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仔龍の轍  作者: ぱんつ犬の飼い主
第一章 守護の騎士
22/33

黒棘の双尾竜

ピクッ


渓流の岩場に腰掛け、釣り糸を垂らしていた俺とフレイアの方が同時に震える。


今、俺の魔力感知圏内に一体の生物が入り込んだ。

ただそれだけならば、よくある、何て事もない事だ。


けれど、


「何だ、これ」


それ(・・)は、他のものと比べ、明らかに異質なものだった。

通常の生物の魔力反応とはまるで違う、禍々しくドロドロとした魔力の感覚が俺に伝わってくる。


初めての感覚。だが、確信を持てた。


これが母さんの言っていた……。


俺は垂らしていた釣り糸を巻き取り、釣り竿を無造作に岩場に投げる。


「悪い、ちょっと用事思い出した」


隣で驚いたような顔をしているフレイアに一言そう言い、すぐに走り出す。


「ちょ、ちょっと!」


後方でフレイアが慌てた声を上げるが、そんな事を気にしている場合ではない。


あの魔力が移動する先、そこにはクロナ達がいる滝壺があった。

彼女達の実力を疑う訳ではないが、アレの相手をするには荷が重すぎる。


地を蹴り、木々の合間を縫うように走る。


間に合えよっ!


押さえども押さえども湧き出る焦燥が、俺の体を突き動かした。



◆◇◆◇◆



「な、何なのよ……」


取り残されたフレイアは半ば呆然とアルバートが消え去った方向を眺めていた。


化け物のようなステータスを持つフレイアだが、そんな彼女から見ても、あの少年の速度は尋常ではなかった。

絶えず疑問は浮いてくるが、現況での最優先事項を思い出し、はっとなる。


「それどこじゃないわ、急がなきゃ!」


先ほどのアルバートと同じく釣り糸を巻き取り、釣り竿を放り出したフレイアは、駆け出そうとする足をはたと止める。


「この方向って……さっきアル君が……」



◆◇◆◇◆



紫光の奔流が収まり、未だチカチカする目を擦る。

そして、目の前に現れた存在を見て、ローザは「やはり」と思った。


ローザの目に映ったのは、一体の蜥蜴。

黒い体色は先ほどのリヴァロートルもどきと同じ。だが、身体を覆っていた粘液は乾き、弾力を持っていた皮は、硬質な甲殻へと変化している。

全体的にものっぺりとしていた前よりも大分細くなり、スマートな印象を抱かせる。

何より目を引くのは、肩と腰、そして腕から肘にかけて生えた数本の巨大な棘。黒く金属質な光沢を放つ棘は、見るだけで本能が警告を鳴らす。

そして、棘と並んで特徴的なのが、尻尾だ。

胴体よりも長い尻尾は、根元から二股に分かれている。


「蜥蜴、と言うよりは竜ですね……」


食物連鎖の頂点たる龍の下位種『竜』。

龍と違い空や海でなく陸地を駆ける竜は、翼やヒレこそ持たないものの、人間や近隣付近の生物にとってその存在は十分に脅威となり得る。


爛々と光る紅い瞳が周囲を睨めつける。

そこにあるのは、狂気。


上位種である龍の自分ならば、彼の竜を隷属させる事ができるかと思っていたローザは、その瞳を見て考えを改めた。


(あれは無理ですね……完全に理性がない……)


