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ツクモガミと変な人。

作者: 昆布

 枕の横に鉛筆が刺さっている。頭を上げると同時に、手元のコミックの表紙に絵の具がはねた。立ち上がった瞬間、本棚の英和辞書が真っ直ぐ顔面に飛んできた。避けた直後、数百ページはあるそれが床にぶつかり、凄まじい音を立てて止まった。

 何が起きた――いや何が起きている!?

 僕は考える間も無く部屋を見回した。机の上、棚の中、ベッドの下――周囲の物という物が、震え、飛び跳ね、浮かんでいる。地震なんか起きてない。超能力者も知り合いにいない。訳分からない、全く分からない――いやでも、確か、この現象は、名前があったような、

『朝ダヨ、起キテ!』

「うるさい!」

 お腹に水平に突き刺さった目覚まし時計を叩き落とす。昔とある通信教育の入会特典としてもらったマスコットキャラ型の時計だけど、特に情は無い。

――ポルターガイスト。

 ショックのためか唐突に言葉が蘇った。触っても無い物が動き出す、そこそこメジャーと言っていいだろう怪奇現象。間違いない、その言葉はこの状況にぴったりだ。

「うわっ!?」

 そんなことを考えている内に、また文房具が飛んできた。スピードはかなりのものだ。当たったら無事では済まない。ここはどうするべきなんだ?

 こんなものに遭ったことはない。対処法は知らない。でも現実逃避する暇も無い。これはどうすれば、どうすればいい!

「うおおおおお!」

 僕は叫んだ。気合を叩きこんだ。そして全身全霊で、閉じた扉に飛びついた。足元に飛来したゲーム機を回避し、伸ばした手でドアノブを喰らいつくように掴む。そして一気に捻る。引っ張る。部屋の外には静寂が残されていた。僕は全力で逃げた。玄関へ一直線に駆け抜ける。自分の部屋でしか騒ぎが起きてない事を確認して、少しだけ余裕のできた僕は靴を一秒で履いて飛び出した。

 日曜日の午後は静かだった。その中で、これからどうすればいいか分からなかった。こんな日に限って出かけている両親を、少し恨んだ。


 オカルトにはてんで詳しくない。いつぞや遊び半分に友達と受けた占いで、霊的な力がかなり強いと評されたことは有る。けど信憑性が有るかは疑問だし、興味もさほど無い。

 しかし不本意にも、こんな奇妙な事態に直面してしまった。もう一度さっきの状況を考え直しても、理屈は全く思いつかない。時計が刺さった時痛みが有ったし、夢でもない。現実の、且つ未知のことと捉えるしかないだろう。

 一度落ち着いて、考えをまとめようとした。それでも次にすることは思いつかなかったし、だからと言ってこのまま部屋に戻る気にもなれない。

 そんな僕は悩んだ挙句に、気休め程度にはなるかと思ってある場所へ行くことにした。バイトから帰ったばかりで、外に出られる服装をしていたのが救いだ。


 そうしてマンションを出ようとしたとき、僕はふと立ち止まる。何かの気配を感じた。それが何かと聞かれると、答えることはできないのだけど――何かに見られているような、すぐそこで付きまとわれているような、経験のない感覚。消えることなく、漂い続けている。

 さっきのポルターガイストと合わせて、今の僕はただ困ることしかできずにいる。歯痒い。状況が少しでも好転してくれれば、そんな淡い期待を込めて足を動かす。




 賽銭箱に近づき、五円玉を放り込んだ。それから鐘を鳴らして、念入りに拝む。細かい作法は忘れてしまったけれど、とにかく拝んでおいた。

 僕は自宅から十五分ほど歩いて、調(つき)神社に来ていた。調神社はこの辺りで一番大きい神社だ。長い歴史を持ち参拝者も多い。安直ながら、霊的な何かに対抗しようとするならここが頼りになるような気がした。本当に、気休め以下にしかならないような気もするけど。

 一しきり拝み終えて、身体を起こした。お守りを買ったりお祓いをしたり、色々した方が良いかなと思って境内を見回す。当然のことながら、何かが飛んでくるということは無い。大きい神社と言っても特に行事などが有る訳でもなく、人はまばらだった。お守りの売り場を見つけて、足を向ける。


「ちょっと、そこのお人……」


 びっくりした。率直にびっくりした。いきなり後ろから声が聞こえた。いつの間にか、後ろに人がいたのだ。拝んだときはいなかったはずだし、とくに物音なども感じなかった。驚きを悟られないように努めながら、僕は振り向いた。

「な、何でしょうか」

 そう言った後で、不思議な感覚がした。話しかけてきた方が、何故か驚いたような、喜んだような表情を浮かべていた。僕が何か妙な事をしただろうか。今日は妙な事ばかり起きる日だ。

「ああ、いえ、そのね? どんなことお願いしてたのかなー、って思いまして」

 表情を取り繕って、慌てたように話し始める。僕はその人を改めて一瞥した。歳は二十歳くらいだろうか。目付きが柔らかい、というのが第一印象だ。中性的な顔立ちはよく整っていて、短く揃えられた髪とも合っている。声の高さも微妙なところで、男性女性どちらと言われても納得してしまいそうだ。ただ、来ている服が上も下も真っ白で、そこには不審者とまではいかずともおかしさを感じてしまう。

 とりあえず、警戒心はまだ解けない。なんで自分の願い事を聞くのか、理由は思いつかないし、何と答えたものかも見当がつかない。怪奇現象を何とかしてほしい、なんてのは笑い話にされて終わりだろう。

「ええと、ちょっと身の回りで変なことがあったと言いますか……うまく言えないんですけども」

「その話、詳しく聞かせてくださいな!」

 僕の中の戸惑いがランクアップした。誤魔化し方が出てこないで、半端に濁すような発言になってしまって後悔したのだが、向こうはそれに予想外の食いつきを見せた。人懐こい笑顔を見せてはいるが、この人のことを僕はまだ何も知らない。

