜と見るのはやめた方がいい。それと、極力あいつに近付くな。触るのもダメだ。少なくとも、いい思いはしない』
早口で諸注意を口にしたアル君は、ゆっくりと立ち上がった。
「もう動けるの?」
『ああ、少し時間を稼げたからな。再生した肉体ももう馴染んだ』
アル君は、飛竜を厳しく睨み付けた。
『ボロクソにしやがって、タダで済むと思うなよ』
若いとは言え、本気で凄んだ龍の迫力は凄い。思わず冷や汗が流れた。
アル君も、間違いなく強力な龍なんだ。
そのアル君を追い詰めたあの飛竜……。
私は、聖剣を握る右手に力を込めた。
「で、どうするの?適当に突っ込んで勝てる相手じゃないんでしょ?」
先ほどはまともに攻撃を入れる事ができたが、それは本当に偶々、飛竜の意識がアル君に向いていたからこそ成功した、完全な不意打ちだった。
今度また同じ事をしても、きっとうまくいかないだろう。
それに、魔力の暴発で口内にはダメージを負ったようだが、私が攻撃した下顎には何ら損傷した様子はない。
私の手に持つ聖剣は、遥か昔に神から下賜されたと言う伝説の宝具だ。
正直神云々は信憑性に欠けるが、その性能は間違いなく世界最高峰。
その剣による一撃を受けて、無傷とは。
否が応にも、緊張が走る。
『そうだな。俺は俺の持ち得る中での最大の攻撃を仕掛けようと思う。だが、どうしても発動までに時間が掛かる。その間、アレの足止めをしていてくれ』
「か弱い美少女を矢面に立たせないでよ」
めちゃめちゃ怖いんですけど。
『か弱い?お前が?』
鼻で笑われた。
むかっ。
私は聖剣をアル君の前足の小指に突き刺す。
『ぎゃあっ!?』
飛び上がるアル君。
「年上の女性に、『お前』はないんじゃないかしら?」
本当は怒っているところはそこではないのだが、自分でも自分がか弱いかと聞かれると言葉に窮してしまうために、急遽口実を変更した。
『お、おまっ、じゃなくて、貴女!聖剣を使うなよ、聖剣を!』
混乱して『貴女』とか言い出すアル君に、私はこんな状況だと言うのに吹き出してしまった。
「ガアアァァァァァァ!!!」
その時、飛竜が怒りの咆哮を上げた。
その真っ赤な視線の先にいるのは──私だ。
バケツを被ったように、急速に頭が冷えていく。
負けるものか。
闘志を燃やし、圧倒的な重圧に抗う。
『ブレスを撃とうとしたら、できればまた暴発させてくれ。正直、現状ではあれが一番有効だ。無理は禁物だから、あくまで狙う程度で構わない。それだけでも、牽制にはなるからな』
「りょーかい。で?君の方はどのくらい掛かるのかしら?」
『三十秒だ。頼んだぞ』
「まっかせなさい!」
背中の翼に魔力を送る。
光の上級魔法、『光の翼』。
魔力を糧として、人の身をして天を翔ける事を可能とさせる、数少ない飛翔魔法の一つ。
光の翼は闇を打ち祓い、退ける追加効果もある。
光の粒子を振り撒きながら、空を翔ける。
この魔法の強みは、初速からほぼ最高速度を出せる事だ。
飛竜は突如突っ込んできた私に驚愕し、動きが一瞬止まった。
私は一気に懐に飛び込んだ。
切っ先を後ろに向けた聖剣の柄に、左手も添える。
「モードチェンジ──」
超短文詠唱。
聖剣はそれに呼応する。
「──両刃斧」