「皆さん、逃げて下さい!この竜は、上級下位相当です!」


一目で相手の力量を測ったローザが叫んだ。

目の前の光景に呆然と立ち尽くしていた冒険者達の耳に『上級』と言う単語が響く。

ここにいるのは皆中級下位から中位ほどの者ばかり。上級相手に無傷で勝てる訳がない。

我に返った冒険者達は、口惜しそうにしながらも踵を返そうとする。


だが、その前に黒蜥蜴が上体を持ち上げ、喉を震わせた。


「キァァァァァァァァァァ!!!!!」


甲高く耳障りな咆哮が耳を貫いた。

それは脳みそを揺さぶられるような感覚を伴い、皆バランスを崩して立ち止まってしまった。


黒蜥蜴はその隙を突き、鋭い動きで一箇所に固まっていた美男子騎士達に距離を詰める。


目を見開く騎士達を黒蜥蜴は一本の尻尾で薙ぎ払う。


「ぐぁっ」

「ぎゃあっ」

「ぐっ」


三人の騎士が黒蜥蜴の不意打ちに防御もできずに、その衝撃をもろに食らった。

鎧を砕かれ、腹を切り裂かれて血を撒き散らしながら吹き飛ぶ騎士達。


「みんなっ!」


唯一耐え切ったリーダーの金髪騎士が叫ぶ。

盾を翳して攻撃を受けた彼も、すでに盾は粉々に砕かれ、盾を構えた左腕からは大量に出血していた。


「くそっ……はっ!?」


黒蜥蜴の尾は一本ではない。

先ほど振り抜いたものとは別の尻尾が、槍のように鋭い尾先で彼を貫こうと迫る。


ギリギリ躱した彼だがその際に尻尾に当たった剣の刃が砕けてしまった。


二本共防がれたのが癇に障ったのか、黒蜥蜴の紅い瞳が苛立たしげに彼を睨む。


「ぅ……あ……」


彼は直接目を合わせてしまい、蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。

顔を恐怖に染める彼を食らわんと、黒蜥蜴が口を開けて迫る。


だが、


「させっかよっ!」

「キィッ!?」


無骨な大剣が黒蜥蜴の横顔を撃った。

スキンヘッドの男だ。


軌道をずらされた黒蜥蜴は鼻先から地面に突っ込む。


「ぼーっとしてんな!逃げんぞ!」

「あ、ああ……すまない」


スキンヘッドの男に喝を入れられ我に返った金髪騎士は、折れた剣を放り投げて走り出した。


「安心しろよ、仲間も治してもらってっからよ」


並走する男がそう言い、顎をしゃくって森の一角を指した。

そこでは、白ローブの巻き毛の少女が、傷付いた騎士達に治癒魔法を掛けていた。


「彼女は、治癒魔法使いだったのか……」


呆然と呟く金髪騎士に、スキンヘッドの男は笑いかける。


「ああ、他にも解毒とか解呪とか色々使えるらしいぜ」

「後で、礼を言わなくてはな……」


金髪騎士は強張っていた頬を緩め、微かに笑みを浮かべた。




「は、はいっ!後はこれで大丈夫な筈です!」


治癒魔法を掛け終えた少女が言う。

彼女は騎士達の口に赤い固形物を含ませ、水で飲み込ませた。


「あれは何でしょうか?」


不思議に思ったローザが神官に聞く。


「む?あれは血結晶と言ってな、特殊な魔物の血液が凝縮してあるのだ。あれで失った血液を補給する」

「魔物……ですか。人間のではないのですね」

「ああ。人の血液では、どうも相性があるらしくてな。あの魔物の血はそれを完全に無視してくれるのだ。……まあそれ故に魔物も希少で血結晶は高価なのだがな……」


すると、気を失っていた騎士達が僅かに目を開けた。


「う……」

「だ、大丈夫ですか?」


苦しそうに呻く彼等に、巻き毛の少女が付き添う。


「き、君が僕達を助けてくれたのか……」

「ああ……美しき女性(ひと)よ……」

「僕らの……天使(エンジェル)よ……ガクッ」

「み、皆さーん!?」


何か訳の分からない事を言って再び気絶する三人。

頭でも打ったのかとローザは思案するが、あれが彼等のデフォルトなのかもしれないと思い直した。