 少し待って、その戸惑いをいくらか消化する。結局、僕は正直に家での出来事を話した。少なくとも、話したところで特段悪い事態にはならないように思えた。自分にとって訳の分からないことばかりだったから、相応の説明になってしまったが。

「ふーむふーむふーむ……」

 一通り聞き終えて、白い人はわざとらしく考え込むポーズを作った。僕はなんでこんな状況になってるんだろう、とふと考える。一時間前まで自分の部屋で寝っ転がって、平和に新刊の漫画を読んでいたはずなのに。


「それは、付喪神(つくもがみ)の仕業ですな!」


 やがて、ポンと手を打って出した答えがそれだった。

 鳩が呑気に鳴いていた。

 僕はしばらく閉口した。

「……あの、もうどっか行っていいですか」

「ダメです止めて! こういうチャンスは久々なんだ! たのむ!」

 胡散臭いし突然だし訳が分からない。いきなり話しかけてきて、相談に乗った結果が『付喪神』である。

 付喪神という単語は知っている。長い月日を経た物や生物に霊魂が宿り、力を持つ。傘の一つ目お化けなんかが代表例になるんだろうか。

 さっきのポルターガイスト現象を付喪神の仕業と考えるのは、まあ一応筋が通らない話とも言い切れない。物に意志が宿り、それが怒って持ち主に襲い掛かってきた――そんな理論は、作れなくもない。

 問題は、根拠も無ければ脈絡も無い事だ。

「こっちは真面目に悩んでるんです」

「こっちも真面目に話してるんですー!」

 見た目よりも精神年齢が幼く見えた。言動が一々軽い。


「いいからちょっと話を聞いてください! その現象は私なら解決できます!」


 そう聞いたところで、僕はぱっと逃走中の足を止めた。勢いで、止めていた方がつんのめる。

「解決できる、と言いますと?」

「私は全国を巡って、付喪神の対処をしているのです! 実績もアリアリ! お金とかは取りません、是非解決させてください!」

 そう言って、ぺこりと頭を下げる。

 何だこの人。怪しい。おかしい。目的が不明。何を言っているんだろう――そんな感想が浮かぶ一方で。

「……本当ですか?」

「本当ですから。そんな疑りの目は止めて頂きたいですね!」

 悲しきかな、その自信やら突拍子の無さやら暑さやらにやられたせいだろうか。僕は、この自称付喪神対処の専門家に好奇心を抱いてしまっている。何より気を引いたのは、『解決できる』と断言しているところだ。

 あの後の部屋に戻って、部屋が無事で済んでいるとも戻った自分が無事で済むとも思えない。何も手がかりが無い、気休めしかできない現状、こんな謎の泥船に乗っかるのも、悪手とは言えないんじゃなかろうか? そんな方向に思考が行ってしまっている。不本意だ。

「さあ、私の話を聞いてください! 二分だけでもいいよ!」

「ああもう分かりましたから! 聞きます、聞きますよ!」

 流されるままに、勢いで言葉が出てしまった。直後僕が見たのは、お手本のような万歳をしている白服の姿だった。

 どうしてこんなことになっているのか、考え直してもやっぱり分かりはしなかった。



「うっかり名乗り忘れてました、私は物人(ものと)と言います」

 ちょっと間を置いて、しょうがないので本格的な話を始めた。物人という名前は、これまで聞いたことがないし変な響きだと思った。本名は違うのではないだろうか。

「まあこの度はよろしくです、瀬倉さん」

 僕が名前を伝えると、物人さんは右手を差し出してくる。僕は渋々、同じように手を差し出す。

「……いいですね。やっぱり霊力がある」

 ただ握手をするだけだと思ったのだけど、予想以上に長く手を繋いだままだった。結構な不審者ではあるが顔が良い事に変わりは無いので、少しどぎまぎした。顔には出さないけど。言ってることが意味不明なのはさっきからなので、今更驚くことは無い。

「さて、詳しく話したいところですが……話すとぼちぼち長くなるでしょうから、瀬倉さんの家まで歩きながら話しましょう!」

 さっき二分でいいって言いましたよね、僕の家までは十五分かかるんですけど、そんな突っ込みを入れたくなって抑える。会ってまだいくらも経ってないのだが、いい加減さが節々から窺えた。

「あなたは付喪神って聞いて変な顔してましたけど、実例を見ればいくらか信じてくれますかね?」

「実例?」

 僕が聞き返すと、物人さんは深々と頷く。

「実を言っちゃうと、私二人ほど付喪神の友達がいるんですよ!」

 胸を反らし自慢げに言う物人さんに対し、僕は無反応を維持している。


「見せてあげますよ! (たい)ちゃん! (てい)ちゃん! 出てきてください!」


 思い切り、叫んだ。

 その声から数秒経って――


「お前いい加減学習しろよもっと良い話し方あるだろ丸っきり不審者じゃねーかこら」

 物人さんが吹っ飛んだ。後頭部に何かがぶつかり、頭から数メートル先へすっ飛んで行った。そして飛んだ先の方向から響いたのが、刺々しさに溢れた女性の声。『ぶつかった何か』も声の主もはっきりとは視認できなかった。僕は目を見張る。


「姉さん、もうちょっと落ち着いて……」


 同じように、物人さんがいる方向から坦々とした少年の声が聞こえた。状況を整理して、片方の声がもう片方の声の主を窘めているのだと気づいた。

「あ、相変わらずバイオレンスですね帯ちゃん……」

 後頭部を押さえながら物人さんが立ち上がる。そこには三つの人影が有った。一つが物人さんで、残りの二つが声の主たち。それはすぐに分かった。片方は背の高さに赤い長髪がマッチした、目付きの鋭い女性。もう片方が、小さく華奢な茶髪の少年。さっきの声とイメージがぴったり合う二人組だ。物人さんと同じ、真っ白な服が目立っていた。