そうこうしているうちに、傭兵達と傷付いた金髪騎士が帰ってきた。


「嬢ちゃん、こいつにも治癒魔法頼むぜ」

「あ、はい!分かりました!」


少女は魔力結晶なる固形物を口に運んでから金髪騎士に駆け寄る。


「君……すまないね」


申し訳なさそうに言う金髪騎士に、巻き毛の少女は彼の左腕に治癒魔法を掛けながら首を横に振った。


「気にしないで下さい。当然の事ですから」


真顔でそう言う少女に、金髪騎士は笑みを浮かべた。


「ならば、言葉を改めよう……ありがとう」


それを聞いて少女はにっこりと微笑んだ。



◆◇◆◇◆



「さて、あれをどうするか……」


神官は神妙な顔で呻く。


視線の先には、地面に突っ込んだ頭を引っこ抜き、顔をぷるぷる振るう黒蜥蜴。


「障壁を張れば……しかし私程度の障壁では耐久性が足りんか……」


ぶつぶつと呟きながら思案している神官にローザは声を掛ける。


「神官様、あれは私達が倒します。神官様は念の為、皆さんと退避を」


神官は目を剥いて驚く。


「馬鹿な!子供一人で何ができる!」

「大丈夫、一人ではありません。ね?クロナちゃん」

「そだねー。あいつちょっとつよそうだけど、おねーちゃんとならまけないよ!」


いつの間にか現れたクロナが笑顔で断言する。

その様子に絶句している神官だったが、流石と言うか、すぐに苦言を呈しようとする。

が、


「キィアァァァァ!!!」


黒蜥蜴が物凄いスピードで迫ってきた。


「さ、もうつべこべ言っている暇はなくなりましたね。私達はこの竜の相手をするので、神官様は退避をお願いします」


言うが早いか、ローザはクロナと共に駆け出す。


「ま、待てっ!お主ら!」


神官が声を掛けるが止まる筈がない。


クロナは正面から突進し、大口を開けながら迫る黒蜥蜴を見据える。

黒蜥蜴はクロナに食いつこうとと勢いよく噛みつくが、牙を空を切る。


跳躍する事で噛みつき攻撃を躱したクロナは、空中から炎を纏った拳で黒蜥蜴の背中を殴りつけた。


「そりゃっ!」

「ゲェッ!?」


地面に着地したクロナは追撃を加えようとするが、


「わわっ!?」


ひゅっと風を切る音と共に鞭のようにしなる尻尾が襲いかかってくる。

クロナは慌てて身を伏せて躱すが、二撃目がクロナを貫かんと迫る。


クロナはそれも躱すが、無理やりに体を動かしたせいで態勢を崩してしまう。


そこに、再び尻尾が迫る。


しかし、尻尾は突然クロナの前に現れた氷の障壁に阻まれてしまう。

ビシリ、と障壁に(ひび)が入るが、砕けはしない。


「クロナちゃん、慣れない相手に深追いは禁物ですよ」


障壁を作ったのはもちろんローザだ。

ローザは再び動き出そうとする黒蜥蜴に無数の氷弾を叩き込む。

氷弾は威力が低くダメージこそ与えられないが、一瞬の足止めに成功する。


「あいつけっこーかたいしはやいよー」


立ち上がったクロナは自分の失敗を黒蜥蜴になすりつけようとするが、


「クロナちゃん、あなた初撃の後に追撃しようとしたでしょう。それがなければ、あんな事にはならなかったはずです」

「……バレてた?」


ちらちらとローザを見ながら聞いてくるクロナに、ローザは呆れた声を出す。


「バレてないと思ってたんですか」


クロナは「ですよねー」と諦念を含んだ声を漏らした。


「それよりもさ、あいつホントにかたいよ!どーすんの?」


無理やり話題を変えようとするクロナ。

その意図にもちろんローザは気付いていたが、状況も状況だし敢えて乗ってやる。


「そうですね……甲殻を持つ相手の場合、甲殻と甲殻の隙間を狙うのが常套作なんですが……」

「すきま、ある?」


二人は氷礫の雨から逃れた黒蜥蜴を見る。

黒蜥蜴の甲殻はぴっちりとしていて、突ける隙間が非常に狭い。