「しょ、紹介しますよー。こっちのスタイル良い子が帯ちゃんで、可愛らしい方が丁ちゃん。それぞれ、包帯と包丁の付喪神です」

 二人を自分の横に並べ、大きなコブを作りながら紹介をする。どうにも締まらない。しかし、僕はまたしても動揺することになった。

 自分の考えと見た物が正しければ、二人は何もない所から突然現れ、一瞬で主人の下へ移動した。しかもこの今、目の前の二人は足が地から離れている。付け加えるなら外見も日本人離れしている。付喪神なんてものを冗談半分に受け止めていた僕は、この数秒間でその存在を信じ込まされることになった。

「包帯と包丁……ってことは、今持ってるんですか? その道具」

「ありますよー、ほいっちょ」

 物人さんは僕の問いかけに応じ、即座に懐に手を入れ引き出した。錆びついた包丁、薄汚れた短い包帯――ただそれだけ見れば、幽霊屋敷から盗んできたかのような外見である。僕は思わず後ずさりしていた。

 気を取り直して、僕は紹介された二人に向き直る。片方は機嫌が悪そうで、もう片方は無表情。何を言ったらいいか分からなかった。

「……よろしくお願いします」

「丁です、どうぞよろしくお願いします」

「あ、二人ともご主人より礼儀正しいですね」

「瀬倉さん今さり気なく私の悪口言いました?」

 二人が案外普通の挨拶をしてきたので、僕は焦って皮肉を言ってしまった。何で焦ってそうなるのか、自分でも意味不明な思考回路だ。

 僕はしばらくそんなどうでもいいことをしばし考えていたが、しかし少々経ってから何か引っかかるものを感じた。僕が怪奇現象に困っていて、物人さんが口を突っ込んできて、二人が現れて――この流れで『よろしくお願いします』という挨拶は、何だかずれてないだろうか?

「じゃあ実際の付喪神さんとの対面も済ませた所で、行ってみますか!」

 そんな僕の疑念も放置したままで、気を取り直した物人さんは僕に先を行くよう促す。たったの一時間ちょっとで思考放棄に慣れてきた僕は、しょうがないので素直に自宅へと歩き出す。何が起こるのか、予想はさっぱりつかなかった。



「人は皆、霊力とか霊感とかそういうものを持ってるんです」

 道中、物人さんはいくらか雑談を挟んだ後で、付喪神講座を開始した。二人の付喪神は主人のあとをふよふよと浮遊してついてくる。

「その霊力ってのは、常に人の身体から発せられます。とは言っても、多少霊力を浴びたって普通の物や人には全然影響ないですが」

 度々咳払いを交えながら話を続ける。

「強い霊力を長く浴びてますと、たまに道具に魂が宿ることが有ります。そうしてできたのが、この可愛い付喪神たちなのです。まあ付喪神自身は、通常ですと持ち主本人にしか見えないんですけどね」

 幾らか真面目に喋りながらも、途中で二人に抱き付いて拒否反応をされる。その姿に主らしさは無い。

「ただ、そういう付喪神にも良いのから悪いのまで色々います。持ち主への感謝の念で目覚めることもあれば、怒りながら出てくることもあったり」

 その説明を信用するのなら、僕の部屋には『悪い付喪神』とやらがいるということか。

「そういう悪いのを何とかするのが、私たちのお仕事です!」

 説明が一段落して胸を張る。調子乗るなよ、と帯さんが注意を入れた。丁くんは脇の方で野良犬に構っていた。マイペースな子なのだろうか。

「丁ちゃんが気付いてくれたんですが、瀬倉さんは霊力がやたら強いです。だから付喪神関連の話題あるんじゃね!? って思って声を掛けました。一般的な人ですと付喪神なんて一生会えないのが普通ですが、瀬倉さんは別ですね。もし年代物のアイテムとか持ってましたら、付喪神わりとアッサリ目覚めますよ」

 いつか受けた占いと似たようなことを言われる。あの占いは信憑性が有ったのだろうか。今となっては、あの占い師の名前も思い出せない。

「……年代物……って言うと、心当たりが無いでもないですね」

「ほう?」

 やっぱり、と言わんばかりの表情をされた。いわゆるドヤ顔というやつだ。少しイラッとした。

「昨年、お祖父ちゃんが亡くなりまして……持ってた骨董品とかが、うちにはいくつか置いてあるんで」

「例えばどんなのが有ります?」

「壺やら皿やらの陶器、日本画、よく分からない石、刀剣……うーん、色々と。大半は価値の無いパチモンだと思いますが」

 いやいや凄いですよ、それは色々可能性有りますよ、とノリノリの反応を見せる物人さん。

 他に何か、大したものがあっただろうか。僕は少し思案して、ふとある物を思い出す。ポッケに手を入れて探った。いつも持ち歩いている物があった。

「これとか……どうでしょう」

 小さめにカットされ、白黒の柄が刻まれた一枚の布――風呂敷。亡きお祖父ちゃんからもらった物だ。今時風呂敷を使う人は、少なくとも同年代の人間の中にはあまり見受けられない。けれど僕は、使い勝手の良さからその風呂敷を愛用していた。

「あ、これすごい……付喪神いますね多分。これが原因かも分からんですね」

「え、でも見たことないですけど」

「瀬倉さんに見られないように隠れるとか、いくらでもできますよ。本体の中に忍んでれば、持ち主からは認知できません。まあ本体の中から外の様子を窺うこともできないらしいんで、普段は外でてる子が多いんですけども」

 私は人望有るから好きな時に呼び出せますけどねー、と続けた後に物人さんがもう一度吹っ飛んだ。人望なんかどこにあるんだよ、と変わらず辛辣な帯さん。本当にこの主従関係は成り立っているのだろうか。

「い、所謂ツンデレってやつだよね帯ちゃん……うぐっ」

「いや、本当大丈夫ですか?」

 家に着く前に死ぬんじゃないかと思われたので、流石に止めに入った。

「ヘーキヘーキ、頑丈ですよ私は……うう」

 実際身体は無事そうだけど、メンタルの方が大丈夫だろうか。霊的な物を相手にするなら、そこは結構死活問題じゃないのか?

「ご主人も姉さんも、いつもこんな感じですから。大丈夫です」

 いつの間にか隣にいた丁くんが、先程と同じ起伏のない口調で無表情のまま話す。心を見透かされたような気がした。この少年は、二人とは色々な点で対照的だ。

「慣れてるんだね」

「もう長い付き合いですから」

 そう聞くと、僕はまた少し好奇心が掻き立てられた。依然怪しい三人組ではあるが、三人とも只者じゃないのは分かっている。どんな経緯で三人が一緒にいて、何を目的にこんなことをしているのか。想像もつかない。


「……待って!」


 突然、丁くんが叫んだ。さっきまでの物静かな印象からはかけ離れた、真に迫った表情をしている。その場にいた全員がぴたりと動きを止めた。

「な……何?」

「また何か見つけたのか、丁」

 棒立ちの僕をよそ目に、二人は少し身構えて話しかける。さっきの物人さんの台詞を思い出した。初めに僕に目を付けたのは、自分より一回り幼く見えるこの子だったと言う。そういったものに敏感だということなのだろうけど――

「……」

 話しかけられた丁くんは、緊張の面持ちを崩さないままで静かに目を閉じた。沈黙を残したまま、何秒とも何十秒ともつかない時が経ち、

「……ごめん、何でもないです」

「えっ」

 そんな、コントの様にすっこけたくなるようなことを言い出した。

「本当? 嘘じゃない?」

「本当です、すいません」

 喋り方も元通りになる。まるで今の張り詰めた空気など無かったかのように、飄々と振る舞っている。

「怪しいな~? 丁ちゃんの霊力レーダーは正確だからな~?」

「おい、物人」

 なおも迫る物人さんに対し、何度目かの帯さんの声。

「丁は違うって言ってんだろ、疑うんかコラ」

「ご、ごめんよ! そんなつもり無いよ! ほんとだよ!」

 威光、威厳、権力、そうしたものとは無縁の光景だ。寧ろ逆転している。

「とにかく、家にもうすぐ着きますから……」

 また諍いが起こってしまったので、僕はしょうがなく帯さんを制止する。この短期間で二度も調停役を務めてしまった。日頃こんな仕事をするタイプじゃないのに。

「……瀬倉さん、うしろ」

「え?」

 小さく絞られた丁くんの声に、僕は反射的に後ろを向く。歩道も無ければ交通量も無い、狭い道路――その向こう、曲がり角のブロック塀の陰に、僕は一瞬何かを見た。

 白い、太陽の光に映える純白の色が、微かにはためいていた。細くも確かな何かが、塀から僅かにはみ出して、視界に映った。その一瞬だけ、僕はそれに心を奪われ、そして――気付けば、それは消えていた。

「あれは……」

「何でしょうね」

 全くぶれることのないポーカーフェイス、けれど僕は、その下に何かが有ることを確信した。あそこにあった美しい白色のことを、きっとこの少年は知っている。知った上で、口を塞いだ。彼がそうした理由までは、読み取ることができない。ただ、

「……とりあえず、行こうか」

 少なくともこの時点では、得体の知れない白服集団なんかより、もっと警戒を払うべき存在が有ることは分かった。もしかしたらその存在は――僕が何気なく思っていたより、近くて、危険で、恐るべき物なのかもしれない。



「むうう……これは……キてますねえ。この物件は怪しいですぞ!」

「お前もそこそこ怪しいぞ」

 帯さんが僕の考えたことを言ってくれた。台詞回しがインチキの人たちと何ら変わりない。

 七階建てマンション、その一室の前。自分とその家族が住んでいる、そして先程怪奇現象が起きていた部屋である。今は物音がしていない。

 さっきは、明らかに自分目がけ飛んできた物体が複数あった。辞書なんかが直撃すれば、真面目に命の危険も有る。もし本当に『悪い付喪神』というのが自分の家にいると言うなら――一先ず、三人に頼るしかないだろう。

「丁さん、帯さん! 準備はいいですかな!」

「いいですよ」

「いい加減普通にやれよお前」

 某黄門様を真似た口調は軽く流されてしまった。てんで頼りない、そんなイメージが自分の中で定着してしまっている。付喪神コンビの方が頼もしかった。

「じゃ、行きますよ~」

 それを気にする様子も無く、物人さんはドアに手を掛ける。口調は緩いままだったが、一方で少し動きが硬くなっているのは気のせいだろうか。

「おりゃっ!」

 勢い良く、扉を開け放つ。

 家の中は、思ったより整然としていた。母さんが昨日掃除をしてそのままだ。乱れた所は見当たらない。

「とりあえず、廊下は平気、と……」

 帯さんの声には緊迫感が有った。さっきまでのどつき合いが嘘のようだ。帯さんが先を歩き、物人さんと丁くんが黙って続く。僕も一番後ろに張り付き、ついて行く。

「いつどこから狙ってくるか分からないですから、注意して下さいね」

 物人さんの声色が打って変わって落ち着いている。さっきは精々辞書だったが、もしかしたらナイフや何かだって飛んでくるかもしれない。想像して、身震いした。

「沢山の物が飛んできたってことは、それだけ沢山の付喪神がいるってことなんですか」

「そうとも限りません」

 僕の質問に直ぐ物人さんが反応する。

「付喪神は、付喪神が宿っていない周囲の物体を操作することも可能です。一人だけでも、他の物体を動かして多角攻撃を仕掛けるくらいはしてきます」

 物人さんの回答と同時に、帯さんが僕の部屋のノブに触れる。慎重に、確かめるように。

「ここが問題の部屋だな?」

 振り向いてこっちを見ながら、帯さんは聞いてくる。僕が無言で頷くと、帯さんは一呼吸置いて、

「おら!」

 戸を開く。

 部屋中に、物が散乱していた。ペン立てが布団を覆い、枕がパソコンにぶつかり、本が床を塗りつぶしている。混乱の跡だ。今の部屋を見て、あの状況の異常さを再確認できた。

 ただ。

「……何も起きない?」

 帯さんが、若干気の抜けたように呟く。あの時の様に、物という物が宙を舞い襲い掛かってくることは無く、ただ移動した先で昏々と寝転がっているだけだ。散らかってはいるが、そこに奇怪さはあまり感じられなかった。