無生物ならともかく、相手は動く生物なのだ。あの数ミリメドルの隙間をどんぴしゃで狙うのは至難の技だろう。


しばらく二人は黒蜥蜴を眺めていたが、そのうちに黒蜥蜴は態勢を立て直して突っ込んできた。

その目は怒りに燃えている。


それを見たローザは、小さくため息を吐いた。

そして、右手を翳し、魔力を練り出す。


「ま、数撃ちゃ一つくらい当たるでしょう」


面倒くさくなって思考を放棄したようだ。

こうゆうところは、割と似ている姉妹である。


「『氷欠泉(アイスゲイザー)』」


術名だけの超短文を唱え、魔法を起動させる。


次の瞬間、走る黒蜥蜴の真下の地面から、無数の氷の剣が突き出した。


「ギャェエ!?」


そのほとんどが甲殻に阻まれ砕けるが、幾つかは甲殻間の隙間を突いたり、甲殻を貫いたりしたようで、黒蜥蜴が苦悶の声を上げる。


「うわ〜、おおざっぱ〜」

「傷を負わせたのだから良いのです」


クロナが呆れたような視線を向けるが、ローザは澄まし顔でにべもなく会話を完結させた。


一方の黒蜥蜴は、砕かれ貫かれた腹の甲殻から血を流しながらクロナとローザを睨んでいた。


「キァァァァァァァァ!!!」


耳障りな咆哮を上げ、再び突進する。

クロナとローザは左右に飛んでそれを避ける。

だが、それを見越していたかのように、黒蜥蜴の顔がローザの方を向いた。

そのままグワッと口を開く。


噛み付きか?とローザが距離を取ろうとするが、違った。


黒蜥蜴の口内が、紫光を放ち始める。


息吹(ブレス)っ!?」


ローザは瞠目する。

失念していた。目の前の黒蜥蜴も竜なのだ。息吹(ブレス)くらい使えるだろう。


「おねーちゃんっ!ぐうっ!?」


ローザの危機を感じたクロナが声を上げるが、そちらに意識がいったせいで、襲いかかってくる尻尾に気付くのが遅れた。

ギリギリ身体強化で硬化させた両腕を滑り込ませてガードするも、軽々と弾き飛ばされる。


「く、クロナちゃ──」


ローザがクロナの名を呼ぼうとするが、言い終える前にローザを紫光を放つ爆風が襲った。


「きゃああああ!?」


成す術なく吹き飛ばされるローザ。

数度地面を(まり)のように跳ね回って、やっと止まった。


身体中、無数の切り傷やすり傷だらけで、お気に入りの白いワンピースもズタズタになり、血と泥で汚れてしまっている。


ワンピースがボロボロになっている事に気付き、ローザはこの世の終わりのような顔をした。


あの黒蜥蜴への殺意が沸々と湧いてくる。


(ちり)にして差し上げますわ」


子供が出すとは思えない、地獄の底からやってきたような殺意と怨嗟を孕んだ声で呟く。

頭に血が上っているせいか、いつものお嬢様口調が悪化(?)した。


激情に突き動かされ、立ち上がろうとするが、不意に右足に激痛が走る。

見ると、右足の膝下からくるぶしまで酷い裂傷を負っていた。

動かす度に激痛が走る。これでは戦えたものではない。


何にせよ、まずは傷を直さなければ。


そう思い、自分の体、足を重点的に治癒魔法を掛ける。


だが、傷口に変化は現れない。


ローザは疑問に思いながらも、もう一度掛ける。


変化はない。


「何故……?」


何度も何度も魔法を掛けるが、傷口が塞がる様子は一向にない。


魔力まだまだあるから魔力不足と言う訳ではないはず。

なら一体どうして?


えも言われぬような不安と恐怖がローザを襲った。


まずい。


このままではやられてしまう。


怒りで赤くなっていた顔がさあっと青褪める。


こちらの状態を知っているのか、黒蜥蜴は愉悦の表情を浮かべ、ゆっくりと近付いてくる。


あからさまにこちらの恐怖を煽ってくるが、冷静でないローザはそんな事に気付かない。


恐怖のあまり黒蜥蜴に攻撃魔法を使うが、これも不発に終わった。


どうして……!?