「この部屋に、何かいるだろうと踏んでましたけど……当てが外れましたかね?」

 物人さんもそう言って、部屋に踏み込む。


「……いや、違う!」


 しかしそこで、ここまで静かだった丁くんが口を開いた。上ずった声が響いた。

「丁、何か感じたのか? どういうことだ!?」

「『何か』はいる――けど、姿を隠してる」

 早口でそう言って、丁くんはさっきしたように目を閉じた。あとの二人は、周囲を見張りながら沈黙を守っていた。集中力を高めている。隠れた『何か』を探している。その静けさが数秒続いた後で――

「そこ!」

 突如顔を上げた。一点を指で示した。

 それから瞬間、


「……ぐうっ……」

「まずは、一人か」


 その一点に躍り出た物人さんが、両手を広げて立ちはだかった。そしてその中心、胸部に、禍々しい光に――狂った輝きに満ちた、一本の刃が突き立てられていた。深々と、正確に。その刀は左胸を貫通し、そして物人さんの身体から抜け出そうとしている。

「物人さん!?」

 その刃はゆっくりと身体から離れると、ふうっとそこから浮かび上がった。そして、鋭く煌めく身が段々と形を変えてゆく。凸凹を生やし、肥大化し、備えられた瞳がぎろりとこちらを睨んだ。


「そこの二人、貴様ら人間ではないな?」


 忽ち、ただの日本刀だったそれは、黒ずんだ空気を纏って――化物へと姿を変えた。地から響いてくるような重たい声がその化物の声であることに、僕は暫く気付かずにいた。

「……あれが今回の元凶か。やべえな、殺る気満々だぞ……」

 主に刀が突き刺さってなお、二人の付喪神は全く動じない。狭い廊下に陣取り、真っ直ぐに、日本刀の化物――日本刀の付喪神を見据え、対峙する。

 この日本刀には見覚えがあった、しかしそれがこんな所に有るはずがない。和室の隅、押し入れの中、厳重にしまっておいたはずだ。何故ここにいるのか。分からなかった。そして僕は、自分が思っていた以上に厄介な元凶がいたことを、今初めて認識した。

「折角隠れていたのに、儂を見つけるとは……中々やるようだ」

「見つけるのが、あと少し遅かった……」

 丁くんが悔しそうに声を絞り出す。もう一方で唸り声が轟いた。憎悪の念を詰めたような、重たく深い声だった。


「貴様も主と同じように倒されたいか?」

「誰がやられたって?」


 聴き慣れた、しかし心なしか気の入った声がいきなり現れる。まさか、と思った瞬間に、その身は起き上がった。

 物人さんが、何事も無かったかのように、立ち上がる。貫かれたはずの胸部に痕が無い。何故だ、と思ったのは僕だけではなかった。

「な……確かに急所を突いたはずだ!」

「あの程度で、私がやられると思いますか? 奇襲を仕掛ける相手を間違えましたねえ」

 狼狽する刀に相対し、相も変わらず得意げに――しかし先程までと比にならない迫力を背負って、物人さんは話しかける。

「貴様……儂を愚弄するか!」

 怒りを剥き出しにした刀の付喪神が、再び刃の形を取り戻していく。

「丁くん、来てください! 瀬倉さんはもう少し離れて!」

「分かりました!」

「は、はい!」

 完全な日本刀に戻る直前、物人さんが呼びかける。僕が素直に後ろへ下がると同時に丁くんは物人さんの下へ飛び込み、瞬き一つする内に姿を消した。

「うおっとぉ!」

 そして直後迫ってきた刀を、物人さんは短い包丁で受けた。前見た時古びていたはずの包丁は、いつの間にか曇り一つない鮮やかな一振りに変わっていた。まるで、新たな命が吹き込まれたかのように。


「ほ、包丁一本であんな刀と闘えるのか!? 有り得ない……」

「確かに普通無理だし、あの日本刀異様に強いが」

 僕の独り言に、離れた位置から帯さんが応じた。


「あの二人が組んだ時の力を舐めるなよ」


 自信を秘めた口ぶりだった。期待をさせるような力強い言葉だったが、いずれにせよ僕はここからでは、黙って見ていることしかできない。

 互いの刃が擦れる度、光が衝突を起こして飛び散る。尖った音が放たれる。空気の揺れる感触が身を貫く。凄まじい、そう言う他無かった。


「ぬうう、これだ! このような闘いの感触! これこそ儂の望んだ事よ!」


 一度互いが距離を取って攻撃を休めた途端、日本刀はそう吼えた。僕にもはっきりと聞こえる、大声で。


「……望んだ事?」

「儂が作られた目的は、闘いであり、愚かな敵どもの命を奪うことよ! 断じて、断じて鞘の中で眠り続けることなどではない!」


 狂喜。日本刀は、己を誇示するように、何かを批判するように、高らかに語り上げる。


「……もしかして、それが今回の騒動の原因か?」


 その言葉が丁くんのものであると、直ぐには気付けなかった。小さな刃と化した丁くんが、感情を見せた――僅かに怒りを込めたような口調で、問い掛けた。


「何年経ったかも分からん程耐え続けた。もうこれ以上は待てぬ! たとえ閉じ込められようと抜け出して、儂は持ち主を――腰の抜けた愚か者を殺す!」


 明確な殺意がそこにあった。


「……そうか」


 寒気が走った。こんなに念の籠った声を、僕は聞いたことが無かった。その三文字は、丁くんの声にも、物人さんの声にも思えた。

「お前の言いたいことは分かったよ」

 今度は、丁くんの声だった。しかし、そこに感情の無さはもう欠片ほども見られない。得体の知れない何かが、込められていた。

「ただ、一つだけ言いたいことがある」

 刀の付喪神の笑い顔が、崩れる。


「本当に誰かを殺したことも無い奴が、そんな事を語るな」


 再び、日本刀が怒気で満ちた。

「殺す、まず貴様を殺す!」

 長刀の動きは一層加速した。しかし、刀の形勢が有利になることは無かった。

 一本の包丁が、刀の何分の一かという短さの刃が、全ての太刀筋を捌いている。一つとして間違えることなく、隙を見せることなく、物人さんの手元の丁くんが、日本刀を圧していた。

「ぬう……!」

「壊しはしませんよ? ただあなたは危なすぎるんで、ちょっと眠ってもらいますよー」

 今度は物人さんだった。それが聞こえた直後、

「霊力で、無理矢理封じ込めます」

 丁くんが、青白い光を放ち始めた。それを見た刀の付喪神は、只管怒声を上げ続ける。

「ぐが……が、そ、そんなことになるのなら……せめて、一人は殺す……!」

 刀は二人から必死に距離を取った。ほんの一間、二人の攻撃から逃れると、即座に刃の向きを変えた。 そして――


「……っ、おい! やばい、逃げろ!」


 帯さんが怒鳴った。反応できなかった。

 闘いに見惚れて、完全に油断していた。刀が迫ってきた。思考がフリーズした。

 あの刀が、あの付喪神が道連れに選んだのは――僕だった。


「……ッ……!」


 一瞬間。空虚。反射的に、僕は目を閉じていた。不思議なのは、何も、感覚が無いことだ。

 目を開けて、そこに映ったのは――白銀の、髪だった。加えて、赤い、赤い液体が、微かに見えた。

「糞! 糞! 貴様!」

 野太い声が、苛立ちを露わに叫ぶ。


「貴様はこの家の付喪神であろう! 邪魔をするな!」


 僕の眼前にあったのは、一人の、見たことの無い少女の体躯だった。日本刀を腹部に受けて、苦しげに倒れ込んだ、幼い少女。

「失敗は繰り返さない、今度こそ……!」

 動きが一時止まった日本刀に、気付けば物人さんが至近距離まで寄っていた。右手を、全力で振り上げる。

「許さん、許さんぞ、糞!」

「大人しく……しろおおおおおおおお!」

 絶叫と共に、物人さんが、包丁を、愛する付喪神を、躊躇わず刀へ叩きつける。


「愚か者共があああああああああ!」


 断末魔が場を(つんざ)いた。丁くんが青白い光を濃くするとともに、刀を覆っていた瘴気は、見る見るうちに薄れてゆく。

 少女の出現から一分ほどが経過し、丁くんが少年の姿へと変わった頃――あの騒動を引き起こし、今まさに驚異の戦闘能力を示した日本刀は、ただの工芸品へと戻っていた。


「おい、その子治療するぞ! 手伝え物人!」


 闘いが終わって、最初に動いたのは帯さんだった。

 物人さんは文句一つ言わず、帯さんの隣に座る。少女の傷に、帯さんが手を当て、その上に物人さんが手を重ねた。

「あたしは一応包帯だからな。こう見えても治療専門なんだよ」

 僕の方を向いて、帯さんはニヤリと笑った。やがて、丁くんが纏っていたような青白い光が、傷口から溢れだす。ほんの数秒で光は傷を埋め尽くし、消滅したころには傷痕も殆ど残っていなかった。やがて、顔の方から安らかな寝息が漏れ始めた。

「これでとりあえず良しと……丁も頑張ったな。来い」

 見ると、丁くんもあちこちに傷をつけていた。想像を遥かに超えて激しいやり合いをしていた。あんなのが待ち構えていたと思うと、恐ろしくてしょうがない。


「はあああ、どうにかなった……ダメかと思った……」

 危機が去って、物人さんは大きく息を吐いた。

「なんか色々と凄すぎて、今でも現実味が無いです……」

「まあ当然だろ。あんな強烈なのが出てくるとかこっちもビックリだ」

「付喪神の強さって霊力の強さにも比例するんで、それだけ瀬倉さんがヤバいってことです」

 嬉しくない。今のところ、霊力とやらが強くて得をした記憶が無い。

「まあでも、良いこともありますって。もし霊力がもうちょっと弱かったら、生命力が低くて死んでたかもしれませんよこの子」

 物人さんが、床に横たえられている少女に目を向けた。僕も改めてその子をよく見る。

 全身が白かった。肌もさることながら、服装が白いのも三人と似ていた。しかしその中でも際立つのは、髪だった。

 純白の長い髪は、例えようも無く美しく、透き通っていて――僕はそれに、見覚えがあったのだ。



「さて、色々と話しましょうか」

 数十分後。とりあえず落ち着こうと、僕はリビングに物人さんと丁くんを連れてきた。帯さんと女の子は、別の部屋で話をしているようだ。

「まず、結果! 日本刀の付喪神は封じました! もう放置しといても危険なことは無いはずです! パチパチパチ!」

 一人拍手は虚しい。

「二人ともノリ悪い……」

 沈んでしまったので、僕は慌てて励ます。闘っている時は格好良かったのに、それ以外の時は本当に残念な人だ。

「まあ、あんな戦闘狂の願い事なんかはとても叶えられませんけど……封印しっぱなしってのも不憫ですし不満をまた溜めるでしょうからね。瀬倉さん、せめて手入れくらいはしてやってくださいね」

 僕は刀剣の手入れなんてやったこと無いが、こればかりは頑張るしかないだろう。

「続いてあの子について、ですけど……丁ちゃん!」

 物人さんは丁くんをビシッと指差す。びくりと身体が震えた。

「丁ちゃんは、あの子がずっと気配消して私たちの近くにいたこと、知ってたんですね?」

 家に着く直前、丁くんが不可解な行動を取った理由が分かった。

 あの少女は、何時頃からかずっと僕の周りにいたのだ。少なくとも、ポルターガイストが起きたあの時点では、既に存在していた。

「話をしてる帯ちゃん曰く、日本刀が瀬倉さんを狙ってることは知ってたようです。ただ力が及ばないので、普段は姿を隠していざという時に出ていこうとしたと」

 本体の中に潜んでいると、外の様子は窺えない。だから彼女はずっと外にいた。そして、あの瞬間――僕が日本刀に殺されそうになったとき、咄嗟に本体へ戻り、そして飛び出して盾になった。意図を察して、丁くんは敢えて存在を黙秘した。