ローザの瞳から涙が溢れた。


いくら大人ぶっていても、ローザはまだ十歳の子供だ。精神的に幼い彼女は、恐慌に陥り、ぽろぽろと涙を流した。


「い、いや……」


頭をふるふると振るが、黒蜥蜴はそれすら楽しむようにゆっくりと近付き、上体を持ち上げ、口を開いた。


ローザにもその様子が見える。


赤紫色の口内、先の割れた二股の青い舌がちろちろと動き、端には鋭い歯がずらりと並んでいる。

爬虫類独特の鋭い瞳が、殺意を孕んだ視線を向けてくる。

その全てが、ローザの恐怖を掻き立てた。


「い、やぁ……にいさま……」


そして、


「キシャァッ!」


迫り来る死と恐怖に、ローザは現実から逃れるように目をぎゅっと閉じた。


だが、痛みも苦しみもやってこなかった。

変わりに、ローザの耳に「バチィッ!」と言う音と、「シャアァッ!?」と言う黒蜥蜴の驚愕の声が届いた。


恐る恐る目を開けると、目の前に半透明の壁があった。

そして、その先で忌々しげに壁を見つめる黒蜥蜴。

そして、


「大丈夫か!?」


男性の声。


首を動かし、声がした方を見ると、青を基調とした高級そうな神官服を振り乱して駆け寄ってくる、壮年の神官の姿があった。

隣にはあの巻き毛の少女もいる。


助けてくれたのは兄ではなかった。


それでも、安心感と喜びが胸に広がる。


気付けば、神官に抱き付いていた。


恥も外聞もなく、子供らしく泣きじゃくっていた。


神官はローザの頭を黙って撫で、外で結界に体当たりを繰り返す黒蜥蜴を睨み付ける。

そして、後ろの少女を振り返る。


「治癒魔法を頼む」


神官の言葉に少女は頷く。

そして、治癒魔法をローザに掛けると、驚愕に目を見開いた。


「治癒魔法が効きません!」

「何?」


少女の叫びに、神官は眉をひそめる。


「どういう事だ……?治癒魔法が効かないだと……。ん?いや、まさか……」

「何か思い当たる事が?」


少女が聞くと、神官は首を捻りながら答える。


「いや、確か呪いの一種に治癒魔法を阻害するものがあった気がするのだが……」

「呪い……ですか。それなら、一応解呪してみますね」

「ああ、それくらいしか思い当たる事もないしな。頼む」


神官に「はい」と笑顔で返し、少女はローザに向かって詠唱を始める。

泣き止んでいたローザは、その様子を不思議そうに眺めていた。


「清き魂に取り憑く邪なるものを、天の光を以って打ち祓わん──『解呪(アンチ・ロック)』」


少女が翳した両手から光が放たれ、ローザの体を包んでいく。


やがて、光が収まると、ローザは自分の体をキョロキョロと見回した。

しかし、特に目に見えた変化はなく、動いたせいで右足が痛むだけだった。


「……もう一度、掛けます」


再度、少女が治癒魔法を唱える。


すると、今度はローザの体をエメラルドグリーンの光が包んだ。

そして、みるみるうちに傷が塞がっていく。

右足の裂傷も、痕も残らず完全に塞がった。


三人共、ほっと胸を撫で下ろした。


「あとは、これを飲んで下さい」


そう言って少女は腰のポーチから赤い固形物と水筒を取り出し、ローザに手渡した。

確か、血結晶と言うやつだ。


ローザは黙って血結晶を口に入れ、水で流し込んだ。


「これで少しすれば楽になるはずです」


少女が笑顔を浮かべてそう言った。

ローザが礼を述べると、少女は「気にしないで下さい」と首を振った。


高い物なんじゃ……と、思ったが、そう言うところも含めて「気にしないで」なんだろう。


すると突然、先ほどまで体当たりを繰り返していた黒蜥蜴が、「ギャィン!」と言う悲鳴と共に吹っ飛んでいった。

変わりに結界に飛び込んできたのは、


「おねーちゃん!」


半べそのクロナだった。


彼女はローザに駆け寄ると、「だいじょーぶ?だいじょーぶ?」と聞きながらローザの体をぺたぺた触った。


神官はその様子を微笑ましそうに見つめ、巻き毛の少女は黒蜥蜴を吹っ飛したクロナを唖然とした表情で見つめていた。


「クロナちゃん、私はもう大丈夫です。それより、クロナちゃんの腕の傷も酷いじゃないですか」


そう言ってローザはクロナの両腕を取る。

彼女の腕は、硬化させていたとは言え黒蜥蜴の尻尾をもろに食らったせいか、ボロボロになっていた。


「えへへ」と笑うクロナにローザは「もっと自分の心配をして下さい!」と叱って治癒魔法を掛ける。


同じく治癒魔法を使おうと待機していた巻き毛の少女は目を剥いた。


「ち、治癒魔法?この子、治癒魔法を使えたんですか?」

「うむ、呪いの効果で普段使える魔法を使えず、驚いてしまったのだろうな……」


驚愕する少女を他所に、クロナとローザを微笑ましく眺めながらうんうんと頷く神官。


その時、黒蜥蜴が再び結界に体当たりを始めた。


全員の視線が黒蜥蜴に向く。


「ふむ……結界はあとどのくらい持ちそうだ?」

「まだしばらくは……半刻は保つはずです」