 あの子には、後で礼と詫びをしなければいけない。

「あの子の本体は……お分かりだとは思いますが。それですよ」

 物人さんが示したのは、僕が持ち歩いていた布――風呂敷である。これにも付喪神がいるという物人さんの見立ては正解だった。ただ、その性質までは分からなかったのだけど。


「おう、反省会か? お茶くれよ」


 ここで現れたのが、別室にいた二人である。帯さんと――動いているところを初めて見る、風呂敷の付喪神。

「えっ、と……初めまして、でいいのかな」

 僕は、帯さんに引っ張られているその子に話しかけた。僕がずっと愛用していた、そして僕の危機を救ってくれた、付喪神。


「あなたのことは知ってるよ」


 子供らしい、高い声だった。

「重い荷物持たせて、時々洗い忘れて、ちょっといい加減で根性なし」

「うわ、ひどーい」

 想定外のダメージをがりがり喰らった。可愛らしい少女だと思っていたら、それに似合わず口が悪い。帯さんの喋りが移ったんじゃないだろうか。


「でも、いつも使ってくれる。何だかんだで、お祖父さんがしてたみたいに、大切にしてくれるんだ」


 くすりと、笑いながら。一転して少女は、そんな気恥ずかしいことを言い出す。

「……瀬倉さんがロリコンになりそうです」

「丁くん何言ってんの」

 そんなことを言う子だとは思わなかった。

 とにかく。

「守ってくれて、ありがとう」

 僕は、心からお礼を言った。手を伸ばして、握手を試みる。小さな手だった。


「物人さんも、丁くんも、帯さんも……ありがとうございました」


 そして、一番礼を言わねばならない三人組に向けて、頭を下げた。怪しくて騒がしくて、でもこの三人がいなければ自分は生きていたかも分からない。

「礼には及びません」

「そうだ、そんな畏まらなくていいって」

「これにて一件落着ですなー!」

「物人、うるさい」

 出会って間もない付喪神にまで文句を言われる物人さんは流石にかわいそうだった。

 お茶でも出そうと台所に向かったところで、僕は一つ息をつく。ほんの数時間のことなのに、随分と疲れてしまった。未知の現象、出会い、戦闘、危機――こんな濃い一日もそう無いだろう。

「皆さん、お茶を」

「すみません」

「おう」

 お盆に乗せた麦茶の紙コップを、一つずつ渡していく。

「いや、これは良いお茶ですね! 飲まなずとも分かります!」

「ペットボトルのお茶ですけども」

 ちぇー、とがっかりしたような物人さんにもお茶を渡す。

「ところで、幾つか気になることが有るんですが」

「なんですかい」

 僕は、物人さんに聞いてみたいことがあった。

「最初刀が刺さった時、あったじゃないですか」

「うんうん」

「あの時無事でしたけど、そんなに強いのは何でです?」

 あの戦闘においては刀との打ち合いに耐えた丁くんも凄かったが、それ以上に物人さんの戦闘力が際立っていた。人間業ではない。なんであそこまでになったのかを知りたかった。

「ああ、あれはね、そもそも私には効果が無いのですよ」

 言っている意味がよく分からないのですが。


「私、とっくの昔に死んでますし!」


 …………へ?

「ついでだから、その辺も話しておきますか」

 混乱している。そりゃ、普通の人間じゃないのは考えてみれば当たり前だ。あれだけの能力を見たら。けれど納得できない。

「私はずっと前に、付喪神と揉めて死んじゃったのですよ」

 重い話のはずなのに、深刻さも悲しさも無く、いつもと同じように語る。

「そしたら、普通の人は普通にあの世へ逝くらしいんですけど、私はイレギュラーな死に方したせいかなあ……めっちゃ中途半端な状況になってしまったんですよ」

 中途半端な状況、とは。

「下界にいます。基本、人には見えません。ただ、霊力の強い人にだけ見えます。霊力の強い人の周りにいれば、物にもさわれます。そして、付喪神とはいつでも自由に関われます」

 箇条書きの文章を読み上げるように、一つ一つ述べていく。

「で、何やかんやで同じように訳アリの帯ちゃんと丁ちゃんに出会いまして……つるんでるのですね。二人にはちょっと憑き物があるのですよ」

 二人の方を見ると、揃ってコピーしたような仏頂面を並べていた。

「憑き物ってのは、付喪神の持病のようなもんだと思ってくれれば結構です。身体が重かったり、力が発揮できなかったり、他にも色々悪影響有ったり……詳しい理屈は私も知りませんけどね、こんな風に誰かを救うたび、それが落ちていくんだそうです」

 付喪神というものの理屈は、本当に分からないことだらけだ。しかし兎にも角にも、事情は分かった。

 この人は、その中途半端な状況とやらを生かし、色々とやっている訳だ――普段は付喪神と楽しくやり、困っている人がいれば助ける。それは物人さんの望みであるし、二人の付喪神のためでもある。

「まあそんな訳で、感謝されるのも嬉しいですが……私たちもちゃんと利が有ってこういうことをしてるのですよ」

 謎が解けて、僕は今無駄なくらい清々しい気分になっていた。

「変な顔だねご主人。背負われてるときは顔が見えなかったから新鮮だよ」

 ……これからは、変な行動をしていると一々言われそうである。今から心配だ。

「おーい、悪いけどもう一杯くれませんかな!」

 物人さんがお替りを要望する。僕は麦茶のボトルを持って、注ごうとする。けれど。


「……え、あれ?」

「あー……ちょっと早かったね」

「残念です」

「もうちょっと話したかったな」


 せっかく疑問が解けたのに、また不可解な状況が出現した。

 身体が――透けている。物人さんの身が、白い服が、色を失くし始めている。ふと後ろを見ると、二人の付喪神も薄れかけていた。

「なんですかこれ!?」

「ああ、うん、神様の力が無くなってきたんですよ」

 神様の力?