「うーむ、ならばそれまでに如何にしてこの場から脱出するか……」

「脱出する必要は、ありませんわ」


ローザは神官と少女の問答に割り込んだ。


神官と少女は驚いたような顔でローザを見る。

それは、ローザが会話に割り込んできたからではない。

目の前の少女の声音が、雰囲気ががらりと変わっていたからだ。


ローザはにっこりと微笑んだ。


「あれは、私達で倒します」


巻き毛の少女はローザの発言に驚く。


「な、何を言ってるんで」

「大丈夫です」


神官も渋い顔をする。


「しかし、お主先ほどボロボロに」

「大丈夫です」


二人は黙り込む。

巻き毛の少女と壮年の神官は、微笑む幼い少女に威圧されていた。


「クロナちゃん」

「ひゃ、ひゃいっ!」


不意に声を掛けられたクロナはやや上擦った声で返事をする。

無意識のうちに気を付けの姿勢まで取っている。


「あの生ゴミを、(ちり)にして差し上げますわよ?」

「はいっ!……でもどうやって?あいつかたいじゃん」


気を付けのまま疑問を言うクロナ。

だが、ローザは事も無げに言ってのける。


「全て塵にするのだから硬さも何も関係ないでしょう?」


笑みを浮かべたままのローザだが、決して冗談を言っている訳ではないと、その目を見れば一目瞭然だった。


先ほどまでの恐怖や不安が取り除かれた今、ワンピースをボロボロにされた恨みと殺意が復活したようだった。

ローザお嬢様の再臨である。


「だ、だからどうやって……あっ、もしかしてアレやるの!?」


何か思い当たる事がある様子のクロナ。

途端に嫌そうな顔をする。


「それ以外に何がありますの?」

「えー、だってあれ疲れるじゃん……」

「何か文句でも?」

「いえっ!なんでもありませんです!」

「よろしい」


ローザは「さて」と巻き毛の少女を振り返った。

少女は肩を震わせて驚き、怯えたような視線でローザを見る。

完全に肉食獣に怯える小動物である。

……まあ、龍と人間だから、構図としてはあながち間違っているとは言えないが。


「あの、結界を解いてもらってもよろしいでしょうか?貴女が結界の術者なのでしょう?」

「で、でも、今結界を解いたらあの竜が……」


怯えながらも必死の形相で抗議する少女だが、


「ああ、それなら問題ありませんわよ」


そう言うと、ローザは指をパチンと鳴らした。

途端に、周囲を極寒の冷気が覆った。


冷気は黒蜥蜴を中心に発生していて、効果範囲はそれほど広くはなさそうだが、範囲内は極北の地となった。

滝も滝壺も完全に凍り付いていた。


あまりの寒さに巻き毛の少女はくしゃみをして身を震わせた。


「ね、問題ないでしょう?」


黒蜥蜴を見ると、完全に動きを止めていた。


爬虫類は変温動物だから寒さには弱いのだ。


神官と巻き毛の少女が唖然とする中、ローザはクロナに声を掛ける。


「さあ、やりますわよ」

「あああああのおねねねねちゃん?こっここここれあたしもももさむむいんだだだけどどどど」


クロナは真っ青になってガチガチ震えていた。

クロナは人の姿はとってあれど龍の体質の影響か、それとももともとか、寒さに弱いようだった。


「あら、仕方ないですわね」


ローザはクロナの周りに結界を張ってやる。

クロナは寒さが収まりふぅぅ〜と大きなため息を吐いた。


ローザは振り返って神官と巻き毛の少女に微笑んだ。


「少し危ないので、下がっていていただけますこと?」


二人が大人しく後退したのは言うまでもない。


「さあ、じゃあクロナちゃん、改めてやりますわよ」

「りょーかーい」


二人は並び、半歩足を下げる。


右にいるローザは左足を、左にいるクロナは右足を。

更には、片方の手を後ろに突き出した。


二人は半身になって黒蜥蜴を見据える。


突き出した片手、ローザは左手、クロナは右手に、急激に魔力を集める。


「私に合わせて下さいね」

「お、おねーちゃんちょっと多過ぎない?」

「そんな事ありませんわよ」


クロナはローザの左手に集まる膨大な魔力(殺意)に顔を引き攣らせるが、ローザはまるで相手にしない。

クロナは諦め、魔法に意識を向ける。


「左の矛には氷結の力」

「右の矛には爆炎の力」


右手を、左手を、押し出すように踏み出しながら前に突き出す。


「「『二属性砲(デュアル・カノン)』!!」」


魔法の起動と同時に、集束していた二人の魔力が絡み合い、溶け合った。


火と氷の奔流が黒蜥蜴を襲う。


寒さによって動きを封じられている黒蜥蜴はなす術なく直撃を受ける。


そして、断末魔を上げる暇もなく圧倒的な魔力の波に飲み込まれた。


二人の放った魔力砲は木々や大地を抉り、滝を粉々に粉砕した。


後には、半円状に抉られた地面だけが残り、黒蜥蜴は塵すらも残らなかった。

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