「さっき、霊力の強い人にしか見えないって話をしましたでしょ? 実は、瀬倉さんの霊力でも、私を目視するには若干足りないんです」

「え、それじゃ何で……」

 おかしい。もし物人さんの言うことが本当なら――今まで見えていたのは、何だったのか?

「だから、神様の力ですよ。さっき祈ってましたでしょ」

 神様。祈り。僕はそこまで聞いて、さっきのある行動が思い当った。

「え、まさか神社での……」

「そこもよく分からないんですけどね、どうやら神社やら仏閣やらのお参りには霊力のドーピング効果が有るらしいんです。不思議ですねー」

 この人と会った時のことを思い出す。神社でのお参りの直後。呼びかけに応じた時の喜んだ表情。今、合点がいった。単に付喪神の案件が見つかったと言うだけではなかった。

 自分を見てくれる、言葉を交わせる――貴重な人に会えた。その喜びがあんな表情をさせていたのだ。そして、あのタイミングで話しかけてきた理由は、言うまでもなかった。

「もし効果が切れれば、瀬倉さんは私を見られなくなります。私の付喪神である、丁ちゃん帯ちゃんも同じです」

「ま、そーいうことだ」

 そう言っている内にも、透明化は段々と進んでいる。足が見えなくなって、本物の幽霊らしくなってしまっている。


「……皆さんには、もう会えませんか?」


 無意識にそう呟いていた。不審者扱いしていたのに。今の僕は、この人たちと別れる気になれずにいる。

「いやいやいや、大丈夫大丈夫! またお参りしてくれればいいのです!」

「でも、あの神社にいるとは限らないんじゃ……」

「だいっじょーぶ!」

 物人さんの、満面の笑みが眩しかった。


「私を呼ぶ人がいるなら、私はどこにでも現れます!」


 宣言。悲しみなんて微塵も感じさせない、高らかな宣言。

「またいい加減なことを……」

 帯さんの嘆息は、しかし今までの態度とは違うようにも見えた。

「あるいは、他の方法もあるかも知れませんね? 瀬倉さんも、今や付喪神付きです」

 僕の足元には、風呂敷の付喪神が座り込んでいる。動かずに三人を静観していた。

「付喪神は行動範囲に制限が有るので、融通はちょっと利きづらいですが……うまくやれば、(ふう)ちゃんに探してもらうこともできるかもしれません」

 ハッと気づいたときには遅かった。自分の付喪神なのに勝手に命名されてしまった!

「あ、名前それでいい」

 当人が認めてしまった!


「じゃあ、そんな訳ですので! またいつでもお呼びくださいなー!」

「あばよー」

「また会いましょう」

「あ、ちょ、ま」


 あれこれとやっている内に、三人の姿がとうとう消えて行ってしまった。別れを惜しむ暇もろくにない。テーブルの上に、三人分のカップだけが残されていた。

 どうしようもなくて、僕は広くなったリビングをぐるりと見回す。怪奇現象が収まって、訪問者がいなくなった家には、普段通りの空気が戻ってきていた。ほんのちょっと前に場を支配した慌しさも、そこにあったいくつかの人影も、もう溶けてしまっていた。僕は椅子に身体を投げ出す。そして自然と呟いていた。


「本当に、急に出てきて、急に消えて……」


 疲れた。本当に疲れた。この半日は,ハード過ぎた。思い切りもたれかかって、伸びをする。

 すると、慣れない感触が肩にあった。肩を見ると――そこにあったのは、小さな白い手。

「何をするわけでもないけど、肩揉みぐらいならするよ。凝ってるのは知ってるから」

 改めて、実感が湧き上がる。この子が、今後家にいるわけだ。さっきの三人の話から考えるに、この子は自分にしか見えないのだろう。いきなり現れた、けれどずっと傍にいた――パートナー、とでも呼ぶべき存在。

「……ありがとう」

「あの三人ほど、楽しくできるかは分からないけど……今後とも、よろしく」

 風の声は、澄んでいた。


「お帰りご主人。久々の留守番は暇だったよ」

「だろうな」

 夏の昼下がり、家に帰ると風が迎えてくれた。あれから一週間ほど経ち、僕も彼女との生活にいくらか慣れてきた。暑さが身に応えるので早く冷房を入れたい。

「ご主人、ニュースが有る」

「なんだ」

「付喪神が増えた」

 すっこけた。

「この子なんだけど」

 見ると、風の後ろに同じくらいの背丈の少女がいた。真っ赤なおかっぱ頭が印象的な少女だが、一つ疑問なのは、

「……僕、何で睨まれてるの?」

「ご主人にちょっぴり恨みが有るらしい」

「恨みって……え、ちょっと待って」

 落ち着こう。以前の話から、付喪神が増えるという事態は予測していた。けど恨みとは何ぞや。心当たりがいくつか有る。でも決定打が――

「あの日本刀騒動の時、ご主人にぶん殴られたらしい」

「え…………あああ!」

 最初のポルターガイスト現象。僕は思い出した。

 あの時、目覚まし時計を叩き落とした記憶が有る!


「……あの時は……痛かった……」


 地獄の底から這い出るような声が、


「痛かったぞーっ!」


 大音量へと化ける――本体が本体だからそりゃこうなる!

「止め、止めてくれ! 風、止めて!」

「無理だよご主人」


 今後もこうした付喪神が増えるかもしれない。そう考えると先が思いやられる。

 蝉の声と目覚まし時計と、大音量が埋め尽くす部屋の中に、一つ風が吹いた。

読んでいただきありがとうございます。初投稿作品になります。付喪神を題材に、結構勢いに任せつつ作りました。一番困ったのはタイトルだったり。全然思いつかない。

ラノベを書こうとした……はずですが、果たして面白くできているのかどうか。機会が有れば、改稿したり続き考えたりもしてみようかと思っています。

感想や批判、ミスの指摘など頂ければ嬉しいです。

(9/4)所々に改行加えました。読みやすさが上がっていればいいのですが。

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